Ace combat-The UNSUNG BATTLE-
別に大した望みがあった訳じゃない。
明日も晴れてくれないかなって、その程度のささやかな願いだよ。
夢なんて持てる暮らしじゃなかったしね。でも、そこにはいつも姉さまがいた。
ずっとずっと昔の奥底の、僕の記憶の中に父母の姿は無い。たった一人の僕の家族さ。
明日も晴れてくれないかなって、その程度のささやかな願いだよ。
夢なんて持てる暮らしじゃなかったしね。でも、そこにはいつも姉さまがいた。
ずっとずっと昔の奥底の、僕の記憶の中に父母の姿は無い。たった一人の僕の家族さ。
望みは? 平穏、それだけさ……老けてるなんていうなよ。
理想というには、子供が見る夢にしては小さすぎるって分かってる。
でも、そんな願いでさえも、僕がいた世界は許してくれなかった。
賢し過ぎるエルフと愚か過ぎるヒト、どちらでもない僕らの血は世界が僕らを締め出すのに十分過ぎる理由なのさ。
理想というには、子供が見る夢にしては小さすぎるって分かってる。
でも、そんな願いでさえも、僕がいた世界は許してくれなかった。
賢し過ぎるエルフと愚か過ぎるヒト、どちらでもない僕らの血は世界が僕らを締め出すのに十分過ぎる理由なのさ。
諦めたくなかったから、旅に出た。僕たちを受け入れてくれる世界があるって信じて外を知った。
衰退する大地、争う人々、混迷する世界。目を凝らしても皿にしても、僕たちの居場所なんてとても無かった。
でも、前に進んだよ。信じたかったんだ。人の善を、希望を、未来を信じたかった。
世界さえ変われば、人もきっと変わる。僕と姉さまが過ごせる居場所だって見つかる。“だから世界を救いたかった”。
……今思えば、無茶だったよ。2人分の幸せを手にするのに、世界ごと変えようとしたんだから。
ま、若かったからそれなりに無茶もできた。それに、決して仲間がゼロだったわけじゃなかったし。
衰退する大地、争う人々、混迷する世界。目を凝らしても皿にしても、僕たちの居場所なんてとても無かった。
でも、前に進んだよ。信じたかったんだ。人の善を、希望を、未来を信じたかった。
世界さえ変われば、人もきっと変わる。僕と姉さまが過ごせる居場所だって見つかる。“だから世界を救いたかった”。
……今思えば、無茶だったよ。2人分の幸せを手にするのに、世界ごと変えようとしたんだから。
ま、若かったからそれなりに無茶もできた。それに、決して仲間がゼロだったわけじゃなかったし。
どうなったかって? 世界は救えたよ。英雄は世界を守れたんだ。“でも、ニンゲンは汚いままだった”。
そういうことなんだよ、この世界も、僕らが元々いた世界も同じなんだ。
世界に存在する幸せの総和は有限なんだよ。人が二人いたらそれを奪い合う。
だから、きっと僕らの居場所は何処にも無い。
世界を救ってまで作った小さな隙間さえ、あいつらは平気で奪ったんだから。
世界に存在する幸せの総和は有限なんだよ。人が二人いたらそれを奪い合う。
だから、きっと僕らの居場所は何処にも無い。
世界を救ってまで作った小さな隙間さえ、あいつらは平気で奪ったんだから。
奪わなければ永遠に手に入らないものもある。だから、僕も奪うと決めたんだ。
姉さまが最後に願った夢と、僕のこの願いを叶えるために、世界さえ捨ててやるって。
姉さまが最後に願った夢と、僕のこの願いを叶えるために、世界さえ捨ててやるって。
そう、思って生きてきた。その願いしか、あの無価値な世界の上で生きていく理由も無かったから。
姉さまの願い―――――前に話したっけ? 元の世界で、僕が何をしようとしたか。
そう、千年王国。誰もが同じ種族の、差別の無い世界。無機生命体の楽園だ。
そう、千年王国。誰もが同じ種族の、差別の無い世界。無機生命体の楽園だ。
……まあ、そうだね。わざわざ死にに来た僕の下に来るようなお前がいるんじゃ、無理だったかもね。
でもさ“この世界はそれを実現してる”んだよ。
常識を超えたサウザンドブレイバー、破壊神ネレイドの顕現、ソーディアンのスペックオーバー。
普通なら世界が終わってしまいそうなカオスがあふれ返っている。
なのに、こうして世界が回っている。罅一つさえ入らないこの空を正しく回転させる“何か”がある。
晶霊術・晶術・魔術・爪術にフォルス。最低七つの世界を内包して尚それを一つに統べる“法則”が機能している。
人も同じ。本来交じり合うはずの無い世界の人間たちが“ルール”によって統制されている。
老いも若きも貴賎も強弱さえも関係ない。殺されるか殺すか騙すか騙されるか、生き残ったものが正しくて真実。
人間だけじゃない。精霊も、晶術も、異なる世界から集められた無数の現象が、
たった一つの法則<王>によって支配されるこの世界は、ある意味にて差別も無い―――――――――まさに千年の王国だ。
でもさ“この世界はそれを実現してる”んだよ。
常識を超えたサウザンドブレイバー、破壊神ネレイドの顕現、ソーディアンのスペックオーバー。
普通なら世界が終わってしまいそうなカオスがあふれ返っている。
なのに、こうして世界が回っている。罅一つさえ入らないこの空を正しく回転させる“何か”がある。
晶霊術・晶術・魔術・爪術にフォルス。最低七つの世界を内包して尚それを一つに統べる“法則”が機能している。
人も同じ。本来交じり合うはずの無い世界の人間たちが“ルール”によって統制されている。
老いも若きも貴賎も強弱さえも関係ない。殺されるか殺すか騙すか騙されるか、生き残ったものが正しくて真実。
人間だけじゃない。精霊も、晶術も、異なる世界から集められた無数の現象が、
たった一つの法則<王>によって支配されるこの世界は、ある意味にて差別も無い―――――――――まさに千年の王国だ。
笑えよ。そうあれと信じて積み上げた姉さまの理想は誰とも分からない何かに完成されられて、
しかもその願いは間違ってるって、姉さまと姉さまじゃない姉さまに正面切って目の前で言われた僕を。
しかもその願いは間違ってるって、姉さまと姉さまじゃない姉さまに正面切って目の前で言われた僕を。
知らないまま、愚者と死ねればどれだけ楽だったか。
いつだってそうさ。知りたくも無いことばかり、僕は知り過ぎている。
でも、もうそれも終わる。もう、沢山だ。流れも、姉さまも、理想も、僕を動かすものはもう何も無い。何もかも失った。
後は使えない駒の始末だけ済ませて、心置きなく退場だ。
いつだってそうさ。知りたくも無いことばかり、僕は知り過ぎている。
でも、もうそれも終わる。もう、沢山だ。流れも、姉さまも、理想も、僕を動かすものはもう何も無い。何もかも失った。
後は使えない駒の始末だけ済ませて、心置きなく退場だ。
誰が幕を下ろすかって? 決まってるだろ。そのルールの一つを型作るこの首輪か―――――唯の莫迦だ。
あいつが来るかって? そんなの知るかよ。僕は預言者じゃあないんだ。
でも、万が一来るとしたら、あいつ以外に思いつかない。
でも、万が一来るとしたら、あいつ以外に思いつかない。
…………なんでだろう。あの夜もそうだった。あいつは唯のニンゲンで、姉さまとまったく関係がないのに。
僕の計画の上では、ただエターナルソードを得るまでの時間稼ぎ。一夜だけのトリックスターに過ぎない存在。
重要度でいえば中の下。生きてても死んでてもさして変わらぬ駒。
なのに、あいつは僕の前に現れて、最後の最後で僕の願いを打ち砕いた。
僕がリアラを死に追いやったから? スタンとリアラを引き裂いたから?
……不思議だな。これほどまでに分かり易い理由が並んでいるのに、そのどれでもない様な気がする。
まあ、いいさ。その程度の理由でも。僕を殺すには十分だ。
何もかもを失って、自殺する意志さえもなく、ただ終わることを待とうとした僕の人生。
その果てで待っていたのが、僕の影でもあの化け物でも姉さまでも姉さまの仇さえでもなく、何でもないただ英雄見習いとは。
寝た子を起こすくらいが丁度いい。終わりの終わりに迎える暇潰しとして、これほどの娯楽はきっと無い。
僕の計画の上では、ただエターナルソードを得るまでの時間稼ぎ。一夜だけのトリックスターに過ぎない存在。
重要度でいえば中の下。生きてても死んでてもさして変わらぬ駒。
なのに、あいつは僕の前に現れて、最後の最後で僕の願いを打ち砕いた。
僕がリアラを死に追いやったから? スタンとリアラを引き裂いたから?
……不思議だな。これほどまでに分かり易い理由が並んでいるのに、そのどれでもない様な気がする。
まあ、いいさ。その程度の理由でも。僕を殺すには十分だ。
何もかもを失って、自殺する意志さえもなく、ただ終わることを待とうとした僕の人生。
その果てで待っていたのが、僕の影でもあの化け物でも姉さまでも姉さまの仇さえでもなく、何でもないただ英雄見習いとは。
寝た子を起こすくらいが丁度いい。終わりの終わりに迎える暇潰しとして、これほどの娯楽はきっと無い。
来いよ。カイル=デュナミス。復讐でも正義でもなんでもいいからそれで僕を終わらせろ。
その代わり、何も知らないお前に最後に教えてやるよ。
その代わり、何も知らないお前に最後に教えてやるよ。
何かを捨てなきゃ、英雄にはなれないのさ。たとえ、その願いがどれだけささやかな願いでも。
――――――――――
ずっと、昔から憬れてたんだ。
父さん。英雄と讃えられた、俺の自慢の父さん。記憶の中だけの父さん。
追いつきたかった。少しでも父さんに近づきたかった。父さんと同じになれば、もう一度会える様な気がしてた。
英雄になれば、きっと帰ってくる。ひょっとしたら、それくらい思ってたかも。
父さん。英雄と讃えられた、俺の自慢の父さん。記憶の中だけの父さん。
追いつきたかった。少しでも父さんに近づきたかった。父さんと同じになれば、もう一度会える様な気がしてた。
英雄になれば、きっと帰ってくる。ひょっとしたら、それくらい思ってたかも。
今思うとすごく頭悪いなあ。今もそんな良くないんだけどさ。
旅を始めたころは、それくらい莫迦で、何も知らなかったんだ。その中で色々教わったよ。
英雄―――――何かを成して讃えられる称号。その英雄になる為に何かをするってことの矛盾。
父さんの道をなぞってるだけじゃ、何時までも父さんの影から抜け出せないってことも。
旅を始めたころは、それくらい莫迦で、何も知らなかったんだ。その中で色々教わったよ。
英雄―――――何かを成して讃えられる称号。その英雄になる為に何かをするってことの矛盾。
父さんの道をなぞってるだけじゃ、何時までも父さんの影から抜け出せないってことも。
孤児院の外の現実は厳しかった。でも、挫けはしなかったよ。
俺には、俺を支えてくれる仲間が―――――――俺を英雄だと言ってくれる人がいたから。
俺には、俺を支えてくれる仲間が―――――――俺を英雄だと言ってくれる人がいたから。
<人ひとり……自分の大事な人も守れないやつが、英雄になんてなれっこないです>
貴方も、知っている人に言ったことがあります。俺が目指した英雄の形です。
世界の為に一人を切り捨てるような英雄じゃなくて、その子の為の、英雄。
ウッドロウさんとも、フィリアさんとも、母さんとも……父さんとも違う、俺が目指す俺だけの英雄。
だから、より多くの為にたった一人を切り捨てる遣り方を許せなかった。
……やっぱ、覚えてましたよね。あの時は、俺も頭に血が上っちゃって。
でも、間違ってたとは今でも思ってません。
それは腰抜けの考え方で、両方を守る方法を見つけ出すことを諦めた弱さなんだって。
世界の為に一人を切り捨てるような英雄じゃなくて、その子の為の、英雄。
ウッドロウさんとも、フィリアさんとも、母さんとも……父さんとも違う、俺が目指す俺だけの英雄。
だから、より多くの為にたった一人を切り捨てる遣り方を許せなかった。
……やっぱ、覚えてましたよね。あの時は、俺も頭に血が上っちゃって。
でも、間違ってたとは今でも思ってません。
それは腰抜けの考え方で、両方を守る方法を見つけ出すことを諦めた弱さなんだって。
俺は“あの時まだ”知らなかった。
英雄という業は、そんな青臭い理想が通じない世界にあるんだって。
英雄という業は、そんな青臭い理想が通じない世界にあるんだって。
今の俺には、それを口にする資格さえない。
それくらい、いろんな物を無くし過ぎた。失っても、それでも前に進む人を見過ぎた。
“もう一度”逢えたなんて浮かれていた俺とは、決意も覚悟も違ってた。
だから、あいつの示した選択を受け止められずに、俺は大切なものを2つも、“二度も”溢した。
貴方も、見てましたもんね。最悪にダサくて、死ぬほどかっこ悪い俺を。
それくらい、いろんな物を無くし過ぎた。失っても、それでも前に進む人を見過ぎた。
“もう一度”逢えたなんて浮かれていた俺とは、決意も覚悟も違ってた。
だから、あいつの示した選択を受け止められずに、俺は大切なものを2つも、“二度も”溢した。
貴方も、見てましたもんね。最悪にダサくて、死ぬほどかっこ悪い俺を。
そんな俺を、支えてくれた人がいる。自棄になってた俺に、命の意味を教えてくれた人がいる。
待っていてくれた人がいる。あんなにボロボロになって、それでも守りにきた俺を覚えていてくれた人がいる。
守ってくれている人がいる。例えそれが償いのためだとしても、俺の命を何度も救ってくれた人がいる。
一人じゃ立つことも出来ない俺を、色んな人たちが支えてくれた。
待っていてくれた人がいる。あんなにボロボロになって、それでも守りにきた俺を覚えていてくれた人がいる。
守ってくれている人がいる。例えそれが償いのためだとしても、俺の命を何度も救ってくれた人がいる。
一人じゃ立つことも出来ない俺を、色んな人たちが支えてくれた。
でも、そろそろ一人で立たないと。いくらなんでもダサ過ぎる。敵討ちくらい一人でできないと、さ。
…………でも、なんでだろう……何で、あいつなんだろう。いつの間にか、そう思ってた。
大切な人たちの仇だからだけじゃない。俺が、あいつを倒さないとダメなんだって。
ミトス=ユグドラシル。あいつは、今まで出会った誰とも違っていた。
人間離れしたやつならいっぱい見てきた。英雄殺し、聖女、そして神。アイツはその誰とも違ってた。
たった一人の為に、体の時間を止めてまで千年を生きて、世界を犠牲にする道を選んだ英雄。
大切な人たちの仇だからだけじゃない。俺が、あいつを倒さないとダメなんだって。
ミトス=ユグドラシル。あいつは、今まで出会った誰とも違っていた。
人間離れしたやつならいっぱい見てきた。英雄殺し、聖女、そして神。アイツはその誰とも違ってた。
たった一人の為に、体の時間を止めてまで千年を生きて、世界を犠牲にする道を選んだ英雄。
最初からあいつの存在が気に入らなかった。その意味も分からなかった。
あいつを、ううん、あいつの口にする“英雄”を、俺は受け入れることが出来なかった。
あの人の時みたいに、全部分かっているけど答えを知りたくないとかじゃなくて、
答えだけは分かっているのに、頭でそれが理解できなかった。
あいつを、ううん、あいつの口にする“英雄”を、俺は受け入れることが出来なかった。
あの人の時みたいに、全部分かっているけど答えを知りたくないとかじゃなくて、
答えだけは分かっているのに、頭でそれが理解できなかった。
でも今ならはっきり分かる。アイツは、俺の手で倒さなきゃ駄目だったんだって。
負けない程度じゃ全然足りなかった。完璧に潰さなきゃ、勝たなきゃだめなんだって。他でもない俺自身の為に。
負けない程度じゃ全然足りなかった。完璧に潰さなきゃ、勝たなきゃだめなんだって。他でもない俺自身の為に。
―――――――ディムロス。俺、やっと分かったんだよ。
俺がしたいこと。俺が前に進むための力。俺の中に残ってた、最後の気持ち。
言いたいことがいっぱいあるんだ。俺の我侭に最後まで付き合ってくれた、お前に最初に伝えたいんだ。
だから、生きたい。
まだ、もう少し生きていたい。
出来ることなら、ずっと生きていたい。
けど、血が寒くて、眼が霞んで、砕けた膝が笑ってる。陽の光が無くて、夜が痛い。
俺がしたいこと。俺が前に進むための力。俺の中に残ってた、最後の気持ち。
言いたいことがいっぱいあるんだ。俺の我侭に最後まで付き合ってくれた、お前に最初に伝えたいんだ。
だから、生きたい。
まだ、もう少し生きていたい。
出来ることなら、ずっと生きていたい。
けど、血が寒くて、眼が霞んで、砕けた膝が笑ってる。陽の光が無くて、夜が痛い。
ごめん。俺、まだ貴方に伝えていないことがある。貴方が知っている俺が、まだ知らないことを。
本当は、最初から知ってたんだ。知ってたけど、忘れたかった。ううん、無かったことにしたかった
何かを失わなければ、英雄にはなれないって。たとえそれが、たった一人の女の子の為だったとしても。
本当は、最初から知ってたんだ。知ってたけど、忘れたかった。ううん、無かったことにしたかった
何かを失わなければ、英雄にはなれないって。たとえそれが、たった一人の女の子の為だったとしても。
時間が無いのが、悔しい。音にする時間さえ惜しい。
ああ、誰か、俺に時間を。
ああ、誰か、俺に時間を。
話さなきゃならないことが、貴方に――――――――――――――――――
伝えたいことが、君に――――――――――――――――――――――――
伝えたいことが、君に――――――――――――――――――――――――
――――――――――
サイグローグは顎を拳の上に載せて盤面を見据えていた。注視しているのは、駒の密集しているC3ではなくB3だ。
あまり特徴のない上座の男のニヤけ顔を一瞥したあと、サイグローグは考える。
現在、上座・ベルセリオスが『天使』を氷の女王の説得行動を終了させた『炎剣』へと攻撃させてターンが終了。
下座が長考を始めていた。永遠と錯覚しそうな時間、下座は盤上を睨み付けている。
サイグローグは、その下座の停滞を見てある種の断定を下した。
(これは……やはり罠とみるのが妥当でしょうか。指し手を見る限り、上座は下座の行動目的を断定したとみて間違いないでしょう)
下座は現在まで、剃刀の上を滑るような指し手を繰り広げている。
烏の成金、学士の復権、弓士の蘇生……どれも危うすぎる。サイグローグ自身が警告を下す一歩手前の奇手ばかり。
たとえ以前の棋譜から上座の基本戦略を把握しているとしても、一歩踏み間違えれば確実に全滅するような危うい指し手だ。
人間では怖すぎて打てるかどうかも危ういものだか、逆にその指針は明快きわまる。
これほどまでに危険を冒しながら、盤から零れおちた駒は厳密にはたった一つのみ。リスクを極限に引き上げての、リターン重視戦略。
あまり特徴のない上座の男のニヤけ顔を一瞥したあと、サイグローグは考える。
現在、上座・ベルセリオスが『天使』を氷の女王の説得行動を終了させた『炎剣』へと攻撃させてターンが終了。
下座が長考を始めていた。永遠と錯覚しそうな時間、下座は盤上を睨み付けている。
サイグローグは、その下座の停滞を見てある種の断定を下した。
(これは……やはり罠とみるのが妥当でしょうか。指し手を見る限り、上座は下座の行動目的を断定したとみて間違いないでしょう)
下座は現在まで、剃刀の上を滑るような指し手を繰り広げている。
烏の成金、学士の復権、弓士の蘇生……どれも危うすぎる。サイグローグ自身が警告を下す一歩手前の奇手ばかり。
たとえ以前の棋譜から上座の基本戦略を把握しているとしても、一歩踏み間違えれば確実に全滅するような危うい指し手だ。
人間では怖すぎて打てるかどうかも危ういものだか、逆にその指針は明快きわまる。
これほどまでに危険を冒しながら、盤から零れおちた駒は厳密にはたった一つのみ。リスクを極限に引き上げての、リターン重視戦略。
下座は明らかに“生き残った全員を可能な限り生きたままバトルロワイアルから解放すること”を目的としている。
その気持ちそのものはサイグローグにも分からないわけではない。
上座の戦術『バトルロワイアル』が展開している限り常に主導権を上座が握ることになり、下座は受けに回らざるを得ない。
かといってその戦術下に置かれた上座の駒を倒しに行けば、犠牲が大きすぎる。いずれもトップクラスの性能だ。
クラス『マーダー』に属する4駒に真正面からぶつかれば単純計算で最低4駒犠牲にしなけれなならないだろう。
残り10駒のうち8駒が落ちて残り2。そのうちの一人が潜伏ステルス『学士』か烏の中の『海神』が割り込めば上座の勝利確定だ。
仮に2駒が真っ当なクラス『対主催』だったとしても、残り2では王を打ち取るには戦力が足りなすぎる。
そもそも、後一人殺せば生還できる状況でどれだけ自らのクラスを維持できるかという問題さえある。
上座の戦術『バトルロワイアル』が展開している限り常に主導権を上座が握ることになり、下座は受けに回らざるを得ない。
かといってその戦術下に置かれた上座の駒を倒しに行けば、犠牲が大きすぎる。いずれもトップクラスの性能だ。
クラス『マーダー』に属する4駒に真正面からぶつかれば単純計算で最低4駒犠牲にしなけれなならないだろう。
残り10駒のうち8駒が落ちて残り2。そのうちの一人が潜伏ステルス『学士』か烏の中の『海神』が割り込めば上座の勝利確定だ。
仮に2駒が真っ当なクラス『対主催』だったとしても、残り2では王を打ち取るには戦力が足りなすぎる。
そもそも、後一人殺せば生還できる状況でどれだけ自らのクラスを維持できるかという問題さえある。
もしも中盤のように複数の個所で多面的な混乱が起きているならば上座が別の場所へと手を進める間にマーダー同士で同士討ちを仕掛ける策もあるが、
この終盤ではそれは期待できない。そんな緩い手を打てばそこを起点に即座に蹂躙される。“この戦いは読み合いが前提項となるが故に”。
この終盤ではそれは期待できない。そんな緩い手を打てばそこを起点に即座に蹂躙される。“この戦いは読み合いが前提項となるが故に”。
途中からの参戦だからとはいえ、スタートとしては下座が圧倒的に不利な盤面。
とにもかくにも、下座はこの最悪の泥沼から抜け出す必要があった。
だから下座は徹底的に上座の攻撃を耐えつつ、駒を貯え、反撃の時を待っている。それは分かる。
(ですが、全員はやりすぎでしょう。だから今、上座はそれを逆手に恐るべき策を打ってきた)
それが即ち、天使のB3撤退だ。マーダーの自殺という定石では決してありえないこの指し手は、下座の戦略を前提に置いたときこそ悪意を見せる。
心の揺らぎを隙とみせ、いかにもな誘い。しかしそこに待ち構えるのは持久戦に最高な回復装置と禁止エリアという名の時限地雷。
要するに上座はこう言っているのだ。
とにもかくにも、下座はこの最悪の泥沼から抜け出す必要があった。
だから下座は徹底的に上座の攻撃を耐えつつ、駒を貯え、反撃の時を待っている。それは分かる。
(ですが、全員はやりすぎでしょう。だから今、上座はそれを逆手に恐るべき策を打ってきた)
それが即ち、天使のB3撤退だ。マーダーの自殺という定石では決してありえないこの指し手は、下座の戦略を前提に置いたときこそ悪意を見せる。
心の揺らぎを隙とみせ、いかにもな誘い。しかしそこに待ち構えるのは持久戦に最高な回復装置と禁止エリアという名の時限地雷。
要するに上座はこう言っているのだ。
“全員救うんだろ? 早く来ないと殺してしまうよ?”
天使解放を餌に駒を釣り、氷の女王と禁止エリアで挟みあげる釣り野伏。人情を盾とした陰湿この上ない策だ。
そして、下座は炎剣を北へと動かした。その思惑に乗ってかどうかは分からないが、これはあまりに軽率すぎる。
確かに天使と氷の女王は駒としてかなり優秀であり、持ち駒に出来るのであればこれほど便利な物もそうそうない。
全員を割くわけにはいかない以上、その回収役として炎剣を用いるのも妥当ではある。
だが、その為に貴重な自駒を危険にさらすのは更に危うい。それこそが上座の、ベルセリオスの思惑だ。
天使を餌に炎剣を吊り上げ、大々的に放送でその名前を告げる。それを起点として再度氷剣がマーダーに落ちる可能性を残すつもりだ。
例え即時効果は無くとも、王を攻める敵陣の背面を突くための楔としては悪くない。
もしかすれば、上座はここまでを見越した保険としてB3を禁止エリアにしていたのかもしれない。
そして、下座は炎剣を北へと動かした。その思惑に乗ってかどうかは分からないが、これはあまりに軽率すぎる。
確かに天使と氷の女王は駒としてかなり優秀であり、持ち駒に出来るのであればこれほど便利な物もそうそうない。
全員を割くわけにはいかない以上、その回収役として炎剣を用いるのも妥当ではある。
だが、その為に貴重な自駒を危険にさらすのは更に危うい。それこそが上座の、ベルセリオスの思惑だ。
天使を餌に炎剣を吊り上げ、大々的に放送でその名前を告げる。それを起点として再度氷剣がマーダーに落ちる可能性を残すつもりだ。
例え即時効果は無くとも、王を攻める敵陣の背面を突くための楔としては悪くない。
もしかすれば、上座はここまでを見越した保険としてB3を禁止エリアにしていたのかもしれない。
無論、決して下座が無策で北に攻め入ったとはサイグローグも思っていない。
可能な限りの備えを打った後に攻め入ったのは事実だ。だが、盤面を見る限り下座はTP枯渇による短期決戦を狙っていたはず。
ジャッジメントを巡る攻防は、これを見越していた部分もあったのかもしれない。
魔力切れで達磨にした天使を早々に懐柔するならば、氷の女神の説得含め殺すよりも早く終わらせられたはずだ。
ここまで上手く役を運べたのだ。下座が未練がましく、月が四回転するほどの長考にて粘りたいのは分からないでもない。
可能な限りの備えを打った後に攻め入ったのは事実だ。だが、盤面を見る限り下座はTP枯渇による短期決戦を狙っていたはず。
ジャッジメントを巡る攻防は、これを見越していた部分もあったのかもしれない。
魔力切れで達磨にした天使を早々に懐柔するならば、氷の女神の説得含め殺すよりも早く終わらせられたはずだ。
ここまで上手く役を運べたのだ。下座が未練がましく、月が四回転するほどの長考にて粘りたいのは分からないでもない。
だが現実として、その青写真はもう成立しない。上座がそれを阻止した。
メンタルサプライという、あまりにも異常な策をもって切り返した。
体力を削ってでも継戦を重視。もう用済みと言わんばかりなこの非道な手によって、下座の戦略は完全に瓦解したと言っていいだろう。
メンタルサプライという、あまりにも異常な策をもって切り返した。
体力を削ってでも継戦を重視。もう用済みと言わんばかりなこの非道な手によって、下座の戦略は完全に瓦解したと言っていいだろう。
(ここが引き際でしょう……これだけ傷を負った天使では駒の性能も落ちてるでしょうし、無理をして引き込む魅力がない……
半壊とはいえ氷の女王を掌中に収められただけでも、好とすべき………………!?)
半壊とはいえ氷の女王を掌中に収められただけでも、好とすべき………………!?)
カン、と音が鳴った。停滞という名の錆が、その音にて一瞬で払拭される。
陰鬱な部屋の中に響く凛としたその駒音は、白魚のような指先によって前に進められた炎剣から放たれていた。
「……確認します……このゲームにおいて私が議題としない限り……一度動かした駒の変更は効きません……よろしいですか?」
サイグローグは僅かに訝しみを籠めて問う。盤面を再確認するが、少なくとも現時点で活路があるとは思えない。
最寄は北地区の二つだが、このタイミングでは既に行動フェイズ終了だ。
下座が小さく首を縦に振って返答する。
サイグローグは少しだけ嘆息をついて、それを受領した。
欲に駆られ大局を見失なったか。情に駆られ戦略を放棄したか。
カオスを好むサイグローグ個人としてはそれも嫌いではないのだが、相手が悪すぎる。
この世界を支配するは論理の巣。情に目を曇らせれば即座に捕まってしまう。
陰鬱な部屋の中に響く凛としたその駒音は、白魚のような指先によって前に進められた炎剣から放たれていた。
「……確認します……このゲームにおいて私が議題としない限り……一度動かした駒の変更は効きません……よろしいですか?」
サイグローグは僅かに訝しみを籠めて問う。盤面を再確認するが、少なくとも現時点で活路があるとは思えない。
最寄は北地区の二つだが、このタイミングでは既に行動フェイズ終了だ。
下座が小さく首を縦に振って返答する。
サイグローグは少しだけ嘆息をついて、それを受領した。
欲に駆られ大局を見失なったか。情に駆られ戦略を放棄したか。
カオスを好むサイグローグ個人としてはそれも嫌いではないのだが、相手が悪すぎる。
この世界を支配するは論理の巣。情に目を曇らせれば即座に捕まってしまう。
だが、あるいは。
サイグローグが柏手を打ち、両者の意思を合一する。
あるいは、それを超える一手がここに残されているというのか。
あるいは、それを超える一手がここに残されているというのか。
「両プレイヤーの続行意思を確認しました……それでは……“お待たせしました”。
戦闘再開です……先手、時の紡ぎ手……行動の開始をお願いします……」
戦闘再開です……先手、時の紡ぎ手……行動の開始をお願いします……」
ならばその一手はもはや、神のそれに他ならない。
絶望と諦観と失意を知る子供が、空に二人。
帰る場所を亡くした小鳥たちの物語。ただ、それだけのもののかたり。
帰る場所を亡くした小鳥たちの物語。ただ、それだけのもののかたり。
――――――――――
正邪入り交って繰り広げられた村の戦火もほとんど鎮静し、この島は“ほぼ”静寂を取り戻した。
天を見上げれば空の蒼も鳴りを潜め、双月が再び色彩を取り戻し始めている。
だが、まだ眠るには早いとばかりに喧騒が響く。
夕の赤と夜の藍、太陰と太陽が二つ混じり合うこの太極の上で、双極の如く飛び回る二つの点があった。
「・-・-- ・・ ・-・-・ -・-・・ --・・ ・・ ・-・-・ ・-・・ ・- ・-・-・・(水、雷にて解し火を熾す)」
双極の一、ミトス=ユグドラシルの手が前方に突き出される。
そこに握られた神秘の紋章が悲鳴を上げるように輝き、周囲の現象が書き換えられる。
ミスティシンボルを備えたミトスの初級魔術の高速詠唱は最早言語の体を成さない。
「行け!」
火球四発・落雷一閃・水刃三枚。教科書の手本のような三矢が突き立てられた剣指の号令の下、敵を目指し放たれる。
初級魔術とはいえ、それを三つも束ねれば相応の威力を有するだろう。
だが、ミトスはそれを集めることなく散らして放つ。
先ほどまでのアイスニードルと異なり、意図的に統制を乱して繰り出された魔術は眼前の敵に紙一重にまとめて回避することを許さない。
一つ一つ避けるのは容易くともそれを連続してとなればその難度は累乗となる。
敵は細かい回避を余儀なくされ、そしてその姿勢から次を回避しなければならなくなる。攻撃に転じる余裕などない。
「・-- -・-・・ -・・・ -・ ・・-- ・・- -・-・・ ・・ ・・- (焼いた土に木を生やす)」
小技の乱打は止むことを知らない。既に唱え終わっていたか、
正面からのファイアボールに加え周囲からウインドカッター、下方よりストーンブラストが敵に放たれる。
それは当てるというよりは封じると言った方がしっくりくる攻撃だった。
直撃を狙うことなく、周囲を攻囲し機動力を奪いきる。確実に避けられぬ場所まで追いつめて、まだ追い詰め抜く。
一見してただの乱れ撃ちに見える連射はその実詰め将棋のように強かだ。
それを相手もそれを察しているのか、多少強引であろうとも抜け切る必要があると力を蓄える。
そして、その隙をミトスと彼女は見逃さない。
「アトワイト!」
『EXスキル変更、エリアルスペル→キープスペル。充填終わってる!』
「上出来だ。フリーズランサー全弾投擲!!」
ミトスの持つソーディアン・アトワイトがそのレンズとエクスフィアを青く輝かせる。
相手の“溜め”の出掛りを狙い澄ましたように本命の中級魔術が敵を狙い穿った。
その流れるような詰め方は、先ほどまでの闘法と似て非なるものだった。
連射の効く初級魔術が狙うのは相手の機動力そのものではなくその機動力を生かす“空域”だ。
逃げられる場所を削り、行動範囲を絞り取っていく。
檻から逃れよう暴れれば、牽制の合間合間にアトワイトがキープした中級魔術を解凍してカウンターを叩き込む。
戦闘補助こそが骨頂であるアトワイトがミトスの輝石のサポートに回ったことで、その魔術精度はタガが外れたように鋭く歪む。
物理的にも“心理的にも”攻撃にのみ専心することが初めて可能となったミトスの術は、新しい遊び場を見つけた子供のように自由だ。
術しか届きようのない距離で、この空はミトスが圧倒的優勢を得る魔力の楽園と化す。
<Turn Shift>
天を見上げれば空の蒼も鳴りを潜め、双月が再び色彩を取り戻し始めている。
だが、まだ眠るには早いとばかりに喧騒が響く。
夕の赤と夜の藍、太陰と太陽が二つ混じり合うこの太極の上で、双極の如く飛び回る二つの点があった。
「・-・-- ・・ ・-・-・ -・-・・ --・・ ・・ ・-・-・ ・-・・ ・- ・-・-・・(水、雷にて解し火を熾す)」
双極の一、ミトス=ユグドラシルの手が前方に突き出される。
そこに握られた神秘の紋章が悲鳴を上げるように輝き、周囲の現象が書き換えられる。
ミスティシンボルを備えたミトスの初級魔術の高速詠唱は最早言語の体を成さない。
「行け!」
火球四発・落雷一閃・水刃三枚。教科書の手本のような三矢が突き立てられた剣指の号令の下、敵を目指し放たれる。
初級魔術とはいえ、それを三つも束ねれば相応の威力を有するだろう。
だが、ミトスはそれを集めることなく散らして放つ。
先ほどまでのアイスニードルと異なり、意図的に統制を乱して繰り出された魔術は眼前の敵に紙一重にまとめて回避することを許さない。
一つ一つ避けるのは容易くともそれを連続してとなればその難度は累乗となる。
敵は細かい回避を余儀なくされ、そしてその姿勢から次を回避しなければならなくなる。攻撃に転じる余裕などない。
「・-- -・-・・ -・・・ -・ ・・-- ・・- -・-・・ ・・ ・・- (焼いた土に木を生やす)」
小技の乱打は止むことを知らない。既に唱え終わっていたか、
正面からのファイアボールに加え周囲からウインドカッター、下方よりストーンブラストが敵に放たれる。
それは当てるというよりは封じると言った方がしっくりくる攻撃だった。
直撃を狙うことなく、周囲を攻囲し機動力を奪いきる。確実に避けられぬ場所まで追いつめて、まだ追い詰め抜く。
一見してただの乱れ撃ちに見える連射はその実詰め将棋のように強かだ。
それを相手もそれを察しているのか、多少強引であろうとも抜け切る必要があると力を蓄える。
そして、その隙をミトスと彼女は見逃さない。
「アトワイト!」
『EXスキル変更、エリアルスペル→キープスペル。充填終わってる!』
「上出来だ。フリーズランサー全弾投擲!!」
ミトスの持つソーディアン・アトワイトがそのレンズとエクスフィアを青く輝かせる。
相手の“溜め”の出掛りを狙い澄ましたように本命の中級魔術が敵を狙い穿った。
その流れるような詰め方は、先ほどまでの闘法と似て非なるものだった。
連射の効く初級魔術が狙うのは相手の機動力そのものではなくその機動力を生かす“空域”だ。
逃げられる場所を削り、行動範囲を絞り取っていく。
檻から逃れよう暴れれば、牽制の合間合間にアトワイトがキープした中級魔術を解凍してカウンターを叩き込む。
戦闘補助こそが骨頂であるアトワイトがミトスの輝石のサポートに回ったことで、その魔術精度はタガが外れたように鋭く歪む。
物理的にも“心理的にも”攻撃にのみ専心することが初めて可能となったミトスの術は、新しい遊び場を見つけた子供のように自由だ。
術しか届きようのない距離で、この空はミトスが圧倒的優勢を得る魔力の楽園と化す。
<Turn Shift>
だが、この遊び場は決して一人だけのものではない。
アトワイトが前面で戦っていた時に初級晶術の連射で敵を追い詰めていたように、
空での戦いではダメージより“当てる”ことそのものの方が重要となってくる。
平面から立体へとシフトした戦場はただでさえ攻撃が当てにくく、しかし逃げ場無き空の上では一撃が即死に直結する。
空戦に於いて肝要なのは、どれだけ多く傷を負わせたかではなくどれだけ早く傷を負わせるかだ。
たとえ初級術でも一回直撃させれば連携に繋いで、それでほぼ勝ちを拾いに行ける。それがミトスの術であるならば尚更だ。
その点を考えれば、ミトス達の戦術はあまりに慎重すぎると言っても良かった。一回当てればほぼ片がつくのだから。
戦闘中の調整を可能とするためとはいえ、自分で調整を行うべき輝石までアトワイトに任せてのこの攻撃。
網で完全に囲ってから槍で突き刺すなど、虫や鳥を撃ち落とすためのものにしては豪壮すぎる。それではまるで、獣狩りではないか。
だが、とミトスは双剣を握りしめた。
確実に当てるために周りを囲む。効果領域の広い中級術で堅実に当てる。
それは事実の側面にすぎない。裏側に潜むのは、そこまでしなければならないという事実。
初級術で囲っているのは、直撃が当てられないから。中級術で射抜こうとしているのは、そうでもしなければ止まらないから。
―――――――――――――――飛ぶ獣が相手では、これでも未だ殺しきれない。
空での戦いではダメージより“当てる”ことそのものの方が重要となってくる。
平面から立体へとシフトした戦場はただでさえ攻撃が当てにくく、しかし逃げ場無き空の上では一撃が即死に直結する。
空戦に於いて肝要なのは、どれだけ多く傷を負わせたかではなくどれだけ早く傷を負わせるかだ。
たとえ初級術でも一回直撃させれば連携に繋いで、それでほぼ勝ちを拾いに行ける。それがミトスの術であるならば尚更だ。
その点を考えれば、ミトス達の戦術はあまりに慎重すぎると言っても良かった。一回当てればほぼ片がつくのだから。
戦闘中の調整を可能とするためとはいえ、自分で調整を行うべき輝石までアトワイトに任せてのこの攻撃。
網で完全に囲ってから槍で突き刺すなど、虫や鳥を撃ち落とすためのものにしては豪壮すぎる。それではまるで、獣狩りではないか。
だが、とミトスは双剣を握りしめた。
確実に当てるために周りを囲む。効果領域の広い中級術で堅実に当てる。
それは事実の側面にすぎない。裏側に潜むのは、そこまでしなければならないという事実。
初級術で囲っているのは、直撃が当てられないから。中級術で射抜こうとしているのは、そうでもしなければ止まらないから。
―――――――――――――――飛ぶ獣が相手では、これでも未だ殺しきれない。
「はああああああッ!!!」
大気に鈍い風斬り音が唸り響く。空気まで歪みそうな程の熱気を纏った一刀が空を斬った。
六連の魔術を辛うじて交わした直後の応対、とてもではないが安定した姿勢をとることなどできない。
だが、彼は振った。技も、何もなくただその大太刀を振り抜き切った。
それだけで仄かな赤みを持った太刀筋に割かれて氷槍が飴と焦げ消え、蒸発による大気の膨張が局地的な突風を生み出す。
『嘘、あの状態から術剣!?』
「違う。技なんて上等なものじゃない。“ただ斬っただけ”だ」
唯の斬撃だけで火を熾しかねないほどの熱量。この距離でさえ肌が渇くような錯覚をミトスは覚えていた。
いや、それは渇きだけではないのだろう。ひり付くような、打ち震えるような何かは彼の内側より喚起される。
『熱量増大!? ミトス!!』
アトワイトが熱源の増大に気づくよりも僅かに早く、ミトスはミスティシンボルを構えていた。
中級を放ったあとの微かな詠唱硬直、一刀により空いた風の道、そして直線。
『ようやく空いた。行くぞ、カイル』
「うん。行くよ、ディムロス』
爆ぜるような音とともに、“敵”の後ろに焔が舞い上がった。
彼と彼のを隔てる距離はまだかなりの長さがあった。それでもミトスは剣を楯とする。それでも間に合うか。
直線距離が幾ら開こうがあのチームには、カイル=デュナミスとソーディアン・ディムロスには意味がない。
どれほど無限に伸びようが、直線である以上は彼らの射程なのだから。
爆熱。自らが発生させた熱に弾かれるように、箒に跨ったカイルが飛翔する。
身を竿に屈め、食いしばる様に加速度と風圧に耐える。
水の足りないパン生地のようにボロボロと崩れてしまいそうな肉体と心を抱えて、それでもカイルは剣を握った。
その眼光は、ただ一点を見据える。竿が指し示すその先には、舞い飛ぶ風の向こうに輝く虹色の翅。
誰かの為にではなく、自らの意志で打ち倒さなければならない存在。
「勝つ。勝って、全部はそっからだ!!」
風を前にして閉じられることなく開かれた瞳が、もう二度と揺るがないと決意を湛えている。
100の距離は3秒かからず4と縮み、互いの睫毛が見えるほどに接しかける。
「・・-・ ・-・・ ・・・ -・- -・--(剣鋭を招き、腕剛に来たる)!!」
間一髪で挟んだシャープネスの輝きを腕にまとわせながら、ミトスは薄暗い表情を浮かべた。
前座に時間を割いて待つだけの値があったとミトスは眼前の大きな瞳に確信した。
六連の魔術を辛うじて交わした直後の応対、とてもではないが安定した姿勢をとることなどできない。
だが、彼は振った。技も、何もなくただその大太刀を振り抜き切った。
それだけで仄かな赤みを持った太刀筋に割かれて氷槍が飴と焦げ消え、蒸発による大気の膨張が局地的な突風を生み出す。
『嘘、あの状態から術剣!?』
「違う。技なんて上等なものじゃない。“ただ斬っただけ”だ」
唯の斬撃だけで火を熾しかねないほどの熱量。この距離でさえ肌が渇くような錯覚をミトスは覚えていた。
いや、それは渇きだけではないのだろう。ひり付くような、打ち震えるような何かは彼の内側より喚起される。
『熱量増大!? ミトス!!』
アトワイトが熱源の増大に気づくよりも僅かに早く、ミトスはミスティシンボルを構えていた。
中級を放ったあとの微かな詠唱硬直、一刀により空いた風の道、そして直線。
『ようやく空いた。行くぞ、カイル』
「うん。行くよ、ディムロス』
爆ぜるような音とともに、“敵”の後ろに焔が舞い上がった。
彼と彼のを隔てる距離はまだかなりの長さがあった。それでもミトスは剣を楯とする。それでも間に合うか。
直線距離が幾ら開こうがあのチームには、カイル=デュナミスとソーディアン・ディムロスには意味がない。
どれほど無限に伸びようが、直線である以上は彼らの射程なのだから。
爆熱。自らが発生させた熱に弾かれるように、箒に跨ったカイルが飛翔する。
身を竿に屈め、食いしばる様に加速度と風圧に耐える。
水の足りないパン生地のようにボロボロと崩れてしまいそうな肉体と心を抱えて、それでもカイルは剣を握った。
その眼光は、ただ一点を見据える。竿が指し示すその先には、舞い飛ぶ風の向こうに輝く虹色の翅。
誰かの為にではなく、自らの意志で打ち倒さなければならない存在。
「勝つ。勝って、全部はそっからだ!!」
風を前にして閉じられることなく開かれた瞳が、もう二度と揺るがないと決意を湛えている。
100の距離は3秒かからず4と縮み、互いの睫毛が見えるほどに接しかける。
「・・-・ ・-・・ ・・・ -・- -・--(剣鋭を招き、腕剛に来たる)!!」
間一髪で挟んだシャープネスの輝きを腕にまとわせながら、ミトスは薄暗い表情を浮かべた。
前座に時間を割いて待つだけの値があったとミトスは眼前の大きな瞳に確信した。
蒼と紅の刃が火花を散らし、互いに一歩も引かぬと鍔を競り合せる。
アトワイトとディムロス。かつて番いであった者たちが、文字通りの意味で交り合っているというのは皮肉でしかない。
「躊躇なしで急所狙いか。あの時はフランヴェルジュだったが、得物を変えて少しはマシになったか!?」
「自分じゃ分からない。なったかどうか、その身体で確かめろッ!!」
が、それは一瞬のことに過ぎない。カイルの腕が内側に締まり、その細腕からは信じられぬ力がアトワイトを押しやる。
咄嗟にミトスは右の邪剣をアトワイトの後ろに乗せて交差させ、倍の守りを作る。
この状態が示す事柄のかなり大きさに、ミトスはしかめっ面を隠しきれなかった。
これでは受け切っても反撃に転ずることができない。ただ亀のように凌ぐだけの構え。
補助術まで使い、反撃のために残した力も防御に用いなければならない。ましてや。
「ディムロス!」
『分かっている。このまま受けごと押し切るぞ!!』
更に尾翼より燃える火炎に勢いを受けたカイルの剣が、その全力さえも打ち崩す。
まともに受ければ胴が別れを告げる。防御に全力を割いても、それでも足りぬ。
「突撃ばかりか、進歩ないね!」
付き合えないとばかりにミトスが補助効果を使い潰して弾き、距離を取ろうと下がる。
「進歩が無いのは、そっちも同じだろ!」
だが、カイルは後退を許さない。退くを見るが早いか、ディムロスが計ったように箒を加速させ二者の距離を潰す。
ミトスを捉えながら前進するカイルとカイルを見ながら後退しなければならないミトスでは、出せる速度に差が生じる。
薙ぎ、上段、突き。追うごとにカイルの攻撃は技こそ無くとも幅広がり、培ったモノがその応用を支える。
追撃を弾く度に構えと剣戟音が歪んでいく。勢いの乗った重量のある剣の威力は小刀二振りで止められるものではない。
ディムロスと異界の箒の力によってカイルは己が生命線である“速さ”を一時的にとはいえ取り戻し、
亡き父が最高の武装であったディムロスを手にして“力”を得た。
移動と攻撃が限りなく合一したカイルとディムロスの突撃は逃げるミトスをほぼ完璧に捉えきる。
アトワイトとディムロス。かつて番いであった者たちが、文字通りの意味で交り合っているというのは皮肉でしかない。
「躊躇なしで急所狙いか。あの時はフランヴェルジュだったが、得物を変えて少しはマシになったか!?」
「自分じゃ分からない。なったかどうか、その身体で確かめろッ!!」
が、それは一瞬のことに過ぎない。カイルの腕が内側に締まり、その細腕からは信じられぬ力がアトワイトを押しやる。
咄嗟にミトスは右の邪剣をアトワイトの後ろに乗せて交差させ、倍の守りを作る。
この状態が示す事柄のかなり大きさに、ミトスはしかめっ面を隠しきれなかった。
これでは受け切っても反撃に転ずることができない。ただ亀のように凌ぐだけの構え。
補助術まで使い、反撃のために残した力も防御に用いなければならない。ましてや。
「ディムロス!」
『分かっている。このまま受けごと押し切るぞ!!』
更に尾翼より燃える火炎に勢いを受けたカイルの剣が、その全力さえも打ち崩す。
まともに受ければ胴が別れを告げる。防御に全力を割いても、それでも足りぬ。
「突撃ばかりか、進歩ないね!」
付き合えないとばかりにミトスが補助効果を使い潰して弾き、距離を取ろうと下がる。
「進歩が無いのは、そっちも同じだろ!」
だが、カイルは後退を許さない。退くを見るが早いか、ディムロスが計ったように箒を加速させ二者の距離を潰す。
ミトスを捉えながら前進するカイルとカイルを見ながら後退しなければならないミトスでは、出せる速度に差が生じる。
薙ぎ、上段、突き。追うごとにカイルの攻撃は技こそ無くとも幅広がり、培ったモノがその応用を支える。
追撃を弾く度に構えと剣戟音が歪んでいく。勢いの乗った重量のある剣の威力は小刀二振りで止められるものではない。
ディムロスと異界の箒の力によってカイルは己が生命線である“速さ”を一時的にとはいえ取り戻し、
亡き父が最高の武装であったディムロスを手にして“力”を得た。
移動と攻撃が限りなく合一したカイルとディムロスの突撃は逃げるミトスをほぼ完璧に捉えきる。
詠唱も転移の暇もない、剣交わる至近距離。この空に今のディムロスとカイルを“止められる”ものなど誰もいない。
ミトスの退路を追うようにして箒の機動を制御するディムロスは安心を覚えていた。
劣勢転じて優位を得られたことにではない。カイルの太刀捌きにだ。
(防御が成っている。どうやら、少なくとも周りは見えているらしい)
待ちに待ったこの圧倒的状況を得ることができたのは、それまでの攻撃を耐えに耐えたからに他ならない。
無論ディムロスも相手の魔術に合わせて回避行動を行っていたが、
敵の主力がアトワイトからミトスに移った以上、先ほどまでのように彼女の思考を逆手にとって大味に避けることはできない。
まして、回避にかまけ過ぎて速度を殺してしまえばそれこそ終わりである以上、回避には自ずと限界がある。
だからこそ、最低限の速度を維持して凌ぎ切るにはカイルの防御能力が必須だった。
受けるべき術を障壁にて受け、防ぐべき術を剣にて弾く。
耐え凌ぐ。カイルの性格から考えて一番無理そうなそれを、カイルは為している。
劣勢転じて優位を得られたことにではない。カイルの太刀捌きにだ。
(防御が成っている。どうやら、少なくとも周りは見えているらしい)
待ちに待ったこの圧倒的状況を得ることができたのは、それまでの攻撃を耐えに耐えたからに他ならない。
無論ディムロスも相手の魔術に合わせて回避行動を行っていたが、
敵の主力がアトワイトからミトスに移った以上、先ほどまでのように彼女の思考を逆手にとって大味に避けることはできない。
まして、回避にかまけ過ぎて速度を殺してしまえばそれこそ終わりである以上、回避には自ずと限界がある。
だからこそ、最低限の速度を維持して凌ぎ切るにはカイルの防御能力が必須だった。
受けるべき術を障壁にて受け、防ぐべき術を剣にて弾く。
耐え凌ぐ。カイルの性格から考えて一番無理そうなそれを、カイルは為している。
【スピリッツの少ないときに攻撃すんな、弾かれるぞ!】
闇雲に攻めて勝てる相手ではない。傷を負っても癒してくれる者はいない。残る力も心許無い。
攻め一辺倒では崩せない。耐えて耐えて、その傷ついた体に残された力を蓄え、一点に爆発させる。
細波立つ心中にかろうじて集中力を取り戻したカイルはその双眸にしっかりと“勝利”を刻み込んでいる。
踏み込むことを恐れて退がるでもなく、狂に身を任せて暴れるでもなく、耐える。なんと気の遠くなる作業か。
だからこそ、耐えに耐えて見つけ出した間隙より切り拓いたこの攻めの手を緩めない。
カイルも、そしてディムロスも分かっているのだ。このまま一気に終わらせてしまうべきだと。
だが、それを易々とさせるのであれば“この2人”がC3村に至るまでこうまで見事な立ち回りができたはずがない。
攻め一辺倒では崩せない。耐えて耐えて、その傷ついた体に残された力を蓄え、一点に爆発させる。
細波立つ心中にかろうじて集中力を取り戻したカイルはその双眸にしっかりと“勝利”を刻み込んでいる。
踏み込むことを恐れて退がるでもなく、狂に身を任せて暴れるでもなく、耐える。なんと気の遠くなる作業か。
だからこそ、耐えに耐えて見つけ出した間隙より切り拓いたこの攻めの手を緩めない。
カイルも、そしてディムロスも分かっているのだ。このまま一気に終わらせてしまうべきだと。
だが、それを易々とさせるのであれば“この2人”がC3村に至るまでこうまで見事な立ち回りができたはずがない。
「空破絶風撃ッ!」
カイルの右より繰り出される豪速の突きによって、ミトスは遂にガードブレイクを起こして仰け反る。
「終わりだ、ミトス!!」
先ほどまでの返しとばかりに、態勢を整わせる間を与えず二連目の突きがミトスを狙う。 <Turn Shift>
『待て、カイルッ』
これで確実に仕留められただろう、ミトス一人だったなら。
『獲ったわ。ニードル、速射!』
完全に止めを刺しに入ったカイルの正面、本来ならミトスの背中に隠れていたであろう場所から氷の針が放たれる。
ディムロスの咄嗟の注意に、カイルは即座に詠唱へと切り替え、解除から素早く術障壁へと切り替える。
目に入りそうな距離で砕け散った氷が、カイルの頬を切った。
『スイッチ! 術の主導権を入れ替えていたのかッ』
「ぐ、ずっけえ~~! 母さんでもここまでセコいことしないよ!!」
『馬鹿を言っている場合か、備えろ。来るぞ!!』
堪らず目を瞑ったカイルが見開いた時には既に遅い。先ほどまで剣が届いた場所にはミトスは疾うに居らず、
転移痕の白き羽を風に舞わせながら、遥か遠くに下がりながら詠唱を進めているミトスが居た。
「そう焦るなよ。今やられた分まとめて倍返ししてやるからさ!!」
顔面の歪曲に明確な怒気を孕ませて、ミトスが闇を除く七属全ての初級魔術を撃ち始める。
『グッ! やはり、外側では向こうに分があるか。カイル、気持ちを切り替え――――』
「分かってるよ!」
カイルは悔しそうな顔をしながらも、迷うことなく防御へと型を切り替えた。
逃げられた以上はもうどうしようもない。また、耐えるしかない。耐えて、耐えて、蓄える。
痺れを切らして大技を放ってくるその時まで。
<Turn Shift>
一度剣を交えた2人の戦いであったが、その様相は昨夜のそれとは一線を画していた。
既にカイルにミトスの能力と経験に対する戸惑いは無く、ミトスもまた小細工を捨て自分の得手で応じた。
ディムロスとアトワイト、カイルとミトス、力と技、そして剣と魔法。
明瞭過ぎるほど得意分野を分け隔てた2組の戦いは互いの距離がそのまま優勢劣勢を表している。
距離が狭まればカイルが、距離が広がればミトスが優位に立つ。
そのあまりに極端過ぎる戦力と相性が、皮肉にも中距離戦の拮抗と膠着を生む。
あの時はミントとコレットという二人の存在がそれを打ち破ったが、それはもう無い。
秒の刻みで切り替わるほどに凄まじい拮抗が時間を貪っていく。
だが、それでもカイルは焦らなかった。焦れる心を懸命に抑えて、考えて剣を振るう。
是が非でも勝たなければならないのだ。生き延びるという意味の勝利ではない。それならモンスターでも出来る。
カイルが得るそれは“相手を打ち破る”勝利でなければならない。そうでなければ前には進めない。
カイルの右より繰り出される豪速の突きによって、ミトスは遂にガードブレイクを起こして仰け反る。
「終わりだ、ミトス!!」
先ほどまでの返しとばかりに、態勢を整わせる間を与えず二連目の突きがミトスを狙う。 <Turn Shift>
『待て、カイルッ』
これで確実に仕留められただろう、ミトス一人だったなら。
『獲ったわ。ニードル、速射!』
完全に止めを刺しに入ったカイルの正面、本来ならミトスの背中に隠れていたであろう場所から氷の針が放たれる。
ディムロスの咄嗟の注意に、カイルは即座に詠唱へと切り替え、解除から素早く術障壁へと切り替える。
目に入りそうな距離で砕け散った氷が、カイルの頬を切った。
『スイッチ! 術の主導権を入れ替えていたのかッ』
「ぐ、ずっけえ~~! 母さんでもここまでセコいことしないよ!!」
『馬鹿を言っている場合か、備えろ。来るぞ!!』
堪らず目を瞑ったカイルが見開いた時には既に遅い。先ほどまで剣が届いた場所にはミトスは疾うに居らず、
転移痕の白き羽を風に舞わせながら、遥か遠くに下がりながら詠唱を進めているミトスが居た。
「そう焦るなよ。今やられた分まとめて倍返ししてやるからさ!!」
顔面の歪曲に明確な怒気を孕ませて、ミトスが闇を除く七属全ての初級魔術を撃ち始める。
『グッ! やはり、外側では向こうに分があるか。カイル、気持ちを切り替え――――』
「分かってるよ!」
カイルは悔しそうな顔をしながらも、迷うことなく防御へと型を切り替えた。
逃げられた以上はもうどうしようもない。また、耐えるしかない。耐えて、耐えて、蓄える。
痺れを切らして大技を放ってくるその時まで。
<Turn Shift>
一度剣を交えた2人の戦いであったが、その様相は昨夜のそれとは一線を画していた。
既にカイルにミトスの能力と経験に対する戸惑いは無く、ミトスもまた小細工を捨て自分の得手で応じた。
ディムロスとアトワイト、カイルとミトス、力と技、そして剣と魔法。
明瞭過ぎるほど得意分野を分け隔てた2組の戦いは互いの距離がそのまま優勢劣勢を表している。
距離が狭まればカイルが、距離が広がればミトスが優位に立つ。
そのあまりに極端過ぎる戦力と相性が、皮肉にも中距離戦の拮抗と膠着を生む。
あの時はミントとコレットという二人の存在がそれを打ち破ったが、それはもう無い。
秒の刻みで切り替わるほどに凄まじい拮抗が時間を貪っていく。
だが、それでもカイルは焦らなかった。焦れる心を懸命に抑えて、考えて剣を振るう。
是が非でも勝たなければならないのだ。生き延びるという意味の勝利ではない。それならモンスターでも出来る。
カイルが得るそれは“相手を打ち破る”勝利でなければならない。そうでなければ前には進めない。
思えば、これが初めてなのだ。
強者ならば幾度と無く見えてきた。だが、その時には仲間がいた。
一人戦ったことはあった。だが、それをカイルが望んだことは無かった。
強者ならば幾度と無く見えてきた。だが、その時には仲間がいた。
一人戦ったことはあった。だが、それをカイルが望んだことは無かった。
仲間も無くたった一人で、誰かを倒すために“挑んだ”のはこの一ツきり。
カイルは剋目した。初めて自分の手で倒したいと思った存在を。
自分と背丈も然程変わらぬ、しかし英雄“だった”少年を。
<Turn Shift>
カイルは剋目した。初めて自分の手で倒したいと思った存在を。
自分と背丈も然程変わらぬ、しかし英雄“だった”少年を。
<Turn Shift>
そんなカイルの心中など知る由も無く、彼らを追い立てるようにミトスは術を乱れ撃つ。
高速詠唱・圧縮詠唱・古語詠唱etc。持てる知識と技術を総動員させて放たれるそれらはミトスという魔術使いの臨界そのものだった。
それに辛うじて追い縋り、ギリギリの距離でサポートを行っているアトワイトもまた限界以上の機能を求められていた。
既に自ら術を組み上げる余裕などほとんど無い。既に晶術の主導権さえもミトスのもので、使えるのは精々が眼くらましの子供だまし。
コレットを動かしていたときの経験でミトスが動きやすいようにスキルやバイタルをチェック・調整する程度のことしか出来ない。
元々、本来彼女はマーテル復活の過程でミトスに棄てられる捨て駒だったのだ。この連係は使うはずのなかったもの。
むしろ、それに即座に対応できただけアトワイトの補佐能力を称えるべきだろう。
(エクスフィアをつけたことをこんな形で感謝することになるとは思わなかったわ……こんな無茶な戦い方する子だったのね)
連射の片手間に、空けた片手で持った邪剣を首筋に宛がってTPを補充するミトスを見ながらアトワイトは思った。
多少沸点が低く、周りを見なくなるきらいはあるが、それさえなければのミトスの戦いは冷静さを基とするものだった。
彼にとって戦いとはあくまでも目的を達成するための一手段でしかなく、むしろそれを最後まで避けていた風にさえ思う。
その姿に似つかわない老獪とさえいえる戦略体制。そのスタイルが、まったく別のものに変質しているようにアトワイトには思えられた。
ペース配分を計算しつくした長距離ランナーが、急に全力疾走をし始めたかのような幼稚さだ。
後を省みぬ消費、それを補う短絡的対処。戦いの為だけの戦術。しかしてその勢いは大にして苛烈な、波濤の如き攻勢。
それは愚かだとか、思慮が無いというものとは少し違うものだった。そう、それはむしろ――――
「・・・ ・-・-・ -・・・ ・-・-・ --・-・(氷砕、乱光)!」
発生させたアイシクルの内側にフォトンを放つ。砕かれた氷が、無数の鏡となって光を拡散させた。
突然の光の雨に、カイルの驚きが減速となって離れたミトスにも伝わる。
それをミトスは眺めていた。悪戯に引っかかった相手を物陰からこっそり見て愉しむように。
それは、アトワイトが今まで見てきたミトスの中で物珍しいものだった。
マーテルが傍にいたときの従順なものでもなく、彼女を失ってからの絶望的なそれでもない。
後も先も無い唯快楽よりくる刹那的な喜悦。ミトスにあるはずのないものだった。
「どうした? 今更ディムロスとやり合うことに気が引けてきた?」
突然だったミトスの気遣いに、アトワイトは少しだけ意表を突かれた。
自分はそんなに顔に出易かっただろうか。顔も何もないはずだが。
『別に。よくもまあそこまで無茶ができるものと思っただけよ。こっちも、あっちも』
余計なことを言うのも無粋だと思ったアトワイトは前半分を茶で濁した。
そう、といいながら左右四本の剣指で交差する方陣を刻みながらミトスは空を見下ろす。
遠くにはおぼろげに先ほどまでいた村が、その更に遠くには中央に聳え立つ山が見える。
「悪かったな。ここに呼ばれる前まではずっとユグドラシルでやってきたからね。いま一つ加減が分からない。
ブランクなんて作るもんじゃなかったな。晶術を識って少し新しいものに挑戦したら欲が出てきたなんて、
今更、この僕がだぞ? やっぱり珍しいものになんか手を出すものじゃないね」
彼方より放たれたバーンストライクをリジェクションの障壁で弾きながらミトスはそう言った。
全てを拒絶するはずのそれは、軋んだように呻きを上げる。
『いいじゃない。人も、剣も、新しい出会いが無かったらいつか朽ちるてしまうんだから』
「そういう意味では感謝しなくもないよ。お前がいなかったら、結構早い段階で詰んでた」
二弾目にて破れた障壁の向こうから来る三弾目をアトワイトで弾き返す。カイルの傍で爆ぜた火弾がごうっと火柱を立てて煙る。
ミトスのいる高度からでも揺蕩う黒煙の昇りが見えて、空を縦に区切った。
高速詠唱・圧縮詠唱・古語詠唱etc。持てる知識と技術を総動員させて放たれるそれらはミトスという魔術使いの臨界そのものだった。
それに辛うじて追い縋り、ギリギリの距離でサポートを行っているアトワイトもまた限界以上の機能を求められていた。
既に自ら術を組み上げる余裕などほとんど無い。既に晶術の主導権さえもミトスのもので、使えるのは精々が眼くらましの子供だまし。
コレットを動かしていたときの経験でミトスが動きやすいようにスキルやバイタルをチェック・調整する程度のことしか出来ない。
元々、本来彼女はマーテル復活の過程でミトスに棄てられる捨て駒だったのだ。この連係は使うはずのなかったもの。
むしろ、それに即座に対応できただけアトワイトの補佐能力を称えるべきだろう。
(エクスフィアをつけたことをこんな形で感謝することになるとは思わなかったわ……こんな無茶な戦い方する子だったのね)
連射の片手間に、空けた片手で持った邪剣を首筋に宛がってTPを補充するミトスを見ながらアトワイトは思った。
多少沸点が低く、周りを見なくなるきらいはあるが、それさえなければのミトスの戦いは冷静さを基とするものだった。
彼にとって戦いとはあくまでも目的を達成するための一手段でしかなく、むしろそれを最後まで避けていた風にさえ思う。
その姿に似つかわない老獪とさえいえる戦略体制。そのスタイルが、まったく別のものに変質しているようにアトワイトには思えられた。
ペース配分を計算しつくした長距離ランナーが、急に全力疾走をし始めたかのような幼稚さだ。
後を省みぬ消費、それを補う短絡的対処。戦いの為だけの戦術。しかしてその勢いは大にして苛烈な、波濤の如き攻勢。
それは愚かだとか、思慮が無いというものとは少し違うものだった。そう、それはむしろ――――
「・・・ ・-・-・ -・・・ ・-・-・ --・-・(氷砕、乱光)!」
発生させたアイシクルの内側にフォトンを放つ。砕かれた氷が、無数の鏡となって光を拡散させた。
突然の光の雨に、カイルの驚きが減速となって離れたミトスにも伝わる。
それをミトスは眺めていた。悪戯に引っかかった相手を物陰からこっそり見て愉しむように。
それは、アトワイトが今まで見てきたミトスの中で物珍しいものだった。
マーテルが傍にいたときの従順なものでもなく、彼女を失ってからの絶望的なそれでもない。
後も先も無い唯快楽よりくる刹那的な喜悦。ミトスにあるはずのないものだった。
「どうした? 今更ディムロスとやり合うことに気が引けてきた?」
突然だったミトスの気遣いに、アトワイトは少しだけ意表を突かれた。
自分はそんなに顔に出易かっただろうか。顔も何もないはずだが。
『別に。よくもまあそこまで無茶ができるものと思っただけよ。こっちも、あっちも』
余計なことを言うのも無粋だと思ったアトワイトは前半分を茶で濁した。
そう、といいながら左右四本の剣指で交差する方陣を刻みながらミトスは空を見下ろす。
遠くにはおぼろげに先ほどまでいた村が、その更に遠くには中央に聳え立つ山が見える。
「悪かったな。ここに呼ばれる前まではずっとユグドラシルでやってきたからね。いま一つ加減が分からない。
ブランクなんて作るもんじゃなかったな。晶術を識って少し新しいものに挑戦したら欲が出てきたなんて、
今更、この僕がだぞ? やっぱり珍しいものになんか手を出すものじゃないね」
彼方より放たれたバーンストライクをリジェクションの障壁で弾きながらミトスはそう言った。
全てを拒絶するはずのそれは、軋んだように呻きを上げる。
『いいじゃない。人も、剣も、新しい出会いが無かったらいつか朽ちるてしまうんだから』
「そういう意味では感謝しなくもないよ。お前がいなかったら、結構早い段階で詰んでた」
二弾目にて破れた障壁の向こうから来る三弾目をアトワイトで弾き返す。カイルの傍で爆ぜた火弾がごうっと火柱を立てて煙る。
ミトスのいる高度からでも揺蕩う黒煙の昇りが見えて、空を縦に区切った。
「つくづく、憎らしいな。この完璧な空は」
『……そうね。本当のマスターでもない貴方が晶術を使って、私が貴方やコレットの肉体で魔術を組んで、
カイルは箒で空を飛んで、ディムロスが炎を操ってる。ここに来る前は、そんなこと考えもしなかったわ』
眩むようなその昼夜の天を眺めながら、ミトスはぽつりとそう言った。アトワイトがそれに返す。
非常識が、さも常識であるかのようにこの世界は大人しい。
これだけの矛盾に満ちた世界ならば、千はあっておかしくないだろう解れ。それが存在しない。
海に石を投げようが岩を投げようが、波紋しか広がらない。それもいずれ波と消え、残るのは大海の巨なる存在だけだ。
『もう、本当に諦めたのね』
「出来ることなら、ミクトランは血祭りに上げたかったけどね。お前の言う神の眼だけでこの空を作れるとは、さすがに思えない。
これを作ったのが奴だとしたら、本当に狂ってる。正直、理解が出来ない」
自嘲するような響きに、アトワイトはミトスの言いたいことのニュアンスを辛うじて掴み取った。
アトワイトも、ミトスもまた、最初はミクトランに抗おうと思った存在の一つだった。
だが、全てを失ったミトスにとっては最早ミクトランと戦うことも、ミクトランに従うことにも意味が無い。
霞んだ瞳に映る世界は“ミクトランに勝てる”という夢想を脱色したモノクロの空だ。
「少し世界に触ったことのあるやつならとてもじゃないが作らないよ、こんな箱庭。トマトを切るのにエターナルソードを使うようなものだ。
バトルロワイアルなんてゲームの為だけに用意するにしては、完璧過ぎている」
万人が矛盾無く共存する天。それはミトスが四千年を費やしても辿り着けなかった世界だ。
矛盾なんて無い。死角なんて無い。弱点なんてあるはずも無い。瑕疵一つ無い、まさに―――――
『……そうね。本当のマスターでもない貴方が晶術を使って、私が貴方やコレットの肉体で魔術を組んで、
カイルは箒で空を飛んで、ディムロスが炎を操ってる。ここに来る前は、そんなこと考えもしなかったわ』
眩むようなその昼夜の天を眺めながら、ミトスはぽつりとそう言った。アトワイトがそれに返す。
非常識が、さも常識であるかのようにこの世界は大人しい。
これだけの矛盾に満ちた世界ならば、千はあっておかしくないだろう解れ。それが存在しない。
海に石を投げようが岩を投げようが、波紋しか広がらない。それもいずれ波と消え、残るのは大海の巨なる存在だけだ。
『もう、本当に諦めたのね』
「出来ることなら、ミクトランは血祭りに上げたかったけどね。お前の言う神の眼だけでこの空を作れるとは、さすがに思えない。
これを作ったのが奴だとしたら、本当に狂ってる。正直、理解が出来ない」
自嘲するような響きに、アトワイトはミトスの言いたいことのニュアンスを辛うじて掴み取った。
アトワイトも、ミトスもまた、最初はミクトランに抗おうと思った存在の一つだった。
だが、全てを失ったミトスにとっては最早ミクトランと戦うことも、ミクトランに従うことにも意味が無い。
霞んだ瞳に映る世界は“ミクトランに勝てる”という夢想を脱色したモノクロの空だ。
「少し世界に触ったことのあるやつならとてもじゃないが作らないよ、こんな箱庭。トマトを切るのにエターナルソードを使うようなものだ。
バトルロワイアルなんてゲームの為だけに用意するにしては、完璧過ぎている」
万人が矛盾無く共存する天。それはミトスが四千年を費やしても辿り着けなかった世界だ。
矛盾なんて無い。死角なんて無い。弱点なんてあるはずも無い。瑕疵一つ無い、まさに―――――
「認めたくは無い。だけど、これを神業と云わずして表現する術を僕は知らない」
アトワイトは息を呑んだ。知り合って2日あったかどうかという関係だが、この少年の性分を少しは知っている。
その少年が“神”を口に出してしまった。それがミトスの完全敗北を意味していること彼女は知っていた。
それは、新しき理。真理を塗り替える神理。神の御業より生まれし完全なる世界。
残り少ない夕陽が赤く稜線を輝かせ、ミトスの頬を照らした。歪みは感じられない、美しき空が彼らの瞳に映る。
『神様はいないんじゃなかったの?』
「追求し続けるものがなくなっちゃったからね。もう、どっちでもいいよ」
アトワイトは理解するしかなかった。ミトスは、とっくに死んでしまっている。
命の概念が存在しない無機の存在であるが故に、目的や役割を失うことがどれほど空ろなことなのか。
ミトス=ユグドラシルはもう既に死んでしまったのだ。絶望に浸って、それでもなお残していた理想と共に。
だから、この死の淵で残酷な答えを受け入れることができる。
彼にとって世界の真実が如何なるものであろうとも、最早この空に散る灰の一欠けらの価値も無いのだ。
アトワイトは息を呑んだ。知り合って2日あったかどうかという関係だが、この少年の性分を少しは知っている。
その少年が“神”を口に出してしまった。それがミトスの完全敗北を意味していること彼女は知っていた。
それは、新しき理。真理を塗り替える神理。神の御業より生まれし完全なる世界。
残り少ない夕陽が赤く稜線を輝かせ、ミトスの頬を照らした。歪みは感じられない、美しき空が彼らの瞳に映る。
『神様はいないんじゃなかったの?』
「追求し続けるものがなくなっちゃったからね。もう、どっちでもいいよ」
アトワイトは理解するしかなかった。ミトスは、とっくに死んでしまっている。
命の概念が存在しない無機の存在であるが故に、目的や役割を失うことがどれほど空ろなことなのか。
ミトス=ユグドラシルはもう既に死んでしまったのだ。絶望に浸って、それでもなお残していた理想と共に。
だから、この死の淵で残酷な答えを受け入れることができる。
彼にとって世界の真実が如何なるものであろうとも、最早この空に散る灰の一欠けらの価値も無いのだ。
『ミトス……』
憂うような音を漏らすアトワイトに、ミトスはコツコツと刃を十字に重ねて鳴らし、
「そうしょげた顔するなよ。さっきも言っただろ、感謝しなくも無いって。それに……」
<Turn Shift>
「――――――――――空翔ッざあああああああああああンッッッッッッ!!!!!」
「こんな世界でもこういう莫迦がいるからぁねッ!!!」
憂うような音を漏らすアトワイトに、ミトスはコツコツと刃を十字に重ねて鳴らし、
「そうしょげた顔するなよ。さっきも言っただろ、感謝しなくも無いって。それに……」
<Turn Shift>
「――――――――――空翔ッざあああああああああああンッッッッッッ!!!!!」
「こんな世界でもこういう莫迦がいるからぁねッ!!!」
“頭上から落ちてきたギロチンに噛ませた”。
中空発動の利を生かし、始点に一回転を入れて放たれたカイルの一撃は身と剣の重さ・腕の力に加え遠心力を備えていた。
重力鉛直方向のから、縦の突撃。小枝二本で防げるほど生易しいものではなく、やはり小枝のように守りを叩き割る。
「カッ……」『ミトスッ!』
ミトスの胸に赤い一本線が入り込む。皮二枚を切り裂いて滴らせる天使の血は鈍い。
だが、カイルは更に腕を捻り込み剣をその奥に押し込もうとしている。
カイルに負けず劣らないほど華奢なミトスの肉体では心臓まではさほど遠くない。 <Turn Shift>
「ははカカッ、その程度かよカイル!! アトワイト、回復用意!!」
嘲けるような声と共に、ミトスの体が半歩捻られる。ぶちりと、左の胸に傷の音が歪む。
気にするそぶりすら見せずミトスは更に半歩踏み込む。アトワイトをぶつける様にして腰部へと掌底。
「--・-・ ・・-・- -・--・ ・・-・ ・・- --・-・ ・・-・- -・--・(神経回復、痛覚再起)!!」
詠唱と共にミトスの手のひら、正確にはアトワイトから浮かび上がった青い治癒の光がカイルへと流される。
一体何をしたのかと問うよりも早く、結果が現れた。じゅくりと、カイルの股に赤い染みが再び浮かび上がる。
「う、い″、いっが、~~~~~~~~ずっ!!!!!」
張りつめたカイルの表情が縦横に歪み抜く。脂汗を吹き出しながら現れたそれは露骨なほどに内側に走る激痛を教えていた。
何故今になって股間部の痛みがぶり返すのかという疑問も消し飛ぶほどの痛み。
それでも剣の構えを保ったのは称賛に値したが、握りの緩みは仕様もない。その“たわみ”をミトスは見逃さなかった。
『カイル! ミトス、貴様何をッ―――――!?』
「丁寧に教えてやれるほどの余裕をくれたら答えてやるよ」
ディムロスがミトスに問いただすよりも早く、ミトスの蹴りがカイルの鳩尾を打つ。
足場無き中空であるが故に、作用にてカイルが、反作用にてミトスが離れるように仰け反り距離が開く。 <Turn Shift>
『待て、っく!』
「に″、ご、ごごま、逃げる″!」
ディムロスが再度問おうとしたが、カイルの“悲痛な”叫びが掻き消した。
食い縛るように箒を握ると、それと同時に十の氷針が飛び射られた。退がるしかないというカイルの判断は間違っていなかった。
<Turn Shift>
ミトスの代わりに牽制射撃を放ちながらそれを見ていたアトワイトが疑問を漏らす。
『本当に下がった…………ただのファーストエイドだったはずなのに……』
「少し傷を起こしてやった。中途半端に血流が良くしたからな、血の気の多い莫迦にはかなり辛いはずだけどね」
顔をある感情に歪ませるミトスに彼女は空恐ろしさを覚えた。制限下の回復術が弱まることは周知の事実だ。
ファーストエイド一発程度ではせいぜい少し元気になる程度だろう。そして、治りかけの傷ほど痒いものだ。
全ては分かりきった事実の組み合わせに過ぎない。だが、それをあの土壇場で試せるものがどれほどいるだろうか。
ターゲッティングの無効と制限を逆手に取った、敵への回復術の使用。今までのミトスには無かった手管。
カイルの力が研ぎ澄まされていくように、ミトスの技もまた変質し始めていることを彼女は改めて感じた。
『それにしても……痛そうね……どっちの意味でも気持ちは分からないけど』
「嫌なこと思い出させるなよ………それに、こんなの子供騙しだ。次はもうないよ」
そう言われたアトワイトは彼らを見やった。少しずつ対応が早くなっているのは、立て直しが進んでいる証拠だ。
ミトスが剣を持つ手を何度も開いて握り締め直す。目に見えて分かる手の震えは、もうカイルの剣を受け止めきれないことを示していた。
「……捉えてきたな。もう安々と距離をとらせてくれない、か」
中空発動の利を生かし、始点に一回転を入れて放たれたカイルの一撃は身と剣の重さ・腕の力に加え遠心力を備えていた。
重力鉛直方向のから、縦の突撃。小枝二本で防げるほど生易しいものではなく、やはり小枝のように守りを叩き割る。
「カッ……」『ミトスッ!』
ミトスの胸に赤い一本線が入り込む。皮二枚を切り裂いて滴らせる天使の血は鈍い。
だが、カイルは更に腕を捻り込み剣をその奥に押し込もうとしている。
カイルに負けず劣らないほど華奢なミトスの肉体では心臓まではさほど遠くない。 <Turn Shift>
「ははカカッ、その程度かよカイル!! アトワイト、回復用意!!」
嘲けるような声と共に、ミトスの体が半歩捻られる。ぶちりと、左の胸に傷の音が歪む。
気にするそぶりすら見せずミトスは更に半歩踏み込む。アトワイトをぶつける様にして腰部へと掌底。
「--・-・ ・・-・- -・--・ ・・-・ ・・- --・-・ ・・-・- -・--・(神経回復、痛覚再起)!!」
詠唱と共にミトスの手のひら、正確にはアトワイトから浮かび上がった青い治癒の光がカイルへと流される。
一体何をしたのかと問うよりも早く、結果が現れた。じゅくりと、カイルの股に赤い染みが再び浮かび上がる。
「う、い″、いっが、~~~~~~~~ずっ!!!!!」
張りつめたカイルの表情が縦横に歪み抜く。脂汗を吹き出しながら現れたそれは露骨なほどに内側に走る激痛を教えていた。
何故今になって股間部の痛みがぶり返すのかという疑問も消し飛ぶほどの痛み。
それでも剣の構えを保ったのは称賛に値したが、握りの緩みは仕様もない。その“たわみ”をミトスは見逃さなかった。
『カイル! ミトス、貴様何をッ―――――!?』
「丁寧に教えてやれるほどの余裕をくれたら答えてやるよ」
ディムロスがミトスに問いただすよりも早く、ミトスの蹴りがカイルの鳩尾を打つ。
足場無き中空であるが故に、作用にてカイルが、反作用にてミトスが離れるように仰け反り距離が開く。 <Turn Shift>
『待て、っく!』
「に″、ご、ごごま、逃げる″!」
ディムロスが再度問おうとしたが、カイルの“悲痛な”叫びが掻き消した。
食い縛るように箒を握ると、それと同時に十の氷針が飛び射られた。退がるしかないというカイルの判断は間違っていなかった。
<Turn Shift>
ミトスの代わりに牽制射撃を放ちながらそれを見ていたアトワイトが疑問を漏らす。
『本当に下がった…………ただのファーストエイドだったはずなのに……』
「少し傷を起こしてやった。中途半端に血流が良くしたからな、血の気の多い莫迦にはかなり辛いはずだけどね」
顔をある感情に歪ませるミトスに彼女は空恐ろしさを覚えた。制限下の回復術が弱まることは周知の事実だ。
ファーストエイド一発程度ではせいぜい少し元気になる程度だろう。そして、治りかけの傷ほど痒いものだ。
全ては分かりきった事実の組み合わせに過ぎない。だが、それをあの土壇場で試せるものがどれほどいるだろうか。
ターゲッティングの無効と制限を逆手に取った、敵への回復術の使用。今までのミトスには無かった手管。
カイルの力が研ぎ澄まされていくように、ミトスの技もまた変質し始めていることを彼女は改めて感じた。
『それにしても……痛そうね……どっちの意味でも気持ちは分からないけど』
「嫌なこと思い出させるなよ………それに、こんなの子供騙しだ。次はもうないよ」
そう言われたアトワイトは彼らを見やった。少しずつ対応が早くなっているのは、立て直しが進んでいる証拠だ。
ミトスが剣を持つ手を何度も開いて握り締め直す。目に見えて分かる手の震えは、もうカイルの剣を受け止めきれないことを示していた。
「……捉えてきたな。もう安々と距離をとらせてくれない、か」
打ち合いを経るにつれて爆発的にカイルの“キレ”が良くなっていくのをその身で体感しながら、ミトスは口を曲げた。
あの時自分の精神状態がお世辞にも芳しくなかったことを差し引いても、その力は一日前とは比べ物にならない。
一日前に対峙した餓鬼は、世の中が自分中心に回っていることを疑わない子供だった。
そのなまくらが一研ぎするたびにその刃を鋭くなっていくのをその手がひしひしと感じていた。
恐らくは、これが本当のカイル=デュナミスの“限界”。そして、その限界もまだ伸び代があるように感じられた。
愚直なほどの正攻法で切り込んでくるカイル。遂に小細工未満のチャチな手品にまで手を出し始めた自分。
優劣は明白。あと2,3回斬り合えば競り負けるだろう。自分の手のひらを見て、ミトスの顔が更に歪んだ。
皺もないその無垢な自分の手はどこをどう見ても子供の手なのに、酷く老いて見えていた。
「何を見てるのさ」
ふとアトワイトの視線を感じ、ミトスはそちらに瞳を向ける。
『随分楽しそうだなって思って』
「僕が? 冗談」
馬鹿にするように鼻を鳴らすミトスに、アトワイトは呆れたように言った。
『そう。でも貴方、笑ってるわよ』
中指から三指を突き立て粋護陣を出すと、狙い澄ましたように火礫が着弾する。
アトワイトの攻撃を上回って反撃を許し始めた中、ミトスは老いたその手で自らの顔をなぞった。
その感触で彼は実感する。蒸発する水煙の白に薄く隠れたその口元、否、顔面その全てが笑みに歪んでいた。
だが、ミトスはそれを否定するわけでもなくただ事実を認識し、苦虫を奥歯でひき潰した。 <Turn Shift>
あの時自分の精神状態がお世辞にも芳しくなかったことを差し引いても、その力は一日前とは比べ物にならない。
一日前に対峙した餓鬼は、世の中が自分中心に回っていることを疑わない子供だった。
そのなまくらが一研ぎするたびにその刃を鋭くなっていくのをその手がひしひしと感じていた。
恐らくは、これが本当のカイル=デュナミスの“限界”。そして、その限界もまだ伸び代があるように感じられた。
愚直なほどの正攻法で切り込んでくるカイル。遂に小細工未満のチャチな手品にまで手を出し始めた自分。
優劣は明白。あと2,3回斬り合えば競り負けるだろう。自分の手のひらを見て、ミトスの顔が更に歪んだ。
皺もないその無垢な自分の手はどこをどう見ても子供の手なのに、酷く老いて見えていた。
「何を見てるのさ」
ふとアトワイトの視線を感じ、ミトスはそちらに瞳を向ける。
『随分楽しそうだなって思って』
「僕が? 冗談」
馬鹿にするように鼻を鳴らすミトスに、アトワイトは呆れたように言った。
『そう。でも貴方、笑ってるわよ』
中指から三指を突き立て粋護陣を出すと、狙い澄ましたように火礫が着弾する。
アトワイトの攻撃を上回って反撃を許し始めた中、ミトスは老いたその手で自らの顔をなぞった。
その感触で彼は実感する。蒸発する水煙の白に薄く隠れたその口元、否、顔面その全てが笑みに歪んでいた。
だが、ミトスはそれを否定するわけでもなくただ事実を認識し、苦虫を奥歯でひき潰した。 <Turn Shift>
『ッ、しまった! ミトス!!』
一瞬の間隙に放たれた高圧高温の反応を感知したアトワイトは一瞬完全に虚を疲れた。
『遅い! 魔神炎!!』
箒を介した擬似的な主導権の入れ替え。自分たちの模倣に気づき、術管制を引き戻すが二手遅い。
魔神の炎が、微かに乱れた射撃を焼き払い、その業火の向こうから一陣の風が吹きあがる。
大気の分子を焼き尽くし光を放つ流星の如く、斬撃そのものと化してカイルが飛ぶ。
完全に捕まったと悟ったミトスは痺れを押し潰すように双剣を強く握った。
頭蓋を折り斬ってしまいそうな唐竹がミトスへと打ちつけられる。しかしその刹那、ごりっと金属と肉を交ぜたような音が唸る。
「それみろ。そんなふざけたことを云うから」
ミトスが引き攣った様に笑うが、そこにはアトワイトを責める語感はなかった。
今のはアトワイトというより自分のヘマだ。それに、アトワイトがヘマをしようがしまいが腕二本ではどの道もう支えきれない。
この距離では詠唱からの切り返しもままならない。もう手札は無く、身体がカイルの圧に屈し始めている。
心にいたっては、戦う前からと言っていい。
(成長する子供と、時間が止まった大人。なんともしがたいな)
完全に動きを止めたディムロスの剣先には邪剣の柄が縦に割れて食いこみ、その握る掌の肉から血が滴っている。
指ならば小指薬指が飛んでいるだろう深さで剣を止めている。それで“やっと、かろうじて”だった。
横から刃を当てていれば、たとえ闇の武具であろうともその生きた刀身ごと両断されていただろう。
ここまでか、とミトスは無意識に鼻で溜息を付いていた。
体全部の筋に力を入れていなければ付いたであろうそれには後悔も、憤慨も特には無い。 <Turn Shift>
とうに目的は消え去り、欲するものも無く、未練などある筈も無い。有機的な死など、この体には無縁だ。
いや、死んでいるというならもうとっくの昔だな。そう思ったミトスの瞳は自然と閉じていた。
一瞬の間隙に放たれた高圧高温の反応を感知したアトワイトは一瞬完全に虚を疲れた。
『遅い! 魔神炎!!』
箒を介した擬似的な主導権の入れ替え。自分たちの模倣に気づき、術管制を引き戻すが二手遅い。
魔神の炎が、微かに乱れた射撃を焼き払い、その業火の向こうから一陣の風が吹きあがる。
大気の分子を焼き尽くし光を放つ流星の如く、斬撃そのものと化してカイルが飛ぶ。
完全に捕まったと悟ったミトスは痺れを押し潰すように双剣を強く握った。
頭蓋を折り斬ってしまいそうな唐竹がミトスへと打ちつけられる。しかしその刹那、ごりっと金属と肉を交ぜたような音が唸る。
「それみろ。そんなふざけたことを云うから」
ミトスが引き攣った様に笑うが、そこにはアトワイトを責める語感はなかった。
今のはアトワイトというより自分のヘマだ。それに、アトワイトがヘマをしようがしまいが腕二本ではどの道もう支えきれない。
この距離では詠唱からの切り返しもままならない。もう手札は無く、身体がカイルの圧に屈し始めている。
心にいたっては、戦う前からと言っていい。
(成長する子供と、時間が止まった大人。なんともしがたいな)
完全に動きを止めたディムロスの剣先には邪剣の柄が縦に割れて食いこみ、その握る掌の肉から血が滴っている。
指ならば小指薬指が飛んでいるだろう深さで剣を止めている。それで“やっと、かろうじて”だった。
横から刃を当てていれば、たとえ闇の武具であろうともその生きた刀身ごと両断されていただろう。
ここまでか、とミトスは無意識に鼻で溜息を付いていた。
体全部の筋に力を入れていなければ付いたであろうそれには後悔も、憤慨も特には無い。 <Turn Shift>
とうに目的は消え去り、欲するものも無く、未練などある筈も無い。有機的な死など、この体には無縁だ。
いや、死んでいるというならもうとっくの昔だな。そう思ったミトスの瞳は自然と閉じていた。
(昔の昔に姉さまがいなくなったときから、もう分かりきってた。
僕の居場所は、姉さまの影にしかなかった。そこでしか生きていけなかったんだから)
薄々、分かっていたこと。それを“姉”の口から告げられては認めるしかない。
ミトス=ユグドラシルの全ては、マーテル=ユグドラシルの為だけに存在した。
それを失って、それでもそれに縋って生きるしかなくて、惰性で生きてきた。
(疲れて当然か。楽しみも何も無い、作業だけの時間だったからね)
この体は既に歩く死体で、それが四千年の徒労の果てに壊れるだけのこと。
それが最後の最後にこんな狂った世界で姉さまに出会って、僅かばかりの夢を見た。
もう一度、やり直せるんじゃないかって。
でもその夢さえ潰えた。他ならぬ姉さまの手で、夢は覚めてしまった。
だからもう眠ろう。夢さえ見ることの無い、深い深い眠りへと――――――
<Turn Shift>
「待てよ」
深海に落ちていく寸前に手を掴まれたように、その言葉には強い引力があった。
無理やり起こされた寝起き明けの如き不快さを露にして、ミトスがボソリと吐く。
「まだ殺ってなかったのか。さっさと殺せよ、ウスノロ」
振り下ろした刃の圧は緩めることなく、カイルが口を開いた。
「言われなくても、勝つ。でも、それはお前じゃない。お前みたいなやる気の無い奴に用なんてない。
俺が知ってるミトスは、この程度で終わらなかった。道を譲らなかった」
それはこの風渦の中でやけに透き通って聞こえ、ミトスの中の僅かな弛緩さえ引き締められる。
それほどに、ユグドラシルの4000年に埋没したその名が新鮮に感じられた。
僕の居場所は、姉さまの影にしかなかった。そこでしか生きていけなかったんだから)
薄々、分かっていたこと。それを“姉”の口から告げられては認めるしかない。
ミトス=ユグドラシルの全ては、マーテル=ユグドラシルの為だけに存在した。
それを失って、それでもそれに縋って生きるしかなくて、惰性で生きてきた。
(疲れて当然か。楽しみも何も無い、作業だけの時間だったからね)
この体は既に歩く死体で、それが四千年の徒労の果てに壊れるだけのこと。
それが最後の最後にこんな狂った世界で姉さまに出会って、僅かばかりの夢を見た。
もう一度、やり直せるんじゃないかって。
でもその夢さえ潰えた。他ならぬ姉さまの手で、夢は覚めてしまった。
だからもう眠ろう。夢さえ見ることの無い、深い深い眠りへと――――――
<Turn Shift>
「待てよ」
深海に落ちていく寸前に手を掴まれたように、その言葉には強い引力があった。
無理やり起こされた寝起き明けの如き不快さを露にして、ミトスがボソリと吐く。
「まだ殺ってなかったのか。さっさと殺せよ、ウスノロ」
振り下ろした刃の圧は緩めることなく、カイルが口を開いた。
「言われなくても、勝つ。でも、それはお前じゃない。お前みたいなやる気の無い奴に用なんてない。
俺が知ってるミトスは、この程度で終わらなかった。道を譲らなかった」
それはこの風渦の中でやけに透き通って聞こえ、ミトスの中の僅かな弛緩さえ引き締められる。
それほどに、ユグドラシルの4000年に埋没したその名が新鮮に感じられた。
「この程度なら、あの時の方がまだマシだ。本気出せよ、腰抜け!!“それでも英雄かッ”!!??」
その一言に、ミトスの中の陶酔が醒めていく。
ああ、このまま酔って死ねればさぞ楽だっただろうに。畜生め。 <Turn Shift>
ああ、このまま酔って死ねればさぞ楽だっただろうに。畜生め。 <Turn Shift>
別に、なんの作為的意味があったわけでもない。ただカイルの口から自然と言葉が出ていた。
何でこんなことに腹を立てているのだろうと、カイルは言葉を吐いた後で自問したくなった。
ディムロスが何かを言いたそうにしたが、マスターの何かを察したのか口を噤む。
それがカイルにとって、ミトスに勝つことと同じくらい意味を持っていると感じていた。
【英雄】。言の葉を舌の上に乗せてカイルはその味を確かめ、得心する。
何故今自分がこうもミトスに挑みかかっているのか。
リアラを殺されたこと、ロイドの世界の敵であること。マーテル。ミント。
それらは確かに戦う倒すべくに足る理由ではあるが“間接的理由”だ。
娯楽に耽っていた時に仕事のことを思い出したかのような不愉快さをミトスが自分に見せている。
カイルという存在が、ミトスという人物を無視できないのはつまるところあの夜の一戦に尽きるのだと。
「お前が、それを口にするかよ。まだ何も分かってないのか」
カイルの怒号と同じくその一言にはあらゆる疑問が詰まっていた。
ロイドらから既に聞いたであろうミトス=ユグドラシルという人物の末路。
既に明らかになっているであろうこの世界におけるミトス=ユグドラシルの目的。
それらを踏まえたうえで、既にあの夜に答えたであろう結論を聞いていて、なお諦めるなと口にするのか。
「なら、逆に聞くがな。お前にとって英雄ってのは何だ?
まさかあの時みたいに下らないことを言うつもりじゃないだろうな」
「――――――――なりたくてなれるものじゃないってことは知ってる。
自分のやったことに皆から讃えられて贈られるものだってことは」
ほう、という溜息が聞こえてきそうな軽い驚きをミトスは見せた。
「半分合ってるよ。なんだ、唯の脳無しじゃなかったのか」
あの時のことを思い出して、カイルは苦いものを覚えた。それが刃を少し後押しする。
何でこんなことに腹を立てているのだろうと、カイルは言葉を吐いた後で自問したくなった。
ディムロスが何かを言いたそうにしたが、マスターの何かを察したのか口を噤む。
それがカイルにとって、ミトスに勝つことと同じくらい意味を持っていると感じていた。
【英雄】。言の葉を舌の上に乗せてカイルはその味を確かめ、得心する。
何故今自分がこうもミトスに挑みかかっているのか。
リアラを殺されたこと、ロイドの世界の敵であること。マーテル。ミント。
それらは確かに戦う倒すべくに足る理由ではあるが“間接的理由”だ。
娯楽に耽っていた時に仕事のことを思い出したかのような不愉快さをミトスが自分に見せている。
カイルという存在が、ミトスという人物を無視できないのはつまるところあの夜の一戦に尽きるのだと。
「お前が、それを口にするかよ。まだ何も分かってないのか」
カイルの怒号と同じくその一言にはあらゆる疑問が詰まっていた。
ロイドらから既に聞いたであろうミトス=ユグドラシルという人物の末路。
既に明らかになっているであろうこの世界におけるミトス=ユグドラシルの目的。
それらを踏まえたうえで、既にあの夜に答えたであろう結論を聞いていて、なお諦めるなと口にするのか。
「なら、逆に聞くがな。お前にとって英雄ってのは何だ?
まさかあの時みたいに下らないことを言うつもりじゃないだろうな」
「――――――――なりたくてなれるものじゃないってことは知ってる。
自分のやったことに皆から讃えられて贈られるものだってことは」
ほう、という溜息が聞こえてきそうな軽い驚きをミトスは見せた。
「半分合ってるよ。なんだ、唯の脳無しじゃなかったのか」
あの時のことを思い出して、カイルは苦いものを覚えた。それが刃を少し後押しする。
「英雄を定めるのは、英雄以外のニンゲンだ。これは正しい。だからなりたくてなれるものじゃない。これも正しい。
だから、その逆も正しい。なりたくなくても勝手に英雄にさせられる場合がある。
――――――――――――――――“英雄以外のニンゲンどもが自分の都合で英雄を欲した場合”、だ」
だから、その逆も正しい。なりたくなくても勝手に英雄にさせられる場合がある。
――――――――――――――――“英雄以外のニンゲンどもが自分の都合で英雄を欲した場合”、だ」
カイルの剣が朗々と答えるミトスへと少しずつ肉薄する。
この距離でのカイルの優勢は明らか。だが、ミトスから放たれる何かは止んでいない。
それは命の危険に対する怖れでも殺される相手への敵愾心でもなく、もっと視野の広い憎悪だった。、
「そもそも、何故讃える? そんなに英雄を憧憬して讃える暇があるなら自分で英雄になろうとすればいいのに。
ならないんだよ。なるはずがない。英雄を祭り上げる奴は“英雄になる気は無い”んだ」
距離が縮むほどに増大する惨意。自分へ答えると同時に、それはミトスの中の何かを揮発させている。
そのガスの匂いを嗅げそうなほどの距離で、カイルはミトスの中の澱を見た気がした。
「何かを成す為には犠牲は付き物だ。だけど、誰だってその矢面には立ちたくない。
だから希う訳だ、誰か自分の代わりに多く失ってくれないかと!」
堆積した歴史の底に沈殿していた、憎悪よりも煮立ち憤怒よりも焼けたニンゲンへの失意。
剣戟の振動にて舞い上がったその汚泥が、カイルの意識を一瞬釘付ける。
額と額が擦れ合いそうな近接でミトスの下半身はカイルの死角となる。
「で、当然その程度の心根しか持たない奴が良心の呵責に耐えられるわけが無い」
カイルの死角を襲う左の足刀。人間とは異なる視界を持つディムロスはそれを捉えていた。
だが、それをディムロスは言わなかった。寧ろ好機と捉えたからだ。
先の蹴りで調子に乗ったのかは分からないが、今は状況が違う。
この態勢ではとてもではないが腰に力は入らない。加速させる距離も無い苦し紛れの死んだ蹴りなど避けるに値しない。
それよりも、更に崩れるであろう守りを打ち破るべきと考えた。兵の法から導き出される道理。
この距離でのカイルの優勢は明らか。だが、ミトスから放たれる何かは止んでいない。
それは命の危険に対する怖れでも殺される相手への敵愾心でもなく、もっと視野の広い憎悪だった。、
「そもそも、何故讃える? そんなに英雄を憧憬して讃える暇があるなら自分で英雄になろうとすればいいのに。
ならないんだよ。なるはずがない。英雄を祭り上げる奴は“英雄になる気は無い”んだ」
距離が縮むほどに増大する惨意。自分へ答えると同時に、それはミトスの中の何かを揮発させている。
そのガスの匂いを嗅げそうなほどの距離で、カイルはミトスの中の澱を見た気がした。
「何かを成す為には犠牲は付き物だ。だけど、誰だってその矢面には立ちたくない。
だから希う訳だ、誰か自分の代わりに多く失ってくれないかと!」
堆積した歴史の底に沈殿していた、憎悪よりも煮立ち憤怒よりも焼けたニンゲンへの失意。
剣戟の振動にて舞い上がったその汚泥が、カイルの意識を一瞬釘付ける。
額と額が擦れ合いそうな近接でミトスの下半身はカイルの死角となる。
「で、当然その程度の心根しか持たない奴が良心の呵責に耐えられるわけが無い」
カイルの死角を襲う左の足刀。人間とは異なる視界を持つディムロスはそれを捉えていた。
だが、それをディムロスは言わなかった。寧ろ好機と捉えたからだ。
先の蹴りで調子に乗ったのかは分からないが、今は状況が違う。
この態勢ではとてもではないが腰に力は入らない。加速させる距離も無い苦し紛れの死んだ蹴りなど避けるに値しない。
それよりも、更に崩れるであろう守りを打ち破るべきと考えた。兵の法から導き出される道理。
それをカイルは避けた。火を落とし、剣を弾いて箒を軸にその場で横転する。
その所作は無意識に限りなく近いものだった。その蹴りを何故避けなければいけないかなど分かる筈も無い。
ただ、ミトスの中から表出した何かがカイルの神経に直結した。
その所作は無意識に限りなく近いものだった。その蹴りを何故避けなければいけないかなど分かる筈も無い。
ただ、ミトスの中から表出した何かがカイルの神経に直結した。
もしクルシスの指導者ユグドラシルならば抗うことなくここで滅んだだろう。
だが、“寝た子を起こしたのは果たしてどちら”か。
間髪で横に薙ぎ払われた蹴足がカイルが先ほどまでいた場所を過ぎる。
絶望とは反転した希望。堕とせし英雄の絶望は、未だ何も終わってはいない。
だが、“寝た子を起こしたのは果たしてどちら”か。
間髪で横に薙ぎ払われた蹴足がカイルが先ほどまでいた場所を過ぎる。
絶望とは反転した希望。堕とせし英雄の絶望は、未だ何も終わってはいない。
「だからヒトは自分を慰めるために謳うのさ――――――――“どうもありがとう英雄サマ”ってね!!」
刹那、ミトスの足が閃光を射出した。
当人の足よりも伸びた閃光がまるで刃のように伸び、大気を射抜く。
粒の波が空を渡り、焦げついた空気の匂いがカイルの鼻に届いた。
収束する光の奔流の先には、内側からブーツを吹き飛ばされたようなミトスの小さな素足があった。
『ユグドラシル、レーザー……?』
アトワイトが虚空に投げかけるようにその技の名を口にする。
その名のものよりも細く、短くはあったがミトスから放たれた真白き光の一閃は確かにそれだ。
そこに疑問符が付くのは、ミトスがユグドラシル形態をとっていないからではない。
ダオスと共に放ったように、口径の小さな銃で大きな銃弾を放つリスクさえ負うならばミトスの身体でも不可能ではない。
後に省みるものの無いこの戦いにおいて、それは有り得た選択肢だった。その戦いをその眼で見ているアトワイトもそれは考えていた。
『莫迦な……蹴り足からッ!?』
ディムロスが彼女の疑問を代弁する。その閃光が発射されたのは――――眼前の結果を信じる限り――――ミトスの左足だ。
本来ならば掌から放たれるべき光が脚部より放たれたという事実は、事実以上の驚きをディムロスに与えた。
当人の足よりも伸びた閃光がまるで刃のように伸び、大気を射抜く。
粒の波が空を渡り、焦げついた空気の匂いがカイルの鼻に届いた。
収束する光の奔流の先には、内側からブーツを吹き飛ばされたようなミトスの小さな素足があった。
『ユグドラシル、レーザー……?』
アトワイトが虚空に投げかけるようにその技の名を口にする。
その名のものよりも細く、短くはあったがミトスから放たれた真白き光の一閃は確かにそれだ。
そこに疑問符が付くのは、ミトスがユグドラシル形態をとっていないからではない。
ダオスと共に放ったように、口径の小さな銃で大きな銃弾を放つリスクさえ負うならばミトスの身体でも不可能ではない。
後に省みるものの無いこの戦いにおいて、それは有り得た選択肢だった。その戦いをその眼で見ているアトワイトもそれは考えていた。
『莫迦な……蹴り足からッ!?』
ディムロスが彼女の疑問を代弁する。その閃光が発射されたのは――――眼前の結果を信じる限り――――ミトスの左足だ。
本来ならば掌から放たれるべき光が脚部より放たれたという事実は、事実以上の驚きをディムロスに与えた。
「そんなヒトが勝手に与えた称号に何の意味がある!? 無いね。欠片も無いッ!」
刹那、ミトスの足が閃光を射出した。
当人の足よりも伸びた閃光がまるで刃のように伸び、大気を射抜く。
粒の波が空を渡り、焦げついた空気の匂いがカイルの鼻に届いた。
収束する光の奔流の先には、内側からブーツを吹き飛ばされたようなミトスの小さな素足があった。
『ユグドラシル、レーザー……?』
アトワイトが虚空に投げかけるようにその技の名を口にする。
その名のものよりも細く、短くはあったがミトスから放たれた真白き光の一閃は確かにそれだ。
そこに疑問符が付くのは、ミトスがユグドラシル形態をとっていないからではない。
ダオスと共に放ったように、口径の小さな銃で大きな銃弾を放つリスクさえ負うならばミトスの身体でも不可能ではない。
後に省みるものの無いこの戦いにおいて、それは有り得た選択肢だった。その戦いをその眼で見ているアトワイトもそれは考えていた。
『莫迦な……蹴り足からッ!?』
ディムロスが彼女の疑問を代弁する。その閃光が発射されたのは――――眼前の結果を信じる限り――――ミトスの左足だ。
本来ならば掌から放たれるべき光が脚部より放たれたという事実は、事実以上の驚きをディムロスに与えた。
当人の足よりも伸びた閃光がまるで刃のように伸び、大気を射抜く。
粒の波が空を渡り、焦げついた空気の匂いがカイルの鼻に届いた。
収束する光の奔流の先には、内側からブーツを吹き飛ばされたようなミトスの小さな素足があった。
『ユグドラシル、レーザー……?』
アトワイトが虚空に投げかけるようにその技の名を口にする。
その名のものよりも細く、短くはあったがミトスから放たれた真白き光の一閃は確かにそれだ。
そこに疑問符が付くのは、ミトスがユグドラシル形態をとっていないからではない。
ダオスと共に放ったように、口径の小さな銃で大きな銃弾を放つリスクさえ負うならばミトスの身体でも不可能ではない。
後に省みるものの無いこの戦いにおいて、それは有り得た選択肢だった。その戦いをその眼で見ているアトワイトもそれは考えていた。
『莫迦な……蹴り足からッ!?』
ディムロスが彼女の疑問を代弁する。その閃光が発射されたのは――――眼前の結果を信じる限り――――ミトスの左足だ。
本来ならば掌から放たれるべき光が脚部より放たれたという事実は、事実以上の驚きをディムロスに与えた。
「そんなヒトが勝手に与えた称号に何の意味がある!? 無いね。欠片も無いッ!」
今自らが成したことなど露も気にする素振りなく、ミトスがカイルに一撃を振り下ろす。
「ッ!」
天地を反転させたカイルの上に流れる唐竹とその我武者羅な一撃が打ち付けあった。
重い。カイルの手に痺れが刻まれる。馴れぬ体勢からの咄嗟の一撃であったことを差し引いても今までとは比べ物にならない。
それには何の小細工も無かったことがカイルには分かっていた。ただ力目一杯に打ち込んできた、それだけの攻撃。
その証拠に、ディムロスの硬さと自分の握力の方が耐えられずにミトスはその手からファフニールを弾き飛ばしてしまう。
(速い。今までと、桁が――――――――)
中を空回るミトスの小柄な身体。華奢と言ってもいいその肉の何処に世界を変える力を持っていたのか。
その片鱗を、カイルは3分の4回転した世界で垣間見た。
「ッ!」
天地を反転させたカイルの上に流れる唐竹とその我武者羅な一撃が打ち付けあった。
重い。カイルの手に痺れが刻まれる。馴れぬ体勢からの咄嗟の一撃であったことを差し引いても今までとは比べ物にならない。
それには何の小細工も無かったことがカイルには分かっていた。ただ力目一杯に打ち込んできた、それだけの攻撃。
その証拠に、ディムロスの硬さと自分の握力の方が耐えられずにミトスはその手からファフニールを弾き飛ばしてしまう。
(速い。今までと、桁が――――――――)
中を空回るミトスの小柄な身体。華奢と言ってもいいその肉の何処に世界を変える力を持っていたのか。
その片鱗を、カイルは3分の4回転した世界で垣間見た。
「人から散々奪うだけ奪っておいて、その代わりに貰えるのが『英雄』?
要るかよ、そんな屑切れ。向こうだって屑切れだって分かってるから気軽に差し出すんだよ!!」
要るかよ、そんな屑切れ。向こうだって屑切れだって分かってるから気軽に差し出すんだよ!!」
ミトスの左足が、親指と人差し指で弾かれた剣を器用に掴みあげる。
筋を強張らせるほどに握り締められた剣が、その憎悪そのままにカイルを蹴り斬った。
『カイル!!』
一歩早く上下を戻したカイルの防御が辛うじて間に合う。矢張りというべきか、その威力は手よりも劣ったのが幸いと機能していた。
が、ミトスはその結果云々など端から眼中に無いといった様子で、アトワイトを横に振り被る。
目端が切れそうなほどに見開いた瞳。歯の軋る音。余裕はおろか諦観さえ削ぎ落とされた、剥き出しの感情がそこにあった。
風も凍りつきそうなほどの一閃を前にし、剣では間に合わないと判断したカイルが大きく仰け反って避けようとする。
身体が覚えていたアトワイトの刀身の長さとミトスの腕から差し引いた殺傷範囲からの判断だった。
『晶術反応? これは――――紙一重で避けるな!!』
ディムロスの一言の意味を理解するよりも早く、目の前の光景が推移した。
カイルの鼻先を刃が掠める寸前、ミトスの手からアトワイトがすっぽ抜ける。否、空を握り締めている。
筋を強張らせるほどに握り締められた剣が、その憎悪そのままにカイルを蹴り斬った。
『カイル!!』
一歩早く上下を戻したカイルの防御が辛うじて間に合う。矢張りというべきか、その威力は手よりも劣ったのが幸いと機能していた。
が、ミトスはその結果云々など端から眼中に無いといった様子で、アトワイトを横に振り被る。
目端が切れそうなほどに見開いた瞳。歯の軋る音。余裕はおろか諦観さえ削ぎ落とされた、剥き出しの感情がそこにあった。
風も凍りつきそうなほどの一閃を前にし、剣では間に合わないと判断したカイルが大きく仰け反って避けようとする。
身体が覚えていたアトワイトの刀身の長さとミトスの腕から差し引いた殺傷範囲からの判断だった。
『晶術反応? これは――――紙一重で避けるな!!』
ディムロスの一言の意味を理解するよりも早く、目の前の光景が推移した。
カイルの鼻先を刃が掠める寸前、ミトスの手からアトワイトがすっぽ抜ける。否、空を握り締めている。
「自分が出来ないこと、したくない事。そういうことを代わりにやってくれる間抜けを嘲笑う為の代名詞だ。
賞賛は、功績は! どれだけ自分を食い潰して他人の犠牲になったかでしか計れない!!」
賞賛は、功績は! どれだけ自分を食い潰して他人の犠牲になったかでしか計れない!!」
晶術で精製された氷によって伸びた柄。増した射程が、カイルの目測を超えて迫る。
鼻頭に切れ目が入った瞬間、カイルの左手が半ば勝手に動いていた。
ガントレットを咄嗟に噛ませ、骨まで至る寸前に刃を止める。
やはりその威力故に衝撃で柄の氷が砕け、弾かれたアトワイトが宙を舞った。
半分ほど切れた鼻の頭の軟骨からくっぱりと血を滴らせるカイル。
口に入る血の苦味を覚えた、カイルは目の前の存在に今までとは異なった空恐ろしさを感じていた。
ロイドから聞いていた能力仕様を超えた大技。走る・歩くという意味での足の価値が無い中空とはいえ、脚部を用いた手数の増加。
それらも確かに脅威ではあったが、カイルが感じていたのはそこではなかった。
接近戦というカイルの領域にミトスを踏み込ませたのは、『譲らない』というミトスの強い意志。
ともすれば戦いの結果としての敗北さえ受け入れていたかもしれないその小さな身体を支え始めたものが、暴威と化す。
「うっ、あ、が――――ッ」
『カイル!』
鼻先のアトワイトまでもがその名前を叫ぶ。敵に案じられなければならないほどの苦悶がカイルに表出する。
眼前に運んだ自分の鉄甲に遮られた死角、カイルの膝には蹴り付けるように足指でしっかりと握られた邪剣が深々と刺さっていた。
逆鱗、あるいは最古の生傷に触れてしまったという手応えが、カイルの中で自らの窮地として確かなものとなった。
マーテルの弟でもなく、世界の調停機関であるクルシスの首魁でもなく、ハーフエルフでさえなく、
鼻頭に切れ目が入った瞬間、カイルの左手が半ば勝手に動いていた。
ガントレットを咄嗟に噛ませ、骨まで至る寸前に刃を止める。
やはりその威力故に衝撃で柄の氷が砕け、弾かれたアトワイトが宙を舞った。
半分ほど切れた鼻の頭の軟骨からくっぱりと血を滴らせるカイル。
口に入る血の苦味を覚えた、カイルは目の前の存在に今までとは異なった空恐ろしさを感じていた。
ロイドから聞いていた能力仕様を超えた大技。走る・歩くという意味での足の価値が無い中空とはいえ、脚部を用いた手数の増加。
それらも確かに脅威ではあったが、カイルが感じていたのはそこではなかった。
接近戦というカイルの領域にミトスを踏み込ませたのは、『譲らない』というミトスの強い意志。
ともすれば戦いの結果としての敗北さえ受け入れていたかもしれないその小さな身体を支え始めたものが、暴威と化す。
「うっ、あ、が――――ッ」
『カイル!』
鼻先のアトワイトまでもがその名前を叫ぶ。敵に案じられなければならないほどの苦悶がカイルに表出する。
眼前に運んだ自分の鉄甲に遮られた死角、カイルの膝には蹴り付けるように足指でしっかりと握られた邪剣が深々と刺さっていた。
逆鱗、あるいは最古の生傷に触れてしまったという手応えが、カイルの中で自らの窮地として確かなものとなった。
マーテルの弟でもなく、世界の調停機関であるクルシスの首魁でもなく、ハーフエルフでさえなく、
「英雄の価値はどれだけ失ったかでしか量れない。故に、英雄は誰よりも多く自らの大切なものを捧げる!
それが望んだものでも、望まざるものでもだッ!! そうでなければ、人一人の力で世界を変える力は得られない!!」
それが望んだものでも、望まざるものでもだッ!! そうでなければ、人一人の力で世界を変える力は得られない!!」
“英雄”ミトス=ユグドラシルの怨嗟を開いてしまったのだと。
『右足だとッ!?』
怒号の呪言とともに、ミトスが右足の輝きを見たディムロスはそれに気づいた。
短剣をカイルの膝に杭と打ち込んで、足場を固定したミトスの左足は“軸足”だ。
そして先ほどの左を考えれば、これは脚力増強などと温いものではない。
“左で成せたことが右で出来ぬ道理が無い”。
『右足だとッ!?』
怒号の呪言とともに、ミトスが右足の輝きを見たディムロスはそれに気づいた。
短剣をカイルの膝に杭と打ち込んで、足場を固定したミトスの左足は“軸足”だ。
そして先ほどの左を考えれば、これは脚力増強などと温いものではない。
“左で成せたことが右で出来ぬ道理が無い”。
「だから英雄は失う。本当に守りたかったものを、本当なら守れたものを! こんな風にッ!!」
ぐいと左足を相手の膝に押し込み、反動を得たミトスの右足がカイルの横腹を穿つ。
噴出する赤い水が、夜の黒が白き光に呑み込まれる。
アウトバースト。カイルに撃ち付けられた箇所から閃光が迸り、全てを炸裂させた。
噴出する赤い水が、夜の黒が白き光に呑み込まれる。
アウトバースト。カイルに撃ち付けられた箇所から閃光が迸り、全てを炸裂させた。
光が止んで再び闇が天を覆った空に、ミトスは星を見るようにして大地を睥睨した。
『ミトス。そんな無茶をしたら、足が……』
しゅうと湯気を上げたような両の裸足を見ながらアトワイトがミトスに諫言しようとしたが、
ミトスの放つものにぞくりとしたものを覚えて押し黙る。
先ほどまでの悦楽的な表情とは真逆の乾いて煤けた、全てを侮蔑しきった感情が露出している。
マーテルが死んだときのそれに似ている、と彼女は思った。
だがあの時でさえまだ「マーテルを甦らせる」という希望がそこには残っていた。
闇の中の最後の一条さえ見失ったかのような、ミトスの歴史の中の染みを全て表出させた漆塗りの黒。
何をどう経験すればこの幼い面がそんな面構えになるのか、アトワイトには想像が付かなかった。
今までのミトスが、本気を出していなかったとは思わない。全力でカイルを倒しにかかっていた。
それは彼の武器として在った彼女が一番よく分かっている。だか“ここまでする気は無かった”筈だともアトワイトは思っている。
顔は涼しげでも足を見れば、本来手で使うべきもの遣った代償が確実にミトスの体内に蓄積しているのが分かる。
その内側に掛かっている負荷は想像を絶する。楽しむため、死ぬための戦いに持ち出す技ではない。
自らの拳を砕きながら殴るような戦い方をするような少年だっただろうか。
つまり、眼前の敵はミトスにとって自傷してまで殴るべき相手なのか。
『ミトス。そんな無茶をしたら、足が……』
しゅうと湯気を上げたような両の裸足を見ながらアトワイトがミトスに諫言しようとしたが、
ミトスの放つものにぞくりとしたものを覚えて押し黙る。
先ほどまでの悦楽的な表情とは真逆の乾いて煤けた、全てを侮蔑しきった感情が露出している。
マーテルが死んだときのそれに似ている、と彼女は思った。
だがあの時でさえまだ「マーテルを甦らせる」という希望がそこには残っていた。
闇の中の最後の一条さえ見失ったかのような、ミトスの歴史の中の染みを全て表出させた漆塗りの黒。
何をどう経験すればこの幼い面がそんな面構えになるのか、アトワイトには想像が付かなかった。
今までのミトスが、本気を出していなかったとは思わない。全力でカイルを倒しにかかっていた。
それは彼の武器として在った彼女が一番よく分かっている。だか“ここまでする気は無かった”筈だともアトワイトは思っている。
顔は涼しげでも足を見れば、本来手で使うべきもの遣った代償が確実にミトスの体内に蓄積しているのが分かる。
その内側に掛かっている負荷は想像を絶する。楽しむため、死ぬための戦いに持ち出す技ではない。
自らの拳を砕きながら殴るような戦い方をするような少年だっただろうか。
つまり、眼前の敵はミトスにとって自傷してまで殴るべき相手なのか。
「咄嗟に防いだな。よく選んだね。腕を犠牲にしなきゃ、命は守れなかった」
アトワイトが面を上げるように視界を上げると、少し遠くで白く煙が棚引いていて風に掻き消え続けていた。
煙の先には真っ赤に血を滴らせている左腕があった。あったはずのガントレットは、破片をその肉に食い込ませている。
その庇った左腕と、腿肉を抉り取られたかのように右脚から血を垂らすカイルは4割が紅い。
『そこまで人間を憎むか、ミトス=ユグドラシル。異世界の英雄よ』
浅い息を短く吐き、震える手で膝の血を少しでも留めようとするカイルを庇うように、ディムロスはミトスを睨み付けた。
ミトスから迸るものの大部分を占めているであろうもの。
それがニンゲンという生き物に対する憎悪であることをかつて英雄が担った剣は確信した。
英雄というものが人々から与えられるものである以上、ニンゲンを憎むミトスにとっての英雄の価値は自ずと定まる。
「『嫌い』だ? そんな小さな言葉に収まる程度のものだと思う?
ソーディアン。誰かの為に朽ちることを運命付けられた、哀れな生命よ」
端正であろうその小顔を歪ませているのは、感情か過去かあるいはその両方か。
世界を救った英雄に刻まれたものというには、それはあまりにも空虚な絶望だった。
「世界なんてその気になれば誰でも変えられる。簡単に世界を滅ぼすことも出来るんだから。
でも、あいつらはそれをしない。しようとする気さえ起こさない。いつか自分以外の誰かがやるのを待ってる。
いつまで経っても世界は変わらない。だから、僕が変えることにした」
顔の上半分をアトワイトを掴んだ手で覆い、ミトスが傷口から血をひり出すように言葉を紡いだ。
店を畳む古物商が、蔵の中に眠っていたものをひっくり返して懐かしむような寂びだけがそこにあった。
「それなりに辛いこともあった。報われないことも多かった。それでも、少ないけど仲間もいた。
頑張ればいつか必ず夢は叶うと、世界は変わるとあの頃は信じられた……笑えよ、この僕がだぞ」
自嘲さえも浮かばぬ冗談に、笑える余地などあるはずもない。
「そこそこ足掻いて、それなりに努力して、まあ、ありがちな世界の危機くらいは救えそうになった。
これさえ終われば、きっと僕のやってきたことは無駄じゃなかったと誇れたかもしれない」
それはカイルらが見てきた中で、一番素直な表情だったかもしれない。
一等乾ききった、骸骨の笑顔だった。英雄にしか浮かべられぬ絶望が、そこに刻まれていた。
ぞわ、とミトスの背後に列べられた寒気にディムロスが気づく。
無数の氷針が、夕闇の薄暗がりに紛れて並べられている。静かで早く、尚かつ緻密な布陣だった。
(100本以上……蜂の巣どころではないッ!!)
「でもな、そこで初めて知ったんだよ。世界は救えても、変えられないって!!」
風化した想い出。輝いていた最後の時代の化石。もう取り戻せないと知ってしまった全てへの悔恨。
その全てを殺意に転換し、ミトスは殲滅の大号令を繰り出した。
アトワイトが面を上げるように視界を上げると、少し遠くで白く煙が棚引いていて風に掻き消え続けていた。
煙の先には真っ赤に血を滴らせている左腕があった。あったはずのガントレットは、破片をその肉に食い込ませている。
その庇った左腕と、腿肉を抉り取られたかのように右脚から血を垂らすカイルは4割が紅い。
『そこまで人間を憎むか、ミトス=ユグドラシル。異世界の英雄よ』
浅い息を短く吐き、震える手で膝の血を少しでも留めようとするカイルを庇うように、ディムロスはミトスを睨み付けた。
ミトスから迸るものの大部分を占めているであろうもの。
それがニンゲンという生き物に対する憎悪であることをかつて英雄が担った剣は確信した。
英雄というものが人々から与えられるものである以上、ニンゲンを憎むミトスにとっての英雄の価値は自ずと定まる。
「『嫌い』だ? そんな小さな言葉に収まる程度のものだと思う?
ソーディアン。誰かの為に朽ちることを運命付けられた、哀れな生命よ」
端正であろうその小顔を歪ませているのは、感情か過去かあるいはその両方か。
世界を救った英雄に刻まれたものというには、それはあまりにも空虚な絶望だった。
「世界なんてその気になれば誰でも変えられる。簡単に世界を滅ぼすことも出来るんだから。
でも、あいつらはそれをしない。しようとする気さえ起こさない。いつか自分以外の誰かがやるのを待ってる。
いつまで経っても世界は変わらない。だから、僕が変えることにした」
顔の上半分をアトワイトを掴んだ手で覆い、ミトスが傷口から血をひり出すように言葉を紡いだ。
店を畳む古物商が、蔵の中に眠っていたものをひっくり返して懐かしむような寂びだけがそこにあった。
「それなりに辛いこともあった。報われないことも多かった。それでも、少ないけど仲間もいた。
頑張ればいつか必ず夢は叶うと、世界は変わるとあの頃は信じられた……笑えよ、この僕がだぞ」
自嘲さえも浮かばぬ冗談に、笑える余地などあるはずもない。
「そこそこ足掻いて、それなりに努力して、まあ、ありがちな世界の危機くらいは救えそうになった。
これさえ終われば、きっと僕のやってきたことは無駄じゃなかったと誇れたかもしれない」
それはカイルらが見てきた中で、一番素直な表情だったかもしれない。
一等乾ききった、骸骨の笑顔だった。英雄にしか浮かべられぬ絶望が、そこに刻まれていた。
ぞわ、とミトスの背後に列べられた寒気にディムロスが気づく。
無数の氷針が、夕闇の薄暗がりに紛れて並べられている。静かで早く、尚かつ緻密な布陣だった。
(100本以上……蜂の巣どころではないッ!!)
「でもな、そこで初めて知ったんだよ。世界は救えても、変えられないって!!」
風化した想い出。輝いていた最後の時代の化石。もう取り戻せないと知ってしまった全てへの悔恨。
その全てを殺意に転換し、ミトスは殲滅の大号令を繰り出した。
一瞬たりと聞き入ってしまった自分を罵り潰すとともに、ディムロスは再び箒を自分の制御下に置いて素早く対応を敷く。
カイルの意識が戦闘が成せるほどに回復しきっていない今、迷える時間は無い。
剣の裁量で動かせる推進力を全て火力に変えて全面に押し出し、火炎の楯と成す。着弾と共に高圧高温の蒸気が障壁の外側に爆ぜ上がった。
爆音と蒸発の熱は酷いが、反発する属性同士の利がある。これならば凌ぎきれる、そうディムロスが思った瞬間だった。
「犠牲を払えばなんだって出来る。それこそ世界だって救える。
だけど“犠牲を必要とする”世界の仕組みは変化しない。姉さまを奪われるまで、僕は気づけなかった!!
お前も、スタンとリアラを失うまで気づかなかっただろ、カイルッ!?」
炎の赤と蒸気の白が視界を埋め尽くす中、少年の声が響き渡る。痛みさえ錯覚しそうな悲愴がこの音の波の中を貫いていた。
ディムロスはそこで自らの間違いを悟った。ミトスは時間稼ぎに昔の苦労話を語ったのではない。
その程度の詐術に心を揺さぶられるほど、ディムロスは易くはない。
ソーディアンが封印された千年。その4倍の年月を経ても残る生傷の痛みだからこそ、ディムロスを穿てた。
アトワイトをバルバトスに奪われ、司令官として非情の決断を下したディムロスを。
カイルの意識が戦闘が成せるほどに回復しきっていない今、迷える時間は無い。
剣の裁量で動かせる推進力を全て火力に変えて全面に押し出し、火炎の楯と成す。着弾と共に高圧高温の蒸気が障壁の外側に爆ぜ上がった。
爆音と蒸発の熱は酷いが、反発する属性同士の利がある。これならば凌ぎきれる、そうディムロスが思った瞬間だった。
「犠牲を払えばなんだって出来る。それこそ世界だって救える。
だけど“犠牲を必要とする”世界の仕組みは変化しない。姉さまを奪われるまで、僕は気づけなかった!!
お前も、スタンとリアラを失うまで気づかなかっただろ、カイルッ!?」
炎の赤と蒸気の白が視界を埋め尽くす中、少年の声が響き渡る。痛みさえ錯覚しそうな悲愴がこの音の波の中を貫いていた。
ディムロスはそこで自らの間違いを悟った。ミトスは時間稼ぎに昔の苦労話を語ったのではない。
その程度の詐術に心を揺さぶられるほど、ディムロスは易くはない。
ソーディアンが封印された千年。その4倍の年月を経ても残る生傷の痛みだからこそ、ディムロスを穿てた。
アトワイトをバルバトスに奪われ、司令官として非情の決断を下したディムロスを。
そして、今その痛みをカイル=デュナミスただ一人に理解させるためだけにそれは語られている。
人間を信じて最後の最後まで諦めなかった少年が、旅の終わりに知った真実。
彼が守ったものはこんなにも下らなくて、彼が失ったものはあんなにも掛け替えの無いものだった。
世界は変えるものではない。その引き替えに大切なものを、喪ってしまうから。
最後にふらりと訪れた客に対するものとしては破格過ぎるこのサービスは詰まるところ、冥土への土産。
(必ず殺す、即ち必殺の意志。ならばこの拮抗に、更に一枚仕込むか!!)
人間を信じて最後の最後まで諦めなかった少年が、旅の終わりに知った真実。
彼が守ったものはこんなにも下らなくて、彼が失ったものはあんなにも掛け替えの無いものだった。
世界は変えるものではない。その引き替えに大切なものを、喪ってしまうから。
最後にふらりと訪れた客に対するものとしては破格過ぎるこのサービスは詰まるところ、冥土への土産。
(必ず殺す、即ち必殺の意志。ならばこの拮抗に、更に一枚仕込むか!!)
ディムロスの読みとほぼ同時に、ガキン、とファイアウォールにひび割れたような圧力が走る。
堅い。炎にぶつかっても溶けない何かが壁を穿っている。
「英雄になれる素質があった訳でも、英雄になりたかったわけでもない。ただ、一緒にいられれば良かった。それで十分だったんだ」
その圧力点を中心とした部分の水蒸気が一瞬晴れて、蒸気混じりの直線を結ぶ光の輝きが映る。
ミトスの左手には邪剣ではなく槍が、守りを撃ち貫く聖なる槍が握られていた。
「僕は唯のハーフエルフだ。僕には姉さましかいなかった。姉さまと一緒にいられれば、誰にも迫害されない場所があればそれで良かった」
ファイアウォールに食い込んでも融けない槍が、楔と打ち込まれている。ディムロスがミトスの意図を察した時には既に遅かった。
足指で剣を器用にホールドしながら、ミトスは両の手に握ったホーリーランスの片方を投擲する。
先に穿った一投目を寸分違わぬ打ち抜き、壁を更に圧し抜く。
意図を察してもディムロスには打つ手がなかった。未だ雹の如き波濤は押し寄せている。
再び推力を得るために壁を解けば、無数の氷に刺し貫かれるだろう。槍を避ければ針衾、針を防げば百舌の贄。
攻めるも退くもままならず、ホーリーランスだけがじりじりと目の前を進んでいる。
「な? 全部は無理なんだよ。本当に大切なものを知らなければ、いつかそれを失う」
手元に残った最後の一槍をミトスは背中に回す。捻った背筋に全てを貫通する力を蓄え、その眼は壁に刺さった二連槍を狙い済ます。
三本目で、かっきりと貫く。詰め将棋の如き陰湿な精密さに、ディムロスは唸るしかなかった。
「僕は唯のハーフエルフだ。姉さまと一緒にいられれば、誰にも迫害されない場所があればそれで良かった」
全てを守ろうとすれば、何処かで歪みが出る。中途半端に選べば、必ず後悔する。
世界もマーテルも欲するは虫が良く、スタンとリアラどっちともというは傲慢に過ぎない。
「ニンゲンなんかの英雄なんて、願い下げだよ。僕の全ては、姉さまのためだけにあったんだ」
選ばなければならないのだ。英雄であるならば、何かを捨てて進むしかない。
「僕は、ただ、“姉さまの英雄であれれば、それで良かった”」
だから世界を、それ以外の何もかもを犠牲にしてでもたった一人を取り戻すと決めたミトスは英雄として完成している。
堅い。炎にぶつかっても溶けない何かが壁を穿っている。
「英雄になれる素質があった訳でも、英雄になりたかったわけでもない。ただ、一緒にいられれば良かった。それで十分だったんだ」
その圧力点を中心とした部分の水蒸気が一瞬晴れて、蒸気混じりの直線を結ぶ光の輝きが映る。
ミトスの左手には邪剣ではなく槍が、守りを撃ち貫く聖なる槍が握られていた。
「僕は唯のハーフエルフだ。僕には姉さましかいなかった。姉さまと一緒にいられれば、誰にも迫害されない場所があればそれで良かった」
ファイアウォールに食い込んでも融けない槍が、楔と打ち込まれている。ディムロスがミトスの意図を察した時には既に遅かった。
足指で剣を器用にホールドしながら、ミトスは両の手に握ったホーリーランスの片方を投擲する。
先に穿った一投目を寸分違わぬ打ち抜き、壁を更に圧し抜く。
意図を察してもディムロスには打つ手がなかった。未だ雹の如き波濤は押し寄せている。
再び推力を得るために壁を解けば、無数の氷に刺し貫かれるだろう。槍を避ければ針衾、針を防げば百舌の贄。
攻めるも退くもままならず、ホーリーランスだけがじりじりと目の前を進んでいる。
「な? 全部は無理なんだよ。本当に大切なものを知らなければ、いつかそれを失う」
手元に残った最後の一槍をミトスは背中に回す。捻った背筋に全てを貫通する力を蓄え、その眼は壁に刺さった二連槍を狙い済ます。
三本目で、かっきりと貫く。詰め将棋の如き陰湿な精密さに、ディムロスは唸るしかなかった。
「僕は唯のハーフエルフだ。姉さまと一緒にいられれば、誰にも迫害されない場所があればそれで良かった」
全てを守ろうとすれば、何処かで歪みが出る。中途半端に選べば、必ず後悔する。
世界もマーテルも欲するは虫が良く、スタンとリアラどっちともというは傲慢に過ぎない。
「ニンゲンなんかの英雄なんて、願い下げだよ。僕の全ては、姉さまのためだけにあったんだ」
選ばなければならないのだ。英雄であるならば、何かを捨てて進むしかない。
「僕は、ただ、“姉さまの英雄であれれば、それで良かった”」
だから世界を、それ以外の何もかもを犠牲にしてでもたった一人を取り戻すと決めたミトスは英雄として完成している。
「お前にはまだ分からないだろ。でも、理解しろなんて言わない。
分からないまま――――――――ここで死に飛ばせェェェェェェェッッ!!!!!!!」
その一点に収束しきった意思が、全てを引き替えにしても厭わない決意が、そこに至れぬ全ての偽善を撃ち射抜く。
分からないまま――――――――ここで死に飛ばせェェェェェェェッッ!!!!!!!」
その一点に収束しきった意思が、全てを引き替えにしても厭わない決意が、そこに至れぬ全ての偽善を撃ち射抜く。
『カイル……!』
投げられた最後の聖槍が飛翔する。アトワイトは無い目を瞑るように、ディムロスを最後に引き合わせた少年の名を呟く。
救済か或いは死出への手向けか、それはいかなる感情から放たれた言葉なのか。
だが、アトワイトはただ道具として己の領分を堅守する。
投げられた最後の聖槍が飛翔する。アトワイトは無い目を瞑るように、ディムロスを最後に引き合わせた少年の名を呟く。
救済か或いは死出への手向けか、それはいかなる感情から放たれた言葉なのか。
だが、アトワイトはただ道具として己の領分を堅守する。
(知らなかった……あいつ、これだけの想いがあったんだ……これなら、強いはすだよ)
弾道は計算する意味もないほどの真っ直ぐさで壁を崩す槍の柄尻を打った。
『ぐぅっ……ここまで、なのか……』
ディムロスもまた無念を顕わに諦観を漏らした。だがそこに絶望というほどの後ろめたさは無い。
ただ、自らのマスターを勝利に導けない自分の無力が疎ましかった。
全力を発揮したソーディアンどうし、得物は五分と五分。
だが現実は、形振り構わず全てを曝したミトスを前にして、遂に前進した彼の槍がカイルをくり抜こうとしている。
『ぐぅっ……ここまで、なのか……』
ディムロスもまた無念を顕わに諦観を漏らした。だがそこに絶望というほどの後ろめたさは無い。
ただ、自らのマスターを勝利に導けない自分の無力が疎ましかった。
全力を発揮したソーディアンどうし、得物は五分と五分。
だが現実は、形振り構わず全てを曝したミトスを前にして、遂に前進した彼の槍がカイルをくり抜こうとしている。
(永い間、一人で抱え込んでたんだろ。そんな気持ち、誰にも理解できないものな)
ディムロスはミトスとカイルを分かつものを悟ってしまった。
望まぬまま英雄となり世界しか救えなかったミトス。かつてディムロスに誰一人見捨てない英雄の在り方を説いたカイル。
それのどちらが良いかはディムロスには決められない。
望まぬまま英雄となり世界しか救えなかったミトス。かつてディムロスに誰一人見捨てない英雄の在り方を説いたカイル。
それのどちらが良いかはディムロスには決められない。
(大切な人を零して、世界を守った英雄、か。ははっ……“他にも”いたんだな、こんなところに)
だが、2人の相違がこの一切の望みを棄てた死地に於いて、最後の一歩に絶対的な差を生ぜさせている。
『せめて、俺がもう半日早くお前に会えていたならば……』
後ろ2つの槍が光と爆ぜ、三本分の力に推された初槍が遂にディムロスの焔を破る。
『せめて、俺がもう半日早くお前に会えていたならば……』
後ろ2つの槍が光と爆ぜ、三本分の力に推された初槍が遂にディムロスの焔を破る。
<そう、彼ではミトスに勝てない。それはもう分かり切っている>
(否定なんて、俺に出来る訳がない。でもな、一つだけお前間違えてるよ。
失うことでしか、英雄にはなれない。そんなこと―――――)
失うことでしか、英雄にはなれない。そんなこと―――――)
ダメージではない。技術ではない。膂力でもない。
英雄としての経験。ただその一点で、カイル=デュナミスはミトス=ユグドラシルを越えられない。
『我が身の、不甲斐なさを許せ……ッ』
その結果が、彼の肉の中心を――――――――――――――――――――――――
英雄としての経験。ただその一点で、カイル=デュナミスはミトス=ユグドラシルを越えられない。
『我が身の、不甲斐なさを許せ……ッ』
その結果が、彼の肉の中心を――――――――――――――――――――――――
<だが、だからこそ、堕ちた英雄を止められるのは彼しかいない>
「そんなこと―――――“知ってるよ”」
紅黒い鮮血が赤暗い空に散り、傍にあった剣のレンズをびたびたと覆った。
紅黒い鮮血が赤暗い空に散り、傍にあった剣のレンズをびたびたと覆った。
Pause――――――――――――――Next Turn Shift Belserius→Goddess