Chapter 9-3 : 三つの頭

(投稿者:怨是/挿絵:オルサさん  ありがとうございます!)




 ――1944年8月3日。
 皇室親衛隊営舎、会議室にて。
 国防三軍と皇室親衛隊の重役が集い、軍事正常化委員会に対する処遇を決めねばならない。
 被害はごく僅かではあるものの、あの黒旗を放置すればいずれは国外にまで被害が及ぶ。
 そうなってしまえば諸外国からの非難は避け得ぬものとなり、今後の作戦活動にも悪影響が出てしまうのだ。
 ギーレン・ジ・エントリヒ宰相は、傍らのスィルトネートや、席の近いテオバルト・ベルクマン長官を見やる。
 その後、俄かに騒がしくなった席を見やれば、フレガー陸軍元帥とダルトマイエル海軍元帥が云い争っていた。

「グライヒヴィッツめ。かような真似をまだ続けるか……
 フレガー陸軍元帥! 国防陸軍と参謀本部は互いに監視しあって然るべきであったろう!
 綱紀粛正を徹底する義務を放棄し、MAIDを喰らう蛮族どもを生み出した責任は如何様にして取るつもりか!」

「よもや帝都栄光新聞などという三流タブロイド誌のデマゴーグを鵜呑みにしておられるのではありませんよね?
 国防海軍からも離反者が出ていないわけではないのですから、そのような剣幕で怒鳴られましても」

「我が海軍における離反者は1,500名程度である。それに比べて貴様ら陸軍はどうだ!
 数にして、実に8,000名余りの離反者が出ているではないか! 空軍でさえその半分の4,000名だぞ!」

 問題をマクロからミクロに変えたところでキリがない。
 二人に呼びかけ、脱線した会議を元のレールへと戻さねば。
 ギーレンが身を乗り出し、スィルトネート、ベルクマン、ドルヒらの視線もそれに追従する。

「身から錆の出たもの同士で互いの罪を追求したところで何も解決しない。前回の会議の続きに戻るぞ」

「しかし宰相閣下、閣下が懇意にしておられる皇室親衛隊とて、5,200名もの離反者が出ておるのですぞ」

 それがどうかしたと云うのか。
 このギーレン。屁理屈の盾を打ち破れぬほど、言論の矛は鈍ってはおらぬ。

「国防三軍、親衛隊の総勢千五百万からたかだか一個師団程度が抜けたところで、さほどの痛手にはなるまい。
 彼奴ら黒旗の兵力など正規軍の千分の一にも満たぬという事は、諸君らも充分承知の上だろう」

 ――圧倒的じゃないか、我が軍は。
 流石に兵力の全てを黒旗潰しに用いるわけではないが、あちらとて人員の全てが戦闘員ではない。
 Gという人類共通の敵が存在する以上、総力戦となる事は無い。

「さて、そこでライールブルクへの侵攻作戦についてだが」

 アジトたるライールブルクへと侵攻すればすぐに片が付く。
 その強硬手段に出られないのは、ひとえに国民からの糾弾を恐れる将校らからの反発と、あのマクシムム・ジ・エントリヒ皇帝によるものだった。
 ギーレン宰相はあの皇帝から口酸っぱく云われていた。

『彼奴らと戦うにあたって、忘れてはならぬ事が一つある。
 何に代えても国民だけは守らねばならぬ。決して巻き込むではないぞ』

 この期に及んで父上は甘いなと、ギーレンは心中で断ずる。
 が、傲慢な刃は打算の壁に受け止められ、半分ほどまでで止まってしまった。
 国民に犠牲を出せば、彼奴ら黒旗の思う壺ではないのか。だが、逆にこちらが国民に犠牲を出さずに黒旗だけを止める事ができたなら。
 いずれは避け得ぬ隣国からの糾弾も、多少は和らぐのではないか。

「まず、少数精鋭での奇襲作戦を行うものとする」






 ――会議を終えて執務室に戻ったテオバルト・ベルクマン長官は、エメリンスキー旅団の弾劾案と軍事正常化委員会襲撃計画に関する書類をまとめていた。
 ドルヒがその傍らに立ち、退屈そうな表情で外の雨を眺めている。

「いざという時になると重いな。この長官の椅子は」

「そうですか。何でしたら私が長官の全身をマッサージいたしますが」

 総勢25万人以上の親衛隊員数から全てを把握する事は難しい。
 そのうちのたった5200人程度を離反により喪失した程度ではさほどの痛手にはならなかったが、それ以上に情報の滞りによる行動の遅れ、それに伴う行動範囲の縮小こそが何よりの痛手である。
 あのランスロット隊などよりも、彼らの何倍もの悪行を働いていたエメリンスキー旅団の切捨てが優先されるべきであるという事が、報告書からよく見て取れた。

「長官?」

 弾劾案が決行されれば、彼らは軍法会議など無しにそのまま射殺される。
 旅団長のミロスラフ・エメリンスキーを作戦会議と称して呼び出し、移動中に暗殺する。
 公安部隊と秘密警察を派遣させ、移動中に黒旗の襲撃を受けたかのように見せかければいい。
 後は部隊を解体、駒切れにして他の部隊に組み込んだ上で、己の罪の深さに怯える日々を過ごしてもらおうか。

 そしてもう一方。軍事正常化委員会への襲撃作戦もまた、近日中に決行される。
 選定されたMAIDは五体。
 傍らにいる、ドルヒ。
 自らを護衛するMAIDを消耗品として用いるつもりではないが、対MAID戦闘の適性を主眼に置いて選定すれば、自ずと答えが出てくる。

 シュバルツ・フォン・ディートリッヒ少佐の子飼いMAIDであるスルーズ。
 敵のMAID戦力は未知数である。彼女がダリウス大隊のMALEとの戦闘経験もある以上、それを使わない手は無い。

 ライサ・バルバラ・ベルンハルト少将からの協力の申し出を受け、レーニとシルヴィも選定された。
 マイスターシャーレでの訓練や、水面下の活動における実力などから、彼女ら姉妹もまた高い適性を持つのではないか。

 そして、ジークフリート。皇帝派の反対を押し切った上での決定であり、何らかの理由で黒旗がジークを攻撃出来ない事を利用するという心積もりである。
 国家の象徴だのと馬鹿げた言説を掲げられても、ベルクマンは動じない。そのようなものに縛られていては何も進ま――


「――はむっ」

 耳に湿った感触が伝わる。視界の外だが、どうやらドルヒに左耳を甘噛みされているらしい。
 彼女の時折こういう突飛な行動に出る悪癖は、如何様に対処すべきか。
 裏拳を彼女の額に当て、引き剥がす。

「……公私混同は止さないか」

「不肖ドルヒ、乙女の気遣いを無碍にされる事ほど屈辱的な事はございません」

 ジークフリートを遠ざけるヴォルフ・フォン・シュナイダーと、どことなく構図が似てはいないか。
 ベルクマン長官はいつの日か、ジークがシュナイダー大佐に恋心を抱いているのではないかという噂を耳にしたのだ。

 やれやれ。地獄耳も、肝心な情報や確固たる証拠が入って来なければ何ら意味が無い。
 長官の椅子は、いざという時に限って重かった。







 ――同時刻、軍事正常化委員会の営舎にて。

「ジークハイル」

「ジークハイル。大儀であったな」

 グスタフ・グライヒヴィッツの執務室に二人分の足音が響く。
 経費削減のために非常に簡素で古びた机や薄暗い照明が目に付くが、何よりライオス・シュミットの印象に残ったのは、グライヒヴィッツの後ろで黒々と存在感を主張している色変え国旗だった。
 通常の色変え国旗は、黒地に紺と赤の丸鉤十字の配色となっている。しかし、この執務室の国旗は黒地に赤丸鉤十字までは同じだが、紺の部分が白に変更されていた。
 よりコントラストが強調されており、暗い部屋でもよく見えるようになっている。
 眼帯を付けた金髪のMAIDがグライヒヴィッツの傍らに立ち、反対側にフィルトルが並んだ。

「……後ろの旗が気になるか」

「は。不躾な質問で恐縮ですが、いつも拝見するものとは配色が違いますな」

「私個人ではなく組織そのものに忠義を誓って欲しい、という願いを込めた。
 入室した瞬間、貴公の視線は確かに旗へと向いたろう?」

「その通りでございます」

 視線が奥の旗へと向いてしまった事は確かであった。
 黒と白と赤の旗の色が何を意味しているのか。シュミットの脳裏に、正しい配色のエントリヒ帝国国旗が思い浮かぶ。
 あれも赤と白と黒の配色だった。この執務室の旗とは丁度赤と黒が正反対となっている。
 忠義に関してはあながち間違った云い方ではないが、綺麗事に過ぎる。
 他にも何か、国に対する未練や執着心のようなものを感じさせはしないか。
 粘性の強い逡巡はしかし、フィルトルの反論によって途切れる。

「しかし総統閣下。私にとっての軍事正常化委員会とは、閣下あってのものだと考えております」

「フィルトル。何度も云うが、組織の硬直は私の本意ではない。軍事正常化委員会は私個人の所有物となってはならぬのだ」

 シュミットの片眉が吊り上がる。この駄犬が。粗相をするなと云ったのはどの口だ。
 やはりフィルトルは血気に逸りすぎてはいないか。何事にも空気というものは存在する。
 そこを無視して口を挟めば、当然ながら咎めの言葉がやってくる。


「――して本題がまだだったな、シュミット少佐。
 外交部門からの報告だが、今回は新たなMAIDが加勢するという。曰く付きだが組織への忠誠心は折り紙つきらしい」

「はぁ。実際にはご覧になられて居ない、と」

「作戦活動に直接参加した後に正式な所属を決定するという流れだ。
 そこで貴殿に選定試験の審査および監視、それもMAIDの傍らについた状態で行ってもらいたい」


 つまるところ実力や忠誠心を確かめるための選定試験を、実戦にて行うという事か。
 どういう点で“曰く付き”なのかは俄かには想像しがたいが、加勢するとなると国外のMAIDなのだろうか。

「諒解しました。が、しかし何故私が? 適材を探せばもっと優秀な者がおりますでしょう」

 それでも解せないのはシュミットを選んだ理由である。
 いくら少佐と云う階級を持つとはいえMAIDの教育経験も皆無であるし、何より公安部隊出身の身分である。
 可能な限りGとの戦闘にMAIDを投入したいというエントリヒ帝国の方針から、公安部隊出身の彼が不適格である事くらいは見抜けない筈はない。
 グライヒヴィッツは姿勢を直して両肘を机に乗せ、自らの口元で両手の指を絡ませる。
 その口元には笑みが浮かんでいた。

「そのMAIDは貴殿と志を同じくする者だ。然るに、貴殿の審美眼ならば必ずや才を見抜く事ができよう」

「つまり、そのMAIDもまた、帝政の歪みを憎んでいると」

「エメリンスキー旅団は駒としては大きすぎ、また穢れすぎていた。貴殿なら上手く“料理”してくれると期待している。やれるな?」



 総統の口から出て来たひとつの単語が決め手となった。
 なるほど、それなら話が早い。これほどに美味しい話は無いだろう。
 とうとう我らが軍事正常化委員会の手で直接、彼らの喉元に牙を立て、風穴を開ける日が来たのだ。
 あのいけ好かない悪巧みを考える悪辣な頭脳を、9mmの弾丸で完膚なきまでに破壊しつくす日が来たのだ。

「……仰せのままに(ヤヴォール)我が総統(マインフューラー)

 雷光に二人の笑みが照らされ、各々の双眸がぎらりと光る。
 獰猛な善意を湛えたこの部屋を、ただ、ただ、黒い色変え国旗の丸鉤十字印は冷徹に見下ろしていた。




最終更新:2009年03月31日 01:29
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