鈴仙ちゃんの番外その③
・お正月短編です
※
永遠亭の兎たちの間では、洒落た絵柄の羽子板を見せびらかすのが流行っている。
ぶうぶう鳴きながらあちこちで、ああだこうだとやっているのだ。
木の板でタマを打ち合うなら、それこそ弾幕ごっこでよさそうなものでもあり、観賞用のが大半である。とはいえ、未だ力の足りない子兎などからすれば十分実用的な遊びなようだ。頭のてゐは健康的な運動のため、といって奨励しているが、これはあんまり賛同は得られていない様子である。
種類はやはりニンジン柄のものが根強い。鮮やかな橙や黄色で描かれたものから、たどたどしく手書きで作られたらしきものまで。
また、正月らしく富士や干支、竹模様のものも見える。
あるいは黄表紙みたいなイケメンの描かれた絵(兎目線で)。
どこから手に入れたのか綺麗な紅梅に跳ねる兎のもの。
お団子みたいに丸い月。
彼女はそれらを眺めて言った。
「鈴仙ちゃんはやらなくていいのです?」
「いえ。私はあんまり……」
鈴仙はそれらにさほど乗り気でなかった。地上の行事はよくわからないなあ、などとぼんやり思って、遠くからそれらを眺めていた。
もちろんそれは「このわたしがその辺の地上の兎と一緒に遊ぶなんて……」という意識がまったくないでもない。無敵で最強の能力を持つというのも、これはこれで他にはわからない苦労があるのだ。
流行りにまったく見向きもしないのもどうだろうと、てゐが老婆心からか自分のものを一つくれたが、何もこんな寒い中でやらなくても……なんて、まるで熱意がなかった。
もちろん彼女はいつものスカート姿だ。
おしゃれは我慢なのだ。
「でも、ずいぶん可愛らしいものですね。ほら、あの子のなんて似顔絵が描いてあります」
「ああ、それは……ダイコク様のですよ」
「そうなのです? それじゃあ、鈴仙ちゃんのも?」
「ええ……てゐから借りたものでして。てゐのはみんなそうですよ。熱心なファンみたいなんです」
「ふうん。そうなの」
彼女は感心したようにため息を漏らした。
その音は、その奔流は、それだけで計り知れない古い力だった。あらゆる生命が持つ生と、死の超越したところにある純粋なる力だった。
蜘蛛の子を散らすように、気づけば辺りには誰もいなくなっていた。優秀であるが故の鈍感さなのか、ただ一羽を除いて、兎の逃げ足はみんな早かった。
あとには鈴仙と彼女だけがいた。
鈴仙はうん……と小さく一度頷いた。
それから彼女は、ゆっくりと横を向いた。
「――あら。なんだか二人っきりになってしまいましたね、鈴仙ちゃん」
純化した神霊は、にこりと笑いかけてきた。
それを見た鈴仙の耳はしわしわになった。
「……純狐さん? いつから、ここに」
「ええと? さっきからずっとずっと、話していたじゃない」
ねえ、鈴仙ちゃん。なんて同意を求められても、鈴仙には寝耳に水なのである。確かに、寒さに気を取られて、少しぼけーっとしていたのかもしれない。てっきり師匠とか姫さまか誰かだと勝手に思っていたのだ。
すみません、人違いで……という正直なところを話したら、納得してそのまま帰ってくれないものか? どうだろうか? 袖に引っ込めていた腕を組んで唸りつつ、鈴仙は半ば真剣にそう考えた。
その矢先に、また彼女の方から話してきた。
「でも、かえって人目がなくなったのは、よかったかもしれません」
「……えっ?」
あまりにも突然の物騒な一言に、すわ兎鍋かはたまたシチューかと慌てて彼女が視線を戻すと、ちょうど純狐が屈んで何かを拾い上げるところだった。
袍服の袖から伸びた腕が持ち上げているのは、先ほどの兎たちが落としていった羽子板だ。
よく見れば、あちこちにぼろぼろと羽やら板やら落ちていて、本当に取るものも取らず逃げ出した様子である。
「まあ、みんな忘れてしまって。鈴仙ちゃん、悪いけれど後で持っていってあげてくれませんか?」
「ええ……それはまあ」
生返事をする。
一度熊や狼なんかの獣の匂いがついても嫌がるのに、はたして、単純な強さからくる危険性では並ぶ者のない神霊が触れたものを、気にしない兎がいるのだろうか。
ある種暢気に、そんな事を考える鈴仙をしり目に、純狐は羽子板にそっと指を這わせた。
奇しくもその絵柄は、月に跳ねる一羽の兎。おどけているのか、恋しがっているものか。それをそっと撫ぜる指先の白さと柔らかさを想って、鈴仙はわけもなくぞわぞわする気がした。
月を見つめる彼女のその目は何にも似ていなかった。
この世のどこにもない、純狐が月を見つめる純粋なまなざし、としか言えないものだった。
「でも……少しぐらいこっそり借りたって、罰は当たりませんよね?」
「……は?」
「何をはしゃいでいるのだと思わないでくださいね。だって、あんまりにも兎さんたちが楽しそうだったものですから……」
彼女はそういって、羽子板をぶんぶん振り回したり、羽を撃とうとして、外れてきゃあきゃあ言ったりしていた。
先ほどの兎たちが楽しそうだったから、その真似をしていた。純粋に、遊んでいた。
どんくさいというのか、明らかに羽が落ちてから板を振っているし、持ち方もまるでわかっていない様子だった。
まるで幼子のような感じだ。けれど、それでもそれは、とても素直に楽しそうだなと思えた。
しばらくそのままぽりぽりと後ろ頭を掻いていた鈴仙は、やがて立ち上がると「一緒にやりませんか。……よければですけど」と声をかけた。
純狐は本当に嬉しそうだった。
「いいのです?」
「ええ、その……見てるだけなのも、まあちょっと、あれかなって感じで」
「ありがとうね、鈴仙ちゃん」
「別にそんなあれっすけど……。まー、ルールぐらいはわかるんで……」
いえいえ、そんな……と首とうさみみを横に振る鈴仙の言葉は、言う前に口の中で途切れた。
目の前に突然、理解不能が現れたのだ。「り……理解不能理解不能理解不能……あっ、理解……不能」という感じだった。
こうするのは、それこそ、月のあの回廊で貴方と戦った時以来ですね、などといって、完全な臨戦態勢に入る純狐の言葉がよくわからなかったのだ。あと、袍服の裾から彼女の力の象徴である狐の尾を模した力の塊がするすると現れ始めたのもよくわからなかった。
だんだん慣れてきましたよなどとほざかれたし、もちろん羽は上手く飛ばなかった。自分を掠めていって、それは背後の大木を粉々にふっ飛ばしたのだが……。
「……え、えっと。ちょ、ちょっとタンマ、ちょい待ってもらっていいっすか」
「まだまだ、鈴仙ちゃんに比べたらへたくそですね」
ちょっと早まったかな……と鈴仙は思った。そして、その耳は、みるみるうちにしわしわになった。
・お正月短編です
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永遠亭の兎たちの間では、洒落た絵柄の羽子板を見せびらかすのが流行っている。
ぶうぶう鳴きながらあちこちで、ああだこうだとやっているのだ。
木の板でタマを打ち合うなら、それこそ弾幕ごっこでよさそうなものでもあり、観賞用のが大半である。とはいえ、未だ力の足りない子兎などからすれば十分実用的な遊びなようだ。頭のてゐは健康的な運動のため、といって奨励しているが、これはあんまり賛同は得られていない様子である。
種類はやはりニンジン柄のものが根強い。鮮やかな橙や黄色で描かれたものから、たどたどしく手書きで作られたらしきものまで。
また、正月らしく富士や干支、竹模様のものも見える。
あるいは黄表紙みたいなイケメンの描かれた絵(兎目線で)。
どこから手に入れたのか綺麗な紅梅に跳ねる兎のもの。
お団子みたいに丸い月。
彼女はそれらを眺めて言った。
「鈴仙ちゃんはやらなくていいのです?」
「いえ。私はあんまり……」
鈴仙はそれらにさほど乗り気でなかった。地上の行事はよくわからないなあ、などとぼんやり思って、遠くからそれらを眺めていた。
もちろんそれは「このわたしがその辺の地上の兎と一緒に遊ぶなんて……」という意識がまったくないでもない。無敵で最強の能力を持つというのも、これはこれで他にはわからない苦労があるのだ。
流行りにまったく見向きもしないのもどうだろうと、てゐが老婆心からか自分のものを一つくれたが、何もこんな寒い中でやらなくても……なんて、まるで熱意がなかった。
もちろん彼女はいつものスカート姿だ。
おしゃれは我慢なのだ。
「でも、ずいぶん可愛らしいものですね。ほら、あの子のなんて似顔絵が描いてあります」
「ああ、それは……ダイコク様のですよ」
「そうなのです? それじゃあ、鈴仙ちゃんのも?」
「ええ……てゐから借りたものでして。てゐのはみんなそうですよ。熱心なファンみたいなんです」
「ふうん。そうなの」
彼女は感心したようにため息を漏らした。
その音は、その奔流は、それだけで計り知れない古い力だった。あらゆる生命が持つ生と、死の超越したところにある純粋なる力だった。
蜘蛛の子を散らすように、気づけば辺りには誰もいなくなっていた。優秀であるが故の鈍感さなのか、ただ一羽を除いて、兎の逃げ足はみんな早かった。
あとには鈴仙と彼女だけがいた。
鈴仙はうん……と小さく一度頷いた。
それから彼女は、ゆっくりと横を向いた。
「――あら。なんだか二人っきりになってしまいましたね、鈴仙ちゃん」
純化した神霊は、にこりと笑いかけてきた。
それを見た鈴仙の耳はしわしわになった。
「……純狐さん? いつから、ここに」
「ええと? さっきからずっとずっと、話していたじゃない」
ねえ、鈴仙ちゃん。なんて同意を求められても、鈴仙には寝耳に水なのである。確かに、寒さに気を取られて、少しぼけーっとしていたのかもしれない。てっきり師匠とか姫さまか誰かだと勝手に思っていたのだ。
すみません、人違いで……という正直なところを話したら、納得してそのまま帰ってくれないものか? どうだろうか? 袖に引っ込めていた腕を組んで唸りつつ、鈴仙は半ば真剣にそう考えた。
その矢先に、また彼女の方から話してきた。
「でも、かえって人目がなくなったのは、よかったかもしれません」
「……えっ?」
あまりにも突然の物騒な一言に、すわ兎鍋かはたまたシチューかと慌てて彼女が視線を戻すと、ちょうど純狐が屈んで何かを拾い上げるところだった。
袍服の袖から伸びた腕が持ち上げているのは、先ほどの兎たちが落としていった羽子板だ。
よく見れば、あちこちにぼろぼろと羽やら板やら落ちていて、本当に取るものも取らず逃げ出した様子である。
「まあ、みんな忘れてしまって。鈴仙ちゃん、悪いけれど後で持っていってあげてくれませんか?」
「ええ……それはまあ」
生返事をする。
一度熊や狼なんかの獣の匂いがついても嫌がるのに、はたして、単純な強さからくる危険性では並ぶ者のない神霊が触れたものを、気にしない兎がいるのだろうか。
ある種暢気に、そんな事を考える鈴仙をしり目に、純狐は羽子板にそっと指を這わせた。
奇しくもその絵柄は、月に跳ねる一羽の兎。おどけているのか、恋しがっているものか。それをそっと撫ぜる指先の白さと柔らかさを想って、鈴仙はわけもなくぞわぞわする気がした。
月を見つめる彼女のその目は何にも似ていなかった。
この世のどこにもない、純狐が月を見つめる純粋なまなざし、としか言えないものだった。
「でも……少しぐらいこっそり借りたって、罰は当たりませんよね?」
「……は?」
「何をはしゃいでいるのだと思わないでくださいね。だって、あんまりにも兎さんたちが楽しそうだったものですから……」
彼女はそういって、羽子板をぶんぶん振り回したり、羽を撃とうとして、外れてきゃあきゃあ言ったりしていた。
先ほどの兎たちが楽しそうだったから、その真似をしていた。純粋に、遊んでいた。
どんくさいというのか、明らかに羽が落ちてから板を振っているし、持ち方もまるでわかっていない様子だった。
まるで幼子のような感じだ。けれど、それでもそれは、とても素直に楽しそうだなと思えた。
しばらくそのままぽりぽりと後ろ頭を掻いていた鈴仙は、やがて立ち上がると「一緒にやりませんか。……よければですけど」と声をかけた。
純狐は本当に嬉しそうだった。
「いいのです?」
「ええ、その……見てるだけなのも、まあちょっと、あれかなって感じで」
「ありがとうね、鈴仙ちゃん」
「別にそんなあれっすけど……。まー、ルールぐらいはわかるんで……」
いえいえ、そんな……と首とうさみみを横に振る鈴仙の言葉は、言う前に口の中で途切れた。
目の前に突然、理解不能が現れたのだ。「り……理解不能理解不能理解不能……あっ、理解……不能」という感じだった。
こうするのは、それこそ、月のあの回廊で貴方と戦った時以来ですね、などといって、完全な臨戦態勢に入る純狐の言葉がよくわからなかったのだ。あと、袍服の裾から彼女の力の象徴である狐の尾を模した力の塊がするすると現れ始めたのもよくわからなかった。
だんだん慣れてきましたよなどとほざかれたし、もちろん羽は上手く飛ばなかった。自分を掠めていって、それは背後の大木を粉々にふっ飛ばしたのだが……。
「……え、えっと。ちょ、ちょっとタンマ、ちょい待ってもらっていいっすか」
「まだまだ、鈴仙ちゃんに比べたらへたくそですね」
ちょっと早まったかな……と鈴仙は思った。そして、その耳は、みるみるうちにしわしわになった。