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CV
大坪由佳
Illustrator
しばふ
史実情報
ミッドウェーで損失した航空戦力を補うべく、海軍は既存艦の空母への改造を検討することにした。
戦艦は
大和型を除く10隻が検討の俎上に揚げられ、
長門型は
大和に継ぐ戦力、
金剛型は機動部隊に随伴できる高速艦ということで、伊勢型と
扶桑型が候補にされた。
だが、すでに出来ている上部構造物を全撤去し、格納庫と全通甲板を載せるには時間と資材がかかり過ぎる。
そこで提案されたのが、一部の砲塔を撤去してスペースを作って格納庫と甲板を載せ、カタパルトで艦載機を射出する半空母・半戦艦、つまり「航空戦艦」への改装だった。
伊勢姉妹と扶桑姉妹を比べた結果、伊勢型の方が高性能である事、「丁度よく」
日向が第5砲塔を撤去していて工程が省ける事が決め手となり、伊勢型の改装が決定した。
工事は42年12月に始まり、翌43年9月に完了した。改装に際して全副砲が撤去され、対空兵装の増強が行われた。また、資材は建造中止となった大和型4番艦のものが流用されている。
航空戦艦として生まれ変わった伊勢姉妹には、カタパルト発艦に対応させた
彗星艦爆と新型水上機「
瑞雲」が艦載機として配備される予定だった。
しかし、肝心の機体は生産が思うようにいかず、配備は遅延。ようやく配備が進んだと思ったら、航空戦に供出されてしまい、遂に実戦配備されることはなかった。
改装なった
伊勢は、
日向と共に輸送作戦に従事。格納庫のおかげで、大量の人員と物資を運ぶことが出来た。
1944年5月には、松田千秋を司令に迎えて第4航空戦隊を編成。対空兵装の増強でマリアナ沖海戦には参加できなかった。
日米決戦となったレイテ沖海戦では、囮として出撃する小澤第3艦隊と共に出撃。第3艦隊より先行して米艦隊を求めたが、接敵叶わず反転した。
25日早朝に本隊と合流、米艦載機の空襲に見舞われた。
この戦いで、4航戦は松田司令考案の弾幕射撃と爆弾回避術を実施。
指揮官の統制により全砲火を集中させ、米軍機の鼻先に目に見える形の弾幕を張り腰を引かせる弾幕射撃は効果抜群で、3000メートル以内に米機を寄せ付けず、多数の撃墜を報じた。
また回避術では「舵の利き始めは遅いが利きだすと早い」戦艦の性質を利用。敵機接近と見るや「取舵」を命令し舵を利かせはじめ、
攻撃態勢に入ったと同時に「取舵一杯!」を命じる。こうすることで、全速航行中の
伊勢はつんのめるように急ブレーキがかかりながら急旋回する。
こうなると急降下体勢の米機はもはや照準修正ができず爆弾は全て外れ、至近弾以上の被害がなかった。
同様の回避術は
日向、
長門でも実施され、極めて効果的に爆弾を回避することが出来た。
伊勢では咄嗟に言いやすいという理由で「取舵」しか使わなかったが、これが結果的に「次は面舵だろう」と考える米軍機の裏をかき、
爆弾が右舷の彼方へと外れるということも度々あったという。
さらに
伊勢は空襲の間隙を縫って
瑞鶴沈没地点へ向かい、5分間のみと時間を限定して艦を停止、救助を敢行して98名を拾い上げた。
戦艦のような大型艦は一度止まると再加速に極めて時間がかかるため、敵空襲の危険の最中にあってはなはだ豪胆な決断と言える。
事実、機関を再始動しようやく全速に達したその時に第四次空襲が開始され、まさに間一髪の救助であった。
このように、どうにか生き延びた伊勢は無事日本へ帰還。11月1日、砲撃の邪魔としてカタパルトを撤去し、航空戦艦として能力を失う。
この時期、連合軍の通商破壊によって日本の資源は枯渇していた。
伊勢は
日向共々、資源輸送を目的とした「北号作戦」に駆り出されることになった。
伊勢は11月に日本を離れ、南方へ向かった。シンガポールに到着した
伊勢は、格納庫に各種資源を満載。さらに詰めるだけの物資を詰め込んだ。
搭載する艦載機もなく、無用と化していた格納庫が力を発揮した瞬間だった。
一方で、米海艦隊司令ハルゼーは、撃ち漏らした小澤艦隊の生き残りである
伊勢と
日向に執着していた。
何としても伊勢姉妹を撃沈せよと、米軍は大規模な索敵を実施。間もなく艦隊の居場所を突き止めた。
対する日本艦隊の対応は素早かった。停泊地の上空を米軍機が通過したとみるや、空襲を予見して即座に移動を開始。潜水艦の哨戒網を潜り抜け、余所へ逃げ込んだ。
ハルゼーはそうとも知らず、伊勢姉妹発見の報に狂喜乱舞。すぐさま攻撃隊を差し向けるも、日本艦隊は既に移動した後でもぬけの殻だった。
米軍は付近一帯に渡り大規模な捜索を行うも、遂に伊勢姉妹を発見することは出来なかった。この時、不幸にもフランスの巡洋艦が誤爆されて沈没している。
2月20日、艦隊は全くの無傷で無事日本に帰還。作戦は大成功し、日本海軍が最後に成功させた作戦となった。
伊勢姉妹が運んだ物資は中型貨物船1隻分相当でしかなかったが、困窮した当時に日本にとっては大成功と言えるものだった。
この後、伊勢は燃料不足から呉港外三ツ子島に停泊し、浮き砲台となった。そして7月28日、米軍機の空襲によって大破、着底した。
伊勢の第二砲塔は、最後の瞬間まで空に向かって砲弾を放ち続けた。この砲撃が、日本の戦艦、ひいては日本海軍最後の主砲砲撃だった。
総員退艦の際、乗組員がマストから軍艦旗を降ろそうとしたが、何かに引っ掛かったように降りてこなかった。乗組員は「伊勢はまだ戦うつもりなんだ……」と涙したという。
戦後、
伊勢は
日向と共に解体され、その生涯を閉じた。
余談ではあるが、解体され陸揚げされた伊勢の艦橋は一時期「くろがね館」と称され、戦災で焼け出された4世帯が居住していた。
今日では、海上自衛隊のヘリコプターの集中運用を目的とした護衛艦にその名が受け継がれている。
台詞一覧
状況 |
台詞 |
関連する史実や元ネタ、解説など |
自己紹介 |
航空戦艦「伊勢」です!後部飛行甲板とカタパルト2基で航空戦力を運用可能よ |
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秘書クリック会話① |
ま、水上機が基本なんだけどね |
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秘書クリック会話② |
あ、ごめんなさい。呼びました? |
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秘書クリック会話③ |
戦艦の火力と軽空母並の航空運用力…ね、ステキでしょ? |
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戦績表示時 |
提督にご連絡です。…忙しいのね |
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編成選択時 |
航空戦艦「伊勢」出撃します! |
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装備時① |
結構バッチリじゃない、これってば |
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装備時② |
ふふ、日向がびっくりしちゃうかな |
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装備時③ |
いいんじゃない |
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(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通) |
ドック入り |
ちょっとした怪我よ。でも、ありがとう |
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ドック入り(重傷) |
さすがに修理しとかないとね |
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建造時 |
提督、新型艦が進水したみたい |
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艦隊帰投時 |
艦隊が帰投です。お疲れ様 |
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出撃時 |
日向遅いよ。置いてくからね |
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戦闘開始時 |
左舷、砲戦開始! |
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航空戦開始時 |
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夜戦攻撃時と同じ |
攻撃時 |
瑞雲とかってどうかな、いける? |
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夜戦開始時 |
艦載機、発艦急げ! |
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夜戦攻撃時 |
主砲、四基八門、一斉射! |
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MVP時 |
え、また私の戦果が一番なの?どぉなのさ日向、大人しいじゃん |
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被弾小破① |
小沢囮艦隊の時に比べれば、このくらい!! |
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被弾小破② |
どんどん撃ってきなさいな |
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被弾カットイン |
ガーン!せっかくの飛行甲板が… |
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撃沈時(反転) |
まぁ、やるだけ、やったかな。日向、ゆっくり来なよ。 |
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ケッコンカッコカリ時(反転) |
提督…あの…。カタパルトとか…取らないでくださいね…!あれがないと私!あぅ…いじわる! |
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同型艦
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