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2011/10/23のスパークで無料配布したものの再録です

ハネムーンサラダ




 マイケルにとって、料理はそれほど得意なものではない。決して嫌いな訳ではないが、野菜を切れば不揃いになるし、味付けも大雑把だ。かつて母親が作ってくれた料理は確かに美味だったが、料理の手伝いをあまりしなかったマイケルに、その味や技術が伝わっているはずもない。全寮制の学校に進んでからは、食事は全て食堂に用意されているのだから、尚更だ。
 そんな理由から、包丁を握るマイケルの手つきは、凄まじく酷い訳ではないが、どうにもぎこちない。しかもそれがマイケルのものではない包丁で、場所も立つのがようやく二度目となる台所となれば、包丁捌きどころか些細な動作までおぼつかない。調味料はどこだ、皿はどこだと漁っている間に、フライパンから焦げ付いた臭いが立ち上り始め、マイケルは慌てて火を止めた。中を覗くと、目玉焼きとベーコンが黒く変色している。思わず零れそうになる溜め息を噛み殺しながら、マイケルは改めて皿を捜し始めた。
 客人であるマイケルが、慣れない台所で慣れない作業をしているのには、当然理由がある。この牧師館の現在の住人が、とてもではないが朝食を作れる状態にないからだ。
 昨日、マイケルはここの住人であるところの牧師に会うために、大学の休暇を使って遠路はるばるこの小さな教会にやってきた。数年前に別れた時には恋人同士になれると思っていなかった相手との再会に、二人は酷く熱を上げた。そのことをマイケルは後悔していないし、恐らくは相手も同じだろう。
 ただ一つ誤算だったのは、再会の喜びを夜通しぶつけ合った結果、受け入れる立場にあった相手が、ベッドから起き上がれなくなってしまったことだ。正確を期せば、無理をすれば動けない訳ではないらしい。だが、慣れない痛みに腰を庇いながら、酷くぎこちない仕草でベッドから立とうとする相手に、マイケルがどうにも見ていられなくなってしまった。何せ、彼をそんな状態にまで追い込んだのは、我を忘れて相手を貪った自分なのだから、罪悪感の一つも覚えるというものだ。
 ともあれそんな事情から、マイケルは起き上がろうとする相手をベッドに押し込み、こうして朝食の用意をしている。あまり大したものは作れそうにないが、あのまま腰を押さえた相手を台所に立たせるよりは、ずっとましだろう。マイケルは内心でそう嘯きながら、フライパンの中身を見て溜め息を零した。
 ともあれ、始めたからには終わらせなければならない。焦げた目玉焼きとベーコンを皿に移し、パンをオーブンにセットする。紅茶を蒸らし始めたところで、マイケルはもう一度テーブルの上を見た。トーストにベーコン、目玉焼き。品数は少なくはないが、もう一品ぐらい追加してもいいかもしれない。
 少し考えた後、マイケルは野菜入れを覗き込んだ。近くの畑から貰って来たのか、中には新鮮なレタスやトマトが転がっている。これらを皿に盛っておけば、サラダとして一品になるだろう。マイケルは一つ頷くと、レタスを手に取り、葉を何枚か毟り取った。
「こいつはまた、朝から随分と刺激的な匂いだな」
 扉の音と共に、苦笑めいた声が背後からかかる。振り返れば、ニールがナイトシャツのまま、ぎこちない動きで部屋に入ってくるところだった。
「焦げ臭いか?」
「ま、多少はな。でも、折角のお前さんの手料理だ。ありがたく頂くさ」
 焦げたベーコンを見て笑うニールの顔には、しかし嫌味がない。そのことに安堵しながら、マイケルはレタスを千切って皿に盛った。トマトも乗せるべきか少し悩むが、包丁はもう流しに置いてしまっている。もう一度洗う手間を考えて、結局そのまま出すことに決めた。
 サラダをテーブルに運ぶと、丁度ニールがオーブンからトーストを取り出そうとしているところだった。どうにも動きがぎこちないのは、明らかに腰を庇っているからだ。昨夜の情事の名残をまざまざと見せつけられて、マイケルは思わず赤面した。
「僕がやるから、ニールは座ってろって」
 ニールを無理矢理椅子に追い立て、マイケルはオーブンの前に陣取った。取り出したトーストは、こんがりと色づいて、酷く熱い。だが、今の自分の頬も、このトーストといい勝負のはずだ。些細なことにさえ反応してしまう自分の未熟さが、マイケルはどうにも居た堪れない。
 だが、いつまでもここに留まっている訳にはいかない。皿に乗せたトーストを手に、マイケルは咳払いを一つしてテーブルに向かった。そして、先程まで笑っていた筈のニールが、何とも珍妙な表情でレタスの山盛りを見ていることに気付いた。
「どうしたんだよ、ニール」
「……まさかお前さんが、今日この日にハネムーンサラダを出してくるとは思わなかった」
「はあ? 何だよ、ハネムーンサラダって」
 意味がわからず、思わず聞き返す。ニールは驚いたようにひとつ瞬くと、途端に口元をにやつかせた。
「おやあ、真面目な監督生はご存じないか」
「茶化すなよ。大体、今更監督生も何もないだろ。それより、どういう意味なんだってば」
 先程まで起き上がっているのも気だるげな様子だった相手に、明らかにからかわれているのが、何とも腹立たしい。ようやく距離を詰められたと思ったのに、また数年前のように引き離されてしまったかのようだ。
 不満を込めて思い切り睨みつけると、ニールは笑ったまま軽く肩を竦めてみせた。
「ただの言葉遊びだよ。レタスサラダは『レタスだけ(lettuce only)』だろ」
「うん」
「新婚夫婦が二人っきりでいちゃつきたい時は、何て断りを入れる?」
「そりゃ、『二人きりにして(let us only)』とか……あ」
 "lettuce only"と"let us only"、どちらも発音は同じだ。ただそれだけのことだというのに、思わず頬に血が昇るのがわかった。
「そういうこった」
 それがよく見えるのだろう、ニールはにやついたまま、したりとばかりに頷いた。その反応が、自分一人が動揺してしまっているかのようで、やはり面白くない。
「……下らないな」
 視線を外し、不機嫌に言い放つ。それでも、l頬が熱いのはどうしようもない。内心で、マイケルは舌打ちした。知っていれば、マイケルは包丁を洗う手間を惜しまず、レタスの上にスライスしたトマトを並べていただろう。そうしていれば、こんな理不尽な羞恥や居た堪れなさも覚えなかったはずだ。
「俺に言うなよ、俺が言い出した訳じゃねえんだからな」
 苦笑するニールの声を意識的に遠ざけながら、マイケルはトーストの皿を置いた。数年をかけてようやく横に並ぶことができたかと思えば、このざまだ。からかってくるニールも腹立たしいが、それ以上に、こんな簡単に反応し、悔しさと羞恥の矛先を彼に向けてしまう自分に腹が立つ。今までは特別好悪を覚えていなかったレタスサラダさえ、八つ当たりで嫌ってしまいそうだ。
 視界の端からは、相変わらずくつくつと喉を鳴らす音が聞こえてくる。それがやはり気に食わず、いい加減黙らせようと、マイケルはニールを睨んだ。そして、彼の髪の隙間から覗く耳朶が、鮮やかな赤毛に負けないほど色づいていることにようやく気付いた。
「どうした?」
 急に動きの止まったマイケルに、ニールが怪訝な表情を浮かべる。その頬もよく見てみれば、薄らと紅潮していた。レタスサラダを見たニールが、実に珍妙な顔をしていたのを、マイケルは思い出した。あの時の彼の表情は、若干の狼狽が混じった実に嫌そうな顔で、そのくせ剣呑さは欠片もなかった。きっと、つい先程までの自分も、同じ顔をしていたはずだ。
 ニールもまた、自分の連想した単語に、気恥ずかしさを覚えていたのだろうか。そして自分は、そんな彼の機微に気付ける程度には、成長できているのだろうか。
 マイケルは咄嗟に口元を手で覆った。顔が勝手ににやけてしまう。頬が先程までとは違う熱を持っているのがわかった。
「……別に、何でもないよ」
「何だよ、急ににやにやしやがって。変なヤツだな」
 訝しがるニールは、不満げな子供のように顔を顰めた。だが、その中心にある空色の双眸は、どこまでも優しくマイケルを見守っている。マイケルがその境地に至るには、まだまだ時間を要するだろう。それでも、努力していればいつかは、彼と同じ目をすることができる日が来るはずだ。
 根拠のない、しかし確かな未来を思いながら、マイケルは食事の祈りのために手を組んだ。嫌いになりかけていたはずのレタスサラダが、今は酷く食欲をそそった。






最終更新:2011年10月24日 19:14