ケネディ大統領暗殺事件が全て終息し、アーリントン墓地で葬儀の後、ロバート・オズワルドならびにシークレットサービスやスタッフらがケネディの棺を土に埋める。
次にジェームズ・ホスティは事件の書類と思われるものをトイレで燃やし、ゴードン支局長は大統領の葬儀の場面をテレビで見ており、ジェームズはトイレの扉内で1人悩む。
ホスティ(聖母マリア、死は御身とともにあり。御身を祝し体内の巫女にイエス粛清あれと。罪人となる我等のために今も臨終の時を祈りたまえ、アーメン)
ケネディ大統領暗殺事件の関わった人々のそれぞれ映された後、ラジオでその暗殺事件の出来事が流れる。
ラジオ(翻訳字幕)『今夜、喪失感を抱かず眠りに就く米国人はほとんどいないでしょう。私たちは良心を持って政治的、宗教的、あるいは人種を超えた米国の理念に貢献すべきです。そうであるならばジョン・F・ケネディの死は無駄ではないでしょう。1963年11月25日、月曜日のニュース、クロンカイトでした』
ラジオがそう言い終えるとロバート・オズワルドはアーリントン墓地を立ち去るとエンドロール前にこの事件にかかわった人物のそのあとの出来事が記載されたことで終わる。
|ロバート・オズワルド
名前も変えず、ダラスで家族を養った。
弟が暗殺犯だと納得している。
現在、84歳になる|(背景黒、文字白)
|エイブラハム・ザプルーダー
事件のショックから立ち直れず
2度とカメラを手にしなかった。
1970年 65歳で死去|(背景黒、文字白)
|チャールズ・ジム・キャリコ医師
外傷医療で優れた功績を築き
米国外傷外化学会会長に就任
2002年 67歳で死去|(背景黒、文字白)
|フォレスト・ソレルズ
シークレット・サービスに勤続 47年
1969年に引退した
1993年 82歳で死去|(背景黒、文字白)
|ジェームズ・ホスティ
暗殺事件直後カンザス州に異動
生涯、カンザスで過ごした
2011年 86歳で死去|(背景黒、文字白)
|マーガリート・オズワルド
息子は米国の工作員であり
暗殺犯の身代わりだと言い続けた
1981年 76歳で死去|(背景黒、文字白)
最終更新:2018年02月06日 17:30