Desert Rose @ Wiki

最終章

最終更新:

reversuneaile

- view
メンバー限定 登録/ログイン

Donc, le monde a salué la fin

王と秩序と崩壊の世界で人々は羽ばたく夢を見続ける 【前編】


遥か高みに存在する塔の上の世界は、世界時計を主軸に時間を算定している。
その王が管理している絶対時間こそが、今回の原因であったというのを調べ上げたのは聖都の時錬士でもなければ導師でもない。
ただの修道士であるカタノフがとうとうその原因を突き止めたのである。
王が発していた不活発エネルギー、通称【負解】は世界時計という神が定めた絶対的な時間を維持するために使われた魔力の残骸であったという。故に、その【負解】は人々の体に入り込むと全ての細胞から時間を奪い取り黒く染めていった。
そして眠るように亡くなる。それが一連の経緯であった。
その事実を報告された導師エルスカリテと黒き騎士団の長であるハヌマ王姫は世界時計の意味合いを調べるべく、各所に置かれた記録院と各聖堂におかれた記録を元に世界時計を紐解いていった。

『世界時計』というのは、神々がこの世界に降り立った際。時間と言う概念を持たなかった世界に作った最初の秩序であり、一番の矛盾であった。
世界は循環する生命のシステム上に存在している。誰かが死ねば、どこかで違う何かが生まれている。日の高さの関係で四季が生まれ、気候は荒れる。それが通常の論理だ。
しかし、神の定めた世界時間の前では、そんな摂理や常識などはまったくといっていいほど、通用しなかった。神はねじ曲げる。
世界が元より持っていた循環のシステムを崩し、安定した気候、安定した時間を他の生物に与えた。それの反動として彼ら神は自身の力を用い、そして少しずつ欠落させて行った。彼らの欠落は世界指針の欠落である。
次々に力を用いては欠陥を増幅させていった神という存在の矛盾を刺したのは三人の人間だった。その人間には名前はない。
聖都の記録院に残されていた唯一の古書に書かれていたのは、今の王らがどうやって王になったのか。その方法だった。
それを根気で見つけ出したカタノフだったが、内容の大きさにとうとう心が折れて、自室で寝込んでしまったのはいうまでもない。彼にそこまでの度量も器量も存在していなかった。
導師エルスカリテはカタノフの調べ上げた事実を元に、一つの結論を出さざるを得なかった。

「文明の放棄、だと?」
「そうです、ハヌマ様。王を失うということは、神の定めた『世界時計』を失うということになります。それは今私達が生きているこの文明を全て捨てることになる。この結果を人民は受け入れることが出来るでしょうか? 私は少なくともそうは思いません。文明に依存しきっている我々が、『世界時計』を失えばどうなるか」
「……確かに、導師の言うことはよく分かる。けれど、王のシステムを破壊しなければ、どちらにしても徐々に我々は死に逝くだけだ。ならば必ず、この世界の時間が狂っても————…いや、違うな。時間は正しく戻るのだ。神という存在で虚飾されたその全てを打ち砕く。そのためにも、導師エルスカリテ。いいや、ウェルフェトール・エルス・アルデロ。貴方はこの聖都にいる人間をつれて、一度第三都市へ。第二都市はまだ人が住める状態ではないと連絡が上がっている。人々を守るのだ、それが私達の使命として」

ハヌマの結論に賛同した者達は多かった。ダグラスとイリオスが第二都市を攻略しているころ、ハヌマは聖都の貴族連中を相手に聖都がバラバラになったときの利権配分について、話をつけていた。
そもそも聖都で大きな権力を持っているのは国教会である。時錬士や修道士、聖女を輩出する彼らが人民に対してどれだけの影響力を持っているのか、ハヌマはよく理解していた。
ましてや導師というのは、その国教会のトップ達である。かの枢機卿よりも遥かに権力を持ち合わせる奇跡の人々を利用しない手はない。

「流石は、王の姫。貴方は私達の使い方をわかっていらっしゃる。この事象が片付く頃には、世界の王は貴方となるでしょう、ハヌマ様」
「……そんなことを、私は望んでなどいない。世界は私達の物だ。みなが、皆、自身という存在を守る一国なのだから」

ハヌマの策略によって、聖都から多くの人民を連れて移動を開始した導師エルスカリテは、黒き女王ミワノエールの元へたどり着いた。
彼女はハヌマとの盟約の通り、人間たちを全て保護してくれることを約束し、そしてエルスカリテはハヌマと同行するべく聖都へ向かうはずだった。しかしエルスカリテは聖都へ戻る道が失われてしまっていることに気付く。
数日前確実に通った道は完全に隔壁で封鎖されていた。聖都を取り囲むかのように設けられたその隔壁は、第三都市の名目で打ち立てられている。これはもしかしなくても、と導師エルスカリテは思考した。
ハヌマは、この隔壁を黒き女王ミワノエールに依頼していたのだろう。彼女はこの戦いに多くの人民が戻ってこないようにするために、王を失った後の人間を統率するために、敢えて王の死を事後に公表し新たな代用品を打ち立ててから国の安定に努めようと考えたのだ。
王の姫と侮っていたわけではなかった。導師として生きてきたエルスカリテにとって、その政治的な行動も逸脱した行為には思えなかった。だが、ハヌマの決意がこれほどであったとは彼も思っていなかったのである。
黒き騎士団の人々は彼女と共に聖都にいる。そこに時錬士のイリオスが同行しているのは承知の上だ。

「どうか、彼らの無事をーーー」

折り合わせた指を見て、導師は思う。一体、誰に祈ればいいのだ。神を殺した人間達を誰が救うのか。
この世界の何処に、祈ればいいのか彼は分からずにただ目を伏せるだけだった。


  ***


遥か彼方、空高く聳える塔。それは真っ直ぐに伸びて、美しい七色に染まっている。
しかしその美しさが仮初めであることも、虚像とも言い切れるほどに薄汚れていることも彼女らは知っていた。いや根本的に理解をしたのだ。
知ろうとも理解しようともしなかったそれを、彼女らは直視して今、塔の目の前に立っている。

「姉様は同行しなくても良いのでは…?」

黒騎士ハヌマを牽制したのは、妹であるダグラスだった。その理由は誰もが分かっている。これから殺す相手は、ハヌマの双子にして兄の器を持った化け物だ。
王という名の化け物なのだ。それを殺すところを姉には見て欲しくない、と妹は願っていたのである。
しかし姉ハヌマは、妹の申し出をあっさりと断ると、今だかつて見せたこともないような穏やかな顔で微笑んだ。
その狂気を見据えて身震いしたのはダグラスだけではなかったが、敢えて彼女は何も言うことはなかった。
姉の目的が何であれ、ダグラスの目的と一致している。そう、この仕組みを壊す為に。その為に剣を取ったのだ、後は塔を登るだけ。
塔の外側に作られた螺旋階段をゆっくりと登り始める。空の上はとても寒い。以前は特殊素材のローブを着込んで登ったが、今回は同行してくれている時錬士イリオスに寒さを緩和する魔術式を持たされている。そのお陰か、体の温度は奪われることはなく、道も以前より早く上れているような気がしているとダグラスは感じていた。
集団で登るにはこうでもしないと手がないとハヌマは考えていたようであり、その考えに賛同したイリオスは自身の体力なども計算しながら、徹底して騎士団のサポートに徹してくれていた。
一度中間地点での休息を取った後、ダグラスは気付いた。気配がするのだ。ずっと、誰かに見られている。
しかしその目線が何であるかはよく分からず、杞憂であることを祈った。
長く続くその階段を一段一段登る度に、心が折れる者も多かった。その理由は簡単である。
騎士団の殆どは聖都出身かつ、国教徒であった。彼らは生まれてからずっと王という存在を信じている。そう王は神だ。
彼らの神を今、殺して、これから世界を変えましょう、救いましょう、と言ったところで。彼らにとってはその後の不安の方が大きかったに違いない。
ダグラスの杞憂が薄れてきた頃、とうとう見慣れたあの光景が目に飛び込んできた。
鉄柱を編み込んで作られた半球体の建造物。空は美しく群青を示していた。
透明な建物は薄ぼんやりと光り輝き、鳥の囀り一つ無い空間には作り物めいた木々と揺らす風があった。
その木の根元、白銀に光る人間に似た何かをダグラスは見つけたが、瞬きをした瞬間に、それは消えていた。
見間違いか、そう思って彼女は先陣を切って歩き出した。透明な建物の中にそれは有るはずだ。既にこの場所にあるのは、死んだ人間を象った蔦の集合体と、白骨化した人民。
生きている物は、王意外にあり得なかった。しかし、空気は確かに自身らに牙を剥く。最初は髪の毛に触れるくらいだったその風は一気に巻き上がり、それは木々を揺らして葉を一瞬にして中に離散させた。赤い、霧のような光がぼんやりと降下する。
それは赤い雪が降っているようで、けれど、そんなに美しい物ではない。重みを持っているそれはかつて見たあの町の雨に似ていた。その雨の恐怖を知っているのはダグラスとイリオスだけだったが、雪の脅威に気付いたのはハヌマとダグラスだった。
ダグラスの背には既に青翼が浮かんでおり、降り舞う雪は彼女の翼によって弾かれていくが、雪が止むことはない。

「姉様、これはリリアンの…」
「急ぐぞ、父は……テスカリオスは奥だ!」

走り出した姉ハヌマの背に、翼はない。それでも先陣に立った自身の姉を追いかけ、黒騎士ダグラスは走った。
どこまでも続く大地ならば、それはもう一種のストレスにも似た爽快感が彼女には残ったのかもしれない。だが、ここは空の上で雪の元凶たるその存在を見据えた瞬間に自身の神経が凍るのをダグラスは感じた。
圧倒的な魔力。砂金色の髪に深紅の瞳。姉と同じ色だと思った自分の言葉を修正せざるを得ない。その赤は、虚飾の赤にして傲慢の赤。人間の血の色に限りなく似ていた。

『……とうとう戻ってきてしまったようだ。私の娘達』

穏やかな声はまるで漣だ。静かに静かに響いて、まるで鏡面に水を落としているかのようにさえ感じるというのに、そこにあるのは絶対的な存在感だった。
その背に映るのは紅。絶対的な王の証であり神として君臨する者としての象徴。
黒き騎士団の面々から一瞬にして生気が消え失せたのも頷けるほどにその存在は絶対的だった。神のように神秘的でありながら、それは傲慢で。傲慢というよりは圧力。圧力という名の統制。統制という名の征服だった。
これこそが王の姿、神と類似する者。世界の絶対なる指針の姿だった。
その姿に平伏せざるを得なくなるのも、ダグラスは理解できた。騎士団の殿を勤めていたイリオスでさえも、その姿に頭を上げておくことなど、出来ないほどに背筋が震えた。

『そのまま幸せに暮らしてくれればそれでよかったのです、けれどお前達は戻ってきてしまった』
「イルソラ兄様を犠牲にして置いて、何をいけしゃあしゃあと!」
『…世界の指針を維持するために、多くの『自身』を捧げてきた』
「…多くの『自身』…?」

ダグラスの言葉に王は緩やかに目を伏せる。そして再度見開いた瞳でハヌマを見ると悲しげに微笑んだ。
ダグラスには分からなかった。以前会った聖帝テスカリオスは、こんな風に表情を生み出すような生き物ではなかった。彼女の記憶では確かに無機質に近い存在であったのである。
そんなダグラスを横目にハヌマは臆せず王の側へと歩み寄る。

『お前は分かっていたではないのか? ハヌマ。あの日、この塔に登ってきたときから、理解していたはず』
「そう、確かにあの日から私は知っていました」
『賢き私の娘、世界の指針から人間を切り離すためには、長き時間が掛かることをお前は理解していた。だからこそ、あの日、あのとき。イルソラと共にこの塔に登ってきたのではないか』

世界時計という絶対的な指針を止めるために。
人間から切り離すために。

その名目は黒き騎士団が掲げてきたものだ。その言葉を今、指針を担っている王の口から聞くとは誰もが思っていなかった。ダグラスはそれと同時に恐怖し、言葉を飲んだ。
『自身』と称した犠牲。以前は兄と共に登ったという事象。
そして今、ダグラス本人と姉が揃っている現状が恐ろしかったのである。それは本能的に彼女が感じ取った姉の異変だった。
元よりこの計画が王からの命令であったのならば、今の現状は宜しくない。しかしダグラスの声は一切でなかった。

「そうです。だからこそ私はここに『妹』と共に来た。当初の予定通りに人民を他の都市に移し、ここには私達だけ。王という神の、当初の器を届けるために」
『王の複製にして、最初の神殺しと同じ遺伝子を持つ者。ダグラス、私もハヌマもそしてイルソラもまた、皆同じ遺伝子情報を持ちあわせる原初の王テスカリオスの複製品(クローン)だ』

王のシステムは存続しなければならない。だからこそ、数多くの複製品が必要であることをハヌマは了承していたのだ。
ダグラスは裏切られたと思った。姉は、あんなにも熱心にこの世界を変えるのだと言っていたのに。
彼女に賛同してくれたこの人間達は? イリオスは?
ダグラスの脳内に過ぎっていたのは、自分たちを信じて送り出してくれた導師達と第二都市リリアンの賢王。そしてその言葉だ。
【テスカリオスは正しかった…】と残したその意味は、彼女らが間違ったことをしていたという意味だと思っていた。それは世界に対してや、このふざけた茶番劇を差しているのだと、ずっと思ってきたのである。
世界を失えばどうなるのか、そんなことを考えてきた自身がどこまでその思想に傾倒させられていたのかを知った。
ダグラスは深くそう考えた。賢王カリテはこの事実を知っていたのだ。彼らは自身らの行いが悪いと感じていたのではない。
王を維持するシステムの作り方についての失敗を語っていたのだ。そう感じた。

「姉様…最初から…私を」
「ダグラス、悪いな。王の器は沢山あった方が良い。お前は次の王になるのだ」

ハヌマの言葉に、ダグラスも。そして頭を上げることすらできなかった騎士団の面々も息を呑むしかなかった。

--------王は知っていたのか。その答えの意味を。けれど神は確かに知っていたのだ。その言葉の意味を/ベベル創世の書1013頁 --------


王と秩序と崩壊の世界で人々は羽ばたく夢を見続ける 【後編】


騎士団の殿を勤めていたイリオスは重く下げたままだった頭をとうとう上げた。震えが止まらない元聖女の姿と、その姉の姿に目を見開くためだ。
剣を突き立てられていたのは、自身が守ろうと思った聖女で。その姉は酷く妖艶で、しかし寂しげな顔を浮かべて笑った。
悪いな、と言った言葉が耳に残り、イリオスはとうとう持てる力と矜持を振り絞って叫んだ。それは音ではなく、気力に近かったが、それでもはっきりとした魔術は形成された。
ダグラスの目の前、大きな風が巻き起こり。姉ハヌマは少なくとも彼女から数メートルの距離を離された。

「ダグラス様、武器を!」

イリオスの声は彼女の耳に正確に届いた。ダグラスにとって、姉は敵ではないはずだった。
しかし、今現状を見てイリオスは確かに把握した。ハヌマは敵だ。
その本能のまま術式を展開すると、今だ武器を構えられぬダグラスの前に立ち、彼女を後方へと突き飛ばした。
ダグラスでは、姉に勝てない。能力ではなく、精神的な強さの面で。
瞬時に判断したイリオスの間合いは近く、一歩踏み出されればハヌマの攻撃範囲に入ってしまう。それでもイリオスは躊躇わなかった。
逆に一歩前に飛び出し、ハヌマの後ろで目を見開いたテスカリオスの動向を見逃さない。
彼はあの化け物じみた表情をしていなかったのだ。ハヌマが戦うその姿をまるで計算外であると言わんばかりに立っている。声を上げる間もなく、彼女は聖帝の前を背に立ちふさがった。
その動きを目で追って、イリオスは自身の後ろにいるダグラスに声を掛けた。

「ハヌマ様を止められるのは、貴方だけです、ダグラス様!」

雷撃のように駆け抜けたその言葉にダグラスは目を見開いて、天を仰いだ。空は群青よりも暗く、そして瞬かない星を見上げて浅く息を吐いて、その背を広げた。
青白く光る魔力の結晶が、翼のように広がっている。
王の血筋のみに現れるそれを、ダグラスは広げて剣を構えた。一撃、一撃で仕留めなければ姉に殺される。
本能的に分かっていたのか、体は的確に武器を鋭利な物に変えていく。イリオスを仕留めんとしたハヌマの剣をはじき返し、ダグラスはそのまま縦に剣を引き落とした。
突き刺さる感覚ではなかった。まるで水を切ったかのような、そんな浅い手応えであったというのに、ハヌマの鎧は砕け、その白い肌からは赤いものが吹き出していた。
その瞬間である。彼女の後ろから伸びた手は、叫び声を上げて彼女を抱き留めた。

「嫌だ、ハヌマっ、どうして?!」

まるで人間味が戻ったかのような声に、ダグラスもイリオスもまた目を見開いた。涙を流すその姿は今の今まで自身達が平伏しなければならなかった王という神の偶像とは違っていた。
ハヌマに限りなく近い印象でありながら、何処か穏やかな雰囲気を纏っていた王の姿ではなく。その姿は彼女の兄と呼ばれていた頃に酷く近かった。
その瞬間である、聖帝の背にあった翼は消え失せ、その代わりになのかハヌマの背には深紅の翼が広がっていた。
ダグラスは思わず切り伏せた姉の姿と、それを抱き留める男の姿に息を呑む。入れ替わった。
確かにそう感じた。次の瞬間、ハヌマは王の器となっていた自身の兄を盛大に突き放した。

「イルソラっ…分かっているな!」

牽制するような言葉に、男は目を見開く。イリオスとダグラスもまた距離を取ったハヌマを見て武器を構えなおした。
正確に兄の名を呼んだハヌマはにやり、と笑みを浮かべた。これを待っていたかのように、彼女は笑ったのである。

「封印の術式を組むんだ。ダグラスもいる。イリオスは時錬士だ。あの時、お前だけでは出来なかった神封じを今…」
「ハヌマ、何を言っているんだ! お前はどうなる?! 私から王の…テスカリオスの魂を切り離してしまったら、お前が」
「そのために、私はここまで来たんだ。あの日に、お前を助けられなかった私をーーー許してくれ」

ハヌマはその背に広がる翼を見て自嘲気味に笑うと、兄と妹を一度ずつしっかりを眺めた。
動揺を隠しきれていない双子の兄は、未だにハヌマを気遣い、そして揺れている。このままかつて、ハヌマ自身と彼が行おうとした神を封じる方法を試してくれればいいと彼女は思っていた。
今ならば、昔、自分たちができなかったことをすることができる。まるで懐かしむようにハヌマは自身の剣を手に再度、祈るように天を仰いだ。
自分で自分を殺す。
そうすれば、現在王のシステムの中にいる自分を守るために、神の代わりになっている王テスカリオスの魂は必ずハヌマ自身の中に固定され、そして器として完全に切り替わるはずだ。
それが彼女の考えだった。しかし現状で、ハヌマの行動を理解できたのは双子の兄であったイルソラだけだったであろう。
突き刺された剣はハヌマの中心を貫き、そして彼女の体はあっさりと崩れ去った。しかし翼が消えることはなく、ゆっくりと浮かび上がったその体はまるで時間が戻るかのように傷が消えていく。
ダグラスとイリオスには何が起こっているのか全く理解ができなかった。
いや、理解したくないという気持ちが先行していたのかもしれない。こうも神という王の力が強く健在で、自分たちがやろうとしていたことがどれほど愚かな行為であったかを自覚しなければならなかったからだ。

「ダグラス、力を貸してほしい。そして、時錬士イリオス殿、貴方も」

穏やかな声ではなかった。不安をまるで些末事だと言わんばかりに凛とした音が二人の耳に届く。
覚悟を決めた声だと、ダグラスは思う。振り返った先、イルソラは宙に浮いた自身の妹へ穏やかな声で語り始めた。しかし、声は届かない。
まるで二人の秘め事のように、兄の発した声はダグラスには届かなかった。しかし、確かにハヌマには届いたのだろう。
ゆっくりと微笑んだ顔はまだダグラスの知る優しい姉の姿で、それを見て自然と涙がこぼれるのを抑えられなかった。
彼女は最初からそのつもりでここへ来ていたのだ。何て言うことはない、最初から。
王のシステムを知り、世界のシステムを知り。実の兄を捧げてしまった過去と、そして自分たちがあるべき世界を模索して。
ようやく彼女の願いは叶うのだ。今、この瞬間を持ってして。

『其は汝、汝は其。三言の魂を分け、隔て三冠の理を持って座せ。神は土へ、魂は天へ、有るべき摂理と在るべき真理と共に久遠の彼方へ出で参れ』

キラキラと、まるで硝子のように輝いたのは光の粒子だった。それは鎖のように形状を成し、ハヌマの体を包み込む。まるで一つの繭のように光り輝くそれは楕円形の姿となって座した。卵。それが正しい形であろう。
ダグラスの肩に手を置いたイルソラの体温はとても低かった。人間の物とは到底思えないほどに冷たく冷え切ったそれに、ダグラスは目を見開く。
それでも兄の目はまっすぐにその卵を見据えていて、ふっと目線を移した先、ダグラスに柔らかく微笑んだ。
ダグラスの側にイリオスを招いたイルソラは、未だ形状を変えることなく佇む卵に向かって、再度術式を展開した。

「イリオス殿。残念ですが、今、我々の持ち得る魔力や技術では神の器を得た王を殺す事はできません。そもそも王というシステムは、原初から神を殺した人間の魂を現存するクローン体に移し替えることで存在していました。しかし、そうしなければならないほどに、かつての世界は文明に頼りすぎていた。それはテスカリオスもハヌマも、勿論私も知っていたことです。だからこそ、人々が文明から離れた頃に王のシステムごと文明を破棄するつもりでした。それを、私は以前ーーーーーハヌマとこの塔に登った時に実行するはずでした、一度は実行したのです、けれど力不足でそれは叶わなかった。でも、今は違う、貴方もダグラスもいる。どうか、ハヌマごと王の力とこの世界の文明を全て封じましょう」
「それでは姉様は…」
「それを承知でいらっしゃるんでしょう? どちらでも良かった、イルソラ様でもハヌマ様でも、結果は同じだから…と」

イリオスの言葉に、ダグラスは次ぐ言葉を飲まざるを得なかった。イリオスは卵を目の前に静かに術式を展開させていく。

『其れは多重の檻である。光は頑丈なりし檻である。鎖は魂を繋ぐ楔で、右手には焔、左手には王冠。併せ持って焔の王を形成し、汝は焔の檻にて安堵の歌を奏でるだろう』
『演じるは焔、厚き加護、羽ばたくは白銀と凍土に眠りし冷酷なりし闇の女王。傅けよ、人は焔と凍を持って、永劫の盾と剣を持つだろう』

織りなされていく魔術は、ダグラスの剣に集まっていく。自身の役割をダグラスは良く分かっていた。この剣で、卵を貫く。
剣は魔術の楔となって存在し、そして永劫の夢を王に与えるのだ。王となった姉ハヌマに。

「行きます」

姉様。と静かに呟いてダグラスは目を閉じた。そして魔術の乗った剣を振りかざし、剣は卵を貫いて静かにただただ鎮座するだけだった。




聖都の世界時計が時間を止めたのは、丁度月が塔の上に昇った頃だったという。
記手が描いた史実では、世界時計は時間を止めた後、あっさりと崩れ去っていったという。天に聳える美神の塔さえも、ものの二日で崩落したのは誰もが周知の事実であった。
そして、海を挟んだ島で世界を束ねる数人の代表者達は顔を合わせることになる。

人類の安定のために己の主を殺した黒き女王ミワノエール・エリステム。
聖都の人間を安全に逃がすために先頭に立った導師エルスカリテこと、ウェルフェトール・エルス・アルデロ。
かつては王の器であった半身を封じた聖帝の息子イルソラ・エノワス・メルファー。
賢王カリテ亡き後、第二都市リリアンを支えた祭司クローデル・パタ・ディンドラ。
ちなみにこのクローデルという男は、イリオスの後見人となっている祭司である。

そしてダグラスとイリオス。六人は巨大な神殿作りの祭壇を前に、円卓を囲む騎士のように立ちすくんでいた。

「まずは、皆が無事だったことに安心しました。ハヌマ様の事は残念だとしか言いようがありませんがまずは今後について考えましょう」
「ソウデスネ、マズ…私達ガシナケレバナラナイ事ハ、王ヲ封ジタ卵ヲコノ神殿ニ封ジ、二度ト復活サセナイ事。ソシテ、必然的ニ漏レ出テシマウ不活発エネルギー…イイエ、コレヲ【負】ト呼ビマショウ。【負】ヲ世界ニ漏レ出セナイ事デス」

エルスカリテやミワノエールの言うことは正しい。ダグラスとイリオスは、表情一つ変えずに立っているイルソラを横目に、今度世界を統べていくであろう世界の新たなる指導者達と対峙していた。
まだ王は完全に封じられていない。故に、これから王を封じなければならない。
彼らもまた、その状況を理解しているからこそ、この島に足を運んでくれていた。
元々聖都領であるこの島は、神殿島とも墓標島とも呼ばれている。その理由はこの島一帯が死者を埋葬する土地であったからである。
全ての死者は海へ流され、この島に流れ着くとされ、漂着した遺体は全て数少ない墓守達によって埋葬されて管理される。
海に飲み込まれた者達は、すべからく神の元へ行ったのだと言われ、基本的にこの世界の人間は墓というものを持ちあわせていなかった。
そもそも死なない王の元で生かされてきた人間達が死という概念を尊ばなかったというだけなのだが、今となってはこの島に王の残骸を封じることで死という概念を一蹴し、再度正しい死を認識させるのも目的に入っていたのである。

「それについて、一つ私から方法を提示させていただきたいと思います」

イリオスは新たな統治者達を前に、静かに声を上げた。

「王の肉体と魂を封じた魔術は、完全なる夢鎖を連ねた物です。つまり、王の魂は夢を見ている。だが、魂や残骸から漏れ出る【負】の力はどうしても止められません。ですが、【負】の力は免疫のあるものであればあるほど、体内に取り込みその器と魂の死によって浄化できることが分かっています。それは、最初に【負】について研究をしてくれた聖女メメルと、その後任として実験に参加してくれた聖女リナリアのお陰でです。メメルは全身を病気のように漆黒に染め、最終的には器と魂を浄化されたと聞きました。つまり、この方法こそが、【負】の浄化方法に他なりません」
「それでは、毎度毎度犠牲を出さなくてはいけないということになります、時錬士イリオス」
「そうです、ですが、その頻度はそこまで大きくはないでしょう。文明を発達させず、それなりに安定させていけば、【負】のエネルギーは分散されていく。世界中を駆け巡るその力は、そうですねーーーー仮に《神子》と名付けましょう、その《神子》たちを数人…常に確定した人員を確保し、安定した負荷を掛けておけば、彼らに多大なる被害が出ることはありません。必ず、分散させていくことさえ心がければ、《神子》達は天寿を全うできましょう」

会議に参加する人々を見回したイリオスはすっと息を吐いた。

「例えば、ここにお集まりの皆様が各個国を立ち上げるとして、各国に一人ずつ《神子》を選出し、世界の安定に努めるのです。そのためにも、《神子》は新たな神と同じような指針として祭り上げなければならない。その役目を《導き手》と名付けましょう。《神子》と世界を救済するべく指針を説く《導き手》、新たな信仰の対象として掲げることで、世界を混乱から救う。それが私達の使命です」
「……しかし、イリオス。それでは、まず誰かが《神子》となり、そして《導き手》にならねばならぬ。この使命を知って、買って出てくれる者などおりはせん」

はっきりとした口調で告げたクローデルに、イリオスは淡く笑った。

「封印をするための《神子》には私がなりましょう。時錬士は、どうやら【負】に対して免疫があるようでした。だからこそ、私が最初の《神子》として、ハヌマ様と共に神殿王廟に入ります」

イリオスの言葉に耳を疑ったのはダグラス含め五人の人間だった。
一体何を言い出したのだ、とダグラスさえ傍らの男を見つめる。けれど、イリオスの目に迷いがないことを知って、息を呑んでしまった。

「イリオス、その役目は私がーーー」
「イルソラ様ではいけません。御身とダグラス様はハヌマ様と同じ器です、王の魂が入りやすく、そして共鳴もしやすい。簡単に乗っ取られてしまうかもしれません」
「だが、イリオス殿。貴方がーーーーー」
「提案者が最初に名乗りを上げるのは、当然のことでございます。なので、どうか私の決意が鈍る前に」

その後、記手が語る史実に時錬士イリオスの名はない。
彼は神を封じる器と共に《神子》として神殿王廟に封じられた。彼が生きているのか死んでいるのかは誰一人として知るよしもなかったが、かの出来事から十年の後、聖女であり黒騎士であったダグラスが正式にクローデル・パタ・ディンドラの養女として後継者となり、ディンドラの地を治めたという。
今でもディンドラの統治者が女性に偏るという現実は、彼女が《導き手》として世界を守り、そして《神子》と共に生涯を過ごしたとされているからだ。

時錬士イリオスが王廟に封じられた後、世界には四つの国ができあがる。

黒き女王ミワノエール・エリステムが治める国、エリステム。元の第三都市イエソワに街を築き、誰よりも国を挙げて《神子》を育てることに力を入れた。そして世界時計を失ったエリステムの大地は凍りに閉ざされる凍土となったものの、地下への移住により、国を救ったのもこの女王と言われている。ミワノエールは次代に国を引き継ぐと、己の器に【負】を封じ込め、神殿王廟へ自ら入っていったという。

ハヌマを封じた後、その片割れのイルソラ・エノワス・メルファーは聖都と同じ場所にエノワスという国家を建てる。そこには数々の研究機関が置かれ、イリオスの後、最初の《神子》を排出した。イルソラは、在位二百年の後、器ごとどこかに消えてしまったというが、その最後を見た者は居ない。イルソラ亡き後、エノワスはその血脈を守りつつ、少しずつ発展していった。

導師エルスカリテを敬愛した人々は、山に住まうと告げたエルスカリテに同行し、アルデロという国家を作る。細々としたその国は信仰が厚く、エルスカリテ亡き後も《神子》の排出に尽力し、また《導き手》の信仰を忘れなかった。

そしてディンドラは先に語ったとおり、ダグラス亡き後も信仰をし続けた《神子》と《導き手》は、いつしか国の国教となり、今でもその信仰を守っている。




それが記手が最後に綴った頁である。しかし現実は、今も尚真理を隠したまま続いている。
後に、記手の元に現れた白銀の髪の女はこう語った。


「世界は、こうもまだ、緩く統べる者無く。神はかく語りき」
記事メニュー
ウィキ募集バナー