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川中島の戦い-啄木鳥戦法



「うーむ。このままで埒があかん。だれかいい案はないか?」
「客将ながら進言を。」
「よいもうしてみい。」
「われら影母衣衆が妻女山へ奇襲をかけてはどうでしょう?」
「それはよい案じゃが敵の数は13000どうにもならぬであろう?」
「われらの騎馬は山でも駆け抜けれるように鍛えております。何度も誘いだし敵をまずかく乱しては?」
「うむ。もし敵陣を崩すとなればどれほどの兵が必要じゃ?」
「誘い出すだけであるのであればわれら1000だけでも十分でございましょうが崩すとなれば同数ちかくは必要かと。」
「どうしたものか。」
「1万2000だせば残り本隊8000であります。山から誘い出し本隊で迎え撃つというのはどうでござりましょうか?」
「それはよい。よしそちは高坂弾正となり敵を誘い出してまいれ。わしら本隊は八幡原で迎え撃つ。」
「はっ。おまかせくだされ。」
これが武田の戦法の祖となる啄木鳥戦法であった。
別働隊を率いる影母衣衆は深夜出陣しはじめた。しかし政虎は海津城からの炊煙が少ないことからこちらの動きを察知しこちらの動きを読まれた。上杉軍は物音を立てず妻女山を降りた。これが頼山陽の漢詩『川中島』の一節「鞭声粛々夜河を渡る」の場面である。声も音も出さず暗闇の中千曲川を渡った。政虎は敵の別働隊を防ぐため川を渡った場所に、甘粕景持に兵1000を与えて配置した。朝もやがあけた頃・・・
「御館様、上杉軍が前方に構えております。」
「なに。こちらの意図を読まれたか。さすれば決戦あるのみ。」
しかし敵は備えもあり奇襲となった今、武田軍の応戦は厳しいものとなった。乱戦となり敵味方入り乱れての攻防となった。
敵の政虎は信玄の本陣に切り込みをかけた。政虎は信玄をみつけ、今こそと切りかかった。信玄は軍配でこれを防ぐが政虎の猛攻はやむことがない。信玄が肩を切られ、次の一撃。
横から割り込んだ若者がいた。
「後一歩のところを。」
政虎は涼しげな顔でその若者を睨みつけた。
その後ろから4人の者達が現れ信玄を守り、味方を集めながら下がった。
「信玄殿ご無事で。」
「なぜそなたらがここに。」
「事情は後で。すぐ父上も参られます。」
雲心達はもぬけの空となった妻女山を見てすぐさま本隊の元へと急行した。
「これより影母衣衆は別働隊より離れ先に急行いたしまする。」
「馬場殿わしらは先に急行し信玄殿をお守り申す。別働隊は上杉軍の背後を突かれたい。」
「承知した。」
影母衣衆は別働隊からすぐさま見えぬ速さで駆けていった。
「父上、川の向こうに上杉の軍が。」
「数は1000ほどか。わしらの別働隊を迎え撃つための部隊であろう。」
「風心、騎馬200を連れ兄弟達と共に信玄殿の下へ。」
「御意。」
すぐさま風心の部隊は敵をよけ本隊へと急行したのであった。
雲心は川を渡り甘粕景持の部隊を蹴散らし上杉軍の背後から攻めかかった。しかし少数敵を引き付け防戦一方である。
本隊はなんとか影母衣衆の助けがはいり徐々に陣形が整い始めた。本隊が動き始め雲心の部隊もなんとか形勢を整え始めた頃、別働隊を率いる馬場信房が到着した。ここで一気に状況が変わった。上杉の軍は挟撃される形となり徐々に押されていく。しかしさすが上杉政虎挟撃されながらも犀川のほうへ徐々にさがりながら撤退していく。敵は川を渡り善光寺へと引き上げた。武田の軍勢も疲れがみえはじめ撤退の指示が下った。今回の戦ではお互い多大な戦死者が出、痛みわけとなった。
影母衣衆も200名の死傷者がでており、大変な戦となった・・・

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啄木鳥戦法
最終更新:2008年04月03日 14:30