"こうもり"

目次

訳者より

  • この「オペラ対訳プロジェクト」の私のデビューが2013年の「こうもり」の対訳でした。これは私のオペラリブレット対訳の初挑戦だったのですが、その時の「訳者より」に書きましたようにこの年の1月に大阪で行われたコンサート形式の上演の字幕(歌の部分のみ)として作ったのがそもそものきっかけでした。残念ながらその舞台は見ることかなわず、その字幕ではなく字幕作成のベースとして作成した対訳をここに残して置くことになりました。当時の字幕プロジェクタは16文字×2行という制約があってこの中に収めるために結構な頻度でそのコンサートの指揮者の方とアイディアを出し、繰り返し色々な音源を聴きながら悩みに悩んで言葉を選んだのも良い思い出です。そちらの字幕版の方もこちらに載せようかと思案しているうちに手を出した他のオペラの対訳に気を取られ、掲載の機会を逸したまま10年以上が経ってしまいました。
  • そんな中、管理人さんがこの「こうもり」、全曲の動画対訳に苦心惨憺されているということをお聞きして、昔試みた字幕作成のことを思い出しつつこの2025年のシュトラウスアニバーサリーに向けてセリフ部分の訳も含めて全訳見直しを志願させて頂きました。今回音源として取り上げられたのが音楽のすばらしさもさることながら、ダイアローグのところも実に生き生きと書かれていて、その上演者たちがみな芸達者で歌に会話に見事なアンサンブルを聴かせてくれる1955年のカラヤン/フィルハーモニア管の録音。他の名演奏も聴き比べつつも、このノリの良いカラヤン盤を徹底的に聴きこんで、目で追うだけでも舞台の雰囲気が楽しめる(少なくとも私自身にとっては)日本語訳を作ってみました。
  • オペレッタの魅力は、勢いのある対話が自然に歌に移って行き、ドラマが歌のアンサンブルの中で盛り上がっていくところ。歌とのつながりを考えずにお座なりにダイアローグを挟むだけの録音が多い中、このカラヤン盤はそこのところが実に見事で、出演者たちの演技も歌も実にナチュラルです。ですので日本語訳の方も対話部分の口調をできるだけ自然なものとして、それがスムーズに歌に繋がっていくように意識して訳してみました。こうすることでオペレッタにおけるダイアローグの部分の重要性がよく分かるような気がします。ドイツ語が全然分からなくても、この字幕で舞台の雰囲気が存分に味わえれば頑張って訳してみた甲斐があったというものです。
  • この台詞と歌とのつながり、今年集中的に訳した他のオペレッタ(メリー・ウィドウ地獄のオルフェミカド)でも意識して工夫してみましたので、これから対訳を作る際にも役立ちそうです。とにかく「言葉の意味を追うだけの無味乾燥な対訳」にだけはオペレッタの字幕はしてはなりません。音無版を目で読むだけでも舞台の愉悦感が伝わって来るようなものにできると、その字幕にシンクロして音がつくだけで、オペレッタを聴く楽しみは何倍にも増すことに今年の一連の作業で改めて気づかされました。けっこう大変な作業ではあるのですがすっかりハマってしまったかも知れません。カルロス・クライバー盤の「こうもり」あたり次はチャレンジしてみましょうかね。

この録音について

  • オリジナルの台詞は膨大なボリュームですが、そこからピリッとスパイスの効いた部分を取り出し、非常に流れの良いお話を作っています。もちろん台本がよくできていても、それを演じる人たちに力がなければ魅力的なものにはなりません。その点このカラヤン盤、端役に至るまで実に演技が巧い。歌の部分だけでなく台詞の部分から伝わってくる情感を日本語という違う言語で表現する面白さを存分に堪能させてもらいました。二次創作の翻訳の楽しみとでも言いましょうか。そんなところを感じ取って頂けましたら有難いです。
  • ヒロインのロザリンデはエリザベート・シュヴァルツコップ、もともと演技力にも定評のある大歌手ですから文句のつけようのない役作り。指揮者の音楽づくりに合わせて、キレると怖い系のロザリンデを見事に演じてくれています。アイゼンシュタインはニコライ・ゲッダ、まだこの録音当時30歳そこそこでしょうか。若い男故の単純さを素だか何だかよく分かりませんが生き生きと演じてくれています。アデーレにはリタ・シュトライヒ、元気いっぱいコケティッシュに演じるアデーレは実に魅力的です。彼女は実はまだ20代だった1949年のフリッチャイ盤でもアデーレを演じていて、そちらのはっちゃけ振りからすると少々おとなしくは感じられますが、それでもこのパワーに魅力を感じる人は多いことでしょう。フランクやオルロフスキー公でなくともパトロンを志願してしまいそうな魅力です。
  • ファルケ博士はエーリッヒ・クンツ、こうもりではファルケ、フランク、更には語りしかない牢番フロッシュまで様々な役をこなした彼ですが、やはり全盛期のファルケ役が一番はまっているような気が。品のある節回しと伸びやかな美声は、第1幕のアイゼンシュタインとのデュエットや、第2幕の Bruderlein und Schwesterlein のアンサンブルで惚れ惚れしてしまいます。次に第1幕と第2幕ではエンディングで重要な役割を果たし、また第3幕では牢番フロッシュとの台詞の掛け合いで絶妙な味を出さねばならない難役の刑務所長フランクにはカール・デンヒ、1950~1960年代のオペレッタ録音では脇役として幅広く活躍した人ですから万全の役作りです。いろんな役と掛け合いますがそれが歌でも台詞でもとにかく巧い。あんまり表情過多にならずにそれでも可笑しさがにじみ出るのは素晴らしいです。この人のせりふ回しの巧みさも字幕でぜひ堪能して頂ければと思います。掛け合いの巧さではアルフレード役のヘルムート・クレーブス、けっこう正統派のテナー歌手だった人のようで、歌声もとても魅力的なのですが、第1幕で演技巧者のシュヴァルツコップと伍して一歩も引かない台詞での演技の濃さもなかなかのもの。第3幕の三重唱も演技過剰と言えるほどの濃い歌声のシュヴァルツコップ、ゲッダに対峙してこのくるくる変わる音楽の表情付けに絡んできているのはお見事の一言に尽きます。もしかするとこの第3幕の3重唱がカラヤン旧盤の白眉かもと思える出来栄えでした。オルロフスキー公を演じるのはルドルフ・クリスト、性格派テノールとして鳴らした人のようで、オペレッタでも活躍されていたのでこの人の歌も演技も万全です。金が有り余っていて退屈しきった貴族っていう雰囲気(本物の貴族に会ったことがないので真偽は分かりませんが)を実に説得力を持って演じています。そして出番は多くないですが弁護士のブリント、世界的な Political Correctness の流れの中、今や身体的なハンディキャップを笑いものにするような演出はできなくなってしまっておりますが、70年前の録音であればまだあんまり気にしなかったのでしょう。第3幕でブリントに化けるアイゼンシュタイン役のゲッダともども、吃音の描写が物凄いです。演じるテノール歌手のエーリヒ・マイクート、性格派テノールの人でしょうか。歌も台詞も見事です。このブリントとアルフレード、そして牢番フロッシュ役を演じたフランツ・ベーハイムのおかげで退屈することの多い第3幕に引き込まれてしまうのはやはり素晴らしいです。また他の録音ではほとんど目立たないイーダ役のルイーズ・マルティーニ、個性的な声と演技でこの盤では大活躍です。この人、録音当時はまだ20代半ばですが、その後舞台や映画で活躍をし、ドイツ語の Wikipedia にページがあるほどの人です。こうして見ると隅々のキャストまで実力者を配し、能力の高いオーケストラとコーラスに支えられて「こうもり」録音史上でも屈指の演奏が繰り広げられています。
  • また、あまりにもこのダイアローグ、出来が良いからでしょうか、1959年の同じEMI録音、アッカーマン指揮のフィルハーモニア管他の演奏でもほとんどそのまま転用されています。こちらも日本での著作権は切れているはずですので第2弾の動画対訳にはそれほどストレスなく使えるはずです。残念なのは台詞はカラヤン盤とほぼ一緒なのですが音楽の方にかなりのカットがあること。当時のLPの収録時間の関係なのでしょうが演奏がすばらしいだけに勿体ないです。ゲルダ・シャイラーのロザリンデはホンワカ系の可愛い役作り、カール・テルカルのアイゼンシュタインも美声のテナーとしてこの役にはピッタリです。アデーレにヴィルマ・リップ、アルフレードにアントン・デルモータと1950年代のそれぞれの当たり役を配し、ファルケにはワルター・ベリー、フランクにはエベルハルト・ヴェヒター、オルロフスキーにはクリスタ・ルードヴィヒとなかなか素晴らしい布陣、そしてなんと歌わない役の牢番フロッシュにはエーリヒ・クンツを起用しているという贅沢さ。残念ながら翌1960年に出たカラヤン/ウィーン国立歌劇場の録音と配役がかなり被っていたり、主役2人が今ではあまり知られていない人となってしまっていることも災いして知られざる録音と化してしまいました。カラヤン旧盤とは全く別の魅力を持つ名盤としてもっと注目される価値はあると思います。

Creative Commons License
この日本語テキストは、
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
の下でライセンスされています。
@ 藤井宏行
最終更新:2025年10月25日 10:50