名古屋高等裁判所6条件の英訳(The Criminal Law of Japan 著者: Shigemitsu Dandō, B. J. George p.110-111)
1.A patient must suffer disease considered fatal on the basis of current medical knowledge and technology, and death must be imminent.
2.The patient must be experiencing unbearable pain
3.Euthanasia must be accomplished principally to terminate that a pain,
4.The patient must be sufficiently aware that he or she can from and express a wish for euthanasia
5.As a general principle, only a physician can carry out euthanasia, although other persons can accomplish it under extraordinary circumstances which make that a reasonable course of action.
6.The means of accomplishing euthanasia must be ethical.
written by tanaka
09/03/11
中央図書館で借りた根村直美著『バイオエシックスの諸相』から、役に立ちそうな部分をまとめました。
でもArgument立てるのに直接は役立たないかも・・・
①過去の事例
●「山内事件」(1962・日本)
愛知県のある町で農業を営むC青年の父Dさんは、1956年に脳溢血で倒れた。一時は小康を保っていたが、1959年に再び倒れ半身不随となってしまった。その後症状は悪化し、上下肢は曲がり、少しでも動かすと激痛が走った。Dさんは「苦しい、殺してほしい」と叫び声を上げるようになった。1961年、C青年は主治医から「おそらくあと7日か、もっても10日間ほどの命だろう」と告げられた。父親の苦しむ姿を見たC青年は、この苦痛から解放することが最後の孝行になると決意した。そこで自宅に配達された牛乳の中に有機リン殺虫剤を少量混入しておいたが、事情を知らない母親がそれをDさんに飲ませたため、Dさんは有機リン中毒で死亡した。
第一審では尊属殺人罪が適用されたが、弁護側は「CがDの死苦を救うためにDの希望を受け入れて行ったものであり、安楽死に該当する」と控訴した。第二審では、C青年は懲役1年、執行猶予3年の刑を言い渡された。
●「カレン事件」(1976・米)
当時21歳のカレンは、友人たちとのパーティーで、精神安定剤の誤用による急性薬物中毒により意識不明となった。呼吸停止の状態で病院のICUに収容され、人工呼吸器が装着された。懸命の治療の結果一命はとりとめたが、脳の一部が破壊され回復不能であるため意識を取り戻すことはないと判断された。カレンが入院して3ヵ月以上経って、両親は、娘は人工呼吸器の単なる付属品として生かされているにすぎない、という思いが抑えがたくなり、人工呼吸器の取り外しを要望したが、医師は拒否した。そのため両親は、人工呼吸器の停止によって自然の状態に戻し、娘が優雅に尊厳を持って死ねるよう求めて、裁判に訴えた。
ニュージャージー州最高裁判所は訴えを認め、人工呼吸器ははずされたが、カレンは自力呼吸を始め、85年に亡くなるまで典型的な植物状態のまま命を永らえるという皮肉な結果に終わっている。
●「東海大学医学部付属病院事件」(1992-1995・日本)
東海大医学部付属病院の徳永助手(当時33歳)は、4月にある患者の主治医チームの一員となった。そのとき、この患者は余命1ヶ月と見込まれ、患者自身はそのことや病名を告知されていないことを知らされている。その後患者の症状は悪化し、意識はもうろうとし、無意識のうちに装着されている点滴やカテーテルを取り外そうとした。これを見た患者の妻と息子は治療の停止を申し出たが、医師団は治療を続けようと励ました。数日後患者の容態はさらに悪化し、息子の、延命よりも自然な状態での死のほうがいいのでは、という考えを受けて、徳永医師は精神安定剤などを注射したが、患者は荒い呼吸を続けているだけだった。さらに息子に強く要求されたため、最終的には塩化カリウムを静脈に注射し、患者はまもなく息をひきとった。
この事実が明るみに出て、徳永医師は殺人罪で起訴され、懲役2年、執行猶予2年の刑が言い渡された。
②「滑りやすい坂(slippery slope)」について
ビーチャムが唱えた楔論法(wedge argument)によるもの。楔論法とは、慈悲による殺人の名のもとであれ、いったん殺人が認められたなら、危険な楔が打ち込まれ、それによってすべての「望ましくない」人間の生命や「価値のない」人間の生命が不安定な状態にさらされるという論。この、最初の楔が打ち込まれると我々は「滑りやすい坂」に置かれる。ビーチャムによれば、理由は以下のごとく。
「殺人に対する基本原則は、ある形態の殺人がいったん是認されると、だんだん腐食する。たとえば、本人の意思に基づいた安楽死を許せば不本意の『安楽死』を許すことになり、そうすれば今度は、社会が負担している者(知的障害者、犯罪常習者、障害新生児等)に対する安楽死を許すことになるであろう」
「滑りやすい坂」による弊害として考えられるのは、障害新生児を殺すことの日常化、人口増大のもとで老人が現在以上になおざりにされる、広範な犯罪に対する死刑の誘惑の増大、などである。
③QOL(Quality of life)とSOL(Sanctity of life)
QOLすなわち「生命の質」とは、「ただ生きているという事実だけではなくて、一般に、どのような形で生きているかを重視する」考え方。
SOLすなわち「生命の尊厳」とは、「人間の生命の存するところ、たとえそれがただの新陳代謝、生体過程だけであっても、あらゆる手段を使って可能な限り生命を維持しようとしないのは誤っている」という考え方。
QOL論に基づけば、安楽死は患者のQOLを高めるための手段と認めることができる。なぜなら、患者のQOLを高めるには、患者の苦痛を取り除くことが必要であるから。
しかしSOL論によれば、「いかなる状態においても、生物学的生命を維持することを義務」としているので、患者がまったく動けない、他者とまったく意思疎通ができないといった局面もまた生きるに値する状態ということになる。そして「誰が見ても、生きることは苦痛以外のなにものでものない」という状態はまず有り得ないとされる。よって安楽死に対し、否定的な立場をとる。
参考図書:根村直美著「バイオエシックスの諸相」三省堂書店
written by Tachi
09/03/10
日本の終末期医療に関する文化的背景(日本看護協会HPより)
家族の同意に関するargumentに使えるかも・・・でも日本に限ります。
生死のあり方について、人々はそれぞれ個人の価値観を持っており、その価値観はその社会の文化に少なからず影響を受けている。そのため、その価値観は国や文化の違いによって特徴づけられる。
日本人は一般的に家族の絆を尊重するため、家族の価値観や意思を大切にする風潮がある。これは、個人を前提とした西洋の考え方とは大きく異なる点である。
このことは医療に関する倫理の考え方についても同様であり、患者本人だけでなく少なくとも家族を含めないと話が円滑に進まないという場合が多い。
平成18年度厚生労働科学研究費補助金医療安全・医療技術評価総合研究事業「終末期医療全国調査」1)(n=1,499)によると、がんの治療方針や急変時の延命処置などを決定する際に一般病院で最も頻繁に行われている対応は、「患者とは別に、必ず家族の意向も確認している」(48.7%)であり、次に僅差で「先に家族に状況を説明してから、患者に意思確認するかどうか判断する」(46.9%)が続き、「患者の意思決定だけで十分と考え、家族の意向を確認していない」(0.7%)が最も低いことが分かった。このことから、ほぼすべての病院が患者の他に家族の意向を確認しており、場合によっては患者よりも先に家族の意向を確認しているということが明らかになった。「家族の意向を確認していない」を選択した病院が1割に満たないことは、日本の文化的背景を如実に表していると言うことができるだろう。
また、患者が意思決定できると思われる場合においても家族の意向を重視する理由(複数回答)は、「患者の意思決定だけで判断すると、家族から不満を言われる可能性がある」(70.6%)が最も多く、続いて「家族に『本人に話さないで下さい』と言われればそうせざるを得ない」(64.7%)、「患者に告知しないケースでは、家族の意向を聞かざるを得ない」(59.8%)、「家族とのトラブルを避けるため」(54.1%)等の回答が上位を占めた。
このことから、欧米のように患者本人に意思確認することが前提の医療と比較すると、日本では患者の家族への配慮が大きいという実態を伺うことができる。
患者本人よりも家族の意向を尊重する背景には、日本人が死に向き合う機会が減少したことがあると考えられる。平成15年高齢者介護研究会報告書「2015年の高齢者介護」2)によると、日本の高齢者が最期を迎える場所は、昭和50年代以降医療機関が自宅を上回るようになり、今では医療機関での死亡が全体の8割近くとなっている。
自宅以外で迎える死が一般化したことにより、日本人は人の死や死にゆく過程にゆっくり向き合う経験が少なくなった。それに伴い、日頃から自分の人生の終末の過ごし方や最期の迎え方などについて考えをめぐらし、また家族等の身近な人と話し合う機会も減少した。
厚生労働省「終末期医療に関する調査等検討会報告書」(平成16年)(抄)
5.医療現場の悩み
●終末期において、延命のための医療行為を開始しないこと(医療の不開始)や、行っている延命のための医療行為を中止すること(医療の中止)に関してどのような手順を踏むべきか、医師をはじめ医療関係者が悩むことは多く、判断基準が明らかでない。
●患者の意思を踏まえた個々の医療行為の是非は医療サイドの判断ではあるが、どういう手順を踏んで医療の不開始・中止を決めることが妥当なのか、どのような行為が合法なのか、医師が悩む場面は多い。
●患者本人は、早く苦痛から解放してほしいが、家族は単なる延命医療の継続を選択する傾向がある。(中略)患者本人の意思と家族のそれとが必ずしも一致しないことが医療現場での葛藤を生み出していると考えられる。また、高齢者医療では家族の意向が中心となり、患者本人の意思が二次的なものとなっているという指摘がある。
このように、医療行為の中止に関する判断や意思が相違する患者と家族への対応などについて医療現場が悩みを抱えているなか、平成18年富山県の病院で、医師が入院患者の人工呼吸器を取り外し死亡させていたという報道があった。
報道によると、死亡したのは当該医師が6年間にかけてかかわった末期の入院患者7人で、医師は「いずれも家族の同意を得ていた」と説明しているが、病院側は「患者本人の意思が明確だったかどうかが不明で他の医師に確認するなどの手続きを十分にしていないことが問題」として警察に届け出たという4)。この事例に関する報道を契機に、終末期医療に対する社会的関心が急速に高まり、治療中止のあり方に関する基準やガイドラインを求める声が大きくなった。
これを受け、厚生労働省は平成19年「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」5)を公表し、国として初めて終末期医療の決定プロセスのあり方を提示した。
本ガイドラインでは、患者の意思の尊重を基本とすることや終末期の判断には医療チームによる判断が必要であること等が明文化され、医療現場で改めてそれらの重要性を確認する契機となった。
しかし、一定の基準が設けられることにより、終末期を画一的に捉える風潮が生じ、却ってそれが一人歩きして現場を縛ったり、医療現場が個々の患者に最善の道を探す努力を放棄してしまったりすること等を回避するため、本ガイドラインでは終末期の定義や治療中止が認められる要件等には言及しなかった6)。
平成19年2月東京高等裁判所判決においても、「尊厳死の問題は、より広い視野の下で、国民的な合意の形成を図るべき事柄であり、その成果を法律ないしこれに代わり得るガイドラインに結実させるべきなのである。(…中略…)この問題は、国を挙げて議論・検討すべきものであって、司法が抜本的な解決を図るような問題ではない」と明示されており、国民的な議論の必要性が呼びかけられているところである。
治療行為(延命)中止が認められる要件について独自にガイドラインを定めた学会や医療機関などもあるが、それはまだ一部の分野や施設である。平成16年の「終末期医療に関する調査等検討会報告書」にまとめられたような医療現場の悩みが解消され、先に記述した富山県で起きたような事例が今後発生しないようにするためには、各施設において終末期医療のあり方に関する何らかの基準を定める必要がある。しかし、厚生労働省の「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」は手続きに限定した内容であるため、それをもとに治療中止のあり方を含めた指針を作成することは困難であろう。
今後は、医療の透明性を図りながら、その実現のための医療従事者のコミュニケーション技術の向上や患者の事前の意思表示(リビングウィル)の普及啓発などに取り組むことが課題であろう。治療中止の要件を定めることの是非も含め、そのあり方や方法について議論が重ねられることが求められる。
09/03/10
日本尊厳死協会では、尊厳死と安楽死をはっきりと分けています。安楽死については特に言及はされていませんでした。以下、日本尊厳死協会のHPから抜粋。
尊厳死とは
傷病により「不治かつ末期」になったときに、自分の意思で、死にゆく過程を引き延ばすだけに過ぎない延命措置をやめてもらい、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えることです
安楽死は、助かる見込みがないのに、耐え難い苦痛から逃れることもできない患者の自発的要請にこたえて、医師が積極的な医療行為で患者を早く死なせることです。
尊厳死の宣言書(全文)
(リビング・ウイル・Living Will)
私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言致します。この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。従って、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。
①私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切おことわりいたします。
②但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。
③私が数ケ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持装置を取りやめて下さい。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、
その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。
09/03/08
東海大の望月くんが、以前安楽死のphilosophyをまとめたやつを送ってくれたので載せます。
legalizeじゃなくてallowにしてあるので若干違うけど
参考になる・・・・かな。参考にしませう!
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THW:allow euthanasia
Gov:死期が迫ってきていて治る見込みなし。だから患者を楽にするために行う。SQでモルヒネなど投与しているがそれは一時的なものであり、なおかつ患者の体にプラスの害を与える。患者の為によくない。楽にならない。
人には様々な権利がある。選挙する権利、それを拒否する権利、発言する権利、黙秘権、自分の未来をつくる権利…etc. その中には死を選ぶ権利も与えられている。自分の体や未来は自分で決める事ができ選べるものであるから。
また、euthanasiaは今自殺幇助になるがAPでは知識のあるドクターが行うから問題なし。ドクターの役割の中には患者の死期を見極める必要がある。
opp:医者の役割というのは患者の病を取り除く為に適切な処置を行う事が大事である。患者の未来のため、いくら治る見込みがないといっても0%ではない。患者の健康の為に尽くすのが医者の役割であり、euthanasiaというプランをとって患者を殺してはいけない。
ドクターは死という妥協したプランを強制してはいけない。
医者はモラルの中で葛藤する。そして高いプレッシャーに悩む。罪悪感。
Euthanasiaは痛みを減らす為の方法ではなくわざと殺している。
written by Matsubaya
09/03/05
安楽死は大別すると2つに分類されます。
1.消極的安楽死
無意味な延命治療をしないで自然な死を迎えるように支援する。
無意味な医療の中止、自然死。間接的安楽死、苦痛除去のためにした医療行為が結果として命を縮めた場合。
2.積極的安楽死
本人の自発的意志を前提として一定の条件を満たした場合、医師が自殺幇助の行為を行うこと。
消極的安楽死は「治療行為の中止としてその許容性を考えれば、足りる」(東海大事件判決文)ものであり、
特に安楽死という言葉を使う必要はないという意見があるが、わかりやすい言葉なのでこれからも使われるであろう。
自然死、または尊厳死と同義語または間接的安楽死を含める言葉として使われる。
日本では日本尊厳死協会が消極的安楽死を「尊厳死」と言い、尊厳死の宣言書を普及している関係もあって、尊厳死と言えば消極的安楽死という意味でマスコミも使っています。 しかし、アメリカでは消極的安楽死は「自然死」といい、各州に「安楽死法」ができて認めています。アメリカでは「尊厳死」という言葉は「積極的安楽死」または「医師による自殺幇助」という意味内容で使っています。
昭和三十六年八月に、苦痛にあえぐ父親の願いによって、長男が最後の孝養として父親を薬殺した事件があり、名古屋高等裁判所ではこれを有罪とした。その判決のなかで安楽死であるためには、次の六条件(要旨)がみたされねばならないとした。
(1)不治の病で死が目前にあること。
(2)苦痛が耐えがたいものであること。
(3)苦痛緩和の目的でなされること。
(4)本人の明確な意思であること。
(5)医師の手によること。
(6)手段が倫理的に容認されるものであること。
wiki使ったことがないのでこんなんでいいのか不安だけど・・・
とりあえず書きました。間違いとか足したいこととかあったらどんどん編集しちゃってくださいな!
09/03/03
とりあえず作るだけ作ります。
ここには、主に日本の安楽死についてのリサーチ内容を書いてください。
written by Shiba.
最終更新:2009年03月13日 09:49