車種名 | CT5 |
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クラス | B |
最高出力 | 300ps |
車体重量 | 1200kg |
パワーウェイトレシオ | 4.0 |
吸気形式 | ターボ |
駆動方式 | F4 |
入手金額 | |
0-100km/h加速 | 4.00sec. |
最高速度 | 223km/h |
メモ | 日本車初のマニュファクチャラーズチャンピオン。 記録尽くしの2代目GT-Four |
記事は編集中です。
概要
Bクラスに登場。この際だからハッキリと言おう、コイツが環境である。パワフルなエンジンとどっしりとした剛性感のあるシャシー周りとが相まって、直線でもコーナーでも一級品の性能を発揮する。全体的にワイド&ローな車体のバランスが良いのだろうか。これほどまでに性能は傑出しているものの扱いづらいということもなく、挙動は非常に素直。ランキングでは上位を総なめしているといっても過言ではなく、とりあえずコイツを買っておけば間違いない。
元ネタ解説
トヨタ・セリカGT-Four(ST185)
初代A20型からラリーへの参戦を続けていた歴史あるラリーマシン、それがセリカである。グループA規定が実施されると、トヨタは4WDマシンを開発するべく、なんとA70型スープラを繋ぎとして投入。元はと言えばスープラもセリカの派生車種(セリカXXの海外名称)なので、ラリーに参戦しても当然、というのは少々無理があるか。そしてスープラが前線で戦っている間にホモロゲ取得のために5000台を売り捌き、満を持して投入されたのがST165型セリカGT-Fourであった。投入は1988年。当初は信頼性とパワーの不足に悩まされていたようだが、2年間の熟成を経た1990年、C.サインツ.セナモールがついにランチアの牙城を崩し、スペイン人初となるドライバーズタイトルを獲得。セリカにとっては日本勢として初となるタイトル獲得となった。そしてこのGT-Fourをさらに進化させ、92年に投入されたのがST185型である。
先代よりリファインの行われたサスペンションによる剛性の引き上げ、国産車初となるトルセンLSDの採用が主な変更点。エンジンは3S-G型の直列4気筒ターボ。先代の185馬力から一気に40馬力の上乗せとなる225馬力を発揮する。さらに、91年にはホモロゲ取得用のGT-Four RCがラインナップに加わる。エンジンは235馬力まで強化され、日本国内では1800台、世界ではホモロゲ取得台数に合わせて国内と併せて5000台が販売された。このGT-Four RCは海外では90年のWRC王者の名前を冠し「カルロス・サインツ・リミテッド」として販売。ドライバーの名前が冠されたモデルは他にもGC型インプレッサ「シリーズ・マクレー」、CP型ランエボ「トミ・マキネンエディション」、ルノークリオ(日本名:ルーテシア)RS「ver.ジャン・ラニョッティ」、シトロエンC4「byローブ」、さらにはGRヤリスの「オジェ・エディション」、「ロバンペラ・エディション」等々、一定数が存在している。
さて、無事にGT-Four RCの在庫を捌き切ったトヨタは、92年にWRCにST185型を投入する。生まれ変わった新生セリカは開幕早々その戦闘力を発揮し、開幕戦モンテカルロでサインツがいきなりデルタに乗るD.オリオールに続く2位を獲得。続くラリー・スウェーデンではM.ヨンソンが初の優勝を決めた。シーズン中も安定して表彰台圏内を獲得し、この年はサインツが自身2回目のドライバーズチャンピオンとなった。
続く93年からはカストロールがスポンサーとなり、お馴染みの白地に緑と赤のラインが入るあのカラーリングで出走。この関係で、個人スポンサーがレプソルであったサインツがバッティングを避けるためにランチアに移籍。それと入れ替わる形で、ランチアからオリオールが加入。グループB時代からのベテランであり、オリオールにとってはランチア時代の同僚でもあったJ.カンクネンと共にST185型セリカはシーズンを圧倒。フォードのF.デルクールを挟む形でカンクネンが自身4度目の優勝(*1)、そしてオリオールが3位と好成績を残す。さらにトヨタは日本メーカーとして初となるマニュファクチャラーズチャンピオン獲得の大記録を打ち立てた。
94年もセリカの快進撃は止まらない。開催された全戦で表彰台獲得、この年はスバルのサインツを挟む形でオリオールがフランス人として初優勝、そしてカンクネンが3位を獲得。見事に3年連続のドライバーズタイトル、そして2年連続のマニュファクチャラーズタイトルに輝き、昨年のダブルタイトルを防衛した。
この代のセリカといえば、もう一つの重要な記録を持っている。それが95年サファリラリーでのこと。この年はWRCの年間スケジュールに組み込まれなかったサファリラリーだが、そこに出走したセリカが優勝。そのセリカのドライバーは藤本吉郎であり、現在のところ彼の優勝が日本人初にして唯一のサファリラリー優勝となっている。このセリカはその後日本に空輸されてトヨタ博物館やメガウェブで展示されたが、レストアされずにボロボロになっていく様子を見かねた藤本氏がトヨタにレストアの意向を提出。個人として譲り受けドイツ・ハノーファーへ輸送し、本格的なレストアを施した。この作業を引き受けたCAR-ING社は、93年以降のトヨタのWRCをサポートし、もちろんこのセリカも手がけたG.フィリップ.ツィジックの率いる会社である。2021年、2年に及ぶ作業が完了したセリカは帰国し、全開走行が可能なまでに回復したという。
95年シーズンの途中からトヨタはマシンをST205型セリカGT-Fourにスイッチする。しかし、より大きく重くなったマシンは機動力に欠け、セッティングは難航した。その焦りからか、ターボチャージャーへの空気の流入量を調節するリストリクターへの細工を施してしまう。この不正が発覚した結果、トヨタはこのシーズンのポイントを全剥奪、さらに来シーズンのワークスとしての出場停止処分を喰らってしまった。このため、トヨタはWRカー規定が施行されてからサインツと共にカローラWRCでカムバックを果たすまで、しばらくラリーでの活躍から遠ざかってしまうのであった。
ともあれ、ST185型セリカはサインツ、カンクネン、オリオールという当代屈指の名ラリーストたちと栄光を分かち合い、日本メーカーとして初のマニュファクチャラーズチャンピオン獲得、さらにサファリラリーの日本人による初制覇を成し遂げたマシン。この活躍はラリー史に刻まれ、今なお語り継がれている。そして、現在トヨタはGRヤリスでWRCへの参戦を継続。セリカの残した血統は、今も第一線で流れ続けているのである。
初代A20型からラリーへの参戦を続けていた歴史あるラリーマシン、それがセリカである。グループA規定が実施されると、トヨタは4WDマシンを開発するべく、なんとA70型スープラを繋ぎとして投入。元はと言えばスープラもセリカの派生車種(セリカXXの海外名称)なので、ラリーに参戦しても当然、というのは少々無理があるか。そしてスープラが前線で戦っている間にホモロゲ取得のために5000台を売り捌き、満を持して投入されたのがST165型セリカGT-Fourであった。投入は1988年。当初は信頼性とパワーの不足に悩まされていたようだが、2年間の熟成を経た1990年、C.サインツ.セナモールがついにランチアの牙城を崩し、スペイン人初となるドライバーズタイトルを獲得。セリカにとっては日本勢として初となるタイトル獲得となった。そしてこのGT-Fourをさらに進化させ、92年に投入されたのがST185型である。
先代よりリファインの行われたサスペンションによる剛性の引き上げ、国産車初となるトルセンLSDの採用が主な変更点。エンジンは3S-G型の直列4気筒ターボ。先代の185馬力から一気に40馬力の上乗せとなる225馬力を発揮する。さらに、91年にはホモロゲ取得用のGT-Four RCがラインナップに加わる。エンジンは235馬力まで強化され、日本国内では1800台、世界ではホモロゲ取得台数に合わせて国内と併せて5000台が販売された。このGT-Four RCは海外では90年のWRC王者の名前を冠し「カルロス・サインツ・リミテッド」として販売。ドライバーの名前が冠されたモデルは他にもGC型インプレッサ「シリーズ・マクレー」、CP型ランエボ「トミ・マキネンエディション」、ルノークリオ(日本名:ルーテシア)RS「ver.ジャン・ラニョッティ」、シトロエンC4「byローブ」、さらにはGRヤリスの「オジェ・エディション」、「ロバンペラ・エディション」等々、一定数が存在している。
さて、無事にGT-Four RCの在庫を捌き切ったトヨタは、92年にWRCにST185型を投入する。生まれ変わった新生セリカは開幕早々その戦闘力を発揮し、開幕戦モンテカルロでサインツがいきなりデルタに乗るD.オリオールに続く2位を獲得。続くラリー・スウェーデンではM.ヨンソンが初の優勝を決めた。シーズン中も安定して表彰台圏内を獲得し、この年はサインツが自身2回目のドライバーズチャンピオンとなった。
続く93年からはカストロールがスポンサーとなり、お馴染みの白地に緑と赤のラインが入るあのカラーリングで出走。この関係で、個人スポンサーがレプソルであったサインツがバッティングを避けるためにランチアに移籍。それと入れ替わる形で、ランチアからオリオールが加入。グループB時代からのベテランであり、オリオールにとってはランチア時代の同僚でもあったJ.カンクネンと共にST185型セリカはシーズンを圧倒。フォードのF.デルクールを挟む形でカンクネンが自身4度目の優勝(*1)、そしてオリオールが3位と好成績を残す。さらにトヨタは日本メーカーとして初となるマニュファクチャラーズチャンピオン獲得の大記録を打ち立てた。
94年もセリカの快進撃は止まらない。開催された全戦で表彰台獲得、この年はスバルのサインツを挟む形でオリオールがフランス人として初優勝、そしてカンクネンが3位を獲得。見事に3年連続のドライバーズタイトル、そして2年連続のマニュファクチャラーズタイトルに輝き、昨年のダブルタイトルを防衛した。
この代のセリカといえば、もう一つの重要な記録を持っている。それが95年サファリラリーでのこと。この年はWRCの年間スケジュールに組み込まれなかったサファリラリーだが、そこに出走したセリカが優勝。そのセリカのドライバーは藤本吉郎であり、現在のところ彼の優勝が日本人初にして唯一のサファリラリー優勝となっている。このセリカはその後日本に空輸されてトヨタ博物館やメガウェブで展示されたが、レストアされずにボロボロになっていく様子を見かねた藤本氏がトヨタにレストアの意向を提出。個人として譲り受けドイツ・ハノーファーへ輸送し、本格的なレストアを施した。この作業を引き受けたCAR-ING社は、93年以降のトヨタのWRCをサポートし、もちろんこのセリカも手がけたG.フィリップ.ツィジックの率いる会社である。2021年、2年に及ぶ作業が完了したセリカは帰国し、全開走行が可能なまでに回復したという。
95年シーズンの途中からトヨタはマシンをST205型セリカGT-Fourにスイッチする。しかし、より大きく重くなったマシンは機動力に欠け、セッティングは難航した。その焦りからか、ターボチャージャーへの空気の流入量を調節するリストリクターへの細工を施してしまう。この不正が発覚した結果、トヨタはこのシーズンのポイントを全剥奪、さらに来シーズンのワークスとしての出場停止処分を喰らってしまった。このため、トヨタはWRカー規定が施行されてからサインツと共にカローラWRCでカムバックを果たすまで、しばらくラリーでの活躍から遠ざかってしまうのであった。
ともあれ、ST185型セリカはサインツ、カンクネン、オリオールという当代屈指の名ラリーストたちと栄光を分かち合い、日本メーカーとして初のマニュファクチャラーズチャンピオン獲得、さらにサファリラリーの日本人による初制覇を成し遂げたマシン。この活躍はラリー史に刻まれ、今なお語り継がれている。そして、現在トヨタはGRヤリスでWRCへの参戦を継続。セリカの残した血統は、今も第一線で流れ続けているのである。
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