ハリコフ危機


ハリコフ危機
Halkiu Crisis
  目次
  1.概要
  2.戦争の背景
  3.開戦
  4.開戦後の推移
  5.終戦
  6.影響

  概要
戦争: ハリコフ危機
年月日: 198年5月
場所: ハルキウ上空
結果: アークランド軍事統制国の事実上の勝利
交戦勢力
モスクワ側 アークランド側
モスクワ共和国
アークランド軍事統制国
ハルキウ危機は198年5月にモスクワ共和国の無人偵察機がアークランド軍事統制国の領空を侵犯し、これに対しアークランド側で最終試験中の迎撃機が対応するも、これに更に反応したモスクワ側の戦闘機がスクランブル発進を行い発生した一連の出来事である。

  戦争の背景
軍国主義を掲げるアークランド軍事統制国とナチズムを標榜するモスクワ共和国の関係は互いに同一の組織(OFC)に所属するにも関わらず、非常に冷え切っていた。アークランドはモスクワ帝国における以前の革命や軍事クーデター(モスクワ革命)にて共産主義、その他危険思想の輸出の阻止を目的として国境を封鎖。この状況下において某帝国によるモスクワ帝国への大規模な介入が行われモスクワ帝国はモスクワ共和国という名のファシズム国家として新たな歩みを進めることとなった。
A-14短距離空対空ミサイルとA-13長距離空対空ミサイルを搭載したTa-12とモスクワ共和国の無人偵察機UAV-M03

  開戦
198年5月11:31、ハルキウの防空レーダーが識別不明の航空機が国境に向け飛行していることが確認された。当初はレーダーの不具合かと思われたが、レーダー反応が領空に更に近づいたため、報告を受けた北東部航空指揮センターは急遽、新たに配備されたばかりの迎撃機Ta-12、4機が臨時で編成されこれに当たった。11:41、マッハ2で飛行するTa-12、4機が目視で識別不明機を確認できる距離まで近づいた。
Ta-12のコックピットから撮影されたモスクワ共和国の無人偵察機UAV-M03

  開戦後の推移
   ハルキウ危機
12:05、アークランドの防空司令部は識別不明機の撃墜を許可し、四機の内一機が短距離空対空ミサイルを発射し、機の撃墜に成功した。この撃墜許可には四機が臨時で回された機体だったため、搭載燃料の底が見え始めていたという背景もある。12:43、アークランド側が本事案を大々的に発表、モスクワ共和国を公然と非難した。これに対しモスクワ共和国は国境付近でのアークランドの軍事行動を理由に武装したMAF-02戦闘機をスクランブル発進させ、更にこれに対しアークランド側もIar-17戦闘機などを出撃させた。
モスクワ側の戦闘機を追うTa-12(左側)とIar-12(右前、右奥)
   ××の戦い
モスクワ、アークランド双方の戦闘機がハルキウ上空で旋回し互いの後ろを奪ろうと激しい睨み合いが続いた。これらの事態は双方の政府のみならず国民も巻き込んだ騒動へと発展し、モスクワ内戦以来程にまでその関係は冷え込んだ。

  終戦
両国の戦闘機が睨み合いを開始してから一週間程度が経過した後、モスクワ共和国側が戦闘機を撤退させ、アークランド側に謝罪したことで本事案は一旦の幕を降ろした。

  影響
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このハルキウ危機は戦争一歩手前の段階で踏みとどまり幕を下ろしたが、モスクワ共和国・アークランド軍事統制国両国の関係は過去最低に冷え込み、のちに発生する東方戦争へと繋がる。
影響の写真の説明です。



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最終更新:2025年07月13日 05:10