(投稿者:怨是)
1938/7/8
近頃。ここ数ヶ月は、不穏な事件が相次いでいる。
皇室親衛隊技術部の研究資料を狙った工作員を捕縛したとの報せが入った。
公安部隊曰く、尋問する予定だったが、工作員は途中で青酸カリのカプセルを噛み潰して自決したと。
他にも。
楼蘭の刀を振るい、人殺しを生業とする、所属不明の黒いMAIDが現れたと。
戦争の混乱に乗じて、既に何名も高官が暗殺されている。
そのMAIDが私と同じ金髪である事から、私に成り済まして評判を落とそうとする勢力の仕業とも云われていた。
……303みたいに、またこの国で悪い事をしようとする奴が居る。
なのに、私は一向に結果が出せない。戦果が伸びない。
新しいMAIDが生まれて、それが私より優秀だったら……?
嫌だ。
嫌だ。考えたくない。
1938年7月10日。夕刻。本部営舎、
ブリュンヒルデに宛がわれた私室にて。
此処は軍神として認められたMAID、ブリュンヒルデの為の部屋。元は倉庫番の宿直室であったが、303作戦以降のブリュンヒルデの活躍ぶり――社会的にはその様に評されている――を認めた皇室親衛隊上層部がいつまでも倉庫に押し込めておくのも良くないとして、ブリュンヒルデの為だけに改装してくれたものだ。マクシムム皇帝に取り入る一部の派閥が強引に推し進めたという噂も耳に入ったが、些末な問題であろう。
使われなかった備品が無造作に置かれて埃を被ったままだった部屋は、綺麗に整頓され。高級な木材をふんだんに使用した机、羽毛のたっぷり詰まったベッド、小さなシャンデリアを模した照明器具、皇帝より授かった本棚、淡いアラベスク模様の壁紙。それらがかつて単なる宿直室であったこの部屋を、気高い色調に変えていた。
その主であるブリュンヒルデは書き終えた日記を閉じ、葛藤していた。この苦悩に、部屋を設けられた意図は全く関係しない。ブリュンヒルデは首飾りにしている自室の鍵を、そっと握り締める。我ながら、懺悔を前に思い悩む巡礼者の様だと、ブリュンヒルデは自嘲した。
「どうしたらいいの……?」
正直に苦悩の全てを打ち明けるべきなのか、それとも軍神としての体裁を保つ為ならばやむなき犠牲であると諦めるべきなのか。
正しくこれは、岐路だ。重大な決定を前にした、ブリュンヒルデにとっての人生最大の岐路であった。決断を下さぬまま座して無為に時を過ごせば、何もかもを失ってしまう。そんな予感すら抱いた程に。
それは、
グレートウォール戦線へ赴いていた昼頃にまで遡る……。
1938/7/10
エントリヒ帝国のMAID開発技術は未だ、窮地に立たされている。
303作戦そのものは誰も口にしなかったが、表向きはMAIDが相次いで戦死したという理由で、
戦闘記録から得られる技術を今後のMAID開発に活かせないで、他の国に比べて大きく後れを取っている。
合同会議を開いた理由は、その戦闘データを皇室親衛隊がひとまとめにする為だという。
会議の際の護衛をする為、未だ傷の癒えないシュナイダー少佐に連れられて会議場へと赴いた。
私は終始、発言を差し挟む事は許されなかった。
参謀本部側は承諾の条件として、拉致された参謀本部所属研究員の所在を明らかにする様にと要求していた。
その事について少佐に尋ねても、首を振られた。
件の研究員については親衛隊側も関知して居らず、全くの云い掛かりだという。
会議の後も私は出撃した。
実情は、倒れたGの片付け程度。
一匹のGから瘴気が完全に霧散するまでには数週間を要する。
そこで、戦線を押し出すにはこれらの残骸を撤去しないといけない。
私もその作業に混じるだけ。簡単だ。
その時、私は兵士に理由を訊かれて何と応えたか。
自らの行ないは後始末を以て一括りとします、そう応えた。
嘘は云ってない。
私は悪くない筈だ。
……遡る事、同日の昼頃。帝都ニーベルンゲ第3会館前にて。
ブリュンヒルデは親衛隊及び国防三軍を交えた会議を終えた面々がぞろぞろと帰路に着いて行くのを眺めつつ、
ヴォルフ・フォン・シュナイダー少佐へと目配せした。ヴォルフは少佐という立場でありながら、この代表会議への出席を許された。それは、MAID部隊を任された実績があるからであるという。ヴォルフから直接聞いた訳では無いが、周囲がそう云っていた。
「……」
つい先程まで問答に応じていたヴォルフは無言で、ブリュンヒルデの視線を返そうともしない。303以来、その口は重く閉ざされていた。老齢の
ヨハネス・フォン・ハーネルシュタイン大将は、そんなヴォルフを案じつつも何処か距離を置いているらしく、声も掛けずに自力で車を運転して帰った。皇室親衛隊長官の
テオバルト・ベルクマン上級大将に至っては、すれ違い様にヴォルフへ侮蔑じみた視線を送るだけだった。
「……長官」
ふと、口を開くヴォルフ。テオバルトは、ちらりとそれを一瞥した。その眼差しは言外に、用件を云えと語っている様だった。
「内務大臣の件ですが」
「その件については公安部隊でも調査中だ。
ライオス・シュミット少佐に一任している。国内での犯行が無いとも限らん。だが、あの古狸の事だ……何か策があるやもしれん。警戒は怠るなよ」
「了解」
件の、古狸と呼ばれた男――グスタフ・グライヒヴィッツ内務大臣は既にこの場を去っている。ブリュンヒルデは、一度は疑った。参謀本部こそが、近頃この社会を脅かしている“人斬りMAID”の雇い主ではないだろうかと。と云うのもブリュンヒルデは、2月の末頃の、まだ右腕と右目が健在であった頃のヴォルフの言葉を思い出したのだ。
『……参謀本部だ。MAID部隊の管理権限を巡って、良からぬ動きを進めているらしい』
傍らで黙したまま動かない彼は、確かにかつてそう云った。
しかしながら、グレートウォール戦線に投入されている
楼蘭皇国製MAIDの数は、月日を追う毎に増えつつある。刀は最早、グレートウォール戦線では見慣れた武器の一つと化していた。また、皇帝が楼蘭皇国から零細の町工場を引き抜いたのも、記憶に新しい。白竜工業と呼ばれるその町工場は、刀を初めとして様々なMAID専用近接武器の設計、開発を行なっているそうだ。303作戦は
ヴォストルージア社会主義共和国連邦から送られてきたスパイであったし、陰湿な諜報行為は未だに続いているのか既に途絶えたのかも、決着を耳にしていない以上は断定出来まい。
結局、人斬りが誰であるかは現在に於いても判然としないままだ。何と悪い時期に、事件が起きてしまったのであろうか。それでも動かねば事態は好転しない。こんな場所で、幾ら嘆こうとも。
「少佐」
ヴォルフは胡乱げな眼差しのまま、ブリュンヒルデへと向き直った。
「私はこのまま、グレートウォール戦線へと赴きます」
「好きにしろ……」
ヴォルフはそのまま足早に車へと向かう。それから、運転手に一言か二言か会話を交わし、肩越しにブリュンヒルデへ視線を寄越してきた。
「……帰りは友軍にでも乗せて貰え」
「はい」
ブリュンヒルデはヴォルフの不器用な好意に甘え、車に乗り込むのだった。
グレートウォール戦線に辿り着くまでに、幾つかの仮説を立てた。人斬りの正体がもしも参謀本部のMAIDでなかったら……ヴォ連のスパイだろうか? 或いは、クロッセル連合諸国の仕業か。何か大事なものを見落としては居ないだろうか……? 証拠は幾らでも見付かる筈だ。グレートウォール戦線に赴くついでに、人斬りの手掛かりが無いか探してみるべきだ。ブリュンヒルデはそう結論づけた。
グレートウォール戦線直通の高速道路を最高速度で走った為、車は瞬く間に目的地へと辿り着いた。
「はっ! たぁッ!」
ドシュッ、ズシャ――……。先程まで人類種の脅威であった筈のGの幾つかは、物云わぬ骸と化した。
「――でやあぁああッ!!」
ブリュンヒルデは雄叫びを上げ、此方に群がってきたワモンを屠る。数匹はこれで仕留めた。303作戦以降、Gは何故か平原にはあまり出て来なくなった。戦場に姿を見せるGが減った為に、軍部では戦線を押し上げるべきだという提案もあった。しかし、口には出さないものの、303作戦の経験から不用心に前へ進む事は憚られるという慎重論が大多数を占めている。
戦線を拡大させられないもう一つの理由が存在する。それは瘴気。Gの放出する有毒な気体は、生物の内臓を悉く破壊し尽くす。瘴気中毒で免疫力が低下しきった兵士が、野戦病院で治療虚しく事切れるといった事例も数多く見られた。MAIDが303作戦でグレートウォール戦線の奥地まで辿り着けたのは、エターナル・コアの持つ瘴気耐性のおかげだ。
だが、しかし。前述した通り、303作戦以来、誰もが強引な突貫には消極的だ。その為、各国のMAIDは限られた討伐数を競い合い。各国はGとの戦いを通じて、自国のMAIDがどれだけ優秀なのかを主張し合う関係へと。つまりは代理戦争である。まばらに散らばったGを、戦場を縦横無尽に駆け巡って討伐するのはどう考えても非効率的であり、結果としてエントリヒ帝国のG討伐数は
クロッセル連合王国の後塵を拝する事となる。
これを解決すべく考案されたのが瘴気の源となるGの、その死骸の撤去である。死骸を退かせば瘴気の滞留は止まり、進軍しやすくなる。しかも平均して全長3メートルにもなる巨体を退かさねばならない。それ故、ブリュンヒルデは他の兵士達に混じって幾つかのGの死骸を引き摺り、戦線の奥へと運び込んだ。
一時間足らずだろうか。眼前には
ワモンの死骸が大きな山を築いていた。満足げに頷くブリュンヒルデの背後から、声が掛かる。先刻まで一緒に作業を行なっていた兵士達は心なしか誇らしげだ。
「皆の者、傾注せよ! 軍神様だ! 軍神様がお見えだぞ!」
「おお、これは軍神様。本日も、大層麗しくあらせられる!」
「此度の出陣、大儀でありましたな!」
……いつしかブリュンヒルデは“軍神”の名と共に、多くの兵士から敬いの声を受ける事が多くなった。かつてはMAIDであるというたったそれだけの理由で道具扱いしてきた者らが、今ではブリュンヒルデには平伏するのだ。それは、ブリュンヒルデが帝国の主たるマクシムム皇帝の所有物という事実が大いに関係しているのかもしれなかった。悪い気はしない。
――私に媚びる暇があるなら、303で死んだ仲間達に詫びの一つでも入れたらどうなの?
同時に、黒々とした感情が胸の奥で渦巻いた。しかし、それをブリュンヒルデは呑み込んだ。時代の所為だ。彼らが盲目のままなのは、恐らく時代の所為なのだ。
「本日は会議にて護衛の任務がおありとの事ですが、何故に此方へお越しですかな?」
「私が来たら、何か問題が?」
「滅相も御座いません! 我等と致しましては軍神様がいらっしゃるなら百人力! 歓迎こそすれど、拒む理由など何処に御座いましょう?」
「熱烈なる歓迎に、ただ、感謝を。それで、理由でしたか」
敢えてブリュンヒルデは、尊大で勿体振った態度を取る事にした。彼らが303以降に口を揃えて云っていた言葉を、ブリュンヒルデは忘れない。MAIDは無力だ、役立たずだと。だからこそ、彼らには教えてやらねば。我等エントリヒ帝国のMAIDは愛すべき帝国に最期まで忠義を尽くし、自らの命を骨の一片も残さず捧げる高潔なる眷属であると!
密かに決意するブリュンヒルデを余所に、兵士の一人が恭しく跪く。
「どうぞ、私共に教えて頂きたく存じます」
「心得ました……自らの行ないは、後始末を以て一括りとします。それが、私が此処に居る唯一の理由です」
ブリュンヒルデは微笑みながら、そう応じた。
後始末。303は勿論の事、人斬りについても含めてだ。人斬りがこの帝国を狙っているとしたら、その関係者は必ずこの戦場に潜んでいる筈である。彼らには再度、人類の本当の敵はGであるという事を認識させねばなるまい。だからこそブリュンヒルデは本来なら一等兵以下の階級を持つ兵士達の仕事である、Gの残骸の撤去を行なった。古来より、高貴なる生まれの者が民に混じって雑務をこなす事は徳を高める行為であるとされてきた。ブリュンヒルデもまた、それに倣った。
「なるほど! 流石は軍神様。思慮深きお言葉ですな」
「全ては陛下のお力故に。私の言葉など、それをお借りしたに過ぎません」
ブリュンヒルデは社交界の淑女の如き所作で、ふわりとこうべを垂れる。
ドレスとは異なり鎧である為に摘んで持ち上げるのは些か骨が折れるが、素材の改良によって数ヶ月前よりは遙かに軽い。
「はは、またご謙遜を!」
「……さて、この近辺は一掃しました。皆様はこの後、如何なさいますか?」
「帰還しますよ。討ち取る敵が居ないならば、我々の仕事はそこで終わりですから」
――いつまで敵がGだけであると信じていられるかしら?
ヴォルフの言葉通りに友軍の車へと乗り込みながら、ブリュンヒルデは胸中にて毒突いた。目に見える敵だけが全てだと思ったら大間違いだ。前線の兵士は、帝都に渦巻く陰謀を知らないのだろう。他国からやって来る、人の姿をした悪しき敵達が居るという事を。
その点に於いて、ブリュンヒルデは僅かながら優越感を抱いていた。先日、仕事の合間に読んでいたリー・ザンプの著作“荒野の守護神”にも、似たような事が書かれていたか。主人公を危険視する敵対勢力が様々な策謀を張り巡らせ、それに対する主人公――ガイナー・ミストルーネは誰が犯人なのかを調べながら、たった
一人で巨悪に立ち向かう。
先程の後始末云々も、座学で学んだ言葉ではない。
『私は如何なる不条理にも負けない。後始末を行なわねばならぬ! 私の遺した何もかもの、後始末を! それこそが、私が此処に居る、たった一つの理由である!』
ガイナーの放った、この言葉を少しだけ引用したのだ。ブリュンヒルデは、ガイナーの責任感に溢れ、自らの責務を全うする為に何もかもを自力で解決しようとする、哀しき性根に何処か共感を覚えた。実のところ、会議を終えて直ぐに出撃したのも、ひとえに作中に於ける彼の行動に、それと似たようなものがあった為である。
早く続きが読みたいと気が逸るのを、ブリュンヒルデはぐっと堪えた。今、己が為すべき事は唯一つ。それは人斬りがこの戦場に紛れているかどうかを確認する事であった。この先にはクロッセル連合王国が建設した、楼蘭から派遣されてきた駐留MAID部隊の前線基地がある。作戦を終えて帰還する彼女らが基地の内部へと入る前に、噂に聞く人斬りの容貌を垣間見る事が出来るか。否、そんな運試しでは駄目だと、ブリュンヒルデは首を振った。この場に於いて最善とも云える、明快な方法があるではないか。
「失礼。暫し、此処でお待ち頂けますか?」
「何かお考えがお有りなのですな。護衛は必要ですか?」
「私一人で成し遂げる必要があります。それに、直ぐに戻りますので」
運転手に車を停めさせ、ブリュンヒルデは颯爽と前線基地へと駆け込んだ。この中に人斬りが居るかもしれない。或いは、人斬りは単独犯ではないかもしれない。組織的犯行であるならば、いよいよを以て警戒すべきだ。門は固く閉ざされ、近くに受付がある。ブリュンヒルデは槍を片手に、門番へ尋ねるのだった。
「所用あって、此方へ参りました。少し、拝見しても?」
受付の男はグリーデル系の顔立ちだった。彼は怪訝そうな表情をした後、何かを確信した様に頷く。
「決闘なら中庭でやってくれよ。ちなみに楼蘭の言葉では“ドージョーヤブリ”って云うんだと」
――は? 決闘?!
ブリュンヒルデは慌ててそれを否定する。
「稽古なら私も行ないますが、決闘だなんて……」
「違うのかね。じゃあ、何だ?」
「ひとえに、楼蘭の皆様のお顔を拝見したく。まだお会いした事も御座いませんもの」
「挨拶回りって奴かね。MAIDってのは、随分と殊勝な連中が揃ってるもんだ。まぁ、入れよ。中に居る奴等も気前よく迎えてくれるだろうさ」
「感謝します」
キイィと音を立て、門は開かれた。ブリュンヒルデはゆっくりと、その歩みを進める。その光景を見て、ブリュンヒルデは絶句した。
「極世一徹流、遠海夜久拳! ふおぉぁああああッ!」
「まだまだぁあああああッ!」
「もう一丁ぉおおおおおッ!!」
「間合いが、甘いわぁあああッ!!」
ブリュンヒルデは驚愕し、暫し佇む。
拳と拳で打ち合う戦い。それは、今までのMAIDの誰にも当てはまらなかった。目にも留まらぬ早さで繰り広げられ、両腕に包帯を巻いた赤毛のMAIDが何やら叫んでいる。内容は楼蘭語でよく解らないが、掛け声か何かなのだろう。対する大型の義手と義足を装備した黒髪のMAIDは、それをすんでの所で躱している。高度な動体視力のみが成せる業。人斬りMAIDはこの次元での戦いを行えるのかもしれない。周囲を眺め回す。決闘の観客は主にMAID達だ。土と草の地面に座り込み、時折野次を飛ばしたりする者も居る。言葉が通じるとは思えないが、わざわざ訊いて確認するまでも無かった。何故なら、この場に金髪のMAIDは誰一人として見当たらないからだ。
白熱する戦いを余所に、ブリュンヒルデは基地の内部を見て回る。華国の文字がそこかしこに散りばめられているが、その下に小さく書かれたグリーデル語が意味を補足している。そのお陰か、辛うじてブリュンヒルデは資料室に辿り着けた。しかし、彼らに尋ねても首を傾げるだけであった。
やむなく調査を中断し、ブリュンヒルデは帰路に着くのだった。車は律儀に待っていてくれた。
……そして。基地にて戦績報告会が開かれた折、ブリュンヒルデは先程までの出来事が吹き飛ぶ程の衝撃を受けた。
「それが私の、戦績と?」
不当に低く見積もられたのでは断じてない。寧ろ、その逆である。驚嘆を禁じ得ない程に驚異的な数の討伐数。それが意味するのは、あの時ブリュンヒルデが兵士達と共に片付けたGの死骸が、全てブリュンヒルデの戦果として計上されていたという事だった。
「不服か」
ヴォルフは陰鬱な表情を崩さぬまま、忌々しげに口元を歪めた。事実を認めたくないのだろうか。しかしその様子を見咎めた他の佐官が、キッと眼差しを尖らせた。反論は許されない。ブリュンヒルデは黙って受け入れた。
「いいえ。此度の戦果は、帝都へ少なからず貢献出来たという何よりの証。後に生まれるであろう私の後輩達に、善き道を指し示せるのなら、それに勝る幸いは御座いません」
一礼すると、周囲からパチパチと盛大な拍手が巻き起こった。拍手を指揮していたのはハーネルシュタイン大将であった。その彼が、ヴォルフを下がらせて前へ出る。
「陛下も此度の戦果を、大層お喜びになられた。この後、晩餐が始まる。祝勝会とも呼べる晩餐であるぞ!」
狼狽を顔に出すまいと人知れず奮闘するブリュンヒルデを余所に、辺りは歓声で満たされた。誰もがこの戦果を吉報とし、喜びを全身で表現していた。ブリュンヒルデと、ヴォルフを除いて……。
――どうして?! 何が起きてしまったの?! 私は、私はそんな大層な事は、していない筈なのに!
助けを求めるかの様に、ブリュンヒルデはヴォルフへ目配せした。ヴォルフはじろりとブリュンヒルデを見やり、それから顔を背けた。そんな冷たい仕打ちをしないで欲しかったが、幾ら足掻いても無駄であろう。晩餐の準備は既に済ませているのだから。料理人達がドアを開き、その代表格である男が「準備が整いました」と告げる。一行は、ぞろぞろと会場へと向かう。そこには皇帝が待っていて、皆が平伏した。
当然、食事は碌に喉を通らず、皇帝の前で「食べ過ぎれば、太ってしまいます」などと年頃の乙女みたいな言葉を口走り、それが皇帝の琴線に触れたのか「嗚呼、ブリュンヒルデよ! 強者となりても尚、己の美しさを磨き上げるを止めぬ……そなたは何と意欲に満ち溢れておるのであろう! そなたは我が国の、帝国の誇りぞ!」と頬摺りまでされる始末。寵愛を受けられるのは有り難いが、髭の当たる感触がくすぐったくて、いよいよ食事どころではなくなってしまった。
……回想を終える。
結局は真相を打ち明けられず、今に至る。何がどう間違ってあのGの死骸全てが自分の戦果になってしまったのかは、今の所は解らない。いや、きっと情報の伝達に齟齬でもあったのだろう。そうでなければ、計算を間違えたのだ。でなければ平均して6匹程度の自分に、30匹近くものGなどとてもではないが討伐不可能ではないか。
「時期を見て……打ち明けるべきかしら?」
否。他国のMAIDを見れば解る。圧倒的な強さを持つMAIDが一人でも居るなら、その国全体の印象を底上げ出来る。事実、楼蘭のMAIDは超常的な力を用いて息を呑む様な攻防を繰り広げていた。あれだけの能力があれば、他国もそうそう手出しをしようとは思わないだろう。捏造だと思われる前に、虚偽の宣伝に実際の実力が追い付くならば。303という愚行を再び冒す、最悪の事態も避けられるかもしれない。たとえ実行されようとも、単身であれば生き残る自信がある。逃げてしまえば良い。
「でも、そうすると私を信じてきた陛下や、国民達を……」
騙す事になろう。今やブリュンヒルデは、擦れ違う度に国民達から賞賛を以て迎えられ。気紛れに何処かの料理店で食事を取ろうものならブリュンヒルデを一目見ようとする者が相次ぎ、瞬く間に満席に。MAIDに批判的な勢力は悉くが粛正され、ブリュンヒルデの軍神としての側面は誰も疑わない。それを裏切り、偽りの戦果を掲げるというのか? それは、ブリュンヒルデの矜持が咎める。誠実ならざる振る舞いが露見した時、果たして国民達は味方してくれるだろうか。あの中には、軍神という存在を素直に受け入れられず、疑って掛かる者も少なくない筈だ。現にヴォルフがそうであった。彼らに賛同して「やはり軍神など嘘くさい伝説など信じるべきではないのだ!」と糾弾されれば、軍法会議に掛けられるまでも無くブリュンヒルデは処断されるだろう。
しかしながら……他にどうすれば良いのか、ブリュンヒルデには考え付かなかった。それに、本当の意味で騙す相手は兵士くらいである。国民や皇帝がわざわざ戦場まで事実を確認しに来る事は無い。ブリュンヒルデが愛しているのはこの国そのものであって、特定の個人に熱烈な愛を抱く事は今まで一度とて無かった。帝国に栄華をもたらす為なら、自分一人が手を汚すのもまた世界の摂理に則った高貴なる自己犠牲の義務ではなかろうか。
それにブリュンヒルデは、捜索活動を行なった実績が評価された事が切っ掛けとなって豪華な部屋を得るに至った。これを皮切りに、他のMAID達の地位向上の足掛かりを作れるならば、真実さえ明るみに出なければこれ程までに確実な遣り方も無い。
――そうよ。私は悪くない。自らの矜持を貫き通しただけよ。
303が数多のMAIDを死に至らしめ、人斬りが社会を脅かし。そうした混乱を生き抜く為ならば、何が真実で何が虚偽であるかなど、さほど重要ではない筈だ。己もまた、この未曾有のG災害の犠牲者であると云い聞かせた。
親衛隊の情報である、逮捕された工作員。参謀本部の主張する、拉致された研究員。両者が符合するならば、人斬りは間違いなく参謀本部の子飼いだ。会議でも前線基地でも、金髪のMAIDを見掛けなかった。それが何よりもの証拠だ。彼らは用心深く、その懐刀を何処かに隠しているのだ。いずれ尻尾を見せたら捕まえてみせよう。真の英雄とは、群衆の眼前にて悪を討ち取るものである。認めさせてやろうではないか。
しかしまずは、相手に否応なしに「強い」と思わせないといけないのだ。この国が、より良くなる為には。明日の朝には、定期点検が控えている。その際、技師に色々とコツを教えて貰うとしようか。この計画が表沙汰にならない程度に。
1938/7/11
他国のMAIDに比べ、私のG討伐数はあまりにも少ない。
理由は、私のコアは短期決戦型だからだ。
出力こそ高いものの、長期間の戦闘では疲れやすいのだと、担当技師が云っていた。
ならばと思った私は昨日の出来事を踏まえ、やはり幾つかのGの死骸を自己申告で討伐数に加える事にした。
普通の兵士なら、そんな事をしたら懲罰房行きになる。
でも私はそうはならない。
陛下は救出作戦の件で、私を誰よりも大切な存在と云って下さった。
それに昨日だって。私を、帝国の誇りであると。
私が日記を付けている事を、ご存じなのは陛下だけ。
日々犯し続けてきた罪の記録は、此処にしか無い。
そして、私の部屋の鍵は、私にしか開けられない。
この首を取られない限りは、誰にも開けられはしない。
よって、陛下が私の日記をご覧になる事は勿論、それ以外の誰かに見られる事も無い。
事実が明るみに出なければ、誰も損をしない。
誰かの討伐数が、私の討伐数に移し替えられているのではなく。
一つの残骸から二重に数えられているなら、この国全体の討伐数の増加に繋がる。
実際に強くなって、その討伐数が充分可能だという事を証明してしまえばいい。
皆の信じる“軍神”を演じ続けるには、必要な犠牲……。
あの残骸全てが私の戦果になってしまったのは、きっと情報の伝え間違いだ。
だから私は、悪くない。
この日記を書きながら、何度も呟いていた。
最終更新:2013年09月19日 22:15