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patients' will

09/03/10
短いですが、反論になりそうな意見です。
①患者本人の意思に基づくというか、適確に確認できるものではないこと②障害者の生き抜き方などを参考にすると、生きつづける意味はなくなったなどと即断すべきではないこと③「不要な生」「医療資源のムダづかい」という発想が強まり、本人の「死ぬ権利」というよりは「死ぬ義務」に、そして周りの者からの「殺す権利」に変質してしまう危険性があること
http://www.arsvi.com/o/a13.htm
written by Araki




●患者の意思の尊重

現在たとえ患者が望んだとしても医者が安楽死に踏み込めない状況にあります。証拠資料を引用します。出典は96年6月8日朝日新聞です。
引用開始。
「安楽死を踏みとどまる理由として、社会的な合意や法的裏付けが無いことをあげる医師も多い。」
引用終了。
証拠資料からも分かるように、法律が整っていないために医者が安楽死を行ったあとのことを気にして安楽死を踏みとどまっているのです。その結果患者は死にたくても死ねないという状況に現在置かれているのです。
そこでプランを実施します。
すると医者は患者の意志どおり積極的安楽死を行うことができるのです。
その結果患者の早く楽になりたい、死にたいという意志を尊重することができます。
このメリットの重要性を述べます。
まず、医療にとって患者は何なのか。
証拠資料を引用します。
出典は95年10月22日読売新聞より引用開始。
医療における主役は患者である。
引用終了。
本来医療は患者中心のものでなくてはならないのです。しかし現状は患者が中心の医療とは言えないのです。証拠資料を引用します。出典は97年10月23日読売新聞より引用開始。
日本では患者と医師の関係は対等とはいえない。専門知識を持っているということで医師主導で医療が行われている。(中略)治療を患者が選択できる判断材料を医師が示し、患者の意志を尊重するという本来の精神からはまだ遠い。
引用終了。
このような状況なのです。
しかしプランが実施されれば、告知も行われ、人生の結末という選択を患者自身の意志で行うことができるのです。患者の意志で治療を選択できる。これは患者中心の医療に近づくということです。たしかにこれは限られた患者かもしれません。しかし、私もあなたもいつこういう状況に陥ることになるかも分かりません。人生の結末を患者自身の患者中心の医療によって決めるということは患者と医者の関係が対等でない現在から大きな一歩を踏みだすと肯定側は考えます。





現状では私たちのプランのようにきちんとした基準がないために、医者の判断で安楽死が行われています。
 証拠資料を引用します。出典は1998年6月発行「生命のジャーナル」近藤誠氏の連載からです。引用開始。
 「聖隷三方原(せいれいみかたがはら)病院・ホスピス病棟ではセデーション※を開始する前に、家族に対しては「そのまま目が覚めないかもしれない」ということを95%の人に説明しました。しかし患者本人に対しては、7%にしか説明していません。」引用終了。
また、きちんとした基準がないため、東海大学安楽死事件では、主治医は患者の意志ではなく家族の意志だけで生命短縮のための処置を行いました。このように個人の自己決定権を全く無視して医者の判断で積極的に生命を短縮するような行為はあってはなりません。
 そこで、プランを導入します。
 すると患者は自分の病状を的確に判断した上で、希望すれば積極的安楽死を選ぶことができます。
 次に重要性を説明します。私たちにとって自分の生き方、死に方を自分で決める権利は、何物にもかえがたい権利であり、侵すことのできないものです。その権利を無視し、医者の判断だけで人を死なせることが可能な現状は大変深刻なものです。よってその深刻な状態を改善できるこのメリットは大変重要です。




※セデーション
 意識レベルを落とすことによって苦痛を感じさせなくする治療
 苦痛とは肉体的苦痛だけでなく精神的苦痛も含めた全人的苦痛
 確実に苦痛を感じさせなくすることができるが、患者を人格的活動から遠ざけてしまう。
 回復の見込みのある患者に対して睡眠の確保等のために行う一時的なものと、回復の見込みの無い患者に対して死に至るまで持続的に眠ることになるという予想を伴いつつもQOLの低下を阻止する手段がほかにないためにやむをえず行うものがある。



全文引用です
written by haruna

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最終更新:2009年03月12日 11:17
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