李恒
795-824
唐の第15代皇帝(在位820-824)。諱は宥のち恒。諡は睿聖文恵孝皇帝。廟号は穆宗。
憲宗の第三子。母は
懿安皇后郭氏。貞元二十一年(805)広陵郡王となり、元和元年(806)八月、遂王に封ぜられた。翌年兄の皇太子
李寧が薨去すると、元和七年(812)十月皇太子となった。元和十五年(820)父憲宗が暗殺されると、宦官の
梁守謙に擁立されて即位した。遊猟を好み、宰相の
蕭俛・
段文昌に見識なく、憲宗の元和中興も、地方兵力を削減したため、かえって軍乱を招き、藩鎮が再び跋扈して、憲宗の努力も水泡に帰した。丹薬を好み、撃毬(ポロ)の最中に中風となり、崩御した。陵は
光陵。
年号
長慶 821-824
后妃
子女
宰相
本紀
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最終更新:2025年01月19日 18:18