車種名 | WRS |
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クラス | B |
最高出力 | 330ps |
車体重量 | 1300kg |
パワーウェイトレシオ | 3.9 |
吸気形式 | ターボ |
駆動方式 | F4 |
入手金額 | |
0-100km/h加速 | xxx sec. |
最高速度 | 187km/h |
メモ | ハッチバックは、戦闘力向上の証。 スバル最後のワークスマシン |
記事は編集中です。
概要
元ネタ解説
富士重工 スバル・インプレッサWRX STi スペックC(GRB)
1993年にデビューした初代インプレッサは、95年から97年にかけてWRCを3連覇するという偉業を成し遂げた。スバルは2001年から2代目となるGD型へと競技ベース車両をシフト。より成熟されたボディを獲得したGD前期型インプレッサ、通称「丸目」ではデビューイヤーの2001年にR.バーンズが、フェイスリフトを施された2003年のGD中期型、通称「涙目」ではP.ソルベルグがそれぞれドライバーズタイトルを獲得し、戦闘力の健在ぶりを見せる。さらに2004年、初開催となるラリー・ジャパンではソルベルグが初代王者となり、こちらも多数のタイトルを獲得する車両となった。
しかし、この辺りからスバルの戦闘力は下降の一途を辿ることになる。マシン開発が迷走を始め、さらにライバルが戦闘力の高いマシンを投入してきたのである。シトロエンC4、フォードフォーカスといった最新のマシン相手に、セダンボディのインプレッサは大苦戦。更なる戦闘力を求めたスバルは、新たにマシンなマシン開発を進めることとなった。
こうして生まれたのが第3世代のインプレッサ、GH/GR型インプレッサである。本作に登場するのはグループNに参戦していたGRB型WRXではないかと推測される。開発にあたってはWRC王者となったソルベルグの要望である「オーバーハングを限りなくゼロにする」を実現するためハッチバックボディとなった。車体の慣性モーメントをなるべく小さくし、戦闘力の向上を狙ったのである。C4やフォーカスがハッチバックボディで参戦していたことを考えると、インプレッサがセダンからハッチバックへ転換したのも勝利のためには合理的な判断であったと言える。
エンジンは伝統のEJ20にIHI製ツインスクロールターボを組み合わせたEJ207。パワーは自主規制値の280馬力を凌駕する308馬力を発生させ、6速マニュアルミッションを介し伝統のシンメトリカルAWDシステムで四輪を駆動させる。スペックCではECUチューンなどが行われ、パワーは据え置きながらよりレスポンスが向上するようにセッティングされている。足回りはこれまたソルベルグの意見を取り入れたマルチリンク。ストラット式であるGDBよりもマルチリンクを採用していたレガシィアウトバックの方がソルベルグ的には高評価だったようで、それを取り入れる形となったようだ。
戦闘力を着実に向上させたインプレッサはWRカー規定に合わせてマシンを完成させ、WRC2008年シーズンに参戦。デビュー戦となるアクロポリス・ラリーではソルベルグが2位表彰台を獲得し、スバルが第一線に返り咲いたことを示すには十分な戦績を残す。ここから王者スバルの逆襲が始まる…と書きたかったところだが、資金不足に悩まされた上に開発を担当したプロドライブの混乱の煽りを受け、マシンの熟成は難航。戦績は芳しくなかった。また、仮にこれらの問題が解決されていたとしても、スバルがシンメトリカルAWDを採用している以上不利であることは認めざるを得ない事実である。これはレギュレーションに起因しており、エンジン搭載位置は規定内で自由に変更できてしまうのだ。横置きエンジンのマシンであれば車体中心にエンジンを近づけることで大幅に重心を改善できるが、スバルは水平対向エンジンの縦置きレイアウトであるためそのような手法が極めて取りにくい。WRカー規定である以上は避けて通れない運命だったとしか言いようがない。
2008年シーズンをもって、スバルはWRCへの参戦を終了を発表。93年1000湖ラリーで華々しいデビューを飾ったインプレッサは、ラリー・フィンランドと名前を変えた同ラリーでC.アトキンソンが3位表彰台を獲得、インプレッサ引退前の最後の表彰台を飾った。ワークスとして14年間同一車種を用いたフルエントリーの記録は、WRC史上最長となっている。
WRCでは規定の都合もあって思うような結果を残せなかったGRB型インプレッサではあるが、ラリーアメリカではK.ブロックらのドライバーがこの型のインプレッサで大活躍。ブロックに関してはYoutubeに投稿されている動画「GYMKHANA」シリーズの初期にGRB型インプレッサに乗って爆走しており、彼を代表する車種の1台となっている。その他、グループNマシンで戦うPWRCにおいても新井敏弘らがGRB型インプレッサで参戦。改造範囲が狭いこの規定では高性能4WDマシンが重宝され、三菱のランサーエボリューションとともに一世を風靡したのである。
3世代に渡ってWRCに挑み、同じラリーで最初と最後の表彰台を獲得するというドラマを生み、そしてWRCを去ったインプレッサ。3代目インプレッサは、日本のラリー史と切っても切り離せないスバルの最後の華として、その名を現在に残しているのである。
1993年にデビューした初代インプレッサは、95年から97年にかけてWRCを3連覇するという偉業を成し遂げた。スバルは2001年から2代目となるGD型へと競技ベース車両をシフト。より成熟されたボディを獲得したGD前期型インプレッサ、通称「丸目」ではデビューイヤーの2001年にR.バーンズが、フェイスリフトを施された2003年のGD中期型、通称「涙目」ではP.ソルベルグがそれぞれドライバーズタイトルを獲得し、戦闘力の健在ぶりを見せる。さらに2004年、初開催となるラリー・ジャパンではソルベルグが初代王者となり、こちらも多数のタイトルを獲得する車両となった。
しかし、この辺りからスバルの戦闘力は下降の一途を辿ることになる。マシン開発が迷走を始め、さらにライバルが戦闘力の高いマシンを投入してきたのである。シトロエンC4、フォードフォーカスといった最新のマシン相手に、セダンボディのインプレッサは大苦戦。更なる戦闘力を求めたスバルは、新たにマシンなマシン開発を進めることとなった。
こうして生まれたのが第3世代のインプレッサ、GH/GR型インプレッサである。本作に登場するのはグループNに参戦していたGRB型WRXではないかと推測される。開発にあたってはWRC王者となったソルベルグの要望である「オーバーハングを限りなくゼロにする」を実現するためハッチバックボディとなった。車体の慣性モーメントをなるべく小さくし、戦闘力の向上を狙ったのである。C4やフォーカスがハッチバックボディで参戦していたことを考えると、インプレッサがセダンからハッチバックへ転換したのも勝利のためには合理的な判断であったと言える。
エンジンは伝統のEJ20にIHI製ツインスクロールターボを組み合わせたEJ207。パワーは自主規制値の280馬力を凌駕する308馬力を発生させ、6速マニュアルミッションを介し伝統のシンメトリカルAWDシステムで四輪を駆動させる。スペックCではECUチューンなどが行われ、パワーは据え置きながらよりレスポンスが向上するようにセッティングされている。足回りはこれまたソルベルグの意見を取り入れたマルチリンク。ストラット式であるGDBよりもマルチリンクを採用していたレガシィアウトバックの方がソルベルグ的には高評価だったようで、それを取り入れる形となったようだ。
戦闘力を着実に向上させたインプレッサはWRカー規定に合わせてマシンを完成させ、WRC2008年シーズンに参戦。デビュー戦となるアクロポリス・ラリーではソルベルグが2位表彰台を獲得し、スバルが第一線に返り咲いたことを示すには十分な戦績を残す。ここから王者スバルの逆襲が始まる…と書きたかったところだが、資金不足に悩まされた上に開発を担当したプロドライブの混乱の煽りを受け、マシンの熟成は難航。戦績は芳しくなかった。また、仮にこれらの問題が解決されていたとしても、スバルがシンメトリカルAWDを採用している以上不利であることは認めざるを得ない事実である。これはレギュレーションに起因しており、エンジン搭載位置は規定内で自由に変更できてしまうのだ。横置きエンジンのマシンであれば車体中心にエンジンを近づけることで大幅に重心を改善できるが、スバルは水平対向エンジンの縦置きレイアウトであるためそのような手法が極めて取りにくい。WRカー規定である以上は避けて通れない運命だったとしか言いようがない。
2008年シーズンをもって、スバルはWRCへの参戦を終了を発表。93年1000湖ラリーで華々しいデビューを飾ったインプレッサは、ラリー・フィンランドと名前を変えた同ラリーでC.アトキンソンが3位表彰台を獲得、インプレッサ引退前の最後の表彰台を飾った。ワークスとして14年間同一車種を用いたフルエントリーの記録は、WRC史上最長となっている。
WRCでは規定の都合もあって思うような結果を残せなかったGRB型インプレッサではあるが、ラリーアメリカではK.ブロックらのドライバーがこの型のインプレッサで大活躍。ブロックに関してはYoutubeに投稿されている動画「GYMKHANA」シリーズの初期にGRB型インプレッサに乗って爆走しており、彼を代表する車種の1台となっている。その他、グループNマシンで戦うPWRCにおいても新井敏弘らがGRB型インプレッサで参戦。改造範囲が狭いこの規定では高性能4WDマシンが重宝され、三菱のランサーエボリューションとともに一世を風靡したのである。
3世代に渡ってWRCに挑み、同じラリーで最初と最後の表彰台を獲得するというドラマを生み、そしてWRCを去ったインプレッサ。3代目インプレッサは、日本のラリー史と切っても切り離せないスバルの最後の華として、その名を現在に残しているのである。
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