薛阿檀 せつあだん
?-894
唐末の武将。
李克用の部将。中和三年(883)李克用が東北面行営都統に任じられると、夏陽より黄河をわたり、薛阿檀をとどめて橋頭堡をおさえさせた。文徳元年(888)二月、河南尹の
張言が河陽節度使の
李罕之を追い払うと、李罕之は李克用のもとに身を投じ、李克用は
李存孝・薛阿檀・
史儼・
安金俊・
安休休に七千騎を率いさせ、河陽を攻撃させた。張言は
朱全忠に救援を求め、四月、
丁会・
葛従周・
牛存節が兵数万を率いて河陽を救援し、李存孝らを打ち破った。
赫連鐸と李克用の戦いでは、薛阿檀を先鋒として黄河のほとりに伏兵をおいた。赫連鐸は、騎兵隊をはなって薛阿檀を追撃させたが、伏兵にあって逃げはしった。薛阿檀の武勇は李存孝と双璧とされ、諸将に憎まれた。密かに李存孝と通じていたが、乾寧元年(894)三月、李存孝が叛乱を罪として誅殺されると、事実の漏洩を恐れて自殺した。二人の優秀な将軍を失って以降、李克用の軍は、
朱全忠の後塵を拝するようになった。
列伝
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最終更新:2026年08月01日 00:01