(投稿者:神父)
泥濘がその足を止めようとするのは何も人間側だけとは限らない。
Gもまた、頼りない足場のために移動速度を激減させていた。
そして互いに身動きが取れない時、ものを言うのは腕の長さなのである。
「PaKを喰われたのは痛かったな」
砲兵中隊の長、ギュンター・ホルバッハ大尉は接近しつつある
タンカーを忌々しげに見つめ、言った。
PaK―――
PanzerabwehrKanone、すなわち対戦車砲である。
88mm徹甲弾はタンカーの甲殻を容易に貫徹しえたが、曲射弾道で撃ち出される酸から牽引式の砲が逃れる術はなかった。
これが突撃砲であれば機動力を活かして退避する事もできたろうが、いかんせん装軌車両の生産数が追いついていないのだ。
撃ち合いとなればろくに装甲もされていないPaKが焼き熔かされるのは時間の問題となる。
いい加減くたびれた旧式砲を処分できてせいせいしたという思いと、この窮地をいかにして脱するかという焦りが彼の中で渦巻いていた。
「大尉、ウォーリアと
ワモンの一群がこちらへ向けて前進しつつあります」
「どうしろと言いたいんだ、トーン中尉? 我々は下がるぞ。あれの相手をするのは俺たちの仕事じゃあない」
「しかし、突破を許すなどと……」
「突撃銃だけで奴らとやり合いたいのか、中尉? 我々の手元にあるのはそれだけだぞ」
「
UzF150があるはずです。あれならば奴らを食い止められるでしょう!」
「それがないんだ」
ペーター・トーン中尉の口が見事なOの字を描いた。
「は?」
「ないんだよ。装備を数えていないのか? 奴らを一匹仕留めるのに一発必要だ。現状、まったく足りん」
「……ならば、仕方ありませんね」
「物分かりがよくて結構。ツィー・ファウストは遅滞戦闘で使おう」
「諒解しました」
「ぼやぼやしている暇はない。とっとと引き揚げるぞ。タンカーを四匹も仕留めたんだからな、もう充分だろう―――」
プロペラ音に似た音が彼らの耳に届いた。
はっとして空を見上げると、彼らをめがけて数匹の
フライが降下しつつあるのが見えた。
「くそったれめ、こんな時に―――」
ミリテーアヴァーゲンの後部座席に座る機関銃手が泡を食って
MG42-45Vを構え、猛烈な勢いで撃ちまくった。
初撃を受けたフライが真っ二つに引き裂かれて山肌へと落ちていったが、残りは素早く散開した。
「森の中へ退避しろ! 奴らは図体がでかい、中へはそう簡単に押し入れんはずだ!」
命じられるや否や兵士たちはケッテンクラートや
R120といった小型車両に飛び乗り、あるいは自らの脚で手近な森林へと駆け込んでいった。
ギュンターが地上を見ると、突出したウォーリアとワモンの群れが両翼の砲兵部隊から榴弾の雨を浴びせられていた。
手足が千切れ飛びながら、しかし彼らはなおも前進を続けていた。
地上と空中の両方に対処しなければならないとなると、生き残れるかどうかは非常に怪しい。
「いかんな……」
一度散開したフライは再び彼らの元へと向かいつつあり、このままでは追い詰められる事は必定であった。
無論、この砲兵中隊を殲滅したところでGが戦線を突破する事はできないだろう。
だが彼にとっては部下を生き延びさせる事が仕事であり、また自分も生還せねばならないのだ。
彼についてきていたペーターが、ふと樹冠の上を透かし見るようにして目を細めた。
「大尉、あれは、あの音は……」
急降下制動板が立てるけたたましい共鳴音が、一帯を圧するようにして近付きつつあった。
何度聞いても慣れる事のできない、恐怖と歓喜を同時に引き起こす絶叫だ。
「来た……来たぞ、ジレーネだ!」
彼らの救い主が、その上空へ時速500kmで急降下しつつあった。
上空から、地上高度すれすれを飛び回るフライへ向けて三発。駐退復座機越しに、重い反動が
イェリコの腕を痺れさせる。
榴弾が薄い甲殻を半ば以上貫きながら破砕し、うるさいハエはわずか二秒で消え失せた。
高初速かつ長射程の対空砲はフライを撃墜するにはもってこいの兵器だし、タンカーや
ヨロイモグラなどの重甲殻を貫徹するにも役立つ。
イェリコはそう言って愛用しているのだが、それに同意する空戦MAIDにはついぞお目にかかった事がない。
共同作戦で翼を並べたルフトヴァッフェの面々も、フライには刀剣で対処すべしの一点張りであった。
彼らは、銃撃が当たらないなら懐へ飛び込んで斬りつければいい、と主張した。
イェリコは鼻を鳴らし、
銃が当たらないならもっと高初速で、もっと長射程で、もっと危害半径の広い
砲を使えと言った。
加うるに、銃撃すら当たらぬ相手をどうやって斬りつけているのか、銃を扱うための訓練が足りないのだろう、と。
しかし、現代戦において射程は重要な要素であり、また空戦MAIDには対地攻撃能力も求められるのだとまで言っても、納得するものはいなかった。
結局その作戦での対地戦闘は彼女の独壇場となってしまった事を思い出し、「軟弱な」と苦々しげに吐き捨てる。
とはいえ、彼女は単に運が悪かったのだ―――ルフトヴァッフェの中でも精鋭でもなんでもない、二線級の部隊と共闘したのだから。
有名な赤、黒、白の三部隊ならば、彼女の主張を理解するものもあったかも知れない。
だが、彼らとイェリコたち、すなわち帝都防空飛行隊の両方を必要とするような危機的な状況はいまだ発生していなかった。
―――そして無論、これから先もそのような状況は発生するべきではない。
「……私は、私のやり方を通すだけだ」
セレクタ・レヴァーを操作し、徹甲弾を薬室に装填する。地上に激突するまでそれほど時間は残されていない。
視界の中央に収めたウォーリアの群れに真っ直ぐ砲身を向ける。彼らは榴弾の雨を奇跡的にかいくぐり、逃げ遅れた兵士たちへと突進していた。
保弾板一つ分、六発の徹甲弾が直上からウォーリアたちを撃ち抜き、その体躯を八つ裂きにした。
兵士たちの安全を確保するとイェリコは飛翔翼を下へ向けて急減速し、しかし速度を殺し切らずに樹冠へと突っ込んだ。
生木が裂かれる凄まじい音が轟く。
「何だ、何が起きたんだ!」と直下で慌てふためく兵士に手を振ってやり、彼女はめり込んだ義足を幹から引き抜いた。
樹木を制動に使ったのである。コアエネルギーの節約になると彼女は主張するのだが、これまたルフトヴァッフェの面々からは不評だった。
あまりにも粗雑すぎるし、空戦MAIDらしいやり方ではない、と言うのだ。
無論、彼女は鼻を鳴らして不満を表明しただけで、まともに相手にはしなかったが。
彼女は弾薬箱に手を伸ばして保弾板を交換すると、眼下の兵士に声をかけた。
「そこの砲兵」
「な……なんだ?」
「こちらは帝都防空飛行隊のイェリコだ。近辺に他のMAIDはいるか?」
「帝都防空……ああ、SS飛行隊か。―――もう一人いるはずなんだが、今はどこにいるかわからん!」
「ふむ」
イェリコは顎に手を当ててしばし考え込み、そしてもう一度質問した。
「砲兵、そちらの被害は?」
「PaKを四門喰われた。タンカー相手だから仕方ないとはいえ、なんとも不甲斐ない話だ」
「よしわかった。ならば私が前に出ても君らの仕事の邪魔にはならんという事だな」
「なんだって?」
お前は一体何を言ってるんだ、という顔つきの兵士をよそに、彼女は翼を再展開して身体を沈み込ませた。
「倒れるぞ、気をつけろ! ―――戦友、幸運を祈る」
半ばほどまで裂けた樹木からイェリコの身体が水平に飛び出し、同時にその根が反動で掘り返された。
樹齢数十年を誇ったであろう大木はあっけなく引き倒され、周囲の木々を巻き込んで落下した。
その兵士が我に返った時、すでに周囲にGの気配はなく、ただはるか遠くに砲声が轟くばかりであった。
はるか右方、恐らくは20kmほどの距離から、ロケット榴弾砲が一斉に着弾する轟音が渡ってきた。
今の一撃でどれほどのGが屍を曝しただろうか。樹冠をかすめるようにして飛びながら、イェリコは弾薬箱の残量を検分する。
残弾はおよそ半分。地上目標を相手にする機会の方が多いため、徹甲弾の減りが早いのはいつもの事だ。
十分ほど前に突入した中央付近のGはすでに殲滅し終え、友軍が優勢な右翼は放っておき、今は左翼を回っている。
この時点ですでに相当な数のGを撃滅しているのだが、彼女にとってはまったく喰い足りなかった。
「後送などされるものではないな」
後上方からフライの群れが接近しつつあるのを確認し、苦々しげに呟く。
幾度となく負傷を重ねている彼女の身体のコンディションはお世辞にもよいとは言えず、それを知った皇帝から何十度目かの治療命令が下ったのだ。
無論戦争狂たる彼女は何十回にわたって拒否あるいは無視して出撃を繰り返していたのだが、
ついに業を煮やした皇帝の勅命を受けたSS隊員が彼女の寝込みを襲ってはるか後方の病院へと担ぎ込んだ。
目を覚まし、自分のいる場所が戦場ではないと知ったイェリコが怒り狂ったのは言うまでもない。
しかしわざわざ病室を訪れてまで自分の身を大事にしろと懇々と諭す皇帝や懸命に治療に励む病院のスタッフに暴力を振るうわけにもいかず、
結局二週間近くにわたって逃げ出す機会をうかがっていたのである。
イェリコは、脱走した事で陛下は気分を害されているだろうか、と思ったが、より大きな戦果を挙げれば納得して頂けるだろう、と考え直した。
いや、考え直したと言うよりは自己欺瞞に走ったと言うべきだろう。
彼女はすでにかの鉄壁に迫らんとする戦果を挙げ、それでも皇帝は納得していないのだから。
皇帝の首を縦に振らせたければこの世からGを一掃する他にはあるまい。しかしそれは同時に血に飢えた彼女が行き場をなくすという事でもある。
……イェリコは思考を中断した。これ以上考えても益はないし、それ以前に戦闘に集中しなければならない。
後方100mほどにフライが5匹。
いずれもイェリコよりも優速であり、じりじりと距離を狭めつつあった。
彼女の飛翔力はフライより格段に劣っている。爆撃機並とすら評される鈍足だ。
「空を飛ぶ」事を重視するルフトヴァッフェが彼女を軽んじるのも無理はない。
しかし彼女は、航空兵器というものが本質的に火力運搬者であるという事を知っていた。
だからこそ、この巨大な高射機関砲を使い続けているのだ。
「下等動物め。教育してやる」
セレクタを榴弾にセットして初弾を装填すると、彼女は身を翻して機関砲を中央のフライへと向けた。
彼女の動きが何を意味しているのか知る由もないフライたちは何の能もなく飛び続け、榴弾をまともに浴びた。
危害半径、すなわち10m以内にいた3匹のフライの甲殻に飛散した弾殻が突き刺さり、難を逃れた残り2匹も第二射で撃墜された。
直撃を受けた2匹はその場で四散し、破片を浴びた3匹はもはや身動きすら適わず、急速に山地へと落下していった。
下には友軍の
害虫猟兵がいる。止めを刺すために砲撃すれば彼らにも被害が及ぶだろうし、たまには戦果を譲ってやるのも悪くはない。
(フライ 3 抵抗能ハズ 仕留メラレタシ )
減速し、彼女を見上げる猟兵に向かって手信号を送る。
(諒解 『ジレーネ』ニ感謝 幸運ヲ)
指揮官と思しき将校が自ら手信号を返してきた。
彼女がここにいる事をまったく不審に思っていないようだ―――それを言えば、わざわざ迎えを出した中央軍集団の司令もそうだった。
どうやら彼女が脱走したという知らせは、予想外に早く戦線に達していたらしい。そして、誰もがその吉報を歓迎している。
彼女は手を振って猟兵たちに別れを告げ、残り少なくなったGを掃滅すべく山脈の南へと、奥深く踏み込んだ。
この日の戦闘は終わりに近づいていた。彼女がいてもいなくても、兵士たちは押し寄せたGを撃破した事だろう。
彼女が軽率だったと責める事はできない。
彼女は戦闘が終わる間際まで警戒を厳にするのが常であったし、それに従って周囲のGはすべて撃滅されていた。
過去に幾度かの誤射も受けていたが、無論、背後にそのような事をしでかしそうな友軍がいない事も確認済みだ。
だが彼女とて、意図的にその身を隠し、彼女を狙撃する者がいるなどとは考えなかったのだ。
そして悪意と共に撃ち上げられた高射砲弾が脇腹で炸裂し、彼女の身体はおびただしい量の血を吐き出した。
「誤、射―――?」
6年の経験を積んだイェリコは、しかし前線にしかいなかったためにいまだ疑う事を知らなかった。
榴弾の直撃を受けた彼女は、また私をGだと思い込んだ馬鹿者がいたのか、まったく頭にくる、などと考えながら落ちていった。
制御を失った彼女はなす術もなく山肌に激突し、そして、後には長い静寂が残された。
最終更新:2009年01月06日 22:41