配信者(廃神者) ◆wUZst.K6uE



 「もしもし、玖渚さん?」

 携帯電話を握る伊織の義手がきし、と金属が擦れるような音を立てる。
 宗像形を送り出してのち、無桐伊織は櫃内様刻とともに図書館への道のりを歩みながら携帯電話を取り出し、あらかじめ登録してあったひとつの番号へと発信した。
 こちらからの連絡を待っていたかのように、さほど間を置くことなくコール音が途切れ、電話の向こうから明朗快活な声が響いてくる。

 『やっほー、お久しぶりだね舞ちゃん。全然連絡くれないからもう誰かにやられちゃったんじゃないかって心配してたよ。ソリティアも手につかないくらい』
 「ソリティアしてたんですか!?」
 『あっはっは、冗談だって。まじめにコツコツとハッキングにいそしんだりしてたよ。僕様ちゃんてば働き者! なんつってね。ところで大体予想はつくけど、何の連絡かな? 舞ちゃん』
 「ああ、ええっとですね――」

 玖渚の一人称が「僕様ちゃん」であることに若干の安堵を感じつつ、伊織は応対する。
 伊織はあまり人見知りするタイプではないし、玖渚とは(出会ってからまだ数時間とはいえ)ある程度の会話は交わしているので、それほど対話に困るということはないのだが――
 それでも、彼女が何かをきっかけにしてほんの少し、ほんの僅かだけ垣間見せる本性のようなものを思い出すと、伊織は言いようのない不安を少なからず感じてしまう。
 玖渚友という少女の二面性。
 さながら青と蒼しかない信号機のように。
 不安定で、不安になる。

 「――玖渚さん、さっきの放送は聞いてましたよね?」
 『もちろん。一言一句漏らさずにね。当然禁止エリアについても聞いちゃったわけだけど。舞ちゃんももちろん聞いたよね?』
 「ええ、がっつり指定されてますよね、玖渚さんのいるところ」

 一応時計を確認する。放送が流れてからまだ一時間もたってはいないが、玖渚のいるD-7が禁止エリアに入るまでの残り時間は三時間を切っている。
 距離を考えれば焦るほどの時間でもないが、かといってのんびりできる時間でもない。

 『放送の人も「一ヶ所に閉じ籠もられると困る」みたいなこと言ってたし、やっぱり僕様ちゃんが居座りすぎたことが原因かなぁ。せっかく居心地のいい根城が確保できたと思ったのに』
 「一応確認しますけど、玖渚さん、自力で脱出できませんよね?」
 『無理だね! 登りの段階で相当キツかったし。今から山下りなんてしたら爆死するまえにのたれ死にしちゃうよ!』
 「なんでちょっと得意そうなんですか……」

 呆れ声の伊織。
 わかってはいたが、自分で下りるという選択肢は最初からないらしい。

 『ていうか舞ちゃん、今かけてる電話、ぴーちゃんの持ってたスマホじゃないよね。番号違うし。どこからかけてるの?』
 「ああ……そのことも含めてなんですけど、玖渚さんに報告しないといけないことがありまして」
 『報告?』
 「ええ、何と言いますか、あのあと色々ありまして――うーん、何から話せばいいでしょうかねえ……」

 不要湖で起こった出来事を思い出しながら、伊織は困ったように唸る。
 とりあえずは玖渚の元に向かっている少年について説明しないといけないのだが――それにはまずその少年との馴れ初めについて話す必要があるわけで、そうなると不要湖で何があったのかも含めて話さないとすべてはうまく伝わらない。
 ややこしい、と伊織は思う。
 実際にはそれほど入り組んだ話でもないはずなのだが、伊織はマイペースゆえ、他人のことを順序だてて説明することをあまり得意とはしていない。
 ――解説役は人識くんのほうが適任ですよう。
 そんな無意味かつ無責任なことを、伊織は心中で呟く。
 言いよどむ伊織に対して玖渚は、相手が何か厄介な事情を抱えているとでも思ったのか、『心配しなくても大丈夫だよ!』と溌剌とした声で言う。

 『何か問題があったら僕様ちゃんが解決策を考えるから! 遠慮はいらないから、何でも率直に相談して! 舞ちゃんと僕様ちゃんはこれまで一緒に死地を潜り抜けてきた仲じゃない!』
 「え、そんな壮絶な仲でしたっけ……」

 初対面からまだ六時間ほどしかたっていないはずなのだが。
 もしかすると、研究所へと続くあの山道こそが玖渚にとっては死地と呼ぶべきものだったのかもしれない。
 だとしたら、さすがにそれを潜り抜けたところで信頼関係は生まれまい。
 玖渚が一人で死にかけただけの話である。

 「いや――そうですね」
 しかし伊織のほうも、玖渚が珍しくこちらのことを気遣うような発言をしてくれたことに何かを察したのか、溌剌とした口調で返す。
 「たしかに私としたことが変に遠慮しちゃってました。玖渚さんと私はもう友達同士ですしね! 携帯の番号交換した仲ですもんね!」
 『そうだね! これ僕様ちゃんの携帯じゃないけど! 支給品だけど!』
 「一応別シリーズ扱いとはいえ、私と玖渚さん、同じ世界からの出演ですもんね! どっちもシリーズ終了してますけど、新シリーズで共演の可能性も微粒子レベルで存在してますしね!」
 『そうだね舞ちゃん! ちょっと何言ってるかわかんないけどさ!』
 「ではお言葉に甘えて率直に報告させて頂きます! ちょっと用事ができたので、玖渚さんのところへ迎えに行くことができなくなりました! ごめんなさい!」
 『…………え?』
 「今ちょっと、事情があって別の場所に向かうことになっちゃったんですよー。だから玖渚さんには悪いんですけど、時間までにそっちに向かうのは無理っぽいですね!」
 『え? え?』

 まったく想定外のことを聞いたというように、声のトーンがあからさまに明快さを失う。
 困惑を声だけで表現する手本を見せるかのような変わりようだった。

 『ちょっ――マジで? ……あ、いや、「舞ちゃんが」って意味だよね? そういやぴーちゃんも一緒にいたんだし。舞ちゃんが別行動でどこかに向かってて、ぴーちゃんがここに迎えに来てるってことでいいんだよね……?』
 「いえ、様刻さんも一緒です! というか様刻さんの希望で向かってる場所なんですけど、別々に行動すると危険なので、私も同行してます!」
 『いや、たった今僕様ちゃんの命が危険なんだけど――え、ちょ、僕様ちゃん、まさかの置き去り? まさかの禁止エリアで孤独死?』
 「大丈夫です玖渚さん。のたれ死にする危険を踏まえて自力で下山する選択肢もあります! 爆死よりはワンチャンありますよ!」
 『……えーと、舞ちゃん。その、事情って何? どこに向かってるのか知らないけど、どうしても二人でそこに行かなきゃ駄目なの? 絶対不可避の理由?』
 「いえ、ちょっと見たいDVDがあるので」
 『酷すぎでしょ! ツタヤ行くみたいなノリで見捨てないでよ!!』
 「あ、玖渚さんは見たいDVDは借りずに買う派でしたか? でもそれでツタヤのことを悪く言うのはどうかと……」
 『いや引っかかるとそこじゃないでしょ! ツタヤの話掘り下げる場面じゃないよ!?』
 「じゃブックオフですか?」
 『喧嘩を売っているのか!』
 口調が崩壊していた。
 人格すら崩壊しかねない勢いだった。
 『勘弁してよー舞ちゃん。僕様ちゃん、見捨てられるようなこと何もしてないじゃない。友達同士なんでしょ?』
 「友達? 誰がですか?」
 『とぼけられた! 一分前の発言について露骨にすっとぼけられた! 普通に傷つく!』
 「ふふふ、油断しましたね玖渚さん。私は主人公化計画を進めるのと同時に、もうひとつの重要役割の獲得、ヒロイン化計画をも暗に進めていたのですよ! この計画を成就させるためには、原作ヒロインであるあなたに亡き者になってもらう以外にないのです!」
 『知らないよ、どっちの計画も!! ていうかそんな理由で人を見殺しにする主人公もヒロインも絶対いないよ!!』
 動揺のあまり、突っ込み役に成り果てていた。
 見ようによってはむしろノリノリの体である。
 「――まあ、冗談はさておいて真面目な話をするとですね」
 『あ、やっぱり冗談なんだ……そりゃそうだよね』
 「ええ、真面目にお別れの挨拶を」
 『そっち!? 真面目そっち!?』
 「いや、すいません――本当に真面目な話、私たちが別の場所に向かってるのは本当なんですけど、玖渚さんのところには別の人に向かってもらっているんです。宗像さんって人なんですけど」
 『…………宗像?』
 「山を下りたあと不要湖って場所に行ったんですけど、そこで偶然出会いまして。色々あって私たちに協力してくれることに」

 伊織は下山してからのことを(伊織なりに)詳しく説明する。
 不要湖にて宗像形と阿良々木火憐の二人に出会ったこと。宗像の抱える「異常」について相談を受けたこと。謎の人形に襲われて火憐が致命傷を負ったこと。
 それに止めを刺した宗像が「異常」を失ったこと。
 放送で時宮時刻の死を知り、殺した相手を知るため図書館に向かっていること。玖渚の迎えを宗像に任せたこと。道中で携帯電話の入った荷物を拾ったこと。

 『…………ふーん』
 伊織が説明を終えると、玖渚は考えをまとめるようにしばし沈黙する。
 『宗像形、殺人衝動、そして死者を記録したDVD――か』
 「もしかしたら続きがあるかもと思いまして。宗像さんが行ったときに置いてあったぶんは全部持ち出してきたらしいので、無駄足になるかもしれないんですけど」
 『持ってきたぶんの内容は確認してあるの?』
 「あ――いえ、宗像さんの口ぶりからすると未確認のようですが」

 宗像から内装や設備について詳しく聞いたわけではないが、図書館というとCDやDVDを視聴するためのAVブースなどが通常設備としてあるような気がするのだが。
 図書館で発見したDVDを視聴しないまま持ち歩いているというのは確かに違和感がある――伊織は今更ながらにそう思った。

 『うーん、しかるべき設備がなかったか、あったけど使えなかったとかじゃない? 主催がわざとそうしておいたのかも』
 「どういうことですか?」
 『もし舞ちゃんがDVDを見つけて、それを見るための機材がそこにあったら当然それを使ってそこで見るよね? 主催としては、参加者にはなるべく一ヶ所に留まってほしくないはずだから、わざわざ別の場所に移動しないと見られないようにしたんじゃないかな、ってこと』
 「うーん、意地の悪いこと考えますねえ」

 実際そうして移動した結果、伊織たちと宗像たちが接触することになったのだから効果のある仕掛けではあったのかもしれない。
 そこで殺し合いが始まれば真に思惑通りだったのだろうが。

 「あ、そうだ。掲示板
 『うに?』
 「いや、宗像さんに掲示板のこと教えちゃったんですけど、大丈夫でしたか? 宗像さん、黒神さんって人の知り合いだったみたいなんですよ。あの書き込み見てちょっと動揺してたみたいですけど」

 玖渚が意図的に、事実を曲げて(図らずも事実ではあったのだが)黒神めだかの悪評を広げようとしていることを伊織は知らない。
 しかし掲示板がもとで黒神めだかが危険人物であるという情報が広がろうとしているのは事実で、その掲示板を管理しているのは玖渚友なのだ。
 その黒神めだかの知り合いを、玖渚の迎えとして送り出した格好である。
 今の宗像であれば危険だということはまずないとは思いつつも、伊織は若干の不安を覚えた。

 「あ、でも玖渚さんが掲示板の管理者だってことは、宗像さんには伝えてないんでしたっけ……」
 『ふぅん、別に教えてもよかったのに。まあ説明するのもめんどくさいから、教えなかったら教えなかったでいいんだけどさ――まあどっちにせよ、そこらへんはこっちで話し合うから心配しなくていいよ』
 「はあ……」

 鷹揚なのか鈍感なのか。
 危機感の感じられない玖渚の様子に、伊織はやはり不安を拭いきれない。
 無駄な心配だということは、伊織自身理解はしているのだが。

 『しっかし死亡者の映像かー……あるんだろうなー、やっぱり』
 「ある? 何がやっぱりあるんですか?」
 『うにゃ、監視カメラがさ。ネットカフェの入口に一台あったけど、あれ以外にも多分そこかしこに設置されてるはず。DVDの中身見てみるまではっきりとは言えないけど、そんな映像を全員分記録できるなんて、よっぽど入念に会場内の映像を網羅してるとしか思えない』
 「私たち全員、リアルタイムで監視されてるってことですか……」

 まさに今ここで電話をかけている姿も、見えないどこかから撮影されているのかもしれない。
 ぞっとしない話だと伊織は思う。

 『うーん、そこまで徹底的に記録をとっておく必要があるのかどうかがわかんないんだけどなー。そりゃ誰が誰を殺したかくらいは知っておきたいんだろうけど、それにしたってそんな執拗に監視するかなー。まるで僕様ちゃんたちの一挙手一投足を、何かと照らし合わせたいみたいに思えちゃうんだけど』
 うにゃあ、と玖渚は唸る。
 何かと照らし合わせたい、という発想がどこから出てくるのか、伊織にはよく理解できなかったが。
 「そういえば玖渚さん、監視カメラの映像記録ハッキングして取り出したりしてましたよね。あれ、他の場所の映像も見れないんですか?」
 『いやいや無理無理。あれは最初ネットカフェにいたときに、店内のセキュリティから何から何までいじくり回しておいたから侵入できただけだし。全部の映像見るには、たぶん主催が管理してるシステム直接クラッキングするしかないんだろうけど、ここにある設備だけじゃあねー』
 「無理ですか」
 『無理っていうかバレる』
 僕様ちゃん愛用のジオサイドさえあれば三分でブチ抜いてみせるんだけどな――と、不満そうな声で玖渚はぼやく。
 設備さえあればできないことはないらしい。
 そっちのほうがぞっとしない話だ。
 『ま、ここにいられるのもあと二時間ないんだし、迎えが来るまでできる限りのことはやってみるよ。ハードディスクの解析もどうにか間に合ったし』
 「あ、終わってたんですね。どうでした中身は」
 『うん、まあなかなか興味深かったよ。詳しくは直接会ってから教えたげる』
 宗像って人の意見も交えた上でね――と、そこだけ若干声色を変えて玖渚は呟いた。
 『ところで、どこで合流するかとかは決めてあるのかな、舞ちゃん』
 「あ、いえ、玖渚さんに相談してからと思いまして」
 『じゃランドセルランドにしようか。図書館と研究所からほぼ等距離の場所ってことで。そこで合流してからDVDを見るための設備を探しに行こう。舞ちゃんたちが首尾よくDVDをゲットできたらの話だけど』
 「了解です――あ、宗像さんもスマホ持ってるんで番号教えておきますね。玖渚さんの番号も教えてあるので」
 そういって伊織は、11桁の番号を言って聞かせる。
 とくにメモを取る気配もなく『了解したよー』と玖渚は間延びした声を出す。
 『あはは、僕様ちゃんたち、全員携帯電話もってるんじゃん。拾った荷物にまで携帯入ってるとか、舞ちゃんたちついてるねー』
 「ですよねー。運命的というか、もはや作為的なものすら感じちゃいますよー。ちょうど私たちの人数に合わせて、うまい具合に携帯電話を分配したんじゃないかって」
 『あっはっは、まっさかー。そんなわけないじゃない舞ちゃん』
 「うふふ、冗談ですよー、やだなー玖渚さん」
 和気藹々と喋る伊織の様子に、隣を歩く様刻は何かとても微妙な表情を浮かべていた。
 『それじゃ一旦切るね。ぴーちゃんと二人なら大丈夫だとは思うけど、図書館ではくれぐれも注意してね』
 「? 注意って、何にですか?」
 『ううん、まあ色々と』
 曖昧な言い方をして、玖渚は軽く笑う。
 『じゃあ、健闘を祈るよ、舞ちゃん』
 「玖渚さんも、どうか息災で」

 言ってから、数時間後に再会する予定の相手に対する挨拶ではないなと思ったが、特に訂正することもなく伊織は通話終了のボタンを押した。
 義手がまたきし、と金属的な音を小さく鳴らす。

 「…………」

 呪い名が一名、武器職人「罪口」によって作られた特製の義手。今となっては完全に伊織の身体の一部と化している機械の両手。
 戦闘用に製造された代物というだけあって耐久性には優れているが、それでももしこの両手が壊れたら、と時折不安になることはある。この義手にスペアなどは無い。一度壊れたらそれまでである。
 いや、両手に替えがないのは本来当たり前のことかもしれないが。
 それとは関係なく、この両手を失いたくないという気持ちは強くある。元の両手以上に、この両手は伊織にとって大切なものなのだから。

 「何だって? 玖渚さん」
 歩きながら様刻が訊いてくる。いつのまにかスマートフォンを片手に持ち、その画面を注視していた。
 伊織が話している間、掲示板の確認でもしていたのかもしれない。
 あるいは単に手持ち無沙汰だっただけなのかもしれないが。
 「何だって、何がですか?」
 「いや、何か言ってたかなって。DVDとか掲示板とか、色々話してたみたいだからさ」
 「んー、何だか言い方が曖昧というか、ぼやかしたようなことばかり言ってましたねえ。知ってることをあえて隠して話してるみたいな」
 「詳しくは実際に会ってから話すってことじゃないのかな? 今は考えをまとめてる途中なのかもしれないし」
 「たしかにそんな感じのことは言ってましたが……」
 電話口で『会ってから話す』というのは死亡フラグではなかっただろうか。
 無事に再開できる可能性が無駄に下がったような気配を伊織は感じた。
 「しかし誰なんだろうな――あのDVDを置いたのは」
 「はい?」
 独り言のような様刻の言葉の意味が理解できず、伊織はただ問い返す。
 スマホの画面から目を離さないままに、様刻は「あのDVDってさ」と、さほど重要でもないようなことを説明するような淡々とした口調で言う。
 「あのDVDって、一回目の放送までに死んだ人たちをまとめた映像なわけだろう? だったら少なくとも放送が始まる前までは、あのDVDは存在してないってことになるじゃないか」
 「あ――そういえばそうですね」

 中身にばかりとらわれて思い至らなかったが、考えるまでもなくあれは最初から配置しておける類のアイテムではない。ディスク本体はともかく、中身の映像は死者が出て初めて存在できる情報である。
 ならば必然、放送後にあのDVDを「作成」した人間と。
 図書館内に「持ち込んだ」人間がいる――ということ。

 「そこは考えが及びませんでした」
 「いや、そこは及ぼうよ伊織さん」

 実働部隊、とでもいうのだろうか。
 そうやってフィールド内を動いて何かしらの作業を行ったり、参加者にアプローチを働くような役割を主催者から担わされている者が、最低でも一人は存在する――そう様刻は言っているのだろう。

 「その可能性もある」
 しかし様刻が考えていたのは、それとは別の仮説だったらしい。
 「僕が予想してるのは、図書館の中に主催側の誰かが潜伏しているって可能性だよ」
 「せ――潜伏?」
 「放送のたびにいちいち出たり入ったりするのは効率が悪いしリスクも高い。 初めから図書館に映像のデータを受け取れる端末やら、DVDの編集機器やらそろえておいたほうが現実的さ。DVDの作成と配置を請け負ってる誰かが図書館に隠れ潜んでるってのが僕の考え」
 「え……様刻さんその考え、いつから思いついてたんですか?」
 「宗像さんからDVDの話聞いたときからだよ。そのくらい誰だって思いつくだろう?」

 平然と言う様刻。その表情を見る限り、嫌味や謙遜で言っているわけではないらしい。
 玖渚が「図書館ではくれぐれも注意してね」と言っていたのも、もしかしたらこのことだったのかもしれない。図書館に誰かが隠れている、または出入りしているという可能性に玖渚も気付いていたのだろうか。

 「でも様刻さん、それって――」

 宗像からDVDの話を聞いたとき、様刻は迷わず図書館へ移動することを選択していた。
 あのときすでに図書館にいるかもしれない何者かについて考えが及んでいたというのなら、もしかすると様刻は、DVDを回収する目的とは別に、主催陣営の誰かと接触することを目論んでいたのだろうか?
 潜伏している場合はもとより、放送のたびに出入りしている場合においても、タイミング的に今なら接触できる可能性は確かにある。
 だがそれは危険な選択でもある。主催の人間とこちらから接触することはそれだけで向こうから警戒心を抱かれる恐れがあるし、仮に相手が武闘派だったならその危険性はいうまでもない。伊織はともかく、様刻は正真正銘の一般人なのだ。

 「――ああ、一応言っておくけど、僕はその誰かに会おうとか捕まえようとか、そういうことは別に考えてないよ。図書館に行くのは純粋にDVDがほしいからさ。それ以外の目的は一切ない」
 伊織の言わんとしていることを何かから察したのか、様刻は先んじて言う。
 「そもそも図書館に誰かが潜伏してる、または出入りしてるってのが思いつき以外の何物でもないし。そういう考えもできるってだけで、根拠らしい根拠は一切ないしね。仮に誰かがいたとしても、今わざわざ危険を冒してまで探そうとは思わない。何のプランもないままに蜂の巣をつつくような真似はしないよ」

 こっちから探そうとしなければ、わざわざ向こうから出てくることもないだろうしね――と、様刻はまた独り言のように言った。
 「そう――ですか」
 たしかに死者の映像があるということだけを理由に主催者が潜伏していると考えるのは早急――なのだろうか。
 「でもそれだと、DVDについては謎が残ることになりませんか?」
 「まあ放送と同時に名前が浮かび上がる名簿なんてものがあるんだし、自動的に死者の映像が記録される仕様のDVDがあってもおかしくはないんじゃないかな」
 「身も蓋もありませんね……」

 ここまでほのめかしておいて、不思議アイテムで済ます気なのか。
 でも何となく、その可能性が一番高そうな気はする。
 本当に何となくではあるが。

 「でも、主催者さん側の人が会場をうろついてたとしても、一目見てそうと分かる外見してるとは限りませんよね……もしかしたら、参加者のふりをして行動してるのかもしれませんし」
 もし参加者の中に主催者側の人間が紛れていたとしたら、それを見分けるのはまず不可能だろう。
 見分けがついたとしても、参加者に扮しているような者に大した情報が与えられているとも思えないが。
 「今だから言うけどさ――僕、玖渚さんって主催者側の人間じゃないかって疑ってたんだよな……」
 「え?」
 伊織は思わず足を止めて様刻のほうを振り返る。様刻はそれにかまわず、そのまま足を止めずに伊織を追い越した。
 「単に僕が疑り深いだけの話なのかもしれないけどさ……何ていうかな、あくまで僕の常識の範囲内においての意見だけど、玖渚さんてあまりにハイスペックすぎるっていうか、活用できすぎてる感が否めないんだよ」
 「活用……ですか?」
 「ネットワークをさ。パソコンがすごい人とは聞いてたけど、あそこまでできるってのは正直僕の理解の範疇を超えているんだよ。即興で掲示板立ち上げたり、遠隔でネットカフェのパソコンを操作したり、監視カメラの映像を盗み見たり――たしか研究所のセキュリティを起動させたのも玖渚さんなんだよな?」
 「ええ、私の見てる前で」

 何をどう操作したのか伊織には知るべくもないが、片手間と言っていいくらいの気軽さでセキュリティを起動させる玖渚のスキルは、伊織にとっても驚異的だった。
 常軌を逸していると思うくらいに。
 狂っているとすら思ったほどに。
 理解を超えているどころか、認識すらも超えている。

 「主催が管理しているはずの領域に立ち入りすぎている――それが玖渚さんに対する僕の印象なんだよ。素直に考えれば、玖渚さんのスペックがそのくらい図抜けてるってことなんだろうけど、あえて穿った考え方をするなら――」

 玖渚が最初から「管理する側」の立場だったとするなら。
 すべてのシステムについて、あらかじめ把握していたとするなら。
 それを操作するのも統御するのも、非現実的な話ではなくなる。

 「…………」

 様刻が話を終えると、伊織は数秒だけ何かを考えるように黙り込み、

 「……うふふ」

 と、笑った。

 「まあ、普通の人にはあそこまでやるのは無理でしょうねえ。でもね、様刻さん――」

 様刻が振り返って伊織のほうを見る。伊織の浮かべている笑顔を見て面食らったように、様刻は少しだけ目を剥いた。

 「普通じゃできない、なんてのは、普通でさえなければ簡単にできる、くらいの意味しか持ってないのですよ」

 たとえば「特別」であれば。
 あるいは「異常」ならば。
 もしくは「最強」と呼ばれるような人間であれば。
 常人にとっての不可能ごとなど、彼らにとってはただの日常にすぎない。

 「玖渚さんの能力の高さは、たしかに私たちの理解を超えています。でもそれは単に、玖渚さんが『普通』でない、『異常』であることを証明する要素のひとつにすぎないと、私は思うんですけどね――」

 理解する必要もなければ、疑う必要も私たちにはないんです――と。
 普通の女子高生のような笑顔を浮かべながら、伊織は自分の仲間に対する認識を言って聞かせた。

 「そう――なのかな」

 まあ僕も、本気で疑ってたわけじゃないけどさ――などと無表情のまま呟いて、様刻はまた歩き始める。小走りで様刻の隣へと戻った伊織は、なぜか心なし嬉しそうな表情をしていた。

 「大丈夫かな、玖渚さん……」

 様刻の独白に、伊織はあえて何も返さなかった。様刻もそれ以上は何も言うことなく、ただ目的地へと向けて歩みを進めるだけだった。



   ◆  ◆  ◆



 「もしもし、玖渚さん?」

 斜道卿壱郎研究施設の敷地内へと足を踏み入れた僕が最初にしたことは、火憐さんの持ち物だったスマートフォンで玖渚さんに連絡を入れることだった。
 無事にここまでたどり着けたのは良かったが、視界にそびえ立つ巨大なサイコロのような建物は皆一様に扉を閉ざしていて、入ることはおろかどの建物に玖渚さんがいるのかすら判断できない状況だった。
 見ただけで鋼鉄製とわかる絶縁扉。そうとう特殊な工具でもない限り、壊して入ることも容易ではない。
 鍵穴やインターホンといった親切な代物も見当たらない。あるのは暗証番号を入力するためのものと思しき小さなパネルだけだった。

 「確かにここは、籠城するのにはうってつけかもしれないな……」

 金城鉄壁というほどではないが、堅牢というにはふさわしいかもしれない。
 外から守るというよりは、内に何かを閉じ込めるための巨大な檻のような。
 いったいここは、何を研究するための施設だったのだろうか。

 「まあどっちにしろ、入る前に連絡を入れる心積もりではあったけど……」

 伊織さんは「私から話しておく」と言っていたけど、どう話したところで玖渚さんにとっては、たった一人でいるところに見知らぬ他人が来訪してくるという状況であることに変わりはない。警戒するのは当然のことだ。
 むしろそれなりの警戒心を持っててもらわないと困る。無用心に扉を開け放っていたりしたら、危機管理について注意のひとつもしてやりたくなるところだ。
 火憐さんだったら、きっとそうするだろう。

 「…………」

 そういうわけで僕は、敷地内に入って一番手前にあった建物の前で伊織さんから教えてもらった電話番号へと連絡を入れたのだった。
 果たして返ってきたのは『うぃー』という気の抜けたような、間の抜けたような幼い少女の声だった。

 「伊織さんたちから聞いてると思うけど、彼女たちの代わりに迎えに来た宗像形だ。いま敷地内に入ったところだけど、とりあえずどの建物にいるのか教えてもらえるかい?」
 『あー、それなら多分、一番近くにある建物だと思うよ。待ってて、今セキュリティ解除するから』

 大して待たされることもなく、目の前の絶縁扉が自動で横向きに開く。
 電話口から『どーぞー』となおざりな声が聞こえ、返事をする間もなく向こうから通話を切ってしまった。

 「…………うーん」

 どうやら警戒されているわけではないらしい。本来なら喜ぶべき場面なのかもしれないけど……何か釈然としないものを感じてしまう。
 まあ、すんなり入れてもらえたのは僥倖だったけれど。
 ここは伊織さんがしっかり説明してくれていたおかげだと思っておこう。ありがとう伊織さん。
 スマホをポケットに入れ、建物の中へと入る。
 清潔な感じはするが、窓がひとつもないせいか地下にいるのと似たような独特の閉塞感がある。
 人が住む場所としては異質なのかもしれないが、研究施設としてはむしろ普通なのだろう。箱庭学園も研究施設としての側面を持っていたけれど、あそこは異質のレベルが違うので比較対象にならない。地下に庭園やらグラウンドやらがあるからな、あそこは……。

 「研究、開発、実験――か」

 実験名『バトルロワイアル』。
 不知火理事長はそう言っていたが。
 ここがひとつの実験場だとするのなら、当然そこには何かしらの、確固たる目的が存在するはずなのだけれど、それが何なのか未だに有力な仮説すらも見出せない。
 手段から目的が見えてこないし、現状から思惑が浮かんでこない。
 窓のない部屋の中にいるかのように。
 外側の風景がまるでわからない。
 最初にも思っていたことだけど、理事長にどんな目的があったところで今更それに追従する気はない。それどころか今の僕には、この実験そのものを潰す気構えすらある。
 内側からこの実験を潰すのは困難だと初めのうちは思っていたが、伊織さんを始め、殺し合いを是としていない人は確実にいる(伊織さんいわく、彼女は「我慢している」らしいから微妙かもしれないが)。しかるべき数の協力者が集まれば、主催者に反抗することも容易ではないにせよ不可能ではなくなる。
 伊織さんから少しだけ聞いたところによると、玖渚さんは情報処理の類を得意とするスキルの持ち主らしい。僕には暗器術くらいしか能がないし、そういった技術を持つ人が仲間にいてくれるのは心強い。どんな方向から風穴をあけることができるのかはわからないのだから。
 ゆえに、玖渚さんはここから無事に助け出さなくてはならない。いや、もちろんそんな理由を差し引いた上でも助けようとは思っているが。
 だけどその前に、解決しておかなければならない問題がひとつある。
 あの掲示板を見たときから、ずっと僕の中で引っかかっていた問題が。

 「――ん」

 人の気配を探りながら歩いていくと、ひとつだけ薄く開いた扉を見つける。
 中をのぞいてみると、そこに見えたのは青白い光をぼうっと放つパソコンのディスプレイと、その前に鎮座している一人の少女だった。

 「……入るよ、玖渚さん」

 声をかけ、ゆっくりと扉を開ける。その少女は「んー……」とやはり気の抜けたような声を発し、きぃ、と椅子を軽く軋ませて僕のほうに視線を向ける。
 想像以上に小さな身体。
 その体躯に似つかわしくない、高校の制服らしき深い黒色のセーラー服。襟と袖の部分に百合のマークがあしらわれているのが特徴的だった。
 その短い手足をだらんと投げ出して椅子の上に深く沈みこんだようなその姿勢は、座っているというよりは寝ているような格好だった。僕が電話をかけるまで、ひょっとしたら本当に寝ていたのかもしれない。
 制服の色と対比的に際立つ青色の髪。
 吸い込まれそうな青色の瞳。
 彼女がどんな顔をしているのかはすでに知っていたけれど、こうして直に見るとやはり違う印象を受ける。何がどう違うのか、言葉で説明するのは難しいけれど。

 「きみが宗像形?」

 少女――玖渚さんが眠そうに口を開く。

 「ああ、始めまして――玖渚さん」
 「ふうん、形ちゃんって呼んでいい?」
 いきなりそんな愛称で呼ばれるとは思っていなかったが、特に不快ということもないので「構わないよ」と答える。
 「そう、じゃあ形ちゃん、ちょっとこっち来てもらえる?」

 そう言って玖渚さんは、ちょいちょいと僕を手招きする。廊下に立ちっぱなしだった僕はとりあえずその部屋の中へと入り(コンピューターばかり目に付くが、ここは何の部屋なのだろう?)、玖渚さんのそばまで行く。

 「ちょっとそこにしゃがんでて」

 よくわからないまま、言われるがままにその場で片膝立ちの姿勢になり、目線が玖渚さんと同じくらいになるようにする。
 何だか、少女にかしずいているようで妙な気分になる。
 これは何のための要求なのだろう――と僕がいぶかしんでいると、

 「んしょ」

 と、椅子から身体をすべり降ろすようにして、玖渚さんが僕へとしなだれかかってきた。というか抱きついてきた。
 両腕を首に回し、全体重を僕の身体へとあずけてくる。
 重さは特に感じない。羽のようにというか、空気のように軽い。体力がないというのは本当のようだ。

 「…………?」

 行動の意味がわからず、されるがままになる。
 もしやこの状態のまま、自分を運搬しろという意味なのだろうか。さすがに正面から抱きつかれたまま山道を下るのは危険だし、それ以前に歩きづらいのだけれど……。

 「うーん、やっぱりいーちゃんじゃないと駄目かー」
 十秒とたたないうちに、つまらなそうにそう呟いて玖渚さんは僕を解放する。
 「そろそろ充電したいんだけどなー……本当にどこにいるんだろ、いーちゃん。携帯とか持ってないのかなー」

 玖渚さんの独り言に、僕はただ片膝立ちのまま首をひねるしかない。
 「いーちゃん」というのは、参加者のうちの誰かを指しているのだろうが……。

 「あ、もういいよ形ちゃん。迎えに来てくれたんだよね、ありがと。ただここ出る前に図書館で見つけたっていうDVDが見たいんだけど、出してもらえる?」
 「その前に、ひとついいかな」

 要求を遮って僕は言う。このままだとこちらの言いたいことがひとつも言えないままここから出ることになりそうな気がする。玖渚さんという人は、どうやらかなりマイペースというか、他人の都合に鈍感な性格らしい。
 まあ、僕にしたって人のことを言えた立場ではないが。
 あの学園の、こと十三組に属する人間のうち、他人の都合を優先することができる人間が果たしてどれほどいたというのか。
 それにこれは、DVDの件と無関係ではない。

 「あの掲示板の管理人は、君だね?」

 何となく鎌をかけるような言い方になってしまったが、別に相手の失言を期待した発言というわけではない。
 伊織さんにあの掲示板を見せてもらったときから、管理人の名前が玖渚友であるということを僕は知っていたのだから。

 「ふぅん?」
 今度は玖渚さんのほうが首をかしげる番だった。
 「そのことは話してないって舞ちゃんが言ってたはずだけど……なんでそう思ったの?」

 口ぶりからして、特に隠そうという意図はないらしい。「知ってた」でなく「そう思った」と言ったあたり、やはり鎌をかけたと思われているようだが。

 「伊織さんたちにはDVDのことしか話さなかったけど、実は僕が図書館から持ち出してきたのはそれだけじゃないんだ」

 そう言って僕は背負っていたデイパックを下ろし、中から一冊のファイルを取り出してみせる。
 『参加者詳細名簿』。そう書かれたファイルを。

 「参加者全員の顔と名前と、ある程度の個人情報がまとめられているファイルさ。当然、玖渚さん、君のページもある」

 ファイルを開き、ひとつのページを玖渚さんに見せる。目の前の少女と同じ顔の写真が載せられているそのページのさらに一点を、僕は指で示す。

 玖渚友――通称『死線の蒼』《デッドブルー》。

 この通り名を知っていた僕にとって、掲示板の管理人が使用していたトリップが「◆Dead/Blue」であることを見た時点で彼女の名前と繋げることは可能だった。
 玖渚さんのことを知っている誰かが意図的に彼女の名を騙っているという可能性もなくはなかったが、書き込みの内容やら(博士のところにいる、云々)、諸々の状況を鑑みるに、その可能性は無視していいものと判断した。これで外れていたら運が悪いと思うしかないだろう。
 僕がそう言うと、玖渚さんは「なるほどねー」と得心いった様子でうんうんとうなずく。

 「いーちゃんに気付いてもらえるように付けたトリだったけど、そんなファイルがあるってのは想定してなかったな。まあここで嘘つく必要もないから言うけど、管理人は確かに私だよ」
 玖渚さんの蒼い瞳が僕を捉える。
 「それで、あの掲示板がどうかしたのかな? 管理人として意見はありがたく聴くよ、形ちゃん――いや、今更だけど『枯れた樹海』《ラストカーペット》と呼んだほうがいいのかな?」
 「…………」

 その名前は、伊織さんにも教えていないはずだ。
 だけど、なぜそれを知っているのか問いただしている時間はない。いま僕が優先すべきはそんなことじゃない。

 「その名前は今の僕にはそぐわないよ……それより掲示板についてだけど、あれ自体についてはとても良いと僕は思う。携帯ひとつあれば自由に意見交換が可能だし、この状況であんなものを作成できるなんてさすがだと思うよ」
 「えへへー」

 普通に褒められたと受け取ったのか、屈託なく得意げな顔をする玖渚さん。どこかズレている。

 「だけど問題なのは、書いてある内容のほうだ。伊織さんから聞いてるかもしてないけど、僕はこの黒神めだかって人の知り合いなんだよ」

 自分のスマートフォンに掲示板のページを表示させる。そこに書き込まれている、黒神さんの情報。
 一つ目は曖昧な情報だが、二つ目ははっきりと名指しで黒神さんの名前が出されていて、知り合いが殺された、とまで明言されてしまっている。

 「身内だから庇い立てするとかじゃなく、彼女が誰かを殺すとはどうしても思えないんだ。黒神さんを知ってる人ならみんなそう言うと思うけど、彼女は戦うことはしても、人殺しを肯定するような人間じゃない」

 かつての自分のように、殺人を強く望む人間でもない。

 「つまり形ちゃんは、この書き込みはデマだって言いたいの? 誰かが黒神めだかを陥れる目的でやってるんだって」
 「あるいは単に誤解が生じているのかもしれないけどね……それを確かめるために、僕はここへ来たんだ」

 ファイルをしまい、代わりに十枚のDVDを取り出して玖渚さんに差し出す。
 今までずっと持ち歩くだけだったけど、ようやくこれを見る機会が訪れた。

 「この内のどれかに、掲示板に書いてあった阿良々木暦って人のことが映っているはずだ。それを見れば、少なくともこの書き込みが嘘かどうかははっきりする。意図的に黒神さんを陥れようとしてるならこの映像がそれを否定する証拠になるし、ただの誤解なら、同様にこの映像さえあればそれを解くことができる。玖渚さん。君ならこの映像データを掲示板にアップロードすることも可能だよね?」
 「そりゃまあ、できるけど」

 主催が用意した物に頼るというのは少々癪だが、この書き込みが参加者の間で流布してしまえば、たとえ偽りの情報だったとしても信憑性を帯びてしまいかねない。
 もしこの先、本当に主催と正面から対立する展開になった場合、黒神さんの戦力があるのとないのでは天と地ほど違いがあるといっても過言ではない。
 フラスコ計画をたった一日で潰してみせた彼女が今回の実験に協力的であるはずがない。ひょっとすると、もうすでに行動を起こしている可能性もある。
 ――いや、戦力云々とかそんな理由とは関係なく、黒神さんが誤った情報で孤立するような状況を看過するわけにはいかない。
 善吉くんの死を知らされて、一番悲しんでいるのは彼女のはずだ。
 そんな彼女が、謂れなき罪を背負わされる道理がどこにある?

 「形ちゃんはさー」
 僕からDVDを受け取り、その枚数とナンバーを確認していた玖渚さんが言う。
 「その黒神って人の無実を証明したいからこのDVDを見るの? それとも真実を知りたいからこれを見るの?」
 「え?」

 その問いに、思わず言葉に詰まる。
 真実を知る。無実を証明する。そのふたつは確かに同一ではない。
 なら僕は、どっちのためにここに来た……?
 僕が答えられずにいると、玖渚さんは十枚あるDVDのうち「1」とナンバリングされたディスクをパソコンに挿入する。

 「形ちゃんがその人を信じてるのはわかったけど、信じすぎると真実が見えなくなっちゃうときもあるよ? 誰がいつ誰を殺すかなんて、どうやったってわかりっこないんだからさ」

 そう言って、タタン、と軽やかにキーボードを叩き、DVDプレイヤーを起動させる。
 数秒の暗転の後、ディスプレイに僕のよく知る女性の立ち姿が映し出される。
 見間違えようもない、黒神めだかの姿だった。


  ◇     ◇


 「…………」

 一枚目のDVDを見終えるまでの間、僕は一言も発しなかった。再生が終了した今も、沈黙を保ち続けることしかできなかった。
 何を言えばいいのかわからなかったし、何を言っても無意味なような気がした。
 絶句。
 再生された映像は極めてシンプルなものだった。最初に映ったのは、黒神さんと学ランを来た高校生くらいの男子が向かい合って何かを話している映像。音声のない映像だったため、何を話しているのかはわからなかった。
 二言三言会話をかわし合った後、何の前触れもなく、何の予兆もなく、まるで障子紙を破くようにあっけなく、黒神さんの手刀が少年の左胸を深々とえぐっていた。
 それからついでのように、少年のそばにいた金髪の幼い少女の胸をも素手で貫く。黒神さんが画面からフェードアウトし、血まみれのまま動かなくなった少年と少女だけが映像に残される。
 それに重なるようにして、ご丁寧にも死亡時刻と【阿良々木暦 死亡】というテロップが赤文字で表示されたところで、映像は終了していた。
 これを見て、いったいどんな感想を言えばいいというのだろう?
 玖渚さんはというと、すでに二枚目以降のDVDに取りかかっている最中だった。
 「こうしたほうが早い」と言って、映像を再生している間にも次々にディスクをパソコンに読み込ませ、複数の映像を同時並行してチェックしていた。
 画面にはいくつものウインドウが展開して映像を流しているが、玖渚さんにはそれらの映像がすべて詳細に把握できているとのことらしい。
 うらやましい処理能力だと思う。
 具体的な内容まで(映っている場所など)把握するのは僕にはさすがに無理だったけれど、詳細名簿の情報と合わせて誰が誰を殺したのかはすべて知ることができた。

 「うーん残念、いーちゃんも潤ちゃんも映ってなかったかぁ」

 すべての映像を再生し終え、机の上に置かれている菓子類をもしゃもしゃと頬張りながら玖渚さんは僕を振り返る。

 「で、どうするの? 形ちゃん。無罪証明どころか有罪が確定したような感じになっちゃったけど」
 「……特に庇い立てするってわけでもないけど、僕が知る事実を単純に言うなら、ここに映っている黒神さんは正常な状態の黒神さんじゃない。この黒神さんは――」
 「黒神めだか(改)」
 僕の発言を遮って、玖渚さんは急に説明口調になる。
 「『十三組の十三人』のひとり、都城王土の持つスキル『人心支配』によって洗脳を施された黒神めだかの改造版。『正しさ』すらも放棄した、目的のために人殺しも厭わない危険人格――だよね形ちゃん。確かにこの状態は殺し合いにはもってこいだねぇ」
 「…………」

 僕はそこまで詳しく知っていたわけじゃないのだけれど。
 しかしこれで、疑問のひとつが氷解した。黒神さんが本当に殺人を犯していたという事実には虚をつかれたけれど、少なくとも謎が増えたというわけではない。

 『洗脳』。
 そんな状態のまま、黒神さんはここに連れてこられたということか……玖渚さんの言うとおり、目的は殺し合いを積極的に進めるプレイヤーを一人でも増やしたかったからだろう。
 しかしまた黒神めだか(改)が発現しているということは、王土くんもこの実験に一枚噛んでいるということだろうか? 黒神さんに二度も『人心支配』による洗脳を施すなんてことを、あの王土くんがするとは僕には思えないけれど……。
 でも、そんな事実が判明したところで何が解決するわけでもない。
 黒神めだかが、自らの手でひとりの人間を殺した。
 その事実が、より強固に証明されたというだけのこと。

 「何でみんな、こんな簡単に人が殺せるんだ……」

 僕は思わず呟く。
 黒神さんだけじゃない。このDVDには、掛け値なく「意図的な殺人行為」と呼べるようなものしか映っていなかった(うち一人は人間による殺人ではなかったが)。
 相手に攻撃され、それに反撃した結果としての殺人というのも中にはあったが、それについても「勢いあまっての過失」などと呼べるものではない。
 常に人間の殺し方を考えていた僕には、それがよくわかる。
 中でも衝撃的だったのは、様刻くんが映っていた映像だった。
 血まみれの制服を着た黒髪の女の子の上に馬乗りになり、ナイフで滅多刺しにする様刻くんの姿。すべての映像のうち、その部分だけは口の動きだけで彼が何を言っているのか理解できた。
 『死ね』。
 何度も何度も、繰り返し繰り返し『死ね』と叫びながら執拗にナイフを振り下ろす彼の狂態は、実際に僕が見た様刻くんのイメージとはかけ離れたものだった。
 殺された女の子の名前は病院坂黒猫。たしか様刻くんが、時宮時刻という人のせいで殺された自分の知り合いだといっていたような気がしたけれど……どうして彼自身がその黒猫さんを刺している映像があるのだろう?
 様刻くんに直接聞くか、あるいは伊織さんに聞けばわかるかもしれないけれど……。
 でも、結局のところ変わりはない。
 黒神さんがそうだったように、何か特殊な事情があったところで様刻くんが誰かをその手で殺めたという事実。それに変わりはない。

 「殺人ってのは、突き詰めて言えば問題解決のための手段でしかないからねー」
 僕の呟きに、玖渚さんが言葉を返す。
 「自分に責任がないことが明確だったり、それが正当な行為だって理由付けができる状況だったりすると、人って案外簡単に殺人すら許容しちゃうものらしいよ? ミルグラム効果ってやつ」

 その言葉は僕も聞いたことがある。心理学では有名なアイヒマン・テストにより実証されている、閉鎖空間において権威ある者に命令されると、一般的な道徳観を持つ人でさえ殺人に類する行為を実行してしまうという心理的効果。
 いま僕らが被検体となっているこの実験は、ある意味それに近いものがある。

 「目的があって、理由があって、その上自分の命が懸かってるとなったら、むしろ一般的な人ほど人殺しもやむなしって思っちゃうよね。まあ形ちゃんの場合は目的よりも理由よりも衝動が先にあるわけだから、そのへんは理解しづらいのかもしれないけど」
 「……玖渚さんは、僕たちのことを――箱庭学園のことをどこまで知ってるんだい?」

 さっき訊きそびれたことを改めて訊いてみる。僕の『異常』については伊織さんから聞いたのかもしれないけど、王土くんの『人心支配』や黒神めだか(改)などについては、あの箱庭学園に在籍している人間の中でさえほんの数名しか知らない情報のはずだ。

 「私がここで調べたことは知ってるよ。形ちゃんが所属してる『十三組の十三人』についてとか、フラスコ計画についてとか、さっきの黒神めだか(改)についてもね。あとフラスコ計画が潰されたあとに設立されたマイナス十三組とか、生徒会戦挙についても」
 「? ちょっと待ってくれ、前半はいいけど、後半のふたつについては僕は聞いたことがないな」
 「ああ……なるほどね、つまり形ちゃんは『そのあたりから』来てるわけだ。なるほどなるほどなるほどね――じゃあ『過負荷』とかについても、詳しくは知らないわけだ」
 「……言葉だけなら、聞いたことはあるけどね」
 実際に出会ったことも、一人だけだが――ある。
 「ふぅん……せっかくだし、形ちゃんには教えておいてもいいかな」

 その後に彼女が語った内容は、およそ信じがたいようなものだった。
 まず僕らが、それぞれ別の時系列から連れてこられているという話。どころかひょっとしたら、別々の世界からここに集められている可能性もあるという話。
 そして、僕にとっては未来の話――僕が唯一知っている過負荷(マイナス)、球磨川禊のひきいるマイナス十三組と黒神めだかを中心とする生徒会のメンバーによる、生徒会長の座を巡る生徒会戦挙という名の闘争劇。

 「別々の世界からってのは、自分でも突拍子もないと思う仮説でしかないけどね。でもそう考えると辻褄があってしまう事象が多々あるっていうのは事実」

 僕はめまいを覚える。
 主催に立ち向かうことも可能だと考えていたことが幻想だと思えてしまうほど、その話は壮大すぎるものだった。
 フラスコ計画より大規模な実験であることは予想していたけど、まさかここまでとは……。

 「この際だからぶっちゃけるけど、私にとって黒神めだかは邪魔者なんだよね」
 「……何だって?」
 「今の話を踏まえた上で聞いてほしいんだけどさ、本人は何もしないし何も意図していないのに、ただ存在しているだけで周囲の人々をかき乱し、調和を不調和に変え、結果として事故や事件などの異常事態を頻発させてしまうような人間。そんな人間がいたとしたら、形ちゃんはそれをどう定義する?」
 「それは……」

 少し前の自分なら『異常』と答えたかもしれないが。
 風紀委員の雲仙くんがよく口にしていたことだけど、『異常』というのは「なにかをすれば必ずそうなる」という体質――性質のことを言うらしい。
 でも玖渚さんが言ったそれは、『異常』とはむしろ対極の位置にある性質のように思える。まるで「なるようになるものすら、なるようにならなくなる」とでも言うような、その性質は。
 その『負』を体現したような性質こそが、『過負荷』と呼ぶべきものなのだろうか……?

 「呼ぶべきものなのだろうね。そして、私が守りたいと思っている人こそがまさにそれ」
 玖渚さんの顔つきが変わる。普通なら気付かないくらい微細な変化だったが、それでも室内の温度がにわかに低下したように僕は感じた。
 「いーちゃんと黒神めだかは性質的に相容れない。水と油、S極とN極、正と負のようにね。はじめは虚偽の情報を交えてでも不利な状況に陥ってもらおうと思ってたけど、その必要ももはやない。今の黒神めだかは『正しすぎて危険』ですらない、完全な危険人物。そのことが形ちゃん、あなたの持ってきてくれた情報のおかげで証明された」
 「……ちょっと待ってくれ、君は意図的に黒神さんを孤立させる目的で、あの掲示板を作ったっていうことかい? ――その、『いーちゃん』を守りたいっていう、それだけの理由で」
 「そうだよ。本命はいーちゃんと早く会いたいからって理由だけど。私がここにいてできるのは情報を操作するくらいのものだから、邪魔になる可能性がある人がいるならついでに予防線を張っておこうと思った。それが理由」
 「……だったら僕も君とは相容れないな」
 言っている理屈が無茶苦茶すぎる。
 少々脅しをかけるような言い方をしてでも、この娘にはここで考えを改めてもらわないといけない。
 「僕は伊織さんや様刻くんには協力するつもりだけど、だからって君を仲間と思うかどうかは別だ。その『いーちゃん』にしてもそうだし、まして『過負荷』の味方をするなんてのは御免だ。それに、黒神さんが元の状態に戻る可能性だってないわけじゃない。だったら僕としては黒神さんの味方をして、君とその『いーちゃん』と敵対するっていう選択だって――」

 「させないよ」

 凍てつくような、射すくめるような視線に、不覚にも僕は一瞬固まる。

 「いーちゃんの邪魔はさせないし、いーちゃんにとって邪魔になるような人の味方もさせない。あなたみたいな凡人に『敵対する』なんて言葉を使用されるだけでも不快だよ。いーちゃんはトラブルがお友達みたいな人だから、あなたごときにどうこうできるとは思わない。でも、あなたが意図していーちゃんの邪魔をするというのなら、私はそれを徹底的に妨害する。どんな手を使ってでも」
 「…………」

 いや、ひるむな。こんなものは虚勢にすぎない。
 玖渚さんは情報処理能力に関しては『異常』クラスのスキルを有しているようだけど、逆にそれ以外の能力については人並み以上ということはないはずだ。体力のなさについては、さっき抱きつかれたときにすでに確認してある。
 この娘がいくら情報を操作できたところで、僕の動きを物理的に制限できるわけでも――
            ......................
 「具体的に言おうか。この建物のセキュリティはすでに再稼動している」
 「…………!!」
 「それがどういう意味かわかるよね? この建物は出入り口がひとつしかないから、セキュリティが解除されない限りはカードキーと暗証番号、ついでに網膜認証と声帯認証をクリアしないと外に出ることは絶対に不可能。解除できるのは私しかいない。このまま禁止エリア指定の時間まで過ぎれば、私もあなたもここで一緒に仲良く爆死しちゃうよ?」
 「…………こ、」

 この娘、正気か? いったい何を考えているんだ。
 僕とここで心中したところで、解決するような問題なんてひとつもないじゃないか。僕が死んで黒神さんが止まるわけでもないし、『いーちゃん』とやらが助かるわけでもない。
 単に僕と玖渚さんが人知れず無為に死ぬという、ただそれだけの結果しか生まない不毛極まりない行為。駆け引きとして成立すらしていない。
 なのに、この少女に虚言を吐いているような気配はまったくない。
 僕が発言を撤回しなければ、本当に死を選びかねないほど覚悟に満ちた表情――いや、覚悟なんてものじゃない。自分が死ぬということを、まったくなんとも思っていない。これはそんな表情だ。
 まるで僕の『敵対する』という発言が、自分の死よりはるかに重要なことであるかのように。
 それほどのことなのか?
 僕の言葉は、そこまで彼女の逆鱗に触れるようなものだったのだろうか。

 「私も死にたいと思ってるわけじゃないよ。だけど私にとって、いーちゃんはそのくらい大切だっていうだけのこと。そして形ちゃん、そのくらいあなたにも協力してほしいっていうだけのこと」
 「…………」
 「私に守りたいものがあるように、形ちゃん、あなたにも守りたいものがあるんでしょ? 形ちゃんが私の守りたいものを守ってくれるなら、私も形ちゃんの守りたいものを守るために協力は惜しまないよ。形ちゃんには私にできないことができる。それを私のために使ってくれるなら、きっと何もかもうまくいくよ?」

 そう言って玖渚さんは、僕へと向けて手を伸ばす。
 底なしに無垢な、聖女のような笑顔で。

 「あなたが『仲間』になってくれるなら、私はとても嬉しいな」

 「…………」

 僕の――守りたいもの。
 たとえこの娘が協力してくれたとしても、それを守るのは容易ではないだろう。でも僕ひとりで守れるかといったら、それはおそらく不可能だ。それこそ彼女の得意とする「情報」の力がない限りは。
 だけどここでこの手を握ってしまったら、その瞬間に僕の守りたいものは永遠に手の届かないところに消えてしまいそうな気がする。
 出会ってまだ数分だが理解できた。この娘の持つ『異常さ』は、僕のそれとは程度が違う。
 火憐さんだったら、この場でどんな選択をするのだろうか。
 「それ」を守るために、火憐さんだったらこの手を取るのだろうか――
 僕が手を伸ばしかけた、その時。

 ピコン、と。

 パソコンから小さな電子音が聞こえ、「うに?」と玖渚さんがそちらを振り返る。

 「あ、メールだ。掲示板の連絡フォームから送ってくれたみたいだね。誰からかな――」

 どうやら参加者の誰かが「掲示板の管理人」にメールを送ったらしい。ここに来る前に確認した限り、今のところ掲示板を利用しているのは玖渚さん以外に三人いるようだけど(気付いている人はもっといるのだろうが)そのうちの誰かだろうか。
 玖渚さんはその数行ほどの文章に目を通すと「おやおや、これはこれは」と驚いたような喜んでいるような声を上げ、また僕のほうを振り返った。

 「形ちゃん、さっきの詳細名簿、もう一回見せてもらえる?」



   ◆  ◆  ◆



 拾ったほうの携帯電話を零崎さんに渡し、もうひとつの携帯電話で掲示板の管理者へメールを送ってからものの数分。
 クラッシュクラシック内で何か用事を済ませていたらしい零崎さんが外に出てくるのを見計らったかのようなタイミングで、再び携帯電話が着信を伝える。
 さっきと違って、相手が主催ということはないでしょうし、メールでなく電話のほうだったけれど。

 「……出ていいかしら?」
 「どーぞご自由に」

 零崎さんの了解を得て、電話に出る。
 こちらが何か言う前に、相手の声が耳に流れてくる。

 『はじめまして戦場ヶ原ひたぎさん。僭越ながら掲示板の掲示板の管理者を勤めさせていただいている者だよ。毎度のご利用に加えて連絡先まで教えてくれてありがとう。心からの感謝を貴女に捧げるよ』
 「…………」

 意外なくらいに幼い声。
 慇懃無礼というか、どこか見下しているように聞こえてしまう口調。
 予想はしていたけど、やっぱり管理者からだったようね。連絡先を伝えたとはいえ、こんなにも早く、しかもメールでなく電話のほうを迷いなく選択してくるというのは少々虚を突かれた感がある。
 狙って虚を突いてきたというのなら、感服するしかないのだけれど。

 「はじめまして管理者さん。こちらこそ情報を提供するための場を設けていただいたことと早々に連絡を下さったことに深く感謝を申し上げるわ。早速だけど、いくつか質問させていただいて構わないかしら?」
 こちらも上辺だけ慇懃な口調で返す。下手に出る気は毛頭ない。
 『構わないよ。私に答えられることならね』
 「黒神めだかを殺したいのだけれど、有益な情報があったら教えてもらえるかしら」
 『直球だね。まあこっちも時間がないから率直に答えるけど、黒神めだかが今どこにいるかとか、誰と行動してるとか、あれをどういうふうに対処すればいいかとかは残念ながらわからない。有益といえるような情報はまだ私の手元にはないと言うほかないね』
 「そう、それは残念だわ」
 まあ、期待外れではあるけど予想通りではあるわね。あれの対処法なんて、そう簡単に見つけられるはずがないもの。
 それとも、知ってはいるけどあえて出し惜しみしているのかしら?
 「ひとつ確認するけれど、あなたにとって黒神めだかは敵ということでいいのかしら」
 『そっちも残念だけど、今の時点では排除できるならしておきたい危険人物、としか言えないかな。あなたと違って知り合いが殺されたわけではないし、個人的な恨みがあるわけでもない。ただ、私の前に立たれると邪魔というだけ』
 「つまりは私がうまいこと黒神めだかを殺してくれたら、あなたにとって好都合、といったところかしら」
 『そういうことだね。正直、あの怪物があなたの手に負えるとは思っていないけれど』
 「遠慮のない言い方ね。非常に好感が持てるわ」
 『嬉しいよ、ひたぎちゃん――じゃあこちらからもひとつ質問いいかな』
 「どうぞ。私に答えられることなら」
 『掲示板に書き込みしていた「委員長」って、あなたの知り合いの羽川翼さんで間違いないよね?』
 「……どうしてそう思うのかしら?」
 とっさに白を切るような言い方をしてしまったけれど、おそらく無駄でしょうね。こうも断言するということは、何か根拠があって言っているのだろうし。
 『あなたたちの情報は、ある程度までだけどすでに入手済みなんだよ。どうやって手に入れたかは企業秘密だけど、あなたと羽川さんが私立直江津高校在籍の同級生で、羽川さんが委員長を務めていることは知っている。あの書き込みが直前に書き込んでいたあなたに対するメッセージだと解釈すれば、誰が書き込んだのか類推することは容易』
 「なるほどね……確かにあれが羽川さんだというのは私も同意見よ」
 淀みなく論拠を並べられて、私は認めることしかできなくなる。予想以上にやりづらい相手ね。
 「ただし確信は持てないわ。羽川さんとは、まだここでは出会ってすらいないもの。間違いないと判を押すことまではできないわね」
 『そう、まあそれでいいよ。で、ランドセルランドには行くつもりなの?』
 「それをあなたに教える義理があるかしら? そういえば、私はまだあなたの名前も聞いていないのだけれど」
 『ふふ――そういえばそうだったね。勿体つけて秘密にしておこうかと思ったけど、あなたは割と好感がもてる人みたいだから特別に教えたげる。
 玖渚友。それが私の名前だよ』
 玖渚友――名簿には確かにあった名前ね。女の子だとは思わなかったけれど。
 『もしこの先、私が新たに情報を手に入れたら掲示板に載せる前にあなたに直接連絡をあげてもいいよ。他人に横取りされたくない情報もあるだろうし。ただ、最終的に掲示板に載せるかどうかは私の裁量で決めさせてもらうけどね』
 「そうしてくれるとありがたいわ」
 借りを作ってしまうことになるでしょうけど、そのくらいは受け入れなくてはいけない。
 今の私にとっては、10万どころか500万でも借りとしては安すぎるくらい。
 阿良々木くんの敵を討つためだったら。
 『もう少しお話したいところだけど、さっきも言ったとおり諸事情であんまり時間がないんだよね――私の携帯電話の番号を教えておくから、次からはそっちにお願いできるかな。あなたとは良い協力関係が築けそうだから』
 「あらそう。私もそう思っていたところよ、玖渚さん」
 協力関係ね……ここはむしろ打算といってくれたほうが好感が持てたのだけれど。
 「じゃあこの次、また改めて情報交換ということでよろしいのかしら」
 『うん。でもその前に、一緒にいるって言う顔面刺青くんと換わってもらえる?』


  ◇     ◇


 「もしもし、電話換わったぜ」
 『管理者さん』とか言ってた時点で誰がかけてきたのか察しはついていたが、こんな形で「あいつ」の知り合いと接点を持つハメになるってのは、なんつーか複雑なもんがある。
 これも何かの縁、とでも言うのかね。
 まあ、このお嬢さんと出会っていなかったら電話ごしとはいえこうして会話できていたかどうかもわからんから、縁があったっつーならどっちかというとこのお嬢さんのほうなのかもしれねーけど。
 『はじめまして――かな、零崎人識くん。噂にはよく聞いているよ』
 「噂ァ? かはは、俺に噂なんてもんが存在すんのかよ。零崎の中でも秘中の秘であるこの俺によ。まああんたにとって大抵のことは噂で済ませちまうのかもしれねーけどな、デッドブルーさんよ」
 『ふふ――まあ私が調べたことは京都連続殺人事件の犯人に関する情報であって、あなた自身のことは後から潤ちゃんに聞いただけだけどね』
 「ああ……なるほどな。あの女からの伝聞かよ」
 『うん。電車の中でボッコボコにしたあげく情けをかけて見逃してあげた話とか』
 「…………」
 あの赤女……覚えてやがれ。いつか必ずぶっ殺す。
 『しかし番狂わせだよねえ。「殺し名」第三位、人殺しの才能において右に出るものはそうそういないはずの「零崎」が、もうすでに二人も落命してるっていうんだからさ。どう? 「零崎」として、家族を殺したのが誰なのか気にならない?』
 「はっ、俺の家族は兄貴だけだよ――それに、見ず知らずのてめえにそんなことを言われる筋合いもねえ」
 『あなたの妹さんとは見ず知らずじゃないけどね。舞ちゃんは家族なんじゃないの? 向こうはあなたのことをお兄さんだと思ってるみたいだけど』
 舞ちゃん? ……ああ、「舞織」の「舞」ね。
 「そういやあいつと一緒に行動してるってのはどういうこったよ――まさかそこにいるのか? あいつ」
 『いや、少し前まで一緒にいたんだけどさ、今は舞ちゃんとは別行動してる最中なんだよね。どこにいるかはわかるけど』
 「あっそ。で?」
 『うん?』
 「聞いてやるからどこにいるのか教えろっつってんだよ」
 『あっれー? それが人にものを訊く態度かなー? なーんか教えたくなくなっちゃったけどいいのかなー?』
 うっぜぇ……。
 「じゃあ別にいいわ。じゃあな」
 『あー待って待って待って。本当に聞かなくていいの? 舞ちゃん、しーちゃんのことずっと気にかけてたんだよ?』
 「誰がしーちゃんだ……あのな、俺は確かにあいつの保護者みてーな真似をやってきたけどよ、だからっていつまでも面倒見てやるつもりもねーんだよ。こっちの世界での生き方もある程度仕込んであるし、そう簡単にくたばるとも思ってねえ。独り立ちさせてやるいい機会だろ」
 『冷たいなーしーちゃんは。確かしーちゃんが潤ちゃんに殺されなかったのって、舞ちゃんがいてくれたおかげじゃなかったっけ? それなのにこんなあっさり見放すなんてひどくない?』
 「…………」
 畜生……あの女余計なことばっか吹き込みやがって。嫌がらせのつもりか。
 「あのな、それとこれとは話が――」
 『時系列』
 「は?」
 「気付いてないかな? ここに来ている参加者にはそれぞれ、世界認識と時間認識にズレがある。微細に、あるいは大幅に。舞ちゃんとしーちゃんは世界認識のほうは共通してるかもしれないけど、時間認識のほうはどうかな?しーちゃんは舞ちゃんのことを「もう独り立ちさせても大丈夫」って思ってるかもしれないけど、今ここに来てる舞ちゃんが「そう思える時期」の舞ちゃんかどうかはわからないよね』
 「…………」
 時系列の違いについてはすでに気付いていたが……確かに伊織ちゃんが「いつから」来ているのか知る術は今の俺にはない。
 まさかとは思うが、義手をつけてやる前からとかじゃねえよな……?
 「……んだよ、勿体ぶりやがって。土下座すれば教えてやるとでも言いたいのか?」
 『土下座はいらないけど。見えないし。それよか情報がほしいかな。いーちゃんの言うところの補い合いってやつ』
 「要するに交換条件ね……やっぱ勿体つけてんじゃねえか」
 『舞ちゃんの手前もあるし、あんまりさくっと教えちゃうのも軽率じゃない。もしかしたら、しーちゃんが声だけの偽者って可能性もあるんだし』
 「何で俺は行く先々で本物かどうか疑われてんだよ……」
 あー、あの蝙蝠野郎のせいか。あいつはどのみちぶっ殺す。
 しかし情報ねえ……こいつに提供できるような情報なんてあったっけか?
 それこそ蝙蝠や水倉りすかについて話してみるのもいいが、あいつらに関してはむしろ俺のほうが情報をもらいたいところだし――
 「あー、じゃああの欠陥製品の持ってる携帯電話の番号とかどうよ」
 『え!? 嘘、マジで!? ホントに!?』
 「…………」
 なんだこの喰い付きの良さ……。
 「偶然だが、電話で話す機会があってな……そのときに番号交換したんだよ。メールアドレスも控えてあるけど、そっちもいるか?」
 『うん! いる、超いる! やったー! これでいーちゃんと連絡取れる! うにー。ありがとーしーちゃん。わーい。しーちゃん好きっ!』
 「やめろ、気色悪い……。で、伊織ちゃんの居場所は教えてくれんだろーな」
 『教える教える、超教える。たぶん今頃は図書館にいると思うよ。そこで用事を済ませてから、ランドセルランドで僕様ちゃんと合流する予定』
 「ふうん、図書館とランドセルランドね――」
 また反対側とかだったら諦めてたとこだが、これから向かう方向と一致しているとなると……どうしたもんかね。
 『あ、舞ちゃんの携帯電話の番号もあるけど、そっちも教えようか』
 「つーかそっちを先に教えやがれ……そういやお前、伊織ちゃんと別行動って今どこにいんだよ? もうランドセルランドにいんのか?」
 『斜道卿壱郎研究所ってとこ。掲示板にヒントっぽいこと書いといたのに、誰も気付いてくれなかったなぁ。いーちゃん以外に気付かれても困るけど』
 「は? お前そこ、禁止エリア――」
 『うん、だから今から移動するとこ。そういうわけで時間ないからさくっと番号交換しちゃおうか』
 互いに11桁の番号を言い合い、それぞれ記憶する。俺のほうからはメールアドレスも合わせて教えてやる。
 他人の携帯の番号を勝手に教えあっている形だが、別に気にするような相手じゃねーしな。状況が状況だし、むしろ感謝されてもいいくらいだろ。
 『――うん、OK。ふふ、なんだかんだ言ってやっぱり優しいんだね、しーちゃんは。今ちょっとだけ仲良くなれそうな気がしたよ』
 「ありがとよ。会えたら殺してやるよ」
 『怖いなあ。潤ちゃんから止められてるんじゃなかったっけ? まあいいけど――あ、そうだ。掲示板に新しい情報載せといたから見てみるといいよ。特に一番目と四番目は必見だから、ひたぎちゃんにも教えといて』
 「一番目と四番目? なんだそりゃ――」
 『んじゃまた連絡するね! アデュー、しーちゃん。いーちゃんに会えたらよろしく!』

 プツッ――ツーツーツー……

 「切りやがった……」
 結局ほとんど情報交換できてねーような気がするんだが……まあ時間がヤバいとは言ってたし、何か思い出したら後から連絡すりゃいいだけか……。
 「わり、勝手に切られちまったわ」
 「別に良いわよ。電話番号は控えてあるし。それより、もしかしてあなたもランドセルランドに用があるの?」
 「あん? まあ用っつーか……ていうかあんたも行く予定だったのか?」
 「できることならね。知り合いがそこにいるかもしれないから」
 「は、そりゃ素敵な奇遇だな」
 合縁というか奇縁というのか、あるいは因果とでも言やいいのか。
 「徹頭徹尾、傑作だぜ……」
 携帯を返そうとして、ついさっき聞いたばかりのことを思い出す。そういやあいつ、掲示板がどうとか言ってたっけな……。
 「どうかしたの? とりあえず携帯を返してほしいのだけど」
 「あ、わり。サンキュな」
 とりあえず携帯を返し、そしてさりげなく自分の携帯を取り出す。
 まずは俺が先にどんな情報なのかチェックさせてもらうか……なんかあいつの口ぶりからして、厄介な情報である予感が半端なくするからな。
 携帯を操作して、掲示板のページを開く。アホっぽい発言かもしれねーが、最近の携帯ってホント便利だな。パソコンいらねーじゃん。
 「あ? これって――」
 『情報交換スレ』と書かれた項目に、確かに新しい情報が書き込まれているのを見つける。
 ……どうやら予想通り、厄介な情報のようだなこりゃ。



   ◆  ◆  ◆



 「よーっし! 電話番号ゲットできたことだしさっそくいーちゃんに発信! 発信オーライ! きゃっほう!!」
 「……盛り上がってるとこ悪いんだけど、玖渚さん」
 携帯で通話しながらパソコンを操作するという器用な振る舞いを見せていた玖渚さんが通話を終えたところで、僕はようやく呼びかける。
 「禁止エリアに入るまでの時間がそろそろ危なくなってきてる。これ以上の電話は後にして、脱出のほうを優先してくれないかな」

 ある程度余裕を持って脱出しなければいけないことを含めると、さすがにもう限界だ。
 というか、自分でも「時間がない」と言っておいてなぜ立て続けに電話をかけようとするのか……。

 「むー、やっといーちゃんと話せると思ったのに。まあ仕方ないか、下山しながらでも電話はできるし」
 そう言って携帯電話を制服のポケットに収め、また流れるような速さでキーボードを叩き始める。
 「ほいさっと、セキュリティ解除かんりょー。じゃあ荷物まとめるから三分ほど待っててね、形ちゃん。あ、詳細名簿とDVD返すね。さんくー」
 「……もういいのかい?」
 「うん、中身は全部記憶したし。――さてと、このパソコンとももうお別れだし、ちゃちゃっと整理しようかな」
 「…………」

 何なのだろう、この娘は。
 まるでついさっきまでの僕との会話を忘れてしまったかのように、上機嫌に鼻歌を歌いながらキーボードを叩いている。「荷物をまとめる」というのは、パソコンのデータのことを言っているのだろうか……。
 切り札のように言っていたセキュリティもあっさり解除し。
 僕が「仲間」になるかどうかという問いかけも、はじめからなかったかのような振る舞い。

 (ああ――そうか)

 この娘は、僕のことなんて最初から眼中にないのか。
 この娘にとって今の僕は、自分を禁止エリアの外に運んでくれるための装置でしかないのだろう。それ以上でもそれ以下でもなく、敵でもなければ味方でもない。
 さっき僕が言い放った「敵対する」という言葉も、本当に彼女を不快にさせていたかどうかはわからない。逆鱗に触れるどころか、実際には感情を動かすことすらできていなかったのではないだろうか。

 ――ふん、『合格』だな。お前ならちゃんと資格がある。

 山中であったあの不気味な男は、僕のことをレア・ケースと評したが。
 この青い髪の少女から見た僕は、心を動かすまでもない、取るに足らない存在でしかないのか――

 『いーちゃん』。

 どこの誰とも知らないその誰かに、僕はほんの少しの嫉妬を覚え、かつてないほどに同情した。
 この少女に愛される存在というのは、いったいどんな人間なんだろうか。そしてそれは、どれほどまでに不幸な人生を歩むということなのだろうか。
 こんな異常な存在にとって、特別であるということは。

 「掲示板の連絡フォームからのメールは、僕様ちゃんの携帯に転送されるようにすればいいか――必要なデータはこれの空き部分に保存して……これでよしと」

 「荷物」をまとめ終えたらしき玖渚さんは、デスクトップ型のパソコンに接続されていた黒い箱型の装置を外してデイパックの中にしまいこむ。
 ……外付けのハードディスク?

 「これの中身については、舞ちゃんたちと合流してから改めてミーティングかな――あ、お待たせ形ちゃん。さっそく行こうか」
 「……ああ、行こうか」
 今は、これ以上考えるのはやめよう。それこそ時間の無駄でしかない。
 「時間も時間だし、ちょっと急ぐ必要があるから背負って運ぶことになるけど――」

 言ってからはたと気付く。僕も玖渚さんも自分のぶんのデイパックを背負っているから、この状態で玖渚さんを背負うのはちょっと無理がある。
 玖渚さんを背負ってデイパックは両手に持つという選択肢もあるけど、それだと両手がふさがってしまう上に格好としても不安定すぎるような……。

 「じゃあこうしたらいいんじゃない?」

 僕が考えていると、玖渚さんは椅子の上から僕へと向けてぴょんと跳躍し、首筋にしがみつくようにして僕の身体にぶらさがってきた。

 「あ、ヤバいヤバい落ちる落ちる。支えて支えて」
 「…………」

 僕は黙って、右腕で玖渚さんの小さな身体を抱えあげるようにする。ここに来てすぐ玖渚さんにされたのと同じ、正面から抱き合うような形だ。
 結局この体勢で運ぶのか……まあ、確かにこれならデイパックは邪魔にはならないけど。
 念のため、玖渚さんの支給品のひとつだというゴム紐で互いの身体を(手で簡単に解ける程度に軽く)結んでおく。これなら万が一のとき、とっさに両腕を使うこともできる。
 どこか犯罪的な絵面に見えないこともないが、そこは気にしたら負けだ。

 「ああ……そうだ玖渚さん」
 時間がないのはわかっているけど、僕もひとつ言っておきたいことがある。
 「さっきは敵対する選択もあるなんて言ったけど、あれは撤回するよ。僕は君を敵に回すつもりなんてない――だけど、君が敵視しようとしている人を僕も同じく敵視するかといったら、答えはノーだ。黒神さんを敵と定める気も、僕にはない」
 抱き合うような姿勢のため、玖渚さんの表情を窺うことはできない。もしかしたら聞き流されているのかもしれないけど、構わずに続ける。
 「黒神さんだけじゃない。ここにいる参加者の誰とも、できることなら僕は敵対したくないんだ。僕たちに敵がいるとしたら、それはこんな実験を企てた主催者のはずだ。参加者同士で敵対しあっていたら、それこそ主催の思う壺だろう。
 主催に与するような人がいたら、もちろん闘うさ――だけど排除するためじゃない。救うために闘うんだ。いま生き残っている人たちだけでも構わない。その全員が無事にここから帰れることを、僕は望んでいるんだ」

 火憐さんがそれを望んでいたように。
 悪人がすべて倒され、皆が救われて、最後に正義が勝つ。そんなハッピーエンドを僕も望もう。
 自分は正義の味方だと豪語していた火憐さん。
 彼女が教えてくれたものを、僕は無駄にしたくない。僕は誰も殺さないし、誰も見殺しにしたりしない。

 僕が守りたいものは、
 火憐さんから受け継いだ、「正義そのもの」だから――。

 「正義。正義かあ」
 反応は期待していなかったけど、唐突に玖渚さんがそう呟く。
 くふふ、と含んだような笑い声を漏らしながら。

 「正義。正しく義しいと書いて正義。正義はいい言葉だよね、形ちゃん――しかし形ちゃん。正義と神が闘ったらどっちが勝つのかな」
 「…………?」
 「黒神めだか(改)が元の黒神めだかに戻れたのは、人吉善吉くんって人の力があったおかげっていうのはさっき話したよね。
 その善吉くんがどういう人間なのか私はデータでしか知らないけど、きっと善吉くんは『正義』なんていうご大層な名目を掲げて黒神めだかを助けたわけじゃない。ただ単純に、自分にとって大切な人を助けたいっていう気持ちで助けたんだと思う」
 「それは……僕もそう思う」
 善吉くんが黒神さんを助けるのに『正義』なんて言葉は必要ないだろう。
 正しくなくとも義しくなくとも、善吉くんは黒神さんを助けるためになら命すら張るに違いない。
 「私が思うにはね、形ちゃん。むしろ正義なんてものを標榜してるうちは、きっと黒神めだかを救うことなんてできない。正義ってのは形はどうあれ不特定多数のものを対象にしないと成立しないものだからね。黒神めだかを救うってのは、おそらく黒神めだか一人と徹底して向き合うってことを意味する。あれが求めてるのは、きっと正義なんかじゃなく人間だから」
 僕は答えない。
 玖渚さんはさらに言う。
 「形ちゃんが正義を貫き通すつもりなら、黒神めだかを倒すことはできても救うことはできないと思うよ? 理由はどうあれ一人殺しちゃってるんだし、それを見逃したらやっぱり正義としては失格だよね? 正義を捨てるか、神を棄てるか――形ちゃんはどっちを選ぶのかなぁ」

 まあただの戯言だけどね――と嘯いて、玖渚さんはそれ以上何も喋らなかった。

 「…………」

 ……やっぱり僕には、この少女の内面は理解できない。今の台詞も本気で言っているのか、ただのいい加減な思いつきなのか判断がつかなかった。
 でも、今はこれでいいと思う。
 今の僕ひとりにできることは、目の前の人間を救うくらいのことだ。玖渚さんを無事に伊織さんたちの下へ送り届けること。今はそれだけに専念すればいい。
 黒神さんのことを考えるのも、玖渚さんとちゃんとした協力関係を結ぶのも、その後からでも遅くはないだろう。
 火憐さんの言う「正義そのもの」には程遠いかもしれないけれど。
 『異常』を失った僕には、まずはこの程度が相応しい。
 玖渚さんを抱えたまま、出口へと向けて駆け出す。余計なトラブルさえ起こらなければ、時間までにエリアの外には出られるだろう。
 外の景色が平穏なものでありますようにと、なぜだか僕はそんな意味のないことを願った。



   ◆  ◆  ◆



 宗像形に失敗があったとしたら、それはDVDの扱いに関して玖渚に明言しておかなかったことだろう。
 宗像にとってDVDは「黒神めだかの無実を証明するための証拠品」でしかなかった。だから「黒神めだかが本当に人を殺していた場合」について想定していなかったのがその原因といえる。
 本当ならば、映像を確認した時点で「自分の許可なくDVDを他人に見せないこと」を玖渚に言い含めておくべきだったのだろう。玖渚の性格と都合を考えれば、仮に言っておいたとしても結果は変わらなかったかもしれないが。

 それでも、言質を取っておくくらいのことはしておくべきだった。
 宗像自身、「掲示板に映像をアップロードする」という発想には思い至っていたのだから。

 「黒神めだかは邪魔者」とまで言った玖渚に対し、黒神めだかが殺人を犯した証拠となる映像を自由に扱わせたというのは、宗像にとって失敗以外の何物でもないだろう。
 かくして。
 宗像が図書館より入手した、バトルロワイアルにおける死者の映像を記録したDVD。その中身は玖渚が管理する掲示板の情報交換スレに、動画データとして軒を連ねることになったのだった。

 ただし、玖渚が不都合と判断した映像を除いた上で。


3:情報交換スレ
 2 名前:管理人◆Dead/Blue/ 投稿日:1日目 午後 ID:kJMK0dyj
 第一回放送までに殺された参加者たちの死に際の映像を一部入手しました。
 現在手に入っているぶんの映像だけアップロードします。無修正なので閲覧注意!

 阿良々木暦:[動画データ1]
 真庭喰鮫 :[動画データ2]
 浮義待秋 :[動画データ3]
 零崎曲識 :[動画データ4]
 真庭狂犬 :[動画データ5]
 阿久根高貴:[動画データ6]
 病院坂迷路:[動画データ7]
 とがめ  :[動画データ8]


【一日目/午後/D-7斜道卿壱郎の研究施設】
【玖渚友@戯言シリーズ】
[状態]健康
[装備]携帯電話@現実、ゴム紐@人間シリーズ
[道具]支給品一式、ハードディスク、ランダム支給品(0~1)
[思考]
基本:いーちゃんに害なす者は許さない。
 1:掲示板を管理して情報を集める。
 2:貝木、伊織、様刻、戦場ヶ原に協力してもらって黒神めだかの悪評を広める。
 3:いーちゃんと早く連絡を取りたい。
 4:形ちゃんはなるべく管理しておきたい
[備考]
 ※『ネコソギラジカル』上巻からの参戦です。
 ※箱庭学園の生徒に関する情報は入手しましたが、バトルロワイアルについての情報はまだ捜索途中です。
 ※めだかボックス、「十三組の十三人」編と「生徒会戦挙」編のことを凡そ理解しました
 ※言った情報、聞いた情報の真偽(少なくとも吸血鬼、重し蟹、囲い火蜂については聞きました)、及びそれをどこまで理解したかは後の書き手さんにお任せします
 ※掲示板のIDはkJMK0dyjが管理用PC、MIZPL6Zmが玖渚の支給品の携帯です
 ※携帯のアドレス帳には櫃内様刻、宗像形、無桐伊織、戦場ヶ原ひたぎ、戯言遣い(戯言遣いのみメールアドレス含む)が登録されています。
 ※ハードディスクを解析して以下の情報を入手しました。
  ・めだかボックス『不知火不知』編についての大まかな知識
  ・不知火袴の正体、および不知火の名字の意味
  ・主催側が時系列を超越する技術を持っている事実
 ※主催側に兎吊木垓輔、そして不知火袴が影武者を勤めている『黒幕』が存在する懸念を強めました。
 ※ハードディスクの空き部分に必要な情報を記録してあります。どんな情報を入手したのかは後の書き手様方にお任せします。
 ※第一回放送までの死亡者DVDを見ました。内容は完全に記憶してあります。
 ※参加者全員の詳細な情報を把握しています。

【宗像形@めだかボックス】
[状態]身体的疲労(中) 、殺人衝動喪失
[装備]千刀・鎩(ツルギ)×564@刀語
[道具]支給品一式×2、コルト・パイソン(6/6)×2@人間シリーズ、スマートフォン@現実、「参加者詳細名簿×1、危険参加者詳細名簿×1、ハートアンダーブレード研究レポート×1」、「よくわかる現代怪異@不明、バトルロワイアル死亡者DVD(1~10)@不明」
[思考]
基本:阿良々木火憐と共にあるため『正義そのもの』になる。
 0:玖渚さんと一緒に禁止エリアから脱出する。
 1:主催と敵対し、この実験を止める。そのために黒神さんを止める。
 2:機会があれば教わったことを試したい。
 3:とりあえず、殺し合いに関する裏の情報が欲しい。
 4:玖渚友に対する不信感。だけどできれば協力してもらいたい。
 5:『いーちゃん』がどんな人なのか気になる。
[備考]
※生徒会視察以降から
※めだかボックス、「十三組の十三人」編と「生徒会戦挙」編のことを玖渚から聞いた限りで理解しました
※阿良々木暦の情報はあまり見ていないので「吸血鬼」の名を冠する『異常』持ちだと思っています
※無桐伊織を除いた零崎四人の詳細な情報を把握しています
※参加者全員の顔と名前などの簡単な情報は把握しています
※危険参加者詳細名簿には少なくとも宗像形、零崎一賊、匂宮出夢のページが入っています
※上記以外の参加者の内、誰を危険人物と判断したかは後の書き手さんにおまかせします
※携帯電話のアドレス帳には櫃内様刻、玖渚友が登録されています
※第一回放送までの死亡者DVDを見ました。誰が誰にどうやって殺されたのかは把握しています

※死亡者DVDには「殺害時の映像」「死亡者の名前」「死亡した時間」がそれぞれ記録されています


【1日目/午後/C-3 クラッシュクラシック前】
【戦場ヶ原ひたぎ@物語シリーズ】
[状態]健康、強い罪悪感、しかし確かにある高揚感
[装備]
[道具]支給品一式×2、携帯電話@現実、文房具、包丁、炸裂弾「灰かぶり(シンデレラ)」×6@めだかボックス、賊刀・鎧@刀語、斬刀・鈍@刀語、お菓子多数
[思考]
基本:優勝する、願いが叶わないならこんなことを考えた主催を殺して自分も死ぬ。
 1:本格的に動く。協力者も得られたし頭を使ってうまく立ち回る。
 2:阿良々木君の仇を取るまでは優勝狙いと悟られないようにする。
 3:黒神めだかは自分が絶対に殺す。そのために玖渚さんからの情報を待つ。
 4:貝木は状況次第では手を組む。無理そうなら殺す。
 5:掲示板はこまめに覗くつもりだが、電話をかけるのは躊躇う。
 6:ランドセルランドに羽川さん……?
[備考]
 ※つばさキャット終了後からの参戦です。
 ※名簿にある程度の疑問を抱いています。
 ※善吉を殺した罪悪感を元に、優勝への思いをより強くしています。
 ※髪を切りました。偽物語以降の髪型になっています。
 ※携帯電話の電話帳には零崎人識、戯言遣い、ツナギ、玖渚友が登録されています。

【零崎人識@人間シリーズ】
[状態]健康
[装備]小柄な日本刀 、携帯電話@現実
[道具]支給品一式×6(内一つの食糧である乾パンを少し消費、一つの食糧はカップラーメン一箱12個入り、名簿のみ5枚)、医療用の糸@現実、千刀・ツルギ×2@刀語、手榴弾×1@人間シリーズ、青酸カリ@現実、S&W M29(6/6)@めだかボックス、大型ハンマー@めだかボックス、グリフォン・ハードカスタム@戯言シリーズ、デスサイズ@戯言シリーズ、彫刻刀@物語シリーズ
[思考]
基本:戯言遣いと合流する。
 1:戦場ヶ原ひたぎと行動、診療所へ向かう。ひたぎは危なっかしいので色んな意味で注意。
 2:伊織ちゃんと連絡を取る。合流するかどうかは後から決める。
 3:兄貴には携帯置いておいたから何とかなるだろ。
 4:真庭蝙蝠、水倉りすか、供犠創貴、宇練銀閣を捕まえる。
 5:西東天に注意。
 6:事が済めば骨董アパートに向かい七実と合流して球磨川をぼこる。
 7:哀川潤が放送で呼ばれれば殺人をしないつもりはない。
[備考]
 ※曲絃糸の射程距離は2mです。
 ※曲絃糸の殺傷能力(切断・絞殺など)は後の書き手さんにおまかせします。
 ※りすかが曲識を殺したと考えています。
 ※Bー6で発生した山火事を目撃しました。
 ※携帯電話の電話帳には戯言遣い、ツナギ、戦場ヶ原ひたぎ、無桐伊織が登録されています。
 ※参加者が異なる時期から連れてこられたことに気付きました。


【1日目/午後/F-7】
【無桐伊織@人間シリーズ】
[状態]殺人衝動が溜まっている
[装備]『自殺志願』@人間シリーズ、携帯電話@現実
[道具]支給品一式×2、お守り@物語シリーズ、将棋セット@世界シリーズ
[思考]
基本:零崎を開始する。
 1:曲識、軋識を殺した相手や人識君について情報を集める。
 2:今は様刻さんと一緒に図書館へ向かいましょうか。
 3:黒神めだかという方は危険な方みたいですねえ。
 4:宗像さんと玖渚さんがちょっと心配です。
[備考]
 ※時系列では「ネコソギラジカル」からの参戦です。
 ※黒神めだかについて阿良々木暦を殺したらしい以外のことは知りません。
 ※宗像形と一通りの情報交換を済ませました。
 ※携帯電話のアドレス帳には箱庭学園、ネットカフェ、斜道郷壱郎研究施設、ランドセルランド、図書館の他に櫃内様刻、玖渚友、宗像形が登録されています。

【櫃内様刻@世界シリーズ】
[状態]健康 、『操想術』により視覚異常(詳しくは備考)
[装備] スマートフォン@現実
[道具]支給品一式、影谷蛇之のダーツ×10@新本格魔法少女りすか
[思考]
基本:死んだ二人のためにもこの殺し合いに抗う。
 1:図書館へ向かう。
 2:時宮時刻を殺したのが誰か知りたい。
 3:玖渚さんと宗像さんは大丈夫かな……。
[備考]
 ※「ぼくときみの壊れた世界」からの参戦です。
 ※『操想術』により興奮などすると他人が時宮時刻に見えます。
 ※黒神めだかについて詳しい情報を知りません。
 ※スマートフォンのアドレス帳には玖渚友、宗像形が登録されています。
 ※阿良々木火憐との会話については、次以降の書き手さんに任せます。


支給品紹介
【ゴム紐@人間シリーズ】
玖渚友に支給。
人間の力では伸びも縮みもしない特殊なゴム紐。頑丈な刃物でなければ切断することも容易ではない。
「緊縛女子高生之図」を構成する重要な要素。


Daydreamers 時系列順 Overkilled Red(Overkill Dread)前編
Daydreamers 投下順 Let Loose(Red Loser)
神隠し(神欠し) 宗像形 Overkilled Red(Overkill Dread)前編
繋がれた兎(腐らせた楔) 玖渚友 Overkilled Red(Overkill Dread)前編
解放された者と抑える者 無桐伊織 零崎舞織の暴走
解放された者と抑える者 櫃内様刻 零崎舞織の暴走
――かもしれない何かの話 戦場ヶ原ひたぎ 君の知らない物語(前編)
――かもしれない何かの話 零崎人識 君の知らない物語(前編)

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最終更新:2013年12月03日 10:48