《~Scene3~ 二度目/夢想の恋》
初めての恋を失ったその日から―――くれはは殊更、柊に対して強く振舞うようになった。
懸命に殺したあの甘酸っぱい気持ちが、また生まれてしまわないように。
護るはずの彼に、助けられてばかりいる自分と決別するために。
―――強く、ならなきゃ―――
呪文のようにそう繰り返して、くれはは“そういう”自分を作り上げていく。
自分に対し突如として傍若無人とも言える態度を取る様になったくれはに、柊は少々驚いたようだったが、それでも、くれはに対する彼の態度は変わらなくて。
そんなくれはを怒るのでもなく、厭うのでもなく、ただ、それまでのくれはに対するのと同じように―――くれはが寂しい時、悲しい時には傍にいてくれて、当たり前のように暖かいもの、嬉しいものをくれるのだ。
正月を終えてすぐのくれはの誕生日には、自分の誕生日のお返しといって、くれはにすごく嬉しいプレゼントをくれた―――それも、三つも。
「男から女の子へのおかえしは、3ばいだってきいたからな」
照れた時のぶっきらぼうな声で、そう言って。
プレゼントはどれも彼の普段のお小遣いでは買うのも難しいようなものばかりで―――きっと、これでお年玉を殆ど使ってしまったのだろうと、くれはにもわかって。
自分だって欲しいものがあったはずなのに、それを我慢して、当たり前のようにくれはに嬉しいものをくれる。
そんな彼の優しさが、嬉しくて嬉しくて―――それ以上に苦しい。
また、芽生えそうなあの気持ち―――それを抑えるのが苦しい。
本当は自分の方が護らなくちゃいけないのに―――貰ってばかりの自分が苦しい。
彼から離れた方がいいんじゃないか―――そういう声が、時々自分の中からしたけれど。
彼から離れたら、彼に何かあった時、護れない。―――何より、彼から離れるのは、傍にいて気持ちを堪えるよりずっと苦しいと、自分でわかっていたから。
芽生えそうな気持ちを蹴散らすように、くれはは柊に対して更に傍若無人に振舞う。彼の秘密を知ったら、その秘密を盾に脅してみたり、思い切り我侭を言ったり。
とてもじゃないけれど、女の子が“特別”な男の子に対して取る態度ではないと、そう見える、そう思える態度で。
そういう態度を取って、自分に言い聞かせる。―――彼に、恋などしてないと。
ただ、ずっと一緒にいる、兄妹の様な友達だと。
そんな風に傍にいて―――そのままの距離で、二人は高校生になった。
懸命に殺したあの甘酸っぱい気持ちが、また生まれてしまわないように。
護るはずの彼に、助けられてばかりいる自分と決別するために。
―――強く、ならなきゃ―――
呪文のようにそう繰り返して、くれはは“そういう”自分を作り上げていく。
自分に対し突如として傍若無人とも言える態度を取る様になったくれはに、柊は少々驚いたようだったが、それでも、くれはに対する彼の態度は変わらなくて。
そんなくれはを怒るのでもなく、厭うのでもなく、ただ、それまでのくれはに対するのと同じように―――くれはが寂しい時、悲しい時には傍にいてくれて、当たり前のように暖かいもの、嬉しいものをくれるのだ。
正月を終えてすぐのくれはの誕生日には、自分の誕生日のお返しといって、くれはにすごく嬉しいプレゼントをくれた―――それも、三つも。
「男から女の子へのおかえしは、3ばいだってきいたからな」
照れた時のぶっきらぼうな声で、そう言って。
プレゼントはどれも彼の普段のお小遣いでは買うのも難しいようなものばかりで―――きっと、これでお年玉を殆ど使ってしまったのだろうと、くれはにもわかって。
自分だって欲しいものがあったはずなのに、それを我慢して、当たり前のようにくれはに嬉しいものをくれる。
そんな彼の優しさが、嬉しくて嬉しくて―――それ以上に苦しい。
また、芽生えそうなあの気持ち―――それを抑えるのが苦しい。
本当は自分の方が護らなくちゃいけないのに―――貰ってばかりの自分が苦しい。
彼から離れた方がいいんじゃないか―――そういう声が、時々自分の中からしたけれど。
彼から離れたら、彼に何かあった時、護れない。―――何より、彼から離れるのは、傍にいて気持ちを堪えるよりずっと苦しいと、自分でわかっていたから。
芽生えそうな気持ちを蹴散らすように、くれはは柊に対して更に傍若無人に振舞う。彼の秘密を知ったら、その秘密を盾に脅してみたり、思い切り我侭を言ったり。
とてもじゃないけれど、女の子が“特別”な男の子に対して取る態度ではないと、そう見える、そう思える態度で。
そういう態度を取って、自分に言い聞かせる。―――彼に、恋などしてないと。
ただ、ずっと一緒にいる、兄妹の様な友達だと。
そんな風に傍にいて―――そのままの距離で、二人は高校生になった。
◇ ◆ ◇
「ひーらぎ、おっそーい! どこいってたのよ!」
とっくに部活終わったわよ! と、巫女服の腰の横に両の拳を当てて、仁王立ちでそう言うくれはに、柊は心底呆れた風に呻いた。
「お前なぁ………人を毎日のようにこき使っといて、それ言うか?」
場所は巫女クラブの部室前。―――ウィザード養成所の側面もある輝明学園に設けられた、ウィザードやウィザード候補の隠れ蓑として用意された部活の一つだ。
高等部に上がってから、当然のようにくれははこの部に籍を置いた。いまだ、ウィザードとしての力は目覚めていないけれど、赤羽の巫女としてこの部に入るのは自然なことだったから。
対して、柊は特にどこの部にも入らなかった。「変な部しかねぇんだもん」というのが彼の主張。―――確かに、輝明学園は変わった部活が多いが、真っ当な部もあるのだが。
部活動の差で行動時間がずれ始め、中等部までより、二人が一緒に過ごす時間は格段に減った。それでも、一年の時はクラスが一緒だったから、毎日のように顔を合わせていたのだけれど。
二年に上がって、クラスが分かれると、殆ど顔を合わせなくなった。たまに、家の近所や学校の廊下ですれ違って、挨拶を交わす程度で―――
そんな風に彼と会わない日々を一ヶ月ほど過ごし―――くれはは急に不安になった。かつて、彼から離れようかと迷った時に抱いた危惧が、また湧き上がってきたのだ。
―――離れている間に―――もしも、柊に何かあったら―――
学校にいる間はまだいい。輝明学園には多くのウィザードがいる。エミュレイターの襲撃があっても、大丈夫。―――けれど、それ以外の時間は?
それまで、それこそ兄妹のように時間を共有していたから、気づかなかった。くれははずっと柊の傍にいて、彼を護れるわけではないのだ。
まだウィザードではないくれはが側にいても、何も出来ないかもしれないが―――側にいれば、せめて一緒に逃げるくらいのことはできる。側にいなければそれすらも出来ない。―――それが、恐かった。
いまだウィザードの力に目覚めず、そのためにまだエミュレイターを直接見たことのないくれはにとって、エミュレイターとは、いつ自分の元から彼を奪っていくかわからない、理不尽な恐怖の象徴だったのだ。
折りしも、くれはがそんな恐怖を胸に抱き始めた頃、くれはの身の周りに異変が起きた。―――登下校時にまとわりつく、奇妙な視線。
エミュレイターによる怪異ではなさそうだから、人の仕業だろうけれど―――気味が悪かったし、気持ち悪かった。誰かに相談しようと思って―――最初に浮かんでしまったのが、柊の顔だった。
結局、護るべき相手である彼に頼ってしまっている自分が悔しかったけれど―――よく考えれば、いい口実だと気づいた。
きっと、視線のことを話して、登下校の送り迎えを頼めば、彼は聞き入れてくれるに違いない。そうなれば、くれはが部活をしている間、彼は安全圏の学園内に残っているし、登下校の間もくれはが一緒だ。
それで、くれはが彼に登下校の送り迎えを頼んだのが二ヶ月前。今日この日まで、彼はぶつぶつ文句を言いつつ、くれはの送り迎え、更には部活の手伝いまでしてくれていた。
いや、してくれていた、というよりは―――
「―――へぇ~、そういうこと言う~? なんならあんたの秘密、学校中にばらしても………」
「だぁぁぁぁぁぁああああッ! 悪かった! 謝るからそれは勘弁ッ!?」
と、このように、殆ど脅してやらせていたのだが。
「よし、格別の慈悲をもって、今回は許してしんぜよう」
絶叫して懇願する彼に、くれはは鷹揚に頷いてみせる。はぁっ、と息をついて苦笑すると、柊はそれに調子を合わせた。
「それはありがたきしあわせ、っと。―――んで、もう帰るのか?」
うん、と頷いて歩き出したくれはに並んで、柊も歩き出す。
その足の運びはゆっくりめで―――その歩く速さで、普通に歩くくれはと同じくらい。
一歩の歩幅が全然違うのだ。高校に上がってぐんと背が伸び、男子の中でも長身の部類に入った柊と、成長期は早かったけれど、もう殆ど伸びが止まってしまって、女子の中でも小柄な方に入るくれはでは。
大分上にある幼馴染の顔を見上げて、くれはは改めて問う。
「で、今まで何やってたの? いつもなら、うちの部活の手伝いやって時間潰してるのに」
「あ? ―――ああ、バスケ部の練習試合、人数足んねぇからって、クラスのやつに引っ張り出されたんだよ」
疲れたぜー、とぼやく柊に、くれははちょっと損した気分になる。―――それは、ちょっと見てみたかった。
「はわー、ひーらぎがバスケねぇ………チームの足引っ張っちゃったんじゃないのー?」
何だか悔しくて、思わず思ってもいない言葉を投げてしまう。
柊はさも心外、というような顔をして、
「そりゃ、普段から練習してる連中にはかなわねぇよ。でも、それでも足引っ張っては、なかったと………思う。………多分」
言ってるうちに段々表情が冴えなくなり、言葉の最後は相当自信なさげだ。多分、自分のミスを思い出したのだろう。
「えー、あっやしー。やっぱ、足引っ張っちゃったんじゃない?」
「―――うっせぇなぁ! こっちのチーム勝ったんだからいいんだよっ!」
面白がってくれはがツッコめば、柊はムキになったように怒鳴り返す。―――声変わりを終えて低くなったその声は、子供の頃よりずっと迫力を増しているけれど。
その照れたり困ったりした時の、ぶっきらぼうな調子はそのままだから、くれはには全然恐くない。
ころころと笑えば、柊は拗ねたように口を尖らせて、ふいっ、とそっぽを向く。
それでも、その歩調はくれはに合わせたままで―――その不器用な優しさがくれはには嬉しくて―――同時にやっぱり、苦しかった。
相反する二つの感情を持て余すうちに家について、彼と分かれる。一抹の寂しさを抱えて、玄関をくぐり―――
「ただい―――まぁっ!?」
途端、飛びついてきた弟のせいで、後ろに引っくり返りそうになった。
「あっぶなぁ………! 何するの、青葉!」
「ご、ごめんなさい………! で、でも嬉しくって、お姉ちゃんにも早く言いたくて!」
何とか踏みとどまったくれはが怒鳴ると、青葉は一瞬しおたれて、けれどすぐに勢いを取り戻して言う。
きらきらした目で見上げてくる青葉に毒気を抜かれて、くれはは首を傾げた。
「………何? 何かあったの?」
そう問えば、青葉はくれはから離れ、正面に立って姿勢を正して胸を張る。
「ボク―――ウィザードになりました!」
誇らしげに告げられた言葉に―――くれははこの上なく目を見開いた。
「―――本当!?」
「うんっ! 唱えた呪が発動したんだ!」
制御は失敗しちゃったけど………、と、最後は俯いて、尻すぼみに告げる。
けれど、くれははそれに首を振って、満面の笑みで言う。
「それでも、すごいじゃない! よかったねぇ、青葉!」
「―――はいっ!」
姉の言葉に、青葉は本当に嬉しそうに頷いた。
その様子を微笑ましげに見つめて―――ふと思いつき、くれはは溜息をついてみせる。
「あーあ。でも、青葉に先越されちゃったかぁ。あたしなんか、なに唱えてもうんでもすんでもないのになぁ」
わざとらしく言ってやれば、浮かれていた青葉は途端にうろたえて、
「だ、大丈夫だよ! お姉ちゃんもすぐにウィザードになれます!」
「どーかなぁー、ホントかなぁー。あたし、もしかしたら、一生イノセントのままだったりして―――」
と、弟をからかうつもりで意識せず紡いだその言葉に―――くれはは自分で硬直する。
―――一生、イノセントのまま?―――
「そ、そんなことないです! お姉ちゃんは赤羽の血を引く巫女なんだから!」
慌てたように、青葉が叫ぶ。―――そうだ、そんなことはありえないはずだ。くれはは赤羽の巫女なのだから。
けれど―――事実、今までくれはが何の呪を唱えても、何かが起こったことはない。常の世にあらざる異変を感じ取ったことも、それらに遭遇したこともない。
―――あたしは、本当に、ウィザードになるの?―――
今まで思いつきもしなかった、疑問。けれど、一度浮かんだそれは、もう脳裏から消えてくれない。
―――もしも、一生、イノセントのままだったら―――
それは、赤羽の者としてはあってはならないことだ。けれど―――もしも、そうなったら、
とっくに部活終わったわよ! と、巫女服の腰の横に両の拳を当てて、仁王立ちでそう言うくれはに、柊は心底呆れた風に呻いた。
「お前なぁ………人を毎日のようにこき使っといて、それ言うか?」
場所は巫女クラブの部室前。―――ウィザード養成所の側面もある輝明学園に設けられた、ウィザードやウィザード候補の隠れ蓑として用意された部活の一つだ。
高等部に上がってから、当然のようにくれははこの部に籍を置いた。いまだ、ウィザードとしての力は目覚めていないけれど、赤羽の巫女としてこの部に入るのは自然なことだったから。
対して、柊は特にどこの部にも入らなかった。「変な部しかねぇんだもん」というのが彼の主張。―――確かに、輝明学園は変わった部活が多いが、真っ当な部もあるのだが。
部活動の差で行動時間がずれ始め、中等部までより、二人が一緒に過ごす時間は格段に減った。それでも、一年の時はクラスが一緒だったから、毎日のように顔を合わせていたのだけれど。
二年に上がって、クラスが分かれると、殆ど顔を合わせなくなった。たまに、家の近所や学校の廊下ですれ違って、挨拶を交わす程度で―――
そんな風に彼と会わない日々を一ヶ月ほど過ごし―――くれはは急に不安になった。かつて、彼から離れようかと迷った時に抱いた危惧が、また湧き上がってきたのだ。
―――離れている間に―――もしも、柊に何かあったら―――
学校にいる間はまだいい。輝明学園には多くのウィザードがいる。エミュレイターの襲撃があっても、大丈夫。―――けれど、それ以外の時間は?
それまで、それこそ兄妹のように時間を共有していたから、気づかなかった。くれははずっと柊の傍にいて、彼を護れるわけではないのだ。
まだウィザードではないくれはが側にいても、何も出来ないかもしれないが―――側にいれば、せめて一緒に逃げるくらいのことはできる。側にいなければそれすらも出来ない。―――それが、恐かった。
いまだウィザードの力に目覚めず、そのためにまだエミュレイターを直接見たことのないくれはにとって、エミュレイターとは、いつ自分の元から彼を奪っていくかわからない、理不尽な恐怖の象徴だったのだ。
折りしも、くれはがそんな恐怖を胸に抱き始めた頃、くれはの身の周りに異変が起きた。―――登下校時にまとわりつく、奇妙な視線。
エミュレイターによる怪異ではなさそうだから、人の仕業だろうけれど―――気味が悪かったし、気持ち悪かった。誰かに相談しようと思って―――最初に浮かんでしまったのが、柊の顔だった。
結局、護るべき相手である彼に頼ってしまっている自分が悔しかったけれど―――よく考えれば、いい口実だと気づいた。
きっと、視線のことを話して、登下校の送り迎えを頼めば、彼は聞き入れてくれるに違いない。そうなれば、くれはが部活をしている間、彼は安全圏の学園内に残っているし、登下校の間もくれはが一緒だ。
それで、くれはが彼に登下校の送り迎えを頼んだのが二ヶ月前。今日この日まで、彼はぶつぶつ文句を言いつつ、くれはの送り迎え、更には部活の手伝いまでしてくれていた。
いや、してくれていた、というよりは―――
「―――へぇ~、そういうこと言う~? なんならあんたの秘密、学校中にばらしても………」
「だぁぁぁぁぁぁああああッ! 悪かった! 謝るからそれは勘弁ッ!?」
と、このように、殆ど脅してやらせていたのだが。
「よし、格別の慈悲をもって、今回は許してしんぜよう」
絶叫して懇願する彼に、くれはは鷹揚に頷いてみせる。はぁっ、と息をついて苦笑すると、柊はそれに調子を合わせた。
「それはありがたきしあわせ、っと。―――んで、もう帰るのか?」
うん、と頷いて歩き出したくれはに並んで、柊も歩き出す。
その足の運びはゆっくりめで―――その歩く速さで、普通に歩くくれはと同じくらい。
一歩の歩幅が全然違うのだ。高校に上がってぐんと背が伸び、男子の中でも長身の部類に入った柊と、成長期は早かったけれど、もう殆ど伸びが止まってしまって、女子の中でも小柄な方に入るくれはでは。
大分上にある幼馴染の顔を見上げて、くれはは改めて問う。
「で、今まで何やってたの? いつもなら、うちの部活の手伝いやって時間潰してるのに」
「あ? ―――ああ、バスケ部の練習試合、人数足んねぇからって、クラスのやつに引っ張り出されたんだよ」
疲れたぜー、とぼやく柊に、くれははちょっと損した気分になる。―――それは、ちょっと見てみたかった。
「はわー、ひーらぎがバスケねぇ………チームの足引っ張っちゃったんじゃないのー?」
何だか悔しくて、思わず思ってもいない言葉を投げてしまう。
柊はさも心外、というような顔をして、
「そりゃ、普段から練習してる連中にはかなわねぇよ。でも、それでも足引っ張っては、なかったと………思う。………多分」
言ってるうちに段々表情が冴えなくなり、言葉の最後は相当自信なさげだ。多分、自分のミスを思い出したのだろう。
「えー、あっやしー。やっぱ、足引っ張っちゃったんじゃない?」
「―――うっせぇなぁ! こっちのチーム勝ったんだからいいんだよっ!」
面白がってくれはがツッコめば、柊はムキになったように怒鳴り返す。―――声変わりを終えて低くなったその声は、子供の頃よりずっと迫力を増しているけれど。
その照れたり困ったりした時の、ぶっきらぼうな調子はそのままだから、くれはには全然恐くない。
ころころと笑えば、柊は拗ねたように口を尖らせて、ふいっ、とそっぽを向く。
それでも、その歩調はくれはに合わせたままで―――その不器用な優しさがくれはには嬉しくて―――同時にやっぱり、苦しかった。
相反する二つの感情を持て余すうちに家について、彼と分かれる。一抹の寂しさを抱えて、玄関をくぐり―――
「ただい―――まぁっ!?」
途端、飛びついてきた弟のせいで、後ろに引っくり返りそうになった。
「あっぶなぁ………! 何するの、青葉!」
「ご、ごめんなさい………! で、でも嬉しくって、お姉ちゃんにも早く言いたくて!」
何とか踏みとどまったくれはが怒鳴ると、青葉は一瞬しおたれて、けれどすぐに勢いを取り戻して言う。
きらきらした目で見上げてくる青葉に毒気を抜かれて、くれはは首を傾げた。
「………何? 何かあったの?」
そう問えば、青葉はくれはから離れ、正面に立って姿勢を正して胸を張る。
「ボク―――ウィザードになりました!」
誇らしげに告げられた言葉に―――くれははこの上なく目を見開いた。
「―――本当!?」
「うんっ! 唱えた呪が発動したんだ!」
制御は失敗しちゃったけど………、と、最後は俯いて、尻すぼみに告げる。
けれど、くれははそれに首を振って、満面の笑みで言う。
「それでも、すごいじゃない! よかったねぇ、青葉!」
「―――はいっ!」
姉の言葉に、青葉は本当に嬉しそうに頷いた。
その様子を微笑ましげに見つめて―――ふと思いつき、くれはは溜息をついてみせる。
「あーあ。でも、青葉に先越されちゃったかぁ。あたしなんか、なに唱えてもうんでもすんでもないのになぁ」
わざとらしく言ってやれば、浮かれていた青葉は途端にうろたえて、
「だ、大丈夫だよ! お姉ちゃんもすぐにウィザードになれます!」
「どーかなぁー、ホントかなぁー。あたし、もしかしたら、一生イノセントのままだったりして―――」
と、弟をからかうつもりで意識せず紡いだその言葉に―――くれはは自分で硬直する。
―――一生、イノセントのまま?―――
「そ、そんなことないです! お姉ちゃんは赤羽の血を引く巫女なんだから!」
慌てたように、青葉が叫ぶ。―――そうだ、そんなことはありえないはずだ。くれはは赤羽の巫女なのだから。
けれど―――事実、今までくれはが何の呪を唱えても、何かが起こったことはない。常の世にあらざる異変を感じ取ったことも、それらに遭遇したこともない。
―――あたしは、本当に、ウィザードになるの?―――
今まで思いつきもしなかった、疑問。けれど、一度浮かんだそれは、もう脳裏から消えてくれない。
―――もしも、一生、イノセントのままだったら―――
それは、赤羽の者としてはあってはならないことだ。けれど―――もしも、そうなったら、
―――あたしは、柊を好きでいてもいいんじゃないの?―――
幼い頃に聞いた、家の巫女たちの会話。その言葉の意味が、今のくれはにならわかる。
あれは―――くれはの縁談の話だ。女系の家系である赤羽の家を継ぐくれはの、婿の話をしていたのだ。
御門と真行寺。赤羽より格上であるこの二家からの縁談は、例え当の婿候補が傍流の末子であろうと、無碍にすることはできない。
けれど、その縁談はくれはがウィザードであり、赤羽の跡継ぎであることが前提である話のはずだ。―――ウィザード同士の婚姻により、その血を守るための話なのだろうから。
だから、それこそ、あってはならないことだけれど―――もしも、くれはがこのままウィザードとして覚醒せず、イノセントであったなら、その話はなかったことになるのではないか?
より強くその血が顕在化した弟の方が、跡継ぎとして相応しいということになったなら―――
そうなれば―――誰憚ることなく、彼を想っても構わないのではないか?
都合のいい夢想。―――彼を護るという誓いを捨てて、家の責務すらも投げて、それでも彼の隣へ行きたいという、身勝手な―――けれど、あまりにも甘美な夢想。
一度浮かんだその夢想は、幾ら拭っても消えてくれなくて―――
あれは―――くれはの縁談の話だ。女系の家系である赤羽の家を継ぐくれはの、婿の話をしていたのだ。
御門と真行寺。赤羽より格上であるこの二家からの縁談は、例え当の婿候補が傍流の末子であろうと、無碍にすることはできない。
けれど、その縁談はくれはがウィザードであり、赤羽の跡継ぎであることが前提である話のはずだ。―――ウィザード同士の婚姻により、その血を守るための話なのだろうから。
だから、それこそ、あってはならないことだけれど―――もしも、くれはがこのままウィザードとして覚醒せず、イノセントであったなら、その話はなかったことになるのではないか?
より強くその血が顕在化した弟の方が、跡継ぎとして相応しいということになったなら―――
そうなれば―――誰憚ることなく、彼を想っても構わないのではないか?
都合のいい夢想。―――彼を護るという誓いを捨てて、家の責務すらも投げて、それでも彼の隣へ行きたいという、身勝手な―――けれど、あまりにも甘美な夢想。
一度浮かんだその夢想は、幾ら拭っても消えてくれなくて―――
一緒に湧き上がってきた彼への想いは―――もはや押し殺せるものではなかった。
◇ ◆ ◇
青葉がウィザードに覚醒した三日後の日曜日。その朝に、身勝手な夢想の報いはくれはの元を訪れた。
『―――わりぃ、くれは。明日から、送り迎え出来なくなった』
珍しく柊の方からかかってきた電話―――それに少々浮かれていたくれはは、言いにくそうに告げられた彼の言葉に、突き落とされたような感覚を覚えた。
「え………? な、んで………?」
『いや………ちょっと、バイト始めてよ。これがシフトきつくて。早朝とか、放課後も速攻で行かないと間にあわねぇんだ』
呆然として呟いたくれはの声に返る、歯切れの悪い彼の言葉。―――きっとそれは、くれはとの約束を反故にしてしまうことを気にしてのことで。
『ホント、わりぃ、いきなりで。―――もっと早く連絡できればよかったんだけどよ』
見えなくても、彼がいつもの、ちょっと困ったような仏頂面を浮かべているのが、わかって。
「―――いいよー、そんな気にしなくて」
精一杯、笑みを装った声で、くれはは告げる。
「実は最近、視線感じなくなってたし。ひーらぎがいると、部活に男手得られて便利だからさぁ、つい黙ってたんだけど」
『―――ぅをいっ!?』
こき使ってただけかっ!? とキレのいいツッコミが返る。
くれはは、そのことに安堵する。―――作り笑いも、視線を感じなくなったという嘘も、ばれてない、と。
電話でよかった。きっと、面と向かって話していたら、くれはの嘘は見破られてしまっていたから。
はぁ、と呆れたような幼馴染のような溜息が、受話器越しに響く。
『まあ、それなら良かったけど―――』
言いかけてふと、不自然に柊の声が途切れた。
「………柊?」
『―――あのさ、くれは………』
何かを問いかける前置きのような呼び掛けに、くれはの心臓が跳ね上がる。
嘘に気づかれてしまったのか―――そう思って―――
けれど、柊は迷うような沈黙の後に、
『………いや、最近物騒だからよ。変な視線がなくなったにしても、気をつけろよ』
「え………あ、うん」
当たり障りのない気遣いの言葉に、くれはは肩透かしを食らったように、ただ頷いた。
彼が何を言いかけたのか―――結局わからないままに、じゃあな、という言葉と共に電話はそこで切れた。
『―――わりぃ、くれは。明日から、送り迎え出来なくなった』
珍しく柊の方からかかってきた電話―――それに少々浮かれていたくれはは、言いにくそうに告げられた彼の言葉に、突き落とされたような感覚を覚えた。
「え………? な、んで………?」
『いや………ちょっと、バイト始めてよ。これがシフトきつくて。早朝とか、放課後も速攻で行かないと間にあわねぇんだ』
呆然として呟いたくれはの声に返る、歯切れの悪い彼の言葉。―――きっとそれは、くれはとの約束を反故にしてしまうことを気にしてのことで。
『ホント、わりぃ、いきなりで。―――もっと早く連絡できればよかったんだけどよ』
見えなくても、彼がいつもの、ちょっと困ったような仏頂面を浮かべているのが、わかって。
「―――いいよー、そんな気にしなくて」
精一杯、笑みを装った声で、くれはは告げる。
「実は最近、視線感じなくなってたし。ひーらぎがいると、部活に男手得られて便利だからさぁ、つい黙ってたんだけど」
『―――ぅをいっ!?』
こき使ってただけかっ!? とキレのいいツッコミが返る。
くれはは、そのことに安堵する。―――作り笑いも、視線を感じなくなったという嘘も、ばれてない、と。
電話でよかった。きっと、面と向かって話していたら、くれはの嘘は見破られてしまっていたから。
はぁ、と呆れたような幼馴染のような溜息が、受話器越しに響く。
『まあ、それなら良かったけど―――』
言いかけてふと、不自然に柊の声が途切れた。
「………柊?」
『―――あのさ、くれは………』
何かを問いかける前置きのような呼び掛けに、くれはの心臓が跳ね上がる。
嘘に気づかれてしまったのか―――そう思って―――
けれど、柊は迷うような沈黙の後に、
『………いや、最近物騒だからよ。変な視線がなくなったにしても、気をつけろよ』
「え………あ、うん」
当たり障りのない気遣いの言葉に、くれはは肩透かしを食らったように、ただ頷いた。
彼が何を言いかけたのか―――結局わからないままに、じゃあな、という言葉と共に電話はそこで切れた。
そして―――その電話の日を境に、くれはは全く柊と会う機会がなくなった。
同時に、奇妙な視線もふつりと感じなくなったけれど、正直それは殆ど慰めにならなかった。
学校や家の近所で彼の姿を見かけても、いつも声をかけるタイミングを逸してしまって―――一言も交わすことなく、そのまま、夏季休暇に入ってしまった。
あれほど恐れていた、彼から完全に離れるという事態に―――くれはは陥ってしまったのだ。
同時に、奇妙な視線もふつりと感じなくなったけれど、正直それは殆ど慰めにならなかった。
学校や家の近所で彼の姿を見かけても、いつも声をかけるタイミングを逸してしまって―――一言も交わすことなく、そのまま、夏季休暇に入ってしまった。
あれほど恐れていた、彼から完全に離れるという事態に―――くれはは陥ってしまったのだ。
そして―――更に、追い討ちのように―――報いは重なる。
◇ ◆ ◇
「―――ねぇ、さっき柊君っぽい人見かけたんだけど、彼、こっちに知り合いとかいるの?」
「―――え?」
買出しから帰って来た友人の問いに、くれはは目を瞬いて振り返った。
夏季休暇を利用しての女友達だけでの旅行。友達の一人が、軽井沢にある実家の別荘を使わせてくれたのだ。
正直、くれははそんな気分ではなくて、家の手伝いを理由に断ろうかとも思ったのだが、当主である桐華に、是非行ってきなさいと送り出されてしまっては、その理由も使えず。
結局、来たんだから楽しんでやれと、半ば開き直りの空元気で過ごしていたのだが―――
予想外なところから告げられた彼の名に、くれはは一瞬反応に戸惑った。
「………いや、そんな話、聞いたことないけど………」
「そっかー。じゃ、やっぱ見間違えかー」
くれはの返答に、友人はうんうんと頷きながら、一人ごちるように言った。
「そりゃそうだよねー、柊君がくれは以外の女の子と歩いてるなんて、ちょっとおかしいと思ったんだ」
その言葉に―――くれはは声もなく硬直した。
代わりに、別の友人がその言葉に反応する。
「え、うっそ。柊君が女の子と?」
「いや、だから人違いだって。………まあ、かなりそっくりだったけど」
「もしかしたら、本人かもしれないじゃん。秘密の彼女と軽井沢デート! ………って、柊君に限ってそれはないか」
彼、そっち系鈍そうだもんねー、と友人は暢気に笑うけれど―――くれはは全く笑えない。
―――柊に、彼女?―――
普段のくれはだったら、あの朴念仁の柊に限って、と笑い飛ばせるけれど―――今回は、できなかった。
夏休み前に突然始めたバイト―――言いかけてやめた言葉―――もしかして、それは全部―――
―――それが原因だったんじゃないの?―――
彼女とデートするために、バイトを始めて―――くれはに彼女のことを言おうとして、言い淀んだのではないか?
そう、思ってしまったのだ。
―――なんで、今まで、考えなかったんだろう―――
それまで、くれはは自分の側の事情しか考えていなかった。―――ウィザードのこと、赤羽の家のこと、自分の婚姻話のこと。
けれど、何より一番重要なのは―――柊自身の気持ちだったのに。
去年まで、柊の友達は即ちくれはの友達を言えるくらい、人間関係も重なっていた。それで、柊にくれは以上に仲のいい女の子がいなかったことを知っていたから―――その可能性を考えもしなかった。
でも、クラスが分かれて、それぞれに人間関係ができれば、それはあって当然の可能性で。
くれはが柊を想ってくれるように、彼がくれはを想ってくれるとは限らず―――彼が別の誰かを想う、という事態は、決して絵空事ではなくて。
「―――え?」
買出しから帰って来た友人の問いに、くれはは目を瞬いて振り返った。
夏季休暇を利用しての女友達だけでの旅行。友達の一人が、軽井沢にある実家の別荘を使わせてくれたのだ。
正直、くれははそんな気分ではなくて、家の手伝いを理由に断ろうかとも思ったのだが、当主である桐華に、是非行ってきなさいと送り出されてしまっては、その理由も使えず。
結局、来たんだから楽しんでやれと、半ば開き直りの空元気で過ごしていたのだが―――
予想外なところから告げられた彼の名に、くれはは一瞬反応に戸惑った。
「………いや、そんな話、聞いたことないけど………」
「そっかー。じゃ、やっぱ見間違えかー」
くれはの返答に、友人はうんうんと頷きながら、一人ごちるように言った。
「そりゃそうだよねー、柊君がくれは以外の女の子と歩いてるなんて、ちょっとおかしいと思ったんだ」
その言葉に―――くれはは声もなく硬直した。
代わりに、別の友人がその言葉に反応する。
「え、うっそ。柊君が女の子と?」
「いや、だから人違いだって。………まあ、かなりそっくりだったけど」
「もしかしたら、本人かもしれないじゃん。秘密の彼女と軽井沢デート! ………って、柊君に限ってそれはないか」
彼、そっち系鈍そうだもんねー、と友人は暢気に笑うけれど―――くれはは全く笑えない。
―――柊に、彼女?―――
普段のくれはだったら、あの朴念仁の柊に限って、と笑い飛ばせるけれど―――今回は、できなかった。
夏休み前に突然始めたバイト―――言いかけてやめた言葉―――もしかして、それは全部―――
―――それが原因だったんじゃないの?―――
彼女とデートするために、バイトを始めて―――くれはに彼女のことを言おうとして、言い淀んだのではないか?
そう、思ってしまったのだ。
―――なんで、今まで、考えなかったんだろう―――
それまで、くれはは自分の側の事情しか考えていなかった。―――ウィザードのこと、赤羽の家のこと、自分の婚姻話のこと。
けれど、何より一番重要なのは―――柊自身の気持ちだったのに。
去年まで、柊の友達は即ちくれはの友達を言えるくらい、人間関係も重なっていた。それで、柊にくれは以上に仲のいい女の子がいなかったことを知っていたから―――その可能性を考えもしなかった。
でも、クラスが分かれて、それぞれに人間関係ができれば、それはあって当然の可能性で。
くれはが柊を想ってくれるように、彼がくれはを想ってくれるとは限らず―――彼が別の誰かを想う、という事態は、決して絵空事ではなくて。
―――これは、報い?―――
ぐらつく視界の中で、くれはは思う。
この事態は、彼への誓いを反故にして、家の事情も放り出して、身勝手に、自分の気持ちだけを彼に押し付けようとした報いなのだろうか、と。
あんな夢想に囚われず、想いを封じたままだったら、きっとこの可能性に、ここまで苦しくならなかったのに、と。
「―――くれは!?」
「ちょ、どうしたの!?」
友人の声を遠くに聴きながら―――くれはは自責と悔恨の渦の中に、意識を落とした。
この事態は、彼への誓いを反故にして、家の事情も放り出して、身勝手に、自分の気持ちだけを彼に押し付けようとした報いなのだろうか、と。
あんな夢想に囚われず、想いを封じたままだったら、きっとこの可能性に、ここまで苦しくならなかったのに、と。
「―――くれは!?」
「ちょ、どうしたの!?」
友人の声を遠くに聴きながら―――くれはは自責と悔恨の渦の中に、意識を落とした。
◇ ◆ ◇
くれはが次に目覚めた時、既に時刻は深夜だった。
側についていてくれたらしい友人も、ベッドの端に突っ伏して眠ってしまっている。
「―――ごめんね………」
くれはは、思わず呟いた。
自分の身勝手な思いに呑まれて、周りに心配をかけて―――なんて、勝手なのだろう。
ベッドから身を起こして、自身にかけられていた上掛けを友人の肩にかける。
そうして、窓から差し込む月明かりに誘われるように―――一人、庭へと降りた。
皓々と降り注ぐ月光の白さは、いつかの雪の日を思い起こさせて、くれはは声もなく涙を流す。
あの日の想いは、ただ純粋で真っ直ぐだったのに、今時分が抱えてる気持ちはこんなにも醜い。
―――ウィザードも、赤羽の責務も、かつての誓いもどうでも良くて、ただ彼の隣に行きたいと渇望して。
―――自分以外の誰かが彼の特別になるなんて嫌だと、見苦しく駄々をこねる。
「―――嫌だな………」
ぽつりと、呟く。―――こんな汚い自分が嫌だと、そう、思って―――
側についていてくれたらしい友人も、ベッドの端に突っ伏して眠ってしまっている。
「―――ごめんね………」
くれはは、思わず呟いた。
自分の身勝手な思いに呑まれて、周りに心配をかけて―――なんて、勝手なのだろう。
ベッドから身を起こして、自身にかけられていた上掛けを友人の肩にかける。
そうして、窓から差し込む月明かりに誘われるように―――一人、庭へと降りた。
皓々と降り注ぐ月光の白さは、いつかの雪の日を思い起こさせて、くれはは声もなく涙を流す。
あの日の想いは、ただ純粋で真っ直ぐだったのに、今時分が抱えてる気持ちはこんなにも醜い。
―――ウィザードも、赤羽の責務も、かつての誓いもどうでも良くて、ただ彼の隣に行きたいと渇望して。
―――自分以外の誰かが彼の特別になるなんて嫌だと、見苦しく駄々をこねる。
「―――嫌だな………」
ぽつりと、呟く。―――こんな汚い自分が嫌だと、そう、思って―――
瞬間―――世界が紅く染まった。
「―――え………!?」
愕然と、空を見上げたくれはの目に映ったのは、白い光を降らせる月ではなく―――妖しい輝きを放つ、紅い月。
悲鳴のような声が、くれはの喉から漏れた。
「―――月匣 ………!」
「あれ、よく知ってるね?」
背後から響いた涼やかな声が、その悲鳴に答えた。
くれはが弾かれたように振り向いた先にいたのは、年の頃十前後の少年。
紅い世界の中で映える碧眼。金の髪にあどけない容貌を備えた、まるでビスクドールのような美少年。
けれど、その実から放たれる禍々しい気配は、彼が人間ではないと、くれはに訴えている。
「―――エミュレイター………!」
思わず後退りながら、くれはは叫ぶ。その様子に、少年は楽しそうに―――愉しそうに、嗤う。
「本当によく知ってるね、お姉さん。もしかしてウィザード? ―――うーん、未覚醒 か、いいとこ新人 ってとこかな?」
「はわっ………!?」
余りにも容易く看破されて、くれはは思わず呻く。
その様を更に嗤うように、少年は―――少年の姿の魔性は、惑いの言葉を紡ぐ。
「プラーナの量はものすごいのに、それをずいぶん持て余してるね。―――何をそんなに迷ってるのかな………?」
妖しい光を湛えた瞳に、心の奥底まで見透かされた気がして、くれはは金縛りにあったように動けなくなった。
少年は、更にくれはの胸の内を暴いていく。
「側に居たいのに、居られない誰か………何を投げ打っても欲しい人が、いるんだね………?」
言われた途端、胸を襲った締めつけるような痛みに、くれははその場に崩れ落ちる。
「―――っかはっ………!」
息が苦しい。声が出ない。膝を突き、胸を押さえて蹲るくれはに、繊手のような白い手が伸びる。
魔性はくれはの顎を持ち上げて上向けると、間近に顔を寄せてその瞳を覗き込む。
「彼が、欲しいんでしょう? ………側に、居て欲しいんでしょう………?」
「―――ち、が………っ………?」
くれはは苦しい息の中、必死に否定する。
―――ここで、この魔性の言葉に頷いたら………!―――
けれど、必死に抗おうと奮い立たせた気持ちは、魔性の一言にあっさりと崩された。
「………他の誰かに、取られてしまってもいいの………?」
「―――ッ!」
今度こそ、くれはははっきりと息を呑む。その胸のうちの間隙をつくように、魔性は嗤い―――
瞬間―――世界が一変した。
魔性の肩越しに見えていた紅い世界が消えて―――現れたのは、白く雪化粧をした生家の神社。賽銭箱の横に並んで座る、二人の子供。
一人は、自分のよく知る、幼い頃の幼馴染の少年。けれど、その隣に居るのは、幼い頃の自分ではなくて―――知らない女の子。
その少女の手には白い小さな箱があって、二人はそれを覗き込みながら、楽しそうに笑っていて―――
「―――ッ、なんでっ………!?」
思わずくれはの口から悲鳴のような声が漏れた。―――あそこに居るのは、自分のはずなのに―――
「そうだね。―――あそこはお姉さんの場所だ」
胸の内を読んだかのような声が、魔性の口から紡がれた。
「元々、お姉さんが居るべき場所なんだから―――取り戻しておいでよ」
謳うように告げられた言葉に―――くれはの身体が独りでに立ち上がった。
ゆらり、と幽鬼のような動きで、くれは自身の意志とは関係なく、二人の元に向かっていく。
愕然と、空を見上げたくれはの目に映ったのは、白い光を降らせる月ではなく―――妖しい輝きを放つ、紅い月。
悲鳴のような声が、くれはの喉から漏れた。
「―――
「あれ、よく知ってるね?」
背後から響いた涼やかな声が、その悲鳴に答えた。
くれはが弾かれたように振り向いた先にいたのは、年の頃十前後の少年。
紅い世界の中で映える碧眼。金の髪にあどけない容貌を備えた、まるでビスクドールのような美少年。
けれど、その実から放たれる禍々しい気配は、彼が人間ではないと、くれはに訴えている。
「―――エミュレイター………!」
思わず後退りながら、くれはは叫ぶ。その様子に、少年は楽しそうに―――愉しそうに、嗤う。
「本当によく知ってるね、お姉さん。もしかしてウィザード? ―――うーん、
「はわっ………!?」
余りにも容易く看破されて、くれはは思わず呻く。
その様を更に嗤うように、少年は―――少年の姿の魔性は、惑いの言葉を紡ぐ。
「プラーナの量はものすごいのに、それをずいぶん持て余してるね。―――何をそんなに迷ってるのかな………?」
妖しい光を湛えた瞳に、心の奥底まで見透かされた気がして、くれはは金縛りにあったように動けなくなった。
少年は、更にくれはの胸の内を暴いていく。
「側に居たいのに、居られない誰か………何を投げ打っても欲しい人が、いるんだね………?」
言われた途端、胸を襲った締めつけるような痛みに、くれははその場に崩れ落ちる。
「―――っかはっ………!」
息が苦しい。声が出ない。膝を突き、胸を押さえて蹲るくれはに、繊手のような白い手が伸びる。
魔性はくれはの顎を持ち上げて上向けると、間近に顔を寄せてその瞳を覗き込む。
「彼が、欲しいんでしょう? ………側に、居て欲しいんでしょう………?」
「―――ち、が………っ………?」
くれはは苦しい息の中、必死に否定する。
―――ここで、この魔性の言葉に頷いたら………!―――
けれど、必死に抗おうと奮い立たせた気持ちは、魔性の一言にあっさりと崩された。
「………他の誰かに、取られてしまってもいいの………?」
「―――ッ!」
今度こそ、くれはははっきりと息を呑む。その胸のうちの間隙をつくように、魔性は嗤い―――
瞬間―――世界が一変した。
魔性の肩越しに見えていた紅い世界が消えて―――現れたのは、白く雪化粧をした生家の神社。賽銭箱の横に並んで座る、二人の子供。
一人は、自分のよく知る、幼い頃の幼馴染の少年。けれど、その隣に居るのは、幼い頃の自分ではなくて―――知らない女の子。
その少女の手には白い小さな箱があって、二人はそれを覗き込みながら、楽しそうに笑っていて―――
「―――ッ、なんでっ………!?」
思わずくれはの口から悲鳴のような声が漏れた。―――あそこに居るのは、自分のはずなのに―――
「そうだね。―――あそこはお姉さんの場所だ」
胸の内を読んだかのような声が、魔性の口から紡がれた。
「元々、お姉さんが居るべき場所なんだから―――取り戻しておいでよ」
謳うように告げられた言葉に―――くれはの身体が独りでに立ち上がった。
ゆらり、と幽鬼のような動きで、くれは自身の意志とは関係なく、二人の元に向かっていく。
―――いけない―――
胸のうちから激しい警鐘が響いているのに、身体は心とは無関係に動いていく。
二人の子供は、目の前に立ったくれはの存在にも気づかない風で、談笑を続けている。
楽しげに笑う、その少女の首へと、独りでにくれはの手が伸びて―――
二人の子供は、目の前に立ったくれはの存在にも気づかない風で、談笑を続けている。
楽しげに笑う、その少女の首へと、独りでにくれはの手が伸びて―――
―――だめ!―――
思って、唯一自由になる視線だけを、少女から逸らして―――瞬間、
少女の持っていた、箱の中のサンタと、目が合った。
「―――ッ!」
くれはは息を呑む。身体の動きが、止まった。
くれはは息を呑む。身体の動きが、止まった。
ただ真っ直ぐだった幼い日の想いの象徴。―――妬心もなく、ただ、彼を護りたいと想っていた頃の気持ちの証。
それを―――
それを―――
―――利用されて―――穢されて―――
ぎり、と少女の間近に迫ったくれはの拳が、強く握られる。
「―――たまるもんかぁ――――――ッ!」
胸のうちの迷いも、妬心も、エゴも―――全て吐き出すように、叫んだ。
途端、くれはの身体の自由が戻る。振り向きざまに、母からお守りにと貰っていた符を懐から引き抜いた。
「―――狙い過たず、我が敵を貫け!」
呪を紡ぎながら、驚いたようにこちらを見つめる魔性を指し示し―――
途端、くれはの身体の自由が戻る。振り向きざまに、母からお守りにと貰っていた符を懐から引き抜いた。
「―――狙い過たず、我が敵を貫け!」
呪を紡ぎながら、驚いたようにこちらを見つめる魔性を指し示し―――
「―――ヴォーテックス―――――ッ!」
「―――なァ―――ッ!?」
驚き呻く魔性を、一撃の下に、葬り去った。
◇ ◆ ◇
再び世界は一変して、くれはは、別荘の一室に立っていた。
そこは、くれはが寝かされていた部屋で、先ほどの白い世界の中で、くれはの立つ位置から見て少女が居た場所には、ベッドに突っ伏して眠る友人の姿があった。
「―――っふっ………っ」
その場に崩れ落ちて、くれははただ、涙する。―――魔性を撃ち滅ぼした力を放ったその手を、ただ見つめて。
あの瞬間―――くれはの胸にあったのは、ただ護りたいという気持ち。
ウィザードのしがらみも、赤羽の責務も関係なく、醜い妬心も、身勝手な渇望もなく、ただ、ただ―――護りたいという、それだけの気持ちで。
その気持ちのまま―――くれははウィザードになった。
そこは、くれはが寝かされていた部屋で、先ほどの白い世界の中で、くれはの立つ位置から見て少女が居た場所には、ベッドに突っ伏して眠る友人の姿があった。
「―――っふっ………っ」
その場に崩れ落ちて、くれははただ、涙する。―――魔性を撃ち滅ぼした力を放ったその手を、ただ見つめて。
あの瞬間―――くれはの胸にあったのは、ただ護りたいという気持ち。
ウィザードのしがらみも、赤羽の責務も関係なく、醜い妬心も、身勝手な渇望もなく、ただ、ただ―――護りたいという、それだけの気持ちで。
その気持ちのまま―――くれははウィザードになった。
―――結局、ここに行き着いちゃうんだね―――
泣きながら、くれはは笑う。
側に居たいとか、他の誰かに取られたくないとか、そんなものは飛び越えて、結局―――
側に居たいとか、他の誰かに取られたくないとか、そんなものは飛び越えて、結局―――
―――あたしは、蓮司を、護りたいんだ―――
あの時、くれはが護りたかったのは、あの日の思い出―――あの日、彼がくれた思い出。
くれはにとって、あの思い出を踏みにじられることは、彼の心を―――彼の在り方を、踏みにじられるのと同じで―――それだけは、許せなかったのだ。
例え、彼を想うことを許されなくても、彼が別の人を選んでもいいから。
くれはにとって、あの思い出を踏みにじられることは、彼の心を―――彼の在り方を、踏みにじられるのと同じで―――それだけは、許せなかったのだ。
例え、彼を想うことを許されなくても、彼が別の人を選んでもいいから。
―――ただ、彼が彼らしく、彼の在り方を何者にも穢されないでいられるように―――
あの時願ったのは、ただ、それだけ。―――そのための力だけ。
だから―――
だから―――
―――この護りたいという気持ちと、そのための力だけを抱いて、生きていく―――
そう、くれはは新たに誓いを立てる。
例え、その引き換えに―――
例え、その引き換えに―――
―――彼に恋する資格を、一生失くしたとしても構わないから―――
その、思いと共に。