「――!!」
極が跳ね起きたのは、学校の保健室のベッドだった。
「あ、センパイ」
起きたんすかとカナタがのぞき込んでくる。
「・・・夢、か?」
(わたしが創った、夢の世界へようこそ)
(夢の中での傷は、現実の痛み)
夢であって夢じゃない。赤く染まった世界と、斧の手応えを思い出しかけてそれを振り切るように頭を振った。
「家の人、来てるっすよ」
リジーが来たのかとカーテンの隙間から顔を出せば
「・・・ムーンストラック・・・さん」
「俺が電話を取った。リジーは買い物に出ていてな」
「・・・すみません。わざわざ」
極が跳ね起きたのは、学校の保健室のベッドだった。
「あ、センパイ」
起きたんすかとカナタがのぞき込んでくる。
「・・・夢、か?」
(わたしが創った、夢の世界へようこそ)
(夢の中での傷は、現実の痛み)
夢であって夢じゃない。赤く染まった世界と、斧の手応えを思い出しかけてそれを振り切るように頭を振った。
「家の人、来てるっすよ」
リジーが来たのかとカーテンの隙間から顔を出せば
「・・・ムーンストラック・・・さん」
「俺が電話を取った。リジーは買い物に出ていてな」
「・・・すみません。わざわざ」
結局そのまま早退することになり、ムーンストラックと並んで歩く極の胸は重苦しかった。
この手に掛けてしまった。夢の中とはいえ。
(夢の中での傷は、現実での痛み)
(ショック死もあり得るわよ?)
・・・もし、自分のせいでノイが痛い思いをしたり・・・死んだりしたら。
彼は自分をどう思い、何をするだろうか。彼は生さぬ仲とはいえ、ノイの「父親」なのだ。
(父親・・・お父さん、か)
ふと、夢の中でのノイの言葉を思い出す。
彼は自分をどう思い、何をするだろうか。彼は生さぬ仲とはいえ、ノイの「父親」なのだ。
(父親・・・お父さん、か)
ふと、夢の中でのノイの言葉を思い出す。
(あたしが、お父さまを殺した・・・)
驚きはしたが、悲しいとは思わなかった。
「あんな男・・・」
思わず声に出してしまった極を、長身のムーンストラックが見下ろした。
「あ、何でも」
慌てて取り繕う極を見つめる彼の表情は、怪訝そうだがそれだけではない感情が揺らめいていた。
それがどぎまぎして、なんだか居心地が悪くて、ふいっと極はあらぬ方を向いた。
こんな気持ちになるのは、きっとあんな夢のせいだ。桐生院るり、とか言ったか。趣味の悪い。
ふと、夢の最後に味わった、嫌な手応えを思い出す。これが人を手に掛けるという感触か。
―なんと重く、なんと厭わしいことだろう。
「極」
声に我に返ると、ムーンストラックの手が極の肩に置かれていた。
「・・・皆、お前を心配している。悩みがあるなら相談しなさい」
「あんな男・・・」
思わず声に出してしまった極を、長身のムーンストラックが見下ろした。
「あ、何でも」
慌てて取り繕う極を見つめる彼の表情は、怪訝そうだがそれだけではない感情が揺らめいていた。
それがどぎまぎして、なんだか居心地が悪くて、ふいっと極はあらぬ方を向いた。
こんな気持ちになるのは、きっとあんな夢のせいだ。桐生院るり、とか言ったか。趣味の悪い。
ふと、夢の最後に味わった、嫌な手応えを思い出す。これが人を手に掛けるという感触か。
―なんと重く、なんと厭わしいことだろう。
「極」
声に我に返ると、ムーンストラックの手が極の肩に置かれていた。
「・・・皆、お前を心配している。悩みがあるなら相談しなさい」
静かな公園の片隅で、極は夢の話をした。
知らない砂漠、ノイの告白と謝罪、そして・・・自分が彼女を手に掛けようとしたこと。
それに先だって、マタタビオフの日に、彼女を罵り、叩いてしまったことも。
「でも夢の中のそれは、お前の意志ではなかったのだろう?」
確かに自分の意志ではなかった。でも、自分を操る何かに、積極的に抗うこともしなかった。
「僕は」
知らない砂漠、ノイの告白と謝罪、そして・・・自分が彼女を手に掛けようとしたこと。
それに先だって、マタタビオフの日に、彼女を罵り、叩いてしまったことも。
「でも夢の中のそれは、お前の意志ではなかったのだろう?」
確かに自分の意志ではなかった。でも、自分を操る何かに、積極的に抗うこともしなかった。
「僕は」
もしかしたら自分は、本当はノイを―
違うそんなこと考えてない。でも、ノイは、ノイのせいで、母さんも僕も不幸になって。
「―だから、あんな奴嫌いなんだ!でも・・・」
そんな自分をジャガー人間達から守ってくれて。償いたいと言って、振り下ろされる斧の前に身をさらけ出して。
「それでも、あいつを許せない僕が、もっと嫌だ・・・」
「極」
ふと、視界がふさがれる。背中にきゅ、と手が回り、暖かい感触―人の体温。
抱きしめられているのだと、理解するまで少し時間がかかった。
「お前がそんなに思い詰めていたなんて知らなかった・・・すまない」
ムーンストラックにとっては、ノイは我が子も同然だから。
だから、嫌いなんて、許せないなんて言えば。彼は不快に思うと思っていたのに。
「・・・なんで、怒らないんですか?」
「極は、ノイを許そうとは、してくれているのだろう?」
今はそれで充分だと、彼が極の頭に手を置いた。
どれくらいぶりだろうか。こんな風に抱きしめられたり、頭を撫でられたりしたのは。
「だって、ムーンストラックさんは、ノイの『父親』なんでしょう?だったら、夢とはいえ、あいつを殺そうとした僕を、なんで―」
もう一度、大きな掌が極の頭を撫でる。
「・・・お前は、ノイの兄だろう?・・・ならば。俺にとっては、お前も息子と同じだ」
子の過ちを赦さぬ親はない。その穏やかな声音に、極の堪えに堪えていた涙腺が決壊した。
「・・・っく、ごめ、なさ・・・っ・・・」
「・・・今まで、辛かったろう・・・俺たちもお前に配慮が足りなすぎた。済まなかったな」
「うっ・・・ひ、くっ・・・ぇ」
違うそんなこと考えてない。でも、ノイは、ノイのせいで、母さんも僕も不幸になって。
「―だから、あんな奴嫌いなんだ!でも・・・」
そんな自分をジャガー人間達から守ってくれて。償いたいと言って、振り下ろされる斧の前に身をさらけ出して。
「それでも、あいつを許せない僕が、もっと嫌だ・・・」
「極」
ふと、視界がふさがれる。背中にきゅ、と手が回り、暖かい感触―人の体温。
抱きしめられているのだと、理解するまで少し時間がかかった。
「お前がそんなに思い詰めていたなんて知らなかった・・・すまない」
ムーンストラックにとっては、ノイは我が子も同然だから。
だから、嫌いなんて、許せないなんて言えば。彼は不快に思うと思っていたのに。
「・・・なんで、怒らないんですか?」
「極は、ノイを許そうとは、してくれているのだろう?」
今はそれで充分だと、彼が極の頭に手を置いた。
どれくらいぶりだろうか。こんな風に抱きしめられたり、頭を撫でられたりしたのは。
「だって、ムーンストラックさんは、ノイの『父親』なんでしょう?だったら、夢とはいえ、あいつを殺そうとした僕を、なんで―」
もう一度、大きな掌が極の頭を撫でる。
「・・・お前は、ノイの兄だろう?・・・ならば。俺にとっては、お前も息子と同じだ」
子の過ちを赦さぬ親はない。その穏やかな声音に、極の堪えに堪えていた涙腺が決壊した。
「・・・っく、ごめ、なさ・・・っ・・・」
「・・・今まで、辛かったろう・・・俺たちもお前に配慮が足りなすぎた。済まなかったな」
「うっ・・・ひ、くっ・・・ぇ」
「近いうちに、母さんの墓参りに行ってきます」
いつの間にか日は傾きかけ、公園の手洗い場には長い影が落ちていた。
涙に濡れた顔も、赤く腫らした目も、水道で洗い流して少しはすっきりしたはずだ。
「母さんの墓前で・・・ノイを赦しますと言ってきます」
こんな自分を、永いこと彼の『子』を、恨みつらんで来た自分を、我が子同様と・・・その気持ちも、した事も赦してくれた。
なら、今度は自分が赦さなければ。彼の「赦し」に応えるために。
「俺はこれから、ノイを迎えに行ってくる・・・いいか?」
「じゃあ、僕も」
「いや」
彼の両肩をムーンストラックが軽く押しとどめた。
「極は先に帰って、あれが帰ってきたときに、『お帰り』と言ってやってくれ」
いつの間にか日は傾きかけ、公園の手洗い場には長い影が落ちていた。
涙に濡れた顔も、赤く腫らした目も、水道で洗い流して少しはすっきりしたはずだ。
「母さんの墓前で・・・ノイを赦しますと言ってきます」
こんな自分を、永いこと彼の『子』を、恨みつらんで来た自分を、我が子同様と・・・その気持ちも、した事も赦してくれた。
なら、今度は自分が赦さなければ。彼の「赦し」に応えるために。
「俺はこれから、ノイを迎えに行ってくる・・・いいか?」
「じゃあ、僕も」
「いや」
彼の両肩をムーンストラックが軽く押しとどめた。
「極は先に帰って、あれが帰ってきたときに、『お帰り』と言ってやってくれ」
「あ、いたいたー!」
二人ともー!と駆けてきたのは柳だった。
「タイミングのいい奴だ」
ムーンストラックはふんと鼻を鳴らした。
「これから、ノイを迎えに行くそうですよ」
どこか吹っ切れたような笑顔に、柳はなにかしらあったことを悟ったが、それを敢えて突っ込みはしなかった。
「ホント!?じゃあ俺も行くよ」
「待て、極は学校で倒れたのだ。家まで付き添って」
「大丈夫ですよ」
だから、柳さんは行ってきて下さい。そう彼の背を押して、極は鞄を手に家路についた。
夕映えの空は、いつもより高く、明るい気がした。
二人ともー!と駆けてきたのは柳だった。
「タイミングのいい奴だ」
ムーンストラックはふんと鼻を鳴らした。
「これから、ノイを迎えに行くそうですよ」
どこか吹っ切れたような笑顔に、柳はなにかしらあったことを悟ったが、それを敢えて突っ込みはしなかった。
「ホント!?じゃあ俺も行くよ」
「待て、極は学校で倒れたのだ。家まで付き添って」
「大丈夫ですよ」
だから、柳さんは行ってきて下さい。そう彼の背を押して、極は鞄を手に家路についた。
夕映えの空は、いつもより高く、明るい気がした。
「ノイちゃん、お家に帰るの?」
よかったね、と笑顔の紫。
「まーったく、あれだけ帰れないのなんのって騒いどいて、現金なもんよね」
いささか呆れ顔なのは緋色で、ウラシマが小声で窘めた。
「また何かあったら、何時でもおいで」
にこにこ顔でノイの頭を撫でるのは新橋蒼。
「まあ、そうそう何かあったら困るけどねー」
「全くだわ兄上。このおチビのおかげで私のお菓子のストックがどれだけ減ったか」
「チビじゃないもん!」
「ノイ・リリス!『お世話になりました』だろう?だいたい、よそで菓子などむやみに貰ってはいかんと」
「いーじゃないの、お菓子は女の子の生きる源よ」
つまんない男ねぇと呟いたるりが、薔薇を象った焼き菓子をどこからともなく出してノイに手渡した。
「わ!これ、一番おいしかったやつだ!」
ありがと、とにこにこ顔のノイに、ホント現金ねぇとるりが苦笑する。
同じ年頃に見える二人だが、そういった表情の仕方を知っている分、るりの方が幾分大人びて見える。
「じゃー帰るね。お世話になりましたっ」
ぴょこん、とノイが頭を下げると、踵を返して「家」の方へ歩いていった。角を曲がるまで、何度か振り返りながら。
よかったね、と笑顔の紫。
「まーったく、あれだけ帰れないのなんのって騒いどいて、現金なもんよね」
いささか呆れ顔なのは緋色で、ウラシマが小声で窘めた。
「また何かあったら、何時でもおいで」
にこにこ顔でノイの頭を撫でるのは新橋蒼。
「まあ、そうそう何かあったら困るけどねー」
「全くだわ兄上。このおチビのおかげで私のお菓子のストックがどれだけ減ったか」
「チビじゃないもん!」
「ノイ・リリス!『お世話になりました』だろう?だいたい、よそで菓子などむやみに貰ってはいかんと」
「いーじゃないの、お菓子は女の子の生きる源よ」
つまんない男ねぇと呟いたるりが、薔薇を象った焼き菓子をどこからともなく出してノイに手渡した。
「わ!これ、一番おいしかったやつだ!」
ありがと、とにこにこ顔のノイに、ホント現金ねぇとるりが苦笑する。
同じ年頃に見える二人だが、そういった表情の仕方を知っている分、るりの方が幾分大人びて見える。
「じゃー帰るね。お世話になりましたっ」
ぴょこん、とノイが頭を下げると、踵を返して「家」の方へ歩いていった。角を曲がるまで、何度か振り返りながら。
「ノイ・リリス。何か食べたい物とか、欲しい物はないか」
日頃厳格な彼がそんな事を口にしたのは、やはり居なかった間は心配で、
久しぶりに顔を見たら甘やかしてやりたくなったのだろう。
柳はそっぽを向いてこっそり笑った。こんな顔をしているのを見られたら大変だ。
「あのね、あたし明日はお勉強も、何のお稽古もしたくない!一日テレビ見て、マンガ読んでゲームしたいの!」
「明日だけ、な」
やったあと歓声を上げた少女は、それでは満足できなかったらしい。
「あとね、コーラ飲みたい、ピザとかハンバーガーとか、お腹いっぱい食べたい」
「炭酸飲料やジャンクフードは、子供には良くない」とはいささか価値観が前時代的なムーンストラックは固く信じていた。
「・・・明日だけ、な」
「ねえ知ってる?あんまりジャンクフードとか、炭酸飲料を親が制限しすぎると、よそにお呼ばれした時に貪るようにそういうのを食べる子になるんだってよ?」
そうなったら恥ずかしい思いをするのはノイちゃんだよね、可哀想だよねえ、と柳が援護射撃をはかる。
「大体ノイちゃんが食べられないのに、俺だけ食べるわけにも行かないし」
俺だってハンバーガーやコーラ、好きなんだけどな、と柳が軽い調子で言うと、赤毛の男の眉が不機嫌そうに寄った。
「・・・月に一度くらいなら」
「もう一声!」
「・・・あ」
元気の良かったノイの歩みが止まる。その視線の先には。
「極、リジー・・・」
極より先に、リジーがつかつかと歩み寄る。ぎゅっと眉根が寄り、眼光は険しく、先程のムーンストラックより、数十倍も不機嫌そうに見えた。
女性としては長身のリジーは、ノイより遙かに背が高い。
彼女を文字通り見上げながら、ぶたれるだろうか、と少し身が竦んだけれど。
「・・・お前を、赦す」
その言葉にはっとしたノイはリジーを見上げる。
「イタル様が、お前を赦すとおっしゃった。私はお前が嫌いだが、イタル様の意志は私の意志だ」
「リジー・・・」
それ以上言葉が続かず異母兄の方を見ると、顔をふいっと背けた。けれど。
小さな声だったけど、はっきりと聞き取れた。
「・・・お帰り」
日頃厳格な彼がそんな事を口にしたのは、やはり居なかった間は心配で、
久しぶりに顔を見たら甘やかしてやりたくなったのだろう。
柳はそっぽを向いてこっそり笑った。こんな顔をしているのを見られたら大変だ。
「あのね、あたし明日はお勉強も、何のお稽古もしたくない!一日テレビ見て、マンガ読んでゲームしたいの!」
「明日だけ、な」
やったあと歓声を上げた少女は、それでは満足できなかったらしい。
「あとね、コーラ飲みたい、ピザとかハンバーガーとか、お腹いっぱい食べたい」
「炭酸飲料やジャンクフードは、子供には良くない」とはいささか価値観が前時代的なムーンストラックは固く信じていた。
「・・・明日だけ、な」
「ねえ知ってる?あんまりジャンクフードとか、炭酸飲料を親が制限しすぎると、よそにお呼ばれした時に貪るようにそういうのを食べる子になるんだってよ?」
そうなったら恥ずかしい思いをするのはノイちゃんだよね、可哀想だよねえ、と柳が援護射撃をはかる。
「大体ノイちゃんが食べられないのに、俺だけ食べるわけにも行かないし」
俺だってハンバーガーやコーラ、好きなんだけどな、と柳が軽い調子で言うと、赤毛の男の眉が不機嫌そうに寄った。
「・・・月に一度くらいなら」
「もう一声!」
「・・・あ」
元気の良かったノイの歩みが止まる。その視線の先には。
「極、リジー・・・」
極より先に、リジーがつかつかと歩み寄る。ぎゅっと眉根が寄り、眼光は険しく、先程のムーンストラックより、数十倍も不機嫌そうに見えた。
女性としては長身のリジーは、ノイより遙かに背が高い。
彼女を文字通り見上げながら、ぶたれるだろうか、と少し身が竦んだけれど。
「・・・お前を、赦す」
その言葉にはっとしたノイはリジーを見上げる。
「イタル様が、お前を赦すとおっしゃった。私はお前が嫌いだが、イタル様の意志は私の意志だ」
「リジー・・・」
それ以上言葉が続かず異母兄の方を見ると、顔をふいっと背けた。けれど。
小さな声だったけど、はっきりと聞き取れた。
「・・・お帰り」
涙があとからあとからこぼれ落ちる。声は嗚咽で言葉にならない。
ああ、あたしは。
この家に上がって。
靴を脱いで。
「ただいま」って。
言っても、いいんだ・・・
この家に上がって。
靴を脱いで。
「ただいま」って。
言っても、いいんだ・・・