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Neg. (We oppose the Proposal.)

09/03/13

●緩和医療の目指すこと
緩和医療の原則は、苦痛等を除去するという仕方で〈QOL を高める努力をする〉ことである。

では、それを達成する手段として「生を終わらせる」という方途が可能であるか。

QOLを高める意図で選択する処置が残りの生を短縮する結果となることはありえよう。

「鎮痛薬を適切な量で使ったことが死を早めることになったとしてもそれは適量投与によって意図的に命を絶つことと同じにはならない。適切な痛みの治療法が死を早めることになったとしたら、尊厳のある、容認できる生活状況を維持するのに必要な治療手段にさえ耐えられないほど患者の状態が悪化していたことを意味するだけである」(WHO 1990: 8.1)
これは〈殺す〉ことにも〈死ぬに任せる〉ことにも該当しないだろう。医療者は「QOLを高めよう」と意図したのであって、「死を予想した」かもしれないが、「死ぬに任せる」とも、いわんや「殺す」とも意図しなかったからである。
可能な延命の方途を選択しないという選択が正当化されるのは、「死ぬに任せる」という意図でではなく、徒に苦しいないし無意味な生を結果することはQOLの向上という意図に反するという理由でそれが選択される場合である。 そうであれば、少なくとも緩和医療の範囲では、安楽死-積極的にせよ、消極的にせよ-が選択される場面はあり得ないことになる。



以下は上の結論に対する吟味。
死以外には緩和の方途がないという状況はあり得るか

では、「QOL を高める(苦しみを軽減する)手だてが(死なせる以外には)なにもない」ときにはどうするか?

眠らせること-セデーション(一時的な、また適当な程度とインターヴァルを組み合わせた)-が、肉体的苦しみから一時的にであれ避難する次善の方途としてある。

ただし、それは、患者を人間らしい生から遠ざけるものには違いない。
他に仕方のない時に、また患者がしばらくでも眠るという安らぎを求めた時にはじめて選択できる。
これと「死なせる」こととを比べたとき、「セデーションのほうが優先的な選択肢」なのではないか。


死ぬまでずっと眠らせるという仕方のセデーションは、結局患者の有意味な生を終わらせ、ただ徒に生かし続ける結果となってしまう、と評価され得る。それは意図的に死をもたらすのとどう違うというのか、と問われるだろう。
セデーションについてへ
「精神的苦痛」、なかでも「意味のない生をこれ以上続けるのは私の尊厳を損なう」と患者が考える状況が、安楽死の条件として認められるならば、その時は、多くの患者にとっては、セデーションはごまかしの手段としか映らないだろう。




09/03/13
●患者の精神的苦痛の増大

がん告知による苦痛と、安楽死法の与えるプレッシャーに分けて説明します。
 まず告知による苦痛です。プランを導入します。するとがん告知が希望者にされることになります。ところが病名の告知を受けると、がん患者の中で、告知に耐えられない人はひどい精神的ショックを受けることになります。証拠資料を引用します。出典は、平成8年12月発行、日本学術協力財団編「インフォームド・コンセント」の「がん患者の病名告知」国立ガンセンター名誉総長末舛恵一(すえます けいいち)氏の講演からです。
「末期の患者さんというのは、ある程度自分では予測しながらいるんですが、それでも、医者から言われるまでは幾らかの、希望を持って、そうじゃないんじゃないかと思いながらいる。それが「がんですよ」と言われると、随分落ち込みまして大体10人話すと3人は特に落ち込む。(中略)ところが、10%ぐらいは、10人のうち1人ぐらいはとうとう最後には本当の鬱病になってしまうようにみえる。」引用終了。
 このようにがんだと病名を告げられただけで、希望を失い、10人に1人は鬱病になってしまうのです。告知をするという前提の国立ガンセンターでさえこのような状況です。ましてやがんを告知しないという医者も多い日本で、希望者にがん告知を始めれば、もっと多くの人が鬱病になる危険性があります。鬱病になれば、発作的に自殺したり、疑い深くなって治療の効果が上がらなくなって寿命より早く死んだりします。このように、がん告知の強制によりデメリットが、がん患者の1割以上に対して発生します。
 次に安楽死法の与えるプレッシャーです。安楽死法が実施されたオーストラリア準州ではお年寄りが法によって大変なプレッシャーを受けたことが報告されています。証拠資料を引用します。出典は97年4月2日付け朝日新聞朝刊です。引用開始。
「ニューサウスウェールズ州疼痛緩和ケア協会も「(安楽死は)すごいプレッシャーになっている。一部のお年寄りは最後の2、3カ月を生き延びるより、安楽死を選ぼうと感じ始めている。」と発言する。」引用終了。
 このように、法制化されると、現状では死にたいと言わない人までプレッシャーのために「死なせて欲しい」と意志表示をするように追い込まれてしまうのです。
 ではこのデメリットの深刻性を説明します。
 医療とは、病人を少しでも楽で幸せな状態にするべきものです。その医療が、病人を精神的に追いつめ苦痛を与えることはあってはならないことです。このデメリットは、広く患者全体に発生します。したがってこのデメリットは深刻です。




●誤診による殺人

 まず、現状では、医者は自分の行為への厳しい覚悟のもとに、積極的安楽死を行うことができることを説明します。
 積極的安楽死は、定義から言っても、患者の命を積極的に縮めるのですから、殺人行為になります。現状では、もし積極的安楽死を行えば、殺人事件として警察・検察による捜査が行われます。つまり第3者が、徹底的に医者のやったことの妥当性を検証するのです。そして疑わしければ起訴され、裁判に持ち込まれ、さらに徹底して違法性がなかったか検討されます。その上で、違法性があったとなれば、殺人罪として処罰されます。また、やむを得ない事情があったと判断されれば無罪となる可能性があります。
 つまり、今のままでも、積極的安楽死は実施できますが、実施するためには、医者は刑事事件の被告になることも覚悟で行うことになります。
 医者は本来患者の命を救うことが使命です。その使命に反してまで積極的安楽死を行うのですから、このくらい厳しく医者の行為に責任を持たせることが必要なのです。
 ところが、プランを実施すると「形式的に」条件を満たしていれば、法的責任を問うことはできなくなります。つまり第3者の目でチェックすることができないのです。
 このような状況で積極的安楽死を行った場合、日本の現状の医療水準から考えて、そのほとんどが誤診による殺人になる可能性があります。
 なぜかというと、全国の病院で、がんの痛みに対する治療のレベルに差があるからです。
 証拠資料を引用します。
出典は「安楽死と尊厳死」といった著書もある、作家保阪正康著「人は痛みからどう解放されるか」(ベネッセ/1998年3月20日発行)136ページからです。引用を開始します。

「1993年の資料によるなら、埼玉県立がんセンターを始め国立系のがんセンターなど、緩和ケアの先頭に位置する医療機関では、モルヒネを使用することで90%以上の患者の痛みは取り除けるというし、がんセンターの全国平均では60%強に及ぶ。次いで大学病院では44%強になるという。一般病院では、まだその数字が低いということだし、医師の間にもまだモルヒネを使うことの抵抗感に差があるという現実を示している。」

引用を終わります。


 もう一つ証拠資料を引用します。

 出典は、慶応大学医学部放射線科講師 近藤誠著「がん専門医よ、真実を語れ」(文芸春秋/97年3月発行)135ページからです。引用を開始します。

「このようにして現在では、ほとんどの痛みをなくし、あるいは軽減させることができます。現在もし苦しんでいる人がいたとしたら、それは対処法が適当でない可能性が高いといえます。」

引用を終わります。

 がんの痛みを十分取ることができるがんセンターのような施設では、積極的安楽死を行う必要性がありません。ですから肉体的苦痛によって積極的安楽死を患者が求めるとしたら、がんの痛みにうまく対処できない病院の場合が予想されます。

 このような現状でもし積極的安楽死を行ったとすれば、「苦痛を除去・緩和するために、方法を尽くし、他に代替手段がないこと。」という条件は、形式的にクリアされただけで、実は他の病院へ行けば、その患者は死ななくても済んだ可能性が考えられます。

 証拠資料を引用します。出典は聖ヨハネ桜町病院ホスピス科部長 山崎章郎(ふみお)「座談会 安楽死ー東海大学事件をめぐって」(ジュリスト No.1072、1995年7月15日発行)90ページからです。引用を始めます。

「各施設ごとに苦痛除去のレベルの差がある現状では、ある施設にいる患者はこういう条件にあった、絶えがたい苦痛があって死期が迫っている、いろいろ治療したけれどもだめだったという状況にいて、そこのドクターも「これ以上はこの苦痛をとることができない」と言ったときに、患者が積極的安楽死にしてほしいと要望すれば、それが成立してしまうのではないか、ということなのです。しかし、その患者がほかの施設に行けば、痛みのない時間をさらに持てて、早く死にたいんだという意志を表明しなくても済むかもしれないわけです。」

引用を終わります。

 このように「誤診による殺人」が起こります。
 このデメリットの深刻性を説明します。本来なら、生きていられる人が、誤診によって死んでしまうのですからこのデメリットは深刻です。


全文引用です
written by haruna
09/03/12

AFF で出されそうなsaving money への反論として
安楽死によって節約される医療費は少ないという記事を見つけました。

以下↓↓引用+和訳

On cost, a paper in the November 1998 issue of the New England Medical Journal calculated how much physician-assisted suicide may save families and the health-care system in the United States.
Extrapolating from Dutch numbers, the authors concluded that euthanasia may cut total health spending by 0.07 per cent. For each family, the saving from hastening death by euthanasia may be US $20,000 (S $29,600). This was estimated to form one-third of medical cost in the last year of life, and a smaller fraction of the total medical cost over a lifetime.

費用において、ニューイングランドMedical Journalの1998年11月号の論文で、どのくらいの医師による自殺幇助が、合衆国で家族と健康医療制度を救うかが予測されました。
オランダの数(安楽死の件数?)から推定して、作者は、安楽死が総健康支出を0.07パーセント削減するかもしれないと結論を下しました。 各家族にとって、安楽死で死を急がせることによる節約は2万ドル(S2万9600ドル)米国にのぼるでしょう。 これは、人生の終わりにかかる医療費の3分の1、また一生のうちにかかる全医療費のごく一部をしめると推定されました。

(The Straits Times (Singapore) November 7, 2008 Friday)
http://www.lexisnexis.com/us/lnacademic/results/docview/docview.dodocLinkInd
=true&risb=21_T6016423948&format=GNBFI&sort=RELEVANCE&startDocNo
=1&resultsUrlKey=29_T6016423957&cisb=22_T6016423956&treeMax=true&treeWidth
=0&csi=144965&docNo=1

written by Matsuba


09/03/10
短いですが、反論になりそうな意見です。
①患者本人の意思に基づくというか、適確に確認できるものではないこと②障害者の生き抜き方などを参考にすると、生きつづける意味はなくなったなどと即断すべきではないこと③「不要な生」「医療資源のムダづかい」という発想が強まり、本人の「死ぬ権利」というよりは「死ぬ義務」に、そして周りの者からの「殺す権利」に変質してしまう危険性があること
http://www.arsvi.com/o/a13.htm
written by Araki


09/03/06

作りました。


written by Shiba.

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最終更新:2009年03月13日 02:15
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