あらまし
その祖先は
黄帝に出る。
高陽の世に当たり、
陸終の子、曰く
安が曹姓を為す。
周
武王が殷を克すと、先世の後を存じ、曹俠を
邾に封じる。
春秋の世には
盟会に与するが戦国に至りついに楚の滅ぼすところとなる。
子孫は分流し、或いは
沛に家す。
漢
高祖が起こり、
曹参を功を以って
平陽侯に封じた。
その後子孫は分流し、譙県に定着した一家の
曹騰が順帝に仕えて親愛を受け、桓帝の
策定に功を挙げたことから費亭侯に封じられた。子の
曹嵩の顕官の歴任、孫の
曹操の
起家における優遇もその余徳が大きい。
建安元年(196年)、曹操も
献帝を迎えると家を復興する形で費亭侯を継ぎ、
公位に昇ると同時に
武平侯に封じられた。
建安十八年(213年)、曹操は魏公に封じられ、建安二十一年(216年)には魏王に位階を進めた。建安二十五年(220年)、曹操が薨(崩)じて曹丕が王位を継ぐと、その年のうちに献帝の
禅譲を受けて
皇帝となり魏王朝を建てた。
魏が滅んでからも、曹氏諸
王は
公に改封されて存続した。
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最終更新:2016年02月28日 19:29