私がしてあげられることなんて何もないの

126話でのキャッシーのセリフ。

小鳥を連想しながらこのページを開いた者も多いと思われるが、残念ながら小鳥が自分の存在意義の無さを自覚した際のセリフというわけではない。
大まかな流れは以下の通り。





バリアン七皇とだけは意地でも戦いたくない遊馬先生に、アストラルが「ドン・サウザンドを倒せばいい」と放言。
二人でバリアン世界に乗り込むことになる。


皇の鍵の飛行船召喚。
アストラル「ここからは私と遊馬だけだ。小鳥たち(小鳥、キャッシー、等々力)は家へ帰れ」


小鳥「……」
小鳥の背中を押すキャッシー「なにしてんのよ小鳥、ついていくんでしょ!」
小鳥「うん!」


何の間もなく皇の鍵の飛行船が飛び立つ。
帰れと言ったアストラルや遊馬の反応が描写されることは一切なかった。


等々力「どうしてあんなことを?」
キャッシー「私だって一緒に行きたい。でももう、私にしてあげられることなんて何もないの





小鳥のゴリ押しはこれまでのゼアルで度々行われてきたことであるが、この一連の流れはその中でもかなり酷い部類に入っていると言える。

他のゴリ押しにはない特徴としては、アストラルが明確に「帰れ」と言っていることが挙げられる。
バリアン世界は人間にとってとても危険な場所であり、バリアン世界に堕ちたトロンは顔の半分を失った上で幼児化し、Mr.ハートランドはハエになってしまっている。*1
そのため、そんな危険な場所に連れて行かないのは至極当然という他ない。*2

加えて、デュエリストではない小鳥は何の戦力にもならず、デュエルという防衛手段を持たない以上最も危険に晒されるリスクが大きいのだが、遊馬達は「小鳥なら危険な目に遭わせてもいい」とでも思っているのだろうか?

等々力のセリフもある意味「余計なことしやがって」という視聴者の代弁にもなっており、キャッシーの当該セリフに至っては小鳥に対しての、果てはこいつの暴走に対しての嫌味にしかなっていない。
脚本担当者も実は御立腹だったりするのだろうか?



なお、このシーンがあってからバリアンとの無駄な戦いが終結する18話の間、例によって小鳥の存在意義は皆無であった。
何の役にも立たないどころか、【遊馬vsアリト】戦(3戦目)では人質として利用され遊馬の足を引っ張ってしまっている。

そもそもこの18話の間で小鳥の存在が周囲に認識されたシーン自体が、アリト戦での人質扱いで2回、死亡寸前のカイトのセリフで1回、ナッシュ戦での2回の計5回しかない。
それ以外は尺を食う背景兼うるさい空気と化しており、ドン・サウザンド等からは完全に存在しないものとして扱われている。そりゃそうだ。

唯一あった出番らしい出番と言えばナッシュ戦で遊馬を鼓舞したシーンぐらいであるが、これもゼアル信者曰く「メンタルが強い」らしい遊馬先生が急にヘタレるというシーンを挟んだ上での出来事である。*3
もちろん、同じ役目をアストラルに任せたとしても、そもそもこんなシーンを入れなくても、何の不都合もない。

まぁこいつにとっては、「尻もちをついてスカートの中が見えそうになる」等のシーンを緊迫した場面に挟むのも重要なことなのだろうが。





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最終更新:2018年10月23日 17:15
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*1 ハートランドの件はアストラルの知っている情報ではないが

*2 結局バリアン世界の設定もなかったことになったが

*3 遊馬がヘタレるシーンは元々多いが