ガルシア合衆国南北戦争 Civil War | ||||
| 目次 | ||||
| 1.概要 2.戦争の背景 3.開戦 4.開戦後の推移 5.終戦 6.影響 |
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概要 | ||||
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| 戦争: ガルシア合衆国南北戦争 | ||||
| 年月日: 統一歴212年2月2日 - 213年3月4日 | ||||
| 場所: ガルシア合衆国 | ||||
| 結果: 合衆国の崩壊 | ||||
| 交戦勢力 | ||||
| 南部軍 | 北部軍 | |||
| 勢力名:ガルシア南部軍 | 勢力名:ガルシア北部軍 | |||
| 国名:イタリア王国 | 国名:ゲルマニア | |||
| ●新興共産主義勢力 | ||||
| 勢力名:ガルシア共産軍 | ||||
| ガルシア合衆国は多文化多民族国家であるがゆえ、民族間での争いが絶なかった。遂にその溝が決定的になり発展したのが戦争が本南北戦争である。 | ||||
戦争の背景 | ||||
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| 多民族国家ゆえ、意見が湧かない合衆国国であったが、歴代大統領はこれを上手く統治してきた。しかし歪みというものは抑えてれば綺麗に治るものではなく、歪みが増してゆくものである。 | ||||
| 団結と平和を表すガルシア合衆国国旗 | ||||
開戦 | ||||
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| ガルシア合衆国議会にて南北両勢力の公聴会を行うも、南部側の青年が大統領へ発砲するも失敗。しかし北部側はこれを宣戦布告と捉えて、即日全土で交戦が開始された。多くの交戦は武器を持たない農民同士や住民らの小規模な殺し合いだったが、後々の軍事介入や両軍の州兵投入に伴い、大規模な殺戮へと発展してゆく。 | ||||
| ケンタッキー州農村地区にて初接敵した北部軍戦車 | ||||
開戦後の推移 | ||||
| 第一次チャールストン要塞攻防戦 | ||||
| 南部軍チャールストン要塞にて南北軍の大規模な交戦が行われた。補給結節点及びその防衛を担うチャールストン要塞を奪取するため、北部軍により毒ガス攻撃の後に大規模な攻撃が行われた。この攻撃により南部軍はチャールストン要塞を放棄し敗走。 | ||||
| アトランタの戦い | ||||
| 泥沼化した南北戦争打開のため、南北軍が総力を上げてアトランタにて交戦した。結果、北部軍が南部軍中央集団に大打撃を与えるも、南部軍航空戦力によりアトランタ北軍司令部が爆散。指揮系統が麻痺し北部軍は敗走。この戦闘により北部軍第二防衛軍指揮官が死亡。後々テネシーの失敗につながる。 | ||||
| 第二次チャールストン要塞攻防戦 | ||||
| 北部軍により占領されたチャールストン要塞破壊・奪取を目的とした交戦。早朝から準備砲撃が行われ、第一〜三要塞のうち、三番要塞の弾薬庫に命中し爆散。その後日の出と共に南部軍が強襲し、三番要塞から内部へと傾れ込み要塞を占領。北部軍は一番要塞を死守するも、包囲され降伏。一部は森に連行された後消息不明となった。 | ||||
| テネシーの戦い | ||||
| 共産党軍との戦線を築くまでの時間稼ぎを行うため、テネシー中央部を要塞し、南部軍を迎え撃つもすでに消耗し切った北部軍は資材不足や指揮系統の麻痺から要塞建築が間に合わず。未完の要塞にて死守命令を受けた北部軍テネシー守備隊が全滅するという悲惨な結果となった。 | ||||
終戦 | ||||
| 南部勢力と西部共産党軍との2正面作戦に陥った北部軍は欧州へと逃亡。オーストリアハンガリー地域へ難民として離散した。 | ||||
影響 | ||||
| 南部軍がワシントンD.C.を奪還するもすでに国家機能は瓦解しており、立て直しを図るもの後日共産党軍の宣戦布告や新興勢力の誕生により合衆国は軍閥国家へ分裂。常に勢力間での派閥争いが絶えぬ無法地帯化とした。 | ||||