曹騰は、後漢中後期の宦官。魏武皇帝
曹操の祖父に当たる。父は
曹節。特に
順帝には太子時代から仕え、深い信任を得た。
桓帝の即位に功があった七人のうちの一人に数えられ、
大長秋位
特進まで昇り、
費亭侯に封じられた。
情報
事跡
少くして
黄門従官に除される。
安帝の永寧元年、
鄧太后が
黄門令に詔し、
中黄門従官の年少・温謹な者を選び
皇太子の書(学友?)に配した。曹騰はその選に応じ、太子は特に騰を親愛し、飲食・賞賜は他の者達と異なるほどだった。
その太子が曲折の末に即位(
順帝)すると
小黄門となり、やがて
中常侍となった。
あるとき、蜀郡
太守が
計吏に因って曹騰に修敬を試み、益州
刺史の
种暠が
函谷関でその
牋を捜し得、太守を上し(訴え)た。并せて曹騰を奏し、
内臣が外交するのは為してはならないことであるから、免官し罪を治す(償う)ことを請うた。帝は曰く、「牋は外より来て、曹騰の書が出たのではない。その罪に非ず」と种暠の奏を
寝した。曹騰はこの件を意に介さず、种暠を常に上に
事える節を得た人物と称歎していた。种暠は後に
司徒と為り、人に語って曰く「今日公に為れたのは、曹常侍の恩である」と。曹騰の行事は皆この類であった。
桓帝が即位すると、
定策の功を挙げた七人を亭侯に封じた。曹騰は先帝の旧臣としての忠孝の彰著もあり、
費亭侯に封じられ
大長秋と為り位
特進を加えた。
曹騰は省闥(
省中・
闥門内)に在ること三十余年、歴代四帝に仕えて嘗て過ちはなく、賢能を昇進栄達させるのを好み、彼等を毀傷することが無かった。曹騰が賞賛し推薦したのは、
陳留郡の
虞放・
辺韶、
南陽郡の
延固・
張温、
弘農郡の
張奐、
潁川郡の
堂谿典らのような人材で、彼等は皆位
公卿に至り、曹騰自身は善(功績)を伐(誇)らなかったという。
順帝により宦官が養子を取ることが認められており、代々の
通家であった譙県夏侯氏から
嵩を養子に取って
費亭侯を継がせた。
魏の
明帝太和三年、追尊して曰く高皇帝。
年表
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最終更新:2016年02月28日 02:00