【名称】ワラキア君主国
歴史
※建国までの概要はヴラド3世及び「ワラキア君主国関連史」の頁を参照のこと。
現在のワラキア君主国について
1989:ルーマニア自由解放軍やワラキア復権派により首魁「ヴラドⅢ世」の復活。武力によりチャウシェスク政権を打倒し、ブカレストを占拠。「ワラキア君主国」の独立を宣言する。
1989:ルーマニア自由解放軍やワラキア復権派により首魁「ヴラドⅢ世」の復活。武力によりチャウシェスク政権を打倒し、ブカレストを占拠。「ワラキア君主国」の独立を宣言する。
1990:旧政権派の処刑が完了。処刑された遺体はバラガン平野にて串刺しとなって発見された。
1991:国際連合による視察が行われる。使節団は全て処刑され、遺体はバラガン平野にて串刺しとなって発見された。
その後、国際連合による正式な抗議が行われる。ワラキア君主国は抗議への報復措置としてオルテニア地方へ侵攻。これを制圧し、領土化を宣言する。
その後、国際連合による正式な抗議が行われる。ワラキア君主国は抗議への報復措置としてオルテニア地方へ侵攻。これを制圧し、領土化を宣言する。
1992:オルテニア侵攻に対して国際連合は正式に国連平和維持軍を派兵。ワラキア君主国と戦闘になる(第一次ワラキア調停戦争)。結果はワラキアの勝利に終わり、国際世論は騒然となる。人工衛星や生存兵の証言により「複数のドラゴンが明らかに戦術的、戦略的行動を見せていた」とこが確認され、国際巫女連盟と国際連合による連合軍が組織される。
1998:第二次ワラキア調停戦争。
旧ワラキア君主国の伝承と比較して明らかな戦力増大が確認されているため、連合軍は巫女50名を含む計1万名からなる大兵団を派兵。戦局は連合軍有利に動いていたが、ヴラドⅢ世および親衛隊と思われるドラゴンの群れによる直接攻撃により戦線が崩壊、連合軍は撤退の憂き目に遭う。
この後ヴラドⅢ世は
旧ワラキア君主国の伝承と比較して明らかな戦力増大が確認されているため、連合軍は巫女50名を含む計1万名からなる大兵団を派兵。戦局は連合軍有利に動いていたが、ヴラドⅢ世および親衛隊と思われるドラゴンの群れによる直接攻撃により戦線が崩壊、連合軍は撤退の憂き目に遭う。
この後ヴラドⅢ世は
- キリスト教への信仰が薄れた現代社会に対する宣戦布告
- 自らの活動による黙示録の実現
を宣言。声明を受けて連合軍はトランシルヴァニアに駐屯し、ワラキア君主国の同行の監視を開始。
2005:龍教会「登龍派」がワラキア君主国に接触。主流派とは教義が違う登龍派の思想を「キリスト教と反発しない思想」として迎え入れる。
2008:ワラキア全土に電磁波遮蔽の結界が張られ、人工衛星による監視が不可能になる。
2014:第一次トランシルヴァニア侵攻。駐屯している国連平和維持軍はワラキア軍により壊滅。トランシルヴァニア一部はワラキア君主国の領土となる。国連は本軍事行動に対してワラキアを非難。国連平和維持軍の強化編成を行い、新たな国境線に戦線を敷設。
2020:世界規模で災厄を撒き散らしたドラゴン「光之冠(グァン・ジィ・グアン)」による被害に乗じて第二次トランシルヴァニア侵攻が発生。光之冠による国際的な混乱もあって戦線は崩壊。トランシルヴァニア全域がワラキア君主国の領土となる。
2025:現在に至る。
関係者
- ヴラド3世(国家元首)
- イナーヴォイグ・マレット(大臣)
- マルク・トアデール
- カーミラ