【名前】藤井蓮
【出典】Dies Irae
【性別】男
【名ゼリフ】
「一緒に勝とう、先輩。――あいつらと一緒にぶっ倒すぞォッ!」
「常世が穏やかで安らげることを祈っている」

【本ロワでの動向】
 原作本編におけるグランドルートとされている先輩こと氷室玲愛のルート途中より参戦。実はこの参戦時期が後々に彼のみならずロワ全体にも大きく影響していくことになる。
 原作において仲間を全て失い、最後に残っていた先輩すらもオープニングの見せしめで殺されるという最悪の状況から殺し合いをスタートさせられることとなる。

 愛する人を含めた全てを理不尽に奪われた彼はその独特に強固な価値観ゆえに愛した死者たちの蘇生という術にも縋れぬまま、呆然自失となりながら殺し合いの舞台を彷徨う。
 その最中で出会ったのが自分と同じ音韻の名前を持った少年――『原型なる悪魔使い』こと魔法士 天樹錬であった。
 自分よりも幾分年下(実年齢で言えば更に幼い)の少年を殺す気にもなれず、そもそも殺し合いをするどころか生きる目的すら奪われたに等しい蓮は錬へと自分を殺したいなら殺せばいいと投げやりに接する。
 しかし錬もまた当然のように殺し合いには乗っておらず、生来的なお人好しでもあるこの少年が、目を離せばどこかで死んでいるかもしれない今の蓮を放っておくことも出来ず同行を申し出る。
 探している少女がいる、その探索に協力して欲しい。半ば強引とも言えるその依頼に対し蓮は投げやりな態度の中に何か思うことがあったのか一つだけ質問に答えろと彼へ向かって投げかける。
 その少女はおまえにとっての何だ? その問いに対し錬は迷わずに即座に答えた。
 たとえ世界を敵に回したとしても、絶対に守りたい僕にとって一番大切な人だ――と。
 その答えにあるいは同じ思いを持ちながら果たすことの出来なかった自らを重ねてしまったのかもしれなかった。
 自分から大切な仲間を全て奪ったラインハルト・ハイドリヒ。そしてかけがえのない愛する人を奪った殺し合いの主催者。奴らを許せないと殺したいほどの憎悪を抱く半面、擦り切れる寸前だった蓮の心は憤怒や憎悪だけを原動力には動けない。
 もう一度それでも戦うなら自分自身でも納得のできる理由が欲しい。縋り付く大義名分を欲しているかのような自らの情けなさに内心で自嘲を浮かべながらも、けれどこの少年に協力してやりたいと思う心にも偽りはない。
 もう一度だけ、今度はこの少年と彼が愛する少女を守るために戦おうと蓮はその錬からの依頼を請け負った。

 世界が自分にとってままならない残酷なものであることも、そして愛する者と顔も知らない誰かなら愛する者を守りたいと思う傲慢なエゴ。そしてそんな傲慢なエゴを貫き通すというのならその為に犠牲にした者たちへ対し逃げずにケジメをつけなければならない。
 そんな価値観の似通った両者は、表面上こそ互いに皮肉をたたき合うように見えながらも、根っこの所には共感があり信頼があった。口では生意気だなんだと言いながらも、兄弟のいない蓮は錬のことを弟のように見ている部分もあった。
 だからこそ、この少年とこの少年が愛する少女だけは自分が命懸けで守ってやろうと決意も新たに抱いたそんな頃。
 ――運命は彼の新たな決意を嘲笑うかのように悲劇をもたらしてくる。
 放送で呼ばれた名前……その中の一人に含まれていたフィアという少女の名。
 錬が誰よりも大切に思い守りたいと願っていた少女。顔も知らない接点もない赤の他人と言えど身内と捉えていた少年の大切な人の名前が呼ばれたことには蓮にもまた戸惑いが生まれていた。
 しかし自分が何と言葉をかけて慰めようとしたとしても、そんなものは錬にとっての救いになどなりはしない。それが分かっていたからこそ、これを乗り越えるのは錬自身の問題であるとも思っていた。
 蓮は心の中で彼ならば喪失の痛みすら乗り越えてくれるはずだと信じたかったのかもしれない。
 だが錬にとってフィアという少女は蓮が思っている以上にずっと大切な存在であり、そして錬の少女への想いは彼が思ってもいなかった方向へと向かって加速してしまう。

錬「どこにもいないんだ、蓮。フィアはもう、僕の『未来(いま)』のどこにもいないんだ!」

 少年の暴走。失ってしまった大切な人をそれでも取り返したいと願い歪んだ奇跡に縋ろうとする行為。
 この場の誰を犠牲にしてももう一度フィアに逢いたいのだという錬の想いは、彼を優勝の褒美――死者の蘇生へと向かわせようとする。
 ざけんじゃねえ! 死んだ女をゾンビにして蘇らせようなんて最大の侮辱だろうが!
 失ったものは戻らない。簡単に戻ってくるようなものになど価値などない。だから失わせないように守りたかった。
 蓮の脳裏には先輩の、香純の、司狼とエリーの姿が駆け抜けるように蘇り消えていく。彼らを、宝石のように愛しかった刹那たちを塵屑のように変えて踏み躙るなど断じて許されはずがない。
 大切なんだろ、かけがえがないんだろ、地球よりも重いんだろ。だったらそれをどうしておまえは自分から踏み躙ろうとなんてしてるんだよ!
 許せなかった。認められなかった。何よりも弟のように思えた少年だったからこそ、そんなことをさせるわけにはいかなかった。止めなければならないと思った。
 マリィと切り離された断頭刃。自分の魂と渇望を燃料に込めれば戦うための術にはなる。錬を相手にこれを向けるのは蓮にしてみてもこの上ない程に身が引き裂かれる思いであったが、今の錬を止めねばならなかったのも事実。

蓮「なんでだろうな。けど分かるんだ。自分の女が死んじまった時の悲憤がさ。
  だから来いよ、錬。お前の愛を、俺の宇宙に刻んでみせろ!」

 それは失った先輩への愛か。或いは同時期にこの舞台より人知れず消えていった自分が辿っていたかもしれない未来が残した残滓だったのか。
 蓮自身には分からない。分からずとももはやこの戦いだけは避けられない。

蓮「時よ止まれ、君は誰よりも美しいから!」
錬「僕だって、僕だって好きだった。理屈なんかじゃなく好きだったんだ」
蓮「だったじゃねえ、好きなんだろ! ならその刹那をお前自身に刻み込め!」

 戦いは熾烈を極め、そして互いに向けて叫ぶ言葉はいつの間にか失ってしまった大切な者への愛の叫びへと変わっていた。
 譲り合えぬ心情の下に繰り広げられる神候補と悪魔使いの対決は――遂には蓮の勝利として幕を引いた。
 しかし蓮の胸中に勝利に対する喜びなどあるはずもなく、ただ残ったのは深く傷ついた己自身の心の痛みと悲しみ。
 そして最後まで止まれなかった錬の無念の亡骸だけだった。
 諦めたくない、止まれないんだと叫び続けた少年の最期は蓮にとっても生涯忘れることの出来ないものとして心へと刻まれた。
 お前は大馬鹿野郎だと毒吐く半面で、錬が生前で嬉しげに語っていたフィアという少女の特徴がマリィの面影とも重なり、何故だろうか無意識の内に蓮の頬からは涙が伝っていた。

 先輩を失い、香純を失い、司狼とエリーを失い、そして遂に錬まで失った。蓮は再び守るべきはずの大切な人々のすべてを失ってしまった。
 ……いや違う、まだ一人だけ。たった一人だけだが残っている。
 マルグリット・ブルイユ――マリィ。
 確証などどこにもない。彼女との繋がりだってこの殺し合いが始まった時点で既に断たれている。
 それでも彼女はここにいる。どこかで自分を探している。それが分かった蓮は未だ呆然とした足取りもままに彼女を探して会場を歩き回る。無性に彼女と逢いたかった。彼女に微笑んでもらいたかった。彼女に大丈夫だと抱きしめて欲しかった。
 もう誰かを失うのは沢山だ。せめて彼女だけでも無事に元の世界へと戻してやりたい。先輩たちを守れなかったからこそ、これが彼にとって本当に最後に残った心の支えとなっていた。

 そしてひとりぼっちの放浪の果て、蓮は遂にマリィと再会する。
 彼女と共にこれまでいた者たち、彼女を守ってくれていた者たちへと蓮は深く感謝した。
 チーム・サティスファクションもまたマリィが探していた蓮を歓迎するように受け入れた。再び孤独へと陥っていた蓮にとって新たな仲間と絆が確かに生まれた瞬間でもあった。
 丁度同時期、マリィを太極の器と見抜き綿月姉妹が目をつけたという点から利用するために襲撃を仕掛けてきたのが幻想郷の「スキマ妖怪」こと八雲紫。
 彼女自身は殺し合いに完全に乗っているとも言い切れぬ微妙な立ち位置であったものの、他ならぬマリィを狙われたこと。彼女自身が人間を見下し高圧的な態度を崩していなかったこと。チーム・サティスファクション内に彼女と現状敵対関係である綿月姉妹がいたこと。蓮が身内に敵対する相手には一切容赦しない性格であること。など様々な要因が重なり、疑惑を払拭できぬままに戦闘へと発展する。
 結果として蓮と覇吐という本来の神座の歴史においてはありえぬ即席コンビが誕生。土下座戦法でネタにされがちとはいえ上位の実力者である紫に苦戦しつつも遂に勝利を収める。

 尚、これが原因で紫が一時期同行していたアドルフ・ラインハルトとその仲間たちとあわや対立に発展しかけるものの、元々紫自身が思わせぶりな行動を取り過ぎていたため彼らの間でもどれが真実であるのか情報が錯綜しすぎて判断も出来ない状態でもあった。
 結局、お互いが対主催であるという事実。恨みつもりの諍いを残すことは今後のマイナスにしかならないというアドルフの大人の判断から衝突は避けられる。
 しかしそれでも紫が仲間であったという事実、せめて彼女の亡骸を弔うために墓を作り、そしてその間に自分たちも気持ちの整理をつけたいというアドルフの提案を呑み、二つのチームは完全な合流とならず一旦別れることとなった。
 去り際、蓮は紫の墓を黙々と作り始めたアドルフへともしかして彼の刹那を奪ってしまったのかという負い目から、彼の名を訊ねていた。

蓮「あんた名前は?」
アドルフ「アドルフ・ラインハルトだ」
蓮「ラインハルト?!」

 自分から大切な仲間たちを奪った怨敵と同じ名前に驚くものの、直ぐに同名の別人に過ぎないと冷静さを取り戻し訝しむアドルフに何でもないと首を振る。
 ただ一つだけ、殺し合いに乗っていたかもしれない女を、もしかしたら自分だって寝首をかかれていたかもしれない相手に墓まで作ってどうして弔うのかと訊ねると、

アドルフ「こいつは俺のことを人間と呼んでくれた。勿論見下した視点からの物言いだったのは分かってはいたがな。
     それでも俺みたいな化物を一端の人間扱いしてくれたんだ……墓を作る理由なら、それぐらいでも充分に足りるだろう」

 それにどんな形であれ、自分の人生に関わった者のことは好きになりたいのだと背中を向けて墓を作りながら静かに告げるアドルフ。
 怨敵と同じ名前を持ちながら、自らを化物と苦悩しながらも真偽も定かでなかった相手の墓を作るその姿。
 少なくとも、自分の大切な人だけの世界を永遠にそのままで留めておきたい。そんな大多数を弾く拒絶でしか世界を創れない歪んだ自分とどちらが余程人間をやっているか。
 あの黄金の獣や自分などよりその背中は充分に立派に人間をやっている。
 少なくとも蓮はその姿を化物や幻想の類などとは扱えなかった。だからこそ――

蓮「あんたは人間だよ。少なくともちゃんと現実に生きてる。幻想でも化物でもありはしないさ。
  俺達は永遠になれない刹那だ。どれだけ憧れ求めても、逆に卑下したって幻想にはなれないんだよ」

 心から彼に対してそういうことが出来た。
 その言葉にアドルフは何を感じたのか、墓を作る手を止めてこちらの方へと振り向いて訊ねる。

アドルフ「俺からもおまえの名を訊いておきたい」
蓮「蓮……藤井蓮、だ」

 蓮の名乗りにアドルフは静かに納得したように頷きながら、再び背中を向けて告げた。

アドルフ「蓮、か。俺たちの国の言葉ではロートス……何もかも忘れ、一つのことしか出来なくなる麻薬だ。
     オデュッセウスが現れなければ、同じところを回り続ける」

 おまえの雰囲気にはピッタリではあるな、と褒めているのか貶しているのか分からない言葉に。
 少なくとも蓮は一応褒められていると解釈をして、だからこそ返すべき言葉をこのふざけた殺し合いへの打倒と重ねた決意へとする。

蓮「だから俺がオデュッセウスになるんだよ」

 この殺し合いというふざけた環を破壊してそこから抜け出る。
 今はどうすればいいかは分からないけど、必ずその方法を見つけてみせると。
 枠を超えて、俺に出来ることがあるかもしれないと。
 それが互いの決意と目的だというように両者はそこで別れ別々の道を歩き始めた。


 チーム・サティスファクションの仲間の一員となり共に行動しながら、しかし蓮には密かな戸惑い……正確に言うなら彼らとの間に存在するような若干のズレを抱いてもいた。
 今まで見たこともないような積極的なマリィ(以前から彼女は溌剌として親愛の情を向けてきてはいたが自分の認識しているものとは何かが少し違う)や、見覚えのない大昔の傾奇者のような格好をした青年――坂上覇吐や彼の主君だという久雅竜胆が見せるまるで自分のことをよく知っているかのような態度。
 そして周りの他の連中にしてみてもまるでマリィと自分をくっつけねばならないとでも心得ているかのような気の遣い方や態度。
 最初は些細な違和感、自意識過剰の勘違いだろうと自分自身へと言い聞かせてもいたが段々とそうも誤魔化せなくなってくる。
 蓮はマリィを大切に思っていたし、彼女だけは絶対に守って見せるとも誓っていた。けれどそこにある愛は共に戦う仲間へと抱くもの、あるいは大切な家族に対して抱く肉親への親愛に近い。
 異性としてこの上なく特別に愛していた人は別にいる……いいや、別にいた。
 愛は薄れず消えることも断じてない。過去形の綺麗な思い出として仕舞いこむことなど断じてできない。もう二度と逢うことは出来ない。けれどそれでもずっとずっと愛している。彼女――氷室玲愛へのこの想いだけは変わらない。
 強固なまでに一途な蓮の先輩に対する想いに、皆マリィとどうしてくっつこうとしないのかと疑問を深めるばかり。誰一人にも悪意はない奇妙なジレンマはこの戦いが終わるまで暫し続くことともなる。

 そうしてチーム・サティスファクションの一員として行動する蓮。新たな仲間と絆は彼を支えもう二度と彼を絶望へと叩き落すことはない。蓮自身にしてみてもそう思いかけていたその時に新たな悲劇はやってくる。
 ロワも中盤戦へと突入し、各陣営が形成され参加者間にも慎重に動こうとする警戒感が生まれ始める。殺し合いの遅れとその停滞を嫌う者、この殺し合いの裏で多くの悪意ある策謀を巡らせても来た一人である神州王。
 彼は殺し合いが陥りかけたこう着状態を打破するためにある暴挙へと躍り出る。
 自身が持つ数多の能力の一つ――禁忌王のモード。この中の禁忌の術を使い彼はこのロワ会場へと大量のゾンビを召喚する。
 それは会場に元から仕込まれていたゾンビから、これまでの殺し合いで脱落した者たちの死体。そして――

 突如始まったゾンビ騒動に困惑しながらも、チーム・サティスファクションは会場中のゾンビたちを駆逐するために行動する。
 死者の尊厳すら踏み躙るこの暴挙に対し怒りを顕としながら蓮もまたゾンビたちを物言わぬ死体へと還していく。
 仲間たちとの協力の下に次々とゾンビたちを一掃し、遂にはあともう少しと気を引き締めかけたその時であった。
 この世に神なんて存在しない。いたとしてもこんな神なら俺がこの手で殺してやる。
 香純からギロチンを引き継いだあの雨の日の思いを、蓮はあの時以上に深い怒りと悲しみの中で思うこととなる。
 蓮の前へと立ちはだかった最後のゾンビたち。天樹錬……そして、氷室玲愛。
 救いたかったはずのもの。守りたかったはずのもの。今だってずっと愛しているはずのもの。

 『墓から這い出てくるのは、何であれ怪物(ゾンビ)だよ。
  親でも友達でも恋人でも……そんな気持ち悪いものには変えられないし、変えちゃいけない。俺はそう思うけど』

 かつて、死んだ人間に逢いたくないかとヴァレリア・トリファに問われた際、他ならぬ自分自身がこう答えた。
 愛に狂うな、死を軽く考えるな。亡くせば取り返しが効かないからこそ、人はそれを大事と思える。
 ならば戻ってくる失せものになど価値はなく、命を塵と同列に堕する考えだ。
 ……ああ、そうだよ。そうだとも! 他ならぬ今目の前でゾンビになっている錬に対してさえ、俺は確かにそう言ったじゃないか!
 悲鳴を上げる心に震える身体。蓮の尋常ならざる様子に皆が戸惑う中、その少女のゾンビが最初に見せしめで殺された彼女と同一人物であることを誰もが理解する。
 特に彼女が辿っていたかもしれぬ未来の姿である天魔・常世と深く関わったことがある竜胆は、彼が夜刀……蓮の未来の姿であったかもしれぬ男のことをどれ程強く想っていたかもよく知っていた。
 ならば彼女を刹那の一つと呼んでいた蓮にしてみても、彼女を憎からず思っていることは容易に察せられる。
 蓮に彼女たちを殺させるのはあまりにも忍びないことだとチームの中で代わりに請け負おうとした者が出始めたその時だった。
 他ならぬ蓮が手を出すなと仲間たちを身をもって制して前へと進み出る。
 右手に宿る断頭刃を今この瞬間ほど重たいと感じたことはない、そう蓮は心底に思った。
 かつてこの手で殺してしまった少年。本当に心から彼が愛する少女と共に生きて帰してやりたいと思っていた相手。
 ただ無言のままに、蓮は少年のゾンビの首を刎ねる。詫びも言い訳も言葉で並べられはずなどない。並べていいはずもない。
 心が悲鳴を上げて軋むのに何とか歯を食いしばり耐え切りながら、蓮は最後にとうとう彼女へと再会した。
 ……否、このようなものが再会などで断じてあるはずがない。だってこれはゾンビで自分が愛した女は氷室玲愛だ。
 だから断じて……断じてこれは彼女なんかじゃない!
 ただ一歩を踏み出し近づくだけでどれ程の労力を費やしたか。これに比べればかつての櫻井螢との小競り合いすら物の数ではないだろう。そう思いながら、彼は右手の断頭刃を振り上げて――

 ――脳裏へと過ったのは、もう取り戻せない彼女と共に過ごした他愛のない日常。学園の屋上での語らい。

 何気ない日々だった。他愛のない光景だった。他人からすれば何が大切で何が面白いかも分からないような、平凡という二文字で片付けられるようなその程度のもの。
 だがその程度のものこそが蓮にとっては大事だった。かけがえのないものだった。
 時間が止まればいい、狂おしい程に願った永遠へと留めておきたかった彼の刹那。
 しかしそれはもう――戻らない。
 振り上げた断頭刃は気がつけば力なく降ろされ、ギロチンの中へと戻っていたはずのマリィが傍らに現れていた。
 泣きそうな表情の彼女を見るのが辛くて、俺が情けないから彼女まで悲しませて苦しめてもいる、そう蓮は思った。
 もう迷わないから、一人でやれる大丈夫だと彼女を下がらせようとする蓮にマリィは強く首を横に振る。
 ――わたしも一緒に背負うから。だからレンひとりで苦しまないで。
 その言葉に、内心でどれ程に救われたか蓮は誰にも語ることなど出来ない。
 ありがとう、その一言だけを何とか絞り出すのが精一杯で、流れそうになる涙を必死に堪えなければならず。
 たとえこれがゾンビであろうと泣き顔だけは先輩に見られたくない。そんな辛気臭いものを彼女には見せたくなかったし、守ると誓ったはずの彼女をこうして死なせてしまっているという事実に合わせる顔がなかったから。
 だから抱きしめた。壊れそうなほどに強く。もう冷たい死体となっている彼女の身体に、それでもこの温もりとも言えぬ冷たさを己の罪として刻み込むために。
 不意に思い出したのは、ラインハルトの魔城から脱出したあの時のこと。憎悪と憤怒に狂いかけた醜い化物も同然だった自分をそれでも自分の名前を呼んで彼女が抱きしめてくれたあの時のこと。
 一緒に勝とう。生きて帰ろう。……その誓いはもう永遠に果たせなくなってしまったけれど。
 それでもこの胸にあるあなたへの愛だけは永遠に変わらないから――

 ――さようなら、先輩。

 胸中でのみ告げた最後の別れと、それはほぼ同時に行われた。
 抱きしめたその状態から断頭刃を一瞬で引き抜き、斬首する。
 呆気ない程に簡単に、それですべてが終わってしまった。先輩の首はその場で地面へと落ち、死体も二度と起き上がり動くこともなく。マリィの斬首の呪いがかかったギロチンは、死者の蘇生を否定してもはやこれ以上の死者の尊厳を穢すことも永遠にない。
 死後の安寧があるかどうかなど分からない。分からないが、それでも先輩が心安らかに眠りを迎えられるように蓮は強く祈ることしかできなかった。

 そうして神州王の起こしたゾンビ騒動はここで一応の終結を迎える。ゾンビ自体はこの後に神州王を機械神がその身を賭して斃しても、一定の数が残り、それを不死王が自らの総軍へと吸収することで新たな騒乱へと繋がっていくことになるのだが……
 チーム・サティスファクションは傷心の蓮を気遣うように、敢えて直ぐに新たな騒動の中心へと向かうよりも一度立ち止まり休むことを選ぼうとする。
 しかしそれに異議を唱えたのは他ならぬ蓮自身である。気遣いは無用だと、俺は平気だから奴らを殲滅するのが先だ……そう強く申し出る。
 誰がどう見てもやせ我慢の強がりであることは明白で、大きすぎる悲しみに対して怒りをぶつけることで無理矢理にでも忘れようと、目を逸らそうとしているようにしか見えず。
 俺がやらなきゃ、俺が奴らを斃さなきゃ、俺が皆を守らなきゃ……まるで自分一人で抱え込もうとしている蓮のその様子に、チームリーダーである鬼柳をはじめ年長者の翔太朗が声を上げようとしたその時だった。

 ――おい! なに我慢してやがる!?

 真っ先に声を上げたのは意外な所からの意外な人物。
 これまでチーム内でも蓮との接点は殆どなく、他のチームのメンバーが蓮とマリィをくっつけようと画策する中でさえ本人に選ばせるのが筋だろうと関わりもしようとしてこなかった人物。
 ロストグラウンドのアルター使い”シェルブリット”のカズマだった。
 皆が突然割って入ってきたカズマの様子に驚く中で、しかしカズマ当人だけが蓮へと近づいていきその胸倉を無造作に掴み上げる。
 いきなりの行動に皆がカズマを止めようと、蓮自身もカズマを離せと突き放そうと動きかけたその時に、しかしカズマの言葉の方が刹那に早く――

カズマ「おまえは今、泣いていい」

 泣いていいんだ、そう不意打ちのように告げられた言葉に誰もが時が止まったように動きを止める。
 それはその言葉を言われた当人……藤井蓮自身もまた同じであり。
 泣いていい? 俺が? 何故? どうして? 何の為に?
 確固たる厳然な理屈(せんたく)に縋り今までずっと生きてきた。いいや、そのように生きてきたつもりだった。
 死者は蘇らない、戻ってくる失せものには価値がない。それらすべては絶対に譲れず、変えてはいけないもので。
 だからこそ錬を殺した。先輩を殺した。何も間違っていないし、間違ったことだってしていない。
 自分は彼らを助けた、救ったんだ。たとえその結果として失ってしまったのだとしても、それは泣いて悲しむようなことでもないはずだ。
 そう何故かもつれそうに震える口から言い返そうとした直後、ままならぬ蓮より先にカズマの言葉に追随したのは覇吐だった。

覇吐「形として残るものこそ至高だ。まぁ確かにあんたならそう言うのかもしれねえ。けどよ、大切なのはそれ一つじゃねえだろ?
   胸にズシンと響くやつ……そういうもんが、本物だろう?」
竜胆「分かりにくい馬鹿の例えだとは思う。それでも、他ならぬあなたの魂がそれを理解できないとは思えない」

 言いたいことを上手く言えなくてもどかしいと唸る覇吐の言葉を引き継ぐように、優しく諭すように竜胆がそう言葉を繋いできた。
 知った風なことを……とは何故か言い返すことが出来ず。
 カズマや覇吐や竜胆だけではない。リーダーの鬼柳をはじめとした他のメンバー……彼らもまた同じように蓮を見ていた。
 言葉にせずとも彼らは言っている。皆、同じ意見だと。我慢せずにおまえはちゃんと素直にここで泣いた方が良いと。
 それでもまだ強引に最後の一線を守り切ろうとする蓮に、鬼柳は強情な奴だと呆れた溜め息を吐きながら告げる。

鬼柳「泣きたい時に本音隠して我慢して、そいつは本当におまえにとっても、死んじまった奴らにとっても満足なことか?」

 俺はそうは思わねえ。満足ってのは悔いを残さないことだろう。おまえ本当に一つも悔いがないのか?
 そう問われればもう蓮には言い返すことなど出来ない。悔いがない?……そんなわけがない、あるに決まっている。
 錬を死なせたくなかった。殺したくなどなかった。奪われた自分とは違う、せめてあいつくらいは何も失わずに帰してやりたかった。
 先輩を死なせたくなどなかった。自分の身など捨ててでも彼女のことを守りたかった。それくらいに大好きだったし、今だって変わらずに愛している!
 他の誰が何と言おうと、誰を敵に回そうとも、最後まであいつらの味方でいてやりたかった!
 その自らの本音を自覚してしまえば、後はもう我慢など出来なかった。
 だから細けえ理屈なんかどうでもいいんだよ、泣きたい時は泣けばいいだろうが。
 胸倉を掴んでいたカズマが突き放すように蓮を離す。蹈鞴を踏みながらよろめく蓮を抱きしめたのはマリィだった。
 頬を伝い流れ始める涙に頷きながら、マリィは優しく蓮を抱きしめる。
 まるであの時、魔城から敗走した自分を優しく抱きしめてくれた先輩と同じように。

マリィ「もう我慢しなくていいんだよ、レン」

 ここで泣くあなたを笑う人なんて誰もいない。責める人だって一人もいない。
 一番辛いことを逃げずに自分で引き受けたあなたが、泣いたら駄目なんてことがあるわけがない。
 男の子のやせ我慢は貫き通させてあげることが良い女の条件だ、と蓮のことを立てる氷室玲愛ならば選ぶだろう。
 けれど泣きたい時に泣かせてあげることも決して間違ったことじゃない、と抱きしめたいという渇望を持つマリィは思っていた。
 大丈夫だよ、わたしがついてる。絶対支えてあげるから。どこまでも優しく、母のように彼女は抱きしめてくれる。
 それがあまりにも安らかなものだったからこそ、蓮は彼女に抱きしめられながら深く、深く泣いていた。
 失ってしまったかけがえのないもの――それを深く心に刻み込むように、暫しの間、蓮の涙が止まることはなかった。


 その後、死者たちの狂宴を終わらせるためにチーム・サティスファクションは騒動の元凶である神州王を討伐するために動き出す。
 神州王の軍勢である最精鋭のゾンビたちを突破し、機械神デモンベインの活躍、考察組たちが解読した神州王の各モードの特性とその対処法をもって神州王を追い詰める。
 しかし遂に真の力を解放した神州王のその力に、対主催チームは圧倒される。

空目「物語は現実へと侵食する」
蒼衣「断章であってもだ」
空目「そしてそれは時に神をも創る。最も新しき旧神がその最たるものだ」
蓮「今を超越し新世界へと塗り替える物語、か。くそ、身に覚えしかねえぞ」
空目「どうやらとんでもない物語が、いや、物語とさえ言えないものが紡がれようとしている。
   幻想と現実、向こう側と此方側、永遠と刹那。本来相容れることのない裏表が混ぜられようとしている」
蒼衣「混沌、か」
空目「そうだ。神州王、旧神、古き神々を生贄に捧げてまでなされた物語とも呼べない混沌だ」

 考察組が紐解くその光景に既知感めいたものを感じながらも、対主催チームはデモンベインとそれを駆使した大十字九郎の犠牲という大きな痛手を負うものの勝利を収める
 しかし事の元凶であるはずの神州王を倒して尚、会場中から蘇った全ての死者がいなくなったわけではない。
 不死王が解放した拘束制御術式零号・死の河。征服王イスカンダルが率いる『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』。
 そして怨敵――黄金の獣ことラインハルト・ハイドリヒが展開する創造『至高天・黄金冠ざす第五宇宙(グラズヘイム・グランカムビ・ヒュンフト・ヴェルトール)』
 彼らが存在しその矛を収めぬ限りこの狂った死者の宴は決して終わらない。
 無論、それを蓮が許せるはずもなく。そして当の三人目だけは絶対に許せるはずもない相手である。
 元の世界からの因縁、そしてあの死者の城に繋がれた香純たちを今度こそ解放すべく蓮は仲間たちの制止すら振り切って単独で彼らの下へと向かって先行する。
 今度こそラインハルトはこの命に代えても必ず殺す……復讐への憤怒と憎悪を滾らせ戦場となった地へと駆けつけた蓮はそこで思ってもみなかった者たちと遭遇した。
 八雲紫の一件の時に一時的に合流し、そして別れたアドルフ・ラインハルトが率いていたグループである。
 彼らがこの騒動の中でさえ無事生き延びられていたことにとりあえず安堵しながら、蓮はチームのリーダーであったアドルフはどこにいるのかと彼らへと訊ねた。
 しかし沈痛な面持ちで彼らが返してきた答え――それはアドルフが先の大戦で彼らを庇って亡くなったというものだった。
 あの誰よりも人間らしかった刹那のような男が死んだと聞かされ、蓮もまた大いにショックを受ける。
 しかし涙ぐみながらも、最期まで命懸けで自分たちを背に庇い不死の吸血鬼を相手に戦ってくれたのだという彼らの言葉に、蓮もまたアドルフが閃光のように気高く生き抜いたのだということを察し、その冥福を心から祈った。
 せめて仇くらいは討ってやりたい。そう思ったからこそアドルフを殺したというその吸血鬼がどこへ向かったのかを蓮は彼らへと訊ねるが、その返答は思ってもみないものであった。
 その不死の吸血鬼の一軍は後から自分たちの危機を救うために駆け付けてくれた黄金の獣のような男に討たれたのだという。
 ……それはいったいどんなふざけた冗談なのか。真っ先に蓮が思ったのはそんな否定の感情。
 よりにもよってあの男が……ラインハルト・ハイドリヒが彼らを助けた? ふざけるな! ありえない! そんな事実は認められるものか!
 しかし話を聞けば聞くほどに件の人物の特徴はラインハルトとそっくりそのまま一致する。訳の分からないこの事態に蓮はますます混乱しそうになっていた。
 いいや、実際この時すでに蓮は混乱していたのかもしれない。あの破壊の黄金がよりにもよって人助けなど天地がひっくり返ろうともありえないはずだ。
 総てを愛すと嘯きながら、奴の本質は破壊だ。愛するから壊すという破綻した業を持つあの男がこの殺し合いでそんな似合わないことをやっているなどありえるはずもない。
 きっと気紛れでも起こしたか、ただ単に強敵と戦いたかっただけか。どちらにしろあの男が自分にとって殺すべき敵であるという事実だけは変わらないし変えられない。
 無理矢理に自身を納得させながら、蓮は漸くに掴めたあの男の足取りから追撃を仕掛けるべくこの場に残されている彼らにラインハルトが何処へ行ったかを訊ねた。
 返答は、新たに現れた武人のような大男の軍勢を迎え撃ちながらこの場を移動したという。まるで彼らを戦争に巻き込まぬためにしたような何から何まで気に入らないその答えに苛立ちを抱きながら、蓮はその向かった先を訊きだし、そちらへと目線を向ける。
 あの先に奴がいる。逸る復讐心を一時的に抑えながら、この場の彼らには直ぐに自分の仲間が来てくれるからここで待っていろとだけ告げ戦場へ向けて駆けだす。
 ラインハルト・ハイドリヒ……今度こそ貴様を本当の地獄へ叩き落してやる。復讐心を糧にかつてない加速で疾走する蓮は遂にその戦場へと辿り着く。

 戦場……否、それは既に戦場跡であった。
 駆け付けた蓮がその眼で捉えた光景は大軍の激突によって蹂躙され尽くした街並み。そして屍山血河の中心にてただ独り佇んだ満身創痍の大男。
 考察組との合流の際、神州王攻略の為に目を通していた詳細名簿。その中の参加者の一人として記されていた危険人物と目される者のうちの一人。
 ライダーのサーヴァント……その真名は征服王イスカンダル。
 かつて世界を征服せんと大陸を蹂躙した覇王。歴史に残る偉人の存在にしかし蓮が抱いたのは単なる不快感だけだった。
 この男についての詳細は既に名簿で把握している。あまりにも気に入らなさすぎてかえって忘れる方が困難なほど彼の価値観に真っ向から抵触しているような存在だ。
 サーヴァント。聖杯を巡る戦争にて魔術師たちが召喚した伝説と歴史に残る英霊たち。
 ……つまりは蘇った死人だ。
 当然のように蓮の脳裏へと過ったのは先輩と錬。死後の尊厳すらも踏み躙られた最愛の者たちだ。
 この男は二人と同じ……否、強制的に望まず蘇らせられたのではなく、自ら進んで蘇り争いへと加担しようとしている者たちだ。
 死んだはずの人間が蘇り、まだ生きている人間たちに害をなす……それは到底許されてはならないはずのものだ。
 断頭刃は既にここに辿り着く前から形成済み、故に蓮は露骨な敵意すら隠すこともなくそのままライダーへと向かい近づいていく。
 ライダーの方にしてみても既に蓮がこの場に辿り着いた時点でその存在には気づいていたのだろう。視線を向かってくる彼の方へと向けながら不敵に笑うその表情を変える様子もない。
 どこからどうみても満身創痍。否、既にして死へと片足を突っ込みかけている死に体もいいところだ。それでも尚、征服王には一切の動じた様子すらもなく。
 一定の距離を取って遂には向かい合った両者。問答無用の殺し合いへと発展するよりも前に確かめたいことがあったからこそ、蓮は先に口を開きライダーへと問うた。
 ラインハルトは何処だ? その問いにライダーはお前はあの獣の仲間だったのかと少し意外そうな顔をしながら、しかし一切の躊躇いや後ろめたさすらも浮かべることなく堂々と答える。

ライダー「かの獣はその軍勢ごと余がこの手で討ち取った。……まぁ尤も、代償に余の自慢の軍勢たちも含め一切合切くれてやることにはなったがのう」

 それでも素晴らしい戦争だった。あれほど心躍る戦はかつてなかったぞなどとそんな蓮にとってはどうでもいい感想を、しかしライダーはまるで子供のように熱心に無邪気に語っていた。
 ラインハルトが死んだ。しかも自分の手ではなく他人の手で。その認め難い事実に歯を食いしばりながら耐え、蓮は今だけでもと気持ちを無理矢理に切り替えながら眼前のライダーへと集中する。
 ラインハルトと同様に死者の軍勢を率い、そして戦禍を拡大させるであろう危険人物。その様子から殺し合いに乗っているのは明白だし、何よりその手にかけた相手はラインハルト一人というわけではあるまい。
 黄金の仇討など死んでも御免だが、名も知らない犠牲者や、そして何よりも今生きている仲間たちの為にも、この男はこの場で自分が殺さねばならない。

蓮「満足か。なあ、お前はこれで満足か?」
ライダー「そうよなあ。此度もよい戦いだった」
蓮「ふざけんな、ふざけんなよ! そうやってあんたは何人殺した、どれだけの命を奪った!?
  やっぱり死人が蘇って今を生きてる奴らを殺すなんてあっちゃいけないんだ!」

 おまえたちは所詮死から逃げた幻想だ! そう糾弾する蓮にしかしライダーは反論を示す様子もなくむしろ愉快そうに笑い出すのみ。
 まるで蓮の言い分が傑作だとでも言わんばかりに。馬鹿にされたかのようなその態度に蓮が苛立ったのは言うまでもない。
 笑うなと怒る蓮に対し、しかしライダーは笑うさとふざけた回答をしてくるのみ。
 断頭刃を構える蓮に、しかしライダーはまぁ待てと手を前に掲げて制してくる。問答無用で斬りかかってもよかったが、しかし笑われたままむきになって殺したなどと思われるの癪だったので、蓮はとりあえず相手の言い分へと耳を傾ける。
 蘇りを気に食わんと否定するのは結構だ。しかし幻想そのものを否定するのははたしてどうなのか。
 ライダーの言い分に些か虚を突かれる蓮だったが、しかし直ぐに否定を返す。
 生者を殺すような死者……そんなふざけた幻想が許されるはずがない。生きている人間が幻想の犠牲になるなど絶対にあってはならない。
 蓮の言い分に対し、しかし世界をまたにかけた征服王はつまらないものを見る目つきで大きく溜め息を吐く。

ライダー「つまらん。貴様は本当につまらんな小僧。幻想なくして人は生きられはせん。それは夢と同じものだ。
     夢があるから、それが見果てぬものであるからこそ人はそれを追い求め続ける。そしていつか手にせんと手を伸ばす。
     それが人間だ。人間とはそうあるべきだ。幻想を否定して夢を失った世界には人などおらん。そこにおるのは人形だ」

 おまえはお人形遊びの世界を望むのか、そう返してくるライダーに蓮は違うと言い返す。

蓮「御大層な大義名分で履き違えるんじゃねえ! 幻想風情がくだらない言い分で俺の刹那を穢すな!」
ライダー「たわけが! 貴様こそ刹那風情が余の……いいや、我らの幻想を穢すな!
     我が臣下は全て最果ての海(オケアノス)を目指す余を信じ、そこにいつか余が辿り着くことを信じて死後すら預けたのだ!
     誰の為でも誰が命じたわけでもない。奴らは自らの意志で死後も余と共にあることを選んだのだ!
     死すら引き裂けぬこの絆こそ我らの誇る幻想よ! 我らの信じる人の姿よ!」

 何人たりとも口出しはさせんし、そして故にこそ、この見果てぬ幻想はいつか実現せねばならない。
 戦の中で抱いた夢であり、生まれた幻想である以上は戦で実現するのもまた道理。
 無関係な時代で無関係な人を巻き込んで、無関係で手前勝手な理屈を押し付ける。
 遠き過去の戦乱の世においては、それは人々を導く偉大なカリスマであったのかもしれない。
 しかし現代を生きる人々にとってそれは文字通りの征服であり侵略だ。
 世界は穏やかで安らげる日々を願っている。時代遅れでジャンル違いの暴君は必要となどしていない。
 故にこそ、言葉はこれ以上不要だと蓮は断頭刃を構える。
 迎え撃つように征服王もまた剣を構えて蓮に向けて駆け出す。
 遮二無二の特攻。少なくとも勝機の欠片もない命を捨てるかのような行為に、苛立ちを抱きながら蓮もまた迎え撃つために動いた。
 勝負は一瞬、互いの交錯した瞬間には全てが終わっていた。

ライダー「小僧、おまえがどんなに幻想を否定しようと人は幻想を否定できんし捨てられん。
     貴様の愛する刹那もまた、幻想と共にあるからこそ存在できるのだ」
蓮「それでも……それでも俺達は幻想にはなれない、一瞬の刹那なんだ。そこだけは変わらないし、変えちゃいけない」

 人として生まれたなら、人として生きて死ぬべきだ。神にも悪魔にもなれないし、なっちゃいけない。
 ならば……元から幻想として生まれた者はどうするのだ? 幻想として生まれた者は過ちだ、死ねと言うのか?
 その問いに、蓮は直ぐに答えられなかった。その問いに対しての返答は同時にマリィへの答えにすらなってしまいかねなかったから。
 偉そうに言っておきながらあまりにも最後は利己的で情けない沈黙に、しかしライダーはそれを責めるというわけでもなく、ただ静かに笑った。
 刹那を愛するのは結構だ。ならば全てが終わるまでに幻想に対する折り合いもハッキリと答えを出しておけ。
 否定して問答無用で消し去るのか、或いはそれとも別の答えを出せるのか。
 精々あの世からじっくり見ておいてやる、そう不敵に口にして、次の瞬間には待ちかねていたように征服王の首が飛んでいた。
 もはや思い残すことは何もない、此度もまったく良い戦で楽しめたと満足したように。
 命のやり取りで掴み取ったはずの勝利……そうであるはずなのに蓮の表情に誇らしげなものは何一つない。
 まるで結局自分こそが負けたとでもいうように。
 実際、蓮自身にしてもまた分からずに揺らいでいたのだ。
 刹那を愛してそうありたいと思う気持ちに変わりはない。
 だが守りたい仲間たちの中にだってマリィをはじめ幻想の側にいる者が確かにいる。
 望んで幻想になったかどうかを置いておくとしても、今の幻想である彼女たちまで一律に否定してしまうのか?
 それが本当に正しいことで、それを本当に自分は出来るのか?
 諏訪原でのラインハルトたちとの戦い。そしてこの地での殺し合いの中での戦い。
 あまりにも多くのかけがえのない大切なものを失った蓮には即座に答えが出せなかった。
 確固たる厳然な理屈(せんたく)……縋り付くべきそれを見失ってしまった蓮は、せめて今の仲間たちだけを寄る辺に彼らの下へと戻る他になかった。
 情けねぇと自分自身を毒吐きながら、一筋の涙が流れていることに蓮は最後まで気づかなかった。

 仲間の下へと帰路に着く蓮。そんな彼を密かに追いかける影が一つ。
 影の名はジョーカー。かつてゴッサムシティを自分の劇場型犯罪で恐怖のどん底に陥れ、バットマンをも苦しめたヴィラン。
 「犯罪界の道化王子」の異名を持つ彼は、その狡猾な頭脳とそして恐るべき狂気をもってマリィを狙っていたのだ。
 これまでは天魔・夜刀という厄介な守護者。そしてチーム・サティスファクションの大人数に警戒し手出しを控え様子を窺っていた。
 しかし夜刀が舞台から退場し、そして蓮が集団から離れているこの状況を好機と捉え遂に行動を開始する。
 狙いはあくまで太極の器であるマリィ。彼女を自分の狂気で染め上げてその狂気を世界へと流れ出させる。
 しかし目的と同時に彼には等価値と見定めた遊びが存在した。
 その遊びの対象こそがかの女神の守護者……藤井蓮だ。
 ジョーカーには一つの信念がある。

 死にそうな目にあった人間は――”壊れる”

 身体的に死線を潜り抜けてきた死に体としてではなく、己の価値観を極限まで揺さぶられた精神的な意味での死に体。
 ジョーカーの狂気の直感は既に答えを弾きだしていた。
 あの男の精神は既に半死半生。吹けば崩れる砂上の楼閣。後たったの一押しで瓦解する張り子の城であると。
 そういうのを壊すのは得意分野だ。そういうのを壊すのは大好きだ。
 ニヤリと嘲笑いながらお遊びを始めるために狂気の道化師は蓮の前へと現れた。

 ――よぉ、首切り人。
 現れるなりその第一声。道化師のような容貌の文字通りの怪人に蓮は即座に警戒を顕にした。
 形成して傍らを歩いていたマリィを庇うように下がらせて、相手を睨みつける。
 不快感に殺気まで込めた蓮の視線にしかし道化師は面白いと言うように愉快気に手を叩きながら笑うだけ。
 ……いいや、この男は自分を嗤っているのだ。
 不快感が増す中で蓮は男が何者か、何の目的で自分たちの前へと現れたのかを問う。
 自らをジョーカーと名乗り返した道化師は、目的など簡単なことだと言ってくる。
 目的は単純至極明快。おまえを玩具に遊んだ後に、そっちの女神を自分色に染め上げたい。
 ふざけた返答に蓮は遂に男を排除すべき敵だと判断。即座にマリィを断頭刃へと戻しながら男の首を刎ねるために動き出す。
 しかしそれを制するようにジョーカーが口を開いた言葉の方が刹那に早かった。

 ジョーカー「まぁ死体は愛せないよなぁ。分かる分かる、俺も同感だ」

 無視をすれば良かった。この男の吐く言葉など毒と同じだ。それが本能的に理解できていたはずなのに、道化師への斬首へと向けた疾走は止まっていた。止められたのだ。
 一度でも止まれば、耳を傾けてしまえば、後はジョーカーの独壇場だ。
 悪魔は囁く。今まで全て見せてもらっていたと。実に面白い茶番だったと。嗤って涙が出てくるようなお涙頂戴だったじゃないかと。
 錬を、先輩を、二人の最期をその死を侮辱する言葉には頭が沸騰しそうな怒りを抱きかけるも、ジョーカーの言葉が彼を更なる絶望へと叩き落す方が遥かに早く。
 でも仕方がない。よくおまえは頑張ったじゃないか。喜劇のような振る舞いではあったけど、ああも強引に死者の願いも救済すらも拒絶して見せたんだ。普通の人間には到底できることなんかじゃない。
 彼らの願いや救済を拒絶した、その言葉に蓮はびくりと震えるほどに反応した。
 そんな蓮にジョーカーは当然だろうと、まるで世界でただ一つの共通の答えだと言わんばかりに言ってくる。

 ジョーカー「お願い助けて生き返らせて。もう一度あなたと一緒に生きたいの……あいつらそう思ってたんだぜ。
       それに対するおまえの返答はこうだ――もうおまえらは死体だから愛せない。消えてくれ」

 過去最大級の暴言だった。そんなはずはないと即座に言い返さなければならなかった。それだけは否定しなければならなかった。
 けれどどうして即座に自分は否と言い返せないのか。まるで痛い所を突かれた、目を逸らしていた部分を暴かれたなどと欠片ほどのものとはいえ思ってしまったのか。
 違わないだろ、死体嫌い?……そう嗤ってくる道化師の言葉に蓮は言葉で返すことが出来ない。
 死者は蘇ってはならない。彼らも蘇らせられることなど望んでいない。
 どうしてそう言い切れる? どうしてそう決められる?
 自分が勝手にそう思って、自分の価値観に抵触していたから怒りを抱いた。
 けれどゾンビとなって現れた時の二人は、本当に自分の思いと同じものを抱いていてくれていたのか?
 殺してくれと彼らは自分の前に現れたのだと何故勝手に決められる。彼らは何も喋らなかった。何も言ってはくれなかった。
 けれどこの道化師が言うように、本当に二人は再び殺してもらうことが救いと思って自分の前に現れたのか?
 本当は……助けて欲しくて、生き返らせて欲しくて自分の前に現れたのではないのか?
 一緒に生きたい。やり直したい。醜くてもいいからずっとあなたと一緒にいたかった。
 忘れないで欲しい。過去形にしないで欲しい。想い出の中にずっと仕舞い込まないで欲しい。
 今でもずっとあなたのことを愛しているから。生き返ってでもあなたの傍にいたいから。

 ――そう思って助けて欲しいと現れたのではないなどと、どうして勝手に決めつけて殺したのか?

 違う違う違う! 天樹錬は氷室玲愛はそんなことを思うような人間じゃない。
 自分の末期の刹那すら穢すような人間などでは断じてない。
 俺は誰よりもそれを理解しているのに――

 ジョーカー「そりゃあおまえの勝手な思い込み、価値観の押しつけってやつだろ。
       自己愛が見え透いてるぜ、偽善者君」

 道化師の言葉はどんな鋭利な刃物より容易く、蓮の心の一番弱い暗部を抉り取った。
 絶叫を上げる。心がボロボロに崩れ落ちて、痛いだとか苦しいだとかそんなことすらもう分からず。
 マリィが自分の心に呼びかけている。駄目だよ、負けないで、この人が言ってる事なんかに惑わされないで。
 しかしもう彼女の声すら届かない。彼女の励ましすらも本当に正しいかどうかも分からない。
 総て全てすべて、何もかもが失われる。壊れていく。変わっていってしまう。
 嫌だ嫌だ、もう沢山だ! 何も俺から奪わないでくれ――!
 俺が狂っているのか? それともこんな世界が狂っているのか?
 もうどっちでもいい。俺と世界、どちらが或いは両方が狂っていようが構うものか!
 許さない。認めない。変えてなどなるものか――時よ、止まれ!
 すべてが狂っているというのなら、もうこれ以上狂う前に世界のすべてを止めてやる。
 それは憤怒と憎悪からくる悲哀の狂気ではない。すべてを奪われることを恐れるような、逃避からの絶叫だった。

 そして先走った蓮を追いかけて辿り着いたチーム・サティスファクションはその光景を目にし驚愕する。
 肩口から切り裂かれて出血しながらも、この事態を最高だと愉快気に笑い転げている道化師のような男。
 そして道化師を斬りつけながら、言葉にならぬ絶叫を上げ変貌を遂げた藤井蓮
 黒く染まった肌。浮き上がるウロボロスの文様。血のように赤く染まった髪に、文字通りの血涙を流す両目。
 背から直接生えるように展開されているのは三対六枚の断頭刃による翼。
 彼の創造の完成形『涅槃寂静・終曲(アインファウスト・フィナーレ)』それが暴走を始めた姿。
 夜刀というひどく悲しい既知感を思わず抱き呟いたのは、覇吐だったのか竜胆だったのか。
 どちらにしろ尋常ならざる事態であることを、チームの誰もが即座に判断した。
 大方あの道化師が何かをしやがったのか。変わり果てた蓮の姿にいったい何をしやがったのだと尋問する彼らに、道化師はひたすら滑稽に答えるのみ。

 ジョーカー「ぶっ壊して曝け出させてやったんだよ、あいつの狂気を!……そのしかめっ面は何だ?」

 言い終わると同時にジョーカーを全員が殴り飛ばす。本音を言えば八つ裂きにしても足りないぐらいだが、しかし今はこんな外道よりも蓮を正気に戻す方が先決だ。
 ジョーカーを縛り上げる最低限の処置をしながら、サティスファクションのメンバーは蓮へと正気に戻れと呼びかける。
 しかしジョーカーはそれを無駄だと嘲笑する。そんな半端な壊し方は矜持にかけてしちゃいないと。
 事実、それを証明するように蓮の暴走は止まらない。まるでこれまで苦楽を共にしてきたはずの仲間を憎んでも飽き足らぬ怨敵とみなしているかの如く襲いかかってくる。
 やむを得ずの応戦に入るサティスファクション。剣崎と翔太朗がライダーへと変身し最前線で引き付けながら必死になって説得を。アルターを発動したカズマが何見失ってやがんだと本気で怒って殴り掛かる。
 鬼柳やリーゼロッテ、依姫も彼らの後方支援に回りながら必死に説得を続ける。
 彼らだけではない。チームの誰もが蓮の説得を決して諦めることなく彼へと呼びかけ続ける。
 しかしそれでも蓮の壊れた心には彼らの声は届かない。
 殺すのではなく救う気である故に、多少の負傷はまだしも致命傷を与えることだけは避けねばならない彼らと。
 敵も味方も関係なく目に映る全てを殺そうと暴走している蓮。
 天秤がどちらに有利に傾くかは考えるまでもなく、何よりいたずらに長期戦に持ち込むことはサティスファクション側の不利となる。
 蓮が発動した創造『涅槃寂静・終曲』は自身の加速力を上げると同時に、相手に停滞の縛鎖を与え減速させる覇道型の能力。
 大人数ゆえに威力が拡散し一人一人への効果は薄くなっている停滞も、しかし時間が経過するにつれその効力は弱まるどころかむしろ強さを増していく。
 最前線で戦うライダー二人とカズマなどは既に完全な停止まで半ば囚われかけている。
 それでも説得を諦めないサティスファクションではあったが、もはや戦線が瓦解するのは時間の問題となりかけていた。
 諦めたくはない。それでも蓮を止めることは出来ないのかと誰もが思い始めたその時。
 ――俺に任せろ。そう言って皆を下がらせながら前へと出たのは一人の益荒男。
 坂上覇吐はただ一人で藤井蓮の前へと仲間を庇いながら立ち塞がった。

 覇吐「じゃあいっちょ始めようか。主役同士よ」

 不敵に笑い己が武器を構える覇吐。かつて八雲紫の撃退をはじめ多くの修羅場を背中を預けて戦った相棒に、しかし蓮は躊躇なく襲いかかる。
 刃翼と停滞の縛鎖。それらを同時に受け止めながら、しかし覇吐はそれをまるでものともしないように弾き返して見せる。
 やっぱりな、軽すぎんだよ今のあんたは。そう苦々しげに呟きながらしかし反撃へと移る覇吐。
 他のメンバーは手加減をしていたとはいえ苦戦させられた蓮の終曲を、しかし覇吐はみるみる内に圧倒していく。
 パシリやカマセや肉の盾などとメンバーからも不遇に扱われていた男の活躍に、誰もが驚いていた。
 彼を自分の益荒男(おとこ)だと認めている久雅竜胆を除いてだが。
 誰もが驚く覇吐の活躍に、しかし竜胆は逆に驚くようなものでもないと平然とした態度を崩さない。
 今のあの覇吐なら負けることはない。ましてや今のあんな状態の藤井蓮が相手だというのなら。
 かつての東征戦争。決戦の最終地となった蝦夷で覇吐は今と同じような刃翼の猛撃に耐え、時の縛鎖を返杯してみせたのだ。
 あの時戦ったあいつは――天魔・夜刀という益荒男はこんなものじゃなかった。
 それは単純な位階の差をもって語っているのではない。背負っていたもの、必死に守ろうとしていたもの、次代へと可能性を残そうとした意地……その何もかもの重みが違う。
 同じ姿? 同じ血涙? 同じ慟哭?……ふざけんな! 何もかもがまるで違う!
 確かにあの天魔・夜刀とこの藤井蓮は違う。どういう仕組みでどうなっているかはさっぱりだが、それでも覇吐とて薄々ではあるがそれに気づきかけてもいる。
 夜刀としての面影を重ねて同じように扱う……それは本人に対しての侮辱以外の何ものでもないだろう。だからこそ、夜刀と蓮は個々で分かれている別人。根っこは同じかもしれないがそれでも彼らはそれぞれで敬意を払うに値する偉大な益荒男……そう思っていた。
 それが何だこの様は、格好悪い、あまりにもダサすぎる。
 そうじゃねえだろ。おまえはそうじゃねえだろ刹那――ッ!
 確かにおまえは夜刀とは違うけどよ。それでもどんなにひでえ目にあったって、他の誰かなら絶望して逃げ出しちまうような理不尽に曝されても全部投げ出さずに立ち向かったじゃねえか。それは立派なことだ。誰にも馬鹿にさせねえよ、誇ったっていい。
 もし自分が同じ目に遭わされた時に、同じように立ち向かえるか?……ああ、そんな自信ねえよ!
 だからこそ思ったんだよ。おまえはこの坂上覇吐が心底敵わねえと認めた二人目の益荒男だ。

 覇吐「俺が心底敵わねえと認めた益荒男は、何も見えなく何も聞こえなくなったって最後までてめえが惚れた女への愛は忘れてなんざいなかった! 主役を気取ってんだろ! だったらそんな道化野郎のふざけた言葉なんぞに揺らいでんじゃねえッ!」

 何よりも許せないのはその一点。
 今の蓮の姿は、夜刀はおろか蓮自身の矜持すら裏切っている。
 時よ止まれ、おまえは美しい――それは誰に向けてのものだ?
 今のおまえは誰かの為に嘆いてるわけじゃない。
 自分が傷つきたくないから、自分が逃げたいから暴れてるだけだ。
 今のあんたを見て、あんたに惚れてた女はどう思うよ。惚れた女に見られてる今のあんたはどう思ってる。
 すげえ恥ずかしいぞ、情けなくて泣けてくる。
 男にも泣かなきゃいけない時は確かにある。けどな、それと同時に男には泣いちゃならねえ時がある。
 やせ我慢してでも、どんなに辛くて苦しくても、泣くわけにはいかない意地を貫く場面ってのがある。
 もうおまえは泣くべき時には泣いただろ? だったら今度は泣いちゃいけねえ時くらいは我慢してみせろ!
 意地があんだろ、男の子には!……きっとカズマの馬鹿ならそう言ってくれるぜ。
 一人じゃ止められないってんなら、多少痛くて強引かもしれねえが俺も手伝ってやるよ。

 覇吐「見てろよ、夜刀! あの時あんたが俺達を高みに導いてくれたのと同じだ!
    今度は俺がこいつを導いてやる!」

 チャラとまではいかなくても、でけえ借りの一つを今返してやる。
 だから安心して見とけよ、大恩人。直ぐに女神さんだって助けてやる。
 覇吐の叩きつける斬撃の一つ一つが物言わぬ言葉となって頑なに閉ざされた蓮の心へ響いてくる。
 誰よりも真摯に真っ直ぐに、逃げやしねえ。全部受け止めた上で勝ってやる。だからかかって来いと告げていた。
 覇吐の逃げないその姿に、蓮は苦しむように呻きながら、しかしその逃げないと言った言葉を信じるように最後の一撃を叩き込む。
 後悔と嘆きと自己嫌悪。世界など止まってしまえとあらん限りに狂気を込めたその一撃を、宣言通りに覇吐は受け切り、そしてそれすら凌駕せんとする返杯の一撃を叩き返す。
 ここに武力による衝突は、覇吐の勝利という形で幕を閉じた。

 倒れ伏しながら、蓮は覇吐が自分に見舞った一撃を思い返すように微かな正気を取り戻す。
 もう何も見たくはない、何も聞きたくはない。頑なに心を閉ざして闇に籠る蓮にとって、それはまるで一筋の閃光に、曙の光に見えていた。
 ああ、出来るならばその光に手を伸ばしたいし、光の中へ駆け抜けたい。
 でもそれは無理だ。出来ない。今の自分にそんな資格はない。
 何もかもを失って、何もかもを間違えた。
 一番大切な人を己のエゴで殺した。そんな自分がどうして、あの暖かな光の中へと戻れるというのだ。
 そんなことは許されない。誰が許そうと俺自身が許さない。

 覇吐「それが侮辱だってのが分からねえのか!? てめえ自身がてめえが惚れた女を侮辱してんだぞ!?」

 その言葉に嘆き続ける蓮の動きが一瞬止まった。ちゃんと声は聞こえている、理解できている。
 それが分かったからこそ、覇吐は言葉を続ける。一番大切な女への愛を見失った馬鹿野郎にそれを思い出させるために。
 信の在処は互いの裡だ。示すための言動さえ、人は容易に偽れる。
 与えられた言祝ぎの数々、その真贋をどうやって見極める?
 思い上がりでないのだと、証明することができるのか?
 ……ああ、確かにそうだ。かつてボコボコにされながらしつこいくらいに言われ続けた言葉だ。そんなことは覇吐が一番よく分かっている。

 覇吐「勝手な思い込み? 価値観の押しつけ?……ああ、確かにそこらは自己愛と切っては切り離せねえのかもしれねえ。
    ――けどよ、そう簡単にそんな風に認めちまえるほどあんたの愛は軽いのか?」

 違うだろ。そうじゃねえだろ。あれは自分が可愛くて、可哀そうな自分に酔っ払って自分のために流した涙だったはずじゃねえだろ。
 心底大事で、心底惚れて、心底失いたくなかったから。だからこそ流れ出てきた涙じゃなかったのか?
 死者は蘇らない。何も語ってはくれない。当たり前だ、それが道理なんだ。
 誰も死者が蘇りたかったかなんて分からねえ。死んだ奴の気持ちなんて死んだ当人にしか分かるわけがないんだ。
 俺達に出来ることは、せめて可能な限り分かろうと努力するくらいだろ?
 所詮それは完全な理解にはならない自己満足に終わるものかもしれない。だが――

 覇吐「そうだとしても、だったらどうして――それを『さよなら』だとか『ありがとう』だとか思ってやろうとしねえんだよ!?」

 生き返りたい? 助けてくれ? そんな風に縋るためにあいつらはおまえの前に現れたのかよ?
 違うかもしれねえだろ。例え醜い姿でも、怖がらせたり嫌悪されたりするのが分かってても、一言おまえに礼を言いたかったのかもしれないだろ。
 不本意に蘇らせられたこの姿を、せめておまえの手で終わらせて欲しかったのかもしれねえだろ。
 どっちが正しいかなんて分かりやしない。それこそ都合の良い思い込みかもしれない。
 けれど少なくとも――

 覇吐「そういう女だと思ってたからこそ、てめえは惚れてたんじゃねえのかよ!?
    だったら最後まで信じ続けろよ、疑ってやるなよ。
    彼女の方だって、今もおまえがそういう男だときっと信じてるんだって、胸を張って誇らせてやれよ!」

 後ろ向いた悲劇的な愛に酔っていつまでも前へと進めない。
 そんな情けない男になって女に恥をかかせるなよ、そんなの全然いい男じゃねえだろと覇吐は告げる。
 死んだ女へ愛を貫くって言うんなら、自分が死んだ女の為にしてやれることを自分自身で見つけようぜ。

 覇吐「おまえならきっと見つけられる。一人じゃ無理だってんなら安心しろ、俺達だってついてる。
    俺たち満足曼荼羅はいつだっておまえの心強い味方だ。俺たちの絆は誰にだって負けやしねえよ」

 だからもう泣くな、涙を拭いて帰って来いよと覇吐は蓮へと手を伸ばす。
 それがあまりにも眩しくて、自分もその光の中に加わりたいと思ったから。

 蓮「……俺は、許してもらえるのか? おまえたちに、あいつらに、錬や先輩に」

 そして、俺は俺自身を許しても良いのだろうか。
 その問いに、なに馬鹿言ってやがるんだと無理矢理に蓮の手を掴み引っ張り上げながら覇吐は告げる。

 覇吐「誰も最初からおまえを責めてる奴なんていねえよ。俺たちも、おまえの大切な奴らもだ。
    むしろみんな願ってるだろうぜ、いい加減この馬鹿が自分で自分を許せるようになりますように……ってな」

 そう告げながら蓮の背を軽く押し、仲間の方へと向かうように促す。
 それでも戸惑う蓮をむしろじれったい、待っていられるかと言うように彼らの方から走って近づいてくる。
 まったく無茶苦茶暴れ回りやがって、すごく骨が折れたんだから反省しろよ。
 そんな悪態を吐きながらも、誰もが嬉しそうに笑って蓮の帰還を寿いでくる。
 胸中で失ってしまった者たちにもう一度だけすまないと蓮は深く詫びを告げる。
 おまえたちが本当に何を望んでるのか、俺のエゴを押し付けてるだけじゃないんだろうか。
 その気持ち、不安や負い目はやっぱり零には出来ないけれど。
 それでももう逃げないから。ちゃんとおまえたちがいなくなったんだって逃げずに向き合うから。
 少し時間はかかるかもしれない。けど必ず答えだけは見つけ出す。
 こいつらに手伝ってもらってでも、俺は必ず答えを見つけてみせるから。
 だからすまない。もう少しだけ待っていてくれ。
 そう最後に呟くように告げながら、藤井蓮は満足の輪の中へと帰還した。

 その光景に失望の念をありありと浮かべていたのはただ一人……ジョーカーである。
 なんだこの臭い茶番劇は。ありえないだろ、ジャンルが違うだろ、お呼びじゃないだろ。
 蓮の心を完膚なきまで破壊した。そして狂った彼の絶望はマリィへと伝播して彼女を狂気へと染め上げる。
 自分色に染め上げられたその狂気はどす黒く流れ出してすべてを塗り替える。
 そういう筋書きが正しくて、むしろ途中までは完璧にそうなるはずだったのだ。
 それが何だこの様は? 子供騙しのコミックだって最近はもっと捻っているものだ。
 友情万歳、愛情万歳、絆万歳……おいおい、誰もそんなもの求めてねえから、勘弁してくれ。
 今日日そんなのは流行らない。もっとクールに、救いようがないくらい鬱に終わるのが最近の物語のトレンドだろうに。
 ジョークにもなりやしない。訳が分からないよ、とかいうやつだ。
 端的に言ってジョーカーはその光景に既にやる気を削がれていた。白けさせられていたのだ。
 つまんねーとブツブツ不満気に呟くジョーカーに、しかし近寄る影が一つ。
 それが誰なのかを確認するなり、ジョーカーは一瞬キョトンと驚くものの、しかし直ぐにその表情を不敵なものへと変えながら気安く声をかける。

 ジョーカー「へい売女(ビッチ)、俺に何か恨み言かな?」

 売女という言葉の意味が分かっていないのか、一瞬キョトンと首を傾げるマリィ。
 しかし直ぐにムッとした表情へと戻りながら彼女は勇ましさを懸命に態度でアピールしながらジョーカーへと近づいていく。
 いかにも「わたし今怒ってるんだよ」とでも言わんばかりの態度を、しかし逆に微笑ましいものじゃないかと道化師は嘲笑う。
 まぁそれでも似合う似合わないに関わらず、マリィが自分に対して怒っているのは確か。
 ならば最後に訪れた千載一遇のこの機会を利用しない手はないとジョーカーは算段を立て始めていたのだが。
 先に結論を述べてしまえば、その算段は徒労に終わった。
 何故ならマリィは確かにジョーカーの行った外道行為に怒っていた。そりゃあ可愛らしい程に懸命にだ。
 しかし彼女にはジョーカーが望んでいたある種絶対的に必要であるはずのものが致命的なまでに欠けていた。
 即ち、害意。他者を廃滅しようと起点として抱くべき感情。
 彼女にはそれが徹底的に欠けていた。確かに今もジョーカーに対して怒っている。だがその怒りの感情は、母親が子供の悪戯にどうしてこんなことをしたの、とまるでメッとでも怒っているのと同じものだ。
 まるで自分は悪餓鬼で、彼女はそれを叱る……けれど叱りはしても決して見捨てず愛してくれる母親のような構図だ。
 何だこりゃ、訳わかんねえよ気持ち悪い。
 今まで人間の薄汚い部分を見続け、知り尽くし、そしてそれすら玩具にしてきた男から見ても彼女は異質だった。
 人の悪意こそを信奉している絶対悪のような狂気の男をもってしても、すべてを分け隔てなく抱きしめたいと願う彼女の愛(きょうき)は理解できなかったのだ。
 愛する者に正気なし……これはいったいどこの諺だったか。
 そんな他愛もない思考を展開しながら、ジョーカーは漸くに嫌々と恐怖と共に彼女を理解した。
 これは人類史上最悪にして最美の魂。
 何のことはない、自分がわざわざ何かをしなくても彼女はとうに狂っていたのだ。
 しかもこの狂気はどうやら自分の狂気をもってしても矯正不能と来てるレベルだろう。
 ならばすべては水の泡。確かに蓮で遊ぶのは楽しかったが、その結末があの茶番と今こうして迫ってきている彼女の抱擁とではまったく割に合わないと言うものだ。
 こいつらは本当に最低で最悪で、バットマン以下の糞野郎ばかりだ。

 ジョーカー「……最悪のジョークだ」

 故にこれ以上はもう付き合っていられない。
 隠し持っていたナイフで即座に自分を拘束する縄を斬ったジョーカーはそのまま迫るマリィを突き飛ばし、立ち上がる。
 その騒動に漸く気づいた満足曼荼羅たちがジョーカーを捕まえるべく追いかけてくるも、彼はそれを相手にせず脇目も振らず一目散に逃げ出した。
 じゃあな偽善者共。もう面倒だから俺とは関係ないところで勝手に死んでくれよ。
 そんなふざけた言葉を最後に不敵に告げながら、最凶最悪のヴィランは彼らの前から敗北という形で撤退した。


 その後も続くロワの戦いの中でも蓮は仲間たちを守りながら、時には仲間たちに守られながら戦い続けていく。
 終盤に近づいた頃、ゾフィー、そしてブラックロックシューターとほぼ同時に起こった乱戦の際にも、覇吐や駆と連携を取りながら対抗。ゾフィーは東方仗助のドラララッシュが、ブラックロックシューターはカズマのシェルブリットが決め手となる中で、大乱戦の中でチームに一人の犠牲者も出なかったことに安堵する。
 しかしあくまでも犠牲者が出なかったのはサティスファクションの中だけの話である。かけがえのない仲間を無情にも奪われた仗助やザ・ヒーローことフツオの姿にはやりきれないものを感じずにはいられなかった。

仗助「なあ、蓮。死んだ奴は戻ってこねえ、んなこと誰よりも一番俺がよく知っちゃあいるよ。
   けどさ、なんであんないい子が死ななきゃならなかったんだろうなぁ」

 形だけは生前と変わらぬ綺麗なままの亡骸。それを共に埋葬しながら不意に呟いてきた仗助のその言葉。
 「この世のどんなことよりも優しい」能力を持つからこそ、誰よりも歯痒く悔しいはずの仗助に蓮もどう言葉を返していいのかは分からなかった。
 諭すような言葉を蓮は持ち得ない。将棋より喧嘩が好きな性質というのは気の利いた言葉一つ言ってやれないものなのかと自らを恥じもした。
 ただこういう時は泣いてもいいんじゃないのか。死んでしまった者たちの為に流す涙は決して恥でも間違いでもない。
 そのことを何よりも仲間たちから教えられた蓮は、だからこそそれだけを静かに告げる。
 仗助はその言葉にそうかもしれないなと頷きながらも、しかし涙は後に取って置くとだけ告げて蓮に背を向け他の仲間たちの下へと歩いていく。
 自分だけが大切な者を失ったわけではないからこそ感情を顕にし、その結果として仲間たちの士気を下げるわけにはいかない……背中には彼なりにこの悲しみを必死に耐えようとする様子がありありと現れてもいた。
 思わずあの時カズマがそうしてくれたように、多少強引にでも泣かせてやるべきだと動こうとした蓮を止めたのはフツオであった。
 今は仗助の選択を尊重してやって欲しい、そう頼んでくるフツオに蓮は本当にそれで良いのかと問い返す。
 フツオもまた仗助と同じ立場。今現在誰よりも仗助の心情を理解できるはずの存在だ。
 そしてだからこそ、フツオは任せてくれとだけ告げる。彼は大事な「トモダチ」だからこそ、決して無理にもひとりぼっちにもさせないからと。
 彼らの間にある絆は自分がお節介で介入できるようなものではない。それを察したからこそ、蓮はフツオに仗助の後のことを全て任せることにした。

 先の大乱戦の結果、殺し合いに乗ったマーダーは実質ダークザギが最後の一人となりここに一時のこう着状態が生まれた。
 チーム・サティスファクションは元より、残存チーム不良、そして考察組など残る対主催は一同に会することになる。
 合流会場となった図書館で彼らがすべきことは決まっていた。この殺し合いの打破……即ち主催者の打倒、そのための方法を練ることだ。
 これまでの数多くの出来事、その経緯から散りばめられた情報を基に推理を展開していく。
 幸いにも考察組である空目恭一、白野蒼依、十神白夜。そして図書館組のヤン・ウェイリーと森近霖之助などを中心とした優れた考察力や推理力により、詳細名簿に記された情報やこの図書館自体に残されている資料も含めることにより次々と形となっていく。
 最終的に彼らが到達した答え……それは一つの事象の中心であった。

 ”座”……事象の中心に存在する宇宙を己が渇望で塗り替える究極の願望器。

 それがこのふざけた殺し合いには密接に関わっている。
 そこに君臨しほくそ笑みながらこの悲劇を描いている脚本家。即ち、神と呼ばれる存在こそが全ての黒幕。
 そんな宇宙一趣味の悪い最悪の変態野郎に心当たりは蓮にしてみても一人しかいない。

 カール・クラフト=メルクリウス。

 水星あるいは水銀の名を冠する覇道神。神座宇宙における第四代目の創造主。
 おぞましいことに蓮にしてみれば父祖にあたる存在だ。
 ラインハルトと並ぶ蓮にしてみれば必滅すべき怨敵。……丁度良い、全ての因縁をまとめてここで清算してやる。
 胸中でそう密かに意気込む蓮を知ってか知らずか、考察は他にも存在することが数々の痕跡から窺える残りの黒幕について。そしてその黒幕たちへの対処法へと続いていく。
 そんな中でヤン・ウェイリーが唱えたのは座の破壊。神々という永遠の幻想たちを駆逐し、人を神の玩具から真に自立させるべきだとする未来へと向かっての指標。
 そして既に魔術師の異名を持つこの男にはその為に実行へと移せる策が出来上がりかけているらしい。
 しかしそれに反論を唱えたのは久雅竜胆。邪神共の肩を持つわけでは断じてないが、それでも連綿と先代達から受け継いできた次代へと託した想いや可能性を、捨ててはならないとする受け継いできた立場からの責任感が彼女にはあったからだ。
 そして彼女にはもう一つの危惧があった。確かにいつか人は神から自立して己の道を歩んでいくべきだという考えは彼女にもある。だが末席に連なる神である自分すらも未熟の身である現状、人が神の庇護下から離れるのは早過ぎると彼女は思っていた。
 充分な準備や覚悟もなく勇み足で人が己を神と思うようになれば、それこそあの最悪の天狗道の繰り返しになりかねない。
 天地において尊きは我のみ。本来畏れとして歯止めになるべき神なき世が生み出したおぞましき魔界。
 最悪の実例を見てきた者だからこそ、彼女はこの件に関しては誰よりも慎重にならざるを得ない。
 しかしそれを知らぬ他の者らにはそれを語って聞かせぬ限りはそれがどれほど危ういかは分からない。
 この場でそれを知っているのは竜胆とそして彼の伴侶として同じものを見てきた覇吐だけだ。
 一部の事情のみは蓮とマリィを除くチーム・サティスファクションの同志には話しているが詳しい経緯に関しては彼らも知らない。
 しかし同時に、語って聞かせるにはこの場にはその犠牲になったものまでもが同時に存在することを教えなければならない。
 即ち、蓮とマリィ。黄昏の世を自己愛に狂った天狗によって粉砕された犠牲者たち。
 自分はまだいい。彼らに恨まれる覚悟はとうに出来ている。甘んじて怨恨の罵詈雑言すら全て余さず受け入れるつもりであった。
 だが自分の伴侶の覇吐はどうだ。彼は竜胆以上に深く件の元凶と関わっている。否、言ってしまえば彼こそがすべての元凶であったとも言える。
 そして同時に、覇吐が誰よりも彼らを敬愛しており故にこそ同等の負い目すら抱いているのも理解している。
 全てを語り蓮やマリィの憎悪の矛先が覇吐に向くかもしれないことを竜胆は恐れていたのだ。
 しかしそんな懊悩する竜胆の胸中を誰よりも理解していたのは覇吐自身。もう決して自分の女を悲しませたり傷つけたりしないと決めていたからこそ、竜胆へともう良いんだと自分を庇う必要はないと優しく諭す。
 覇吐にしてみてもこれは覚悟の上でのこと。何よりももう逃げないとかつて誓った想いがある。
 それをここで覆してしまえば刹那(せんぱい)や波旬(きょうだい)にさえも顔向けできなくなる。
 だからこそ、自らの口から覇吐は語り出す。現状において最も未来を歩んでいる自分たちが戦いの中で知り、受け継いできた過去の全てを……

 正直に言えば薄々に予感めいたものを蓮が抱いていたのは事実だ。
 彼は既にこの殺し合いに参加する前から……ラインハルトの魔城で最初に終曲に覚醒したあの時から、座という存在もメルクリウスの正体も、そして万が一己の渇望が流れ出せばこの宇宙がどうなってしまうのかも理解していた。
 この殺し合いに水銀を含んだ神々が黒幕として存在することだって腹立たしくはあるがある程度は無意識下の内に察してもいた。
 そしてだからこそ、メルクリウスの目的もあいつが自分に何をさせたいのかも……凡そではあるが理解できる。
 マリィ……彼女を新世界の女神として座につかせる、それが最善の結果になるであろうことも理解できている。
 覇吐の話は要するに、過程こそ異なるがその最善の結果が成立したはずの後の未来の話。
 己自身と……そしてその時は己が愛していたのだという女の末路だ。
 氷室玲愛ではなくマリィを選んだという可能性の結果……ああ、確かに道が何処か一つでも違っていれば、それこそ違う選択肢でも選んでいればそうなっていた可能性は充分にあり得る。
 彼女はそれくらいに魅力的だ。ああ、それは事実だ認めよう。自分がこうして先輩に心底惚れぬいてるのと同じように、その異なる未来の自分はマリィに惚れぬいていたのだろう。
 ……そしてそれを守り切れずに奪われた。
 結果が何も今の自分と変わっていないその未来の話にはやるせなさが確かに生まれた。けれどだからといって覇吐をおまえさえいなければなどと逆恨みが出来るかといえばそうでもない。
 坂上覇吐も久雅竜胆も、彼にすれば閃光――愛すべき刹那だ。
 これまで共に苦楽を乗り越え絆を結んできた仲間を、今更に殺したいと憎むことなど出来るはずがない。

覇吐「あんたらは俺を恨んでくれていい。殺してえと思うなら……簡単に命はやれねえけど、だが逃げねえ。虫の良い話かも知れねえがこのふざけた殺し合いが終わった後なら幾らでも――」
蓮「――そんな気はねえよ。少なくとも俺はな。ただ……」

 沈痛な表情の覇吐の言葉を遮りながら、蓮が視線を向けた先は――マリィ。
 今なら凡その合点もいった。どうしてサティスファクションのメンバーが自分と彼女に必要以上にお節介を焼こうとしたのか。そして、どうして彼女が自分の思っている以上の親愛を余すことなく向けてくれたのか。
 ……すまない、マリィ。どうやら俺は君の藤井蓮じゃないらしい。君を一番に愛してやれる君に相応しい男じゃないんだ。
 気まずい思いがあったのは事実。そしてそれ以上に申し訳なさでも一杯になってくる。
 けれどそれでも知ってしまった以上は、彼女から目を逸らすわけにはいかない。想いの在処はどうであれ彼女と向き合わなければならない。ここから逃げるような情けない奴を男とは認めたくないし、そんな男にもなりたくない。
 だからこそ覇吐たちを許す許さないの判断は自分が決めるべきものじゃない。真の当事者はマリィ。彼女の裁量に蓮は全てを託した。
 俯き沈黙を続けていたマリィはやがてゆっくりと無言のまま覇吐へと近づいていく。
 彼女が一歩近づく度に覇吐の表情は恐れとも悲しみともつかぬものへと歪む。固唾を呑んで外野の誰もが声も出せずに見守るしかない。竜胆だけが耐え切れないと言うように覇吐を庇おうと前へ出かけるも他ならぬ覇吐がそれを制す。
 やがて覇吐の目の前にまで近づいたマリィは――

 ――ゆっくりと優しく、覇吐を抱きしめた。

 誰よりも信じられず唖然としたのは覇吐当人。当然だろう、彼女の優しさは知っているがこれとそれでは程度の規模が違う。
 全てを分け隔てなく愛し抱きしめる慈愛の女神とはいえ、自分の生死に関わる結果を軽く扱えるわけがない。
 そう覇吐は思っていた。けれどマリィは覇吐を抱きしめながら、それでも優しく告げるだけ。

マリィ「生きていてくれてありがとう、ハバキ」

 ただ誰よりも優しく、かつて畸形嚢腫としてそれでも生きたいと願い抱きしめた最後の我が子へと感謝する。
 自分の弱さが彼女を死へと追いやった。あの時、例え我が身がどうなろうと彼女たちと一緒に波旬へと立ち向かっていれば、結果は変わっていたのかもしれないのに。
 我が身可愛さで母を見捨てたに等しい自分に、それでも本心からそう言ってくれる彼女は何だというのだ。

覇吐「……女神さん、やっぱあんた優し過ぎるよ」

 震える涙声でそんな言葉を精一杯に毒づくのがやっと。これで怒ってビンタの一つでもかましてくれればその方が気が楽だと言うのに、マリィはまるで幼子でもあやすようによしよしと自分よりも遥かに背が高い覇吐の頭を精一杯に背伸びしながら撫でてくる。
 大丈夫だよ、泣かないで。わたしが抱きしめて支えてあげる。怖くないから、安心して。
 そう優しくされる度に涙が止まらない覇吐に対して困ったようにオロオロしながら蓮へと助けを求めてくるマリィ。
 そんな彼女に敵わないなと呆れた溜め息を一つ吐きながら、傍から見守る竜胆たちチームの皆を伴って覇吐とマリィの下へと近づいていく。
 彼女は誰よりも優しい慈愛の女神。……あの水銀に同調するようなのは悔しいが、しかしやはり或いはこれが一番上手く事を収められる結果になるのではなかろうかと思いながら。

 大欲界・天狗道……その最悪の実例を語り終えた覇吐の説明に対して、ヤンと意見を同じくする神座否定派の者たちも流石に考えを整理するように一時の沈黙を保つ。
 誰もが神を謳うが故に真に神が存在しないとされた自己愛の世界。極論を突き詰めた実例である故に神からの独立で人が即座にそうなるものとは絶対に限らぬが、それでも無視はできない話であったのは事実だ。
 必ずに道を踏み外すことなく、人は正しく前へと進めるのか? その保証は? そんなもの誰にも分かりはしない。
 しかしそれでも――

ヤン「宇宙に住む400億の人間、400億の個性、400億の悪あるいは善、400億の憎悪あるいは愛情、400億の人生……それを一色に染め上げるなんて僕は吐き気がするよ」

 重い沈黙を破り、やはり神座システム否定の言を紡いだ男は魔術師の異名を持つ男――ヤン・ウェイリー。
 民主主義という思想の下に戦いを続けてきた男にとって、このシステムの許容だけは許されない。
 確かに人は愚かで弱い生き物だ。全知全能の神が存在すると言うのならその足元にも及ばぬような羽虫の如き存在だろう。
 しかしそれでも人間は人間だ。決して神が敷いた運命(レール)とやらの上を黙って進むだけの人形ではない。
 決して完璧ではない。間違いを犯すこともあるだろう。しかし間違いを知りそれを正せるのもまた人間なのだ。
 そして大欲界天狗道の実例が示すように、座という機構は本来頂点に立ってはならないはずの者ですら神域に至る渇望さえ抱ければ神として受け入れてしまうという危険性が存在するのも事実だ。
 黄昏や天照、そしてかつて存在したという緋想天。善神が統治する楽園は確かにこの上もない幸せの世であることを否定はしないが、それは逆に言えば次代に邪神によって地獄へと覆らせられる可能性を捨て切れないのも確かなのだ、
 皮肉にも覇吐の話では一見完璧に見えた覇道共存が成立していた黄昏さえ、相当に無理を強いた上で存在していたという実例がある。
 永遠の楽園(ツォアル)とは所詮は遠く見果てぬ幻想に過ぎないのだ。

ヤン「とはいえ僕らは所詮この件に関しちゃ外野だ。直接影響を受ける当事者たちと違って好き放題言える者の意見ばかりが尊重されるのも民主主義とは言えないね。……だからこそ、どうするかは君たちに委ねよう」

 否定派としての一意見は述べさせてもらう。けれど決定権はあくまで君たちへとあるべきだ。
 そう締め括りながらどうするか君達でも話し合ってもらいたいと言われた当事者とは当然のようにこの四人。
 藤井蓮。マルグリット・ブルイユ。坂上覇吐。久雅竜胆。
 神座に直接深く関わり、ここでの選択次第ではこれからの未来すらもないかもしれない者たち。
 人柱や生贄など今更断じて御免だとこれまで共に生き抜いてきた仲間たちだからこそ、まずは彼らの決断を尊重したいとする。
 重い決断であることに変わりはなかった。しかしどのような選択を選ぼうとも、彼らならばその決断を尊重したうえで共に戦ってくれることだけは察してもいた。
 竜胆は告げる。私の意見は変わらない、と。即ち座の肯定による存続という方針。
 覇吐はどうなのだ、私と意見を同じくしてくれるのかと訊ねてくる竜胆に彼は逡巡した後、しかし躊躇わずに答えた。

覇吐「悪い、鈴鹿。今回だけは……俺に女神さんの味方をさせてくれ」

 結果がどうなろうとマリィが望む未来へと身を委ねるという覇吐の選択。
 かつてマリィを見捨てるように助けることが出来なかった。味方をして共に波旬と戦えなかった。
 その後悔や負い目にここで決着をつけたいとする覇吐の想い。第七天を共に生み落して流れ出させ、夜刀たち先代からの想いを受け継いできた者としてはあってはならないはずの決断。
 故に罵倒を覚悟した覇吐に対し、しかし竜胆はどこか納得したように溜め息を一つ吐きながら頷いた。

竜胆「本来なら私の伴侶として、何より第七天を担う者の一人としてふざけるなと言うのが正しいのだろうが……しかし或いはここでそう言えるおまえだからこそ、我が益荒男であるというのも事実だ」

 悔しいがこれも惚れた弱みの一種かもしれんなと苦笑しながら、おまえはおまえの好きにしろと竜胆は覇吐の選択を受け入れた。
 彼らの間に確とある互いを想う絆を眩しいものとして見ながら。蓮はマリィへと視線を向ける。
 マリィ、君の望む結末は何だ? 俺はその為に何をしてやればいいだろう。
 蓮の意見はほぼ覇吐と同じものだ。自分は頂点には立ってはならない存在だ。自らの渇望が大多数を弾く拒絶という形でしか世界を創れぬ歪んだ渇望である以上、自分はこの問題に関わってはいけない。
 相応しい者を相応しい形として導き守る……精々自分に出来ることなどその程度のものだろう。
 何より慈愛の女神である彼女の渇望は一番頂点に立つに相応しいもののはずだ。彼女が座にさえ就けば全ては丸く収まる。きっと誰もが幸せになれるはずなのだ。
 そう思ったからこそ、きっとマリィは竜胆の意見に賛同するはずだとそう思っていた。
 だが――

マリィ「わたしは――レンの願いを抱きしめてあげたい」

 それが自分の答えとするマリィの言葉に蓮は一瞬驚くもののしかし反論さえも出来なかった。
 どうして、自分が座につくとさえ意志を示せば満場一致の結論となるはずなのに。
 最後の最後で決定権をどうして自分へと彼女は委ねるというのだろうか。
 俺は君を一番に愛してやれる君に相応しい男じゃない。天魔・夜刀にも永遠の刹那にもなれない。
 大切な者ばかりを取り零して、守り切れなかった、そんな情けない男なのに。
 死んでしまった女の為に、傍で支えてくれた君すら犠牲にしかねないそんな渇望を今でも燻らせてるような最低な奴なのに。
 それなのにどうして君は――

マリィ「わたしはわたしの意志でレンの出した答えを受け入れる。だから、レンもレンの意志で自分の願う答えを出して」

 きっとそれがセンパイたちにしてあげられるレンにしか出来ないことだから。
 その言葉が未だ燻り隠し続けていたはずの蓮自身の本音を呼び覚ましたのは確かだった。
 失くしたものは戻らない。大切なものを塵に変えるようなことだけはしてはならない。
 このくだらない悲劇を終わらせ、何よりこれ以上犠牲になった者たちの死後まで穢されるようなことを許してはならない。
 あるべきものをあるべき形へと戻す。永遠は永遠に、刹那は刹那に。
 それがもう誤魔化せない藤井蓮が願うたった一つの結末。
 その為には――

蓮「――"座”を破壊しよう」

 失ってきた全てを振り返り、今ある大切な全てを顧みて、選び取った答えを口にする。
 坂上覇吐は一瞬の沈黙の後、なら決まりだなと全てを心得たように頷いた。
 久雅竜胆は結論を噛み締めるように固く目を瞑った後、或いはこれが正しいのかもしれないなと納得したように呟いた。
 そしてマリィはその結末が示す未来を承知の上で、一切の憂いすら見せることなく誰よりも優しく蓮の答えを肯定するように微笑んだ。
 神座に関わった全ての者たちの議論の結果に、ヤン・ウェイリーもそれを尊重するように頷いた。
 ヤンだけではない。サティスファクションもチーム不良も考察組や全ての残る仲間たちも、その想いは同じだった。

 そしてヤンが提案した作戦を全員で検証しながら最後の作戦会議が始まった。
 失敗や敗北は許されない。あまりにも分の悪い賭けになるのは承知の上で、それでも皆で最高の結末を勝ち取るために彼らはそれぞれ自分に出来る定めや役割を自らに課しながら決意を固めていく。
 最後に完成した作戦を各々で確認し合いながら、後は遂に決戦かと意気込みかけたそんな時だった。

覇吐「それじゃあ作戦もばっちし決まったことだし、ここからはいっちょ盛大に決戦前の宴と行こうぜ!」

 そう覇吐が切り出した言葉に皆も一瞬驚いたように目を丸くする。
 これからいざ決戦という時に少々楽観過ぎないかと真面目連中が苦言を呈しかけるも、しかし覇吐の意見に賛同を示す者も多く現れ、あれよあれよと流れの内に宴が始まることとなってしまう。
 ヤンと霖之助と空目だけが作戦の最後の後詰を済ませてから参加すると作戦会議を継続していたが、ちゃっかり酒瓶一本を拝借していったヤンの姿には皆が苦笑を浮かべていた。
 蓮もまた覇吐の意見に積極的に賛同する者として、マリィと共に宴会の準備を進めながらこの刹那を愛おしみ忘れ得ぬように心へと刻みこんでいく。
 残念ながら人数分の宴会料理を作れる者がいなかったこともあり、宴に並べられたのは支給された食料や精々が会場で見つけたありあわせの簡単なものばかり。
 侘しい食卓だと文句を垂れる者も中にはいたが、我慢しろ嫌ならおまえが何か作ってみろよという反論に返せる言葉もなくこのままこれで始めるかという流れとなる。

覇吐「こういうもんは大事なのは飯じゃねえんだよ。何て言うか……そう、雰囲気! 飯の味よりわいわい皆で騒ぐ楽しさってのを味わうのが宴会の正しい作法なんだよ」
依姫「一理あるわね。ならば場を彩る風情も大事ね」
覇吐「そうそう! 話が分かってるじゃねえかよ依姫。そうなんだよなぁ、こういうのに桜は必須だってのに咲いてねえのは残念だな」
依姫「桜、か。……そうね、用意できないわけでもないわ」

 そう言って綿月依姫が行ったのは桜の神である瀬織津姫の神降ろし。その奇跡の所業は瞬く間に宴会場に桜を開花させてみせた。
 皆それに驚きはしたものの、しかし最高の演出だとむしろ喜びながら最後になるであろう宴を始める。
 これまで交流あった者なかった者に関わらず、誰もが誰かと席を共にして笑顔を浮かべて盛大に騒いでいる。
 蓮もまたその光景に笑みを浮かべながら、何よりも尊く美しいものであるというように目に焼き付けていく。
 楽しいね、と不意に傍らに座るマリィが笑顔を浮かべながら語りかけてくる。
 蓮もまた偽りなき本心で同意するように頷いた。この瞬間で時を止めてしまいたい、そんな悪癖が蘇ってくるほどにただただ今この瞬間が愛しく思えていたから。
 マリィは語る。前にも同じようなことをレンとシロウとケイと一緒に学校でやったんだよと。
 自分が歩むことのなかったもしもの可能性の未来。成程、そんな中でも自分はやってることは大差ないらしい。あの櫻井螢が仲間にいたという話だけは意外だとは思ったが。
 選ぶ道が違っていればあいつとも和解できる未来があったということなのだろうか。……いいや、櫻井螢だけではない。他の連中にしたって死なせずに済んだ未来だってあったのかもしれない。
 振り返ったところで仕方がない。後悔の全てを無意味や無価値だと結論付けるわけでもないが、それでもそれらがもはや自分が歩むべき道でないことだけは事実だ。
 失ったものは戻らない。戻らないからこそ、自分は失ってしまった大切なものの価値を忘れ得ぬように戦おう。
 それが今の蓮の決意。

マリィ「わたしね、皆のこと大好きだよ」

 マリィの心からのその呟きに、蓮もまた同意するように頷いた。
 俺もこいつらのことが大好きだ。加減や融通の利かない馬鹿が多いし、訳わからない理屈並べ立てる奴もいる。
 けれど、こいつらがいなかったらきっと俺はここに辿り着くことすら出来ないまま野垂れ死んでいただろう。
 情けなくヘタレてた時にも支えてくれて、時には無理矢理にでも力づくで立ち上がらせもしてくれたからこそ。
 そんなこいつらがいてくれたからこそ、俺はここまで来れた。そして今も戦えるんだ。
 こいつら全員がもう失いたくない俺の大切な絆なんだ。

マリィ「ねぇ、レンにとってみんなは何?」

 マリィのその言葉に蓮は迷うことなく答える。

蓮「あいつらは閃光だ」

 何よりも尊く、何よりも愛しい。
 決して共に傍らに在り続けることが出来ない存在なのだとしても。

蓮「俺の好きな、俺の刹那であり幻想だ」

 現実に刹那の中で生き続ける人間も。
 永遠に幻想として在り続ける神々も。
 どちらも確かに俺が結んだ絆を抱き続けてきた仲間だからこそ、もうそれを否定をしたりはしない。

 そう、だからこそこれから先――この戦いの結末がどうなったとしても、決して忘れない。
 今まで歩んできたこいつらとの道のりを。魂に刻んだこいつらの輝きも。
 何もかも、すべて忘れることなく捨てることもなく。
 例え永遠と刹那が隔たれることになって二度とは逢えなくなったとしても。

 ――この刹那を、永遠に。

蓮「俺は絶対に……忘れない」

 それがあの時に征服王に遂には告げられなかった、迷い続けた果てに出した蓮の答えであり。
 同時に、オデュッセウスになると告げたアドルフへと示す在り方だった。


 そんなマリィとの語らいを終えた蓮の下へとやって来たのはフツオだった。
 仗助はどうしているのか気になって訊ねたが、フツオは静かに笑みを浮かべてもう彼なら大丈夫だと答える。
 彼は彼なりの方法でトモダチを救ったのだ、それを理解した蓮は改めて彼ら二人の間の絆を尊いものを見るように寿いだ。
 それで自分に何の用だと尋ねる蓮に対して、君に渡したいものがあると彼が取り出したものは――


 ひと時の刹那であることを示すように楽しかった宴会はやがて幕を閉じた。
 皆、思い残すことなく最後の戦いへと赴く覚悟を改めて固める中、宴の幕引きより一足早く蓮はある場所へと足を運んでいた。
 蓮が辿り着きその前へと佇んでいるの一つの墓だった。
 ありあわせの材木を十字架状に縛って地面へと突き刺しているだけの、どこからどう見ても粗末な墓だった。
 本当ならもっと立派な墓を個別に作ってやりたかったという強い思いもあったのだが、状況と時間がそれを許さずこうした最低限の形のものしか作れなかったのは彼にしてみてもある種の心残りだった。
 しかしどういう形にしろ、これは藤井蓮にとって大切な人たちの墓であり、そして墓の下にこそ彼にとって大切な人たちが今も眠っている。
 天樹錬と氷室玲愛。そう彼らの遺体を弔い埋めた墓こそがこれだった。
 最終決戦が控えている今、蓮が何を思いこうして彼らの墓の前へと立つのかは語るまでもない。

蓮「フツオから渡されたんだが……これ、おまえの物らしいな、錬」

 そう言って墓の前で蓮が取り出したのは、あの宴会の最中にフツオから渡された物。
 生前の天樹錬が元の世界で愛用していたというカーボンナノチューブ製耐弾仕様のマフラー。
 フツオが共に一時期行動していたフィアという少女に支給されたアイテムらしい。
 彼女が錬へと自らの手で渡すために大事に持っていた物であり、志半ばで彼女が倒れた後は彼女の同行人だったフツオが錬へと届けようともしたものらしい。
 ……尤も、その錬も自分と行動する最中で他ならぬ自分の手で殺してしまった。
 全てが皮肉な結果に思えるが、しかしこうして巡り巡り今ここにそれがあるというのも事実だ。
 本当なら、こいつはおまえに返してやるのが正しい帰結なんだろうとは思う。
 そう言いながらも蓮は錬のマフラーを墓前に供えることはなく、代わりに自らが今まで巻いていたマフラーを外すと共に墓へと巻きつけた。

蓮「形見分け、なんて言うつもりはないけどさ。それでもおまえの想いも形として俺は一緒に連れて行きたいから」

 代わりといっちゃなんだが、ここには俺のおまえたちへの想いの一部を残していくから。
 風に飛ばされぬようしっかりと墓に自分のマフラーを結んだ後、次は自らの首に錬のマフラーをしっかりと巻く。
 不思議と首にはよく馴染んだ。最初からまるであるべきものが戻ってきたと思いかねない程に、安心感が生まれてくる。
 良い素材使ってるんだな、等と馬鹿な軽口を叩きながら蓮は改めて墓へと向き合う。

蓮「錬、香純、司狼、本城……」

 ここに眠る少年と、ここに眠ってはいないが彼と同じくらいに大切な失った刹那たちの名前を口にし――

蓮「……先輩」

 ――誰よりも愛しいここに眠る彼女へと呼びかける。

蓮「安心しろ、信じてくれ。俺は……俺たちはもう二度と負けないから」

 必ず勝つ。勝ってあの暖かな陽だまりに皆を連れて帰るから。
 だから見届けていて欲しい。最後まで自分たちの勝利を信じて。
 それだけが今の自分にとっての彼らに対する願い。
 おまえたちの想いを背負っている限り、俺は絶対に負けたりしないから。
 そう胸中で改めて告げて、蓮は墓前から踵を返して去って行く。
 風に靡く錬のマフラーが共に戦ってくれるとその意志を示しているかのように頼もしく心地よく。
 不意にそこに幻のように聞こえてきたのはもう二度と聞けないはずの彼らの声。

 ――ここで見届けてるから、ちゃんと帰るんだよ
 帰るさ、おまえがいたあの場所に

 ――こりゃ大変だね、蓮くんも
 だから手伝ってくれるよな、本城

 ――勝手にやれよ、マジどうでもいいし
 この馬鹿、相変わらずやる気ねえけど

 ――絶対、お願いだよ。負けちゃだめだ
 言われるまでもないだろ、錬

 ――藤井君、勝って……
 ああ、だから先輩も

 それが単なる幻だったしても、本物の彼らじゃなかったんだとしても。
 例えたった一言でも、その声が聴けたことが何よりも嬉しかったから。
 最後に一度だけ、振り返ることなく彼らの墓に手を振りながらその背中で示す。
 必ず勝ってくる、と……
 そうして蓮は駆け出した。仲間たちと合流し、最後の戦いへと向かうために。
 駆け抜けるんだ、何処までも――
 俺と一緒に走った仲間を、今この時だって感じているから――
 胸裏に刻んだ彼らの想いと一緒に――


 そして幕が開いた最終決戦。既に殺し合いに乗った参加者は黒の巨人ダークザギがただ一人。主催陣営は殺し合いを放棄し結託する対主催チームへと見切りをつけ、ダークザギの優勝にて今回のロワの幕を引くべく動き出す。
 尤も、ダークザギは自らの信奉する『悪の作法』に則り正義へと敗北することを真意としていたため主催側の協力要請を拒否。己一人の力をもって対主催への最後の壁として立ちはだかるという行動へと移る。
 ”座”へと到達する入り口を見つけるためイルカを用い検索する千反田える。超高校級の幸運という才能をもって検索をサポートする狛枝凪斗。そして彼女たちの護衛を任されたロールシャッハ。首輪解除の方法すら成し遂げた万能検索機であるイルカの活躍により会場に存在した特異点となる入り口を発見。直ぐに残りの仲間たちへと報告に戻ろうとする彼らの前にダークザギが強襲。
 最後まで殺し合いに乗りながらも参加者間においては屈指の戦闘能力を誇る巨人に、流石のダークヒーローとはいえ生身の人間であるロールシャッハは己が敵わぬことを瞬時に悟る。
 しかし絶対に妥協しない男はこのまま情報を持ち帰れずに全滅するという結末こそを拒否。

ロールシャッハ「hmmm......同行は途中までだ。後は好きにさせて貰う」

 そもそもガチの女嫌いなはずの自分がどうしてえるを守る必要があるというのか。自分は悪を殲滅する側にあり誰かを守るような英雄的行動が相応しい人物ではない。
 故にこそ、好きにやらせてもらうという言葉通りにロールシャッハはイルカを抱える彼女をさっさと逃げろと突き飛ばし、単身にて目の前の悪――ダークザギへと挑みかかる。
 ロールシャッハの在り方に己が密かに心の内で憧れる正義を見たのか、ダークザギは逃げるえる達を先に殺そうと思えば可能だったのを敢えて見逃し立ちはだかるロールシャッハと対峙。敬意をもって彼と戦い殺害する。
 ロールシャッハの犠牲もあり何とかあちらの方からもこちらを探しに出ていた対主催チームと合流を果たしたえる達。そこに現れたのはロールシャッハを破り追撃をかけてきたダークザギであった。
 殺し合いに乗った最後の参加者……それでも一縷の望みをかけて説得を試みるもダークザギはそれを拒絶。悪の矜持を貫き通さんとする彼を討つべく非戦闘員たちを下がらせ戦いの幕が切って降ろされる。
 当然仲間たちを守るために蓮もまた断頭刃を形成しダークザギへと挑みかかろうとするも、それを止めたのはヤン・ウェイリー。
 藤井蓮。坂上覇吐、久雅竜胆、綿月依姫、皐月駆。彼らはダークザギの後ろに控える主催陣営、そして黒幕たちを打破し”座”を破壊するための作戦の根幹。何としても作戦を成功させるためには無傷と無消耗を真の最終戦開始まで保たなければならない。
 故に君たちも下がっていろと告げるヤンに蓮は反発しかけるも、それを遮ったのは剣崎一真と左翔太朗……二人の仮面ライダー。

剣崎「安心しろ、蓮。ここは俺たちが道を切り開いてやる」
翔太朗「ああいうのの相手はむしろ俺たちの専門分野だ」

 変身し背中を向けながらそう告げて黒の巨人へと挑みかかっていくライダーたち。しかし見るまでもなく膂力の差がある相手には、さしもの二人と言えども圧倒される。
 見ていられないと苦戦する二人に加勢しようと蓮は前へと出かけるもそれを遮ってきたのはカズマの拳だった。
 あれはあの二人が任された喧嘩だ。他人の喧嘩に関係ねえ奴が割って入るつもりだってんなら、まずは俺が相手をしてやる。
 手を出すなと遮ってくるカズマに蓮が苛立ったのは言うまでもない。
 おまえは仲間を見殺しにする気かと怒鳴る蓮に、しかしカズマは一つ溜め息を吐きながら静かに問うた。

カズマ「俺たちのチームは何人だ?」
蓮「十三人に決まってるだろ! そんなことよりも今はあいつらを助けるのが先――」

 瞬間、飛んできた拳が躱し切れずに蓮の顔面へと直撃。為す術もなく蓮は殴り飛ばされる。
 何をされたか一瞬分からずに混乱していた蓮に委細構わずカズマは彼の胸ぐらを掴み上げる。

カズマ「仲間だ絆だ恥ずかしげもなく今まで言ってきてた癖に、結局テメエは自分一人だけしか戦力に数えてねえつもりかよ?
    ……ふざけんなよ、ゴラァ! 十三人分の意地と誇りを背負って戦ってるのはあの二人だろうが! テメエは俺らの分まで背負って戦ってるあいつらがあの野郎に負けると本気で思ってんのか!?」

 俺達を安く見積もるのも大概にしやがれ! そう怒鳴りつけてくるカズマに蓮は何も言い返せなかった。
 決して彼らを侮っているわけでも見下しているわけでもなかった。けれどもう死なせたくもないし失いたくもない。賢しく勝率に一憂してかけがえのない仲間たちを失うのは本末転倒だろう。そこだけは譲れないはずの蓮の矜持であったはずなのに……

剣崎「……心配するなよ、俺達は負けたりしない」
翔太朗「当たり前だ。正義は必ず勝つ、は物語のお約束だろ」

 ふと気づけば弾き飛ばされここまで戻ってきた剣崎と翔太朗が言い争いをしている蓮とカズマを止めるようにそう言ってくる。
 その姿は既にボロボロでありこれ以上の激闘に耐えられるとはとてもではないが思えない。
 実際、次の激突が最後となるのは間違いない。
 その前に蓮へと伝えるために、彼らは他の仲間に前線を持ち堪えてくれるように頼んでここまで戻ってきてもいたのだ。

剣崎「蓮、よく聞け……一人で背負うな、戦ってるのはお前一人だけじゃないんだ」
翔太朗「みんな一緒に戦ってる。全員が命を懸けて自分に出来ることをしているのが見えないか?」

 翔太朗に促されて見た戦場に、蓮は息を呑んだ。
 脳噛ネウロは非戦闘員たちを戦闘の余波から守るために命を削る行為に出てまでそれを貫いた。
 ヤンをはじめとする作戦担当たちはこの現状を打破するための糸口、そしてここを乗り切った後に態勢を即座に立て直せるための術を今も必死になって考えている。
 ネウロに守られていたはずの非戦闘員たちすら、ダークザギを斃す方法をイルカを用いて探し出すべく危険を承知で前線まで戻って来てもいる。
 トゥバンや銀時、ラグナをはじめとした戦える者たちは今もライダー二人の抜けた穴を埋めるべく必死になって戦っている。
 誰もが皆、己に出来ることを精一杯に行っている。

翔太朗「なぁ、蓮。俺たちのやってることは……無駄か?」

 翔太朗のその問いかけを否定できるはずなどないではないか。
 戦っているのは俺一人じゃない。守りたいと思っているのも俺一人じゃない。
 チーム・サティスファクションは……否、対主催連合はみんなで勝つために一人も逃げずに今も戦っている。

蓮「……無駄なわけ、ねえだろ……ッ!」

 だから歯を食いしばって耐えなければならない。我が儘を言っているのは自分一人で、覇吐たちだって加勢したいのを我慢して今も必死に仲間たちの戦う姿から目を逸らさずに応援している。
 そして自分たちの護衛を任されているこのカズマだって……

剣崎「ならもう安心だな。それじゃ俺たちは急いで戻るけど……カズマ、同じ名前の誼ってわけでもないけどこいつらのこと後は任せたからな」

 剣崎の言葉にカズマは言葉ではなく拳を上げる姿で応える。任せろと言わんばかりの意思表示に剣崎も仮面越しに笑っているかのような安心感を見せる。
 それは翔太朗も同様で歯を食いしばった表情の蓮に対して、そんな顔するなと気さくに肩を叩きながら励ましてくる。
 戦場に戻るべく背中を見せながら二人の仮面ライダーは告げる。

剣崎「俺達は負けない。必ずあいつに勝つ。だから蓮――」
翔太朗「おまえは……いや、おまえ達は――」

 ――必ず黒幕どもを斃せ!

 毅然とそう告げながら、ダークザギへと最後の戦いを挑むべく疾走するライダー達。

剣崎・翔太朗「「行くぞダークザギ! そして主催者共!
        ――さぁ、おまえたちの罪を数えろ!」」

 己の命の全てを燃焼させ両者共に最終フォームから繰り出すダブルライダーキック。
 迎え撃つダークザギのライトニング・ザギと正面から拮抗――否、凌駕してダークザギの身へとその一撃を突き立てる。
 蹈鞴を踏むダークザギはしかし大ダメージなれど致命傷とまではいかず……
 しかし二人が命を賭して見い出した最大の好機。戦場に生まれたその間隙を刹那たりとも逃すことなくトドメへと繋げるために駆け出したのは一人の男――トゥバン・サノオ
 ダークザギがその重傷の身でそれでも対応に入り迎撃の技を放てたのも神技ならば、トゥバンがそれを見事に見切り彼の間合いへと踏み込めたのも神技だ。
 一刀の下に振り下ろされる剣閃は見事ダークザギを斬り伏せる。

トゥバン「ふむ、やはり少々卑怯と思うか?」
ダークザギ「……まさか。仲間の生み出す好機を見事に逃さなかったのだ、誰にも責められる謂れはなかろう」
トゥバン「応よ、ならば気兼ねなく言わせてもらうとしようか」

 ――我らの勝ちだ。

 トゥバンが誇りを持って告げる勝ち名乗りに対し、ダークザギはそれを受け入れるように静かに一言だけ。

ダークザギ「……そうだ、それでいい」

 最後まで討たれるべき悪として正義の前へと立ちはだかった黒の巨人は、自らが貫いた『悪の作法』とその結果を誇りながら地へと倒れ伏した。


 最後のマーダーであったダークザギが敗れたことにより実質的にバトルロワイアルは成立不可能となり瓦解。
 結果として多大な犠牲が出ることにはなったが、それでもまだ主催に反抗する多くの参加者は存命している。
 ならば事ここに至り主催側が取れる選択は一つしか残っていない。
 即ち、彼ら自身が打って出ることにより残る参加者を殲滅させることだ。
 首輪は既に解除されている以上直接に手を下す以外に反抗する者たちを始末する術はない。それに何より自分たちの方が未だ圧倒的に有利な立場であると認識している彼らに逃走という選択肢はない。

ヤン「好都合な事態だよ。後腐れを残さないようここでキッチリと決着をつけよう」

 元より対主催連合にしてみても迎え撃つという選択肢以外があるはずもなく。
 何よりここからが本当の自分たちの番(ターン)だ。
 今度はこちらから攻めて行く番だ。ここに至るまでに命を落とした者たちの想いも含めて、余さず連中に借りを返す時だった。
 ”座”への突入のために主催陣営が防衛の為に敷いた軍勢を仲間と共に蹴散らす中で、蓮はある人物と対峙する。

蓮「……おまえも主催陣営の一味だったってことか?」
ブレドラン「そうだ。全てはこの私の計画通りに事態は進んできた」

 ブレドラン……彗星のブレドランやチュパカブラの武レドラン、果てはサイボーグのブレドRUNや血祭のブレドランなど数々の名前や姿を変えながら暗躍してきた参加者。
 既にバトルロワイアルの途中で脱落したものと誰もが思っていたのだが、密かに生き延び主催陣営側へと返り咲いていたのだ。
 予定外の出来事の数々に確かに戦況は狂わされた。しかしここで残る対主催さえ全滅させれば生き残った参加者は自分ただ一人となる。
 故にこそ一参加者という枠からは逸脱する行為とはなるが、こうして手勢を連れて残る参加者を殲滅するために現れたのだ。

ブレドラン「望んだ結果とは言い難いが……しかし再び優勝して全てやり直せばいいだけのこと」

 私の計画にまったく狂いはない、とこの期に及んでも勝ち誇るブレドラン。その真意を問いただした蓮たちに対し、まるで冥途の土産だとでも言うように全ての真実をあっさりと口にしてくる。
 この殺し合いが開かれた真の意味……かつての優勝者ブレドラン自身が望んだ願い。やり直しによる更なる完璧な勝利を自らが手にする為というあまりにもふざけた理由。
 そんなくだらないことのために、先輩や錬の命は踏み躙られたというのか。
 剣崎や翔太朗、九郎やアドルフたちの命懸けで成し遂げてきたことすらも。
 全て踏み躙って無かったことにして……こんなふざけた悲劇をまた繰り返すだと?
 ……ふざけんな。ふざけてんじゃねえぞ糞野郎ッ!
 己の刹那を侮辱する行為に怒りを顕とした蓮はブレドランをここで討つべく断頭刃を形成し挑みかかる。
 ブレドラン側からしてみても再びもう一度やり直すためには優勝するのが条件である以上、ここで蓮たちを殲滅することこそが本来の目的でもある。
 真っ向勝負でぶつかり合う両者。本来ならば既に制限は解除されブレドラン本来の真の姿――護星天使ブラジラとしての力を発揮して瞬く間に殲滅する予定だったはずなのだが、彼に施された制限は一向に解除される様子もなかった。
 手勢連れとはいえ雑兵の悪魔を数頼みで揃えている程度、無論そんなものがここまで残っている対主催連合に通じるわけもない。
 瞬く間に悪魔たちは殲滅され、仲間の援護を受けながら怒りの猛撃を仕掛ける蓮に対し単騎のブレドランは頼みの綱であったはずの制限解除が行えず、遂にその首を断頭刃にて断たれることになる。

ブレドラン「こ、こんな結末は私の計画にあるはずが――」

 完璧なる優勝を求めたはずの自分が何故このようなところで潰えるのか……遂に最後まで既に他の黒幕連中から用済みと切り捨てられたことに気づかぬまま、ブレドランの二度目のバトルロワイアルは敗北という結末にて幕を閉じた。


 ブレドランを殲滅し、”座”の入り口を守る軍勢を蹴散らした対主催連合達は入り口を確保。ここで当初の作戦通りに彼らはここから三つのグループに分かれることになる。
 一組はこのままここに残り”座”の入り口を守護。挟撃を避けるために未だこの舞台上に残っている表主催者を含めた軍勢たちを迎え撃つ役割。
 残りの二組はこのまま”座”へと突入しそこにいるであろう黒幕を討ち、そして”座”を破壊するという役割だ。
 対水銀、対四文字と担当する相手は異なるが、どちらも全能と謳われる神であることに変わりはない。
 待っているのは文字通りの死闘。それもこれまでの戦いの比ではない規模になるであろうことは明らかだ。
 蓮はチーム・サティスファクションの一員として因縁ある水銀を担当する組み分けへと回されることになる。

ヤン「みんな、この先では神を名乗る連中が僕達の為にパーティーを開いている」
マイケル「だが遠慮はいらない。費用は向こう持ちだからな。存分に楽しんでこようじゃないか」
ヤン「そういうこと。じゃあ、みんな」
マイケル「レェェェッツ!パァァァァリィ!!」

 突入直前、提督と大統領の二大指導者たちによる景気づけの発破に誰もが呼応するように鬨の声を上げる。
 チーム・サティスファクションもまた全員で円陣を組むように集まりながら最後の決戦へと備えて皆が作戦の最終打ち合わせとその準備を進めていく。
 そんな中で皆に少し良いかとある提案をしてきたのは皐月駆
 それは彼が元の世界で”赤い夜”と呼ばれる空間で仲間たちと戦いに赴く際に行っていた一つの誓いの儀式。
 全員で手を重ね合わせ互いの生還と勝利を願う……言ってみれば一つのゲン担ぎだ。

駆「友と明日のために――俺達はそう誓い合ってこれを行ってきた」

 そしてこの誓いの儀式を通して幾度もの戦いから生還してきた。
 だからここでも気休めかもしれないがやってみないかという提案に、チームの全員が賛同するように頷き、手を重ね合わせる。
 チーム・サティスファクション。十三人のチームは既に剣崎と翔太朗の二人が欠け十一人となってしまったが。

鬼柳「俺達はあいつらの分の想いも背負って今戦ってる。なら俺たちのチームは今も変わらず十三人だ」

 リーダーである鬼柳自身が告げるその言葉に同意するように皆が頷いた。
 そう、俺たちは十三人で一つのチームだ。だからこそ十三人全員であいつらに勝つんだ。

 ――友と明日のために。

 互いに全員で誓い合い重ねた手を離す。
 そんな直後に一人颯爽と皆から離れて進みだしたのは”シェルブリット”のカズマだった。

カズマ「どうやら連中の方にしてみても後がねえみてえだな」

 見ろよ来やがった、そう示すカズマの視線の先を見据えれば……そこに映ったのはまさに天地を覆わんばかりの大軍だった。
 表主催の全勢力がどうやらなりふり構わずこちらを潰すために総軍で来たらしい。

カズマ「おっさん達だけじゃ手間取りそうだな……仕方ねえ、俺もここに残るぜ」

 そう突然に言い出したカズマに対し皆が戸惑ったのは言うまでもない。
 防衛組のトゥバンや大統領たちを信じていないわけではない。無論、見殺しにしたいわけでもない。だからこそあれを相手にカズマ一人を残していくのには躊躇いを憶える。
 むしろあれだけの大軍なら一度全員ここに残って迎え撃った方が――

カズマ「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ、時間がねえんだろ! ましてやあんな雑魚共相手にテメエらが消耗するわけにもいかねえだろうが!」

 馬鹿な俺でも分かるような馬鹿なこと言ってんじゃねえ、とカズマは引き留める他の連中を一喝する。
 カズマにしては正論だ……などとこの場で茶化したことを言える状況であるはずもなく、そしてカズマの言を言い返す正論を持った者も誰もこの場には存在しない。
 だからこそ沈黙を破り口火を切ったのは、発言者であるカズマ本人だった。
 安心しろ、殿くらいはきっちりこなしてやる。楽勝だ、屁でもねえ。
 カズマは揺るぎない自信で皆へと拳を突き出し示しながら平然と言ってみせた。
 まるでそれが当たり前のことであるように。

カズマ「信じろよ。ここは俺一人で……いいや、俺たち三人で充分だ」

 三人、そう当然のように彼が頭数として含めた二人とはこの場に存在した人物ではない。
 だがその場の全員がカズマの言う二人とは誰と誰を指しているかなどは教えられずとも分かっていた。
 剣崎一真、そして左翔太朗。先のダークザギ戦で勝利と共に散って逝ったかけがえのない仲間達。
 彼らの分の想いと意地を、あの時交わした約束通りに共に背負って戦おうとしているのだ。
 蓮はカズマの背中に剣崎と翔太朗の背中が確かに重なって見えていた。そしてそれは自分だけではなく、他のメンバー全員も同じであろうことは確信できていた。
 俺たちのチームは何人だ――再びあの時と同じように問いかけてくるカズマに蓮もまた当然のように答える。

蓮「十三人だ。俺たちは十三人で一つのチーム……一つの絆(レギオン)だ」

 その言葉にカズマは満足したように静かに笑い、そして彼らへと背を向けた。
 ――行け、何よりも雄弁に言葉ではなく態度としてカズマは自分たちにそれを示している。
 鬼柳は彼もまたただ満足そうに頷いて、そして当然のようにリーダーとしてカズマへと告げた。

鬼柳「チーム・サティスファクションの殿はお前ら三人だ。満足いくまで暴れて来い!」
カズマ「言われるまでもねえ!」

 鬼柳の発破に快く応じるように拳を上げて吠えるカズマ。鬼柳を皮切りにチームの全員がカズマにそれぞれ健闘を祈るように告げながら、しかし迷いなく背後を任せて進んでいく。
 最後に残ったのはやはり蓮一人だった。しかしそれはカズマの身を案じてなどという勘違いした気遣いからではない。むしろその逆、チームの中で今は誰よりもカズマを信じているのが自分だからこそ、順番を最後にここに残ったのだ。

カズマ「あいつらの相手は俺がしといてやる。お前らは舞台裏でほくそ笑んでる糞野郎をぶっ飛ばしてこい!
    油断すんな、容赦もすんな、徹底的にやってこい!」
蓮「誰に命令してんだよ」
カズマ「やせ我慢バカの藤井蓮にだよ」
蓮「……お前にだけは言われたくねえけど、分かったよ。こっちは任せろ、お前も負けんなよ」
カズマ「誰に向かって言ってやがる! あんな連中すぐに倒して追いついてやるよ」
蓮「ああ、待ってるから遅れんなよ!」

 最後に交わし合う言葉はそんな憎まれ口の叩き合い。けれどそれで充分だ。それが自分たちの間に相応しい……言ってみれば友情か。
 蓮は確信している。カズマが……否、カズマたちがあんな連中に負けるはずがないと。
 そしてカズマもまた確信しているのだろう。蓮たちは負けないと。必ず勝つ、と……
 ならばそれに見事応えてやるのが男の子の意地ってものだろう。
 故に、もう振り返らない。背後でカズマが冥王軍を相手に啖呵を切るその叫びを聞き届けながら、蓮もまた仲間たちに続いて”座”の入口へと向かって飛び込んだ。
 カズマと交わした約束通りに徹底的に黒幕――カール・クラフト=メルクリウスを斃し、”座”を破壊するために。


 先に”座”へと突入した仲間たちを追うように蓮は総ての事象の根幹たるその深部へと降りていく。
 本来ならば呼吸を止めていられる程度の位置にあるべき水銀の座は、しかし果てしなく遠い深淵へと移動してしまったかのようになかなか見えてはこない。
 覇吐に聞いた六代目と七代目の神座闘争の話によれば、第六天波旬と呼ばれた歴代最強の邪神は途方もない渇望の深度により歴代でも類を見ない深き位置に座を設けたのだという。
 今のメルクリウスが単独ではなく聖四文字や神野陰之などの協力者たちとの協力によって何らかの形で”座”の深度そのものを変えているのだとすればまだ先は長いのかもしれない。
 だがどちらにせよ、どれだけ深かろうとも何が待ち受けていようとも関係ない。必ずに深淵へと辿り着きメルクリウスたちを斃す。それだけは絶対に成し遂げなければならない自分たちの役目だ。
 だからこそ仲間たちに追いつくためにも更なる”座”の潜行を続行していた蓮はそこで思わぬ相手と再会する。
 ザ・ヒーローことフツオ。そして天使狩りの魔女ベヨネッタ。
 対聖四文字の組み合わせに入り先行していたはずの二人がどうしてこんな所にまだいるのか。そもそも仗助たち他の仲間たちは何処へ行ったのか。募る疑問をフツオへ向けるも返答ははぐれたのだというある意味予想通りのものであった。
 先に突入しているはずの他のチームのメンバーに未だ追いつけていないという事実もある。何らかの力の介入により自分たちが分散されたのだという可能性は十二分にあった。
 ……だがそうなってくると些か不味いという危惧が蓮の中に生まれてもきていた。強制的に戦力を分散されたことによる各個撃破、それも当然ながら危ぶむべきことではあるが、何よりも切り札としているヤンの策がこのままでは機能しえない恐れがある。
 少なくとも彼らが最終的に目指している神座解体には、蓮と覇吐と竜胆そして依姫と駆が最善のタイミングにて個々の能力とその特性を結集させられなければ成立しえない。
 誰か一人でも最終決戦の場に欠けていればそれだけで作戦が発動できないのだ。
 意図してのものかどうかは置いておくとしても、今のこの状況は蓮たちにとって圧倒的に都合の悪いものであることは事実だ。
 ぶっつけ本番に加え予行演習もやり直しすらも不可能。その上で他ならぬ自分が最終戦に遅参などしていればそれこそ立つ瀬もない。
 聖四文字にしてみてもそれは同様。かの存在の打倒にはフツオたちの力が必要なはずだ。
 故にこそ一刻も早く今は他の仲間たちと合流しなければならない。最悪、既に他の仲間達だけで戦いは始まっている可能性とて低くはないのだから。

 しかしそんな彼らの前に各個撃破を目的としてか予想通り立ちはだかる存在が現れる。
 唯一神に忠誠を誓う天界最高位の御使いたちである四大天使。そして漆黒の衣装を纏う黒髪の少女。
 主催の尖兵の登場に戦いは避けて通れぬという焦りは生まれはしたが、しかしそれ以上に彼らの内の感情を激しく焦がす別の要因が生まれていたのも事実。
 四大天使……フツオから事の顛末は聞いているフィアという少女の仇。つまりは間接的な遠因として天樹錬を死なせる結果ともなった存在だ。
 蓮の脳裏にはあの時の愛する少女を奪われた錬の嘆きや苦しみの姿が思い返されてもいた。
 錬、苦しかったよな。辛かったよな。……何より悔しかったよな。
 氷室玲愛という愛する女を奪われた蓮だからこそ、その無念を代わりに晴らしてやりたいという強い思いがあった。
 断頭刃を形成し、それこそ今すぐにでも奴らの首を刎ねんと挑みかかろうとする蓮をしかし静かに止めたのは他ならぬフツオであった。

フツオ「……蓮、悪いけどあいつらは譲れない。あいつらだけは僕が斃す」

 傍にいながら、守ると誓いながら、それでも守れなかった少女がいた。
 その少女の最期の言葉を、最期の表情を、最期の想いを今も忘れずに胸へと刻んでいる男がいる。
 因縁の軽重を何をもって量るのか……確かにこれほど無為なこともないだろう。
 だが少なくともこれだけは譲れないと頑なに示す男の決意を蔑ろに出来るほど蓮もまた自分本位ではない。
 それに分かるのだ。こいつならフィアだけでなく自分や錬の分の想いも一緒に背負って勝ってくれると。
 ベヨネッタもまたそんなフツオをサポートすると申し出てくれている。ならばこそこの選択に間違いはないはずだ。
 頼んだぞと静かにフツオに後を任せ、蓮は残った一人の少女と向き合った。
 不思議と予感があったのだ。この少女もまた自分と何らかの因縁を持っている存在。自分が向き合わなければならない相手だと。

蓮「一応最初に言っとくが、俺は立ち塞がる敵なら誰が相手でも容赦はしないぞ?」
サクラ「それはこちらも同様だ。私も敵となる相手は誰であろうと容赦はしない」

 中途半端に言動で脅すことに意味はないことは最初のやり取りの時点で理解できた。この少女がどういう理由でメルクリウスたちに与しているかは知りもしないが、それでも退く気がないことだけは明らかだ。
 ならば彼女を斃してでも先に進むしかない。一切の情けを排した蓮は少女に躊躇いなく挑みかかるも、しかし直ぐに迎え撃つ少女の戦闘方法が思ってもみなかったものであることに驚愕した。
 魔法士……それも扱う魔法や戦闘スタイルが自分のよく知っている少年にあまりにも似過ぎていた。

蓮「……おまえ、錬の」
サクラ「天樹錬、か。……メルクリウスから聞いている。確かに彼と私は言ってみれば姉弟のような間柄だろう」

 戦い方が似ているのも同質の特性を有した魔法士ゆえに仕方がない、そう淡々と言い切る彼女の様子にはしかし錬に対して自ら口にした姉弟のような感情など一切含まれてはいなかった。

サクラ「私はサクラ。天樹錬と同じもう一人の原型なる悪魔使い。そして世界を敵に回し魔法士を救うために戦う『賢人会議』の代表だ」

 自らのその在り方をまるで誇るようにそう名乗ったサクラという少女。錬と同郷の存在が何故メルクリウスたちへと与しているのか……一つだけその理由に心当たりが生まれてもいた。
 錬と一緒に二人でフィアを探しながらロワ会場を彷徨っていた時、錬の故郷の事情についてはそれなりに彼自身の口から聞いていた。
 俄かには信じ難い話とはいえ、しかしそれを今更疑うことに意味はない以上それが錬の世界の現状なのだということは理解し受け入れてもいた。
 大気制御衛星の暴走により太陽と青空を奪われ、世界大戦によって深刻な影響を受けた世界。

サクラ「藤井蓮、貴方も天樹錬から我々の世界の人類が生き残るためにどのような手段を取ったかは聞いているだろう?」
蓮「マザーコア、だったか……確かに胸糞悪い話ではあるな」

 1000万人の人間の命のためにたった一人の魔法士の命を犠牲にする。修飾を振り払った乱暴な言い方をすればまさにそれだ。
 大を救うために小を切り捨てる、ある種お決まりの命題であることは事実だが実際にその当事者となってしまえばそれは堪ったものではないだろう。
 蓮とてもし同じ立場に自分がいてその犠牲に先輩や香純が選ばれたらと思えばそれこそ気が狂うはずだ。そんな理由で奪われでもすれば死に物狂いで誰を犠牲にしようとも奪い返そうとすらするだろう。
 丁度、天樹錬がフィアという少女を助けるためにそうしたように……
 綺麗事や正論で誤魔化せられる程、自分もまた悟り切ったお利口な性格というわけでもない。
 そして目の前の少女もまたそれは同じ。要するにそういう認め難い世界の理不尽に我慢がならない人間なのだろう。
 蓮のそんな推測をまるで肯定するかのようにサクラは蓮が胸糞悪いと言い切ったマザーコアというシステム、そしてそれに依存し切っているシティの現状を聞いてもいないのに盛大に否定する自己理論を語り続けている。
 犠牲となるべくして生み出され、消耗品の如くに使い潰され、この世に何のために生まれたのかすらその意味も与えられず、認められず、切り捨てられていく生命たちの無念。
 不意に彼女の言葉の数々の中で脳裏へと蘇ったのは自らの思い出したくもない幼少期。そして黄金の礎となるべく生み出されたのだという氷室玲愛の真実をルサルカから聞かされた時に生まれたあの感情。
 ……ならば自分が今サクラへと抱いているこの感情は彼女に対する共感だとでもいうのだろうか?

蓮「……そんなわけないよな、錬。それに先輩」

 この少女とあの二人は絶対に違う。似てはいても同じではない。
 たった一人の大切な人のためになら、世界すら差し出すことすら厭わない。確かに錬も先輩も極論まで行き詰めてしまえばそんな選択肢を選ぶことがあるのかもしれない。
 それは確かにこの少女とも変わらないだろう。だが――

蓮「じゃあおまえは自分の大切な人のために犠牲にした人間に対しては何を思うんだ?」
サクラ「何を思うかだと?……おかしなことを貴方は言うな。必要となった犠牲だ、覚悟をもって積み重ねた屍だ。乗り越えた後に顧みて感傷に浸っている余裕など私にはありはしない」

 その返答でやはりこの少女とあの二人は違うと蓮は確信を持つ。
 少女の返答は言ってみれば犠牲者など知ったことか、自分たちにはまったく関係ないことだと言っているのと同じだ。
 ……それは最前に彼女自身が否定したシティの人間たちと何が違うというのだろうか?

蓮「おまえさっき自分は錬と同じだとか言ってたよな?――ふざけんな、取り消せよ。おまえなんかとあいつを一緒にするな」

 今はただただそれが非常に不愉快だと感じた。認めるわけになどいかなかった。
 少なくとも、こんな責任のなんたるかも分からないような女と彼が同列に扱われるのが我慢ならない。
 天樹錬は確かにフィアという少女のためにシティ神戸1000万人の人命を犠牲にした。
 そこは変わらない。否定できないし、何より彼自身が自分で選んだ行動の結果がそれなのだから。
 天樹錬は確かに世界と少女を天秤にかけて少女を選んだ。

蓮「あいつは確かに後悔はしてなかった。……だがな、自分が選んだ結果の重さは誰よりもしっかり理解して受け止めてたよ」

 己と少女の境遇すら何一つ言い訳や弁明の理由とせず、自らの行動の結果とその責任を全て背負った。
 フィアという少女を愛していたから。彼女を死なせたくなかったから。
 だからこそ彼は最後まで逃げなかったのだ。
 選択の代償として背負わねばならぬ責任にすら目を向けられず、目的ではなく手段に酔っているだけの独善と同じだなどとは言わせない。
 そしてそれは氷室玲愛にしても同じだ。確かに彼女の言動の節々に見えた愛は少しばかり重くて心配に思うことはあった。
 思い詰めればそれこそ本当に世界だって犠牲にしてでも愛を貫き通そうとするような人だった。 
 けれど同時にだからこそ、本当に大切な者の思いを汲んでまず最初に自分を犠牲に差し出すことすら厭わないようなそんな人だった。
 選択の結果に対する責任のなんたるかを知り、己よりも他者を優しく愛せるそんな二人だったのだ。
 そんな二人だったからこそ、今でも藤井蓮は彼らのことを愛している。

蓮「自分のやってることに酔っ払ってるだけの独善野郎と、俺の刹那を同列に語ってんじゃねえッ!」

 故に認めない。このサクラという少女の言葉を。
 自己に酔い、水銀に誑かされ、真に立ち向かうべき相手や自分の背負うべき責任にすら目を背けているような奴には。
 絶対に死んでも負けてはやらない。
 自分自身の意地と背負った者たちの矜持に懸けて怯むこともなく頑なに否定の意志を示して戦う蓮。
 己のやっていることに微塵の迷いも悪意も持たず、そして故にこそ負い目や疑念を抱くことすら憶えない少女にしてみれば苛立たしい以外の何ものでもない。
 何も知らない人間が、救えたはずの愛する者を目の前で奪われた私の絶望が!
 必ず助けると誓ったあの子を――たった一人の友達だったあの少女を迎えに行くことが出来なかった私の無念が!
 もうあの子のような悲しい犠牲者を魔法士たちから出したくないという私の想いが!
 あの少女に捧げた私の愛が――

サクラ「――貴方などに分かるものかッ! 私のことを何も知りもしないくせにッ!」

 ああ、確かに分からねえよ。俺はおまえなんか知らないし、何を失いどんな地獄を見てきたかなんて分からねえ。
 だがな、それでも憎たらしくも誇らしい俺のダチならおまえみたいな奴の言葉にはこう言い返すだろうさ。

蓮「確かに分からねえな。だが一つだけ分かることはあるぜ。
  おまえみたいな自分が世界で一番不幸ですって面でそんなことを言ってくる奴は――総じてダセえってな!」

 愛する者をダシに使って自分を正当化しようとする奴が語る愛など絶対に認めてたまるか。
 おまえが神様に頭下げて縋り付いた奇跡のおこぼれなんぞに同情して道を譲ってやるほど、俺は優しくも甘くもねえんだよ。
 故にそのやり取りが最後だった。サクラに対する同情や共感の類を一切投げ捨てた蓮に容赦はなく、錬との戦いの時に抱いていた悲しみや迷いもない。
 同じ原型なる悪魔使いであり、戦闘能力や技能が錬よりも優れるサクラといえどもはや蓮の疾走は止められない。
 加速する蓮に追いつくことすら出来ず圧倒されるサクラ。
 それは誰が見ても勝敗が決し切った構図以外の何ものでもなかった。
 だがそれでも彼女は諦めない。無様に地に這いつくばるような恥も外聞もないかのような醜態を晒そうとも、決して退こうとはしなかった。
 ここを死守し蓮を通すなと水銀に命じられたから? 命に背けば彼女が守ろうとしている魔法士の子供たちはもう二度と安住の地を得られないから?
 ……ああ、確かにそれもあるだろう。
 だがそれ以上に――

 ”――もう、いいから”

 脳裏に蘇るのは悲しい笑顔でそう言った一人の少女。
 かつて一度、たった一度だけ、絶対に退くわけにはいかない戦いで彼女は逃げたことがある。
 その場に留まり戦い続けても自分が死ぬだけで何も変えられない。助けようとした大切な人すら救うことが出来ない。
 ならば僅かだろうと零ではない次へと賭けて……彼女はその戦いから逃げ出した。
 必ず助けに来るから、出来もしないそんな約束だけを残して、たった一人の一番大切な友達を置き去りにして。
 彼女は逃げ出し――そして文字通り死ぬほど後悔した。
 彼女の決して長くはない人生において、己を最も愚者と呪った瞬間は後にも先にもあの時のあの選択だけだ。
 だから絶対にもう二度と、逃げてはならない戦いで彼女は逃げないと己に誓った。
 愚かな間違いは二度と犯さない。私は『賢人会議』。世界に疑問を投げかける者。

サクラ「世界のすべてが、あの子達に死ねと言うのなら……誰か一人くらいそんな必要はないと言う者がいなければ不公平だッ!
    誰にも味方をしてもらえないあの子達は何の為に生まれた!? 何の為に死んでいく!?」

 あまりに理不尽だ。あまりに救いがない。
 そうあるべくして生まれただけで、本人たちの意志など何も関係なく以降の人生が決定づけられるなど許されていいはずがない。
 そんなものは人とは呼べぬ劣等種。生きている意味すら忘れた家畜だとあの水銀の蛇とてそう賛同してくれた。
 だからこそ私は――負けられない!

サクラ「私はあの世界のどこかに、あの子達の居場所を作ってみせるッ!」

 故にサクラは逃げない。自身のI-ブレインすら勝算を叩き出せない絶望的な彼我の実力差を前にしても。
 彼女の目に映る今の蓮こそがまさに彼女にとっての世界の理不尽そのものだったからこそ。
 逃げるわけにはいかない。負けるわけにはいかない。 

サクラ「何故私の考えを理解しようとしない!?無為に殺されていく彼らを救うことこそが、私のやるべき――――」

 不意にまるで走馬灯のように脳裏へと駆け抜けたのは一つの景色。
 故郷の街に自分が作った花の園。百種類は集め芽吹いた花園の中でたった一つだけ咲かなかった桜の大樹。
 その木の下で悲しげに自分を見つめてくる守れなかった少女の姿。
 ありえないはずの姿。ありえないはずの光景。
 サクラに初めて自分の名前の意味を教えてくれた少女。『花が好きだ』と優しく笑った姿が大好きだったたった一人の友達。
 その幻がどうして自分にそんな悲しい顔を見せるのか。
 泣かないで欲しい。悲しまないで欲しい。

 私はただ貴方の泣いている世界ではなく、貴方が笑っている世界が見たかっただけなのに――

 どうして彼女は泣いて悲しむ。どうしてあの桜の木は花を芽吹かせてはくれない。
 どうして……誰も私の思いを分かってくれないんだ。
 ……ああ、何てことはない。


”――必ず助けるから。”
”――ほんと?”
”――もちろん”
”――なに? これ。”
”――絶対に約束を守るというおまじないだ。これを破った者は、針を千本飲まされて一万回殴られても文句は言えないらしい。”

 精一杯の受け売りの知識で交わし合ったゆびきりの約束。
 死にたくないと泣いてばかりでやっと笑顔を取り戻してくれた彼女のためなら、世界を敵に回そうとも怖くはないと思えていたはずだった。
 彼女を守るためならば、誰にも絶対に負けないとすら思っていたのに。 
 無様に自分は敗北して、そしてたった一人で逃げ出した。

 ……最初の約束すら守れていないのだ。あの日の自分の言葉通り、何を言われ何をされようと結局のところ文句など言えはしない。
 頑なに己の過ちを認めず、救う行為に酔ってばかりで本質すらも見失い目先の奇跡に縋り付こうとした。
 挙げ句の果ては本当に何の関係もないはずの違う世界の人間たちまで巻き込んで犠牲にしようとした。
 無様だ。こんな自分を見て彼女が悲しむのは酷く当然というものだろう。 

 これでは賢人などととても名乗れはしないなと自嘲しながら、彼女は迫りくる断頭刃の刃に自ら進み出るように踏み込んだ。



 少女の死に顔には一筋の涙の跡があった。
 切り飛ばした頭部の目をそっと閉じさせながら蓮は最前の決着の瞬間を思い出していた。
 唐突に言葉を切ったかと思えば、今度はまるで納得したような素振りで自ら進んで断頭刃に首を差し出したようにも見えた。
 ……その最期がどうしても錬の姿と重なって見えてしまったのだ。
 錬とサクラはまったく違う。自らそう否定したはずだったのにここにきて何をダブらせているのか。
 形成を解き心配げに見つめてくるマリィに蓮は大丈夫だと彼女を安心させるように告げる。
 思うところがないわけではない。もしもを語る無意味さを説くわけではないが今は立ち止まれない。
 サクラのことを悔やんでやる以上に大切な仲間たちが自分を待っている。
 だから……

蓮「……どんな道であれおまえが逃げなかったことだけは確かだよ。正直、強かった。それは認める」

 いろいろ侮辱しちまうようなことを言ったのは悪かった。彼女の亡骸に背を向けそれだけを告げると蓮は再び座の潜行を開始する。
 せめて弄ばれた彼女の想いを代わりにメルクリウスたちに叩きつけてやることだけが、今の自分にしてやれる唯一のことだと自らへと言い聞かせる。

 サクラとの激闘でかなり深い位置まで降りてきている。メルクリウスや皆がいる最深部はもはやそう遠くはない。
 戦いの最中で逸れたフツオとベヨネッタのことは気になったが……彼らが必ず勝つと信じた以上は今は振り返らずに自分の道を進むべきだろう。
 フツオたちは必ず四大天使を斃す。そして聖四文字の下へと辿り着き奴も斃すはずだ。
 それを信じているからこそ、自分は自分の為すべきことを為すだけだ。

神野「――では君たちが為すべきこととは何なのか。是非とも聞かせてはくれまいか? ここを逃せば聞ける機会は恐らくない以上、酷く興味があるのだよ」

 不意に聞こえてきたその言葉と、一歩踏み出した瞬間に一変した景色。
 無名の庵――闇に名を売り渡した魔人が住まう「どこでもあってどこでもない場所」。
 驚く蓮とマリィを尻目に客人を招き入れたその空間の主は歓迎の意志を示しながら二人へと告げる。

神野「直接に対峙するのは今回が初めてだったかな? とりわけ、ようこそ歓迎しよう。
   ツァラトゥストラ・ユーバーメンシュ。そして黄昏の女神よ」

 神野陰之……ある意味においてメルクリウス以上に底が知れぬ魔人の登場に蓮が身構えたのは言うまでもない。
 座に突入して以降、想定外の事態ばかりが続いていたがよりにもよってこのタイミングでこの男と遭遇するなどとは思ってもみなかった。
 空目から少しばかり話を聞いてもいたが、さりとて対策を練っていた相手というわけでもない。
 何よりこの男は力づくで如何こう出来る相手とは別種の……それこそジャンル違い的な得体の知れなさがある。
 時間をかけられないこの状況でよりにもよってこの男とは最悪のエンカウントと言ってもよかっただろう。

神野「そう身構えないでもらいたいな。あくまで私が望むのは君達との対談。戦闘は好むものではない」
蓮「生憎と将棋よりも喧嘩が好きな性質でね。こっちにはおまえと長々と話し合っている暇なんてないんだよ」

 そう告げながらマリィを手元に呼び寄せ形成しようとする蓮を神野は制するように首を振る。

神野「その辺りは安心してくれて構わない。真に私がここに招き対峙すべき者たちは別にいる。後が控えているのは私も同じである以上そう時間は取らせない」

 メルクリウスに君たちの到着を待たせるのも悪いからね、などとどこまで本気か分からないようなことを冗談のように口にする神野。
 彼が口にする自分が対峙すべき者たちというのが気になったが……それを掘り返して訊ねても相手が素直に答えるかどうかは分からない。
 何より仲間の誰にしろこんな得体の知れない魔人と対峙させるなどという危険なことを見過ごしていいとも思えない。
 リスクはあまりに大きいが、それでもここで自分がこの男を斃した方が良いのでは……そう考えかけた蓮よりも先んじたのは意外にもマリィだった。

マリィ「あなたは何が訊きたいの?」

 彼女の問いに知れたことと言うように神野が答え返したのは彼ら自身の渇望について。
 君たちは何を望み何を為すつもりなのか。何をよすがにあの水銀と対峙し戦おうというのか。

神野「彼は私が相対した者の中で最も強く純粋な渇望を抱いている。
   致命的なまでに破滅型の願望でこそあれ、故にこそ揺らぐことなき確固としたものだ」

 神座七代の渇望は紐解かせてもらったが、あれが一番私には心地良いと神野は嬉しそうに語ってくる。
 最初に己を呼び出したブラジラに不義理を働く結果となったのは申し訳ないが、それでも自分は彼の渇望の成就こそを望もうと神野は言い切る。
 変態と変態は共感し合い惹かれ合うものなのか半ばウンザリしながら、しかし蓮は睨みつけるように神野を見据えながら告げる。

蓮「おまえらが何を望もうが俺たちには知ったことじゃないんだよ。おまえたちはやり過ぎた。きっちりケジメはつけさせてもらうし満足のいく救済だって与えてやりはしない」

 おまえら邪神は全員まとめてこの宇宙から消してやる、そう告げる蓮に成程と神野は頷いた。
 それが君の渇望……察するに我らに対する復讐か。
 そんな神野の分析に対して蓮は内心でそう誤解したままでいてくれる方がやり易いとは思っていた。
 主催者たちに対する復讐。確かにその気持ちに偽りはないが、何より蓮たちが優先している神座解体の目的は直前まで伏せておきたいという打算もあった。
 ヤンの立てた作戦を確実に成功させるためにも情報漏れは避けるにこしたことはない。
 ……尤も、泰然としたままこの世の真理を見透かすかのように見据えた夜闇の魔王を相手に本当に騙し通せている確証はなかったが。

神野「……まぁいい。より強き渇望こそがこの神座闘争を制する。連綿と続く君たちの宇宙の作法にこれ以上無粋や横槍を入れるつもりは最初から私にもないよ」

 あくまで立ち位置は観測者。全ての事象の帰結と渇望の成就を自分はただ見届けるだけ。
 願望を持たず、変化を愛する彼はあらゆる善と悪を肯定する。ある意味彼以上にフェアな立ち位置の見届け人はいないというのも事実ではあった。

神野「では黄昏の女神、君の願いも訊いておこう」
マリィ「わたしの願い?」
神野「然り。無論、君の渇望のことは知っている。”すべての想いに巡り来る祝福を”。素晴らしい、これこそ最美の渇望。あまねく渇望の絶対肯定。君が最初で最後となる、君にしか為し得ない理のカタチだ」

 あらゆる祈り(アイ)は綺麗ごとでは済まされない。だが故にこそそれは尊く、何ものにも勝る輝きである。
 マルグリット・ブルイユが信じる慈愛の抱擁。この世の誰もが玉座につくべき真の王者と認めた彼女の覇道。
 神野陰之個人としては若干物足りなく思う部分はあれど、治世の王として彼女が座に就くことを祝福しないわけではない。

神野「そう、君は頂点に立つに相応しい存在だ。事実、君が座に就くことこそが恐らくはこの場で戦う全ての者たちの救済ともなることだろう。君とてその渇望は捨てきれまい? だからこそ疑問に思うのだよ。このままツァラトゥストラに付き従っていて果たしてそれは叶うのかな?」

 その口ぶりと揺さぶりは間違いなくこちらの真意を見抜いてのものだろうと蓮にも直ぐに理解できた。
 不味いとは思った。不干渉を嘯こうがメルクリウスに味方すると公言している以上こいつは敵以外の何ものでもない。神野の揺さぶりにマリィが変節を及ぼすとは思わないがこの会話がメルクリウスに筒抜けだった場合は作戦そのものが瓦解しかねない。
 やはりこいつはここで始末すべきだと動こうとする蓮よりも、マリィが神野に返答する方が僅かに早かった。

マリィ「わたしはみんなが大好きだよ。みんなを抱きしめてあげたいし、みんなの願いも叶えてあげたい」
神野「ならば尚のことこのままで良いのかね? 君が本当に自身の願いを叶えたいのならば、君を不要と見ているツァラトゥストラたちよりも君を必要としているメルクリウスに付くべきではないのかな?」

 俺たちはマリィを不要だなんて思ってない! 思わずそう言い返しかける蓮をしかしマリィ自らが制しながら神野へと告げる。

マリィ「ジンノはわたしと同じ?」
神野「厳密には違う。だが酷似した存在であることは事実であり、神という広義の存在で定義づければ同類であるとも言える」
マリィ「ジンノもみんなの願いを叶えてあげたいの?」
神野「私は少々人を選ぶがね。君や魔女のように誰をも平等に救済したいと思えるほどに懐は広くない」

 そう言う点で見るならば、君は私よりも遥かに格上と言えるだろうと神野はマリィへと称賛を見せる。
 同じ他者の願いを叶えたいと思う神として同類を嘯く神野。そんな彼に対しマリィは自分が一番大切に思う問いを投げかけた。

マリィ「じゃあジンノはカリオストロのことが好きなの?」

 それは神野にしてみれば思ってもみなかった問いだったようであり、一瞬それこそ微かなものでこそあったが面食らったかのように彼が硬直してみせたのが分かった。
 傍から見ていた蓮からしてもマリィが何を問いたいのか分からず思わず彼女を凝視してしまったのは事実だ。

神野「彼の渇望は好ましいとは思っている。だが彼個人に関して言えば親しくしているわけでもするつもりも今のところはないな」

 水銀自身、神野を利用はしていても心を許す友として傍に置いているわけではない。
 かつてもこれからも水銀の友は黄金ただ一人であり、神野自身もそこには何一つの興味もない
 利用し合う打算的関係。彼らの間でこれに変化が訪れることは未来永劫ないであろう。

マリィ「じゃあカリオストロに要らないって言われたらジンノはどうするの?」
神野「その仮定は無意味だとも思えるが……君の望んでいる意向に沿って答えるならば、私は彼の下を去るだろう。願いを抱かなくなった以上共に在ることは出来ないし共に在る意味もない」

 そうなれば新しい狂気の渇望を再び探しそれに寄り添うだけだと神野は答える。
 彼にしてみれば当然のことであり、そんなことを訊いてくる彼女の意図の方が余程掴めず摩訶不思議なものであった。
 だが神野陰之のそんな返答に、マリィは悲しげな表情で首を振った。
 そして告げる、それはとても哀しく寂しいことだと。

 神野陰之が見ているのが人ではなく渇望であることと異なり、マルグリット・ブルイユがまず見ているのは渇望ではなく人だった。
 必要だから傍にいるのではない。大好きだから願いを叶えてあげたい。大好きだから傍で支えてあげたい。
 マリィが第一に望むのはそれだけで、故にこそ彼女は誰よりも他者を重んじる慈愛の女神なのだ。
 彼女の思想と価値観の中には水銀や神野のような打算的な思惑は何一つとしてなかった。

マリィ「だからわたしとジンノは違うよ」

 そう告げるマリィの視線は誰よりも真っ直ぐで純粋で。かつて黄昏の浜辺で白痴のように呪いの歌を歌い続けていた面影はどこにも存在しなかった。
 彼女は自らの意志で他者を愛し、自らの意志で他者と寄り添い、そして自らの意志で蓮たちと共にこの神座の歴史を終わらせる道を選んだのだ。
 それはメルクリウスの思惑でもなければ、蓮たちの押しつけでもない。
 神座五代目の覇道神”黄昏の女神マルグリット・ブルイユ”としてではなく。
 チーム・サティスファクションの十三人目の絆(レギオン)であるマリィとして彼女はここにいる。
 大好きな彼が何よりも尊いものの一つとして選んでくれた幻想として誇りを持って恥じぬために。

神野「……成程。これはひょっとすると本当に甘く見ていては足元を掬われるかもしれんよ、メルクリウス」

 独り言のようにここにはいない共犯者へと忠告する神野ではあったが、危惧の言葉とは裏腹にその表情は楽しげだ。
 まるで彼らが或いは勝利をしてしまったとしてもそれならそれで構わないというように。

神野「よろしい。ならば君のその返答をもってこの問答は終わりとしよう。
   全てを回帰させる神座の総軍(レギオン)か、或いは結びついた魂の絆(レギオン)か。
   この恐怖劇(グランギニョル)を制するのが果たしてどちらになるのか、私は私が対峙すべき者たちと共に見届けさせてもらうとしよう」

 愉快気にそう神野が告げたと思った瞬間、蓮とマリィは無名の庵を放り出され気づけば別の場所に立っていた。
 そこは彼ら二人にとっての始まりの場所。マリィがその死後に永劫捕えられ続けていたあの黄昏の浜辺だった。
 いったいどういう意図をもってここに放り出したのかは知らないが……あるいはこれが神野陰之なりの最後の皮肉だったとでもいうのだろうか。
 蓮は複雑な面持ちのままに不変であるこの場所を改めて見回した。
 彼女はいつもここにいて、故にこそここにしかいられずここからは脱け出せない。
 神座の深奥へと向かう通過点ではあったが、しかしここを抜ければ最深奧が目の前であることも理解できていた。
 ここを抜ければその先にメルクリウスがいる。そしてメルクリウスと対峙するということは彼らが立てた作戦を実行に移すということであり。
 その結末が意味するのは今目の前で海を眺めている彼女との――

マリィ「――行こう、レン」

 蓮の物思い……或いはここに来ての未練だったかもしれないものを断ち切ったのは、そう言ってこちらへと手を差し伸べてくる彼女だった。
 彼女は真っ直ぐに蓮を見ながら既に自らが受け入れるべき答えとすらも向き合っていた。
 その上で蓮が迷いや悔いを抱かないでいいように彼女の方から進んで一歩を踏み出してくれたのだ。
 やはり彼女は誰よりも優しくて、だからこそ誰よりも強い。
 だからこそ自分は誰よりも真摯に彼女と向き合わなければならない。
 蓮はマリィの差し出した手をしっかりと掴み取りながら告げた。

蓮「行こう、マリィ。そして勝って終わらせるんだ、今度こそ」

 すべてをあるべき形へと戻し、新しく始めるために。
 彼女が逃げずに真っ直ぐにそれを選んでくれたことに報いるためにも、俺もまた俺自身を終わらせることになろうとも恐れない
 失ってしまった大切なものと失ってはならない大切なもののために。
 蓮とマリィは繋いだ互いの手を離すことなくしっかりと握り合い、両者揃って黄昏の浜辺から脱け出す。
 そして守るべき仲間たちと斃すべき宿敵が待つ総ての事象の中心へと突入する。

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最終更新:2024年07月13日 21:48