最近の出来事
国データ
基礎データ
国名 | ||
正式名称 | マウレタニア | |
国名変遷 | マウレタニア共和国 | 諸民族の連邦へマウレタニア連邦共和国 |
マグレブ共和国 | ムーア人優位への批判から | |
マグレブ連邦 | 連邦の崩壊から氏族の台頭 | |
マグレブ氏族国 | 政情不安からムーア人政党へ支持が集中。諸文化・諸宗教ごとの氏族擁立開始 | |
マウレタニア氏族連邦 | 国家安定化へ | |
マウレタニア | 現在の形 | |
象徴 | ||
---|---|---|
国旗 | &ref(https://image01.seesaawiki.jp/o/o/orbis-memo/FLsIEygKvb-s.png) | |
国土 | &ref(https://image01.seesaawiki.jp/o/o/orbis-memo/RBJVitM0gl-s.png) | |
国歌 | アザワド共和国国歌を引用 | |
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国教 | なし | 基層文化としては北アフリカ文化が存在し、ローマ文化・フェニキア文化・アラブ文化が折り重なっている |
公用語 | タマシェク語 | |
標語 | 人民あっての国、明日を見る目こそ人たる根源 | |
首都 | ウアダン | |
構成県 | 番号 | 県名 - 県都 |
1 | イオル- アルジェ | |
2 | シュレフ - シュレフ | |
3 | ゲートゥリア - メデア | |
4 | メタゴニア - オラン | |
5 | アトラシア - メシェリア | |
6 | ジュバラ - シャフシャウエン | |
7 | ラグアット - ラグアット | |
8 | メタゴニア - エルラシディア | |
9 | アンファ - カサブランカ | |
10 | ハシメサウド - ワルグラ | |
11 | ティミムン - シャルワンヌ | |
12 | タベルバラ - アバドラ | |
13 | スース - ワルザザード | |
14 | ティンドーフ - ティンドーフ | |
15 | アドラル - アドラル | |
16 | ジューフ - ズエラット | |
17 | 北テクナ - ラユーン | |
18 | 南テクナ - アド=ダフラ | |
19 | シンゲッティ - ウアダン | |
20 | 北トラルザ - ヌアジブ | |
21 | 南トラルザ - ヌアクショット | |
各県の詳細はマウレタニアの行政区画へ | ||
その他 | ||
主な産業 | 漁業 | |
鉱業 | ||
アフリカ向け農業 | ||
政治体制 | 氏族制 | 人民は自由に氏族に属することができ、自らの属する文化・宗教をこれによって規定する。 また、これは政党も兼ねている。特定の氏族に属する場合、ミドルネームとして氏族名が入ることになる。 氏族は、条例を自らの氏族に属する人物に支持することができる。 氏族の代表者の選定は各氏族の内部で決定されるが、禁止されているものも存在する。 |
氏族団議会制 | 氏族団は国民の0.4%以上の支持者がいる氏族たちによって構成される。総議席数は250である。 大統領は氏族団から半年に1度くじ引きで選ばれる。首相は存在せず、氏族団議会からは代わりに議長を選定する。 内閣は大統領指名枠と議会枠が存在し、割合は1:1となっている。 ただし、国防大臣のみは議長が選定する。 | |
人口 | 約1億人 | |
通貨 | アルマ | |
現在の政策 | 改革開放 | |
国民精神 | 「砂漠に生まれたということは、つらい思いをしろということだ! | ・砂漠などへとつながる道路の投資収益+50%~~・砂漠などへとつながる鉄道の投資収益-50%~~・メガロポリスに建設できる都市数-10~~・メガロポリスに存在する企業の収益+20%(マイナス含む)~~・砂漠の都市および砂漠において、お互いの歩兵はダイス面を-2/-2される |
サハラ砂漠に領土を持つ国家は、開戦時に以下の効果を得るかを選択できる。マウレタニアは必ず得なければならない。~~・砂漠の都市を占領されるとトゥアレグ騎兵を5得る。 | ||
トゥアレグ騎兵 2/3 ~~ ~~砂漠でデバフを受けない。~~敵の各ユニットのダイス面の最大値は10/10まで縮小される。~~このユニットは戦後に自国の首都を占拠する。~~再統合するには都市ごとに残存トゥアレグ騎兵1つあたり3の幸福度を支払う必要がある。~~このユニットは購入できない。~~このユニットは維持費がかからないが、このユニットに首都が占拠されている間、自国の首都と隣接するインフラから投資効果を得られない。 | ||
砂漠にほれ込むやつは「外人」だけだ。砂漠に生きる者はだれだって水を欲している。食料を欲している。金を欲している。それがわからない者に戦いに勝つ力はない。我々は文字通り、あらゆるものを「渇望」しているのだ。 |
政策
対外 | 軍事 | 国内 | |||
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文化資源
マラケシュの馬具装飾 | 陸軍維持費-1% | マラケシュ博物館に展示されている、マグレブ地域を代表する馬具。~~砂漠は馬・ラクダにかかわらず、いかなる生き物にとっても過酷であり、~~そんな彼らを保護しつつ威厳を見せるために作られたという。 |
シンゲッティの写本群:~~トーラー、クルアーン、アヴェスターにいたるまで | 週幸福度+2 | シンゲッティは古来よりさまざまな教えを競い合う街であった。~~あらゆるところから流浪の学者があつまり、ともに言葉を交わす様はギリシャにも比肩するという。~~そんな街に残されたおびただしい数の写本たちと議論ノートは、世界の歴史を紐解くのに役立つだろう。 |
地中海の石膏 | 観光収入+1% | 北アフリカはローマ人、フェニキア人、ギリシャ人の激戦区であった。隣接地域には先印欧の人々やエジプトまでが存在した。~~数々の地域から戦火を逃れて流れ着いた石膏は、各地の神話、歴史、文化を物語り、その移り変わりを示している。 |
参加している国際組織
組織名 | 補足 |
アフリカ会議 |
氏族
マウレタニアの氏族を参照。
憲法
マウレタニアの憲法を参照。
歴史
古代
古代においては北アフリカの王国として繁栄していたが、一度はカルタゴに服属、第二次ポエニ戦争以降はローマに服属する。一度は王制が廃止され、王国としては歴史をさるが、ローマ帝国の二分割統治が始まり、ゴート人の勢力が増すと、西ゴート王国と同盟しヴァンダル族に対し猛烈に抵抗、その侵入を防いだ。しかし、アラビア半島にてイスラム教が勃興すると、隣国であったヴァンダル王国が滅ぼされ、マウレタニアもその波に飲み込まれた。マウレタニアは古代より様々な宗教の信徒がいたが、彼らは迫害され、猛烈に数を減らしていった。その後、アッバース朝において政争に敗れたイドリース1世を擁立し、イドリース朝として再出発する。
アラブ王朝時代
結果として、マウレタニアにおけるイスラーム化は全体の30%にも満たなかった。残りは伝統信仰、カトリック、マウレタニア正教会、マニ教、ミトラ教、ユダヤ教、ゾロアスター教と入り乱れており、彼らはイスラム支配に強く抵抗したために、歴代王朝は彼らを保護の対象としなければ政権運営がままならなかった。マウレタニアにおいて、これ以降は下層の多数宗教と支配層のイスラームという対立構造が生まれることになる。イドリース朝が後ウマイヤ朝に敗れたのち、再びイスラーム勢力が強まるが、長く安定せず、地方ごとに大きく分かたれ、イベリア半島・マウレタニアにおいて第一次タイファ(諸王国の乱立時代)が訪れた。ムラービト朝はこれらを統一し、その領域にガーナ王国を組み込んだ。
ムラービト朝支配下においては、サハラ交易は保護された(より正確には、王朝がその利益に預かろうとした)。この地域において主となる交易品は金、岩塩、銅であり、北アフリカまで運搬する交易路が重視された。しかし、現地のトゥアレグ人が強く抵抗し、ムラービト朝以降(ムワッヒド朝、マリーン朝、ワッタース朝)はやむなくサハラ交易へと不干渉とすることになる。
1500年代にサアド朝が成立すると、ポルトガル王国の領域を奪取し、さらにはサハラ砂漠を超えて西アフリカ一帯を征服した。サアド朝の開祖であるムハンマド・カーイムはムスリムであったが、家系にマニ教の血が流れていたためにスーフィズム的な考えを持っていた。彼の元宗教保護政策は強化され、イベリア半島における宗教裁判からの亡命者や難民を広く受け入れた。カーイムの元、マウレタニアは黄金時代に入り、様々な調度品文化が誕生する。それらが南北にお互いに伝播した結果、サアド文化とも呼ばれる独特な芸術品が出来上がることになる。しかし、その支配も長く続かず、1600年代に入ると急速にその領土が縮小していった。
ヨセフ=ユダヤ王国時代
1600年台後半にもなるともはや無政府状態になっており、各地で様々な宗教背景を持つ集団が蜂起した。そんな中、それを統一したのはユダヤ人であるヨセフ一派だった。彼らは交渉に長けており、各教団の利害を調整し、ヨセフ朝が成立した。ヨセフ朝直轄地は最初こそ極小であったが、政権が安定すると次第に拡大し、各宗教や各派閥の不満が蓄積された。2代目まではどうにか政権を維持していたものの、3代目にもなると内憂外患の混乱となる。北イタリア、スペイン、フランスの侵攻を受け、各国と不平等条約を結ぶなど、ユダヤ王国はもはや勢いを失っており、1800年代後期には、南北戦争の後処理に悩んだアメリカ合衆連邦の侵攻を受けることになった。また、アメリカ連合国の下、マラケシュを中心とするリバタリア共和国が建国された。これはアメリカ合衆連邦の黒人移民政策によるものであり、アフリカ各地からアメリカに集まった黒人を「自由なる祖国」へ帰そうというものである。リバタニアの再統合は、1990年に入るまで待たねばならなかった。
このリバタリア共和国建国に反発した過激団体「サヌーシー教団」が、リバタリア建国式典に参加したスペイン王国王子を襲撃する事件が発生した。これをヨセフ=ユダヤ王国ヨセフ4世が追認に、アメリカ、イギリス、南イタリア、北イタリア、フランス、ドイツ、ロシア、オーストリア、スペインが介入した(サヌーシー事件)。結果として、ヨセフ=ユダヤ王国は敗戦、マドリード条約が締結された。この不平等条約は、各地に租界地が設けられるなど、欧州各国の本格的な内政介入を許すものとなった。特に北イタリアおよびスペインは大規模な領土獲得を、ドイツは北マグリブ鉄道の管理権限を獲得した。また、この敗戦により、ヨセフ=ユダヤ王国は弱体化、各地で軍事力を持った集団が独立宣言を唱え、欧州各国からの支援を求める状態となった。のちのマウレタニア共和国となる「マウレタニア」はスペイン領サハラの東にて産声を上げた。
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戦乱の時代と世界大戦
ヨセフ=ユダヤ王国は1890年までに実体がなくなっていたが、欧州政府から承認されていた。各独立政府がそのまま独立するよりも、内戦と見ていずれかに統一をしてもらう方が遥かにメリットがあると考えたからである。そのため、各欧州国家は各独立政府のいずれかを支援していた。マドリード会議にて交渉の優越権を得られなかったイギリスはマウレタニアを支援し、スペインの利益を削ること、同時にリバタリアに対する牽制を目論んだ。また、同時に北イタリアは、スペインの地中海勢力を削減するためにも北部を現地政権であるアトラシアに返還しながら、マウレタニアとアトラシアに支援を開始した。隣国であったオルシリル国の国主メフターリンデはマウレタニアの指導者であったアブドゥラと交友を持っていたこともあり、マウレタニアを保護した。
マウレタニアはいずれの国の支援も受けていなかったシンゲッティ国へ南下し、これを自国へと組み込んだ。この際シンゲッティへ遷都し、それ以降マウレタニアの首都であり続けている。続けてロシアの支援を受けたトラルザ王国へ侵攻し、わずか2ヶ月で攻略した。ロシアはこの地に対して魅力を抱いておらず、支援といっても簡単な資金援助に過ぎなかった。また、ロシア自身が弱体化をしていたために、そもそも国外へ向ける余裕がなかったのである。トラルザ国王とその王族はロシアへ亡命中に海難事故に巻き込まれて死亡している。
1912年、北アフリカのアトラス山脈を中心とするアトラシアとそれ以外の旧ユダヤ王国を領土とするマウレタニアまで統一された。この状態が2年ほど続き、1924年に国境における子供同士のいたずらが飛び火し、両国の世論にまで影響を与えてマウレタニア統一戦争が始まった。これは2年ほど小競り合いを中心に膠着していたが、突如ヨーロッパにて始まった世界大戦によって北アフリカも戦場の一つとなった。アトラシアは勢力拡大をもくろみ、ドイツに確保されていた北マグリブ鉄道の回収に乗り出した。これに危機感を覚えたマウレタニアはドイツと軍事提携し、「戦後20年経過したのちに利権と租借地を返還する」という内容の条約を締結した。これにはドイツ同盟各国も署名し、租借地問題の完全解決の第一歩となった。1915年、アトラシアはマウレタニアとアフリカ出兵をしていたオーストリア連合軍に降伏した。協商軍はこの状況を打開しようと北アフリカに戦力を投入した。一時はフランスに西部を大きく占領されるも、アラブ人指導者が「フランスに飲まれるならばマウレタニアを選ぶ」と宣言し、強固な抵抗運動を展開した。北イタリアはアトラシアへ返還した土地の再確保を目論んだ。一時はマウレタニアは押し込まれ続けたが、フランス本土にて革命が発生し、ナポレオンが政権を掌握、フランス軍が本土へと撤退した。これにより、北アフリカの趨勢はおおよそ確定し、現地同盟人などとの戦闘はあったもののアトラシア全土、フランス・ロシア・南イタリア・北イタリア租借地がマウレタニアへと統合された。
戦後の100年間のマウレタニア
マウレタニアはムーア人の民族独裁制を戦時中は採用していた。しかし、各地方を統合するには共和政をとるものがよいだろうという意見が多数派を占め、スムーズな切り替えが行われた。初期は民族政党を中心とした議会制となっていたが、諸民族の自治権要望が強く、半年ほどで政権運営が行き詰まっていた。そのため、1920年には諸民族による連邦へと切り替えられ、混乱が収まったかのように思えたが、その後はムーア人主導者への失望から国名への批判が集中し、マウレタニアという名前は一時消滅した。
インフラ
★ : 首都
■ : メガロポリス
● : 大都市
▲ : 地方都市
黒線 : 国境
黄線 : 史実国境
灰線 : 県境
青線 : 主要道路
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■ : メガロポリス
● : 大都市
▲ : 地方都市
黒線 : 国境
黄線 : 史実国境
灰線 : 県境
青線 : 主要道路
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最近の法律
都市
【ウアダン】
施設 | 規模 |
空港 | 500万 |
中小都市 | 13 |
兵舎 | |
航空工場 | |
自然公園 | |
歴史公園 | |
私立大学 |
【シャフシャウエン】
施設 | 規模 |
港 | 500万 |
空港 | 500万 |
IT集積地 | |
航空会社 |
【ヌアクショット】
施設 | 規模 |
港 | 500万 |
空港 | 500万 |
海軍工廠 | |
石油コンビナート | |
私立大学 | |
シリコンバレー | |
海運会社 |
作物・生産物
有名企業
外資 | |||
---|---|---|---|
社名 | 都市 | 本社の場所 | 規模 |
キング・コットン | ヌアクショット | アメリカ連合 | 200万 |