見渡す限り続く山脈の中に、ただ一箇所だけ灰色の森があった。
深い緑に塗られたキャンバスにポトリと灰色の水滴が落とされたように不自然なその場所は、人の過ちによって生み出されたものだった。
その灰色の森の中心にあったのは一つの小さな集落。
かつては「革新」によって栄えた集落も、その「革新」が「失敗」に変わったことにより人が住めない場所へと変わってしまった。
それから十数年が過ぎた頃、この集落にて秘密裡にある催しが行われた。
その催しがこの集落に変化をもたらしたことは無い。
しいて言えば、人に代わりこの集落の主となった「化け物」が姿を消したことだけだろう。
それが終わり、集落にはまた永い沈黙の時が流れ続けるものと思われた。
しかしこの集落に再び人間が足を踏み入れるのは、それからたった数週間後のことだった。
「ふぅー……ようやく辿り着いたぜ。さすがの俺でも脚がパンパンだ」
それは「催し」の参加者の1人『二義誠』だった。
誠は服にこびりついた砂や草を払い落としながら集落を見渡した。
「ええと、そんでアレはどこにあったっけ……」
きょろきょろと辺りを見回し、誠は目的地を発見する。
それは集落の真ん中を通る道の向こうに立つ「病院」だった。
かつて自分が参加した戦いにおける舞台であり、未知の化け物に遭遇した場所である。
とは言っても、もはやその場所に化け物はもう居ないのだが。
だが、彼はこの場所で新たなる出会いに遭遇することになる。
病院の駐車場に入ると誠は以前訪れたときとは違う異変を目の当たりにしていた。
駐車場には迷彩模様のヘリコプターが停まっていたのだ。
しかし、操縦席のオペレーターはこちらに気づくどころか、前にもたれかかったまま動かない。
よく見るとフロントガラスには血のりがこびりついている。
「……!? ここで何が……」
誠は不安な気持ちに駆られるが、好奇心が優りそのまま病院へ足を踏み入れることに決める。
そもそも、彼自身この病院へ来るためにここまでやってきたのだった。
ロビーへ入ると、彼がここへ訪れた時とは様子が全く違っていた。
ただ人がいないだけの、床やソファに埃がかぶっていただけのロビーは、
天井や壁のガレキが錯乱しており、建物は半壊状態だった。
しかしそれよりも重要なことは、ガレキの上に横たわる1人の人間だった。
灰色のガレキの山の中で、真っ赤な血を流していた女性が目を見開いて穴の空いた1階の天井のむこうを眺めていた。
その女性は、死んでいた。
格好はおよそこの場所に似つかわしくない、ギャルの装いをしていた。
ウェーブのかかった長い髪に血が浸み込み、ネイルアートが施された指の爪は、もがき苦しんだ跡なのかガレキに深く削った跡を残していた。
細い彼女の体は傷跡もわからないほどグチャグチャにされており、血に濡れたピンク色の肉の間には骨や臓器のようなものが見えている。
誠はそれを見て吐き気を催してくる。
かつてここで大蜘蛛を見たときの恐怖とはまた違う、それでいて同等に及ぶ恐怖がこみ上げてきた。
しかし、それを堪能する間もなく、ガレキの陰からもう1人の人間が姿を現す。
「あんた、誰?」
誠の前に現れたのは仰木健聡だった。
誠と同じく第11回トーナメントの出場者であり、また優勝者である。
しかし、一回戦で敗退した誠には健聡が出場者であることすら予想していなかった。
「お、お、俺は二義誠……ここには、忘れ物を取りに来ただけだ」
誠が逃げ出さなかったのは、健聡の声や態度に敵意を感じなかったからだ。
確証があるわけではなかったが、誠は自分が人間観察のプロである自信があったし、もし自分に敵意があったならわざわざ姿を現すはずがないと思ったこともあった。
「こんなところに忘れ物って……あんた、もしかしてトーナメント関係者?」
「いっ、いやいやいや俺はただの出場者! ……っても一回戦で負けたけどな、ここで」
健聡が少し警戒を見せたので、誠は必死に説明する。
しかし誠はここで目の前の男がトーナメントに関わった者だとわかった。
それも、運営の側ではなく参加者であることも。
「まあ、そーだよな。運営の人間なら、『こいつ』が死ぬのをただ見ているわけ無かったもんな」
と、健聡はガレキに横たわる女性の死体に目を向ける。
「『こいつ』……ってこの女、運営の人間なのか?」
「ああ、そーだよ。僕はわけあってここへ連れてこられてね……っと、自己紹介が遅れたね。僕は仰木健聡、今回のトーナメントで優勝した者さ」
優勝した、と聞いて誠は驚いた。
健聡はおよそ自分とはほとんど何も変わらない、むしろ自分よりも年下の、ただの少年にしか見えなかったからだ。
ただしそれはあくまで風貌だけであり、誠は彼の目の奥に闇があるのをすでに気づいていた。
「そうなのか……ほんで、何故おまえを連れてきた運営の人間がこんな惨たらしく死んでいるんだ? まさか……」
まさか、あの蜘蛛が……と言おうとしたところで、健聡は言った。
「そう……僕が、殺した」
ゾクリ、と誠の背中に悪寒が走る。
じゃあ何故殺したんだ、と聞こうと思ったがそれを聞いたら今度は自分が殺されそうだと誠は思った。
だが健聡は誠が聞くまでもなく、顛末を話し出した。
「この女は……一回戦のときの立会人でね。その時は僕の対戦相手が邪魔だったらしく、『そいつが負けて死ぬ』ように僕に助力したんだよ。
僕は考えずに行動するタイプだから、誘いのままに戦って勝利したんだけどね。そこまではよかった。
だけど、考えてみればそれは立会人の不正だ。その片棒を担いだ僕を生かしたくはないと思ったんだろうな。
今度は僕の二回戦の相手に接触したらしい。そこで何があったかは知らないけど、僕は結局二回戦でも勝って、決勝でも勝って、優勝した。
優勝するとどうなるか……あんたも知ってるよね?」
「なんでも願いをかなえてくれる……って感じのヤツだっけ」
「そう、だけど優勝したところでこの女にとって僕は目障りな存在に変わりはない。
そこで運営の最後の仕事である『優勝賞品』で僕を釣って、ここへ連れてきたんだ。僕も人の子だからね、なんでも願いを叶えてくれるってモノはそりゃ欲しいし。
だけど、ここへ来たときあの女が襲い掛かってきたんだ。当たり前だけどあの女もスタンド使いだったらしくて。
最後は自分の手で僕の息の根を断とうとおもったんだろうね。それで、この有様さ」
「えーと、つまり……返り討ちにしたと。じゃああのヘリのパイロットも……」
「……うん。まあ彼は純粋な被害者だけどね。でも一応運営の人間だからね。
しかし困ったことにこの女を殺しちゃったことで、僕は優勝賞品を得られなくなっちゃったんだよねえ……」
誠は健聡の話を聞いて、己の身の危うさに徐々に気づき出す。
健聡を殺そうとここへ連れ出した運営の女、そしてパイロット……それをここで返り討ちにした健聡……
ここでの真相を知っているのは、健聡と自分だけだった。
誠の手に冷や汗が流れ出す。
「ところで忘れ物って言ってたけど、あんたはここで一回戦を戦ったんだよね?」
「あ、ああ……その時はこんなガレキにまみれていなかったけどね。どうやら君はずいぶんな暴れん坊らしいな」
「いやいや、勘違いしないでよ。僕が来たときにはすでにここはこんな状態だったよ」
「ん? と、いうことは……あの大蜘蛛を倒したのは君じゃないのか」
「大蜘蛛? ……ああ、なるほど。これは八千代さんがしたことだったのか……」
誠はここへ来たことをすでに後悔し始めていた。
誠の忘れ物……それは自分が好意を寄せる女性たちの住所等を書き込んだメモ帳だったのだが、
それを探す気などもはや無く、健聡が自分に敵意を向ける前にこの場を去ることを考えだしていた。
「……うーん、今思うとパイロットまで殺しちゃったのはマズいかなあ。
あのヘリが運営の持ち物だとすると、この女が帰ってこないことはすぐにわかってここへもやってくるだろうし……
僕がここへ来たことも運営が知っているとなると、僕がやったってのもバレるよなあ……」
健聡はガレキだらけのロビーを歩きながら考え込む。
「そうだな……せめて僕がやったってバレにくいように手を打っておく必要が……あ、そうだあんた……」
と、健聡が誠を呼ぼうとしたとき、誠の姿はもうそこにはなかった。
考え込む健聡をよそに、音も立てず誠は逃げ去ってしまっていた。
「…………はあ、まあ考えてたってしょうがないかな。この『縁』は切りたくても、切れそうにないみたいだ。僕と、このトーナメントは……」
第11回トーナメントは、それに関わった者たちに『縁』を生み出した。
その形は人それぞれだったが、それが良い方向へと導かれるのか、それとも悪い方向へと導かれるのか……それは今後の彼らの行動によって決められるだろう。
「とりあえず、あの占い師のところか、一回戦の彼女が言ってた『アカシャ』ってところに行ってみようかな……
ああでも、あっちにとってすれば僕は彼女の仇になるのかな? まあいいや、行ってから考えよう」
都内の繁華街の裏路地に小さな店がある。
しかしその店の入り口は端から見ればビルの勝手口にしか見えず、一見の客が来ることはまずない。
そんな店の扉の前に、ここへ導かれるようにしてやってきた者がいた。
くたくたのコートを着て、顔には少しシワの刻まれた男。
時任八千代はゆっくりとドアノブをまわし、中へ入っていった。
扉の先は一本の廊下だった。しかし廊下からすでに暗く、いかにも怪しい雰囲気が漂っていた。
全体的に紫色をしたインテリアで、天井からはいくつもの絹のカーテンが垂れ下がっている。
ゆっくりと奥へと進んでいくと小さな小部屋への入り口を仕切るカーテンが見えた。
そこを開けて中へ入ると、水晶玉の乗った小さなテーブルの向こうに黒いマントを羽織った女性が座っていた。
「いらっしゃい」
怪しい雰囲気とは裏腹に、女性はわりと爽やかに挨拶をした。
「ようこそ、秘森セレナの占いの部屋へ」
「占い……?」
セレナは入ってきた八千代に対し、目の前の椅子へ座るよう促すが、
八千代はまだ不思議そうに部屋の壺や飾りを見回していた。
「……もしかしてあなた、ここが占いのお店だと知らずにやってきたの?」
八千代は申し訳なさそうに頭を掻きながら応えた。
「すまない。なんというか、不意にあの扉を開けたくなったんだ。何か探していたわけではないのだが……」
セレナは一度きょとんとした顔を見せたが、すぐ占い師の顔に戻った。
「いいえ、ごくたまーにいらっしゃいますよ、そういうお客さん。
それにね、今日の占いにもでてたんですよ。『予期せぬ出会いが待ち受けている』ってね。まあこれは朝のテレビの占いですけど」
「はは、そうか。占いのお店だったか。こんなおじさんが来ても迷惑だろう、失礼するよ」
そう言って去ろうとする八千代だったが、すぐにセレナは引きとめた。
「待って、折角だから占わせていただけません? ちょうどさっき、予約のキャンセルがあったばかりですから」
「いやしかし……申し訳ないよ」
「これでも、けっこう名のある占い師なんですよぉ私。暖簾を下げなくてもお客さんが来てくれるくらいには(七光りが多少あるけど)。
もったいないですよー帰るなんて」
そう言ったセレナの目は、こちらを騙そうだとか、そういった印象を八千代は受けなかった。
あるいはそれも占い師としての能力なのかとも思ったのだが、これも偶然の導きと思い八千代は椅子に座った。
「……そうだな、これ以上お嬢さんのお誘いを断り続けるわけにもいくまい」
「では、始めましょうか」
セレナは目の前の水晶玉に手をかざし、その曇りの中を探るべく食い入るように見つめる。
だが決して水晶玉に答えが現れるわけではないのだ。セレナが見ているのは八千代の外見、そしてそこから推測されるストーリーである。
「あなた、探しものをしていますよね?」
「えっ!?」
「あーいや、わかってますよー。こういう言葉は確かに占い師の常套文句です。でもね、あなたは特にそうなんじゃないかって思ったんです」
セレナの言葉に八千代は何の疑いも無く驚いていた。
あまりの好反応に思わずセレナは予防線をはってしまうように話し続けていたのだが、八千代は素直にセレナの言葉を受け止めていた。
「言っちゃあ悪いんですけど、確かにあなたのような方はめったにいらっしゃいませんからね。だから、あなたがここへ来ることは必然だったのです。
運命なんて大げさなものじゃあないですよ? あなたは無意識下でずっと探しものをしていた。だから、アドバイスが欲しくて自然とここに足が運んだんです」
「…………」
セレナの言葉に八千代はただじっと聞き入っていた。
だが正直セレナにとっては突発的に来る客というものは一番困る客だった。
例えば、占いをしてもらうつもりで来る客というのは、すでに自分の中で答えは出ているのである。
セレナはそれを客のプロフィールに沿って対話で引き出し、客の持っている答えに対し背中を押すだけなのである。
それでほとんどの客は満足して帰ってくれるのだ。
(ほんとうに未来を読む力のあった師匠なら、こんな客でも困らなかっただろうなあ)
しかし、セレナは師匠と約束をしていた。
超一流の占い師になると。
決して自分を偽らず、それでいて人に『覚悟』と『安心』を与えられる占い師になると。
そのためには客を選んでいては成長できないのだ。
「きっと、見つかりますよ。そう遠くない未来に……」
セレナは穏やかな笑顔を八千代に向けた。
息巻いて占わせてほしいと言ったものの、今のセレナにこれ以上の言葉は出なかった。
未熟さを思い知り悔やむセレナだったが、八千代はそれに構わず口を開いた。
「実は……きっかけはあったんだ」
「きっかけ?」
「……『トーナメント』」
「!!」
『トーナメント』という言葉に、逆にセレナが驚かされる。
もしこの男の言うトーナメントと言うのが、自らも参加したトーナメントだったのだとしたら、
この出会いは本当に運命だったのかもしれないと。
「僕は、答えを見つけるため、それに参加した。優勝すれば望みのものが手に入るというからね……
だが僕は……何も見つけることができなかった。いや、もし優勝していたとしてもそれは得られない答えなのだろう。
途中からそう思い始めたのも事実なんだ」
「…………」
「だが、君の言葉を聞いて少し気分が落ち着いた。確かにもう少し探し続ければ……」
「やーめた!」
自嘲気味に話し続けていた八千代の言葉をセレナは遮った。
「……?」
「占い、今日はやめにしましょう。ごめんなさいね、私が言い出したのに。
でも同じ参加者だったのにぼんやりとした占いしかできないのも失礼でしょう?」
「同じ参加者……? ということは君は……」
「私も、そのトーナメントに参加していたの。といっても二回戦で負けたんだけどね。でも、占い師としては成長したよ」
占いを中断されたことに戸惑ったものの、思わず八千代は笑ってしまう。
「なるほど、たしかにここへ来たのは運命だったのかもしれないな」
「あなたが優勝しなかったってことは……なんだ、結局あの子が優勝したんだね、あはは」
「なんだろうな、こうしてみるとあの戦いも無駄じゃなかったんじゃないかって思えてくるよ」
「そうだね……もしかして、それがあなたが得たものだったりするんじゃないかな?」
「……え?」
八千代はセレナの顔を見た。
セレナの目はまっすぐ、こちらに向けられている。
そして爽やかな表情をしていた。
「今日は占いはやめたと言ったけど……ひとつだけ、言わせて。あなたがあのトーナメントで出会ったのは『縁』だったのよ」
「エニシ……か」
「あなたが抱えている悩みがどれほどのものか私にはわからない。優勝しても得られないかもしれないものだったら、とても大きなものなのかもしれない。
でも、例え優勝できなかったとしても、あのトーナメントで得た人との縁は決して無駄にはならないよ」
「……」
「もちろんその出会いというのは、私も含めてね。うぷぷ」
それを聞いた八千代の表情には、トーナメントに出る前から抱えていた心の曇りは見えなかった。
セレナと同じ、爽やかな笑顔を見せている。
「どうやら君は素晴しい占い師らしい。実は僕はもう出会っていたんだよ。『縁』ではなく、『縁』だがね」
「……んっ? 『エニシ』じゃあなく、『縁』……『ゆかり』じゃあなくて?」
「そうだよ、『縁』だ。こないだも会ったんだ、私の店でね」
「…………?」
東京から新幹線で約2時間、逢ヶ浜縁(おうがはま ゆくり)はS市の駅のプラットフォームに降り立った。
縁の腕には父との思い出の品である壊れた腕時計がつけられている。
縁は、トーナメントで時計職人の時任八千代に出会った。
勝負は八千代に軍配が上がったが、八千代は縁の腕時計とその思い出を聞き協力すると約束した。
そしてその約束どおり八千代は縁の腕時計を自分の店の工房で調べたのだ。
すると、手がかりはあっけなく見つかった。
時計の本体の裏蓋を開けると、その蓋の裏側に日付と場所が刻印されていたのだ。
日付はおよそ50年も前のもの、そしてM県S市と記されていた。
これが何を意味するのかは縁にもわからない。
ただひとつ言えるのは、縁はその場所のことを父からは一度も聞いたことがないということだった。
突然いなくなった父、そして縁も縁もないはずの場所が記された思い出の時計。
調べる価値は十分にあった。
しかし……
「…………」
縁はプラットフォームから駅のホールに出た。
きょろきょろとあたりを見回してみるが、初めて来た場所であるし、どこへ行ったらいいのかもわからない。
手がかりはこれ以上ないのだ。
もう少し家の中を調べてから来ればよかったかなと思いつつも、
縁は地図を買うべく駅の売店へと向かった。
そして、縁はここでまた出会うことになる。
同じトーナメントに出場した者に。
「うおおおおおおおおおお~~~~~っっ!!」
雄たけびをあげながら売店から出てきた男にぶつかって縁は床に倒されてしまった。
しかし、男は縁に気づかずに叫び続けていた。
「つ、ついに出会えたぜ、幻の『牛タンアイス』! ほかの地域限定アイスの『ずんだアイス』よりもインパクト大なご当地アイス!
あああ~っ、ダメだ! ベンチ探してる余裕なんかねえ!」
そう言うと男は店の前で袋から牛タンアイスを取り出し、ベルトのホルスターからスプーンを取り出すとパカッとアイスの蓋を開けた。
「な、なんとぉ~! このツブツブがもしかして牛タンなのかぁ~なるほどビーフジャーキーみてえだが……とりあえず食すぜ!」
「…………」
縁は、人にぶつかったことに構わず買ってきたアイスに夢中になる男を見て面食らっていた。
「あむッ! ばくっ! ズッ、ガむっ!」
「あ、あの……」
「ふぅ~なるほどな……生クリームの効いたミルクアイスはそれだけで絶品だが……牛タンのツブの塩気が甘みを増幅させている。塩バニラと同じだな。
しかしそれでいて牛タンの風味があとからやってくる…………うん、まあお土産には面白いかもな……ってなんだ君は」
アイスを食べ終わってようやく男は縁の姿に気がついた。
「あ、あの……あなたが店から出てきてぶつかってしまって……」
「あー……もしかして、俺が悪かった感じ……?」
「いえ、あの、私も考えごとしながら歩いていましたから、すみません」
「いや! きっと俺が悪かったんだろう! スマン、お詫びになんでもアイス食べさせてやる!」
すると男は片手に持っていたアタッシュケースを縁に差し出して開けた。
中には様々なアイスクリームがケース内にびっしりと敷き詰められていた。
「俺の名前は藍澤蒼真って言うんだ。メーワクかけてすまなかった! さあ、なんでも選べ!」
「あ、あの、どちらかというと今の状況のほうが迷惑というか……」
「えっ!?」
蒼真があたりを見回すと、自分たちから距離を置いてこちらを訝しげに見つめる大勢の人たちがいた。
「じゃ、じゃあとにかくこの場所から出よう!」
「え、ええっ!?」
蒼真は縁の腕をぐいと掴み、駅の外へ引っ張って走っていった。
蒼真と縁はしばらく走った後、近くにあった喫茶店へ入った。
縁はコーヒーを頼み、蒼真はデラックスミックスベリーチョコサンデーを頼んだ。
「……なるほど、縁ちゃんは親父さんを探してここへ来たと。……俺と似たような事情を抱えているってことだ」
「えっ私の旅と、ご当地アイスを探す旅が一緒なんですか……?」
「おっと、冗談だ。全然違った」
大きなガラスの器に盛り付けられたスイーツをモリモリ食べながら蒼真は縁の話を聞いていた。
思い出の腕時計のこと、突然いなくなってしまった父のこと、そしてトーナメントのことも。
「トーナメント!?」
「あ、はい……そういう機会がありまして。その時出会った人が助けてくれて、ここへ来たんです。あの、トーナメントのことが何か……?」
「い、いやなんでもない……(正直ヤな思い出しかないからあんまり思い出したくない)」
だが、同時に蒼真は思う。
同じトーナメントに出た者同士が全く関係のないところで出会ったこと、それは偶然ではないのかもしれないと。
正直、自分が今やっているご当地アイスめぐりなんてものはたいした意味のある旅ではない。
それよりは縁の旅のほうがずっと価値があり、彼女にとって大事なものなのだろう。
そして、自分はどうするべきか……
(あのトーナメントに出たこと……決して無意味じゃなかったかもな)
「なあ縁ちゃん、俺も親父さんを探すのに協力させてもらえねえか?」
「は、はいっ!? な、なんでですか?」
縁にとってすれば突然の蒼真の発言に縁は驚きすぎてコーヒーをこぼしてしまった。
「ええっと……そりゃあ俺は縁ちゃんに迷惑かけちまった引け目もあるしよお……」
「それはもう気にしないでください、さっきも言いましたけど私も悪かったんですから」
「あ、いやでも……」
それ以上蒼真は縁に何も言うことができなかった。
自分にとってはある種運命的な出会いだったかもしれない。
だが、向こうにとってはそうでないのだろう。
もし縁に自分は同じトーナメントの出場者だと言っても、自分に助けを求める理由など無いのだ。
逆にこれ以上詰め寄ることは、いっそう縁に迷惑をかけることになる。
二人は支払いを済ませ、喫茶店を出た。
「それじゃあ、私行きますね」
「あ、ああ……がんばってな縁ちゃん」
「今度はちゃんと周りを見て、人とぶつからないようにするんですよ」
「はは……そうだな……」
縁はにっこり笑って振り返り、横断歩道を渡っていった。
「……!!」
だが、蒼真は縁に迫る危険に気づく。
赤信号にもかかわらず、猛スピードで交差点に向かおうとしているトラックが迫ってきていた。
「縁ちゃん!」
蒼真の叫び声を聞き、縁はようやく気づく。
トラックは確実に縁に向かって走っていた。
「くっそ……間に合えッ『コールド・チューブ』ッッ!!」
蒼真は手に持ったアタッシュケースを道路に向かってぶん投げた。
ケースが空いて中から様々なアイスクリームが飛び出す。
そして、ケースの中からはそれらと同時にケースの容量以上の『冷気』が膨らみ上がっていった。
「縁ちゃんをトラックから守るんだァっ!!」
縁は突然の恐怖に身がすくんでしまって動かない。
コールド・チューブは迫り来るトラックと縁の間に到達した。
するとコールド・チューブはアスファルトに張り付き、空気中の水分を集めて瞬時に氷を精製していく。
作ったのは氷のジャンプ台。
トラックのタイヤの幅に合わせ、へたり込んだ縁を飛び越すように広く大きな勾配をつくった。
トラックはジャンプ台に乗りあがり、そのまま縁の頭の上を飛び越していった。
「……!」
縁の身の安全は守ることができた。
しかし、新たなる問題が発生する。
ジャンプ台から飛び上がったトラックが、飛びすぎたのだ。
このままではトラックのむこうに停車している車に上からぶつかってしまう。
「ヤ、ヤベエ!」
「……『スロウ・ダウン』ッ!」
縁はすぐに身を立て直して、自身のスタンドを発現させた。
『空間に浮力を与える』彼女のスタンドで飛んだトラックを浮力の泡に包み込んだ。
するとトラックのスピードが落ちて、停車した車の後ろにゆっくりと下りていった。
その瞬間、あたりからは悲鳴とも歓声とも取れる大きな声が沸きあがった。
「縁ちゃん、離れよう!」
蒼真は縁の手を掴み、道行く人を掻き分けてその場を去っていった。
二人が人気の少ない道路に着くと、蒼真は縁の手を離した。
「す、すみませんでした!」
蒼真に対し縁は深々と頭を下げる。
「なんで縁ちゃんが謝るんだ? 誰もケガしちゃいないし、誰にも迷惑かけてない」
「いえ、でも私が周りを見ずに道路を渡ったせいで、藍澤さんには迷惑をかけてしまいました」
「俺は『誰にも迷惑かけてない』って言ったんだ。俺はなんとも思っちゃいないからよ」
「でも……でも……」
頭を下げ続ける縁はしだいに涙声になっていた。
それを見て蒼真はぽりぽりと頭を掻く。
「じゃあよ、縁ちゃんが俺に迷惑かけたと思うんならよ、ひとつ俺のお願いを聞いてくれや」
「………はい」
「俺に、縁ちゃんが親父さんを探すのを手伝わせてくれや」
「……!」
「あんな特大スタントみたいなことを一緒にやってのけてよ、もう赤の他人だとは言えないだろ?」
「でも……」
「それによ、縁ちゃんが言ってたトーナメントってヤツに、実は俺も出てたんだ」
「えっ!?」
「くっさいセリフ言う見たいで恥ずかしいけどよ、これもなにかの縁じゃねえか。
せっかく出たトーナメントだったんだ。そこで得た縁を無駄にはしたくないだろ?」
『トーナメントで生まれた縁』、その言葉を聞いて、縁は八千代のことを思い出した。
トーナメントでは負けたけれども、あの出会いを通じて自分の中に新たなる光が生まれた。
それを決して無駄にすることはできない。
蒼真の言うとおり、縁も同じ気持ちを抱いていた。
「……はい、その通りですね」
「んじゃあ、決まりだな! 俺のスタンドは人探しにも向いてるからよぉー、頼りにしてもらってもいいぜ?」
「うん……うん、お願いしますね!」
「ま、たまーに寄り道して、ご当地アイスを探すのにも協力してくれよ」
「それは……時と場合によりますよ?」
「あ……そう」
戦いで生まれた縁が、新たなる縁を生み出す。
それは勝者にのみ与えられるものではなく、誰にも分け隔てなく得られるものなのだ。
しかし、それが良い方向に導かれるものなのか、それとも悪い方向に導かれるのか、それは今後の彼らの行動によって決められるだろう。
彼らの物語は、ここから始まるのだ。
~第11回トーナメントエピローグ『縁』~ おわり
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