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第一次ハニカム内戦・ハニカム移転戦争


第一次ハニカム内戦・ハニカム移転戦争
Shirk Honey Road War
  目次
  1.概要
  2.戦争の背景
  3.開戦
  4.開戦後の推移
  5.終戦
  6.影響

  概要
戦争: 第一次ハニカム内戦・ハニカム移転戦争
年月日: 225年5月21日 - 225年9月19日
場所: 旧ハニカム公国領
結果: ハニカム公国軍残党(新覇仁漢武帝国軍)の勝利
交戦勢力
旧公国軍残党(新覇仁漢武帝国軍) 片手斧の騎士団(ハニカム新政府)
旧ハニカム公国軍残党 片手斧の騎士団
モスクワ(帝国の鷲)
ハニカム領内では二度の東欧大戦による焦土化やそれに伴う深刻な経済危機、ハニカム退化・帰還主義者の台頭と連邦政府による武力鎮圧が国民の我慢の限界を超え、ハニカム社会主義共和国連邦は事実上の崩壊を迎えた。無政府状態となったハニカムの新たな支配者は以前から勢力を伸ばしていたファシズムを掲げる新興勢力「片手斧の騎士団」である。元ハニカム連邦軍人ニコライ・ベリーヤ率いる「片手斧の騎士団」はまず、ハニカムの歴史として対立を繰り返していたモスクワの中でも最大派閥である「帝国の鷲」と友好条約を結んだ。これは不安定な政権同士での団結とハニカム、モスクワ間での恒常的な平和がもたらされる事を目的としたものであった。しかし、これが後にハニカム全土を巻き込む内戦へと繋がることになるのである。

  戦争の背景
第二次東欧大戦終戦後、旧ハニカム公国派のウラジーミル・ミツナチョフは全世界に散らばった公国軍残党に対し、国内政治の不安定さとハニカム領への帰還を訴える内容の電報を送った。2日後、ほとんどの派閥の反応は行動に対して消極的なものであった。しかし、東アジアの残党「パンダル」はすぐに行動を開始するという内容をミツナチョフに対し送ったのである。当時のパンダルの代表であり、元公国軍人の蜜・熊蜂はパンダルの拠点であった東アジア空白地帯に最小限の戦力を残し、旧ハニカム公国時代の超大型兵器達を故郷へと帰還したのである。
パンダル軍が運用する旧ハニカム公国時代の爆撃機BEE-29

  開戦
片手斧の騎士団が率い、モスクワの帝国の鷲が支援している新政府はパンダル軍接近中との報告を受けた。当初新政府は対話による解決を図る為、接近するパンダル軍にヘリコプターを用いて接触。しかし、パンダルは対話を拒否した上で政権を暴力を用いて掌握を宣言し、新政府軍に対して宣戦布告をしたのであった。その後約3時間後に本土に到達したパンダル軍はハニカム東部のコッカーブ州を占領した。これに対してモスクワの帝国の鷲は新政府との条約に基づき、パンダル軍事部に対して宣戦布告。ハニカム内戦が始まった。
新政府が掲げた旗

  開戦後の推移
   コッカーブ奪還作戦
モスクワ・ハニカム新政府連合軍はコッカーブ州奪還を目的とした戦闘を開始し、爆撃機によるコッカーブ市絨毯爆撃作戦を決行した。パンダル側に多数の死者を出したものの、大きな損害とはならなかった。ハニカム側は更に攻勢を強め、AMUによる強襲攻撃によりモスクワ・ハニカム新政府連合軍に大打撃を与えた。
進軍するパンダル軍
   ポラリス陥落
コッカーブ州から更に北西に進軍したパンダル軍はモスクワ・ハニカム新政府連合軍にとっての命綱であるモスクワ本国からの補給網を破壊した。これにより各地で連合軍は降伏し残るは政治の中核であり、新政府軍本部基地ドゥーべがある首都ポラリスのみとなった。このとき既にモスクワの帝国の鷲は単独でパンダル軍と講和し全捕虜が返還された後であった。パンダル軍は首都ポラリスを完全に包囲したものの、新政府軍は徹底抗戦の構えを見せた為にパンダル軍は掃討作戦を開始。新政府軍は壊滅状態となった。

  終戦
パンダル軍は新政府臨時大総統ニコライ・ベリーヤ含め、主要新政府幹部を拘束し翌朝民衆の目の前で銃殺刑に処した。そしてその場でハニカム移転を民衆に訴えかけた。これにより、第一次ハニカム内戦の終戦とハニカム移転の宣言がなされたのである。
ベリーヤ達が処刑された新政府軍本部ドゥーべ

  影響
ハニカムは「全国民徒歩移転」を掲げ、飢饉に苦しみながらも第二の故郷として東アジア空白地帯へ到達。蜜・熊蜂を皇帝とする新たなクマ国家大覇仁漢武東亜帝国の建国が宣言されたのである。
大覇仁漢武東亜帝国旗



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最終更新:2026年08月04日 00:37