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"後宮からの誘拐"

目次

訳者より

  • 2015年にモーツァルトのオペラを集中的に訳したときは、あまり音楽をじっくりと聴き込むことなくかなりのハイスピードで訳をこなしてしまいました。それもあって詞と音楽の面白さを改めてじっくりと味わいながら訳し直してみたいモーツアルト作品の筆頭はこの「後宮からの誘拐」、モーツァルト生前から大人気であったと言われるこの作品の魅力をどこまで引き出すことができるか、オペレッタ最適化翻訳の次なるチャレンジはこれにすることにしました。
  • フリッチャイ盤、ビーチャム盤、ヨッフム盤、C.デイヴィス盤、ガーディナー盤と自分なりの訳を作ってみたい魅力的な録音はいっぱいあるのですが、今回取り上げるのは日本での保護期間終了で、かつ手元にリブレットのあったクリップス/ウィーンフィルのEMI盤(1966録音)にしました。手持ちのテキストがないと耳コピーだけに頼るのは不安でしたし、この盤の台詞の分量も程よく(少なすぎもせず 多すぎもせず)既存の私の訳したものからかなり転用できそうだったので、これがまあ一番早く仕上げられそうと思いまして。
  • しかしいざ訳してみるとこれはけっこう骨でした。ひとつ目はこの作品にたくさんある重唱の扱い。込み入った対話の言葉を音楽に織り込むモーツアルトの天才的な技はとんでもなく日本語に置き換えるのが大変です。フレーズの繰り返しとかも効果的に使って躍動感のある掛け合いの描写はドイツ語と日本語を両方睨んで追いかけているとすぐ迷子になって今どこが歌われているのかが分からなくなりますし、音楽の勢いに合った簡潔で力のある言葉の選択はとても難しい。第1幕No.2のオスミンとベルモンテの掛け合いや幕切れNo.7のオスミン、ベルモンテ、ペドリロの3重唱、あるいは第2幕No.16のコンスタンツェ、ブロンデ、ベルモンテ、ペドリロの4重唱はとりわけ大変で、まだ全然満足行く出来栄えではないのですがなんとか最後まで追えるレベルまではできたように思います。あとはこれをいかにして鑑賞に耐えるレベルまで仕上げるか、まだまだ工夫のしどころはあるように思えますが今回はこんなところで。中途半端であっても重唱の流れが少しでも追えるようになるだけでモーツアルトの音楽づくりの凄さがよく感じ取れるのではないでしょうか。この作品ではとりわけ第1幕の幕切れの3重唱が圧巻です。
  • もうひとつ厄介だったのは古典派のオペラ作品では歌手の技巧を示すため、アリアの中で同じフレーズを何回も変奏を重ねて繰り返すことがよく行われますが、下手をするとそれが7~8回も行われて、音楽を聴いているのか繰り返しの回数を数えているのか分からない状況に陥ってしまうこと。しかも随所にコロラトゥーラのパッセージが挟まれて歌詞の流れが中断されてしまいます。歌詞の(意味の)流れは中断しても音楽は流れて行くわけですので、ここはコロラトゥーラで伸ばされている語に”----”の記号を入れて今どこが歌われているかの目印をつけ、繰り返しの歌詞をカウントすることから聴き手を解放しつつ、歌詞の流れに自然に没入できるようにしてみました。これは今回初めて試みましたが結構悪くない工夫のように思えます。歌詞の繰り返しやコロラトゥーラが絶妙な効果を上げているNo.11のコンスタンツェのアリアなどでけっこう有効な対訳処理となったように思えますが皆さまいかがでしょうか。ロッシーニやドニゼッティのブッフォで今後いろいろ試してみたいと思っています。
  • それともうひとつ、今回この盤のリブレットと格闘する中で気づいたのは歌詞がいろんな箇所でWikiに載っているものと違っていること。数え上げるとキリがないのですが、特に女声のパートに著しく、No.9のブロンテとオスミンのデュエット、No.10とNo.11のコンスタンツェのアリア、No.12のブロンテのアリア、No.20のベルモンテとコンスタンツェのデュエット、最後のNo.21ヴォードヴィルでブロンテがオスミンを貶して歌うところなど、かなり違っています。これはどうもクリップス盤で使われているテキストが昔から使われていた慣用版で、1950年代から逐次出版された新モーツアルト全集で校訂されて「オリジナル?」に差し替わっている ということのようです。確かにこのクリップス盤と同じ歌詞を使っている録音は1960年代までの古い録音に限られ、1970年代よりあとに録音されたものはほぼすべてWikiにある歌詞と同じものが使われております。ということでこのクリップス盤の歌詞を訳すのは古い慣用版の歌詞の記録を残すという点でも意味があることになりましょうか。よく聴くと歌詞だけでなくメロディもところどころ違っていて、古楽器の演奏でこの対訳を聴くと別の作品のようです。いつのことになるかは分かりませんが次なるこの作品の対訳最適化はガーディナー盤あたりでやってみましょうかね。

クリップスEMI盤の魅力について

  • クリップスとウィーンフィルハーモニーのコンビはデッカに1950年初めにも「後宮」を録音していて、当時の名歌手たちを擁した昔懐かしいウィーン情緒に満ちた演奏はなかなかに魅力的です。それからほぼ15年後の1966年に録音されたこのEMI盤は歌手を当時気鋭の30~40代に若返らせて活力と推進力を一段と増したもの。50年代の旧盤の方を好まれる方も多いようですが、EMI盤の「古い皮に新しい酒を入れたような」味わいには捨てがたいものがあります。
  • ベルモンテを歌うのはニコライ・ゲッダで当時40代になったばかり。あんまりこのキャラクターの持つ一途な感じはしませんが、No.2でのオスミンとの掛け合いやNo.14でコンスタンツェの貞節を疑ってボコボコにやり込められるところの表情付けなどは実にうまい。さわやかだけど単細胞なばかりでないテノールが歌うのがこの作品に深みを与えることの好例ではないかと。
  • このベルモンテを支える召使いのペドリロには当時50代初めのベテラン、ゲルハルト・ウンガー、性格派テノールの名脇役ですから間違いなくこのペドリロは当たり役。同じくベテランのオスミン役ゴットローブ・フリックと絶妙の掛け合いをしてくれます。
  • コンスタンツェ役にはオペレッタの花、アンネリーゼ・ローテンベルガー、鉄の意志の女の役にはちょっと優しすぎる感もなくはないですが、クリップスの描き出す激しくはないけれど活気のあるおとぎ話の世界にはよく似合っています。
  • ブロンテ役にはこの人だけ20代と飛びぬけて若いルチア・ポップ、オペレッタの世界から転向してきてそんなに間がない頃でしょうか。コケティッシュな味わいの出し方など実に巧い。ただ残念なのは声の質やキャラがローテンベルガーとかなり被ってしまっていることです。これはゲッダとウンガーのコンビにも言えることですが、声の質が似ているので重唱で掛け合いとなったときに今どちらが歌っていたのかうまく聴き分けられないという難点があるのです。もちろんそれだけに音が溶け合った時の美しさは他に代えがたい魅力となるのではありますが...
  • オスミン役には当時60歳になろうかという大ベテランのゴットローブ・フリック、この人の歌と演技がこの演奏の魅力を一段と高めています。憎々し気に、しかしどこか憎めない役創りとしては理想的な歌ではないでしょうか。とにかくどこを切り取っても巧い。ベルモンテやペドリロ、ブロンテと掛け合いの重唱はどれも絶品です。他の役に関してはこのクリップス盤以上に素晴らしい適役の歌手は居るように思いますが(コンスタンツェならフリッチャイ盤のマリア・シュターダーが、ベルモンテならヨッフム盤のフリッツ・ヴンダーリヒ、ブロンテならディヴィス盤のノーマ・バロウズといった感じで)、ことオスミン役に関してはこのフリックが私は一番素晴らしいと思います。彼はビーチャム盤でもペドリロ役のウンガーとともに同じオスミン役で見事な歌いっぷりを見せてくれています。こちらもクリップス盤と甲乙つけがたい素晴らしさ。ビーチャム晩の10年若い声の張りを取るか、それともクリップス盤の見事過ぎる演技を取るか、私はどちらかと言えば後者です。
  • ということで私にとってこのクリップス/VPOのEMI盤、至高の1枚という訳ではないですが「後宮」を知る上では欠かすべからざる名盤。しかも今回じっくりとリブレットを訳して初めて気がつきましたが歌詞が古い慣用版。この古い版、なかなかに捨てがたい味わいでもあり完全に忘れ去られるには惜しいとも思いますので今回訳して残しておくことができたのは良かったです。

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@ 藤井宏行
最終更新:2026年03月27日 12:21