マイフレンド・フォーエバー

(投稿者:ししゃも)







「お姉ちゃん」
 まだ幼い顔をしている千早は小さな人差し指を口で咥え、着物の裾を引っ張っていた。後ろ髪をゴムで括りつけ、愛嬌のある顔をした千早に呆れながら、「ほら。もう10歳なんだからね」と真美は軽く注意する。
 真美の故郷である青森県北部の、小さな集落が置かれたそこで夏祭りが始まっていた。二人がそこへ向かおうとしている道中の、長い長い階段を昇っていたときのことだった。
「疲れたよ、お姉ちゃん」
「しょうがないね。ちょっとここで休憩しようか」
 時刻は夜。羽虫の鳴き声が、真美たちを挟むように生い茂る木々の中から聞こえてくる。神社に着くまでまだ半分しか昇りきってないが、千早のためだった。真美は腰を下ろすと、千早もそれに倣った。
「お菓子、食べる」
 真美は着物にかけていた腰ぎんちゃくから、駄菓子を取り出す。
「うん」
 千早は指を咥えたまま、真美の問いかけに頷づいた。その間に真美は腰ぎんちゃくから金平糖を取り出し、手の平で四粒ぐらい転がした。
「お姉ちゃん、その緑色が欲しい」
 緑色の金平糖を指差した千早。真美はそれを摘むと、隣で座っている千早の手元にやった。千早は両手で金平糖を受け止めると、それを転がしながら無邪気に遊ぶ。だが、「食べ物で遊んじゃだめよ」と真美に叱られて、ようやく金平糖を口の中に入れた。
「おいしいね、お姉ちゃん」
 千早はそういうと屈託の無い笑みを浮かべた。



M.A.I.D.ORIGIN's AfterStory_04 「マイフレンド・フォーエバー」

1942年4月2日 総合帝都病院にて



 目が覚めると、真っ白な天井が視界に広がっていた。視界の正面には、扉らしきものが映っている。また壁も真っ白で、視線を下に向けると、白のシーツが身体を包んでいる。身体を動かそうとするが、激痛が腹部に走る。思わず声を上げてしまった。
 アサガワは、自分が今どこにいるのか理解できなかった。いきなり視界が真っ黒に――いや、その直前に血が。そうこうしているうちに、部屋のドアが何者かによって開く音が耳に届いた。
「おやおや。無茶は禁物だよ」
 聞き覚えのある声。落ち着いた女性の声。アサガワは痛みを堪えながら顔を上げようとするが、額に手が押し付けられ、元に戻される。
「言ったじゃないか。無茶は禁物だよって」
 アサガワの目の前には、ライサの顔が現れた。彼女は微笑みながら、アサガワの額を押し付けた右手を元に戻す。
「ライサ少、将」
 さすがのアサガワも、彼女の出現に驚きを隠せなかった。敬礼した衝動に駆られるが、それをライサは制止するように彼女の額をまた右手で押さえた。
「今は、ライサでいい。そんなことより、呼び捨てや階級の上下は無しにしよう。我が親友よ!!」
 ライサはやや大げさな素振りでそう言うと、アサガワは呆然としていた。最初にライサと会ったときの印象は「鉄の女」と思うばかりの軍人だった。
 しかし、ここ最近の行動を見ている限りでは、そうとは思えなくなっていた。しかし今の言動でそれが「疑惑」から「確信」になった。
「で、でも」
 うろたえるアサガワに、ライサはいつまでも茶番を演じる。
「でもじゃない。ほら、言ってみなさい」
「ら、ライサ」
 上官の命令に仕方なしにアサガワは従った。
「よく出来ました。まぁおふざけはこのぐらいにして、怪我の調子は大丈夫かね」
「目覚めたのは今さっきなんだがな、ライサ」
 先ほどまでの戸惑いが消えうせたのか、アサガワは敬語ではなく話し言葉でライサに返事を返す。あまりにも純情すぎるアサガワを見て、ライサは心の中でほくそ笑んだ。
「そんなことより、どうして私がここに」
 色々なことが頭で駆け巡り、自分がどうしてここに居るのか。そして、腹部に走る激痛の意味をライサに問いただした。記憶が正しければ、アリスを追っ払った後に銃声が鳴り響いた直後まで記憶があった。彼女は、最悪の事態を想定する。
「君が鼻柱をぶん殴ったハンスマンによる、フレンドリーファイア(誤射)だよ。色々と偶然が重なって、ああなってしまった」
 ライサの一言に、アサガワは思わず頭を抱えそうになった。あの誤射は、自分の監督不足でこうなってしまったんだと。
 思い悩むアサガワに、そっとライサは彼女の額に右手を当てた。ひんやりとした感触が額に伝わり、アサガワは思わず、身を縮ませた。ライサの顔を見ると、彼女は慈しむ表情でこちらを見ている。
「あまり考え事をするんじゃない。怪我に響く」
「なんで、私は助かったんだ」
 ライサの言うことを無視して、アサガワは一番の疑問を呟く。
 腹部への着弾。明らかに重症は免れないはずだった。しかし、身体には何も障害が残っていないおろか、ちょっとだけ動かしただけで傷口が傷む程度ということに、アサガワは疑問を抱いていた。
「アリスだよ」
 アサガワは予想だにしない一言に思わず声を上げ、ライサの方へ顔を向ける。しかしライサは顔を逸らし、その顔が見えないようにしていた。
「医療MAIDだったんだよ、アリスは。それに、彼女が指揮していた班も医療MAIDで固まっていたもんでね。そのおかげだよ」」
 アサガワはシーツ越しに、腹部を「義肢」で構成された右手で擦った。まだ痛みが響くものの、二三週間すれば完治できるものだと彼女は思う。もしアリスや他のMAIDが助けてくれなかったら――思わず背筋が凍るような感触が走った。
「なんだかんだ言ったって、彼女たちは君のことが気になるんだよ」
 言葉の最後にくすくすとライサは笑うと、そのまま部屋を出ようとドアに向かって足を動かす。
「ライサ。私は、どうしたらいいんだ」
 引き止めるようにアサガワは、ぼそりと呟いた。あそこまでしてMAIDという存在を拒絶した自分自身を、彼女たち――MAIDは許容した。挙句の果てに、自分の命まで救ってくれた。
「自分で考えろ」
 突き飛ばすような淡々とした口調でなく、何かを模索するようにと問いかけるような口調でライサは返事をし、病室から去った。アサガワはライサの後姿を見ず、じっと天井を見ていた。
「自分で考えろ、か」
 楼蘭皇国での自分を捨て、エントリヒ帝国へ向かうときに母の一言がまるっきり一緒だったということをアサガワは思い出した。千早を探すために今までの過去を捨てるのか、それとも千早のことを諦めるのか。そのことを悩んでいた自分を見かねた母の一言が、それだった。
 まさか、ここで同じ言葉を言われるとは思いもしなかった。
 自嘲にも似たため息をアサガワがついたときドアのノックが規則正しく三回、鳴った。しかしアサガワは迂闊に声を出すと怪我に響くため、何も言わずに誰かが入ってくるのを待った。
 数十秒経った後、静かにドアが開いた。アサガワは少し首を上げて、誰が入ってきた確認する。黒と白のメード服に身を包み、メガネをかけたアリスが病室に居た。両手を後ろで組んで、心配な顔つきでこちらを見るなりアサガワの横へ駆け寄る。
「あっ、あの。アサガワ教官、だ、大丈夫ですか」
 覗き込むように、赤面したアリスがアサガワの無事を確認する。彼女の口調は不自然すぎるほどろれつが回っておらず、緊張しているのが容易に分かった。アサガワはそんな彼女を見るなり、自然と笑ってしまった。それを見たアリスは驚いたのか、背筋をピンと伸ばす。
「そんなに緊張しなくていい。身体の方は大丈夫だ。ライサから話を聞いている」
 その一言に多少はリラックスできたのか、アリスは肩肘を張るのを止めた。
「助けてくれて、ありがとう。それに、お弁当のことは申し訳なかった。それに、私は――」
「人は誰だって、言いたくないことを持っているんですよ。だから無理しなくていいですよ、アサガワ教官」
 アサガワの言葉をアリスの声が遮った。アサガワは何も言わず、ただアリスの顔を見ることしかできなかった。もしアリスが何も言わなければ、「MAIDが嫌いだった」という事実を言おうとした。
 しかしそれは、アサガワにとって「言いたくない事実」だった。こうして命を助けてくれたMAIDに対して、言うべき言葉ではなかった。ただ自分の行動が愚かだったことのを免罪符を、その言葉に置き換えようとした自分が恥ずかしかった。
「それより、アサガワ教官のためにお弁当作ってきました。よければ、食べてください」
 アリスは後ろに組んでいた両手を前に突き出すと、布に包んだお弁当箱が姿を現した。アサガワはそれを見るなり、少し笑ってから口を開いた。心なしか、瞼が重く感じた。
「アリス、私はたった今、目を覚ましたところだ。それを食べるのは、多分」
 そこまで言うと、アリスのきょとんとした顔が闇に染まっていく。自分の意思とは関係なく、瞼が閉じてしまった。
「そうでしたね、やっちゃいました。えへへ」
 疲れていたのか、寝息を立てるアサガワを尻目にアリスは照れ隠しをする。寝てしまったアサガワに乱れたシーツをちゃんと掛けてあげると、身近に置いてあった机にお弁当箱をそっと置き、ドアへ向かった。
「おやすみなさい、アサガワ教官」
 アリスはささやきながらそう言うと、静かに部屋を退室し、ドアを閉めた。



「色々あったな」
 ライサの私室で紅茶を飲んでいたホラーツは、つい一ヶ月前の出来事を懐かしむ口調で呟いた。ライサは窓際を立っており、視線の先はランニングに励むMAIDたちを見ていた。
「世界が変わるように、人は変わるものだよ」
 ライサはホラーツの言葉にそう返答すると、ある人物に視線を変えた。少し離れたところで、仁王立ちする金髪の女性。マイスターシャーレの教官服を着た、アサガワ・シュトロハイヒだった。
「世界が変わる、か。そのためには、重要な決断も下さればならない」
「何が言いたいんだ、ホラーツ」
 踵を返したライサは、部屋の中央で設けられたソファに座っているホラーツに視線を送った。テーブルにカップを置いたホラーツは、その禿げた頭を右手で撫でた。
「徴兵だ、MAIDも含めて。仕方がないことだ」
 ライサは何も言わず、手前に設けられた事務机へ歩き、椅子にゆっくりと座った。
「何にせよ、寂しいな。彼女たちのやかましい声が聞こえなくなるのはな」
 寂しそうな表情で、ホラーツはそう呟いた。



「お前は実に優秀な候補生だった」
 坊主頭の屈強な体格をした陸軍の軍服を着こなしたブレイン・アムセルの肩を叩きながら、アサガワは彼の無事を祈った。アムセルは候補生の中で、白兵戦や銃の扱いは彼の右に出るものは居ないと噂され、アサガワですら舌を巻くほどだった。
 彼ほどのセンスなら、まだまだ教えたいことは山ほどあったが、Gとの戦線が芳しくない。そのため、緊急招集という形でマイスターシャーレからアムセル以下104小隊がグレートウォール戦線へ向かうことになった。アムセルの背後には、彼と同じ軍服を着た三十名の候補生、否、エントリヒ陸軍の軍人が整列していた。
「教官にもっともっと教えて欲しいことがありましたが、仕方がないことです」
「そうだったな。さて第1044期小隊。今回の訓練、ご苦労だった。諸君らの健闘を祈る」
 アサガワは言葉の締めと同時に敬礼を贈った。直後、アムセル以下、第1044小隊が一斉にアサガワへ敬礼を返した。彼らは同期である第1044MAID小隊と共に、グレートウォール戦線へ向かう。そのMAID小隊に、アリスが含まれていたことをアサガワは知っていた。
 小隊を見送ったアサガワは、その日の行事を全て終わったことになっていた。夕暮れの空を見ながら、彼女はベンチに座っている。本当なら、自室で休憩を取っているはずだったが、なんとなく夕暮れを見たい衝動に駆られた。
「アサガワ教官」
 後ろから声が聞こえると、アサガワは顔をそこへ向けた。そこには、アリス・シレイドの姿があった。眼鏡をかけた彼女は、軽快な走りと同時にウェーブのかかった髪の毛を揺らしていた。
「アリスか。挙兵式は終わったみたいだな。」
 そう言っているうちに、アリスは「そうです」と言いながら、アサガワの横へちょこんと座っていた。
「グレートウォール戦線に向かうのだな」
 アリスの顔を見るのやめて、アサガワは前を向いた。アリスの顔を見るのが、痛々しくなったからだった。
 グレートウォール戦線。数々のG戦線の中で、一番激しいといわれている地帯。エントリヒ帝国領でありながら、数々の大国が戦線を構築し、Gへの侵攻を食い止めている。アリスの小隊は、そこに召集された。
 医療MAIDという貴重かつ重宝される能力。それに、多数の負傷者が出ている戦線。アリスがそこに配属されるのは、出来レースそのものだった。
「ちょっと怖いけど、みんなのためです」
 アリスの一言に、アサガワは彼女の顔を見る。その表情は、強い意志を含んでいた。
「途中から君たちの教官になった私が言うのもなんだが、まだまだ教えたいことは山ほどあった」
 そっと静かに、アリスの左肩にアサガワは手袋で包まれた右手を置いた。アリスは添えられた右手に、自分の左手を優しく重ねる。
 本当なら、アリスの体温が右手を通じて伝わってくるはずだった。しかし、その手が義肢である以上、叶わぬ夢であることをアサガワは理解している。
 そのとき、アリスは空いていた右手を使って、自分のメガネを唐突に外した。
「教官。お別れのって言うと辛気臭いのですが。これを受け取ってください」
 アリスは、今まで自分がかけていたメガネをアサガワへ差し出す。
「でも、それがなければ視力が」
「実はこれ、伊達眼鏡なんですよ」
 眼鏡をはずしたアリスは「えへへ」と笑うと、アサガワはその伊達眼鏡を手に取った。
「この伊達眼鏡は、私が物心付いたときから持っていたのですよ。ただの伊達だし、手放そうとしたけど。なんだか、手放したらいけないと思って」
 アサガワが持っている伊達眼鏡を見ながら、アリスは懐かしむ表情でそれを見る。アサガワは何も言わずに、それを掛けた。
 確かに、度は入っていなかった。横へ向くと、とびきりの笑顔のアリスがアサガワを見ている。
「どうでしょう。いい眼鏡でしょ」
 アサガワは、無邪気なアリスに向けて微笑みで返事を返した。



 アサガワは、彼女から貰った伊達眼鏡越しに夕焼けを見ていた。アリスと別れたベンチに座っている彼女は、ただ黙々と夕焼けを見ている。
 今まで、自分がMAIDを毛嫌いしていたのは、視力に合ってない眼鏡を掛けていたのだったに違いない。アサガワは、そう思っていた。彼女たちは、自分から進んでMAIDになった者も居れば、国家、組織、あるいは個人によってMAIDにさせられたなのかもしれない。
 そうとも知らず、アサガワは頑なにMAIDという存在を否定した。今考えれば、馬鹿らしい考え方だった。
「やぁどうだね」
 そのとき、待ち人の声が聞こえてきた。アサガワは前を向いたまま、「まぁまぁだ」と呟く。その間に、彼女の隣をライサが腰を下ろした。
「なぁライサ。彼女たちは真実を知るべきなのか。何も知らぬまま死んで行く彼女たちを、私は黙ってみることしかできないのか」
 病室でライサに「自分で考えろ」と言われてから、ずっと疑問に思っていたことをアサガワは呟いた。アリスや他のMAIDは、自分たちがいかにしてMAIDになったのかを知るどころか、それすらを意識していない。
 アリスが渡してくれた伊達眼鏡は、生前の彼女が持っていた唯一の「所持品」。大切な思い出が詰まった宝物でさえ、彼女たちは「懐かしさ」を思い返すしかできなかった。
 そして彼女たちは数年という短い寿命の中を、戦場に委ねる。アサガワには、それが理解できなかった。
「彼女たちがその真実を受け入れるか否かは、私たち次第だ。この戦争が終われば、きっと」
 ライサは、地面に視線を落としたアサガワの姿を見るのが痛々しかった。
 1月20日。外はまだ肌寒い。それは、人の心でさえも凍りつかせそうなほどに。



 潮風が肌を貫く。昔話を終えたアサガワは、指で挟んでいた煙草を吸おうとしたが、いつの間にか吸えないほどに先端が燃焼していた。
 千早のことについては、アサガワは何も言わなかった。もし言えば、人間がMAIDで出来ているとパラドックスジョーヌに言うことになる。それを避けたかったアサガワは適当に誤魔化しておいた。
「それじゃ、その伊達眼鏡はとても大切なものですね」
 パラドックスがそう言うと、ジョーヌはうんと頷いた。
 そのとき、船の汽笛が大きく鳴り響いた。それに釣られたジョーヌが手摺から身を乗り出す。
「着きましたわ、アサガワ教官。やっと羽休めができますわね」」
 それほど長話をしていたのか、とアサガワは思いながら息を吐く。
「着いたか。私の故郷へ」
 風がアサガワの髪を巻き上げる。伊達眼鏡越しの視線には、長い長い船旅の終わりを告げる船場が薄っすらと見えていた。



 ――1943年1月20日、アリス・シレイド少尉が指揮する第1044医療MAID小隊「エンジェル・ソング」はグレートウォール戦線で壊滅した。二年以上が経過した今も「エンジェル・ソング」に所属しているMAIDたちの生死は判明していない。



NEXT SCENARIO→朝川家



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最終更新:2010年09月02日 02:53
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