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武田信玄




今回の使者はお膝元武田からの要請である。甲斐の虎と呼ばれるほどの武将でみなに恐れられていた。深山の一族は武田の保護の元いろんな戦場にでるという名目でここに村を構えることを許されている。武田の騎馬隊はもともと影母衣衆から技や兵法など盗み発達していったという。
武田と上杉。今まで三度の戦をし、第一次布施の戦い、第二次犀川の戦い、第三次上野原の戦いである。両者は一歩もひかず領地を切り取り、切り取られ、現在に至っている。
永禄4年(1561年)この年に影母衣衆への要請が届いた。
「楓、今回の戦は厳しいことになりそうだな。」
「はい。現在も北信濃では争いがたえない状態が続いております。」
雲心は不安を抱えながらも出陣の支度を整えた。
今回は新兵300も加え700。末の影心の初陣でもある。厳しい戦になろうとも本当の戦はどういったものか影心に叩き込まなければならない。桶狭間の戦いで100ほど失った兵だが300ほどの増員ができ影母衣衆にとって幸いであった。ほら貝が吹かれる。
真っ黒な母衣をまとった軍が深山を降りていく。
「影心、初陣であろうと深山の影母衣衆として存分な働きをせいよ。」
「はい。」
途中、旅路は楽なものであった。すべて武田の領地としているため無理に影を潜めての行軍ではなかったからである。
しかし、突然前方に騎馬の影がこちらを伺いながら魚鱗の陣を組んでくる。
「敵か・・・。」
雲心は手をあげ陣形を整えさせた。
鶴翼の陣の構えで中央を厚く敵を押し包もうとする構えである。
敵の数は500、当たってくるかと思うその瞬間相手は下馬全員した。後ろから一騎こちらへ向かってくる者がいる。
「真田殿か・・。」
「すまぬすまぬ。お主が衰えてないかと少し試してみたのじゃ。」
真田幸隆。武田の家臣として砥石城攻めなどが有名である。
「真田殿お遊びはやめてくだされ。」
「わしもお館様からお呼びがかかっておるのでご一緒させてもらおうかとのう。」
幸隆と雲心とは昔なじみのようであった。そこから甲斐の甲府へと到着するまでにはさほど時間もかからなかった。
幸隆とともに信玄の間に案内された。
「深山殿よくぞ参ってくれた。幸隆もきたか。」
「はっ。途中ご一緒にとお待ちしておったのですよ。」
「今回の戦では上杉をしとめ北信濃から越後までの制圧をねろうておる。」
「何とか北信濃の足がかりはできておる。そなたたちの働きに期待するぞ。出陣の際にはこちらから連絡する。それまでは旅の疲れを癒し戦に備えてもらいたい。」
二人は信玄の間からで客室としてあてがわれた一室で少し時間をすごした。
「楓殿は最近来ぬがご健勝か?」
「最近は尾張の織田への出陣などがあり東の情報収集が必要でありまして。」
「そうかそうか。楓殿が来ぬとわしは寂しいの。」
「これから北も騒がしくなるでしょうからたびたびそちらのほうへの連絡に向かうこともあるでしょう。」
二人はこれからの影母衣衆と真田のことで少し話し込んだようである。すぐ近くということもあり同盟のような関係でもある。それ以上に二人はなにかあるように親しげであった・・・
少しした頃楓から上杉軍出陣の知らせが届いた。
最終更新:2008年09月19日 02:14