車種名 | PC4 (*1) |
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クラス | R2 |
最高出力 | 290ps |
車体重量 | 960kg |
パワーウェイトレシオ | 3.3 |
吸気形式 | 自然吸気 |
駆動方式 | RR |
入手金額 | |
トランスミッション | 5速 |
レブリミット | xxx rpm |
0-100km/h加速 | xxx sec. |
最高速度 | xxx km/h |
メモ | 伝統のRRとフラット6を継承。 狂気の時代を駆け抜けた特別な911 |
記事は編集中です。
概要
元ネタ解説
ポルシェ・911 スーパーカレラRS (954)
911といえば、ポルシェを代表するスポーツカー。初代901型から進化を続け、2024年現在でも8代目となる992型が現行モデルとして販売されている、由緒正しいスポーツカーの名前である。これに匹敵するロングランモデルの名前といえばフェアレディであろうか。
とりあえずパワーを出し、軽量なボディを作ることに注力した技術者の努力の結晶と、それをいとも簡単に乗りこなすラリースト達、そして狂気的な速さに熱狂する観客。先鋭化するグループBでの競争に必要なものはアウディが先鞭をつけた4WDレイアウト、いや、それももはや時代遅れに近くプジョー205T16が引っ提げて登場したミドシップ4WDレイアウトだった。このレイアウトはフォード、やや遅れてランチアと、グループBを代表する名だたるマシンが多く採用していたことが分かる。もはや車輪のついたエンジンと形容する方がいいような化け物たちが跋扈するグループBの環境にありながら、911SCはRRレイアウトで参戦。これにはラリー037と似た理由があった。
後年スバルのワークスカーの開発に携わったことで日本国内でも有名なプロドライブの設立者、D.リチャーズはポルシェが新型の4WDラリーカーの開発をしているという噂を聞きつけ、彼らとタッグを組んでラリーへ出場する道を模索する。しかし、当のグルッペB、のちの959の開発は遅々として進まず、痺れを切らしたリチャーズはポルシェに911を改修したグループBマシンでの出走を提案する。そこで生まれたマシンが、この911SC-RS、型番は930ではなく954である。
ベースは2代目911となる930型。ハイパフォーマンスモデルに付けられた名前「SC」はスーパーカレラを意味する。リアにマウントされるエンジンは930/18型、3L水平対向6気筒のノンターボ空冷エンジン。ラリー仕様では280から300馬力を発生させ、当然だが後輪を駆動する。ノンターボモデルながらも足回りは上位グレード「911ターボ」と同じものが奢られ、ワイドトレッド化のためにこれまたターボと同じオーバーフェンダーが装備される。フードとドアは軽量化のためにアルミニウム製のものを採用し、バンパーも専用デザインの軽量品に交換するなど、あくまで繋ぎであるマシンではあっても一切の妥協はない。生産台数はホモロゲーション取得のためにわずかに20台にとどまる。
完成した911SC-RSは、リチャーズが懇意にしていたロスマンズタバコの白/青ツートンのカラーリングを纏って84年のカタール・ラリーに参戦。S.アル-ハジリがドライブするこのマシンがデビューウィンを飾り、その後の中東選手権で3勝を挙げてタイトルを獲得。さらにWRCでは85年ツール・ド・コルスでB.ベギンが3位表彰台を獲得し、その他のラリーでも上位入賞を果たすなど、怪物たちと比べれば地味ながらも一定の結果を残している。
さて、この911SC-RSが参戦する傍ら、ポルシェは959でダカールラリーへ参戦。市販バージョンに近い959が参戦した86年には1-2フィニッシュを遂げ、その名声を確固たるものにする。そしてホモロゲ取得のために意気揚々と959を販売したわけだが、この年はポルトガルにてRS200が30人以上の死傷者を出す大事故を起こし、ツール・ド・コルスではデルタS4が崖下へ転落、炎上してH.トイヴォネンらが死亡。これらの事故を受けてグループBは86年シーズンをもって終了が決定され、959のWRCへの参戦が叶うことはなかった。911SC-RSは959参戦までの繋ぎとして投入されたにも関わらず、ワークスマシンとしての座を譲ることができぬまま現役を引退したのであった。
しかし、911SC-RSの素性の良さはプライベーターにも評価されることとなる。ポルシェのWRCプログラムが終了したのちにも各地のプライベーターに運用された911SC-RSは、その姿を欧州選手権や中東選手権で見ることができたという。
あくまで繋ぎとして生まれたはずが、数奇な運命を辿りグループBの終焉まで見届けた911SC-RS。怪物たちの中で果敢に、そして堅実に戦い続けたこの車は、グループB時代の隠れた名車といえよう。
911といえば、ポルシェを代表するスポーツカー。初代901型から進化を続け、2024年現在でも8代目となる992型が現行モデルとして販売されている、由緒正しいスポーツカーの名前である。これに匹敵するロングランモデルの名前といえばフェアレディであろうか。
とりあえずパワーを出し、軽量なボディを作ることに注力した技術者の努力の結晶と、それをいとも簡単に乗りこなすラリースト達、そして狂気的な速さに熱狂する観客。先鋭化するグループBでの競争に必要なものはアウディが先鞭をつけた4WDレイアウト、いや、それももはや時代遅れに近くプジョー205T16が引っ提げて登場したミドシップ4WDレイアウトだった。このレイアウトはフォード、やや遅れてランチアと、グループBを代表する名だたるマシンが多く採用していたことが分かる。もはや車輪のついたエンジンと形容する方がいいような化け物たちが跋扈するグループBの環境にありながら、911SCはRRレイアウトで参戦。これにはラリー037と似た理由があった。
後年スバルのワークスカーの開発に携わったことで日本国内でも有名なプロドライブの設立者、D.リチャーズはポルシェが新型の4WDラリーカーの開発をしているという噂を聞きつけ、彼らとタッグを組んでラリーへ出場する道を模索する。しかし、当のグルッペB、のちの959の開発は遅々として進まず、痺れを切らしたリチャーズはポルシェに911を改修したグループBマシンでの出走を提案する。そこで生まれたマシンが、この911SC-RS、型番は930ではなく954である。
ベースは2代目911となる930型。ハイパフォーマンスモデルに付けられた名前「SC」はスーパーカレラを意味する。リアにマウントされるエンジンは930/18型、3L水平対向6気筒のノンターボ空冷エンジン。ラリー仕様では280から300馬力を発生させ、当然だが後輪を駆動する。ノンターボモデルながらも足回りは上位グレード「911ターボ」と同じものが奢られ、ワイドトレッド化のためにこれまたターボと同じオーバーフェンダーが装備される。フードとドアは軽量化のためにアルミニウム製のものを採用し、バンパーも専用デザインの軽量品に交換するなど、あくまで繋ぎであるマシンではあっても一切の妥協はない。生産台数はホモロゲーション取得のためにわずかに20台にとどまる。
完成した911SC-RSは、リチャーズが懇意にしていたロスマンズタバコの白/青ツートンのカラーリングを纏って84年のカタール・ラリーに参戦。S.アル-ハジリがドライブするこのマシンがデビューウィンを飾り、その後の中東選手権で3勝を挙げてタイトルを獲得。さらにWRCでは85年ツール・ド・コルスでB.ベギンが3位表彰台を獲得し、その他のラリーでも上位入賞を果たすなど、怪物たちと比べれば地味ながらも一定の結果を残している。
さて、この911SC-RSが参戦する傍ら、ポルシェは959でダカールラリーへ参戦。市販バージョンに近い959が参戦した86年には1-2フィニッシュを遂げ、その名声を確固たるものにする。そしてホモロゲ取得のために意気揚々と959を販売したわけだが、この年はポルトガルにてRS200が30人以上の死傷者を出す大事故を起こし、ツール・ド・コルスではデルタS4が崖下へ転落、炎上してH.トイヴォネンらが死亡。これらの事故を受けてグループBは86年シーズンをもって終了が決定され、959のWRCへの参戦が叶うことはなかった。911SC-RSは959参戦までの繋ぎとして投入されたにも関わらず、ワークスマシンとしての座を譲ることができぬまま現役を引退したのであった。
しかし、911SC-RSの素性の良さはプライベーターにも評価されることとなる。ポルシェのWRCプログラムが終了したのちにも各地のプライベーターに運用された911SC-RSは、その姿を欧州選手権や中東選手権で見ることができたという。
あくまで繋ぎとして生まれたはずが、数奇な運命を辿りグループBの終焉まで見届けた911SC-RS。怪物たちの中で果敢に、そして堅実に戦い続けたこの車は、グループB時代の隠れた名車といえよう。
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