白虎と退魔師 859 ◆93FwBoL6s.様
暗闇に沈む街並みを、異形が駆けていく。
二メートル以上もある巨体に見合わぬ速度でアスファルトを蹴り、電柱を越え、屋根に上り、闇よりも濃い異形を追い縋る。地上では、少女が並走して全く同じ速度で駆けている。縞模様の尾を揺らしながら躍動する巨体から、一瞬たりとも目は外さない。袖が末広がりに広がった朱色の衣装の背中には陰陽が印され、手にしている滑らかな青竜刀からは清い鈴の音が零れていた。黄色い光を放つ街灯の下で少女は立ち止まり、古い梵字が刻み込まれた青竜刀を掲げ、手早く印を切って滑らかな刃を振った。刃に宿った力が細く絞られて放たれ、闇の固まりを捉えた。人でもなければ獣でもないそれは、力に絡め取られ、動きを封じられた。ほとんど音もなく民家の屋根に舞い降りた白い巨体は、刀の如く研ぎ澄まされた爪を前足から伸ばすと、闇の固まりを凝視した。
二メートル以上もある巨体に見合わぬ速度でアスファルトを蹴り、電柱を越え、屋根に上り、闇よりも濃い異形を追い縋る。地上では、少女が並走して全く同じ速度で駆けている。縞模様の尾を揺らしながら躍動する巨体から、一瞬たりとも目は外さない。袖が末広がりに広がった朱色の衣装の背中には陰陽が印され、手にしている滑らかな青竜刀からは清い鈴の音が零れていた。黄色い光を放つ街灯の下で少女は立ち止まり、古い梵字が刻み込まれた青竜刀を掲げ、手早く印を切って滑らかな刃を振った。刃に宿った力が細く絞られて放たれ、闇の固まりを捉えた。人でもなければ獣でもないそれは、力に絡め取られ、動きを封じられた。ほとんど音もなく民家の屋根に舞い降りた白い巨体は、刀の如く研ぎ澄まされた爪を前足から伸ばすと、闇の固まりを凝視した。
「ふうむ」
月明かりの下に立った巨体の白虎は、緑色に輝く双眸をにたりと細めた。
「今宵の獲物は、おぬしか」
「余裕ぶっこいてないで早くなんとかしてよ! 大体、あんたに合わせて走るだけで疲れるんだから!」
「余裕ぶっこいてないで早くなんとかしてよ! 大体、あんたに合わせて走るだけで疲れるんだから!」
青竜刀を掲げたまま、少女は白虎に喚いた。白虎は長い爪で耳を掻き、不満げに尾を揺らした。
「相変わらず解っちょらんのう、リンファ。いかなる相手じゃろうと、余裕ぶっこいて叩きのめすのが虎たるものよ」
「そのせいで、先週は思いっ切り死にかけたでしょうが! あんたも私も!」
「ありゃあおぬしが悪いんじゃ、リンファ。儂は間違いなくジェシェの尾を捉えたが、肝心のおぬしが退魔の術を誤ったんじゃろうが」
「邪蛇と言いなさい、邪蛇と。いちいち中国語読みにしないでよ、解りづらいんだから」
「そのせいで、先週は思いっ切り死にかけたでしょうが! あんたも私も!」
「ありゃあおぬしが悪いんじゃ、リンファ。儂は間違いなくジェシェの尾を捉えたが、肝心のおぬしが退魔の術を誤ったんじゃろうが」
「邪蛇と言いなさい、邪蛇と。いちいち中国語読みにしないでよ、解りづらいんだから」
少女は先端の反り返った靴で踏ん張り、青竜刀を捻って引いた。
「でもって、私の名前はす・ず・か! リンファじゃないって何度言えば解るのよ、バイフー!」
ちりん、と青竜刀の柄の先で鈴が鳴る。両腕を伸ばして朱色の袖を大きく広げ、蝶のように華やかに舞う。
「悪鬼封縛! 急急如律令!」
闇を戒める力が光を帯び、青竜刀の先端から糸のように伸びている様が目視出来た。闇は身を捩り、不気味な呻きを上げる。ぐねぐねと形を変える影を伸ばし、全身を締め付ける光の糸を断ち切ろうと触れるが、触れた途端に闇が破れて醜く絶叫した。
「ほうら、さっさとしなさい! ここから先はバイフーの仕事でしょうが!」
「言われずとも解っちょるわい、そんなモン」
「言われずとも解っちょるわい、そんなモン」
耳を動かして少女の声を振り払ってから、白銀の鎧を身に纏った巨体の白虎、バイフーは悶える闇に向けて踏み出した。バイフーは両手の爪をにゅっと伸ばし、口元を広げた。分厚い毛の下から現れた太い牙は、獲物を求めてぎらついていた。闇の固まりは一瞬畏怖したが、すぐさま敵意を剥き出しにした。耳障りな悲鳴を上げ、戒めの隙間から黒い触手を伸ばしてくる。バイフーはその触手の一本を掴むと、闇が裂けるほど強く引いた。それを牙の間に挟むと、ぐんっと首を上げて噛み千切った。霊体の一部を奪われた闇はますます敵意を向けてくるが、バイフーは毛の先程も気にせずに、闇の触手を噛み締めて嚥下する。
「なるほどのう。おぬしは悪霊っちゃ悪霊じゃが、ジェロンの影響を受けちょるわけじゃなさそうじゃのう」
べろりと厚い舌で口元を舐めたバイフーは、大きく口を開き、獣臭い吐息を漏らした。
「じゃが、なかなかの恨みの濃さよ。おぬしのように捻くれた死者の霊魂は、儂の口に合うわい」
ぎいいいいいいいっ、と鉄線を締め付ける音に似た絶叫を迸らせた闇は、戒めの隙間から伸ばした触手を尖らせた。バイフーは両前足の爪を構えると、踏み出した。刃の如く尖った無数の触手を全て叩き落とし、闇の懐に巨体を滑り込ませる。闇が新たな触手を形成するよりも先に、バイフーは少女の青竜刀よりも太い爪を闇の胴体に押し込み、腕ごと大きく捻った。その腕を引き抜くと、闇が上下に分断された。びちゃびちゃと肉片に似た闇を撒き散らしていたが、夜の闇に溶けていった。バイフーの純白の毛を汚していた闇も消え、戒めていた光の糸が緩むと、闇の固まりがいた位置には青白い霊魂が浮かんだ。それを口に入れて味わってから、喉を鳴らして飲み下した。バイフーは民家の屋根から飛び降りると、少女の前に着地した。
ぎいいいいいいいっ、と鉄線を締め付ける音に似た絶叫を迸らせた闇は、戒めの隙間から伸ばした触手を尖らせた。バイフーは両前足の爪を構えると、踏み出した。刃の如く尖った無数の触手を全て叩き落とし、闇の懐に巨体を滑り込ませる。闇が新たな触手を形成するよりも先に、バイフーは少女の青竜刀よりも太い爪を闇の胴体に押し込み、腕ごと大きく捻った。その腕を引き抜くと、闇が上下に分断された。びちゃびちゃと肉片に似た闇を撒き散らしていたが、夜の闇に溶けていった。バイフーの純白の毛を汚していた闇も消え、戒めていた光の糸が緩むと、闇の固まりがいた位置には青白い霊魂が浮かんだ。それを口に入れて味わってから、喉を鳴らして飲み下した。バイフーは民家の屋根から飛び降りると、少女の前に着地した。
「で、どうだった?」
青竜刀を鞘に収めた鈴花に問われ、バイフーは鎧を載せた肩を竦めた。
「これといった収穫はないのう。ジェロンの奴の匂いどころか、ウロコの端すらも掴めちょらんわい」
「今夜も無駄足かぁ。結構苦労したのになぁ」
「あやつは邪神とはいえ、紛うことなき竜じゃからのう。そう簡単に尻尾を掴ませてくれるわけがなかろうて」
「そりゃそうなんだけど、漫画みたいにすんなり上手くいかないもんだねぇ」
「今夜も無駄足かぁ。結構苦労したのになぁ」
「あやつは邪神とはいえ、紛うことなき竜じゃからのう。そう簡単に尻尾を掴ませてくれるわけがなかろうて」
「そりゃそうなんだけど、漫画みたいにすんなり上手くいかないもんだねぇ」
鈴花はお団子に結っていた髪を解き、髪留めをポケットに入れてから、街灯に照らされる白虎を見上げた。
「神獣鏡に戻る?」
「いんや。喰ったばかりじゃから、外に出とった方がええ。その方がおぬしもええじゃろう?」
「ん、まあ…ね」
「いんや。喰ったばかりじゃから、外に出とった方がええ。その方がおぬしもええじゃろう?」
「ん、まあ…ね」
鈴花は末広がりの袖を翻しながら、歩き出した。その背の陰陽の印を見つめながら、バイフーは夜風に混じる邪気を感じた。
一年前、この街に邪気が蔓延し、邪気の漲る闇と怨念の滾る霊魂が入り混じって出来上がった闇の亡者が彷徨い始めた。その頃は、鈴花もどこにでもいる少女だった。だが、偶然バイフーの封じられた神獣鏡を見つけ、これまた偶然封印を解いてしまった。鈴花自身は知らなかったのだが、鈴花は遠き昔に大陸で活躍していた退魔師の血を引いており、高い妖力を持ち合わせていたのだ。数千年の眠りから目覚めさせられたバイフーは、封印される以前に倒したはずの邪竜の気配を感じ、鈴花に退魔師として戦うように命じた。鈴花は当然反発したが、闇の亡者達が鈴花の家族や友人を脅かすようになったので、鈴花は家宝の青竜刀を携えて闇の亡者と戦った。
バイフーも、退魔師としても人間としても未熟過ぎる鈴花に従うのは不本意ではあったが、邪竜を放っておくのは妖怪にとっても良くない。なので、二人は共闘するようになった。闇の亡者を倒し続けていけば、いずれ邪気の根源である邪竜に辿り着くはずだからだ。邪竜を倒さなければ、ただでさえ邪気で乱れた気の流れが更に乱れ、闇の亡者よりも遙かに凶悪な亡者が生まれる可能性がある。その危険を回避するためにも、心置きなく熟睡出来る夜を迎えるためにも、鈴花とバイフーは今夜も密かに戦いに赴いている。
一年前、この街に邪気が蔓延し、邪気の漲る闇と怨念の滾る霊魂が入り混じって出来上がった闇の亡者が彷徨い始めた。その頃は、鈴花もどこにでもいる少女だった。だが、偶然バイフーの封じられた神獣鏡を見つけ、これまた偶然封印を解いてしまった。鈴花自身は知らなかったのだが、鈴花は遠き昔に大陸で活躍していた退魔師の血を引いており、高い妖力を持ち合わせていたのだ。数千年の眠りから目覚めさせられたバイフーは、封印される以前に倒したはずの邪竜の気配を感じ、鈴花に退魔師として戦うように命じた。鈴花は当然反発したが、闇の亡者達が鈴花の家族や友人を脅かすようになったので、鈴花は家宝の青竜刀を携えて闇の亡者と戦った。
バイフーも、退魔師としても人間としても未熟過ぎる鈴花に従うのは不本意ではあったが、邪竜を放っておくのは妖怪にとっても良くない。なので、二人は共闘するようになった。闇の亡者を倒し続けていけば、いずれ邪気の根源である邪竜に辿り着くはずだからだ。邪竜を倒さなければ、ただでさえ邪気で乱れた気の流れが更に乱れ、闇の亡者よりも遙かに凶悪な亡者が生まれる可能性がある。その危険を回避するためにも、心置きなく熟睡出来る夜を迎えるためにも、鈴花とバイフーは今夜も密かに戦いに赴いている。
「ん」
鈴花が手を伸ばしてきたので、バイフーは爪を引っ込めてから前足を差し出した。
「おぬしはほんに変なモンが好きじゃのう、リンファ」
「だーから、鈴花だってば。肉球は正義なの。でもってモフモフはもっと正義なの」
「だーから、鈴花だってば。肉球は正義なの。でもってモフモフはもっと正義なの」
鈴花はバイフーの丸太のように太い前足にしがみつくと、白い毛に覆われている柔らかな丸い肉球をむにむにと揉みしだいた。屈強な筋肉が隠れている白と黒の縞模様の体毛に顔を埋めた鈴花は、感極まるあまりに子猫のような高い声を漏らしている。バイフーは鈴花の歩調に合わせて足を緩めながら、苦笑いを零していた。封印される以前は、白き鬼神と恐れられていたというのに。今となっては、愛玩動物に成り下がっている。出会った当初は彼女を制しようとしたが、振り回されるばかりなので結局諦めてしまった。鈴花は、バイフーを神獣鏡に封じた退魔師とは大違いだ。甘ったれで幼くて自身の妖力の扱いすら下手だが、バイフーを大切にしてくれる。だから、飼い猫扱いされても怒る気が起きない。鈴花の心底幸せそうな笑みを見下ろしつつ、バイフーはゆらゆらと太い尾を振った。
愛されるのならば、使役されるのも悪くない。
愛されるのならば、使役されるのも悪くない。