ミラン戦争

統一歴140年8月15日から11月11日にかけて、ミノリニア王国モーリンバロタ独立皇国からなる連合軍とアイゼルネ=アルギニア国との間で行われた戦争。

ミノリニア王国児童集団失踪事件と南ホサキ港不審船砲撃事件

児童集団失踪事件

 統一歴140年8月15日、ミノリニア王国南ホサキ特別区において、区内の児童20人が夜明けと同時に行方不明となっていることが発覚。警察の操作により、外国人と思われる複数の不審な成人男性が複数の防犯カメラに記録されていたことを受け、同日12時に同区の封鎖に至る。
 南ホサキ特別区はシンガポール海峡を目前に控えたシンガポール島において、最大となる商港である南ホサキ港を有する地区であり、同区の完全封鎖は外国船舶の出港をも制限する異例の決断であった。

南ホサキ港不審船砲撃事件

 15日22時頃、南ホサキ港停泊中の船舶を臨検していた海上警備隊が不審船を拿捕。同船から集団失踪事件の被害者と思われる子供20人が保護され、ビザ期限切れで指名手配されていた在ミノリニアアルギニア人3人が逮捕されるも、直後に沖合の国籍不明船舶による砲撃によって大破。
 直後、ミノリニア王国海軍よりシンガポール海峡を航行中の船舶に即時停船命令及び防衛出動が発令。

16日12時時点のミノリニア海軍部発表
南ホサキ湾における不審船砲撃事件(統一歴140年 8/16)【ミノリニア国営放送】

15日22時に発生した不審船砲撃事件の被害は下記の通りです
ミノリニア王国海上警備隊巡視船「キルヒホッフ」:大破着底
ミノリニア・シー・パイプライン公社石油タンカー「クレタケイン」:自力航行不能

死者:タンカー乗員1名 巡視船乗員2名 集団失踪事件行方不明者1名 

現場付近では重油の流出が確認されているため、南ホサキ港が全面的に閉鎖されています。 
また国家非常事態宣言は解除されましたが、ミノリニア海軍による海上警備行動が発令されており、シンガポール海峡では航行制限と臨時検問が行われています。  

開戦までの経緯

わずか48時間の交渉

 8月16日午前に、ミノリニア王国ダーオルング外務大臣がアイゼルネ=アルギニア大使館へ「先日我が国で起きた一連の惨事では、尊い5人の命が失われた。中には子供も含まれている。当然のこと心当たりがおありかと思うが、どう弁明されるおつもりか」と抗議するも、アルギニア国際関係対策委員長ヴィルヘルム・オットーは「一連の事件に関与したといった事実はない。」と一連の問題に関する関与を否定。
ミノリニア外務省は、アイゼルネの回答わずか3時間後に、砲撃事件に関する映像とアイゼルネの機密文書の一部を公開し対抗するも、「文書の確認が取れなかった」として、依然アルギニアは関与を否定した。。
(この機密文書の出処について、一時陰謀論が盛り上がったが、ミノリニア会場警備隊の発表で不審船拿捕時に押収したものと判明している。)
 この映像および機密文書公開を受けてなおもアルギニアは関与を否定したため、未王国外務省は同日中に機密文書の全文と集団拉致容疑者の在未藍人の証言の公開に踏み切る。

・Km第5報(7/21 20:33)
M方面ハーメルンの笛吹きへ通達

1:Kmに使用するAdamsの不足が深刻である。ついてはMより20程早急に確保せよ。
 小魚はM-221.8139より8/15 21:46に出発し、先導として1匹の鉄砲魚を派遣する。

2:Adams対象は3年物以下に限り、有事の口封じは許可する。

5:Adamsの一時保管庫としてM-411.6621を指定する。

4:光に露出した場合はM-411.6621を抹消の上、Km第3報に基づき対処せよ。

諸君の検討を祈る。

 アイゼルネ本国はこの発表を受けてなお黙秘を続け、全文公開からわずか3時間後かつ砲撃事件からわずか24時間後に、ミノリニア王国軍総司令部と外務省はアルギニア国に対し「武力行使も視野に入っている」と通達を行った。

 この通達以降、アイゼルネ側より新たな接触が24時間以内に行われなかったため、ミノリニア政府と王宮省は17日23時、宣戦を布告。通達以降、初めてとなるアルギニアの回答は宣戦布告の受諾であった。

以下ミノリニアの開戦理由
・未だアイゼルネ=アルギニア国内に拉致監禁されているとみられるミノリニア人の救助
・アイゼルネ=アルギニア国による非人道的な実験の恒久的な阻止

↑連合軍の攻略目標であったアイゼルネ心理学研究所。

ミノリニアの戦争準備

 砲撃事件より宣戦布告までの48時間、ミノリニア王国軍では開戦を前提とした急ピッチの出動準備が行われていた。
 16日午後時点で、砲撃事件が発生した南ホサキ港を母港とする、ミノリニア海軍で唯一対外戦力投射能力を持つ第3艦隊所属の駆逐艦がシンガポール海峡上の第3艦隊集結地点へと出港する。当時最新鋭であり、ミノリニア海軍初の航空母艦ヴァレンシアも出港準備を行っており、同じく当時最新鋭機であったMF/A-3B戦闘攻撃機の積み込みを行っている。
 MUD(翠海造船)北ホサキ事業所では、艤装中であった強襲揚陸艦オーウェンが南ホサキ港へ向け回送されていた。
↑出港するミノリニア海軍第三艦隊

↑着底した巡視船キルヒホッフ横を通行する航空母艦ヴァレンシア。

 宣戦布告の2時間前となる17日21時時点で、アイゼルネ=アルギニア国遠征部隊がシンガポール海峡での集結を完了する。

以下参加部隊
+ ...
海軍司令部
  • 作戦総司令隊
 SM-MSX25
  • 救難艦隊
 潜水艦救難艦たかちほ

海軍第3艦隊
  • 第2空母機動艦隊
 空母ヴァレンシア
 第2空母航空団
  • 第3空母機動艦隊
 空母ヴィクトリア
 第3空母航空団
  • 第1強襲揚陸艦隊
 強襲揚陸艦オーウェン
 強襲揚陸艦デューラス
  • 第2強襲揚陸艦隊
 強襲揚陸艦EWドウシュウ
 強襲揚陸艦ワイラウェイ
  • 第7駆逐艦隊
 駆逐艦ジョウト
 駆逐艦ホウエン
  • 第8駆逐艦隊
 駆逐艦シンオウ
 駆逐艦イッシュ
  • 第9駆逐艦隊
 駆逐艦ランドール
 駆逐艦ヴォルドール
  • 第2潜水艦隊
 SM-MSX24

陸軍第4師団
  • 第5普通科大隊(オーウェン)
  • 第5戦車大隊(デューラス)
  • 第5航空大隊(ドウシュウ)
 ・第51航空中隊
 ・第52航空中隊
  • 第2特務強行偵察大隊(ドウシュウ)

陸軍第2独立混成旅団
  • 第7普通科大隊(ドウシュウ)
  • 第1強襲揚陸大隊(ワイラウェイ)

王立特務親衛隊
  • ガルスタン歩兵隊(ワイラウェイ)


空母×2
強襲揚陸艦×4
駆逐艦×6
潜水艦×2
潜水艦救難艦×1

MMT1ver24戦車×18
RAH-58強襲ヘリコプター×4
MUH-1汎用ヘリコプター×4
MOH-1偵察ヘリコプター×2
MFAV-1歩兵戦闘車×積載可能重量まで
LUAV装甲車×積載可能重量まで
トラック×積載可能重量まで

MF/A-3B戦闘機×24

モーリンバロタ独立皇国の参戦

 8月16日時点で、モーリンバロタ国内の新聞にて、ミノリニア-アイゼルネ間の戦争に支援する法案に関して報道される。
 ミノリニア王国との古くからの同盟国であり、対ヒトラント戦線や四月蜂起にて共同戦線を張ったモーリンバロタ独立皇国と、ミノリニア王国の退役将官間では四月蜂起の頃よりある種のパイプがあり、ミノリニア退役将官から連絡を受けた杜国退役将官が、現役時代の部下(現在は昇進し将官)に情報を伝え、退役軍人会にも情報を流すことで所謂国防族議員に働きかけていた。
 国防族議員は国際社会からの同意を得やすく、かつメディアを煽って民意を参戦同意に傾かせることが可能と判断し、国会でミノリニア支援特別法案を発議。
 国会は軍の意見を求め、軍は表向きには同盟国を助けることであり、かつ貴重な経験を積むことが可能であるとして賛成。当初国会では参戦慎重論が多数を占める中、某議員が「我らは善にして義なる者である」旨の発言をし、その後賛成多数で可決。休息派遣艦隊の派遣が決定される。モーリンバロタ軍としては、戦時予算による装備の更新を狙う意図が少なからずあったことも報じられている。
 これにより、政府、軍は参戦に舵を切り、プロパガンダにより世論を参戦へと傾けさせた。

#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (33.png)
↑出港中のモーリンバロタ独立皇国海軍急速艦隊の駆逐艦。

以下参加部隊
+ ...
欧州方面派遣艦隊
皇国第五艦隊 LPD-13 ヴォルトゥン
       DD-115 ヤムヘル
       DD-121 ベスルド
       FF-11 マイアバイ
皇国第12艦隊 FF-3 イラマニル
       FF-5 ウェミトス
       FF-6 グバライ
       DD-119 ネイアザ
       DD-120 トナウル
皇国第六艦隊 LPD-16 ユスティウヒ
皇国補給艦隊群 第1補給艦隊 AOE-06 ヨセズヌーク
途中合流
皇国第五艦隊 BC-6  タナティヴィ
       T-ATF-166

計 対地支援艦こと戦艦 1
  ドック型揚陸艦 2
  駆逐艦 4
  ミサイルフリゲート 4
  高速補給艦 1
  艦隊航洋曳船 1
尚、LPDに2隻ずつ搭載されるLCUによって揚陸可能な
装輪戦車8両
装輪装甲車16両
装輪自走対空誘導弾4両
装輪自走迫撃砲4両
トラック類16両
及びLPDに4隻ずつ搭載されるLCVPによって揚陸可能な
高機動車16両
及びをLPDに8隻ずつ搭載されるLCPを含む

 尚、本艦隊は航空能力を有さないが、DD全艦に1機ずつ及びBCに2機、FFの半数に1機ずつ哨戒ヘリを有し、合計8機の哨戒ヘリを有す。
尚、LPDにはヘリコプターの類の運用能力が無い為、搭載していない。

GIUKギャップ海戦

 大西洋上にてミノリニアーモーリンバロタ艦隊が合流後、連合軍として指揮系統及びデータリンク等の再編が行われ、アイゼルネまでの一週間をかけて訓練が行われた。
 データリンクに使用されたC4Iシステムには、四月蜂起で使用された経験や、未軍偵察衛星によるVISSRが使用可能なミノリニア軍で使用されているMHTIN(ミノリニア高速統合戦術ネット)が選ばれた。(モーリンバロタ側とのデータリンクには、急遽航空機用の軽量小型データリンクが使われ、後にモーリンバロタ側にも整備された。)
 強襲揚陸艦を含むミノリニア艦隊の一部がイギリス海峡ルートを取るため離脱した3日後、9/22にGIUKギャップにて連合艦隊とアイゼルネ艦隊が接触。GIUKギャップ海戦が発生した。

ミノリニア側略報
+ ...
140/09/22 北海上(非公開)
0900 艦隊外縁杜軍艦艇(非公開)藍軍航空機探知
0901 全軍対空戦闘下令
0903 第一波到達
0905 MDDG-116ホウエン右舷に2発被弾
同刻 MCVL-310ヴァレンシアよりCVW-2 VFA-21所属MF/A-3B 2機発艦
0910 ホウエン 機関喪失
0915 第二波到達
0920 MF/A-3B 藍軍艦隊へ攻撃実施 戦果不明
0920 ホウエン 艦橋大破 指揮権を副艦長に委譲
0922 ホウエン 全電源喪失ならびに総員退去下令
0925 全艦に対艦攻撃下令
0930 第三波到達
0935 第二波攻撃実施
0945 MF/A-3B 帰艦
1000 対空戦闘用具収め
1010 ホウエン 沈没
1130 未軍海軍総司令部付艦隊 ホウエン乗員を収容

未軍損害報告
撃沈:MDDG-116ホウエン
小破:MDD-111ランドール、MDDG-115シンオウ

未軍戦果報告
撃沈:藍軍駆逐艦
命中:対艦誘導弾5発

モーリンバロタ側略報
+ ...
9月15日 8時55分 艦隊外縁に位置する皇国海軍艦艇が航空機を探知
同 57分 同艦のESにより当該航空機が亜国攻撃機と判明
同 58分 EMCON解除 レーダ追跡を開始
同 59分 データリンクにより艦隊各艦へ通報
同 9時00分 艦隊旗艦より全艦対空戦闘下令
同刻 同艦のレーダにより敵対艦誘導弾を探知
同 01分 対艦誘導弾に対するSAM攻撃を開始
同 03分 敵対艦誘導弾第1波到達 
同 10分 皇国海軍 DD-115被弾
同 15分 未国艦載機、亜国艦隊をレーダ探知、通報
同 22分 未国駆逐艦、総員退艦発令
同 25分 対艦攻撃始め
同 31分 皇国海軍 DD-121、FF-11被弾
同 32分 弾着予定時刻
同 40分 未国艦載機、亜国艦隊の撤退を通報
同 10時00分 付近空域内目標無し 通報
同刻 艦隊旗艦より対空戦闘用具収め下令
同 10分 未国駆逐艦 MDDG-116 ホウエン 沈没
本海戦での皇国海軍の戦果は駆逐艦 1撃沈、1炎上及び8命中
被害は小破3 殉職19名 重傷者5名 負傷者27名
殉職者は水葬が行われた。

 連合軍側はミノリニア海軍駆逐艦ホウエンが撃沈するも、アルギニア側は駆逐艦撃沈2を含む大損害を受けており、海戦は連合軍勝利で幕を閉じ、アルギニア海軍は連合軍の本土接近を許す結果となった。
 尚、本戦闘についての情報公開が連合軍両国とも遅れた理由として、情報収集を担う未潜水艦MSX-24級の通信能力によるところが大きいと言われている。

↑↓連合軍連合艦隊。撮影日不明、大西洋上にて。

↑対空戦闘中の艦隊右翼。

↑アイゼルネ側のミサイルが被弾寸前のジョウト級駆逐艦ホウエン。後に撃沈。

アイゼルネ上陸戦

 連合軍の最終攻略目標であるアイゼルネ心理学研究所、及び所在するノルデンを目指すため、アルギニア西沿岸部よりノルトダイヒ→ノルデンへと侵攻ルートを定めた連合軍によって2か月弱にわたり繰り広げられた上陸戦。

ユイスト・ボルクム上陸作戦

 9月26日にアイゼルネ=アルギニア国領海内に侵入した連合軍は、ミノリニア空母ヴァレンシア、ヴィクトリアによる東フリースラント諸島への空爆を実施。アルギニア西沿岸部の目と鼻の先となる諸島を無力化したうえで、27日未明に諸島のうち最大の飛行場を持つユイスト島、ボルクム島への奇襲上陸を敢行した。
 ミノリニア王立特務親衛隊と陸軍第二特務強硬偵察大隊によるヘリボーンにより、後続の揚陸艇隊が上陸する頃には飛行場施設の大半は無力化されていたものの、沿岸砲撃陣地はその能力を未だ保っており、揚陸部隊の第一陣は海岸で少なからぬ損害を被る。
 しかし別ルートよりアルギニアへ到着した揚陸艦より投入されたLCACによる機甲戦力の投入により、同日13時には両島の制圧が完了した。
↑上陸せんと接近するモーリンバロタ海軍揚陸艇隊

↑丘上のレーダサイトへ突撃するミノリニア陸軍部隊。

ノルトダイヒ上陸作戦

 ユイスト、ボルクム両島に前線司令部の設置及び上陸戦力、航空戦力の整備を完了した連合軍は、10月8日0900時にノルトダイヒへと上陸した。
先に占領した2島からの強襲はアイゼルネ軍に対応させる暇を与えず、わずか7時間のうちにノルトダイヒが陥落。翌日にノルデンへ侵攻する。

以下連合軍による戦況速報
アイゼルネ本土戦域における戦況速報(統一歴140年 10/9)【ミノリニア・モーリンバロタ連合軍本部】
10/8
0900 未軍強襲揚陸部隊、ノルトダイヒ上陸。同時に未軍戦闘機隊による航空支援開始
1100 杜軍揚陸部隊、連合軍ボルクム臨駐機甲戦力のノルトダイヒ揚陸実施。
1115 航空優勢確立
1200 ヘリコプター隊による近接航空支援へ移行。ヘリボーン開始。
1400 ノルトダイヒ駐留藍軍部隊投降
1600 ノルトダイヒ制圧
1800 本土作戦司令部設置

10/9
1000 連合軍、ノルデン侵入
1200 未軍強襲ヘリ部隊による強行航空支援開始
1500現在 ノルダー・ティーフ川付近で交戦中

ノルデン攻防戦

 諸島上陸からノルトダイヒ上陸まで、電撃的な侵攻を続けていた連合軍であったが、ノルデン攻略戦に突入して以降は連合軍の目標であるアイゼルネ心理学研究所を目前としたノルダー・ティーフ川を挟んで7日間進まず、膠着状態へと陥っていた。

↑照準の先に見据えるのは何か。

ボルクム空襲

 ノルデンより南西約15kmのエムデン空港より、アイゼルネ空軍B-20-15爆撃機2機とMSCL-1戦闘機4機、MSCL-2戦闘機4機で構成された奇襲部隊により、ボルクム島が空爆される。この空爆により、膠着したノルデンへ投入する予定であった第3派の機甲戦力および強襲ヘリコプターの大半を喪失した。
 陸路での搬送、そして民間空港を利用した完全な奇襲により、連合軍は継戦すら危うくなるほどの戦力を失うも、迎撃として出動したユイスト駐留戦闘機隊によって奇襲部隊のうち爆撃機1と戦闘機2が撃墜される。(スクランブル担当はボルクム駐留戦闘機隊であったが、奇襲によって誘導路とハンガーを破壊されていた。)

↑ミノリニア製F/A-3B戦闘爆撃機に捕捉されたアイゼルネMSCL-1戦闘機。

↑ガンつけ合うミノリニア戦闘機とアイゼルネ戦闘機。

エムデン誤爆

 迎撃として飛行したユイストのミノリニア海軍第2空母航空団の戦闘機は、爆装を解除しないまま離陸していたため、奇襲後に離陸した対空装備のボルクム駐留未海軍第3空母航空団の戦闘機を直掩とし、奇襲に使われたエムデン空港への空爆がそのまま実施された。
 この空爆において、空港を外れた弾頭が市街地に落下。本戦争における民間人の最大死傷者数を記録した。
 空母航空団のMF/A-3B戦闘攻撃機に搭載されていたVAGM-1C対空対地両様TNTキャノンは、対空モードと対地拡散砲モードが搭載されており、このうち対地攻撃に使用される拡散砲モードの拡散範囲は、対空モードの約75%と広い拡散範囲を持っており、その最大射程は100bを超えるものであった。
 無論、精密爆撃には向かない代物であり、目標物のみを攻撃するには高い練度が要される。
 今回、空爆を実施したMF/A-3Bは装薬が最大に装填されており、目標であるエムデン空港を外れるのは必至であったと考えられる。

ノルデン砲撃

 投入予定であった後続の機甲戦力を喪失し、本格的に戦線維持が非現実的となった連合軍は、ノルデンからの一時撤退を決定。
 対地支援艦として連合艦隊に参加していたモーリンバロタ海軍戦艦タナティヴィを旗艦とした、臨時対地打撃艦隊によってノルデンへの砲撃が行われ、この砲撃によってノルダー・ティーフ川北部の地域へ侵入したアイゼルネ軍は大きな損害を被る。

↑VLSより艦対空ミサイルを発射するカレトヴルッフ級駆逐艦。
対地攻撃能力に乏しかったミノリニア海軍が、歩兵用ATMの誘導装置をむりやり搭載して対応。終末誘導はなんと手動であった。

モーリンバロタ陸軍装甲車女児轢殺事件

 ノルデン砲撃を直前として、ノルデン撤退の最後発部隊であったモーリンバロタ機械化歩兵連隊の装甲車及び空挺戦車が、ノルトダイヒ-ノルデン間の道中にて、アルギニア人女児二人を轢殺した事件。

 この写真、生涯で見たマイクラスクショの中で一番ひどい。

パイドパイパー作戦

 ノルデン砲撃以降、再びノルデンへ侵攻した連合軍であったが、砲撃をもってしても戦力的に均衡、すなわち空襲以前の状況に戻っただけとなり、戦況に大きな変化のないまま損害のみが大きくなっていった。連合軍作戦司令室は、これ以上の戦争遂行は近いうちに不可能となることを確信し、本戦争における道義的責任を完遂することに焦点を絞り、最終目標であるアイゼルネ心理学研究所への強襲作戦を立案。それに伴い、本作戦遂行を専任する特務部隊、パイドパイパー隊を編成した。

早朝の奇襲

 10月30日早朝、ノルダー・ティーフ川河口のライエルン自然保護区から、モーリンバロタ艇隊の上陸用舟艇でパイドパイパー隊が遡上。研究所2km手前の地点から上陸。午前5時の陽動攻勢に合わせて突入した。
 そして、肝心の被験者は誰一人として見つかることはなかった。

陽動の大攻勢

 上陸用舟艇で遡上するパイドパイパー隊の発見を遅らせるべく、連合軍が大攻勢を行った。陽動とはいえ、10月18日のノルデン再侵攻以来最大の攻勢であり、特に残り2機のみとなったミノリニア強襲ヘリRAH-58をすべて投入した東部の戦線は、正午前にノルダー・ティーフ川の突破に成功した。

民間人研究員射殺

 アイゼルネ心理学研究所に突入したパイドパイパー隊員が、民間人研究員2名を意図的に射殺。先のモーリンバロタ軍女児轢殺事件とあわせ、連合の戦後交渉を不利に働かせる大きな要因となった。

アイゼルネ軍の撤退

 心理学研究所が制圧された2時間後、アイゼルネ軍が突如としてノルデンより撤退を開始。
 これにより、研究所を死守していたパイドパイパー隊と、東部戦線で撃墜され、敵地で孤立したRAH-58の乗員はノルダー・ティーフ川を超えた本隊と合流。同日中に連合軍はノルデンを制圧した。

終戦までの経緯

連合軍の研究所検分

 連合軍検分隊による検分が行われても、パイドパイパー隊の報告が覆るようなことはなく、連合軍はアイゼルネ=アルギニア国による児童拉致・洗脳の有力な証拠は得られなかったと思われる。
 また、パイドパイパー作戦前日に、研究所より複数のトラックが引き上げる様子もアイゼルネ国民のSNSより報告されており、国内の秘匿拠点へと被験者ごと逃亡したとも考えられている。

終戦協定策定

 11月7日、連合軍は、当初の目標であるアイゼルネ心理学研究所を解放、本戦争の道義的責任を達成したとして、アイゼルネとの終戦協議を開始したことを発表。三か国による電話会談の他、ミノリニア海軍司令部艦隊に同乗していたミノリニア外務省特派員とアイゼルネ担当官の直接会談がノルデンで行われた。

連合軍の撤退

 連合軍は、終戦協定の策定中にアイゼルネ本土より順次撤退。11月10日にはボルクム島からの引き上げが終了し、艦隊は帰路についた。
↑3か月にわたる戦いを生き残り、わが家へ帰れると思うと整備の手も弾む。

終戦

 統一歴140年11月11日、ミノリニア王国、モーリンバロタ独立皇国、アイゼルネ=アルギニア国の三か国間で終戦協定が締結。きしくも、ミノリニア王国の建国記念日であった。
 連合側は、アイゼルネの戦災復興資金を払わずに済んだものの、アイゼルネ側より戦後賠償金を引き出すことができず、その上アイゼルネ側より、戦争の発端となった一連の事件に関する謝罪を引き出すことができなかったため、交渉的には優位に立つことはかなわなかった。

もうちょっとだけつづくのじゃ

+ ...
連合軍は気づいていなかった。地下室の存在を・・・
最終更新:2019年12月22日 00:02