これは全てを私が例えば責任を取ればいいという話ではないわけでございまして…
[東京 9日 ロイター] - 安倍晋三首相は9日午前の参院決算委員会で森友学園問題について「私も妻も関わっていないが、そうだという証拠や証言はない」と述べた上で「妻が名誉校長を引き受けたため疑念を持たれてもやむを得ない」と指摘した。決裁文書改ざん問題などについては「司法が徹底的に全容を明らかにしてほしい」と述べた。藤田幸久(民進)委員への答弁。
相次ぐ公文書管理問題の責任を踏まえ、首相は「行政全般について最終的責任を負っている」と述べつつ、再発防止の上では各省庁などで「実際に行為を行っていた人、監督を担っていた人が責任を認識しなければいけない。すべてを私が責任を取ればいいという話ではない」と論じた。その上で藤田委員に対して「私が責任を逃れているとのイメージを意図的に植えつけようとしている」と反論した。
国会議事録
○内閣総理大臣(安倍晋三君) ただいまの委員の御指摘は当たっていないというふうに思います。
まず第一に、麻生財務大臣が佐川前長官のことについて佐川という表現を使われた。これは印象として余り良くないという印象を持たれた方は多いと思います。しかし、それは佐川前国税庁長官に責任を押し付けるということではなくて、麻生さんは自分の親しい人々は基本的に呼び捨てであります。例えば、それはまさに部下に対して、基本的には、例えば敬称を略するというのは当然のことであろうと。私もサラリーマン時代、私の上司であっても他社の人に言うときには呼び捨てで言っておりましたという意味と捉えていただいていいのではないかと。それをですね、それを、まさにその部下に押し付けるために敬称を略したという言い方はそれは酷ではないかと、こう思う次第でございます。
それと、それと同時に、誰が責任を持っているのかということは明らかにしなければいけません。と同時に、例えば、私は、行政全般について最終的な責任は私が負っているということは何回も申し上げています。その責任から逃れることはできないわけであります。
ただ、物事の再発を防止をするためには、実際に当たっていた人たち、実際にその行為を行っていた人たち、実際に監督を行っていた人たちがその責任を認識しなければ、これは全てを私が例えば責任を取ればいいという話ではないわけでございまして、そこのところを委員は意図的にですね、ある意味意図的にこれはねじ曲げて、責任を逃れているかのごとくのイメージを植え付けようとしているのではないかと、こう思う次第でございますので、この点については、それぞれの名誉が懸かっておりますので、少し長めになってしまいましたが、答弁をさせていただいたところでございます。
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責任を取ればいいというものではない
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