上に
从い下を
按えるなり。(
説文解字)
上に
自い下を安んじる、曰く尉。武官は悉く、以って称と為す。(応劭)
尉は、上(上官、君主)に従って下(部下、庶民)を安らかにする意味で、秦漢以降、武官職を示す字として用いられた。もとは慰安の「慰」の字に「心」はなく、尉安と作った、と顔師古は云う。
戦国時代に成立したと考えられる『
尉繚子』は、軍の部隊編成を説き、
大将-裨将-兵尉-伯長-卒長-什長-伍長
との段階を示している。ここでは、兵尉は数百人を率いる中級の部隊指揮官であった。
戦国秦には
国尉という官があり、
白起が
左更・国尉・
大良造の順で昇進しつつ活躍した。
漢は
朝廷に
太尉及び
廷尉、
衛尉、
中尉を置き、
郡には
郡尉(後に
都尉に改称)を置いた。さらに
武帝期には多数の
校尉、
都尉が増設されて後代に継がれていく。
出征する
将軍の下には『
尉繚子』が説いたように部隊長としての
校尉が存在したものの、漢代以降の「尉」官の職責は多様化し、部隊指揮官とは言えない例も多く、官制に於いて「尉」は「武官」であることを示す程度のものになる。特に司法長官に相当する
廷尉が尉を名乗るのは
兵刑一致思想に拠る。
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関連項目・人物
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最終更新:2015年02月15日 01:37