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つかさ

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だれでも歓迎! 編集
Beautiful World 序章/ゆたかより続く
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

§1

「あれ? つかさがいない。おーい、つかさどこだー」
「えー! ひ、酷いやこなちゃん、どんだけー」
 チャイムが鳴ったから玄関のドアを開けると、現れたつかさの頭にはいつものリボンが乗っていなかった。
 二段フリルのチェック柄をしたワンピースにショートパーカーを羽織っているつかさは、相変わらず女の子らしくて可愛らしい。大学進学を機にイメチェンするつもりなんだろうか。いつものリボンを外してうっすらお化粧もしたつかさは、今までよりちょっとだけ大人びて見えていた。
「おおう、いつからそこにっ」
「うぅぅ……。もしかして、昔そんな格好してたこなちゃんに気づかなかったことへの復讐ー?」
 わたしはと云えば、つかさとは違って一転ボーイッシュな格好だ。ゆーちゃんが抱くわたしのイメージは、やっぱり元気で活動的な女の子っていうことなんだろう。オフホワイトのジャケットにボーダーのカットソー。カーキ色のキャスケットを被って、ボトムはちょっと大きめのショートパンツ。長髪も後ろで一本に縛ってて、アホ毛はキャスケットの下に隠れて見えていない。つかさが云うとおり、確かに昔一緒に映画を見に行ったときの格好に似てるかなって思う。
 そんな格好で、わたしは腰に手を当てて高笑い。せっかくつかさが復讐ってネタを振ってくれたんだから、乗っておかないと損だって思った。
「にゃっはっは、我らアーヴは必ず復讐を果たすのだよ。その性、高貴にして残忍!」
「虻~? 確かに虻に刺されると凄く痛いよねー?」
「ねー? って違う違う、アーヴだよアーヴ。『星界の紋章』っていうアニメに出てくる種族のこと。綺麗で残酷なんだよー。あ、原作はラノベっぽいSFなんだけどね」
「あ、そっか。昔お姉ちゃんとよく話してたやつだよね。確かにあの青い髪の女の子、こなちゃんにちょっと似てるかも~」
「――むう。そんな返しでくるか……負けた……」
「あ、あれ? なんかわたしの勝ち?」
  別に勝ち負けを競ってるわけじゃないけれど。
  つかさに想定外の返しをされると、なんだか負けた気がするのが不思議だなって思うんだ。
『いってきまーす』と大きな声で挨拶をして、まとめてあった荷物を抱え込んで靴を履く。家の中からゆーちゃんの元気で明るい声と、お父さんの地の底から響いてくるような呻き声が返ってきた。お父さんはやっぱりちょっと詰まってるみたい。目を丸くしているつかさをうながして、わたしは玄関から外に出た。
 午後もいい時間だったけど、お日様はまだ暖かくて眩しい。玄関脇の草むらで、シロツメクサが咲いている。どこからか飛んできたキチョウが、わたしが見ている前でその白い花弁にそっと止まった。
「春だねぇ」
 笑いながら、つかさがそう云った。
 ぱたぱたとはためくキチョウの翅を見て、わたしはつかさがよくつけていた黄色いリボンのことを思い出していた。もうつけないのかなって思うと、ちょっとだけ淋しい気もしてしまう。つかさに似合ってて可愛いかったけれど、確かに大学生にしては子供っぽいのかもしれないとも思う。
 駅に続く道を、わたしとつかさ、二人並んで歩いていく。肌に当たる風が気持ちよくって、つい脚が不必要に跳ね上がる。
 別につかさはわたしの家までこなくてもよかったのに。駅のホームで待ち合わせてもよかったのに。『わたしがちゃんと時間通りに家を出られるか心配』だなんて、つかさの癖に生意気なことを云って迎えにきてくれた。
「ってかさ、わたしとラフィールのどこが似てるの? ただ髪が青いってだけじゃん?」
 歩きながら、思い出したようにわたしは云う。さっきの話、中途半端に終わらせていたけれど、つかさが云ったセリフにちょっとだけ引っかかっていた。
 つかさなら、こんな風に突然話題を変えても、ひょいって感じでついてきてくれるはずだった。多分わかんないだろうオタクな話題を振っても、つかさはいつだってニコニコと笑いながら、『へーそうなんだー』なんて受け止めてくれるから大好きだ。
 今回もやっぱり厭な顔一つしないで、わたしの急な振りにも乗ってきてくれた。
「えー、そう? お姉ちゃんがアニメ観てるときに一緒に観てたけど、なんかこなちゃんみたいだって思ったよー」
「どこがさ。ラフィールはツンデレで可愛いし、アーヴってみんなすっごい綺麗な種族なんだよ?」
「あはは、それじゃやっぱりこなちゃんそっくりじゃん」
「――んにゃっ!」
 そんなこと云われるとは思ってなくて、思わずわたしは絶句する。何か反論しようと思ったけれど、結局何も云えずに口ごもってしまった。
 最近柊姉妹は、恥ずかしいことでも平気で口にするから困るんだ。つかさの癖にそんなこと云うなんて、凄くずるいってわたしは思う。
「も、もー、わたしはツンデレじゃないって云ってるだろ!」
 照れ隠しっていうわけじゃないけれど、なんとなくかがみの口真似をしてわたしは云う。バイトでもわたしの口真似は評判だったし、なによりずっと聞いてきたかがみの声だから。我ながらびっくりするくらい、かがみそっくりの口調になった。
「あはははは、凄い凄い、お姉ちゃんそっくり!」
「つかさ、いつまでもテレビ観てないで、早く宿題やっちゃいな」
「うわー、思わず謝りたくなっちゃうよ……」
「ええっ、一緒に寝たいって何よそれ。もー、本当つかさはいつまでたっても甘えんぼさんよね」
「上手い上手い……ってホントに何それ! そんなことわたし云わないよ!」
 つかさは笑いながら、わたしの頭をかがみみたいに抑えつけようとする。わたしも笑いながらその手から逃げる。いくらなんでも、運動神経でつかさに負けるほど、わたしだって落ちぶれてはいないんだ。
 頭を抱えながらひらひらと避けていると、突然つかさの動きがぴったりと止まった。なんだか不自然なその動きに、わたしは何事かと思って小首を傾げながら問いかける。
「……どったのつかさ?」
「うん、なんかちょっとね……」
「うん?」
「えへへ、さっきみたいなこと、もうお姉ちゃんから云われることないんだなって思ったら、ちょっと寂しくなっちゃった」
 ――あ。
 何やってるんだろう。考えなしだ、わたしは。
 そう思って、ちょっとだけ落ち込んだ。
 わたしにとっては、かがみが一人暮らしを始めたことは、そんなに悲しいできごとってわけじゃない。はずだ、多分。
 それはまあ、あのときは子供みたいに泣き叫んでしまったけれど。
 でも、あれはお互い遠くで暮らすことで、少しずつ疎遠になっていってしまうことが怖かったからで。
 連絡を取ろうと思わないと近況がわからないっていう状況がなんだか怖くって、そのうちにかがみにも大事な人ができるはずだって思ったら、わたしはもう、どうしようもなくなってしまったんだ。
 ――でも、今はもう違う。
 かがみはずっとわたしのことを一番大事に思ってるって、そう云ってくれたから。少しくらい家が遠くなってもわたし達は恋人同士だって、これからもずっと一緒だって、かがみはそう云ってくれたから。だからわたしにとってそれは、そんなに悲しいできごとってわけじゃない。
 でも、つかさにとっては違うはずだった。
 十八年もずっと一緒に暮らしてきたかがみと、生まれて初めて離ればなれになるんだ。もしかしたらそれは比喩でもなんでもなくて、違う家で別々に寝ること自体、本当に生まれて初めての経験なのかもしれないって思う。
「あ、ううん、そんな顔しないで、こなちゃん」
「――うみゅ」
 そう云われても、やっぱりちょっとしょんぼりとしてしまう。つかさは何を云われても怒ったりしないで受け入れてくれるから、つい心のリミッターを外してしまうことが多いんだ。
「ホントに気にしないでよ。わたしもう、大分吹っ切れてるはずだし」
「……そ、そなの?」
「うん、もう随分前にお別れは済ませてあるから。お姉ちゃんが打ち明けてくれた、その日にね」
 そう云ったつかさの表情は、なんだか凄く大人びたものだった。
 リボンで括られてない、シャギーが入ったショートカット。
 凄く素肌っぽいのに、よく見たらちゃんと整えられているなめらかな肌。
 グロスが塗られてて、艶めいて光る桜色の唇。
 しっかりと前を向いた強い眼差し。
 紛れもなくつかさはあのかがみの双子の姉妹なんだって、わたしは、そのとき初めて思ったんだ。
 不思議そうにまばたきをするつかさから視線をそらして前を向くと、青い空を背景に佇む倖手駅が見えてきた。

 ――子供の頃から通い慣れたその駅舎が、なんだか見たことがない建物のように感じていた。

§2

 駅のホームに、臙脂色のラインが入った電車が滑り込んでくる。
 平日午後の倖手駅は、なんだか酷く閑散とした印象だ。普段の登下校時に見る沢山の人たちは、一体どこに行ってしまったんだろうなんて思う。春休みだから仕方がないんだろうけど、ホームにいるのは学生っぽい人たちばかりだった。
 そんながらんとしたホームで、駅員の人が電車を誘導している姿だけが目についた。いつもは意識したことなんてないけれど、あの人たちにとってはずっとホームでああやっていることが仕事なんだなって思う。そんな人たちを眺めているうちに、わたしの胸の中でなんだか不思議なもやもやが、雲みたいに立ち昇ってくるのを感じていた。
 ぷしゅぅっとドアが開いて、わたしたちは電車に乗り込んだ。
「どしたのこなちゃん?……もしかしてさっきのまだ気にしてる?」
 なんだか申し訳なさそうな顔をして、つかさがわたしの顔を覗き込んでくる。
「んーん。そんなことないよ」
「そう? ならいいけど……」
 なるべくなんでもないみたいに云ったけれど、やっぱりつかさにはバレている。もしかして、つかさには隠し事なんてできないんじゃないかなんて思う。わたしとかがみのことだって、わたし自身が気づいていなかったわたしの気持ちを、つかさは誰よりも的確に見抜いていた。
 ――まるで魔法でも使ったみたいに、何もかも見抜いていた。
 思わず魔法のステッキを手に持ったCCさくらみたいなつかさのイメージが浮かんでしまって、わたしはくすりと笑みを漏らす。想像の中のつかさは、ステッキをくるくる回せなくて落っことしていた。
 いつだったかつかさのことをウェディングピーチのエンジェルデイジーみたいだって云ったけれど、やっぱりひなぎくはつかさにしてはちょっと凶暴すぎるかなって思う。夢がいっぱいフリルいっぱいは可愛いんだけど、つかさは間違ってもひなぎくみたいに“俺”なんて云いそうにない。
 ――ウェディングピーチ、か。
  思い出すと、なんだか凄く懐かしい気がする。
  それはセラムンのちょっと後に始まった、世間的には二番煎じ扱いされている、随分昔の魔法少女物アニメだ。
 でも、あの手の美少女戦士系の作風は、果たして魔法少女って呼んでしまっていいのだろうかって思う。コアなオタクには、『あんなもの魔法少女じゃない!』なんて云われてしまいそうだって思う。
 ――そう云えば、“あの子”もそうだった。
 あの子は魔法少女原理主義者で、CCさくら程度のバトル要素ですら、わたしたちの間ではよく是か非かの論争になったものだった。
 それでも、ウェピーは小学校低学年の頃のわたしにとって、一番お気に入りのアニメだったんだ。
 放送が始まったのは小学校に入った年だったと思うけれど、水曜夜六時にはいつもお父さんの膝の上にちょこんと座って、食い入るようにテレビを眺めていたことを覚えている。
 なぜかフリフリの清楚なウェディングドレスを着て悪魔と戦う女の子。ももこ、ひなぎく、ゆり。三人の愛天使たち。
 今考えたらつっこみどころ満載すぎる設定だったなって思う。そもそもウェディングドレスの時点で謎すぎるし、二段階変身で“お色直し”すると普通にスポーティな戦闘服になっちゃうし、決め台詞の『愛天使ウェディングピーチはとってもご機嫌ななめだわ!!』なんてもろセラムンだし。
 ――でも、わたしは呆気なくそのウェディングドレスの可愛さに魅せられてしまったんだ。

 夢がいっぱい フリルいっぱい
 おねがいよ ウェディング・ドレス
 ママのように素敵な恋 見つかるかしら

 ロマンチックなメロディの、その主題歌が好きだった。わたしはその歌詞の世界に惹き込まれてしまって、他愛なくももこと同じ将来を夢見ていた。
 フリルいっぱいの、可愛い可愛いウェディング・ドレス。
 いつかわたしもそれを着て、誰かのお嫁さんになるんだってこと。お母さんがきっとお父さんとしたような、素敵で甘い恋をして。いつかわたしもあんな風に真っ白で清楚で可愛らしい女の子になれるんだって、あのころずっと夢見ていた。
 ――当時から、わたしはどこか他人と違うんだって、わかってたはずなのに。
 ももこたちみたいに、時々喧嘩しながらもお互いを想い合える大切な親友ができて、格好良い男の子にスコンとバカみたいに一目惚れして、いつか誰か一人のためにウェディングドレスを着ることになる。
 普通の女の子が見るような、そんな当たり前の夢だった。それは何の罪もない、子供っぽい無邪気な夢のはずだった。
 でも、自分のことが色々とわかってくるにつれ、そんな夢はぽろぽろと崩れ落ちていったんだ。

 夢がいっぱい フリルいっぱい
 おねがいよ ウェディング・ドレス
 ママのように素敵な恋 見つかるかしら

 放送が終わってからもことあるごとに口ずさんでいたその歌も、自然と力なく語尾が下がるようになっていた。
 出来損ないの女の子であるわたしには、恋なんて見つけられないんだ。
 フリフリのウェディングドレスなんて、夢見ることはできないんだ。
 白い鐘楼が聳え立つ教会。リンゴンと鳴るウェディングベル。キラキラと輝くガラスの階段。シロツメクサの散りばめられた清楚なブーケ。長くたなびく涼やかなベール。
 画面の中の光り輝く世界。女の子の夢がつまったその世界に、恋ができないわたしは入っていくことができない。そう思うとなんだか色々なことが厭になってしまって、わたしはお洒落もすることもしないで、漫画やアニメばっかり見るようになったんだ。
 勿論、だからわたしがオタクになったんだなんて云うつもりはないけれど。きっとわたしがこうなった理由には色々な原因があるんだと思うけど。
 ――それでもわたしがアセクシュアルなんかじゃなかったら、もっともっと色々なことに積極的になれたのかもしれないって思うんだ。
 電車が動物公園駅について、反対側のドアが音を立てて開き出す。
 乗り込んでくる色々な人たち。周辺では結構拓けているこの駅は、さすがに利用する人が多いんだなって思う。
 サラリーマンっぽい男の人。学生っぽい女の子の集団。子供の手を引いているおばちゃん。自由人っぽいラフな服装の中年男性。
 本当に老若男女様々な人がいて、その全ての人が自分だけの人生を歩んでいる。この視界に映る全ての人が、わたしと同じように悩んだり迷ったりしながら色々なことを選択してきて、今たまたまここにいる。
 それを思うと、不思議で不思議で仕方がない。

 ――どうしてこんなに沢山の人の中で、わたしはかがみと出会うことができたんだろう?

「――こなちゃん? なんでもないって云われても、そんな顔してたら、もうわたしは信じないよ?」
 隣から優しい声が聞こえてきて、投げ出していた手をぎゅっと握られた。その柔らかい感触に、なんだかわたしは凄く安心する。
 つかさがいるだけで、色んな方向に振り切れそうになった感情も、自然と穏やかなものになっていく。つかさはわたしにとっての鎮静剤みたいな存在だったけれど、きっとかがみにとってもそうだったんだろうなって思う。あの半年間、わたしもかがみも、多分ずっとつかさに助けられて生きてきたんだなって思う。
「……うん、えとね。多分わたし、ちょっと怖いんだ……」
「怖い? どうして?」
「だって、わたしはかがみとどうすればいいの? これから先何すればいいの? かがみはわたしに何を求めてるの? 恋人って云われても、わたし、何したらいいのかわかんない……かがみにがっかりされるのが、なんだか凄く怖いんだよ」
 ――もう、長いこと諦めていたのに。
 高校に入ってから、わたしには昔夢見ていた通り、時々喧嘩しながらもお互いを想い合える大切な親友ができたんだ。つかさにかがみにみゆきっていう、どこに出しても恥ずかしくない大切な親友が三人もできた。
 ――それに。
 最初は気がついていなかったけれど、わたしは恋をすることすらできた。
 それは夢とは随分違っていたけれど。
 それは子供のころ夢見ていたように、格好いい男の子相手じゃなかったけれど。
 でも、わたしが恋した女の子はどんな男の子よりも格好よかったし、ちゃんと夢見ていたとおりに、わたしはスコンと一目惚れした。
 だからきっと、これは素敵な恋なんだってわたしは思う。
 これはママがしたみたいに素敵な恋なんだって、わたしは胸を張ってお母さんに云うことができると思う。
 ――それでも。
 わたしたちがウェディングドレスを着ることはできない。
 ももこたちが着ていたような、それを着るだけでどんな女の子も世界で一番可愛くなれるような、フリルいっぱいの綺麗なウェディングドレス。
 それをわたしは着ることができない。どれだけ願っても、心の底からお願いしても、この国じゃ女の子同士で結婚することは絶対にできない。
 それどころか、普通の恋人がするようなことを、わたしはかがみと何もすることができないんだ。かがみがしたがるようなことを、周り中の全ての恋人がしているようなことを、わたしはすることができないんだ。
 ――それじゃ、何なんだろう。
 わたしとかがみの関係って、何なんだろう。
 キスもできない。エッチもできない。結婚もできない。子供も産めない。

 そんなわたしたちで、一体どこに行けるっていうんだろう。
 一体何になれるっていうんだろう。

「……バカなこなちゃん。こなちゃんはそんなこと考えなくてもいいんだよ」
 一言一言を慈しむような、それはゆったりとした発音だった。幼い子供に諭すみたいな、想像の中のお母さんみたいに暖かいつかさの声だった。それに驚いて目を白黒させていたわたしの肩に、ことりと柔らかいものが寄りかかる。
 ちらりと隣を眺めると、つかさが目を細めながらわたしの肩に頭をもたせかけていた。
 ちょっとだけ、重かった。けれどそれは全然苦にならない重さだった。いつまででも負っていたいと思わせる、そんな優しい重さだった。
「……よりによってつかさにバカなんて云われたくないよ」
 口を尖らせてわたしがそう云うと、つかさは穏やかな声であははと笑った。あははと笑って、そうしてつかさはこう云った。
「こなちゃんはね、何もしないでいいんだよ。今まで通りでいいんだよ」
「……なんでさ」
「こなちゃんはね、今までずっと辛い目に遭ってきたんだから、もういいの。あとは全部わたしのお姉ちゃんがなんとかしちゃうから、きっと何もかも大丈夫なんだよ」
「――つかさ……」
 なんでそんなに何もかもわかってるみたいな物言いができるんだろうって思う。なんでそんなに大人みたいな云い方ができるんだろうってわたしは思う。
 ――最近柊姉妹は、本当に平気で恥ずかしいことを口にするから困るんだ。
「なぁに?」
「なんかずるいよ……つかさなんかずるいよ……。リボン外したら妙に大人っぽいし、メイクだって決まってるし……。つかさもかがみもゆーちゃんも急に大人になっちゃって、わたしだけおいてけぼりなんだもん……」
 こんな拗ねたみたいな云い方、したくなかったのに。いろんなことを達観してて、余裕綽々でだらだらと生きていくのがわたしだったはずだったのに。
 かがみとのことがあってから、わたしはなんだか凄く子供っぽい。子供っぽくて愚痴っぽくて、そうして凄く涙もろい。
 そんなわたしの言葉を聞いて、つかさは驚いたような顔をした。驚いたように大きな瞳をまん丸にして、じっとわたしを見ながらこう云った。
「……こなちゃん、そんなこと考えてたの?」
「……そだよ、悪い?」
「ううん、だって……あはは、なんだか凄くおかしいね」
「全然おかしくないよ!」
「あはは、ごめんごめん、だってこなちゃんはわたしたち四人の中で一番大人だなって、わたしはずっと思ってたんだよ」
「――え?」
 そんなこと云われるなんて思ってもいなくって、わたしは吃驚したままつかさの顔を見つめ返していた。
「本当だよ。みんなも同じだって思うな」
 にっこりと、凄く可愛い満面の笑顔を浮かべながら、つかさはそう云った
「……ずるい。やっぱりずるいよ、つかさ」
 そう云った声は震えていて、わたしはコーディネイトをゆーちゃんに任せてきてよかったなって思う。
 ――ぐっと帽子を被ってしまえば、頬を伝っていく涙を見られないですむから。
 だからわたしはそうした。
 なんとなく被り直すような仕草で、こっそりと帽子の中に顔を全部押し込んだ。
 つかさの言葉に泣いてしまうなんて、わたしにとってはなんだか凄く屈辱で。
 だから、できれば誰にも気づかれたくないなんて、わたしは思っていた。
 そんなわたしの想いも全部お見通しなのか、つかさはまるで気づかなかった様子でのほほんと吊り広告なんかを眺めていて。
 ――やっぱりわたしは、そんな気遣いができるつかさのことが生意気だって思うんだ。

 ガタンガタンと線路の上を揺れながら、わたしたちを乗せた電車が進んでいく。

 ――かがみが住む街へ向かって、進んでいく。

§3

「もしもしみさきちー? 渋野ついたよー」
『おお、早かったな。今な、パルコにいんの。まだ見てっからこっちきてくれよ』
 ――ケータイから聞こえてきたみさきちの返事は、わたしにとって少しだけ予想外なものだった。
 今わたしたちがいるここは、世にも名高い渋野駅前スクランブル交差点の真ん前、地下鉄の昇降口を上がったすぐ横だ。青い空と輝くような陽射しが、目に痛いくらい眩しい。ずっと地下鉄に乗ってきたから、目が蛍光灯の灯りにすっかり慣れきってしまっていた。
 みさきちとあやのんは昼前から渋野に来てるはずだったから、てっきりプレゼントなんてもう買ってると思ったのに。みさきちってば、猪突猛進キャラに見えて、実は意外と細かいことで悩む奴なんだ。
「えー、まだ決めてなかったんだ? もういいからちゃっちゃっと決めて先行こうよー。みゆきにも電話しないといけないしさ」
『んー。でも高良には、渋野出たときに電話するって云ってあんだろ?』
「そだけどさぁ……」
『じゃ、いいじゃん別に。女の子は買い物が長いんだっぜ!』
「……みさきちが云うとなんかキモイ」
『な、なんだとー!』
「ってかさ、パルコって3つあるよね。どこにいるの? 1? 2? 3?」
『ダァーーッ!!』
 ――プチッ。
 みさきちが余りにもアホな返しをするので、つい出来心でケータイを切ってしまった。
 隣でつかさが目を丸くしてこっちを見つめていたけれど、そこはいつものニマニマ笑いで誤魔化した。
 いや、誤魔化そうとした。
 でもやっぱりまるで誤魔化せていなくって、ちゃんと電話の内容について聞かれてしまうんだった。
「えっと、みさちゃんどこのパルコにいるんだって?」
「……わかんにゃい」
「えー! どこにいるのか聞かないで電話切っちゃったの?」
「いやー、なんか面白いかなーって思ってね? まぁほら、とりあえずパルコに向かえばいいってことだよ」
 わたしがそう云うと、つかさはしぶしぶといった感じでうなずいた。そうしてなんだかちょっと浮かない顔をしたまま、きょろきょろと周りを見回した。
 つかさがそんな様子をしているのは、なにも歩いて行くのが面倒だからってわけじゃないと思う。ましてや、わたしがちゃんと目的地を聞かないで電話を切ってしまったなんてことが不満なわけじゃないだろう。
 ――つかさは、きっと単に不安なんだと思う。
 多分、わたしとたった二人でこの街にいるっていう、この現状それ自体が。
 ほら、今もつかさはそわそわと居心地悪そうに体を動かしている。行き交う雑踏の中できょときょとと視線を泳がして、明らかにちょっと挙動不審。突然びくっと体を震わせたのは、きっと頭上のビルの壁面に掛けられた大画面テレビが、新曲のPVを大音量で流し始めたせいだろう。きらびやかな衣装で歌いながら踊る画面の中のタレント歌手を、つかさはぽーっとした表情で見上げていた。ちょっと視線を動かして覗き込んだのは、もしかして角度を変えればパンツが見えるかもしれないなんて思ったのだろうか。キミはウチのお父さんか、なんて思わずつっこみたくなった。
「……え、えっと、つかさ?」
「はうっ、ごめんなさい、見えませんでした!」
「いや、そんなとこでぼーっとしてると邪魔っぽいよ?」
 そう云ってつかさの服の袖を引いて、人の流れから離れたところに退避した。丁度つかさがいた辺りを通り過ぎて行った一団は、大学生くらいの年齢をした女の人たちだった。頭上のテレビで踊ってる女性歌手と同じくらいきらびやかで、そうしてちょっとだけ露出度が高い服装だ。大人の女の人だな、なんて反射的に思ってしまったけれど、よく考えたらわたしももう大学生になるんだなって気がついた。
「はー、人いっぱいだねぇ」
「だねー……。ってかつかさ、もろお上りさんみたいだったよね」
「ふぇっ、ご、ごめんねこなちゃん、なんか色々凄いなーって」
「や、でも渋野なんて、みんなで何回かきたことあるじゃん。そんなに珍しい?」
「うん、そうなんだけどね。なんかお姉ちゃんがいないと、いつもと全然違くってー」
 ――なるほど。
 かがみと一心同体みたいに育ったつかさは、きっと遊びに行くときでもずっとかがみと一緒だったんだろう。思えばみんなで遊びに行くときだって、つかさがいるときにはいつだってかがみも一緒にいたような気がする。かがみと二人だけで出かけることは結構あったけど、その逆はあんまりなかったかなって思う。
「んじゃここは、このこなたお姉さんに頼ってくれたまへー、ほら、泥船に乗ったつもりでさ!」
 そう云って薄い胸を張ってどんと叩いてみたら、つかさはすっごい笑顔のまま、“え? どういうこと?”って云うようにきょとんって小首を傾けた。
 ――くそ、つかさめ。面白いじゃん。
 なんとなく負けた気がして、わたしは誤魔化すように周囲のことを見回した。
 正直に云って、わたしだってお上りさんみたいなつかさのことをあんまり笑えない。オタクのわたしにとっても、この街はやっぱりどこまでいってもアウェーなんだ。
 人波が、凄い。
 丁度歩行者用信号が青になって、気持ち悪いくらいの人の群れが一斉に交差点へとあふれ出していく。その交差点を挟んだ対岸、大きな駅ビルの前にあるのが例の“ハチ公前広場”で、今も待ち合わせ場所を工夫しようとしない沢山の人たちが、人待ち顔でパイプ状の椅子に腰掛けていた。
 お祭りみたいな、賑やかな音。
 お花畑みたいな、華やかな色。
 まるでファッション雑誌から抜けだしてきたのかと思うくらい、華やかなな女の子たち。みんな頭の先から爪の先まで一分の隙もなく気配りがされていて、人に見られることをちゃんと意識してるんだなって思う。歩き方もモデルみたいに綺麗で、自信に溢れていて、自分が世界の主役みたいな顔つきで歩いている。
 男の子たち。渋野なんて首都圏中から人がくるだろうから、地元の男の子ともそう違いはないはずなのに。それでもクラスメイトの――いや、元クラスメイトの男の子たちとは、まるで違った人種に見えてしまう。無造作に跳ねさせた髪の毛や、露出した二の腕の筋肉なんかも、なんだか凄くお洒落な感じがする。
 大人の人だって、みんなやたらと格好いい。スーツを着てるとIT企業のエンジニアとかレコード会社の人とかみたいに見えるし、ラフな格好だと芸能人みたいに見える。
 そんな人たちで埋め尽くされたスクランブル交差点を見ていると、なんだか映画やドラマのワンシーンを眺めているような不思議な気持ちになってくるんだ。
 そうしてそのスクランブル交差点を見下ろす大通りの角には、かのお洒落発信スポット、渋野109がピカピカと光り輝いてどっかと立ちつくしているのだった。
 ――場違いだ。場違いすぎる。
 世界有数の大都市東京の、その中でも若者の街として名高いこのファッションシティ・シブヤに紛れ込んだ、天然ボケとオタク、二人の女の子。
 みさきちに『買い物なんてすぐに決めて早く行こうよ』って云ったのは、なにもパルコまで歩いて行くのが面倒っていうことじゃない。
 ましてや、みさきちがかがみの引越祝いに贈ろうとしているプレゼントのことを、どうでもいいなんて思ってるわけじゃない。
 ――ただ、この街につかさと二人でいるってことが、わたしにとってもちょっとだけ不安なことなんだ。
「んじゃ、行こっか」
「う……うん」
 そう云って二人で顔を見合わせてうなずいた後。

 ――踏み出した足は、お互いに別の方向に向いていた。

「……あ、あれ?」
「……いや、こっちだよね?」
「……あちゃー」
 あちゃー。
 思わずぺしっと顔に手を当てた。

   *

 つかさと一緒に、公園通りを歩いていく。
 出来れば喋りながら歩きたいって思うけど、歩道は通行人が多くて横に並ぶと迷惑だから、わたしたちは縦に並んで歩いていく。こういうところで他人に迷惑な行動をとるとかがみがすぐに怒るから、わたしにもいつのまにかそんな考えが身についてしまっていた。
 すれ違っていく人たちはやっぱりどこかお洒落な人たちばっかりで、わたしはつい、自分がオタクだってことを恥ずかしく感じてしまう。
 ――なんでだろう、今までそんなこと気にしたことなかったのに。
 でも、かがみのことが好きだって強く想うようになってから、どうしてもわたしは気になってしまうんだ。わたしがなんていうか、自分を磨くのをずっとサボってきたっていうことが。
 かがみやみゆきがいてくれると、そういう面では目立つ二人が隠れ蓑になってくれて安心できるんだけど、つかさと二人ではそれも叶わない。
 すれ違った男の子が、何気なくわたしの方を見た。
 わたしのことを笑ってるかもしれないなんて、流石に被害妄想だと思うけど。それでもどんな風に思ったのかなって、それがちょっとだけ気になった。
 ――やっぱり小学生だと思ったかな。つかさと連れに見えていなかったら、背伸びした小学生が一人で歩いてるって思ったかな。
 普段元気なとき、学校やアキバとかのホームグラウンドでは、“それもステータスで希少価値がある”なんて誤魔化すこともできるけど。こんなアウェーの街じゃそんな強がりもあんまり上手くいかなかった。わたしだってちゃんとした真っ当な大人の女性になりたいって思ってたころもあったから、心の奥にあるそういう気持ちはどうしたって誤魔化すことができないんだ。
 ちらりと後ろを振り返って、わたしはそこにつかさがいることを確認する。
 大丈夫、ちゃんとついてきてる。なんといってもつかさは人混みではぐれるのが得意技。だから、たまにこうして確認しておかないと不安なんだ。
 つかさは普段一番前を歩くことなんてほとんどないから、大抵わたしとかがみの後ろか、かがみの斜め横をついてくる。でも他の人とすれ違うときにいつでもちょっとずつ先をゆずってしまうから、気がつけば一人だけみんなから遅れているんだ。
 みゆきがいればいつもその隣を歩いてくれるから四人で出かけるときは心配ないんだけど、三人のときは要注意。みんなとの三年間のつき合いの中で、わたしが学んだことの一つだ。
 マルイが角にある分かれ道で左に曲がって、上り坂を登っていく。
 もちろん、ちらりと後ろを振り返るのも忘れない。
 つかさはやっぱりどっちに行くのかわからなかったんだろう、慌てた様子で小走りになった。でもその間に人が挟まってしまって、わたしはちょっと横に寄ってつかさが追いつくのを待った。
「ごめんごめん」
 照れ笑いを浮かべるつかさに、わたしも目を細くして応える。
「後はもうまっすぐ行くだけだからー」
「はーい」
 にこにこと無邪気な笑顔を向けるつかさを見て、そのときわたしはちょっとだけかがみの気持ちがわかった気がした。
 たとえばわたしやかがみだったら、きっとこんな風に完全に他人に甘えるようなことはできないって思う。かがみが誰かに責任を預けてるところなんてまるで想像できないし、わたしだってそうだ。宿題とか勉強とか、わたしはずっとかがみに甘えてきたけれど、それってつかさの甘え方とは、多分全然違うんだ。
 わたしはいつもどこかで線を引いて、そこから絶対はみ出さないようにかがみとつき合ってきた。それは多分かがみもわかっていたんだと思う。わたしもかがみもわかっていて、綱渡りのロープの上で遊ぶみたいな感じで過ごしてきたんだ。――去年の夏、二人でもみくちゃになってそこから転げ落ちるまで。
 でも、つかさは違う。
 つかさっていつだって体当たりだ。
 いつだって無防備だ。
 いつだってあけすけだ。
 秘密なんて何もない。隠さないといけないことなんて何もないよって云うように、完全にこちらを信用して思いっきり飛び込んでくる。
 そんな、普通だったら“ちょっと勘弁して”って思うくらいの甘え方なのに、なぜだかそれがつかさだと全然厭な気持ちにならないんだ。
 それはやっぱり、つかさがどこまでも優しくて穏やかで、色んなことをそのまま受け入れられる性格だからなのかなって思う。
 もしわたしがつかさだったら、こんな風に道がわからなかったり、天然ボケな発言をして笑われたりしたら、なんだかんだで結構落ち込むと思う。つかさの場合はドジっ子萌えだけど、自分がつかさと同じようにドジっ子しまくってたら、やっぱりちょっときついかなって思う。
 誰でもそうだと思うけど、わたしだって他人にバカにされたりしたくない。誰かができることを自分ができないと悔しいと感じるし、他人と違うことでのけ者にされたりとか、凄く嫌だって思う。だからわたしは自分が性的にちょっと変なことをずっと隠してきたし、それがバレないように演技もしてきたんだ。
 でも、つかさって多分そういうのを全部苦にしない。
 ――それは、気にしてないっていうのとはちょっと違う。
 つかさもそれなりに気にしてるんだろうけれど、でも、そんな自分のことも丸ごと受けいれられているように感じる。自分のドジなところを気に病むことなくちゃんと前を向いて、つかさはさっきみたいな満面な笑みを浮かべることができるんだ。
 なんだか竹みたいだなって思う。
 しなやかで柔らかくて、相手に合わせてどこまでも曲がっていくけれど、絶対に折れることはない。柔らかいのに、凄く強い。
 そんなつかさと一緒にいると、自分の駄目なところも厭なところも何もかも受け入れられてしまいそうで、ちょっとだけ不安になるんだ。それじゃもしかして、わたしは全然成長できないんじゃないかって。
 だから、かがみもつかさと離れないといけないって思ったのかな。
 そんなことを考えながら、また、ちらりと後ろを振り返る。

 ――そこにつかさはいなかった。

 最初に思ったのは、“あれ? ラグかな?”っていうことだった。ネトゲなんかやってると、回線で遅延したりグラボのスペックが足りてなかったりして、そこにいなければいけない人が描画されないことがよくある。それをラグって云うんだけれど、そのときもつい反射的に“これだけ人がいたらラグっても仕方ないかな”なんて思ってしまったんだ。
 でも一瞬後、これが現実だと気がついて。
 それと同時にさーっと顔から血の気が引いていった。
 ――なんで。
 ――いや、なんで?
 ――ついさっきまでいたじゃん! っていうか一本道じゃん! 迷子になる余地なんてないよ!
 わけがわからなかった。
『わたし、つかさをどこに忘れてきちゃったんだろう?』
 混乱した頭の中、唐突にそんなイメージが思い浮かぶ。
 仕方ないからわたしは、かがみの前で頭を掻きながら、
『いやー、ごめんごめん、つかさ忘れてきちゃったよ、ちょっとかがみの見せてくれる?』
 って云うんだ。そうするとかがみはまた呆れたような顔をして、
『またそれか、本当あんたは学習しないのな。っていうか最初からやる気ないだろ』
 とか云いながら、それでもなんだか嬉しそうな顔をして、わたしにしっかりやってきた綺麗なつかさを見せてくれるんだ。
 ――ってなんだそれは。なにをつかさでやるんだ。
 ぶんぶんと頭を振って、奇怪なイメージを追い払う。
 冷静になって考えよう。
 とりあえず、つい五十メートル先に見えている分かれ道のときには確実にいたわけだから、つかさは今わたしがいる場所と分かれ道の間のどこかにいるはずだ。
 うん、完璧だ。なんの穴もない、完璧な論理だ。
 そうしてその論理展開に従って来た道をちょっと戻ったら、すぐにつかさは見つかった。
 そのお店は地下一階がアクセサリー屋になっているみたいで、道路から直接入り口に入れるように地下への階段が作られていた。そうして原色で描かれたアルファベットが踊るショーウィンドの前に、二人の人が立っていた。
 一人はつかさ。
 ――もう一人は、見たことがない男の子。
 多分高校生ぐらい。無造作な感じの髪の毛。じゃらじゃらしたアクセサリに、黒いダメージデニムを腰穿きにしている。髭を伸ばしているけれど、顔立ちは普通に子供っぽくてなんだかちょっとアンバランス。そんな男の子が、余裕ぶりをひけらかすようなわざとらしい物腰で、つかさに話しかけていた。
 話しかけられているつかさは、思いっきり嫌がっていた。
 ――心の底から、本気で嫌がっていた。
 一緒にホラー映画を見に行ったときも嫌そうな顔をしていたけれど、今の顔はそれよりも“嫌さ”レベルが上だった。確か調理実習の時間、教室にゴキブリが出た後にもあんな顔をしていた気がする。
 つかさはそんな嫌そうな顔をしながらも、勇気を出して男の子の手を振り払おうとしたけれど、彼は身体全体でつかさの退路を断って逃がそうとしなかった。
 ナンパなんだって思ったけれど、正直ちょっと信じられない気がして硬直してしまった。
 つかさがあんな顔をして嫌がっているのに、どうしてあの男の子はへらへらと笑うことができるんだろう。それで本当に女の子と仲良くなれるって思っているんだろうか。“嫌よ嫌よも好きのうち”なんて都合いい言葉、もしかして真に受けているのかな。“強引に誘う俺男らしい”とか思っているのかな。
 信じられない。ちょっとでも想像力があったら、嫌がってるつかさにあんなことができるはずがない。
 わたしが見下ろしている目の前で、男の子はつかさの可愛らしいワンピースのフリルに手をかけて、二言三言ささやいた。
『これ、可愛いね』
 とか云ってるんだろうか。でも生憎それはお前みたいな奴に可愛いと思って欲しくて着てきたものじゃない。つかさは可愛い物が好きだから。可愛い自分になりたいって、そう思ってるだけなんだ。
「――お姉ちゃん!」
 丁度二人にだけ聞こえるくらいの声で、わたしは階段の上から声をかける。ちゃんと聞こえたんだろう、つかさと男の子は、弾かれたように顔を上げて同時にわたしの方を見上げた。
 と、わたしを認めたつかさの顔が、お日様みたいに輝いた。
「こなちゃん!!」
 こちらはあんまり加減していない声で叫ぶと、硬直していた男の子の脇をすり抜けて階段を駆け上ってくる。
 ――そうしてつかさは、ぎゅっとわたしの身体に抱きついた。
 柔らかくて、やっぱり凄くあったかい。
 抱かれ心地はかがみに似ているな、なんて変なことをわたしは考えた。
「こんなところにいた。えっと、お父さんが探してたよ? どしたの? その人はお姉ちゃんのお友達?」
 ――できるだけ、舌っ足らずな口調で。
 わたしみたいなチビが凄んでも鼻で笑われるだけだろうから、家族連れを装うのが一番いいってわたしは思ったんだ。わたしがつかさの近くを歩いていたのを見ていたとしても、周囲にいた大人の誰かを勝手に“お父さん”だって思いこんでくれるだろう。
 案の定、男の子は急におどおどした態度になって、そわそわと視線を辺りに泳がせ始めた。
 同年代の女の子には強気に出られても、大人の男性と一対一で相対することはできないんだろう。可哀想なくらい小者だ。
 つかさは、わたしに抱きつきながらも、さっきの台詞にどう反応していいのかわからない様子だった。そんなつかさに、わたしは男の子に気づかれないように、ばちこーんってウィンクで合図する。
 ――乗ってよ。頼むから乗ってよ。
「あ、えっと……ううん、全然知りゃない人だヨ。その、お、お父さんはどっちにいりゅの?」
 しどろもどろになりながら、つかさはなんとかわたしに合わせて演技してくれた。その余りの噛み嚼みっぷりに思いっきり吹き出しそうになったけれど、ぐっと笑いを飲み込んだ。
「うん、こっちー」
 そう云ってつかさの手を握ると、わたしは一目散に坂道を駆け上っていく。

 ――ぎゅっと握り返してきたつかさの手は、思いきり震えていた。

 去り際に男の子に向かってべーっと舌を突き出すと、彼は子供みたいな顔できょとんとわたしを見返していたのだった。

   *

「――渋野駅から半径二百メートルは、ナンパに遭う確率が百五十%。一度ナンパされてまたナンパされる確率が五十%の意味」
「……え、えっと、それってなぁに?」
「“そんな危険なわけがない”といって出て行った旅行者が、お持ち帰りされて帰ってこなかった」
「……こ、こなちゃーん?」
「“何も持たなければナンパされるわけがない”と手ぶらで出て行った旅行者が、大切なモノを盗まれ下着で戻ってきた」
「……もしもーし?」
 ――なんだか、凄くむしゃくしゃする。
 だからつい、つかさにはわからないだろう“ヨハネスブルグのガイドライン”のコピペ改変なんかを、わたしは垂れ流してしまうんだ。
 渋野なんてそこかしこでナンパがあってもおかしくないんだろうけど、正直駅から五百メートル移動するだけでこんなことになるとは、思ってもみなかった。ここなんてヨハネスブルグ? なんて誰かに聞いてみたくなっても仕方がないって思うんだ。
「こなちゃん……もしかして怒ってる?」
「んーん。そんなことないよ。つかさが悪いんじゃないし」
「……あ、えっと、そじゃなくてね」
「ん?」
「なんかこなちゃんは、わたしのことだけじゃなくて、もっと色んなことに怒ってるのかなって、思っちゃったの。その、なんとなくだけど……」
 ――そう、なのかな。
 怒ってるっていうつもりはなかったけれど、つかさに云われるとなんだかそれが正しいような気がしてしまう。なんと云ってもつかさの『なんとなく』の正しさには、これ以上ないくらいの前例があるからだ。
 色んなこと、か。
 かがみみたいにちゃんとつかさを護れなかった不甲斐なさとか、想像力に欠けた男の子の身勝手さとか、可愛い格好してる癖に隙だらけなつかさのことだとか、自分がしたくて可愛い格好をしてるのに、そうすると男の子に狙われてしまうっていう理不尽さだとか。
 怒っているって云うならば、きっとそんな色々なことにわたしは怒ってるんだろうなって思う。
「……とりあえずさ、つかさは進学先が女子大でよかったよね。もし共学行ってたら、あの調子じゃ初日でお持ち帰りだよ……」
 随分大人っぽくなったし、しっかりしてきたように感じていたけれど。こと男の子に対しては、昔のまんまのつかさなんだなって思った。わたしやかがみとは別の意味で、つかさもこの先大変なのかもしれない。
「う、うん……。お姉ちゃんたちもみんなほっとした感じだったよー」
 トホホって感じでため息をつくつかさだった。
 わたしもその横で一緒にため息をついて。
 そうして顔を見合わせて、二人で同時にクスって笑った。
 なにはともあれつかさは無事だったんだし、こうしてやっとパルコの前まで辿り着くことができたんだ。
「こなちゃん……」
 そう云って、つかさはずっと握ったままだった手を両手で包み込みながら、わたしの顔を真剣な表情で見つめてきた。
「ありがとう。あのときのこなちゃん、ヒーローみたいだったよ」
「んなー。そんなおおげさだよ」
 わたしが目を細めて手をひらひらさせると、つかさは花が開いたみたいにふわって笑うんだ。
 ――チビで、よかったかな。
 もしわたしがつかさと同年代に見られるくらいに大人っぽかったら、あの男の子にとっては、獲物がもう一人増えたくらいの感じだったかもしれない。
 そう思うとわたしは、“希少価値”なんて云い訳をしなくても、自分の小さな身体を誇ることができる気がした。わたしがチビだったおかげでつかさのピンチを自然に助けることができたんだから、もうそれだけで全部いいやって気持ちになったんだ。
 と、そのとき、周囲にピアノらしいメロディが流れていることに気がついた。
「――あ、つかさケータイ?」
「……え? あ、ほんとだ」
 慌てた様子でハンドバッグからケータイを取り出すつかさだった。
 ピアノの優しい音色と短音のメロディは、正直着メロにはまるで向いてないと思う。しかもつかさが着メロにしているのは確かドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』っていう奴で、凄くゆっくりしたテンポの曲だったから、こんな風に雑音に紛れて気がつかないこともよくあった。
 なのにつかさが頑固に変えようとしないのは、ちょっと前に家に遊びに行ったとき、みゆきがこの曲を弾いてくれたからなんだろうって思う。ぴんと背筋を伸ばして優雅にピアノを弾くみゆきは、滅茶苦茶格好良くて、もの凄く綺麗だったから。
「――あ、もしもし、あやちゃん?」
 電話をしてきたのは、どうやらあやのんらしかった。
 わたしがみさきちの電話を切っちゃったから、改めて合流場所を教えてくれてるのかなって思った。
「えっとね、今あやちゃんたち、パルコパート3でインテリア見てるんだってー」
 案の定、電話を切ったあとつかさはそう云った。
「なんかあやちゃん、みさちゃんにもこなちゃんにも呆れたって云ってたけど……、最初の電話って、ホント何話してたの?」
 不思議そうな顔でつかさが問いかけてきて、わたしは思わず苦笑する。多分みさきちが電話を掛けてきたとき、隣にあやのんもいただろうから、みさきちの突然の『ダーーーッ!!』発言に、きっとあやのんもずっこけたに違いない。わたしに電話を切られて口を尖らせながらぶーぶー云うみさきちと、呆れ顔でそれをなだめるあやのんっていう光景が、頭の中にぽわんって思い浮かんだ。
「うーん……猪木の話かな?」
「いのきー? それってプロレスラーだっけ……? ハッスルハッスルってやる人かな?」
「違う違う、それは小川」
「……正直スマンカッタ」
「それは健介」
「……元気ですかー?」
「それだーー!!」
「わーい、じゃ、1,2,3,ダーーッ! の人だ~」
「うむうむ。みさきちの電話が正にそれだったのだよ」
「え?……あ! こなちゃんが『1? 2? 3?』って聞いて、みさちゃんが『ダーーッ!』って云ったんだね」
「その通りダーーッ!」
「正解ダーーッ!」
 二人でダーダー云ってると、なんだかやたらと何もかも楽しくなってきてしまった。
 きっとちょっとした危機をくぐり抜けてきたから、無駄にテンションが高くなってたんだって思う。
 わたしたちはそのままダーダーと叫びながら片手を大きく空に突き出して、渋野何するものぞとばかりに、パルコパート3へ向かう路地に入っていったんだ。

 ――なんとなく離し所が見つからなかった手を、ずっと繋いだまま。

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Beautiful World 2章/みさおとあやのへ続く













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