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はぴだんぶいよ、擬人化に染まるな!!
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kemonowikii
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はぴだんぶいよ、擬人化に染まるな!!
原型でこそ輝く「はぴだんぶい」の本質
2025年4月1日、サンリオ公式によって「はぴだんぶい」の擬人化イラストが公開された。これはエイプリルフールの一環としての企画であったが、そのインパクトはあまりにも大きく、多くのファンに衝撃を与えた。
だが、ここで問い直したい。果たして「はぴだんぶい」という存在は、人間に変換されてなお魅力を保つべきものなのか?いや、そうではない。彼らは「原型のままでこそ」存在意義があり、サンリオという文化を根底から支える根幹にほかならない。
擬人化の危うさと“魂の歪み”
擬人化という行為は、キャラクターの形状をヒト型に寄せ、受け手にとって分かりやすく、親しみやすい存在に変える技法である。しかしその過程で失われるものがある。それは“魂”だ。はぴだんぶいたちは、けろけろけろっぴも、タキシードサムも、ポチャッコも、皆そのままの姿で愛されてきた。それこそが「キャラクター」の根本であり、“獣”や“異形”としての尊厳である。
擬人化されれば、誰かの想像によって骨格が与えられ、表情筋が強調され、属性が振られる。そこには「消費者が納得しやすいように」という意図が透けて見える。そして、それは往々にして“原型”に対する冒涜となる。
エイプリルフールですら超えてはならぬ一線
「冗談だから」「企画だから」という理屈で、あらゆる変形を正当化するのは危険である。特に、原型キャラとして長く愛されてきたはぴだんぶいのような存在には、冗談の名のもとに与えてよい変更と、絶対に触れてはならない“核”がある。
エイプリルフールの一日限りであっても、それは“言霊”となって世界に刻まれる。いったん解き放たれたイメージは消えない。キャラクターにとって“そのままの姿”が最も大事な意味を持つということを、あらためて重く受け止めるべきである。
擬人化よりも、原型を讃えよ
けろっぴの丸い目、ポチャッコの耳、ハンギョドンのずんぐりしたフォルム——それこそが本来の“魅力”であり、“祈り”である。擬人化に染まることで生まれるのは一時的な流行でしかない。だが原型のまま貫かれる表現は、時代を超えて残る。
はぴだんぶいよ、原型に戻れ。いや、原型を貫け。その姿にこそ、サンリオの精神が宿っている。
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