竜腹内海の南西、南洋諸島群の最西端であるアスワ島とキシュフォルド島を隔てるパルマ・デ・デュラゴ海峡から北西を臨めば、天高く突き出す断崖絶壁の端からちょこんと生え建つ尖塔が見える。
外洋と内海からの海流がぶつかる難所として名高い海峡の安全を守る灯台でもあり、物見台としても機能するその塔は、同時に西部キシュフォルド王城の離れでもあるのだが、東側から見上げただけでは、その事実に気づくことはない。
荒波と渦潮にうねる船乗り泣かせのパルマ・デ・デュラゴ海峡を抜け、外洋に出た船の舳先が西を向いてしばらくすると、先ほどの断崖が切れ、右舷後方に西部キシュフォルド王都エスカシエロを眺めることができる。
東海岸に向けて背を向けるようにして湾曲していた断崖の反対側にはゆるやかな勾配の丘陵が続き、丘の中腹に西部キシュフォルド王城が構えられている。
明るみを帯びた城壁と、オレンジの焼き瓦に彩られた城館がさながら翼のように左右に広がり、胴に見立てた中央門から勾配にそって続く城の中核は緩やかな逆三角形を描いて伸び、やがて一筋の城壁が丘の最頂部へと続いた先に先ほどの尖塔が屹立している。
尖塔を頭部、中央城門から丘陵下の海岸まで放射状に広がった市街地を尾羽根に見立てると、なるほど巨大な鳥が空へと駆け上がっていくさまに見てとれる。
元は海賊の根城として歴史に現れるエスカシエロ城であるが、現在では西回り航路の中継地としてあらゆる海上貿易の集積地として発展し、莫大な貿易利潤によってなった、その瀟洒な街並みは西海岸における観光名所の一つとして名高い。
先年、大陸魔道協会本部“賢者の塔”在籍の一部魔導師による賢者の塔占拠に端を発し、大規模魔術の暴走事故の未遂というなんとも締まらぬ結末によって一応の解決をみたハイラル事件によって、魔道協会をはじめ大陸中央部に位置する
ウィスタリア帝国、
東部列強連盟はその都市部に大規模な損害を蒙ったことで、いまもってその事後処理に追われており大陸中央はさながら戦後のような有様だというが、中央から遠く離れたここキシュフォルドでは数カ月前のあの異様な黒い空のことも、天空を翔けた緑の光条と、大陸全土に降り注いだあの緑に輝く光雪のことも、すっかり忘れたかのように生来の陽気な国民性を発揮して往時の喧騒を取り戻していた。
大陸中央部を揺るがせた魔道事故の直接的被害から幸いにして逃れることのできたキシュフォルドであるが、一人まことに面白くないといった表情で口元をむっすりと、への字に歪める人物がいた。
王都エスカシエロの最頂部に屹立する尖塔は、そもそもの立地からして最上階に灯台機能を設ける必要が無いため、中層を灯台としており、さらにその上に設けた望楼には欄干が張り出す。欄干と望楼内部とを隔てる二重窓を大きく開け放ち、吹き込む潮風に赤銅色に日焼けした髪を逆立てながら、仏頂面で眼下に広がる竜腹内海の青色を睨みつけている大男、当代の西部キシュフォルド王にして、6年前直系の途絶えた東部キシュフォルド王国の継承者である子女の後見人として二重国家の王位を預かるキシュフォルド二重王国国王、ビクトリアノ・サラス・キシュフォルドⅠ世その人である。
「……面白くない」
短く刈り込んだ髪と同色の顎髭を憮然とした面持ちで撫でさすると、そう呟いたキシュフォルド王は、踵を返すと望楼内に置かれた一人がけのソファにどっかと身を沈めると、ソファともども名のある作に違いないこれまた豪奢なビストロテーブルに振り上げた丸太のような脚をゴトリと乗せ、不貞腐れたような渋面で傍らのチェストからひっつかんだ酒瓶を煽る。
高い度数の酒に喉が焼ける感覚にわずかばかり溜飲を下げたキシュフォルド王ビクトリアノ――ビクトールは、雫に濡れた顎髭を肩口でぐいと拭くと、ほぉと酒臭い息を吐いた。
大陸中央部を震撼させたハイラル事件。
身内から国際問題に発展する破戒行為を実践した魔導師を出し、協会の権威の象徴と貴重な研究の保管所でもあった塔を失い、今や権威を失墜させた大陸魔道協会。
事件の中枢に位置し、あろうことか再稼働不可とされていた太古の遺産兵器、魔道甲冑の起動により、帝都レンシエラを始めとする主要都市に壊滅的打撃を受けたウィスタリア帝国。
同様になぜか事件の首謀者である魔導師ハイラルに標的とされ、三日にして灰燼に帰した東部列強三強の一角ヴェルツヴァイン王国。
首謀者ハイラルへの技術供与の暗躍が噂される大陸随一の魔道事業財閥であるファルージュ家には近々査察が行われるという。
これほどの好機だというのに……いまは動けぬ我が身を嘆いている。
中央部での異変をいち早く察したビクトールは、どさくさに紛れてウィスタリア帝国と領有を巡っていた領海を越えて南洋諸島の数島に保護という名目で軍を進駐させることには成功したものの、足元を固めて次は事あらば内陸への食指を蠢かしたのも束の間、ウィスタリア・東部列強ともに中核に打撃を受け、争乱は長期化するであろうと見ていた矢先、不可思議なまでに突然の終結を見た一連の事件に中央部の民は胸を撫で下ろしたであろうが、キシュフォルド王ただ一人は地団駄を踏んで悔しがった。
「絶好の機会がとうとう訪れたと思ったのだが……あの導師め、中央の体制と協会の穏健思想に不満があるのだとばかり見ていたが、まさか世界ごと覆そうとするとは……」
一度だけ相対した、どこか捉えどころのない糸目の魔導師を思い浮かべて嘆くように首を振りつつ、これではせっかくの投資が元も取れぬと一人ごちる。
人を見る目はある方だと自負している。確かにあの魔導師の張り付いたような笑みを形づくる糸目の奥には、暗い炎がぎらぎらと燃え立つのを感じた。
コイツは危ない、そう思うのと同じくらい、コイツは実際に“何かやる”……大陸中央に波乱を望む自分自身にとって有用足りえる、そう見込んだがゆえの投資であったのだがと、再び苦いものを飲んだように、ひとり顔を顰めた。
「……乱が足らぬ」
一度は諦めかけた内陸への夢。
閉塞した世界に吹きかけた風を感じてしまったからには、もはや諦めきれない。
ぼそりと呟いた声が望楼の中に響いて溶け消える。
- 乱を待つ王 -(1)
昨夜で書ききれなかったので、てかまだ書ききれてないですね(笑)
妄想のお供にでも^^
最終更新:2013年06月26日 01:43