無様な剣芸 ◆j893VYBPfU
先に逃がした赤き少女を守る為、朱色の竜殺しの剣を手にした
紅の剣士が走る。
ヴァレリアの女王を守るため、まさにその為の名を冠した青き剣を携える少年が猛る。
青々と生い茂る草々を踏みしだきながら、二人の剣士は剣を交えていた。
二人の握る剣の軌跡が幾度ともなく蒼と緋の残像を生みだし、
二人の間に火花という名の危険な毒花を咲き散らせていた。
二人の剣が地表をかすめただけで周囲の草々は刈り取られ、
斬撃の為に踏み抜いた地面は無残にえぐり抜かれている。
そう、それはまさに台風が駆け抜けた後というに相応しい光景であり、
叙事詩に謳われる英雄達の戦いの再現であった。
互いのデイバッグは、既に傍らに捨て置かれていた。
そう、実力が伯仲するからこそ、紙一重の差が勝敗を決することになるのだ。
ならば、少しでも動きの妨げになるものはいち早く放棄するに限る。
二人にとって、この勝負とはそれほど余裕のないものである。
――だが、この無造作に放置されたデイバッグが勝敗までも決定するとは、
この時は誰一人想像だにしなかった。
◇ ◇
ナバールはこれまでの僅かなやり取りから、この姉弟の人間性と戦力を冷静に値踏んでいた。
弟は、実戦において相当の場数を踏んでいるかと思われる。
それは先ほどの剣を姉の代わりに受け止めた技量から考えても明らかだ。
剣を受け止めるという行為は、口で言うほどに簡単なものではない。
ただ避けるだけであれば、その動体視力と運動神経にものを言わせればよい。
だが向かってくる刃を防御し、正面から受け止めるとなればそれに見合う技量と、
その力のベクトルに拮抗するだけの相反する力を生みだす事が必要となる。
全体重を乗せた必殺の剣なら、なおさらだ。
安定感のない構えでは剣ごと弾き飛ばされ、あるいは切り捨てられてしまう。
微弱な備えが台風がごとき暴威には為すすべもなく飲まれ、蹂躙されるは道理。
技量差があれば、鍔迫り合いにさえ至ることはないのだ。
果たして、目の前の少年はその防御を見事にやってのけた。
それも自らではなく、他人を守るという困難をも上乗せした形で。
少なくとも、こちらに互するだけの力はあると考えた方がよい。
ただし、年相応に駆け引きには疎く、偽攻や奇襲のような剣は知らないようだ。
愚直なまでに真っ直ぐに過ぎる、ただし何よりも力強く勢いに満ちた若き剣。
先程の発言からある程度の想像は付いていたが、
その剣までもが精神を表わすかのように純粋で素直すぎるのだ。
だからこそ状況の変化に柔軟に対処することができず、
ここに呼び出された際には心が砕け、殺人鬼になり果てたのだろう。
出会う時と場所さえ違えば、あるいは共に剣を語る朋友となりえたかもしれない。
だが、もはやその機会は永久に失われた。
何より、アカネイアの希望の芽を摘み、さらなる悲しみの芽を
振り撒くものどもを生かしておくつもりはない。
一方、姉の方は弟と異なり相当の曲者と踏んだほうがよい。
現に今もなおこちらの『潜在的脅威』となろうと、
優位に遠距離から攻撃できる場所取りに奔走している。
それもこちらの集中力をかき乱すべく、その姿を視界の片隅に
わざと捉えられるように動くあたり、その計算高さも中々のものだ。
魔法を乱用しないのも、無駄な消耗を抑えるためと、
自らの回復の時間を稼ぐためでもあるのだろう。
二人の返り血の乾き具合の差から考えて、
あの姉が先ほど
マルス王子を直接殺害したことは間違いないようだ。
殺害状況は正確に急所を一突き。ほぼ即死の状態であろう。
その手際の良さから察するに、刃物の扱いには相当手慣れている。
マルス王子とて一線級の剣士には及ばぬものの、数々の竜さえも屠り続けた人物である。
不意でも討たねば、そう易々と殺される人間ではない。
―――察するに、人を欺く才に長け、数多ある魔法を使いこなし、尚且つ剣に覚えのある才女。
つまり目の前の黒い司祭は、ある程度剣の手ほどきを受けた魔法剣士と呼ばれる稀有な人種なのだろう。
だが、純粋に剣の腕だけなら先ほどの反応から考えて、弟には遠く及ばないようだ。
魔法や剣による単なる力押しを厭い、臨機応変に対処してその狡猾さで確実に勝利を拾うタイプ。
そういった点から考えても、この姉弟は実に対照的だ。
二人はあらゆる意味で互いに欠けた部分を補う、それは理想的な組み合わせなのだろう。
―――ならば。
少年にはその経験の差というものを、女には本当の老獪さというものを教えてやろう。
対価は、当然その生命だ。
ナバールは不敵に笑みを浮かべると、構えを取り直した。
◇ ◇
さらに何合か剣を打ち合わせ、お互いの立ち位置が何度となく入れ替わる。
そして、その中で僕は気付いた。
目の前の剣士の立ち位置が、僕と姉さんに挟み込まれる形となっていることに。
しかも、姉さんが剣士の背後という絶好の位置を取っていることに。
そう、絶好の同時撃ちのポジションだ。
僕が目の前の剣士との戦いに全力を尽くしている間に、
姉さんはその背後から好きに攻撃することができる。
では、魔法で仕留めてもらおうか?
――いや、今それは難しい。
これ以上の光の矢の乱用は姉さんの疲弊具合からも考えても厳しい。
意識を失うまで使用するならあと数発だが、実践であることを考えれば、残りあと一発。
精神の衰弱と息の上がり具合から考えて、これ以上は走ることさえも困難になる。
しかも、もし回避されてしまった場合、二対一のメリットがなくなるどころか
満足に動けぬ人間を抱えることになり、圧倒的に不利となってしまう。
第一、この位置関係だと万一目の前の男に避けられると自分に直撃する恐れさえある。
数々のリスクから考えて、魔法は諦めた方がいい。
――ならば、剣はどうだ?
そう、まだ姉さんは目の前の剣士にはその腕前は披露していない。
無論、目の前の剣士には遠く及ばないが、正規の訓練を受けた人間のそれを凌駕するほどの腕はある。
そう、油断した、あるいは身動きのとれない人間からたった一撃で急所を正確に刺し貫く程度には。
目の前の剣士が魔法しか使えぬと考えているなら、しめたもの。
僕が全力で目の前の剣士に立ち向かい、集中力を奪う。
そして呼吸を合わせて前後から刺し貫く。
もし仮に僕達の動きを察知していたとしても。
目の前の剣士に腕は二本しかついておらず、
そして斬撃を防ぐことができる剣は一本しか持ち合わせていない。
そう、殺し合いとは常に民主的なのだ。悪貨が良貨を駆逐する。
数の暴力が、その質・正当性に関わりなく勝利を収めるのが道理。
ましてや、その質においてもこちらは一人だけで既に目の前の剣士とほぼ等価。
敗れる要素など何一つない。
僕は姉さんとその手に持つナイフに目配せを行うと、姉さんは無言でコクリとうなづいた。
こちらの意図を読んでくれたようだ。
このあたりは、長年連れ添ってきた姉さんとの以心伝心というところか。
僕は出来るだけ目の前の剣士の意識がこちらに集中するように、大上段から構えゆっくりと近づく。
実力が等しいもの同士、防御を捨ててしまえば相討ちになる可能性が極めて高い。
これで、あいつもこれで自分から立ち向かうことは避けるだろう。
事実、あいつは剣を脇に構えたきり、向こうからは何も手を出そうとはしない。
僕の動きに合わせて、姉さんも音を立てることなく、摺り足で目の前の剣士との幅を縮める。
こちらの思うつぼだ。後は呼吸を揃え、一気に前後から刺し貫く。それで全てが終わる。
やがて、僕と姉さんの二人が、一挙動で目の前の剣士に致命傷を
負わせることができる距離まであと一歩の所まで近づいた時…。
――目の前の剣士が爆ぜるするように動きだした!
左足を軸に右回転しつつ、円形を描くように剣を一閃!
それは旋風すら巻き起こし、剣先が僕の腹と姉さんの胸をかすめる。
傷こそ負わなかったが、今まさに踏み込もうとした僕と姉さんの攻め気を挫き、
動きをわずかの間その場に縫いとめるには十分な動きだった。
呼吸を合わせた攻撃ほど、その機を逃せば再構築は難しくなる。
…仕方あるまい。僕達は揃って後ろに引き、間合いを取り直す。
気付いていたのか。ここまでは見事だ、と言いたいところだが…。
惜しかったなッ!起死回生の反撃も、当たらなければ何の意味もないッ!
――ほんの一時、こちらの動きを止めた程度で何になるッ!
衝撃から立ち直るのは、姉さんより僕のほうが早かった。
僕は構えを直すと、そのまま目の前の剣士の動きを抑えるべく牽制に――。
な、なんだとッ!
目の前の剣士は脇構えの姿勢を崩さず、
僕を追うようにさらに大きく踏み込んでくるではないかッ!
いけないッ!このままでは本当に相討ちになるッ!
せめて一人だけでも道連れにしようとでも言うのかッ!
この男の剣は、腕の力だけで到底止められるものではない。
ましてや、背後からの攻撃を知りつつ捨て身の攻撃を取るというのだ。
その最期の剣の威力は、推して知るべし。
僕は慌てて腰を落として両足を踏ん張り、防御に専念する姿勢を取る。
その体に即応性と柔軟性は完全に失われるが、
これから向かう決死の刃への防御にはこれが最善となる。
お前の道連れなど御免だッ!
そう、この一撃さえ完全に抑え込めれば、後は今立ち直った姉さんが、
こいつの無防備な背を刺し貫くことになる。
だが、剣士はこの僕に斬撃を加えようとはせず、目の前で後足を軸に急速に反転。
こちらに背を見せた際、目の前の剣士の口元がニヤリと冷笑に歪むのを僕ははっきりと見た。
…まさかッ?!
今度こそ、後ろの魔法剣士にカウンターを取る形での、『必殺の一撃』が放たれる。
その斬撃の軌跡の先には、今まさにナイフで背後から剣士を刺し貫こうとした
姉さんが驚愕の表情で為す術もなく立ちすくんでいた…。
しまったッ!これではすぐに止められないッ!
あいつの狙いは、初めから姉さんだったというのかッ…?!
◇ ◇
思えば、最初からあまりにも事が上手く運び過ぎていた。
相手はこれまでの動きや死体の状況からこちらの戦力を冷静に分析した後、
それを逆手に取るように動いていたのだ。
そう、わざと挟み打ちにされやすいようにあの剣士が動いており、
こちらは最初から罠にはめられていたのだ。
二対一という本来は不利な状況をあえて利用し、
撒き餌を仕掛けて自らの望む未来に敵二人を手繰り寄せ、
その真意を悟られぬままに場の主導権を掌握する。
おそらくは、自由に動き回られて魔法で援護された時こそ厄介であると判断し、
姉さんが「多少剣を使える」という事実を利用して、
その腕を頼りとしたくなるようにこの斬撃の届く危険地帯に引きずり出したのだろう。
――己の身一つを餌にして。
姉さんの消耗具合から、魔法の乱発をできれば避けたいという心理まで逆手に取り。
この位置関係では、この防御に固まりきった姿勢では、僕は姉さんを守る事はできない。
なんという老獪さだ。
おそらく、この目の前の剣士は僕達とは比較にならぬほどの修羅場を生き抜いてきたのだろう。
そして最後の冷笑さえも、おそらくは計算の中で行動されたものの一つ。
戦闘とは、腕が互角であるほどに些細な差が勝敗を決定づける。
己の愚策で最愛の者を失うという失態を思い知らせ、
こちらの剣をさらに鈍らせるための。
その剣は姉さんをあやたまらずに斬り捨て、そして返す刀で僕に向かうだろう。
その姉さんの返り血に染まった凶刃を防ぐ自信は、僕にはない。
なんという、なんという浅はかさだ…。
――姉さんッ!
僕は思考に追いつかない身体にこれほどもどかしく、
呪わしく感じたことはなかった。
◇ ◇
ナバールは独楽のように旋回し、今度こそ秘めた必殺の剣を振るう。
目の前には、まさに背後から腎臓あたりを一突きにせんと短剣を構え
足を踏み出した女が驚愕に目を見開いていた。
――まずは一人。
先程目の前の少年に向けた嘲笑とは裏腹に、ナバールの心は冷静の極地にあった。
全ては己の手で手繰り寄せ、敵を思い通りに操作する。
そして導き出した当然の帰結に従い、淡々と作業を行うのみ。
そこには何の感慨も湧かず、
ましてや主君の仇に対しての憎悪や、
状況を覆した勝利への歓喜さえもない。
いわゆる剣を極めた者だけが持ち得る、
明鏡止水の心境に至っていた。
目の前の女を逆袈裟に切り裂き、ついで背後の少年からは首筋を頂く。
弩から放たれた弓矢がごとく、今度こそ爆ぜる勢いの「必殺の一撃」が放たれようとした時―――。
ッ?!
ナバールは己の力が抜け、体全体が地面に縫いつけられる錯覚を感じた。
いや、これは錯覚ではなく、幻覚でもなければ、冷厳なる事実。
それも、よりおぞましい形での。
目の前の女の足元――。
少年が捨て置いたデイバッグの中身から、無数の悪霊どもが泉のごとく湧き出し、
それが何時の間にかこちらの足元から全身に纏わりついていたのだ。
怨嗟に塗れた、声なき声をその顎から震わせながら。
生者への羨望と嫉妬、憎悪に満ちた視線で。
こちらの動きを呪縛し、冥府へと引きずり込まんとばかりに。
急速に意志が萎える。
全身から悪寒が走り、正常に立つことさえ困難に感じられる。
足からは躍動性が消え、腕からは瞬時にその力が失われる。
まるで身体が鉛の質量を得たかのように。
歯の根が噛み合わない。
体温が根刮ぎ奪われる。
目の前の、今まさに命を奪わんとしている無力な女が、
たちまち畏怖すべき、おぞましき鬼女にさえ見えだした。
無論、これが女が持つ威厳によるものでなく、
何らかの支給品の超自然の力によるものは明白。
戦闘によって一度たりとも折れることのなかった意志が、自らにそう告げる。
それはこちらの感情と意志を横合いからへし折り、
戦闘の条理さえも捻じ曲げんとする、まさに超自然による不条理。
――だが。
そんな作りものが押しつける紛い物の感情に、この紅の剣士が容易く屈すると思うな!
ナバールは精彩を欠いた身体を無理やり振るいたたせると、
震える腕の力だけで目の前の女を斬り裂いた。
だが、硬い。肉を斬り裂くにしては、手応えが異常なまでに硬い。
強い力で押し戻されるような感触に、こちらの踏み足さえも乱れる。
どうしたというのだ、この違和感は?
刃が女の左腰から右胸へと駆け抜けて、少し遅れて服が裂け血が溢れ出す。
その二度裂けたその黒い衣装の隙間からは、二つに割れた銀色に輝く楯が覗いていた。
おそらくはその支給品を手に入れた際、手に持てば邪魔になると判断し、
予め鎧代わりにと胸板にでも仕込んでおいたのだろう。
そして、それは遺憾なくその効果を発揮し、その役割を全うし終えた。
――そういうことか。
両断するつもりの一撃であった。
乾坤一擲の一撃であった。
だが、怨霊どもと装備に阻まれ、致命傷を与えることさえ叶わなかった。
決して傷は浅くはないが、この手ごたえでは少なくとも即死には至らぬだろう。
本来はここからさらに追撃に入り、止めを刺したい。
だが、これ以上目の前の少年に背を見せ続けるわけにはいかないだろう。
ナバールは膝から崩れ落ちる女の状態を横目で見ながら、
さらにそのままの勢いに任せて半回転を行い、少年の喉を狙う。
一方、少年は目の前で姉が切り裂かれたことによる動揺と、
それ以上に激昂に身をゆだねていた。
うおおおおおおおおぉぉぉぉッ!!!
獣の咆哮。まさにそう呼ぶにふさわしい雄叫びを、
だが獣には似つかわしくない人間の悲憤の涙を浮かべ、
大上段から、今度こそ紛れもない保身なき一撃を見舞わんとする。
それはまさにこれまでに無い、ナバールの剣と等しき必殺の剣。
だが、悲しいかな。その復讐の刃はほんのわずかに出遅れていた。
普段のナバールなら、そのまま少年の狂乱の剣がその体に達する直前に
その首を叩き落していただろう。
――だが、しかし。
バッグから染み出した亡霊達は未だナバールの全身を蝕み、
その全身を腐肉に群がる蛆のごとく群がったままであった。
それが、少年のものであった僅かな出遅れを、
まるで剣士のものであるかのように変えるほど条理を捻じ曲げる。
剣士に纏わりつく亡霊どもが、今まさに新たな同胞を得られるという
至上の瞬間の歓喜に、その落ち窪んだ眼窩の炎を爛々と輝かせる!
「…いくぞッ!! 神鳴明王剣ッ!!」
少年が余計な消耗を避けるためにこれまで封印していた、
死者の宮殿から亡者より学びとった奥義を今まさに解き放つ。
離れた剣先より、疾風…いや具風とも言うべき刃が駆ける。
繰り返す。
戦闘とは、腕が互角であるほどに些細な差が勝敗を決定づける。
その結果。
ナバールの剣が首筋を捉える直前に、
少年の剣が袈裟切りにナバールを捉えていた。
二度めの、盛大な血飛沫があがる。
ナバールの剣が虚しく空を斬り、未練のように
デニムの首の皮一枚をかすめる。
その体は先程の旋回する勢いを残したまま仰向けに地に伏せた。
ナバールの傷は目の前の女に対して付けた傷よりもなお一層深く、
そして胸板から噴き上げる血潮の量はその倍にして余りある。
それは、誰が見ても一目で分かる致命傷のそれであった。
◇ ◇
「――俺が敗れた、か。」
目の前の少年の首筋を斬る感触よりも先に得た、
胸板から下腹部まで駆け抜けた灼熱の感触で、
ナバールは己が敗北した事を悟った。
その四肢はおろか、指先さえもがぴくりとも動かない。
肺から溢れる血で、口を動かすことすらままならない。
僅かに下へ動く目線で傷の状態を確認するが、
下腹部からわずかに内臓らしきものがはみ出している。
即死しなかったことが不思議なほどだ。
これでは、せっかく頂いた貴重な飴も意味を為さぬであろう。
いや、もはや取り出す気力さえも残されてはいないが。
――視界が、急速に暗くなる。
口から溢れる鉄錆の味が
こちらに駆け寄る少年の足音が
己の身体から吹き出す血潮の匂いが
呼吸をするたびに肺に走る激痛が
地面に背を付けた冷たい感触が
――世界と己との繋がりを示す、五つある感覚の一切が途絶える。
どうやら、俺はこれまでのようだ。
だが、目の前の姉弟も傷の治療で暫くは
ベルフラウを追うことは叶わぬだろう。
なんとか、あの勝気な小娘をしばらく守ることだけは成功したということか。
ならば、いい。
…いや、よくはないか。
いずれあの小娘も放送で俺の死を知らされた時、
またしても顔を紅潮させて大粒の涙を浮かべながら
「どうして、どうして貴方は何もかも勝手に決めて、
勝手に死んで、私の意思を何一つ尊重しませんの!
最期まで、ほとんど名を呼んでくださりませんでしたし!
散々淑女をないがしろにして、あげくエスコート一つ満足に出来ない、
顔だけが取り柄の殿方だなんて、本っっっ当に最低ですわ!」
と物言わぬ俺に声を限りに抗議する様が目に浮かびそうだ。
アティという彼女の師も、この我儘娘をあやすのにさぞ骨を折ることだろう。
あの小娘は、死んだ後でさえこの俺を悩ませる気か?
なんという世話の焼ける小娘だ。
苦笑が漏れた。
…馬鹿な話だ。
今、こうして死ぬ時までもが女がらみとはな。
思えば、女に振り回された人生であった。
本来俺は、雇い主の主義主張さえも問わぬ孤高の傭兵であるはずだった。
それが、数年前に修道女を見逃してから、全ては変わってしまった。
女天馬騎士には裏切りを唆され、何時の間にか救国の英雄と呼ばれていた。
数年後には姦しい女に付きまとわれて二度盗賊団を裏切ることになり、
望みもしないのに二度アカネイアの歴史に名を残す事になる。
そしてこの異国の地ではさらに幼い小娘の御守と来た。
さらにはここでは決め事をも破って女を斬ることになり、
とどめにはまだ出会ったこともない小娘自慢の師の気苦労に同情している。
これではまるで、孤高どころか女の尻ばかり追いかけているようではないか?
…ああ、本当に馬鹿な話だな。
思わず苦笑が漏れる。だが、悪くもない。
少なくともこの俺を斬った少年のように、
己を見失い殺人鬼に堕すことだけはなかったのだから。
俺が俺であり続けたままで、生涯を全うする。
――ならば、それで充分だ。
マルス王子は守れなかったが、あの小娘はひとまず守ることができた。
この救いのない異郷の地で、ささやかなものであっても守れたなら本望だ。
いや、『ささやか』と評すればまたあの小娘が声を限りに抗議しそうだが。
「フッ…、馬鹿な話だ…。」
ナバールは最期にそう唇を動かすと、
その意識を完全に、二度と醒めぬ暗闇に委ねた。
◇ ◇
地に足を付けるは、ただ一人。
だがしかし、その者が勝利に酔うことはなく、
この場にいる三人の誰よりも覇気に欠け、
生気に欠けた死人の顔のそれであった。
デイバックから覗く、悪魔のしゃれこうべで造られた兜から漏れ出した怨霊達が、
此度の勝利者を祝福し、または嘲笑うかのようにデニムの周囲を舞う。
その禍々しき兜の名は、「スカルマスク」。
伝説のオウガバトルにも謳われた、暗黒魔道器の一つ。
効果の程は一度手にした事もあるためデニム達も知り抜いていたが、
あまりにも外見が禍々しすぎるため対人交渉に支障が生じると判断し、
最初から所持していたが今まで装備しなかった曰くつきの兜だ。
その主にさえ疎まれ手に取られる事のなかった不遇の兜が、
今まさに忠義を尽くさんと本来の主を守り抜いた。
・・
これから仲間を迎え入れられる歓喜に、その身を打ち震わせながら。
結局のところ、この三者の人間による腹の探り合い、騙し合いを尽くした
時にして数分も立たぬこの戦闘は、まるで人知の及ばぬ不条理により、
勝利者にさえ想像もつかぬ形で決着を迎えた。
◇ ◇
「姉さああんッ!」
僕は目の前の男の亡骸を大きく跨いで姉さんの元に駆け寄る。
もはや、一分一秒の時が惜しい。
斬り裂かれた胸部の傷を、改めて確認する。
姉さんは既に意識が朦朧としているのか、何度か呼びかけてみたが返事がない。
幸い、あらかじめ仕込んであった楯のおかげか、傷は内臓までは達してはいない。
ただし、どこかの動脈が切断されており、出血はおびただしい。
すぐにでも魔法か何かで縫合処置を施さないと、その命はないだろう。
それでも、必死の呼びかけが功を奏したのか。
姉さんが、ヴァレリアの希望の象徴が、うっすらと目を開ける。
「良かった。貴方は、無事だったのね…。」
「…姉さんッ!」
心からの安堵を浮かべ、姉さんは痛みなど一切感じぬように微笑みを返す。
敵には一切の容赦がない冷酷無比な女王だが、
愛する者に対しては、どこまでも慈愛豊かな聖母となる。
実父に贈られた形見のネックレスに封じられたような
女神イシュタルの動的な愛憎を象徴する、
姉さんはまさにそんな情念に生きる女性だ。
ただしその視点は一向に定まらず、どこか夢見るように陶然としている。
姉さんは、からかうように、僕を試す様に冗談めかしながら、口を開いた。
「姉さん、ね。女王とは呼ばないのね?」
「…失言でした。以後は慎みましょう。ベルサリア女王。」
そうであった。いかに姉弟といえども君臣の関係であることには変わりない。
お互いの立場を考えるのであれば、むしろこれまでのほうが馴れ馴れすぎたのだろう。
そのような“ベルサリア女王”の訓戒に態度を改めるが、
その態度に“姉さん”はくすりと笑い勘違いを指摘してきた。
「…違うわよ。二度とそんな堅苦しく呼ばないで。
第一、ここではたった二人っきりなのに。
むしろ
カチュア、と呼んでくれないかしら。」
「なっ…。」
“姉さん”ではなく、ましてや“ベルサリア女王”でもなく、
親しき間柄の者が“カチュア”と、敬称もなく呼び捨ての名でそう呼ぶこと。
それが一体何を意味するか。そう呼んでしまう事の危うさを僕は知っていた。
だが、それが姉さんの望みであるなら、そうも呼ぼう。
「失敗しちゃったわ。もしかすると、もう駄目かもしれないわね。」
「何を言っているんだ、カチュアッ!直ぐに手当をするから弱気な発言はやめてくれッ!」
そうは言ってみたが、状況は絶望的だ。
僕にはここまでの傷を癒す魔法は使えない。
そして本格的な応急措置を行おうにも、止血や消毒、傷口を縫合する道具がない。
近くの施設を捜索して調達するしかないのだが、圧倒的に時間が足りない。
「でもね。こんな時だからこそ、一つだけ聞いておきたいことがあるの。
今を逃せば、もう二度と聞けそうにないから。」
「…なんだい、カチュア。」
カチュア、という違和感と危険さを含んだ呼び方に自分でも声が震える。
「ついさっき、貴方は『私を愛している』と言っていたけど、
それはどのような形で愛しているの?………教えて。
“掛け替えのない家族”として?それとも、…“女”として?」
――予想はしていたことだ。
だが、答えてはならない。その期待には答えられない。
どのように答えても、結局は傷つけることになる。
「…そういう質問より、傷の手当が先だよ。カチュア。」
僕はあくまでも愛する家族の要望に応えて“カチュア”と呼んでいるのだと、
言外に意味を含ませて強調する。直接の発言で、最愛の姉を傷つけぬように。
だが、目の前の女性は『ほおら、やっぱり予想通りの答えが来た。』とばかりに苦笑し、
強張った僕の顔を優しく撫でる。あなたの顔で考えていることなんて丸わかりよ、と言いたげに。
初心で融通の利かない弟をからかうような
それでいて期待に答えぬ事に落胆するような
あるいは関係が壊れなかった事を安堵したような
様々な思いが混じり合った複雑な表情を、その紙のように白くなった顔に浮かべながら。
「…やっぱり、それには答えてはくれないのね?
でも、いいわ。
貴方が私を必要としているであれば、どんな形でも構わない。
女王としてでも、家族としてでも。そして、女としてでも。
第一、血はつながっていないから遠慮する必要はなかったのに、ね?」
もう、これ以上何も答えてはならない。
姉さんを心より思いやるのであれば。
「姉さん…。」
「あら。もう“姉さん”に戻ったの?…つまらないわね。
“カチュア”って呼ばれた時は、満更でもなかったのに。」
姉さんは冗談めかして笑顔で僕に話しかける。
しかし、僕は姉さんの隠された本心に気づいてしまった。
だが、それには決して答えるわけにはいかない。
あくまでも、姉さんはヴァレリアの女王だ。
そのような関係を持っていいはずがない。
姉さんは民族融和の新しい象徴として、僕のようなバクラム人以外と…。
たとえば、そう。
非道の殺人鬼を正しく導いた、誰よりのこの姉を想うウォルスタ人の真の英雄と結ばれるべきなのだ。
「姉さん、もうそれ以上しゃべっちゃダメだ。体力を失う。」
「…そうね。流石に少し疲れたわ。でも最期に一つ、お願いがあるの。」
人の話しを聞かないところがある姉さんにしては、嫌に大人しく引き下がる。
そこに違和感を感じたが、願いというのであれば聞かなくてはならない。
これが、姉としての最期のものとなるかもしれないのであれば。
「なんでも聞くよ。姉さん。」
「じゃあ、唇にキスして。」
ああ、やっぱりこういう事か。
姉さんは思いつめれば、いつもとんでもない事を言い出す。
「…なっ、何を言い出すんだッ!姉さんッ!」
「あら?今までだって普通に頬にキスくらいはしてたわよ?
それに最期の我儘だから、何も言わずに黙って聞いて。お願い…。」
思い悩む時間はない。それで、姉が満足していけるのであれば。
僕は、意を決して姉の震える唇に自分のものを重ねた。
家族として頬に唇を付けたことは何度となくあるが、今回は違う。
それは情愛を帯びた、男と女の関係のものがする口付け。
しかし、その滑りを帯びた鉄錆を含んだ初めての接吻は
決して甘いものではなく、濃厚な死の匂いだけがした。
「これでよかったかい?姉さん。でもこれで最期にはしないから、今は休んで。」
「ありがとう、デニム。愛してるわ。」
「…………カチュア。」
…僕は姉さんの、カチュアという女性の想いに答えられたのだろうか?
愛している。そう言い残して、カチュアはその意識を手放した。
確かにまだ息はある。だが、この出血の勢いではそう長くは持たないだろう。
姉さんを抱き抱え、近くのC-6の城に赴くころには、姉さんは確実に息絶えてしまう…。
そして、今の僕にはそれを防ぐ術は、姉さんを助ける術は、
――何一つ、ない。
周囲を漂う悪霊たちは、その事を熟知しているのだ。
ここを漂う者どもは勝ち誇り、残された生者の絶望と悲嘆を肴に、
哄笑しながら新たな同胞の来訪を待ち受ける。
掛け替えのない生命が、その身体から抜け落ちる瞬間を。
これから『二人目』の魂を、冥府に引き摺り込むために。
思えば、この戦闘に本当の意味で勝利したのは僕ではなく、
この目の前の、名前すら知らぬ剣士ではなかったのだろうか?
この男は自らは死にこそしたが、無事に仲間を逃がし、助けることに成功した。
僕は戦いに勝利こそしたが、こうしてかけがえのない最愛の姉と、
ヴァレリアの未来を同時に失おうとしている。
なんという、なんという無意味な勝利。
今この男の死に顔を見れば、苦悶とは縁がないばかりの満足な笑みを浮かべている。
いや、これは殺し合いには勝利したものの、「大切なものを守る」という戦いの目的さえも
達することができなかった僕を嘲笑ったものかもしれない。
自分一人が生き残ったところで、何の意味さえもありはしないと言うのにッ!
自分が優勝したところで、何の価値さえもありはしないというのにッ!
――これが、守り切れた者と、守り切れなかった者の差とでも言うのかッ!
無力な僕には、もはや残された僅かな時間を祈り、無力な自分自身を呪う事しかできなかった。
何がゴリアテの英雄だッ!多くの無辜の人間を斬り殺戮の血にまみれた、ただの殺人鬼ではないかッ!
何が大義のための礎だッ!守るべきものを犠牲にしてまで、己のみがのうのうと生き延びているではないかッ!
愚かしいにも程があろうと言うものだ。
頼む。神…、いや悪魔でもいいッ!
そこで嘲笑う悪霊どもでも、一向に構わないッ!
姉さんを、カチュアを、今一度だけ助けてくれッ!
その代償となる魂を望むなら、たとえ何人でも生贄をささげようッ!
この僕の魂を望むなら、喜んで捧げてもいいッ!
だから、姉さんは…、カチュアだけは、どうか、どうか、助けてくれッ!
周囲を漂う悪霊どもはそのような願いは聞き届けられぬと、
薄ら笑いを浮かべながら首を大きく横に振る。
主にとってかけがえのない存在だからこそ、
有象無象の無数の魂より遥かに奪う価値があるのだと言わんばかりに。
だが、捨てる神あれば、拾う神あり。
いや、それは違う。間違っても神と呼んではならない存在。
絶望、悲憤、憤怒…。あらゆる負の感情のみを是とし、
それを呼び水として呼び出される、忌まわしき存在。
その超越的存在が、かの少年の声を確かに聞き届けた。
使い方が分からぬからとお守り代わりに僕の胸元に入れていた
「祝福の聖石」にも似た奇妙なクリスタルが、静かに明滅を繰り返す。
それは独りでに僕の懐から離れ、
今度は目も眩む程の閃光を一度発し、
中宙に浮かび上がった。
聖石を持つ者よ…
直接頭の内に響き渡るは、威厳と威圧感に満ちた、声なき声。
「…聖石が、喋った?」
状況を把握できず、僕は呆然とする。
何時の間にか、嘲笑する悪霊どもは全て退けられた。
周囲が暗闇に包まれ、僕と姉さん以外のものが一切の色を失う。
一体、何が起こっているというのだ?
…まさか、この聖石が?
聖石を持つ者よ…
死に瀕する、掛け替えのないものを救いたいか?
「どういうことなんだ?一体…。」
ならば、我と契約を結べ…
――そう、それはまさに奇跡。
いや、悪夢とでも言うべきか。
その自らの無力さへの憤怒と絶望による魂の慟哭が、
悪魔に魂を売り渡してでも姉を救いたいという渇望が、
次元の狭間に囚われていたルカヴィ、
“憤怒の霊帝”アドラメレクの耳元にまで届き、
その召喚に応じたのであった。
【D-6/平原/一日目・日中】
【デニム=モウン@タクティクスオウガ】
[状態]:プロテス(セイブザクィーンの効果)、失血による体力消耗(小)首筋にかすり傷、肩の傷は治療済みの為行動制限なし、
全身が血塗れ、絶望と後悔による心神の喪失。
[装備]:セイブザクィーン@FFT 炎竜の剣@タクティクスオウガ、ゾディアックストーン・カプリコーン@FFT
[所持品]:支給品一式×3、壊れた槍、鋼の槍、
シノンの首輪、スカルマスク@タクティクスオウガ
[思考]:1:…カチュア。
2:聖石が、喋った?
【カチュア@タクティクスオウガ】
[状態]:全身が血塗れ、左腰から右胸にかけての刀傷(重体)、胸部動脈から出血中、体力消耗と意識不明により魔法の詠唱不可。
[装備]:魔月の短剣@サモンナイト3 、両断された銀の盾@ティアリングサーガ
[道具]:支給品一式、ガラスのカボチャ@タクティクスオウガ
[思考]:※意識不明の為、一切の思考を行えません。
[備考]
ゾディアックストーン・カプリコーンが発動しました。
デニム=モウンを新たなる“相応しい肉体”であると認めています。
他の聖石もそれに呼応して、何らかの反応を示すかもしれません。
- ナバールのデイバッグが近くに落ちてます。
- カレーキャンディはナバールの懐にねじ込まれたままで、大量の血潮に塗れています。
- カチュアが胸に仕込んでいた銀の楯は衣装ごと完全に両断されています。
【スカルマスク@タクティクスオウガ】
頭部用防具。悪魔のしゃれこうべで造られた兜。暗黒魔道器のひとつ。
他の暗黒魔道器(ダグザハンマー・死神の甲冑・
死霊の指輪)と同じく恐怖効果を持つ。
四種全てを揃えれば、物理・魔法防御力が飛躍的に上昇する効果も併せ持つ。
【ゾディアックストーン・カプリコーン@FFT】
伝説の秘宝・ゾディアックストーンの一つ。
黄道十二宮の『磨羯宮(山羊座)』を司る聖石
狭間に囚われている“憤怒の霊帝”アドラメレクを召喚する触媒ともなる。
神鳴明王剣:少し離れた射程の相手にも到達する、死者の宮殿でロデリック王(故人)から教わったデニムの奥義。
剣でしか使用できない。技量がそのままダメージの値となり破壊力も大きいが、代償として体力の二割を消耗する。
【ナバール@紋章の謎 死亡】
【残り41人】
最終更新:2011年01月28日 15:32