ベクトル計算がわからない。
最近のわたしの悩み事です。
ひなたもみゆきもテキストの問題をスイスイ解いているのに、わたしとみのりは腕が凍りついています。
だいたい矢印が二つ合わさって全然違う矢印の向きになるなんて想像つかないんですよ。見たことない!
…なんで2人はわかるんでしょうね。
ひなたに聞いても「普通の計算とあんまり変わらないよ〜」って返ってくるし、先ほどの愚痴をみゆきに訴えたら哀れなモノを見る目で見られましたし。
心の中でブツブツ呟きつつ、教科書と睨めっこしながらなんとか「それっぽいこと」を書き込みます。
解答に考え方のヒントとかわかりやすく書いてないかなーとか思いながら、ペンは牛の歩みの如くノロノロと矢印を書き込んでいきます。
「次は古典ですね!」
露骨にイヤそうな顔をするみのりとみゆき。みのり、ここ1〜2時間で同じ顔を4回は見ましたよ。
わたし、古典は得意なんです。
文法や単語を覚えるのは英語とそんなに変わらないし、昔の人と今の人の感じ方の違いとか、同じところとかがわかるのが楽しくて!
「みのり、そこは『已然形』だって!ほら係り結び!今日授業でやったやつ!」
「知らね〜!」
叫ぶみのりを尻目に、ひなたがクスクス笑いながらこちらを見ています。みゆきはぐったりと机に突っ伏しています。
「秋は夕暮れっていうけどさ…、絶対これ最後に適当に当てはめただろ…」
自称・秋には一家言あるみのりの愚痴は留まることを知りません。顔からは生気が抜け落ちています。
グラスに入った麦茶の氷がカラン、と音を立てました。
……
「宿題おーわりっ!」
みのりが急に元気になりました。今まで散々草臥れた顔をしていたのにもう元気溌剌としています。体育の時間の時くらい元気ですね。
「今日は皆で作詞すると決めている。さくらの、春をイメージした新曲」
そう、本日の集まりのメインは、わたしの新曲についてです。断じて宿題ではありません。
作詞って意外と難しいんですよね。
ちょっと昔のポップスだと一音一音に一字ずつ音を当てはめて七五調に、令和風の「新しさ」を全面に押し出すならあえてバランスを崩して歌詞の情報量を多くする、みたいな技法があるみたいです。
ただ単に好きな言葉を並べるだけじゃなくて、言葉の前後の語感だったり、伸びる音が嵌まる歌詞が「ん」にならないようにするように気をつけたりと、考えることがいっぱいです。
「でも不思議と、ぴったり当てはまる言葉があるんだよね」
ひなたが楽しそうに話します。
そうなんです。「何故かしっくりくる言葉」があるんです。
プロの作詞家みたいな人たちはそういった言葉の法則を知ってたりするのでしょうか。それとも知識を総動員して、一生懸命に「正解」を探すのでしょうか。
「…これも勉強、かな?」
わたしの口から、疑問がこぼれます。
「え、勉強!?」
勉強、と聞いたみのりが反射的に顔を強張らせます。
「…みのりは本当に勉強したほうがいい」
みゆきが呆れたように呟きます。わたしもひなたも苦笑いです。
「人生は勉強の繰り返し、だね」
「ダンスは勉強じゃないって!」
「ダンスもレッスンとかあるでしょ?」
「ッ…!」
……
「じゃあ、また明日ね!」
「バイバイ!」
結局終わったのは宿題だけで、作詞の方はほとんど進まず仕舞いでした。
初夏の夕暮れに、蝉の声だけが響きます。
「夏は夜」なんて言いますが、わたしは夏の夕暮れが好きです!
賑やかな時間と賑やかな時間の合間…幕間?というのでしょうか、この独特な静寂さ、太陽の光が刻一刻とか細くなっていく、ほんのわずかな間にしか感じられない寂寥さが好きなんです。
あ、今わたし詩人みたいなこと考えてた!これ歌詞に使えそう!
……だめだ、それじゃ夏の歌じゃん。わたしの持ち歌の季節は「春」なのに。
そんなことを考えながら、わたしは今日も家に帰るのでした。