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銀の邂逅 月の相克(前編)

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銀の邂逅 月の相克(前編)  ◆KKid85tGwY



――この世は腐ってる……。

殺し合いに参加する以前から、夜神月はずっとそう感じて生きて来た。
月の生きる現代社会に蔓延する犯罪や腐敗。
月には社会への不満が常に存在していたのだ。
それだけ月の中には、強い正義感が有り、明確な理想を持っていると言うこと。

しかし現実の月は――“日本一優秀な”と言う形容詞は付くが――只の高校生。
社会を変えるような力は持っていない。
社会の腐敗を知りながら、自分の生活を只淡々と送っていくだけの退屈な日々を過ごしてきた。
その日を迎えるまでは。
その日、月が偶然拾ったのは、名前を書くだけで人を殺すことができるノート。
人間の世界の条理を超えた死神の世界の産物、デスノート。
月はそれに拠って得たのだ。世界を変える力を。
月はデスノートを使い、犯罪者を次々と殺していった。
やがて世界から――月の基準による――悪人を一掃するために。
そして月の理想が実現した新世界を作り上げる。
それを夢見て動き始めた。

月の正義と理想はある意味実現した。
彼はキラとして世界中から畏怖され、そして崇拝され、
例え一時的な物であっても、世界から犯罪が激減させるのに成功する。
そして月の正義と理想は、最終的にある意味の失敗をする。
キラの正体が月であることが露見し、新世界を完全な物に形作る前に、
月は無残な最期を遂げた。

しかしそれは訪れなかった未来。
時空の摂理を超えた殺し合いの招聘に拠って、月は彼が迎える筈だった未来、
“新世界の神”を志していた未来とは、別の道を辿り始めた。

今から語られるのは、そんな在り得た未来とは別の未来の物語。
“新世界の神”を志していた筈の、しかし違う形の正義を抱いた男の物語である。


    ◇


「……貴方って本当に良い度胸してるわ」

現在、月と水銀燈が居るのは、展望台近くの山深い森の中。
月と水銀燈は現在同盟関係にあるので、当然同行する形になっている。
同盟関係と言っても、実際は水銀燈が月の生殺与奪の権を握っている、完全に不平等な物。
即ち今の月は水銀燈に従属させられている状況にある。

「何がだい、水銀燈?」

しかし今の月は水銀燈から呆れの混じった視線を送られながら、
木陰に腰を下ろして、支給されたパンを食べていた。

「良く今の状況で食事ができるってことよぉ」
「今だからこそだよ。君も食事が必要なら、今の内に取っておいた方が良い」

月と水銀燈は、先ほどルパンと田村玲子から書置きを置いて逃げ出してきたばかりである。
そして二人が居る場所は、書置きから100メートルも離れていない木陰だった。
しかも月の提案で、木陰に隠れながらルパンと玲子を無事にやり過ごせたかを見張ると言うのだ。
これではすぐに見付かりかねない。

しかしその心配は要らないと、月は説明していた。
月は書置きで、水銀燈には自分の意思で付いて行っていることを伝えてあった。
ならばルパンの立場としては、月と水銀燈には遭いたくない筈である。
何故なら下手に水銀燈を刺激すれば、月に危険が及びかねないからだ。
そしてルパンと玲子は接触しただけで水銀燈を刺激しかねない。
従ってルパンの方も出来れば水銀燈をやり過ごしたいのだ。
玲子の方は月にとって思考を読みづらい相手だが、それでも無用な戦いは避けたい筈だ。
無闇に水銀燈と接触しようとはしない筈である。

「下手に動き回ると、逆にあの二人と鉢合わせになる可能性が有る。
今のような状況ならあの二人がどちらへ向かうかを確認してから、動いた方が良いのさ。
そしてじっとしている時間で食事を済ませば、一石二鳥だろ?」

月が指し示すあの二人とは、月と水銀燈が見つめる先に居るルパンと玲子の二人。
二人は書置きを見て何かを話していたが、やがて一人ずつに別れて立ち去っていった。

「そんなことを聞いているんじゃない。仲間と別れて私と二人きりなのに、良く食欲が沸くってことよ」
「今は君が僕の仲間だろう?」
「哀れな下僕は仲間とご主人様の区別も付かないのかしら、お馬鹿さん」
「呼び方はどうあれ、お互いにメリットのある関係なことは違いないよ。
君は僕の頭脳を利用できるし、僕は君を戦力にできる」
「……私を戦力扱いにするなんて、本当に良い度胸してるわ」

突如、水銀燈の手に両刃の西洋剣が形成されて握られる。
そして刃の切っ先を月に向けて来た。
水銀燈の刃と殺気を向けられても、月は表情を変えずに返答する。

「それ位の割り切りが出来た方が、君にとっても頼りになると思ってね。失礼な言い方だったら謝るよ」

しばしの間、月を睨んでいた水銀燈だが、
やがて剣を仕舞い、つまらなそうにそっぽを向いた。
月はそんな水銀燈の様子に頓着することも無く、食事を済ませて立ち上がる。

「それじゃあ、展望台に戻ろうか」
「展望台ね……確かにそこが、一番あの二人と鉢合わせない場所よねぇ」
「分かってくれているなら何よりだ」

異論が出ないと分かると、月は水銀燈に先がけて展望台に向かい始める。
端的に言って、月の態度は水銀燈にとって気に入らない物だった。
本来二人の関係は、生殺与奪の権を持つ水銀燈が有利な筈である。
しかし実際の二人の動向は、月が主導している。

(やり難い奴ね……只の人間の癖に)

月の提案は全て合理的な物で、水銀燈がどれだけ異論を挟んでも適切な応答をするため、
自然と月の提案通りに、事が運んでいく形になってしまう。
先ほどなど剣を向けて挑発したにも関わらず、あっさりと流されてしまった。
今に到っては完全に水銀燈を先導する形になっていた。
月の背中を睨みながら、水銀燈も展望台に向かい始める。

水銀燈と月は山頂に存在する展望台、と名付けられた総合宿泊施設に着く。
展望台としての機能の他に浴場や食堂など、多種多様な施設が凝縮したその建物は、
全高にして15メートルほどにまで達する、巨大な円柱型の建造物だった。
外の監視に特化して、中には食料なども蓄えてあるその施設は、篭城するには打って付けと言えよう。
しかし水銀燈は積極的に殺し合いに乗っていく方針なのだ。
情報収集が有益であることは間違いないが、ここに長居をする訳にはいかない。
その後の展開を考えて早急に情報収集を終えたかった。
しかし展望台の入り口に入った月は、何かを物色している様子だった。

「……何をこそこそしてるのかしら?」
「君が言っていた“不細工なイタズラ”の材料を回収しているんだよ」

月は入り口付近に張ってある、視認出来ないほど細い糸を巻き取っていた。
水銀燈は自分が“不細工なイタズラ”と呼んだ、手作りの警報装置を思い出す。

「警報を解いちゃって良いの?」
「……もう粗方は、ルパンさんに回収されていたからね」

月の説明に拠ると、どうやらルパンが出発の際に警報装置を解いて、材料の糸などは回収していたらしい。
只、ルパンの遊び心ゆえか、警報装置は不必要に思えるほど大仕掛けで複雑な物となっていた。
従って急いで出発したルパンは、警報装置の材料の全てを完全に回収していた訳では無かったようである。

「それに警報を置かない訳じゃないよ」

月は回収した糸から一部を一階から二階に上がる階段の前に、ちょうど足首ほど高さで張り、
糸を非常用ベルの前に立て掛けたガイドポールに繋いでいた。
水銀燈には詳細は把握できないが、どうやら糸に引っ掛かるとガイドポールが倒れて非常用ベルを押す仕掛けらしい。
水銀燈が感心したのは階段の前に警報装置を置いたこと。
あれなら一階の何処から侵入しても、二階へ上がる際に警報に掛かる形になる。

月が作業を終えると、水銀燈はそちらへ目もくれずに四階の展望台へ先導する。
月も特に異論を挟むことも無く、水銀燈に付いて行った。
展望台に着いた月は淀みなく望遠鏡で周囲の観察を始める。
そして望遠鏡を覗いたまま水銀燈に話し掛ける。

「僕は南を観るから、水銀燈は東を頼む」

やはりここでも指示を出すのは月の方。
月に無闇に反発しても無意味であることは、既に学習している。
水銀燈は黙って東へ向けて望遠鏡を覗いた。

月と出会って間もないが、自身も聡明である水銀燈は、その優秀さを嫌と言うほど思い知らされている。
卓抜した頭脳を持ち、その判断を即座に実行できる実務能力と行動力を有している。
下僕としてはこれほど頼もしい存在もそうは居ないだろう。
下僕で在ればの話のだが。

「…………退屈。よくこんな面倒なことをずっと続けられるわねぇ」

展望台から望遠鏡で遠距離まで観れると言っても、望遠鏡で観れるのは極僅かな範囲。
地図上に点在する施設などをピンポイントに狙っても、中々参加者を捉えることは出来ない。
実にならない観察を続けるのは水銀燈にとって、性に合わない物だった。
そろそろ切り上げて、移動しようと考えた時に、
月の異変に気づいた。

「…………そんな、ルパンさん……」

そう呟いて望遠鏡から目を離す月。
漠然とでも事情を察した水銀燈は、月が観ていた方向へ自分の望遠鏡を向ける。
そこで水面に浮かぶルパン三世の死体を見つけることが出来た。
月は沈んだ様子で項垂れている。

「どうしたの? 大事なルパンを助けに行った方が良いんじゃない?」

水銀燈にはルパンの死に大した興味は無い。参加者の一人が減った以上の意味は無いからだ。
月に話し掛けたのは、単にからかいたかったからだ。
案の定、月は概ね水銀燈が予想したような返答をする。

「…………ルパンさんの傷は致命傷だ……今から行ってもどうにもならない……」
「うふふっ。随分冷たいのねぇ、ずっと一緒に居た仲間なのに。
それとも、ずっと一緒に居たのに結局は邪魔になった人のことだから、本当は死んで欲しかったとか?」
「……………………すまない、ちょっとトイレに行って来るよ」

月は顔を伏せたまま立ち上がり、ゆっくりと展望台から下る階段へ向かって行く。

「早く帰って来なさい。私はいつまでもトイレに引き篭もってるような役立たずは嫌いなの。殺したくなるくらい」

水銀燈も一応釘だけは刺しておいて、月を見送る。
観察を切り上げた水銀燈は、望遠鏡の上に腰掛けて、
今しがた展望台から去っていった下僕について考える。
今は消沈しているが、月は凄まじく回転の速い人間だ。
すぐに気を取り直してくるだろう。
月の優秀さついては、もう疑う余地は無い。
そしてそれ故に、月は下僕としては不適格とも言えるのだ。

水銀燈にとっては、月は好きに利用できる下僕だった筈だ。
しかし月ほど知略に長けた人間では、いかに水銀燈と言えど制御し切ることは出来まい。
実際に先ほどから月に主導権を握られている。
何より問題なのは、水銀燈と月では行動方針が決定的に違うと言うことだ。
水銀燈の目的は殺し合いに優勝することだが、月の目的は殺し合いを阻止することにある。
月は水銀燈が人を殺そうとすれば止めると明言している。
あるいは、そのような場面にまで到らないかもしれない。
水銀燈も気付かない内に、殺し合いを有利に進められないように誘導させられる可能性も有る。
月の知略ならばそれ位のことでさえ可能なように思える。
いずれにしても根本的に行動方針がぶつかる者は、最終的には邪魔にしかならないのだ。
月は有能だが使い道は精々が情報収集程度。
いや、それすら水銀燈が殺し合いを進めないよう情報を操作する公算すら有り得る。
ある意味下僕として、これほど信用に置けない相手も居まい。

そこまで行き着いて、水銀燈の思考はもっと根本的な部分に突き当たる。
そもそも、そうまでして下僕が必要だったのだろうか?
情報収集などの面では役に立つかも知れないが、それが殺し合いに役に立たなければ意味が無い。
さりとて戦力になるような相手では、水銀燈が主導権を握るのは難しい。
誰かと組むのが悪いと言う訳では無い。
しかし下僕に逆に引っ張られているような今の状態は、水銀燈としては余りにも温いと言わざるを得なかった。
有能かつしっかりと手綱を握れる者と組むか、
あるいは一人でも、もっと積極的に殺し合いを進めていくか、
いずれしても、今のような中途半端な真似を繰り返していては埒が明かないのは確かだった。

「切り捨てることも考えて置いた方が良いかも知れないわねぇ……」

しかし、流石に今すぐ月を切ると言うのは早計過ぎる。
nのフィールド侵入方法の解明を依頼した件も有る。
月を始末するにしても、明確に邪魔になると判断してからだろう。

思考を終えて手持ち無沙汰になった水銀燈は、もう真面目に観察を続けるつもりは無かったが、
戯れに再び望遠鏡を覗く。
そこに“それ”は居た。
超常の人形である水銀燈の、想像を絶する存在が。


    ◇


三階にある男子トイレの個室。
月はそこに鍵を掛けて篭っていた。
そこに用が有った訳ではない。
ただ、外界からの情報を遮断して一人になりたかっただけだ。

ルパンが死んだ。
月とは出会って一日も経っていない間柄だった。
しかし未だかつて味わったことの無い喪失感が、月の中に渦巻いている。
ルパンはかつて月が出会ったことも無いような人物だった。
月に比肩し得るかも知れない聡明な頭脳。
軽妙洒脱でありながら、嫌味の無い人柄。
清濁併せ持つ深い器量。
その何れか、あるいはその全てか、
亡くなった今だからこそ、ルパンの姿を鮮烈に思い起こされた。
日本一優秀な頭脳を持ちながら、それほどルパンに惹かれていたと今更気付かされる。
これでは笑い話だと、どこか自嘲的に月は思った。
月は哀しいと言うより、ルパンを失った大きさに呆然としていた。

そう、自らルパンを失ったのだ。
成り行きとは言え、月は自らの意思でルパンと袂を分かっている。
過去の仮定の話など意味が無い。
頭ではそう分かっていても、考えずにはいられなかった。
もし、ルパンと別れなければ、彼は死なずに済んだのではないか?

そこまで行き着いて、月の思考はもっと根本的な部分に突き当たる。
そもそも、ルパンと別れたことは余りにも短慮な決断ではなかっただろうか?
確かに、あの時の月にはそうすべき理由があった。
自分の中にキラの可能性を抱えながら、あれ以上ルパンと向き合うことは耐えられなかっただろう。
それでも、無理を押してでもルパンから離れるべきではなかったのではないか?
それは月らしからぬ、確固とした根拠も無い漠然とした思い。
しかし月の中には哀しみを超えるほどの喪失感として、確実に存在した。
何か致命的な判断の誤りをしたのではないかと言う懸念と共に。
だが、何故かそれ以上はどうしても上手く思考を進めることが出来なかった。

(…………いい加減、戻らないとな。これ以上は下手に水銀燈を刺激するのは拙い)

月は思考を切り上げて、トイレの個室から出る。
漠然とした思考に浸っていられるほど、月の現在の状況は安穏としていない。
水銀燈と組んで以来、月はあえて積極的に主導権を握るよう努めて来た。
それは水銀燈がどこまで月のコントロールが効く相手かを計るためでもある。
余裕を持って先導してきたように見えても、実際には月にとってかなり危険な綱渡りだった。
何しろ水銀燈は殺し合いに乗っている。一つ判断を間違えれば、月は殺されてもおかしくない。
しかしそれだからこそ必要な実験であった。
水銀燈は月のどんな言動にいかなる反応を示し、そしてどうすれば上手く制御が出来るのかを。
殺し合いを進めさせないために。
しかし水銀燈とて馬鹿ではない。既に月の目論見にも、ある程度まで感付いているだろう。
ここからは更に難しい駆け引きになる。
だからいつまでもルパンに関する思考に拘泥していてはいけないのだ。

月は水道の水で手を洗う。
そのついでに、乱雑に顔に水を掛けて、乱暴な手つきで顔を洗った。
そうすることでルパンを失った喪失感を洗い流せるかのように自分に言い聞かせて。

(……大丈夫だ。ルパンさんが居なくても僕には出来る!
殺し合いを止めて、その枠から脱出する。僕にはそれが可能な筈だ!)

ルパンの死にも月は決して折れることは無い。
何故なら月には己の頭脳に、能力に、才覚に自信が有った。
この不測に埋め尽くされた殺し合いでは絶対とは言い切れない、
それでも、如何なる困難の渦中からでも、必ず解決策を見出せると言う明確な自信が。

「……水銀燈、どうしたんだ?」
「付いて来なさい」

月がトイレのドアから出た直後だった。
どこか切迫した様子を秘めた水銀燈が、階段から降りてくるのに出くわしたのは。
只ならぬ雰囲気を感じ取った月は事情を聞くが、
水銀燈は極めて簡潔に、しかし有無を言わさぬ調子で命令を返す。
そうなれば月に有無を言う余地は無い。
やはり厳として力の差は存在するのだ。



展望台から北西の方角に位置する森の中。
月と水銀燈の二人は、先ほどルパンと玲子を監視していたように、藪の中に身を潜める。
月にとっては、まず水銀燈が率先してこの状態を取っているのが意外だった。
水銀燈はルパンと玲子を監視する際、
ローゼンメイデンである彼女のプライドの問題か、それとも単純に身体を汚すのを嫌ったのか、
森に身を隠すことを嫌がっていた。
その時は最終的には月に説得されたが、今は自分から藪に身を潜めている。
それだけで異常な事態であると、容易に察せられた。
やがて断続的な得体の知れない音が、遠くから聞こえる。

カシャ カシャ カシャ カシャ

月は根拠の無い予感や直感の類は信じない人間だった。
しかし、その音が近づいてくるにつれて、
何か嫌な予感に支配されて行く。
水銀燈も恐らく同じような予感が有るらしく、今も緊張を隠しきれない様子だ。

音の主が姿を現し、断続的な音の正体が足音だと判明する。
シルエットは人間のそれ。
しかし“それ”は月にとって初めての体験だった。
全身を覆う白銀の装甲。
エメラルドのごとく輝く大きな双眸。
何より足音の主が持つ、圧倒的な存在感。威圧感。
どんな根拠も必要無い。只そこに存在しているだけで、生物としての原初的な本能に訴えてくるような異常な気配を有していた。
一目見ただけで危険と本能が察知する存在。
それは月にとって初めての“体験”だった。

「……あれが何か知ってる?」
「さあ……僕にはあれが、恐らく人間では無いと言うことしか判らないよ」
「じゃあ……私があれを殺すと言ったら、やっぱり邪魔をするのかしら?」

藪に深く身を潜めながら、展望台に向かって歩き続ける“それ”から二人は目を離せない。
異様な緊張感。
水銀燈の口調にも、何時もの人を小馬鹿にするような余裕は無い。

「それは君が殺し合いに乗っているからかい?」
「質問しているのはこっちよ」
「……あれに手を出すのは危険過ぎる。君にもそれは判っているだろう?」
「私が何を判っているって言うの?」
「そうでなければ、君がこそこそ隠れて様子を伺うような真似をする筈が無い」
「…………」

水銀燈は月の言葉に返事を返さず、只食い入るように“それ”を睨み続ける。
月がした体験を、展望台の望遠鏡越しに水銀燈も経験していた。
しかし闇雲に逃げ出すと言う選択肢を選ぶのは、彼女自身の矜持が許さない。
だからこそ展望台に向かって来る“それ”を見付けた時、接近してその危険性を確認することにしたのだ。
水銀燈のアリスゲームにおける長い戦闘経験で培われた勘が、接近して確認した“それ”が極めて危険だと告げる。
あの狭間偉出夫も強力な相手だったが、
目前の存在も強力かつ、それ以上に“危険”だと水銀燈の勘が告げていた。
今の水銀燈の戦力では恐らく勝算は薄い。
月の進言に従うようで逃げるのは癪だが、やはりこの場は退くべきだと水銀燈は判断する。
幸い今は“それ”から見えない位置に姿を隠している。撤退するのは容易な筈だ。

「私はゴルゴムの次期創世王・シャドームーン

沈着だが冷徹な威厳に満ちた声が響く。
月も水銀燈も最初は“それ”=シャドームーンが発した声だとは気が付かなかった。
いつの間にか足を止めていたシャドームーンは顔を傾けて、
エメラルドのごとき双眸を、月と水銀燈が潜む藪に向けていた。

「隠れて様子を伺う程度の者では期待は出来ぬが……ゴルゴムの次期創世王の礎となれることを、精々光栄に思え」

シャドームーンはゴルゴムに世紀王として改造された存在である。
同じ立場としてブラックサンが存在するが、
ブラックサンは改造手術のほとんどを終えていても、それでも未完成の状態であった。
そしてシャドームーンは、その後もしばらくの改造期間を経て完成した世紀王なのである。
そのためか、実はブラックサンよりも細かい改良点が幾つか見受けられる。
一つがマイティアイ。
これは広視界・望遠・暗視などの能力を有する、ブラックサンのマルチアイに、
更に透視能力が加えられた物だ。
広視界と透視、この二つの能力を兼ね備えているマイティアイならば、
深い森の中に身を隠す者でも容易に見つけることが出来た。

自分たちの存在に気付かれている。
それに気付いた月と水銀燈は、弾けるように逃げ出した。

そこに何の策略を込める余裕も無く、月は森の中を駆け抜ける。
何の舗装もされていない山道に何度も転びそうになりながら、
シャドームーンに捉まれば死ぬと言う、一念で必死に駆け抜ける。
しかし慣れない山道を走り続けると言うのは、流石の月にも無理があった。
不意に地面から浮き出た木の根に躓いて、月の身体が地面に投げ出された。
次の瞬間、月の身体が宙に浮く。
自分が水銀燈の背中から伸びた黒い龍の顎に咥えられた。
そう認識した、更に次の瞬間。
天から飛来したシャドームーンが、月が転んだ地点に拳を打ち込んだ。
大地の上で、爆発を起こしたがごとくエネルギーが炸裂する。
地面にクレーターが作られた。

月は、シャドームーンの拳の威力、
そして一瞬でも水銀燈に助けられるのが遅れれば、自分は原形も留めない躯と化していた事実に驚愕する。
水銀燈は龍と化した翼で月を抱えながら、シャドームーンから飛行能力で逃げる。
軽口を叩く余裕も無いらしい。無理も無い。
しかしこの山道での逃亡には、飛行能力は極めて有用と言えた。
足場の悪さに捉われること無く、高速で移動できる。

背後から豪と音が鳴った。
振り向くと白銀の巨弾が飛来して来る。

(シャドームーンも飛行できる!?)

水銀燈以上の速度で宙を飛ぶシャドームーン。
その姿を見て月は、シャドームーンが飛行していると認識する。
しかしそれは誤りだ。シャドームーンが行っているのは飛行ではなく跳躍。
大地を蹴って、地面とは水平方向に跳躍しているに過ぎない。
問題はシャドームーンが地面と垂直方向へ40メートルもの跳躍を可能とする脚力、瞬発力を有すること。
その瞬発力は飛行と紛う距離を、一足飛びで縮めることが出来、
更に、飛行する水銀燈へ容易く追いつくほどの速度を発揮した。

「……!!」

水銀燈が身体を捻る。
しかし回避には間に合わず、シャドームーンが繰り出す拳が水銀燈に直撃。
水銀燈の身体が、まるでフィギュアスケートのごとく錐揉み回転。
同時に弾丸のごとく地面に叩きつけられる。
水銀燈は何度も地面の上を跳ね、転がって伏せた。

龍の顎から放された月も地面を転がる。
それでも攻撃を直接受けた訳では無いせいもあって、予想外にダメージは少ない。
身体を起こして水銀燈を見ると、彼女も大きなダメージは受けていないらしい。
水銀燈はシャドームーンのパンチの打点を、図ってか図らずか体軸からずらしていた。
人形である水銀燈の体重は軽い。
それによって強力な打撃を受けても、威力を身体の回転や飛行の運動エネルギーに変換させて逃がしていたのだ。
何よりローゼンメイデンは、一般的な人形より遥かに頑丈なのだ。

「フッ、只のガラクタ人形では無いらしいな」
「……ジャンクになるのは、そっちよ!!!」

シャドームーンの言葉に水銀燈は怒りを露にする。
水銀燈の数え切れない黒羽が刃のごとく鋭く切っ先をシャドームーンに向け、弾丸のごとく発射された。
人間が一つでもそれを受ければ命を落とすであろう威力の黒羽。
黒羽の弾幕が、シャドームーンの真っ向から雨霰のように叩きつけられる。
シャドームーンは何事も無きかのごとく、その中を平然と歩いていった。
全身を覆う白銀の装甲・シルバーガードには掠り傷一つ付かない。

水銀燈は黒羽を撃ち出すのを止め、背中からの翼として伸ばした。
伸ばした双翼の先端は龍と化し、大きく顎を開けてシャドームーンへ向けて牙を剥く。
双龍がシャドームーンを左右から挟み込むように襲い掛かる。
しかし双龍の牙はシャドームーンの両手に掴み取られる。
人を容易く丸呑みに出来る龍が、シャドームーンの手の力に捉まれて微動だに出来ない。
シャドームーンの腰部分、シャドーチャージャーから緑色の光が漏れた。
内蔵された出力機関、キングストーンのエネルギーがチャージされている証。
エネルギーはシャドーチャージャーから両手へ送り込まれる。
そして両手から放電のごとく拡散しながら放出。
一瞬で双龍を焼き尽くし霧散させた。

(なんて出力なんだ……!!)

双龍を破壊した一撃に月は戦慄する。
人間と同じ体格であるにも拘らず、異常なエネルギーを事も無げに放出するシャドームーン。
月の持つ科学常識から完全に逸脱した存在。
あれだけの力の持ち主との戦いでは、余波に巻き込まれただけでも、
肉体的には普通の人間である月は死にかねない。
これでは水銀燈の殺害を止めるどころではない。
シャドームーンが水銀燈と対峙している隙に、月は再び逃走を開始する。

しかし如何に月が卓越した頭脳の持ち主でも知りようが無い。
シャドームーンがブラックサン以上の五感の持ち主であるということなど。
現在の月とシャドームーンの距離は15メートルほどしか離れていない。
その程度の距離ならば、月がどれほどシャドームーンの隙を見て、気配を隠して逃げようとしても、
容易にその動向を察知できる。

走り去ろうとする月に、シャドームーンは指先を向ける。
指先にシャドーチャージャーからのエネルギーが送られる。
直線発射されるゆえに、先ほどの放電状の物より威力が凝縮されたシャドービーム。
それが発射された。

「私を前に余所見なんて、随分余裕じゃない。お馬鹿さぁん!」

月へシャドービームを発射すると同時に、水銀燈がシャドームーンへ向けて飛び掛ってくる。
大上段に振りかぶった手には、いつの間にか剣が握られていた。
客観的に観れば、それは水銀燈が月を攻撃するシャドームーンの隙を突いた形になるだろう。
しかしシャドームーンのマイティアイは水銀燈への注意を一時たりとも逸らしてはいなかった。
シャドームーンは、自身の右手に握った世紀王の剣・サタンサーベルを振るう。
サタンサーベルは隙だらけの水銀燈の腹を真一文字に切り裂いた。
シャドームーンに腹を切り裂かれた水銀燈は、笑みを浮かべた。

水銀燈にとって、自分の腹部の空虚はコンプレックス以外の何物でも無い。
その腹部の空白を、戦術上の要請とはいえ利用するのはかなりの抵抗がある。
逆に言えばそれを行うほど水銀燈は、シャドームーンを脅威と感じて追い詰められていた。
だからこそ自分の誘いにシャドームーンが乗った瞬間、笑みが零れた。
腹部の空白への攻撃によって隙が出来たシャドームーンの頭部へ、今度は水銀燈の剣が振り下ろされた。
狙いはエメラルドのごとく輝く、シャドームーンの双眸。
明らかに白銀の装甲とは異なる材質の、人間で言えば眼に当たると推測される部分。
恐らくは白銀の装甲部分より強度に劣るであろう。
水銀燈の推測は当たっていた。
シャドームーンの翠の双眸こそ、眼に当たる器官であるマイティアイその物。
それは全身を覆う白銀の装甲・シルバーガードより強度で劣っていた。

剣を受けた翠の双眸は、甲高い破壊音を上げる。
散乱する金属片は日光を反射して不規則な輝きを放つ。
水銀燈は眼を大きく開き、傷一つ無いマイティアイと砕け散った自分の剣を交互に見やった。

マイティアイは確かに、シルバーガードと比較すれば強度で劣る。
しかしシャドームーンの耐久力は、既存の生物のそれとは根本的に隔絶している。
シャドームーンはこれまでも、そしてこれから迎える筈だった――しかしもう永遠に迎えることの無い――未来において、
あのブラックサン=仮面ライダーブラックと、幾度も戦っている。
数多のゴルゴムの怪人と戦い勝ち抜いてきた仮面ライダーブラックの強さは疑うべくも無い。
更に未来での戦いにおいては太陽の力を借りて、仮面ライダーブラックRXへと進化を遂げていた。
その激闘の中でもシャドームーンは、例えばバトルホッパーの自爆などの例外的な事態を除いて、
実はほとんど大きな負傷を受けていないのだ。
シルバーガードに守られていないマイティアイや関節部分であろうとだ。
シャドームーンの耐久力は、それほどまでに総体として高いのである。
水銀燈の剣戟と言えど、仮面ライダーブラックの攻撃には威力は及ばない。
全力の斬撃は自身を破壊する結果となった。

斬撃が失敗して、今度は水銀燈に再び生じる隙。
それを見逃すほどシャドームーンは甘くは無い。
シャドームーンは左肘から伸びるエルボートリガーを、水銀燈の頭部へ向けて振るう。
しかしエルボートリガーの刃先が空中で止まる。
エルボートリガーの刃先の空間上で、紫色の純粋光による波紋が浮かんでいる。
水銀燈が空中に発生させた不可視の防御壁。
ローゼンメイデンの攻撃をすら防ぎきる障壁が、エルボートリガーの軌道を遮ったのだ。
一瞬だけは。
エルボートリガーは武器であると同時に、超振動の発生装置でもある。
その超振動は接触しただけで、巨大な岩石を瞬時にして粉微塵に粉砕できる威力。
発生した絶大なエネルギーは、水銀燈の防御壁をも瞬時に破壊した。
阻む物が無くなりエルボートリガーはそのまま水銀燈の頭部へ向かう。
しかし水銀燈はスゥエーを使い、皮一枚ほどでかろうじてそれを避けた。

水銀燈が張った防御壁は、エルボートリガーを防ぐためではなく回避するための物。
防御壁によって僅かに生まれたタイムラグが無ければ、回避は不可能だっただろう。
しかしシャドームーンの攻撃はまだ終わっては居ない。
シャドームーンは左肘を伸ばし、返しの裏拳を水銀燈に向けて放つ。
凄まじい衝撃で意識がホワイトアウトしながら、水銀燈の身体は吹き飛んだ。



全身に土埃を被ったらしい身体が痛む。
すぐに起き上がることは出来ないが、どうやら五体は無事であるらしい。
大地にうつ伏せで倒れている月は、
混濁した意識からじょじょに覚醒していく頭で、自分の身に何が起きたかを思い出していた。

月を狙って放たれたシャドービームは、放つ瞬間にシャドームーンが水銀燈の急襲を受けたため、僅かに狙いがずれていた。
シャドービームは月の手前の巨木に着弾。月は悪運により直撃を避けることが出来た。
しかしシャドービームの有する莫大なエネルギーは、爆発を起こす。
その余波は、それだけで月の身体は地面へ強烈に叩き付けられた。
意識がそこで途切れていた。

あれからどれほどの時間が経っているかは判断出来ないが、
自分がまだシャドームーンに殺されていないことから、意識を失ってからほとんど間が無いと推測出来る。
問題は水銀燈とシャドームーンがその後どうなったかだ。
月はようやく痛みの抜けた身体を起こしながら、周囲を観察する。
その眼に飛び込んできたのは身体ごと飛来する水銀燈だった。
水銀燈は月の目前で転がり落ちた。

シャドームーンの姿は見えないが、状況は大よそ推測出来る。
どうやら切迫した状況はいまだに続いているようだ。
しかし月には最早打つ手は無い。
逃走してもビームで狙い撃ちされてはどうしようもないのだ。
月には一つだけ策が有るには有ったが、水銀燈が時間稼ぎも出来ない状況では、
成功以前にそれを実行することも叶わないだろう。

「……………………手を出しなさい」

気が付けば水銀燈が身を起こして、月に命令してきていた。
展望台の時より、更に切羽詰って有無を言わせぬ口調。
水銀燈もまた起死回生の手段に出ようとしているのだろう。
そして恐らくそれは、月に犠牲を強いる物だ。
しかし最早手段を選んでいられる状況ではない。
月もまた起死回生の賭けに出る覚悟を決める。

月が水銀燈へ向けて手を伸ばす。
水銀燈がその指の口づける。
眩い光が水銀燈を包み込んだ。


    ◇


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130:運命の分かれ道 夜神月 144:銀の邂逅 月の相克(中編)
水銀燈
128:Blood teller シャドームーン



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