今日、私は学校を休んだ。
六時間の授業を受けるよりも大切なことが今日あって、それをやらねばならないからだ。
羽織った青のパーカーのポケットに手を突っ込み、履き慣らしたスニーカーのつま先で黄色の点字ブロックをなぞる。
人目につかぬよう俯き気味に、プラットホームにて電車を待った。
『・・・まもなく、一番線 荻窪行がまいります』
「・・・」
プォーーーーーーン
プシュウ
目の前で扉が開き、少女は電車に乗り込んだ。
席に着いて、ナップサックから携帯電話を取り出す。
「・・・」
自分の彼氏と友達に、最後のメールを送ろうと思い本文を打ち始めたが、やめた。
こんなの送ってどうなるというのか。もうきっと会うこともないのに。
とくにアイツは、「ハルカ」は。きっと私を許してはくれないだろう。例え何千行、謝りの文章を打ち込んだって。
辞世の句を書き連ねたって・・・。
『次は~霞ヶ関 霞ヶ関です』
ピッ
携帯の電源を切った。私の連れ戻そうとする、あいつらからの着信が怖かった。
私はもう戻らない、戻れないんだ。
プシュウ
電車は目的の駅に到着、俯き気味に開いた右側の扉から駅に降り立った少女は、
携帯電話をゴミ箱に捨て、覚悟を決めたように地をグッと踏みしめて、歩き出した。
カツカツカツ・・・
「・・・券は?」
「まさか、お嬢ちゃんかい?連絡してきたのは」
「そうよ」
改札を出てすぐのところで、少女はニット帽を目深に被った長身の男と接触する。
男は少女の顔を見て一通り驚いたあと、おもむろに財布から一枚の紙切れを取り出し、渡した。
受け取った紙をピラピラとなびかせながら、少女が問う。
「これがそう?」
「傍聴券だ わざわざ並んだんだぜ」
「ありがとう これお礼ね」
そう言って、少女は自身の財布から一万円札を抜き出した。
「よほど勉強熱心な学生なんだな、こんなものに一万も払うなんて」
「・・・」
「『地下鉄ソマン事件』の公判だったな今日は。君は関係者か?遺族とか?」
「お金は渡したでしょ 消えて」
「・・・ああ、じゃあな」
「・・・」
―東京高等裁判所 午後一時―
裁判所前の、ざわざわと群れる大勢の報道関係者たちを横目に少女は裁判所内に入る。
今日の公判の行方を、日本中の誰もが固唾を飲んで見守っている。
行動を起こすにはいかんせん社会的注目度が高すぎた。もっと単純な事件ならばよかったのに。
―傍聴人入口前―
「傍聴券を確認させていただきます」
「これです」
「・・・はい、大丈夫です。ではこちらの扉からお入りください」
「あの、トイレに行っておきたいんですけど」
「あちらです」
「ありがとう」
係員の指示に、ニッコリと笑みを浮かべて応じる少女。
示された方向へ向かったあと、何かを探すかのように所内を歩き回る。
少し歩いた後、少女は自分の「探しもの」を見つけ出した。
スタスタスタ・・・
「止まって」
「ええ?」
「ここからは立ち入り禁止です」
「向こう、何の部屋なんですか?」
「被告の控え室です 傍聴人ですか?引き返して」
「ああ、そうですか」
知らなかった風な顔をしてみせたが、実際はキチンと把握していた。
あの扉の向こうに、私は行く必要がある。
来た道を戻るつもりなど、私にはさらさら無かった。
スッ・・・
「?」
「これを見て」
少女はポケットから五百円玉硬貨を二枚取り出し、両の手の人差し指と親指でそれを支え、係員の眼前につき出す。
二枚の硬貨はそれぞれ「緑色」と「赤色」の光を発し、交互に点滅を始めた。
チカッチカッ
「? 何ですかそれは・・・光ってる」
「・・・」
チカッチカッ
「なんだかしらないが、やめなさい。戻って」
「・・・」
チカッチカッ
「やめるんだ!おい!」
「・・・」
チカッチカッ
「おい・・・おい・・・」
「・・・ふふっ」
チカッチカッ
「・・・・・ぉぃ・・・・・」
チカッチカッ
「おいっ!」
「・・・ハッ!」
仕事仲間の大声に、飛んでいた係員の意識が呼び戻される。
「なにしてんだお前?仕事中だぞ」
「・・・あ、あれ?俺、今何して・・・」
「『数分間立ち尽くしてた』んだお前は それにも気付かないほどボーッとしてたのか?」
「な、なんで・・・?」
「俺が知るかよ。マジで大丈夫か?」
「・・・あ!お、女の子を見なかったか?高校生くらいの」
「? いや、知らないが・・・」
「えと・・・確かあの子と話したあと・・・
・・・そうだ、緑と赤の光が点滅しだして・・・」
「なあ顔色悪いぜ、疲れがたまってるんじゃないのか?休んだほうがいい」
「・・・!」
ハッ、と閃いたように係員が控え室の扉に視線を移す。
そうだ、思い出した。あの子は・・・あの部屋が『何の部屋なのか』、俺に訊いていた。
「・・・マズイ」
バーーーン!
異変を察知した係員二名が、勢い良く控え室の扉を開けて入室する。
そこでは先ほどの自分と同じように、中にいる数名が意識を失って立ち尽くしていた。
部屋の天井と床が、緑と赤色に発光して点滅を繰り返している。
「な、なんだこの光・・・」
『光過敏性発作』という現象が、かつて日本中の子供たちを痙攣発作に追いやったことがある。
子供たちはアニメ番組を見ていて、番組内での断続的な光の点滅が脳に過負荷を与え延髄、脊髄を通り筋肉をけいれんさせた。
光の刺激でニューロンに異常な電気的興奮が起こり、脳神経がショック状態に陥るのだ。
少女が起こした緑と赤の光の点滅は、視覚野に効果的に過負荷を与え、脳神経を麻痺させた。
この部屋の人間たちがマネキンのように動かなくなってしまったのは、少女の「光を操る力」が彼らの脳に直接攻撃を仕掛けたからだ。
「おいっ!おいしっかりしろ!」
係員がボーッと壁を眺める同僚の頬をはたき、声を掛ける。
「・・・はっ!」
「何があった?被告はどこだ!?」
「し、知らない・・・急に部屋全体が光り出して・・・」
「くそっ!」
「緊急事態発生!被告人が控え室から姿を消した!所内を全面封鎖だ!」
ズリズリズリズリ
「・・・」
「ひ、ひいいいい な、なんなんだぁ・・・っ?!」
フードを被りポケットに手を入れてズンズンと歩みを進める少女の傍で、
被告人の男は『見えない何か』に襟を掴まれて、所内をずるずると引きずられていく。
そんな二人の姿を後方から見つけた係員が、行く手を阻もうと少女に向かって飛び掛った。
「おいなにやってるんだ!とまれッ!」
タタタッ・・・
「『スター・ゲイザー』!」
グシャアッ!
「うげえェッ」
駆け出した係員は、彼女に触れることもままならず、
1m手前にまで近づいたところで『見えない何か』に吹き飛ばされた。
顔の形がぐにゃりと歪み、まるで誰かに勢い良く殴られたかのように。
「な、なんなんだよォォォーーーー!」
「うるさい黙れ!」
「ひっ・・・」ビクゥ
被告人の男は怯えきっていて、歳の差は倍以上あるのにも関わらず少女の怒号に体をビクリと竦ませた。
そんな情けない男の姿を尻目に、少女は倒れた係員の腰元を漁って鍵の束を奪うと、
裁判所内の小さな個室に男を連れて入り、鍵を閉めた。
所内の個室に閉じこもった二人。
男を床に叩きつけ、少女は部屋の中のあらゆるものを扉の前に移動させる。
ドンッ、ドンッ!
《こっちだ!急げッ!》
《ここだ、この中にいる!》
《おい、開けるんだ!今すぐこの扉を開けなさいッ!》
ドンッ、ドンッ!
扉の向こうで、集まった係員達が必死に少女に呼びかける。
個室内に響くドアを叩く力強い音。だが彼女の耳にそれは届かなかった。
「・・・」
「な、なんなんだよお前!こ、こんなことして・・・どうなるかわかってるのか!」
「私が誰だか知ってる?」
「は、ハァ!?」
「知らないでしょうね、私の両親が誰かも。でも私はアンタを知ってる
アンタは私の父と母を毒ガスで殺した」
「遺族か・・・!へっ、敵討ちってかァ!?ああっ!?」
「私の両親だけじゃない、その他大勢の人たちにアンタはソマンを撒いて殺した。
殺した人たちの名前を言える?全員」
「・・・」
ドンッ、ドンッ!
鍵は開けたが、扉は内側から障害物で塞がれているらしく、いくら体を叩きつけても一向に開く気配がない。
扉の前で喚く係官たちの元に一人、検察官の男が現われた。
「中の様子は?」
「澤田検事!」
「被告がいなくちゃ裁判が始まらない。どいてくれ」
「殺してやる・・・覚悟しろ・・・!」スッ
少女は懐から取り出したガラスの破片を握り締め、それを男の首元に突きつける。
必死に逃げ出そうとする被告人だったが、『見えない何か』に体を抑え付けられ男の手足は動かなかった。
「ひぃぃぃ・・・や、やめてくれ・・・!」
「・・・」
汗をダラダラと流し、鼻水を垂らしながら命乞いを続ける被告人の男。
なんと醜い。自分は好き勝手殺したクセに、そんなことさせる余裕も与えなかったクセに。
いざ自分の番になるとこれか。
「ふざけやがって・・・!」
「うああああ」
メラメラと燃え上がる憤りの炎を手のひらに纏い、ガラスを強く握り締める。
ガラスの鋭い先端が男の皮膚を浅く切り、細い傷口から赤黒い血液が流れ、首筋を伝う。
《私は澤田検事だ!君が誰かは知らないが、聞いて欲しい!》
「・・・」
《出てくるんだ、その男を引き渡してくれ!その男は法の裁きを受ける!》
「法律なんか・・・頼りにならない」
《だがそこで君がその男を殺せば、君が犯罪者となるんだぞ!そいつと一緒だ!》
「かまわない、正当な裁きを行えるのなら・・・!」
「ひいいい、た、助けてくれ・・・」
《殺された人たちがそれを望むと?君が人殺しになるのを喜ぶと思うかッ!》
「くっ・・・」
ギリッ
《法律は常に正しい道へと導いてくれる、私たちに委ねてくれないか》
「う、ううっ・・・」ジワッ
検事の呼びかけに、破片を握り締めた少女の心が揺り動かされる。
目に涙が溜まって、とうとう少女は堪えきれなくなった。
堰を切ったように、両の目から大粒の涙が溢れ出した。
「クソッ!なんなのよ!あいつらなんなの!」
《あいつら・・・?》
「こいつの弁護団よ!八人がかりで・・・こんなヤツを・・・こんなヤツを必死に庇ってッ!」
「・・・」
「法律なんか意味ないじゃないッ!お金が全てなんだろッ!命なんか、人生なんか!
だったら私だって払うッ!いくらでも払ってやる!だからッ!」
《・・・》
「だから・・・父と母を返して・・・返してよ・・・
う・・・う・・・っ・・・」
少女は頭を抱え、泣き崩れた。
その場にしゃがみこみ、壁にもたれて泣き腫らす。彼女の失意と絶望に満ちた喘ぎが部屋全体に響き渡った。
「う・・・うぅ・・・っ・・・・」
《・・・約束する、必ず私が正しい裁きをその男に与える。必ず。
だから扉を開けて、出てきてくれないか》
「はぁ・・・はぁ・・・」
《開けてくれ》
「・・・わかった 開ける、開けるよ・・・」グスッ
ギィィィ・・・
検事の説得により、少女は扉を開いた。
被告は救出され、少女は警官に取り押さえられ、連行された。
外にいる報道陣の熱烈な歓迎を受けながら、パトカーまで連れられる。
「・・・」
星になったお父さんお母さん、こんな娘でごめんなさい。
折角与えてくれた人生を、こんなことで棒に振ってしまいました。
これから行くのは、星の光が全く射さないところです。
私がそれを望み、決めました。あなたたちに、もう会いたくないから。
会わせる顔がないから。
もう星を見ることは無いので。
おわり
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