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ペルシア侵攻(英:Rookrian Aggression of Persia、統一歴171年)は、南アジアに位置するラス・エラセド連合帝国によるペルシアへの軍事侵攻である。 | ペルシア侵攻 | ||||
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目次{[非表示] 1. 概要 2. 背景 2-1. 170年代初頭のオリエント情勢 3. 開戦 4. 開戦後の経緯 4-1. 侵攻開始 4-2. カラチ市攻防戦 4-3. カラチ沖海戦 4-4. イスラマバード攻防戦 4-5. イスラマバード航空戦 4-6. 171年雨季大反攻 5. バグダッド和平協定 5-1. バグダッドでの講和会議 5-2. バグダッド和平協定 6. 影響 |
戦争:戦争 | ||||
年月日:2023年3月31日〜? | |||||
場所:ペルシア共和国領パキスタン | |||||
結果:ペルシア共和国側の実質的勝利 | |||||
概要 |
推移 統一暦171年のペルシア共和国における政権交代に端を発する、ラス・エラセド連合帝国による軍事侵攻。 帝国軍は初め優勢であったものの、世界各国からの支援や無理な作戦計画などの要因で攻勢が頓挫し、反攻を受けて撤退する。 帝国は領土要求の撤回などを強制され事実上の敗北を喫し、このことが172年元旦政変の遠因となったと考えられている。 |
背景 | |||||
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170年代初頭のオリエント情勢 当時、「西方の共産主義者の打倒」「レグルスの解放」をイデオロギー的目標に掲げるラス・エラセド連合帝国は、しかして新ソ連との陸上国境を持たず、未だ目標達成のための有効な手立てを打てずにいた。 帝国と新ソ連の間に存在するのは、かつて中央アジアに存在したある王朝の崩壊ののち成立した、イラン、アフガニスタン、パキスタンを領土とする中立的な国家、ペルシア共和国である。 統一暦171年、ペルシア共和国選挙において左派の野党労働党が勝利し、党首モハンマド・アブディが大統領に就任すると、ペルシアは新ソ連寄りの外交を展開しはじめる。 隣国が仮想敵の勢力圏に収まるのを嫌った帝国は苛烈な政治工作を展開するが、ことごとく失敗。むしろいくつかが明るみに出て反帝国感情を高める結果となってしまう。 | |||||
開戦 |
ペルシアに対する諜報作戦の失敗のために、威信をかけて後に引けなくなった帝国は、パキスタンおよびアフガニスタン地域においてデモを扇動し、これに参加した地元住民をペルシア軍内のスパイに殺させて事件を偽装、こうした地域の住民をアブディ政権の圧政から解放することを名目としてペルシアとの戦争を開始する。 |
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開戦後の経緯 | |||||
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侵攻開始 4月3日、帝国軍は虎の子の機甲師団を運用し、北部パンジャーブ地方の平地から電撃的に侵攻を開始、開戦初日にはラホール市、5日でムルターンまで進撃した。 しかしその後、ヒンドゥークシュ山脈を利用した徹底的な防衛戦闘によって、戦線は膠着する。 この戦争への介入を表明した新ソ連陸軍が開戦3週間後には前線に到着し始め、兵器などの支援はそれよりさらに早くペルシアに届けられた。 開戦2ヶ月後にはイットリカン民主主義国による義勇軍・レンドリースや、クリーニングラード出張国によるCp-98シリーズやUCG-5E2アサルトライフルの供与といった支援が届き始め、防衛体勢はさらに頑強なものとなり、新ソ連軍主導での逆攻勢すら実施された。 後述する都市部への攻撃を除いては、帝国軍の攻撃はもはや人員と装備をすり減らすだけになりつつあった。さらに、帝国軍は国粋主義国家の悪弊にも悩まされる。 つまり、軍組織自体の現地住民軽視の性質である。 民間インフラの復旧が無視されるのは当たり前で、徴集・徴用もごく一般に行われた。 これによって、占領地の市民感情は悪化。 レジスタンス運動は非常に活発に行われ、補給物資は頻繁に襲撃を受ける上、帝国側の情報はペルシア側にその多くを抜き取られることとなる。 |
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カラチ市攻防戦 ペルシア側連合軍は、バルーチスターン州東部のベラ市を含む湿地帯への入り口であり、東西南北の交通の結節点である大都市、カラチ市に防衛陣地を構築していた。 帝国軍は、カラチ市と西方をつなぐ道路を強襲上陸によって遮断し、海上封鎖を実施することで、カラチ市を包囲することを企図する。 帝国軍は、強襲上陸には成功し、陸上での封鎖を完成させるものの、カラチ沖海戦での敗北によって、海上封鎖には失敗してしまう。 さらに、陸上での封鎖も現地レジスタンスによって不完全に終わったために、包囲は事実上の失敗となってしまう。 にもかかわらず、侵攻軍は上層部に作戦成功と報告したことで、カラチが包囲下にあると判断した司令部によって度重なる市街地への攻撃が敢行され、帝国軍はさらに戦力をすり減らすこととなる。 |
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カラチ沖海戦 カラチ沖海戦は、カラチ市の海上封鎖中の帝国艦隊に、ペルシア・新ソ連・IRISの連合艦隊が攻撃を仕掛ける形で始まった。 結果的に、帝国海軍第一艦隊(帝国象徴艦隊)は質だけでなく物量においても劣勢に立たされ、少なからぬ旧式戦艦と巡洋艦、駆逐艦を失い、さらにその他の艦にも大小の被害を受けて敗北し、封鎖を解くこととなる。 |
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イスラマバード攻防戦 カラチでの戦いと時を同じくして、北部イスラマバードでも帝国軍による攻勢作戦が発動された。 市街に立て篭もるペルシア側連合軍に対して、帝国軍は航空戦力を集中させることで、戦争開始以来一貫して劣勢だった航空戦をイスラマバード上空においてのみの局地的優勢とし、同市に対する爆撃をもってこれを攻略せんとした。 実際、イスラマバード市を占領し、近郊の空港の奪取に成功すれば、戦域全体の空の戦況の改善も見込めたため、ある程度合理性のある戦略であったーただし、この作戦の成功を前提としてだが。 現実には、帝国渾身の爆撃作戦は、まず前提の局地的優勢から破綻した。 あまりにも帝国空軍が弱体すぎて、ほぼすべての航空戦力をかき集めても作戦行動に十分な戦力とならなかったのだ。 見切り発車で行われた爆撃作戦は、イスラマバード上空での航空戦に発展する。 帝国はこの航空戦に敗北したものの、陸上戦力の大規模な投射によって強引にイスラマバード市を奪取する。 |
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イスラマバード航空戦 イスラマバード上空での航空戦は、ペルシア軍の骨董品のようなレーダーが帝国軍機の侵攻をとらえたところから始まった。 帝国空軍は常に致命的な予算不足の状態にあり、ステルス機を作ることができなかったためである。 はじめ量的優勢でペルシア軍機を圧倒していた帝国軍だったが、まずI.R.I.S.空軍、つづいて新ソ連空軍が増援として到着したことで、未だ量的優勢をかろうじて保持していたものの、それによって質的な差を埋めることができず敗北する。 |
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171年雨季大反攻 8月4日、早暁とともにペルシア・新ソ連の連合軍の反攻が開始される。 開戦当初、国力的な問題でごく少数の機甲戦力しか保有していなかったペルシア軍は、前述のクリーニングラードやイットリカンによる兵器支援、統合国家ファントムによる主力戦車や装輪ロケット砲の供与によっていまや帝国軍を遥かに凌ぐ規模の装甲兵力を抱えていた。 一方の帝国軍は基本的に圧倒的な人口に飽かせた人海物量戦術であり、その歩兵戦力はペルシア軍の用いるファントム製ロケット砲になす術なく薙ぎ倒されていくこととなる。 それでも肉壁を代償として1ヶ月ほど戦線を維持したものの、凄まじい損耗によって新兵ばかりになり指揮官も不足した帝国軍では脱走や敵前逃亡が頻発、9月中旬には前線を支えきれなくなってしまう。 10月中旬には前線はほぼ戦前の国境線まで後退したものの、自国領に入ったことで帝国軍の補給事情が改善し、防衛が安定。 ペルシア共和国の財政状況の悪化もあり、ここで和平が結ばれることと相成った。 |
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バグダッド和平協定 | |||||
バグダッドでの講和会議 和平条約は、帝国にとって屈辱的なことに新ソ連領内バグダッドにて行われた。 和平内容は次のとおり。 |
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バグダッド和平協定 ・ラス・エラセド連合帝国とペルシア共和国の間の国境は5月3日以前の両国統治領域の境界線であることを両国が確認する。 ・ラス・エラセド連合帝国は、ペルシア共和国が独立した主権をもつ国家であることを承認する。 ・ラス・エラセド連合帝国は、パキスタン地域およびアフガニスタン地域がペルシア共和国の正当な領土であることを確認する。 |
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影響 | |||||
帝国とペルシアの間には白紙和平が結ばれ、この戦争は対外的には引き分けとなった。 しかし、戦後の状況を考えると、これはペルシア側の完全勝利であった。 この侵攻の失敗によって、帝国政府、特に帝室は動揺し、さらには、帝国に対するシェラルドによる国内の反政府勢力への支援もみられた。 これらのことは、帝国における統一暦172年元旦政変の要因となってしまう。 一方、ペルシア共和国大統領モハンマド・アブディは救国の英雄となりその支持率は著しく上昇、掲げていた社会主義政策を完遂した上、今戦争での新ソ連への軍事通行権をそのまま維持することで、完全に新ソ連側の社会主義国家を建設した。 また、この戦争中両国に武器を売りつけていたサンセリフ連合は金銭的に莫大な利益を得るが、帝国からは「死の商人」と悪評を得ることとなる。 もっとも、この評価は事件によって覆されることとなるのだが。 |
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戦争統計 |
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参戦国 | |
帝国軍 | |
ルクレフ朝ラス・エラセド連合帝国 | |
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ペルシア側連合軍 | |
主戦国 | ペルシア共和国 |
共同参戦国 | 新ソ連 |
兵力派遣国・兵器支援国 | イットリカン民主主義国 |
クリーニングラード出張国 | |
統合国家ファントム | |
IRIS | |
支援国 | 帝政シェラルド |
死の商人 | サンセリフ |