卓上ゲーム板作品スレ 保管庫

第03話

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

《~Scene2~ 一度目/砂糖菓子の恋》



 くれはが世界の真実を知ってからも、くれはと柊は、それまでと変わらず―――否、それまで以上に共に過ごす時間を増し、神社以外でも遊ぶようになった。
 その年の三月、無事、桐華は二人目の子を出産し、青葉と名づけられたくれはの弟は、くれはに、そして柊によくなついた。
「まるで、兄妹のようですね」
 京子さんも含めたら四人兄弟かしら、と、よく桐華が笑って言ったものだった。
 そうして、青葉や京子も交え、二人はそれこそ兄妹のように一緒に過ごしたのである。
 二人が出会ってから一年目の春、くれはの通っていた私立学園―――輝明学園に柊が編入する形で、同じ小学校に通うようになった。柊の二歳上の姉・京子もそこに通っていたから、柊の家としては、元々小学校からはそこに上げるつもりだったのだろう。
「ガッコはいるのって、シケンたいへんなのなー」
 家で大分スパルタ教育されていたらしく、編入試験前の柊はよくそうぼやいていた。
 彼が無事に受かった時、くれはは自分のことのように嬉しかったのを覚えている。
 一年目のクラスは二人とも同じクラスに入ることができて、クラス割り発表の時、二人で一緒に喜んだ。
 だが、小学校にもなれば、特に女の子同士では俄然マセた話題が出るようになる。くれはの友達の女の子達も、それは例外ではなかった。
「わたしは、ショーライたっくんのおよめさんになりたいなー」
「あたしはねぇ、ゆーちゃんがスキ!」
 友達は口々にそんな風に言っては、次にくれはにもこう問うのだ。
「くれはちゃんはー?」
 そう問われる度、くれはは戸惑った。くれはにとって、まだ恋心は遠いものだったから―――柊を通じて他の子達より男友達は多かったが、その中の誰かを別格に思うようなことはなかったから。
 その手の話題の度、困ったように首を傾げるくれはに、ある時友達がこう言った。
「くれはちゃんがスキなのは、れんじくんじゃないの?」
 その言葉にくれはは驚いて、目をまん丸に見開いた。
 確かに、彼はくれはにとって、他の男の子と違う“特別”といえる相手だったけれど。
「ちがうよー、ひーらぎはキョーダイみたいなものだもん」
 母が度々そう称すから、くれはもその“特別”は、そういうものだと思っていたのである。

 くれはの中の“特別”が、その形を変えたのは―――その年の冬の日のことだった。



◇ ◆ ◇



 二学期を終えたその日、商店街から聞こえてくるクリスマスソングを聞くともなしに聞きながら、くれはは神社の石段に腰掛けて眼下の街並みを眺めていた。
 まだ昼間だというのに、ちらほらと見えるイルミネーションの輝き。綺麗なはずのそれも、くれはにとっては寂しさを掻きたてるだけのもの。
 神社の娘であるくれはは、クリスマスをやったことがない。サンタにプレゼントを貰ったことも、当然ない。―――そのことを寂しいと感じるようになったのは、幼等部に入った年からだった。
 幼等部に入った最初の年、クリスマスの話で盛り上がる皆に話を振られ、やったことがない、と答えたくれはに、皆は口々に言ったのだ。―――「かわいそう」、と。
 ―――あたしは、「かわいそう」なの?―――
 確かに、自分の家はクリスマスはやらないけれど、その分お正月は豪華だ。プレゼントだって、お年玉の時に貰える。
 ―――それでも、「かわいそう」なの?―――
 悪意のないはずのその言葉に、くれはは深く傷ついた。―――自分の家を、家族の在り方を否定されたようで傷ついたのだと理解するには、くれははまだ幼すぎたけれど。
 それでも、その言葉によってついた傷は、くれは自身にもはっきりとわかって。
 ―――だから、クリスマスの話は、痛くて、悲しくて、寂しい。
 だから、くれはは柊とクリスマスの話をしたことがない。
 他の誰に「かわいそう」といわれるより―――彼に「かわいそう」といわれるのは、耐えられない気がしたから。
 出逢った年はもうクリスマスが終わった後だったし、去年は家の手伝いを理由に巧く柊を避けて、話をせずに済んだ。今年も、その話が出るたびにさりげなく話の輪から離れて、話題に入ることを避けていた。
 今日もまた、学校が終わるなり、遊びに誘われるのを避けて、一人で帰ってきてしまった。
 いつも皆で遊んでいる場所から、一人で虚ろに街並みを眺めて―――そのことが、余計に寂しさを増す。
 ―――ひいらぎ、なにしてるかな―――
 寂しくて、そんなことを思った、その時、
「―――くれはー? なにやってんだ、んなとこでー」
 耳慣れた声が下から聞こえて、くれはは我に返ってそちらを見遣った。
「………ひーらぎ?」
 会いたかったけれど、会いたくなかった友達が、こちらに駆け上がってくるのを見つけた。
「………どうしたの? なにか、ようじ?」
 話したいけど話したくなくて、微妙に突き放した言葉がくれはの口をついて出る。
 けれど、柊はその言葉の調子を気にする風もなく、くれはの隣に腰掛けながら答えた。
「いや、うちでつーしんぼ見せたら、おこられそうになって………にげてきたら、おまえがボーッとすわってるから」
 いつもだったら、明るい笑いを誘ってくれただろう、ちょっと間抜けな返事。けれど、今のくれはは笑えるような気分じゃなかった。
「そっか………」
 こんな態度は、柊を困らせるとわかっていたけれど、気のない返事しか返せない。
「………えぇっと………」
 案の定、柊は困惑したような声を漏らして、落ち着きなさそうに身じろぎする。
 二人の間に落ちた沈黙を、商店街から響いてきたクリスマスソングが埋めて―――
「そうだ―――くれは、サンタにプレゼント、おねがいしたか?」
 はたと思いついた風に告げられたその言葉に、くれはは内心激しく動揺した。
 避けていた話題―――けれど、正面から聞かれた以上、答えなかったり、嘘をついたりするわけにはいかない。
「うちにはこないよ、サンタさん」
「―――え?」
 面食らったように目を瞬く柊に、くれはは一気に告げてしまう。―――言うなら、いっぺんに済ませてしまいたかった。
「うち、神社だもん。クリスマス………やったことないし。サンタさんだって………」
「―――ホントに?」
 心底驚いた風に目を見開いて言う柊に、くれははせめて、精一杯笑う。
「しょーがないけどね―――」
 かわいそう、なんて言われないように―――けれど、思わず顔を逸らすように、項垂れるように、俯いてしまうのは抑えられなくて。
「―――ふぅん………」
 何気ないような、彼の呟き。―――次に、皆の言う『あの言葉』が来ないことを祈るような、同時に覚悟するような気持ちで、くれはは、彼の次の言葉を待って―――
「―――あ!」
 けれど、次に彼が発したのは、くれはに向けた言葉ではなく、何かを思いついたような声。同時に、すっくと立ち上がって、
「よーじ思い出した! ちょっとここで待ってろ! ―――いいか、ぜったい動くなよー!」
 驚いて思わず顔を上げたくれはにそう叫びながら、階段を駆け下りていく。
「―――ひーらぎ~?」
 くれはの声にも振り返ることなく、彼の後姿は階下の街並みに消えて行った。
「どーしたんだろー………ひーらぎ………」
 一人残されたくれはは、訳がわからないままに、それでも彼が言った言葉に従って、その場に座って彼を待つ。
 しばらくして、白いものが空からちらつき始めたけれど、降り注ぐその冷たさにも耐えて、その場から動かない。
 ―――だって、ひーらぎが、うごくなって、いったもの―――
 そう自分に言い聞かせるくれはの脳裏に思い返されるのは、二ヶ月前の出来事―――二人で神社の裏にある雑木林で遊んでいた時のことだ。
 その前の日にくれはの家に来たお客さんが、くれはにお土産としてくれた花飾りのついた白い帽子。巫女装束には合わないけれど、つい柊にも見せたくて、遊びにも被っていってしまった。
 その帽子が―――遊んでいる最中に風に飛ばされて、林の奥へと飛ばされていってしまったのだ。
 飛ばされた帽子は木の枝に引っかかって止まって、くれははともかく、木登りの上手な柊にすれば、それを取るだけなら何でもなかった。
 けれど、その引っかかった木の場所に行くには、大人に取っては少々高い程度の、けれど七歳児にとっては崖に等しい段差があったのだ。
 そこで、柊はくれはに言ったのだ。「おれがとってくるから、くれははくるな。ぜったいうごくなよ」と。
 くれははその言葉に頷き、柊が急な傾斜を降りていくのを見送った。けれど、すぐに下から柊の短い悲鳴とずり落ちるような音が聞こえて―――追いかけてしまったのだ。
 さっきの柊の見よう見まねで傾斜を降りて―――転げ落ちた。
「―――くれは!」
 聞こえた悲鳴のような声。続いて、衝撃―――けれど、それは、思っていたよりずっと小さくて。
 思わず瞑っていた目を開ければ、柊がくれはを抱えるように下敷きになって、庇ってくれていたのだ。
 それで、くれははほとんど怪我もなく―――柊の方も、幸い大きな怪我はなかったけれど、たくさんの擦り傷と打撲を負った。
 その上、柊は危ない無茶をしたことを、いろんな人にたくさん怒られた。「もうすこしで、くれはちゃんもケガするとこだったのよ!」とは京子がゲンコツと一緒にやった言葉だ。
 けれど、くれはは殆ど怒られなかった。勿論母には怒られたけれど、他の家人はくれはの無事を喜ぶばかりで、叱る者は殆どいなかった。
 ―――ホントは、あたしがわるいのに―――
 柊はくれはに動くなと言った。くれはがその言葉を守らずに、柊を下敷きにしてしまったのに―――
 けれど、柊は自分ばかり怒られても、くれはを責めるようなことは一言も言わなかった。それどころか、「あぶないめにあわせて、ごめんな」と謝ってくれて―――
 そのことに、くれはの方が「ごめんなさい」の気持ちでいっぱいになってしまった。
 その後すぐ柊の誕生日だったから、その「ごめんなさい」を込めてプレゼントをあげたけれど、それでくれはが柊に怪我をさせてしまった事実がなくなるわけではない。
 だから―――

 ―――うごいちゃ、だめなんだもん―――

 柊が動くなと言った―――ならば、くれははここから動いたらいけないのだ。
 勝手に動いて、あの時みたいに、柊に迷惑をかけないように。
 降り注ぐ雪の冷たさに震えながらも、くれははそこから動かなかい。
 そして―――
「―――くれはー!」
 待ち人の声がくれはの耳に届いたのは、降り注ぐ白が町を染め始めた頃だった。
「………さむい」
 身体に積もった雪の冷たさに、くれはが思わず呟けば、駆け寄ってきた柊はぎょっとしたように、くれはに積もった雪を払いながら怒鳴る。
「バカ! なんで雪つもったままにしてるんだ!」
「だって、ぜったいうごくな、っていったから」
 今度は言いつけを守って、動かなかった―――その思いを込めてくれはが答えれば、彼は困ったような呆れたようなため息を漏らして、手にした小さな箱を差し出した。
 きょとんと差し出されるままに受け取ったくれはの肩に、ふわりと暖かいものがかかる。
「ほら、あっちにいくぞ。ここじゃ、雪かぶっちまうだろ」
 自分のマフラーをくれはの首に巻いて、ぶっきらぼうに言うと、柊はすたすたと賽銭箱の横―――拝殿の(ひさし)の下へと歩き出した。
「ま、まってよ、ひーらぎ!」
 マフラーのお礼を言う間もなく、くれはも慌ててその後を追う。
 廂の下に柊と並んで腰掛け、促されるままに箱を開ける。その中身を見て、くれはは思わず歓声を漏らした。
「―――はわぁ~!」
 小さな白い箱―――その中にちょこんと入っていたのは、小さなサンタが載ったイチゴのショートケーキ。
「ほら、見てないで食えよ」
 ぶっきらぼうに柊が言う。これは彼が怒っているのではなく、照れている時の声だと知っているから、くれはは笑顔で頷いた。
「うんっ!」
 箱に入っていた小さなフォークで、イチゴの載ったところを一口。―――イチゴの酸っぱさと、クリームの甘さが口の中に広がって、
「―――おいしい!」
 思わず満面の笑みで言えば、柊も嬉しそうに顔を綻ばせる。
「そっか、よかったなぁ! ―――ほら、そのサンタ、それも食えるんだぜ!」
 言って、ケーキの上に座ったサンタを目で示した。
 くれははじっとそのサンタを見つめる。お菓子なら、食べてあげた方がいいのかもしれないけれど―――
「―――もってかえる、もったいないもん!」
 初めてくれはのところに来てくれたサンタクロース―――柊がくれはのために連れてきてくれたサンタクロース。それを食べてしまうのは、もったいなくて出来なかった。
 と、そこでくれはは気づく。小さな白い箱の中―――その中に、ケーキが一つしかないことに。
「………ひーらぎのぶんは………?」
 思わずそう呟けば、ははーっ、と柊は笑って答える。
「おれはさー、ガマンできなくて、とちゅーで食っちまったんだよ。―――きにしないで、ほら、食えって!」
 それが嘘なのは、くれはにもすぐわかった。だって、箱にはもう一個入っていたような跡はないし、そもそも柊がくれはを待たせたまま、自分だけで先にケーキを食べたりするわけがないのだから。
 くれはを気遣った優しい嘘。それに、胸が暖かくなるのを感じて―――くれはの顔に、とびっきりの笑顔が浮かんだ。
「ありがとぉ、ひいらぎ!」
 笑みを向けた相手は、照れた時のぶっきらぼうな声で、「どーいたしまして」と言った。



◇ ◆ ◇



 小さなサンタを握り締めて、柊と分かれたくれはは一人、家の台所に向かった。
 このサンタは砂糖で出来ているから、普通に取っておくと溶けて大変なとこになると、柊が教えてくれたのだ。妙に実感がこもった言葉だったから、実際に大変な目にあったことがあるのかもしれない。
 だから、くれはは冷蔵庫にしまっておくことにしたのだ。本当は、自分の部屋にこっそり隠しておきたかったのだけれど。
 一人廊下を歩きながら、手の中のサンタを覗き込んで―――くれはは顔が綻ぶのを抑えられなかった。
 ―――ひいらぎは、あたしのこと、かわいそう、っていわなかった―――
 他の皆と違って、くれはの家のあり方を否定しなかった。
 ―――ひいらぎは、あたしのところにサンタさんをつれてきてくれた―――
 その上で、くれはの寂しい気持ちを、暖かいもので包んでくれた。
 いつだって、そうなのだ。彼はいつだって、くれはが寂しい時、悲しい時、当たり前のように来てくれて、くれはに暖かいものをくれるのだ。
 その時の柊の笑顔が脳裏に浮かんで―――甘くて酸っぱい、さっきのショートケーキみたいな気持ちが、くれはの胸いっぱいに広がった。
 青葉や、京子の笑顔には、こんな気持ちにはならない。―――これは、母が言うような、兄弟のような気持ちじゃなくて。

 ―――ひいらぎは、あたしの“トクベツ”なんだ―――

 気づいた気持ちを抱きしめて、くれはは幼い頬を染めて笑う。

 ―――ひいらぎが、あたしの“トクベツにスキ”な男の子―――

 えへへ、と宝物を見つけたような気持ちで笑って、くれはは台所に続く戸に手をかけて―――

「―――でも、このまま、蓮司君をくれは様のお側においていていいのかしら」

 僅かに開いた隙間から漏れ聞こえたその声に、凍りついたように動きを止めた。
 ―――え………?―――
 聞こえたその言葉の意味が判らず、くれはは混乱する。
 そんなくれはの様子など知る由もなく、戸の向こうの会話は続いていく。
「なに、いきなり。蓮司君、いい子じゃない。彼のおかげでくれは様の人見知りが直ったわけだし」
「まあ、それはそうなんだけど………」
 聞こえてくる声は二つ。どちらも家の手伝いをしてくれている巫女見習い―――ウィザードとしての修行の一環として赤羽の家に来ている女性達のものだった。
「いい子だけど………いい子だからこそ、まずいんじゃない」
「はぁ? なにそれ」
 なぞなぞのような言葉に返された疑問の声に、くれはも内心同意する。―――意味がわからない。
 ―――なんで、ひいらぎが、あたしのそばにいちゃいけないの―――
 そう、思って―――

「―――だって、もしもくれは様が蓮司君のことを好きになっちゃったりしたら、どうするのよ」

 聞こえた言葉に、頭を横殴りにされたような気がした。
 ―――え………?―――
 混乱を深めるくれはをよそに、中の会話は進んでいく。
「それ、御門家と真行寺家から来てる話のこと? いくらなんでも今から気にするような話じゃないんじゃないの?」
 ―――みかど、しんぎょうじ―――
 その名前は、くれはも知っている。赤羽と同じように―――否、赤羽以上に血を重ねたウィザードの名家の名。
 しかし、何故、ウィザードの名家の話に、あの幼馴染の名前が出てくるのか。
「何言ってんの、初恋って根が深いのよー? 私の友達に、超ラブラブだった玉の輿付きの彼氏振り切って、十年ぶりに会った平凡な幼馴染との再燃愛に走った娘とかもいるんだから」
「あー、まあねぇ………万一くれは様が、あの二家からの話蹴ったあげく、イノセントと駆け落ちなんかしちゃったら、赤羽の面目丸つぶれだけど」
 ―――カケオチ………?―――
 その言葉は、学校の友達がお母さんと見ているドラマの話の中で出てきて、時々くれはもその話を訊いているから知っている。―――周りから、恋人になったり、結婚したりするのを反対された人たちがする家出のことだ。
 つまり、中の二人は―――くれはと柊が恋人同士になったら―――否、それ以前に、くれはが彼を好きになったらいけないと、そう、言っているのだ。
 難しい理由はわからないけれど、その理由には赤羽よりも偉いウィザードの家も関係していて―――くれはが柊を好きになったら、赤羽の家は、とても大変なことになるのだと―――
 そういう話をしているのだと、わかってしまった。
 こみ上げてきたものをこらえるように、強く両手を握り締めて―――くれはは踵を返して駆け出した。
 今聞いた話から、逃げるように走って―――自室に駆け込む。
 乱暴に戸を閉めて、その場に崩れ落ちた。
「―――っぅくっ………」
 懸命に歯を食いしばって、漏れそうになる嗚咽を堪える。
 目から溢れそうになったものを両の拳で拭おうとして―――気づいた。
「―――あ………」
 柊に貰ったサンタクロース。強く握り締めたくれはの手の中で、それはばらばらに砕け、溶けてべとべとになっていた。
「―――っふぇっ………」
 今度こそ、嗚咽を堪えられずに―――くれはは泣き出した。

 ―――あたしは、ひいらぎをスキになっちゃいけないんだ―――

 その思いが、幼い胸を深く深く抉る。
 ウィザードの名家が関るような、大切な話が理由なら―――将来ウィザードになるくれはは、それを破るわけにはいかないのだ。
 ウィザードになることをやめれば―――そう、思わなくもなかったけれど。ウィザードは、なりたくてなれるものでも、やめたくてやめられるものでもないと、母は言っていたから。
 それでなくても―――くれはは、ウィザードになるのをやめられない。だって、彼への呼び名を変えたあの日に、誓った。

 ―――ひいらぎは、あたしが、まもるんだもん―――

 ウィザードになって、イノセントの彼を守ると、そう、誓ったのだから。
 彼を想えないのは辛いけれど。本当に胸が痛くて痛くて、張り裂けそうなくらい、辛いけれど。
 彼が―――エミュレイターに襲われて、殺されたり、いなくなってしまう方が、もっともっと嫌だから。
 だから―――

 ―――あたしは、ひいらぎを、スキなんかじゃ、ない―――

 そう、自分に嘘をつく。ウィザードとして、赤羽の者としての責務のために。

 ―――あたしは、ひいらぎを、スキになんか、ならない―――

 そう、懸命に自分へと言い聞かせながら―――くれはは一人、泣き続けた。


 この日、彼女は彼に、人生で初めての恋をした。
 彼女の手の中で壊れた砂糖菓子のように、あまりに脆く、儚い恋を。

 この日、彼女は彼に、人生で初めての失恋をした。
 己に科した誓いが故に―――彼に恋する資格を、失った。






タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
ウィキ募集バナー