目次
訳者より
- 今年(2025)はヨハン・シュトラウス2世の生誕200年ということでシュトラウスの作品に限らず色々なオペレッタ、オペラコミーク、オペラブッフォなどを取り上げようかと思っております。であればフランスからはオッフェンバックはやはり外せないですので、本当は「青ひげ」とか「パリの生活」「月世界旅行」あたりを取り上げたかったところですが、これらより1段ポピュラリティの勝る「地獄のオルフェ(天国と地獄)」を訳して見ることにしました。何より有名な作品ですし、筋書きもとても良く出来ていてしかも音楽が魅力的。しかもテンプレに挙げていた原詩のリブレットがなかなか上演されることの多くない1874年版ということで訳詞をつくるチャレンジしがいもありましたのでこれにしました。
- この作品、1858年にパリのオペレッタ小劇場で初演されたオッフェンバック最初の大ヒット作になります。1860年代に世界中で取り上げられたために1874年に改訂版が大劇場向けに作られ、大規模なコーラス・バレエ・児童合唱も入れた相当大がかりなものとなりました。これはこれで良くできている版なのですが、あまりに規模が大きすぎて取り上げられることは極めて稀です。この1874年改訂版の録音は恐らく1978年のミシェル・プラッソン指揮トゥールーズキャピトル管にメスプレ、セネシャル、コマン、トランポン、ベルビエといった当時のフランス一線級の歌手たちを揃えたEMIのものしかないと思いますし、YouTubeで舞台を見ることができるのもほぼすべて1858年版がベースでそこにところどころ1874年版で追加になったナンバーを加える という形態でした。
- 中で特筆すべきは日本語上演で、二期会が1981年に総力をあげて当時の日本を代表する歌手を集めて行ったプロダクション。立川澄人・島田祐子・中村健・丹羽勝海・斎藤昌子・豊田喜代美・毛利純子etc.と錚々たる歌手陣に佐藤功太郎指揮の東京交響楽団、二期会コーラスにバレエ団。舞台が朝倉摂に衣装がコシノジュンコととにかく気合いの入ったプロダクションがこの1874年版の上演です(昭和音大のデータベースより)。あまりに大がかりなので日本でもこのプロダクションはそうそう頻繁に上演というわけにも行かず、1983年に再演されたのちは1990年にメンバーを変えて上演されたのを最後に1994の北海道・1998の名古屋・2015のびわ湖と地方での上演記録が細々とはあるものの、大々的にやるには相当の覚悟がいるということもあり長く途絶えてしまっているようですね。
- この日本語版「地獄のオルフェ」、日本語詞はなかにし礼の手になるものです(1990までの上演の演出も彼自身。(1981/83年の最初のプロダクションでは演出に萩本欽一の名前もあります) 比較的上演回数の多い1858年小劇場版は基本別の日本語詞の作者によるものですのでこのなかにし礼の日本語詞、めったに使われないのがとても勿体ない状況になっているのがかなり残念ではあります。彼の詞がどれくらい凄いのかは判断はつきかねるところではあるのですが、野上彰訳の「メリー・ウィドウ」のように上演を重ねる中で磨き上げられることが日本のオペレッタにおいては今最も重要なことのように思えるのです。なかにし礼も2020年に亡くなってしまい、彼自身の手によってこの日本語詞が磨き上げられることも永遠に不可能となってしまいました。
- さて、このオペレッタ、ギリシャ神話を下敷にはしておりますが、お話の中身は当時のパリの上流階級の乱痴気ぶりを諷刺していますので、必ずしも舞台がテーバイやオリュンポスである必然性もなく、けっこう頻繁に行われる読み替え演出も多くの場合あまり気になりません。というか読み替えて現代風の舞台にした方が却って毒がきつくなって面白いというのもあろうかと。
- あとこのオペレッタをヒットさせた要因のひとつと私が思うのがその内容のお下劣さ。エロ・グロ・ナンセンスがオッフェンバックの別の作品や他の作曲家たちのオペレッタに比べて際立っているように感じます。それもあって大正時代の浅草オペラでも人気の演目となったのでしょうか。舞台でも女声陣に過激なコスプレをさせて大胆な際どい演技をさせるなど、演出家のお下劣さ全開の演出がちらほらあって目が離せません。私も決してお下劣なのは嫌いな方ではないので、そんな舞台をYouTubeで見ながら、ノリの良い日本語の訳詞づくりを試みてみました。どれくらい皆さんのお気に召すかはわかりませんけれども少なくとも私には楽しい作業でした。
登場人物について
- 地上の人物としては音楽家オルフェ。世間体や権力者を気にする小心者ではありますが、妻のウーリディスにはけっこう横暴。そこで一人称の基本は「俺」にしました。アーティストにありがちな偏屈なところ(偏見?)も面白いです。
- その妻ウーリディス(エウリディーチェ)は元の神話の設定では妖精ということになっておりますがこの舞台での設定はどう見ても・聞いても結婚15年くらいが過ぎて倦怠期を迎えた熟女。一人称は「あたし」にしようか「私」にしようか迷いましたが結局無難な「私」に。でも第1幕のオルフェとの痴話喧嘩ではモラハラ男に一歩も引かない女丈夫振りを発揮して貰っています。
- デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)と自ら名乗っている世論。Wikipediaによれば古代ギリシアの演劇で話がややこしくなって収拾がつかなくなったときに突如現れてドラマを無理矢理大団円に落とし込む役割。ここではむしろ話を更にややこしくしているような役割を果たしているような。第2幕で再登場する前に情報屋のメルキュールから「若い男の世論」と呼ばれていますが、初演の時からこの役はメゾソプラノが歌っていたようです。確かにこのキャラを演じるのはこれも偏見かも知れませんが女声の方がピッタリ。上流の有閑マダムが暇にあかして社交界のスキャンダルを正論で責めるスタイルをドスの効いたメゾ(orアルト)で歌います。演出によってはマスメディアの人間をぞろぞろ引き連れた女性記者の出で立ちで登場することもあり、これもこれで説得力ありです。
- はじめは素朴な青年アリステの姿で出て来る冥界の王プリュトン。地獄の盟主とのギャップが強烈な性格派テナーの見せ場たっぷりの役柄。観客を偽る仮の姿アリステの時の一人称は「ぼく」で、冥王の正体を明かしてからは「俺様」と思いっきり振り幅を大きくしてみました。この2役を一人でやるのは物凄く演技力が必要そうです。
- 第3幕で出て来る地獄の召使で前世は王子さまだったジョン・ステュックス。なんか今一ワケの分からないキャラクターですが、また同時に非常にこの舞台の中ではとても個性的な役。イギリス人ということもあり、「ミー(Me)」と喋らせることも考えましたがちょっとやり過ぎ感がありますので「あっし」ということで。1874年版は他にも3幕で地獄の裁判官3人衆や番犬セルベール(ケルベロス)など良い味を出してくれているキャラがいますが詳細は割愛。
- 天上界オリュンポスではやはり突出しているキャラは天地の王ジュピテル(ジュピター)。天地を統べる絶大な権力を有しているものの、他人に厳しく自分に甘い、格好つけてはいてもその実はただのスケベ親父。ギリシャ神話では牡牛に化けたり白鳥に化けたりと変幻自在ですが、ここではなんとハエに化けてウーリディスを誘惑するのでした。そのお盛んさからもっと若々しいイメージですがここでは「わし」に一人称はしてみました。
- 天界では色々個性的な神さまが出て来ますが、恐らくは小劇場の脇役たちにそれなりに目立つ役を与えることが主目的でしょうか。めいめいがソロやアンサンブルで見せ場を貰っています。美の女神ではありますが夜遊びし放題のヴェニュス(ヴィーナス)、色っぽい仕草が魅力です。男の神ですけれども中性的な魅力の愛の神キュビドン(キューピッド)も愛らしい女性歌手が扮します。バス歌手が扮する戦いの神マルスはあまり目立たないですがアンサンブルの数少ない男声として貴重です。もうひとりの月の女神ディアーヌ(ダイアナ)、けっこう勝気で快活なジュピテルの娘。ボーイッシュで活発だけどやっぱり女の子といった感じでしょうか。伝令役メルキュール(マーキュリー)は1874年版では登場のアリアがあってけっこう目立つ役柄ですが、1858年版ではほぼ語り役といった風情です。もっともこの登場のアリアがなかなか魅力的なのでけっこう1858年版ベースの上演でも取り上げられてはいますが。
- この作品、オルフェ、プリュトン、ジョンとテナーの個性的役柄がたくさんいますので、彼らときっちりキャラを棲み分けて埋もれないようにするのは大変そうです。ジュピテルの妻で結婚の女神ジュノン(ジュノー)、歌うことこそ多くはないものの、我儘で自堕落な亭主にキレている怖い女房として、お気楽おちゃらけな役の多い女声陣の中では独自の存在感を示しています。他にも色々な神々が出て来てちょっとずつ歌いますが、小さな劇場ではそんなに歌手を抱えられませんのでほとんど登場させないことが多いようです。
録音について
- とにかく個性的な登場人物が多く、歌える歌手を揃えるのがたいへんだからでしょう。この「地獄のオルフェ」、録音は私の知る限り極めて少ないです。歌の巧い人だけ集めてもオペレッタというのは成立せず、とくにこの作品ではコメディのセンスが極めてものを言いますので、ちゃんとしたプロダクションを考えるところからそもそものハードルが高い。ベルガンサやカレーラスはオッフェンバックでも「ラ・ペリコール」の世界観であれば何とか起用できたのでしょうが、こちらの世界で世論やオルフェの役をやることはまず想像もできません。
- 1951年のルネ・レイボヴィッツ指揮のパリ・フィルハーモニックオーケストラとコーラスの盤。これは1858年のオリジナル版に従っていますので、軽やかにきびきびと進んでなかなかの聴きごたえです。オペラファンの目で見ると有名な歌手はひとりも居ないのですが、フランスのオペラコミークとしての出来は一級品ではないかと思います。
- 1978年のミシェル・プラッソン指揮のトゥールーズ・キャピトル管とコーラスの盤。こちらは1874年の版としては唯一のものではないかと。メスプレ、セネシャル、コマン、トランポン、ベルビエとオペラ界でもビックネームの歌手たちが実に見事にこの世界を演じています。この録音で特筆すべきは今回ここで訳したリブレットと語りの部分含めてほぼ完全に一致していることです。なのでこの録音を聴きながらこのリブレットをお使い頂ければ、この1874改訂版の世界は私の訳の力量の限界はあるものの、存分にお楽しみ頂けるのではないかと思います。
- もう1点は世評の高いマルク・ミンコフスキー指揮リヨン国立歌劇場の1997年録音、こちらは1858年版をベースとしながらたくさんのナンバーを1874年版から借りて来た折衷版。とはいいつつ今世界中で上演されている「地獄のオルフェ」のスタイルに一番近いものですので聴いていて違和感はありません。歌手もデッセー、ナウリ、フシュクール、プティボン、ジャンスと歌ばかりでなく演技にも定評のある人たちばかり。台詞部分も彼らが演じているようです。個人的には演技の部分のオーバーアクションによっと違和感はあるのですが、まあそういうスタイルを是とする作品なのでこれはこれでアリではないかと。映像も出ていて物凄く評判が良いようですが、私は演出のローラン・ペリーの凝り過ぎているスタイルと暗めの舞台・衣装デザインがどうにも馴染めませんでした。歌はもちろん一級品ですがオペレッタはもっと自然な演技で素直に楽しみたいものです。
- 1860年代にはヨーロッパ中で演奏されるようになったということで、英語やドイツ語で歌われるものもそれなりにオーセンティックではあると思うのですが今回は追いかけませんでした。それとオペレッタは歌の巧さで聴かせるものではないので、YouTubeに無数に上がっている舞台録画で歌われている原語に囚われずに登場人物同士の掛け合いを楽しむ というのが本来の在り方のように思います。プロ歌手を集めての有名歌劇場のプロダクションよりも、田舎の劇場でアマチュアが集まって一所懸命やっている舞台の方が全体としては楽しめてしまう というのがオペレッタの魔力ではないでしょうか。ただこの品のない筋書きでは学生オペラには取り上げにくいですね。
最終更新:2025年07月19日 11:03