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電話の切り方
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電話の切り方 03/03/02
受話器の置き方ひとつで電話相手の印象が変わったりするのはもう昔の話になるのだろうか。携帯電話が爆発的に普及して指先の一押しで躊躇なく素早く切れるようになって以来、あの電話を切る時の躊躇いと後ろめたさを含んだ微妙な一瞬の感覚が失われた気がする。
何も気にせず自分から受話器を落とす人には判らないであろうが、幼少の頃より相手の切る音を確かめてから切れと教えられた者にとって、切る瞬間の心組みはなんとも複雑なもので、しかしそれはある程度物事が判断出来る年頃になってから「電話を先に切るのは目上の者」と頭では理解していながらも刷り込まれている「相手の切る音を確認してから」という呪縛が未だ解けず、しかしそれを自分でどうしようもないと思いながら眺めているのがやや恥ずかしいながらも正直なところだ。
相手が先でも自分が先でも電話を切る時には受話器を直接架台に置くのは先方さんに失礼であるから、必ず受話器を耳に当てたままフックを指で静かに押して何も聞こえなくなってから受話器を置かねばならない、と教え込まれた。それが世間の常識であろうと考えていた若い頃、乱暴に受話器を置く人のがりがりという切る音が耳障りで仕方がなかった。
ところが次第にコードレス式のプッシュホンが 家庭の電話の主流となり、やがて携帯電話が信じられない勢いで普及する。
ダイヤル電話からの過渡期に一瞬だけ存在した電卓を貼付けたようなコードレスではないプッシュ電話はまだ、受話器を置く時にガリガリ音をたてるせいで切る時の躊躇と余韻があったわけだが、すぐに駆逐された。
今は公衆電話でさえもオンフックを押せば静かに切れるものがある。手前は公衆電話を使う時もフックを指で静かに押し下げて静かに切る。しかし、今は公衆電話を使う人もあまりいない。正確に言うと手前の周りに公衆電話を使う人があまりいない。それはそれで受話器をフックに引っ掛けてから落とすまでの汚い音を聞かされる恐れがなくていいのだが、何故か寂しい気もするのだ。フックに上手く掛からなくてがちゃがちゃやっている音を最後に聞いたのはいつだろうか。
携帯電話もコードレスも切る時に何の音もせず静かにふつと切れる。しかしこれはフックを指で押し下げる時の躊躇いが混じった切り方とは明らかに違う性質のもので、掛けるのも掛け直すのも簡単に出来るからこそ、切る時の躊躇いと切った後の余韻がまるで感じられないのだ。
切ると相手に宣言してから相手の切る音を向こうもこちらも息を呑んで待っている一瞬と、もういいかなと思って恐る恐る切る時の後ろめたさと、「あーねえねえまだ聞いてる?」という言葉を密かに期待しながら静かに切れた音を聞く時の余韻が今の携帯電話で味わえるかね。
受話器をがちゃりと音をたてて置く相手がいた時代、どんなにくだらない話でも充実していた気がする。指先一つで切ることが出来、掛け直すことが可能な今の時代、くだらない話は半分疲れて聞いている自分がいる。
離れた相手と連絡を取る手段として電話かせいぜい手紙ぐらいしかなかった時代から比べて、様々な連絡の手段がある今は「電話をする」ことが特別なことではなくなって、簡単に連絡が取れるから、いつでも連絡が取れるから、始終連絡しているからといって付き合いの密度が薄まったと思わないか。
「電話が掛かってこないことが寂しい」のと「どうでもいい話しか出来ない友達しかいない」のはどちらが寂しい人間なのだろう。
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